刹那的な永遠

からっこ

刹那的な永遠

 永遠の夜が続く世界「真夜(まよ)」、そこに面する海は、海の住人はその日も平穏に生きていた。月のこの声が海の底まで届くまでは。
「あぁ、私を映しだしてくれる自然の鏡、またその鏡の中に棲まうものたちよ。聞いてください。明日、私は自然の鏡に落ちます。さいきん体が重たくて、私はもうだめなのです。使いものにならなくなったのです。だから、落ちます。自然の鏡も、その中に棲まうものも、きっと滅んでしまうでしょう。ごめんなさい、ごめんなさい。どうか良い一日を過ごして」
 月の身勝手さに海の住人のほとんどが負の感情を抱いた。サンゴ礁は怖さのあまり色を真っ白にしたし、マンボウは急な知らせに怒ってまるまると膨れた。だが、ある一匹の星クラゲ——今際の時には星みたく光ることからその名を戴いたクラゲの一種——は違った。彼の名はセツナ。三歳の星クラゲで、満月の日に生まれた。そのせいだろうか。彼は月というものを深く愛しており、この月の告白にただ一匹希望を表した。
「愛しい月が海に落ちてくるとは、なんという幸いだろう! ぼくと彼女はいっしょに死んで、永遠になれる。その事実は一等星よりもかがやかしい。これほどまでにきれいな愛の結末があるだろうか?」
 棲み処である白の岩場でセツナはくるくると踊り、海底に碧く透けた影を落とした。月が落ちてくるまで踊り続けたい気分だったが、友だちの星クラゲが慌てたようすでやってきた。
「大変だ、踊っている場合じゃないぞ!」
「やぁ、友よ! 月が落ちてくるのは大変めでたいことだね」
「違う、その話じゃないよ。いや月が落ちるのも無関係じゃないけど、人魚の女王さまがね、星クラゲを狩るようにってお達しをだしたんだ!」
「なんだって?」とセツナは思わず聞き返した。人魚の女王は厳格なひととして有名だったが、どの種族に対しても差別をしてはならない、と新たな法律を作ったようなひとだ。そんな彼女がほかの種族を狩る? 信じられない話だった。
「信じてよ! 人魚の女王さまは月を消すために僕らを狩る気なんだよ」
「月を消すなんてできるものか」
「射止めたら、どんなものでも消してしまう流星の矢を君も知っているだろ?」
「まぁ、真夜の海ではよく知られた伝説だね」
「いいや伝説じゃない。実際に作れるんだ。ただ」
「まさか、星クラゲが材料なのか」
 セツナの友だちは重々しくうなずいた。彼の言葉が事実なのだと納得したからこそ、セツナは言った。
「ぼくは女王さまのようすを見に行く」
「そんな、大貝の玉座に近づくっていうの? 危険だよ!」
「あの近くには岩場が多い。隠れたら大丈夫さ。それにぼくは行かなければならない」
「どうして。早く逃げようよ」
「どうしてってそれは」
 星クラゲを狩る事実と月を消すという目論見を打ち破るために。もしそう言えばこの善良な星クラゲに止められると分かっていたから、セツナは黙った。
「もう、君はいつも肝心なことを言わないんだから! でもいいよ、僕と君は生まれたときからのつき合いだ。危険なことこそ共有しないとね」
「ありがとう、トワ」
「いいよ。ただ危なくなったらすぐに逃げるよ」
 セツナとトワ。二匹の星クラゲは、慎重に海を泳いでいく。人魚の女王がいる大貝の玉座を目指して。



 大貝の玉座の周りには兵士がたくさん集まっていた。人魚の女王や彼らの目につかないよう岩場の陰に隠れて、セツナとトワは女王がとうとうと語るのを聴く。
「いいですか。さきほど言ったように、わたくしは最大多数の最大幸福というものを取ります。月を消して民が幸せに暮らせるよう、星クラゲには犠牲になってもらいます。このことに納得できないものは? ……いないようですね。では星クラゲを見つけ次第、彼らを狩り、武器職人たちに渡すようお願いしますよ」
 トワは女王の表情(かお)からほのかな憂いと悲しみを悟った。ほら女王さまもこれは本意じゃないんだ。でも僕らも逃げないとなぁ……。そう静かにつぶやいた。だがセツナは違った。彼は女王の表情から悲しみを見いだせず、ただ彼女の言葉にセツナ自身の強い怒りを見出した。
「ぼくは逃げない。月を消そうだなんて、僕らを殺そうだなんて、やっぱり許せない。すこしでも罪悪感を見せれば見逃してやろうかとも思ったけど……きみも聞いただろう。あの淡々としたもの言い! あれが命を奪うものの感情なのか? 僕は決めた。この触手の毒であのわからず屋を殺してやる!」
 岩陰から飛びだそうとしたセツナをトワはなんとか押しとどめる。
「待てってば、セツナ。きみはそれで良いかもしれない。でも僕らは人魚姫の友だちだろ? 親が死んだってなるとあの子が悲しむよ」
「それは、だが」
 セツナは姫の優しい笑みを心に浮かべた。女王はひとでなしだがあの子は違う。あの子に悲しい思いをさせるのは、というためらいが生まれた。姫はセツナとトワのような平民にも分け隔てなく接してくれる善良なひとだ。それに黄金色の鱗のかがやきは、ちょっと月に似ている……。
 トワはセツナのためらいにたたみかける。
「きみだって月を消されるのは嫌なんだろう? なら嫌だって思うことを他人にするのは間違っている。ぼくらは……あ」
 セツナは悩み、トワは彼の説得に必死だった。だから気づかなかったのだ。自分たちの体がわずかに岩陰からはみでてしまっていたことに!
 トワが悩める友だちを引っ張って岩陰に身を隠しても、後の祭りだった。星クラゲだ、と人魚の兵士のひとりがこちらを指さしたのをきっかけにほかの兵士たちが迫ってくる。二匹の星クラゲはその場を逃げだした。
「どこへ行く、どこへ!」
「決まってるよ、僕らの隠れ家だ!」
 透けた白さが海を翔ける姿はさながら流れ星のようだった。
 しかし、陰湿な目はしかとその姿を捉えていた。節操なく海の民をおそったすえに嫌われた、サメの目は。
 流れ星ふたつが隠れ家についたのは、しばらくしてからのことだった。兵士を撒くまでに予想よりも時間がかかったのだ。二匹は二年前に見つけた洞窟、セツナとトワと人魚姫の隠れ家に閉じこもって、ひそひそと声をだした。
「これからどうしよう。ほかの星クラゲは真夜の海を離れるって言ってたけど」
「真夜の海を離れる? 離れて、どこに行くんだ」
「黎明の海に逃げるんだって。ねぇ、僕らも」
「信じられない。真夜の海を離れるだなんて!」
——月に永遠の別れを告げて、平気なのか? セツナが続けた言葉に友だちは体を横に振りました。
「みんな、君ほど月を愛していないよ。それに結局、月は落ちるか消されるかの二択じゃないか。別れはすぐそこだ」
「いいや、月とともに死ねば永遠になれる。月とぼくは永遠になれる」
「きみ、月と心中するつもりなの!」とトワは頓狂声をだす。
 セツナは満月の日、月が一番うつくしい日に生まれた。それは祝いでもあり呪いでもあった。月のうつくしさに奪われた彼の心は……死さえも肯定させるのだ。かくしてセツナはうなずいた。
「月に祝福されて生まれたぼくが彼女にどれほどの愛を向けるか。きみは知っているだろう。そうとも、ぼくは月といっしょに死ぬ。だからそれまでは女王に殺されるわけにはいかない」
「きみってやつは……!」
 怒りとも悲しみともとれない感情を露わに、トワが次の言葉を発しようとした時だった。
「いたぞ、星クラゲだ!」
 勇ましさを感じる声は、兵士のものだった。彼の声に兵士仲間が集まって、こちらに近づいてくる。
 どうして。ここはだれも知らないぼくらだけの場所なのに……となげくトワの横でセツナはまさか、と思った。まさか、ここを教えたのは、と。なぜって、ほかの岩場に隠れている、わかりにくいこの洞窟の場所を知っているのは二匹のほかにただひとり、人魚姫しかいなかったから————。
「裏切られたな。親子そろって、あの人魚たちはぼくらを裏切った!」
「そんな、あの子が僕たちを裏切るはずが……いや、それよりも……」
 いったん言葉を区切ってから、トワは確かめた。
「ねぇセツナ、きみ、本当に月と死ねたら幸せなの? 世界でいちばん幸せになれる?」
「それはもちろんだ。だがもうここは袋小路で。くそ、なんて悲劇だ……」
「悲劇じゃないよ。僕が悲劇にさせない。だって、君の幸せは僕の幸せだもの。ね、君は逃げるんだ」
そのせりふには吟遊詩人の歌声よりも哀しいものがあった。彼の声音に秘められた感情を問おうとした瞬間だった。トワが人魚の兵士の前に躍りでる。兵士が槍を突き出す前に、自らその身をそこに差しだした!
 星クラゲが今際の時にだす光が、冬の星かと見まごうほどに清かな光が、強く溢れる。その痛いほどの白さに兵士たちの目が眩んだ。一等星のようなかがやきを見るうちに、トワの言った言葉がほうふつとした。ね、きみは逃げるんだよ————……。
 そう、自分は逃げなければならない。目の前の一等星のためにも。思って、セツナは動きだす。槍を取り落として両手で目を押さえる兵士たちの横を通り抜けるのは、たやすかった。
 トワは死んだ。セツナと月が永遠になるために、トワは死んだ。
 生き残った星クラゲの中にあるのは、心に(うろ)ができたような感覚と、思い切り泣き声をあげたい欲望と、ここまできたらなんとしてでも、月と最期を迎えなければいけないという意思。そして————あの子への殺意だった。
 次にいく場所は、決まっていた。



「セツナ、だめよ。こんなところにいては……!」
 珊瑚の森に住まう人魚姫は、出迎えるなりそう言った。その言葉が心からの心配がこもっているふうに聞こえて、それがセツナには憎らしかった。
——友だちだと思っていたのに、こいつは隠れ家のことを女王に告げたんだ。けっきょく家族が一番なんだ。かけがえのない、友だちだと思っていたのに!
 強い怒りがあるからこそ、セツナはつららも驚くほどに冷たい声をだした。
「よくもまぁ白々しいことが言えるね、きみ」
「白々しい? どうして」
「きみのせいで、トワが死んだ」
 セツナの重い言葉に、姫は二三度と眸をしばたたいた。顔をサッと蒼褪めさせて、うそと声をこぼれさせた。うそじゃないとセツナがはっきり言えば、彼女は真珠の肌に透明の粒を伝わせた。
「そんな、トワが死んだなんて、そんな……どうして」
「言ったろう、きみのせいだ」
「どうして私のせいなの。私はただ、ただひたすらに悲しくて……」
「きみがぼくらの隠れ家を女王に教えたからだろう。女王の命で隠れ家がおそわれたんだぞ!」
 思わず大声がでたが、あたりに兵士はいない。男の人魚を嫌う姫のために、女王はここに兵士を置かないようにしている。みなに愛される姫がだれかに殺されることなどないと慢心している。そのおかげで、セツナには今絶好の機会が訪れていた。
「私は、私は教えてないわ。どうして三人だけの秘密の場所を母さまに教えないといけないの」
「きみが母親の味方だからだ。きみ、母親と仲が良いだろう」
「それでも、私は星クラゲたちには生きてほしいわ。だから言っていない。本当よ、信じて」
 やはり人魚姫の言葉には心がこもっているように思えて、セツナはますます姫を憎らしく思った。信じていたからこそ、友愛を抱いていたからこそ、姫を許せなかった。あくまでも隠れ家の場所を言っていないとのたまう心が醜く思えた。
「……わかったよ、怒鳴って悪かった。ほら、仲直りに抱擁をしてくれないか」
「えぇ、えぇ、もちろんよ」
 人魚姫の(かいな)に入って刹那、刺した。触手を使って姫の体に毒を入れた。どうしてと問うてすぐ、姫はこと切れた。
 セツナは無言で姫の亡骸を引っ張っていく。高い位置から大貝の玉座へと、彼女だったものを落とした。
 途端の悲鳴。その主はほかでもない、憎々しい女王のものだった。一匹の星クラゲは残酷に笑う。
「おまえがしたことは死よりも重い! その罪の味はどうだ」
 しばらくの間、女王は言葉がでてこなかった。突然の喪失にどうすればいいのかわからなかった。しかし、いつまでも目覚めることのない娘を見るうちにこれは現実なのだと認めた。認めざるをえなかった。彼女は娘の亡骸を抱えたまま、言う。
「あの罪深いクラゲをなんとしてでも殺してしまいなさい」



 ときに逃げて、ときに隠れて、ときに攻撃されて。最終的にセツナは逃げ切った。逃げ切ったすえに、彼はずいぶん遠くまできてしまった。ちぎれた触手に傷だらけの皮膚……満身創痍の彼には、もう泳ぐ力が残っていなかった。橙色と赤色が契ったような、濃密な空の色を返照する海面に揺られるばかりだった。
 それはセツナの知らない色彩だった。赤く蕩けたこの海はなんと言うのだろう。トワが言っていた黎明の海とはここのことだろうか。おぼろな思考を動かした後、でもよかったとセツナは笑った。ここにも月がある、と。
 それは純一な朱の、大きくまるいかがやきだった。半身を海に浸からせるかがやきは夜を統べる月よりもうつくしく思えた。
「お月さま。赤いお月さま、聞こえますか」
 返事はない。星クラゲは続ける。
「あなたもこの海に落ちていくんですね。夜の月といっしょだ。でもきっと夜の月よりも穏やかな死をあなたは感じている」
 返事はない。星クラゲはまだ続ける。
「僕ももうすぐ死ぬんです。あぁ僕の望みは果たされる! 月と、それもあなたのように赤い月と死ねるだなんて、僕はなんという幸せものなんでしょう。いっしょに永遠になりましょう、赤いあなた……」
 その言葉を最後にして、星クラゲは強く強く光った。「月の近くでまたたく一等星のような光だったぜ」とその場を目撃した渡り鳥が、後に仲間へとそう語った。
 けれど事実は変わらない。一匹のクラゲが死に、夕焼けが依然ある事実は変わらない。
 月の存在しえないここをみなはこう呼ぶ「黄昏の海」、と。
 それは刹那的な永遠(とわ)以外、ほかならなかった。
                    (了)

刹那的な永遠

刹那的な永遠

くらげと月と人魚と。行き着く先は刹那的な永遠。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2020-05-18

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