さようならをいいたくて

 朝起きてまず初めに私は同居人ともいえるライフアシスタントAIに挨拶をした。
「おはよう、ナターシャ」
「おはようございます、カエデ様。ただいまの時刻は午前七時二八分、昨夜の睡眠時間は六時間一二分でした。平均的な睡眠です」
 流暢なニホン語で話すライフアシスタントAI。これが一昔前までは単語をただ組み合わせたような聞き取りにくい発音であったというから驚きだ。
 いつものように私の睡眠を評価してからナターシャは今朝のニュースを読み上げた。反政府組織の男が逮捕されたこと。食糧の輸入関税が今月から引き上げられたこと。諸外国を訪れた大臣が各国の大臣と会談をして成果を得られたこと。今後のエネルギー政策についての有識者会議が行われたこと、未知のウイルスの発見と被害状況の報告が大陸で相次いでいること、と昨日のニュースのハイライトが読み上げられた。
「ありがとう」
「今日の天気は晴れ、穏やかな春の過ごしやすい日となるでしょう。最高気温は二三度、最低気温は一五度、雨の心配はありません」
ナターシャは朝食の支度をする私がいるリビングを最適な環境に設定した。ライトはやや明るめでカーテンを開け日光も取り入れ、バックミュージックはさわやかな朝を演出するクラシックを再生し、小鳥のさえずりも聞こえてくる。室内温度も私好みに合わせて少し高めに設定をした。
 毎朝、私が密かに楽しみにしているのは、リビングに設置しているフォトフレームだ。もちろんナターシャと接続されていて今の私の気分、つまり腕に装着している時計を兼ねたライフアシストデバイスから心拍数、体温、発汗量、その他にも私の体調を測る情報を集め、それらの評価し今の心理状態に合った写真を選んでくれる。テーブルの片隅に置かれた写真一枚だけれども私は一日に一度だけ、その風景が更新されるのを楽しみにしているのだ。
 今日映し出されたのはどこか南の島の白い砂浜と青く透き通った海だ。そして、隅の方に白いワンピースの女の子が後ろ向きで映っている。きっとこの写真は父親が娘の姿を撮影したものではないかと思う。どこの誰かは全く知らないけれども。
 幼い頃にいろいろなところに連れていてもらった。その中には南の島もあった。確か十歳のことだったと思うが、私も父にこうして写真を撮ってもらっていたはずだ。しかし、私は白いワンピースを着たことがないのでやはりあの写真は私ではないのだ。肝心の私の写真はどこへ保存してあるのか知らない、おそらくは父が知っているはずだ。
 一人暮らしを始めてからも仕事の関係で長期的に職場を離れることができないため、南の島でバカンスというのは憧れてしまう。そういったモチベーションの向上も狙って、ナターシャは私にこの景色を見せているのかもしれない。
「ナターシャ、今日の写真はどこなの」
「その情報にアクセスできません。セキュリティ設定がされているためパスワードの入力が必要です」
 形式的な回答に私は少し落胆をしたが、ナターシャの全権限を私が持っているわけではない。それが今は外国で離れて暮らす両親が機器管理者として登録をされているんだから。
「もう私は子供じゃないのよ。今年で二八歳になる大人の女よ」
 ナターシャはその声には答えなかった。
 ただの写真の撮影地を聞いただけだ。私は深く考えないでその日の夕方には忘れていた。

さようならをいいたくて

さようならをいいたくて

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-05-17

CC BY-NC-ND
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