相容れない兄弟

 ヘカテー、とは、女神さまのなまえらしいです。ぼくはそのなまえを、ゲームで知りましたが、なまえと、神さまであること以外は、まるで、まったく、ぜんぜん、なにも知りませんでした。ヘカテーって女神さまのなまえらしいよ、と言ったとき、兄は、訝しげな顔をし、ゲームばかりやってないで勉強をしろだからおまえは…、と、捲し立てたので、やっぱり兄とは、相容れないものなのだなと思いました。ぼくは、兄のこと、それほどきらいではありませんでしたが、兄が、ぼくのことを、疎ましく感じているのは、火を見るよりも明らかでした。だからといって、ぼくが、兄をきらいになることは、ありませんでした。好きかときかれて、はっきり好きとこたえられるかは、わかりませんが、好き、でも、きらい、でもなく、いわゆる、ふつう、が、ちょうどいいのではないか、兄弟なんだし、と、勉強机にかじりつく、丸まった兄の背中を見ながら、かんがえたものでした。
 勉強は、べつに、していないつもりはないのですが、学校の宿題も、自分で解いて提出していますし、けれども、兄からすれば、ぼくの、勉強をしている、は、勉強をしているうちに入らないのだと、いつだか言い捨てられたことがあります。そのとき、ぼくは、(そうか、ぼくの勉強は、勉強のうちには入らないのか)と、兄の言葉を、ぼんやりと心のなかで繰り返しただけで、たいして傷つきもしませんでした。ただ、すこしだけ兄が、かわいそうに思えました。まいにち、まいにち、勉強のことであたまがいっぱいの兄が、なんだかかわいそうだと思ったのです。だれに強要されたわけでもなく、(うちの両親はさほど教育熱心でもなく、勉強をするしないは本人に任せる、という親だったので、もしかしたらそれが、兄を勉強に駆り立てる要因になったのかもしれませんが)、塾から帰ってきて、ごはんを食べたあと、テレビを観るでも、音楽を聴くでも、友だちと電話をするでもなく、机に向かって、今日の復習と、明日の予習をしている、兄を、ぼくは、すごいなぁと感心する半面、一体、兄は、なにに怯えて、脅されて、こんなにも必死に、勉強をしているのだろうと、教科書を読んで、問題集の解答欄を埋めてゆく以外の楽しいことを、兄は知らないのだろうかと、見ているこちらが、無性に、かなしい気分になりました。
 さいきん、せかいは、ひそやかに、ひとのやさしさから生まれた光の粒子が夜空に帯をつくり、金色に輝く瞬間が、あります。ひとびとに悪さをしていた、みにくい夜のバケモノたちが、光を浴びて、うつくしい夜のバケモノになっているとか、いないとか。兄は、いつものように、むずかしそうな参考書を読み耽り、ぼくは、星よりもまぶしい、だれかのやさしさの光を、窓からそっと、ながめています。

相容れない兄弟

相容れない兄弟

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-05-17

CC BY-NC-ND
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