たこ焼きと父の日①
岡本団長 作
らんな 編
駅を出て変わり果てた街並みを抜け、坂を上がった所にその家はあった。
家の前では小太りの、50半ばと思われる中年の男が落ち着きがなくウロウロし悩ましげな表情を浮かべている。
人が目にすれば確実に不審者に疑われるだろう。
古びた革靴、ヨレたシャツに茶色のスーツを着込んだその男は紙袋を大事に抱えながら家に目を向けた。
レトロと言えば響きが良いが昭和を匂わす懐かしき木造1階建ての所詮平屋とも呼ばれる住宅。
硝子板がはめ込まれた木の玄関扉横には『藤井』と書かれた表札が掲げられてた。
男は決断したのか、ゆっくりと口を開く。
「こんちわー…こんちわー…」
どこか遠慮がちに発せられた言葉に返事はない。
「こんにちわー」
再度紡いだ言葉にも返事はなかった。
「おさむー……おさむー」
藤井修(フジイオサム)。
それがこの家の主の名だ。
主の名を何度も呼ぶが男の声以外には雀ののどかな鳴き声しかしなかった。
「オレーっ、ぜんぞうーっ。久しぶりーっ、ちょっとこっち来たから寄った。おーい、居ないのぉ?」
男────善三(ゼンゾウ)は声を上げた。
「敏子(トシコ)ぉー。敏子は居ないのかぁ。お前達結婚したんだろ?12年くらい前、盛岡で旅行に来た豆腐屋の正行にばったり会って聞いたんだ。良かったじゃないかぁー。正行にはオレに会った事を口止めしといたけどな」
どこか善三は自嘲じみた笑みを一瞬浮かべる。
もしかしたら善三の訪問に対し面会を望んでいないかもしれない。
「おーい、でてきてくれよー。居ないのかー。」
何度繰り返し呼ぶが返事はなかった。
持っている紙袋に目を落とし、決断したのか再度善三は声を上げた。
「なつみ、なつみは居ないのかー!さなえ、さなえは居ないのかー!」
「はーい。」
家の中から初めて返事が返ってきた。
それは予想していた修や敏子の声ではなく、聞き覚えのない若く張りのある高い声。
ガチャガチャと玄関の鍵をあけ、ガラッと滑りの悪い音と共に開かれた扉から現れたのは若い女性だった。
成人は既に済んでいるだろうか。女はグレーのジャージにピンクの薄手のセーターを羽織っている。眠たげに瞼を擦る仕草から先程まで寝ていた事が伺えた。
「どちら様ですか?」
女は来訪者に丁寧な言葉で問い掛けた。
しかし善三は女をまじまじと見つめるだけで答えなかった。
「どちら様ですか?」
再度女は問い掛けるが返事はなく、不審に思い眉を寄せた。
「あの、どちら様ですか?」
「…………なつみ」
突然名前を呼ばれ、女は目を見開く。
「あ、はい…あの、どちら様ですか?」
「オレだよ」
「いや、オレって言われても…」
「オレだよ、なつみ」
なつみは目の前で瞳を輝かせる不審者に首を傾げる。
名前を知っている所から無関係な人物では無いはずなのだ。
過去の記憶を振り返り、思い当たった人物に眉を寄せた。
「…父ちゃん?」
遠慮がちに問い掛けたその言葉に善三は満面な笑みを浮かべ何度も頷いた。
「ああ、父ちゃんだよ。なつみ」
その瞬間なつみは鋭い視線を向けた。
「生きてたんだ」
「ああ、生きてた。元気だよ」
「なんか顔色悪そうですけど」
緊張状態からか脂汗を額に滲ませる善三の頬は血色が良いとは言えない。
「長旅で疲れているだけだ」とヘラヘラ笑いながら喋る姿を横目で観察しながらなつみは深くため息を吐く。
「……あの、もうお帰りくだ「そうだ、お前仕事何してるの?」」
追い返そうと発した言葉に善三は咄嗟に被せ話を逸らした。
「看護士してます。今日は夜勤明けでさっき寝たとこでした」
「そうか。すまなかった。で、さなえは?」
妹の名前を出されなつみは拳を固く握り込み上げそうになった怒りをやり過ごす。
「……介護士してます。昨日は夜勤でまだ帰ってません」
「夜勤か、2人とも大変だな…」
「ええ、仕事ですから。貴方には関係ないことです。もう、お帰りください」
冷たく突き放す言葉はなつみ本人が思っているより低い声で紡がれた。
「そうだ!敏子と修は居ないのか?結婚したんだよな。12年前くらい前盛岡で、旅行に来た豆腐屋の正行にばったり会って聞いた。正行にはオレに会った事は口止めしたけどな」
「父さん、修おじさんは6年前に、母ちゃんも4年前ガンで亡くなりました」
善三は息を飲み込んだ。
修は善三とは古くからの付き合いで親友と呼べる仲で、敏子は善三とは夫婦だった。
…………この街を出るまで。
そんな2人の知らせに善三は瞳を濡らしポケットからしわくちゃのハンカチを取り出して目許を拭った。
「…そうか…会いたかったなぁ…そうだ!仏壇あるだろ。敏子と修に線香あげさせてくれ」
「ええ?」
「線香あげさせてくれ」
必死に頭を下げて善三は申し出た。
そんな父親の姿になつみはどこか困惑した表情を浮かべる。
「……」
「頼む。頼むよ。線香だけ。なっ」
「………」
「なっ!」
なつみは何度目か解らないため息を吐いた。
「分かりました。お線香あげたらすぐに帰ってください」
その言葉に善三は顔を上げ、一度なつみを見てから再度頭を深く下げた。
「分かった。すまない。仏壇、こっちだったよな」
善三は玄関で靴を脱ぎ家へと上がり懐かしさを感じる暇もなく、善三は奥を指差す。
「ええ。奥の左の部屋です」
「ありがと」
素っ気ない返事に礼を述べ廊下を歩いていく善三の後ろ姿を視界から消えるまで睨みつけた。
暫くし、気も落ちついたのか開きっぱなしの玄関を閉め、なつみはすぐ隣にある居間へと向かう。
なつみにとって、善三など見送りする価値もないと言う意思表示の行動だった。
和室に入った善三は黒い仏壇の前に座る。
2つの位牌に2人の写真。
自分の記憶より老けた親友と元妻の写真を眺め、目頭が熱くなるのを感じ片手で覆う。
「敏子、修…向こうでも幸せにやってるか…?」
善三は返事がないと分かっても問い掛けながら、箱から線香を取り出し火をつける。
「沢山、話したいことがあるけど…止めとくな。あっちでいっぱい謝るから、今は許してくれ」
線香を捧げ、両手を合わせ瞼閉じれば浮かぶ思い出を振り払い善三は横に置いた紙袋を持って立ち上がった。
つづく
たこ焼きと父の日①