永遠の花園

からっこ

赤い花と湖


 湖を中心にすえる花園に、咳こむ男がやってくる。彼は街から花園の管理を任されていた。彼——管理人は、御神の使いの羽よりも明るく白い花々に微笑んだが、湖のすぐ側に咲く違和感に眉をひそめる。
「おや、あれは今日咲いた花か。赤……なんと恐ろしい!」
 管理人にはその花が満目の白の中についた染みに思えた。殺人犯の握るナイフから滴る血みたいな色だと感じられた。彼はそこに躊躇(ちゅうちょ)したものの、結局、白い花と同じように赤い花の世話もした。
 なのに、平等に扱われたのに、その夜赤い花はさめざめと露を地にこぼした。
「あぁ、あの管理人の目ときたら! この哀れな異端者の命を刈り取ろうと思っているに違いないわ。獲物を見る目だったもの」
 赤い花は露を地に落としつつ、夜の明度を上げる星々を見上げた。
「あぁ星はいいわね。どんな色でも、どんな輝きでも認められるんだから……」
 私は星ではない。もう枯れてしまいたい。彼女がそう思ったときだった。きらりと夜を裂く光が見えた。それが流れ星だと気づいた赤い花は、願いごとを三回唱えた。私が刈り取られることはありませんように、と。
 するとどうだろう。彼女のすぐ近く、星夜を湛えるだけだった湖面に光が満ちたのだ。流星が湖に落ちたのだと理解が及んだときには光はすっかり収まっていた。ずいぶんと高揚した声が湖から聞こえる。
「きみはなんてうつくしいんだ! 目覚めたばかりの僕にきみのうつくしさは鮮やかすぎるよ。あぁきみと出会えたのは一等の幸いにして一等の不幸せだ……僕はきみを愛してしまった。愛はいつか自らを破滅に導くものなのに!」
「湖さん、あなたどうして話せるの」
 自我のある湖などこの世の摂理に当てはまらない。とびきりのふしぎだった。
「それは僕にもわからないよ。確かなのは僕が今生まれたということ。逆に赤花の君。きみこそ心当たりはないのかい? 僕が生まれる前になにか変わったことは?」
 変わったこと、というのはひとつしか思いつかなかった。
「星が夜を裂いてきたわ。そうして、あなたに落ちていった……。もしかして、流れ星のおかげであなたは生を受けたの?」
「たぶん、そうなのではないかな。あぁ愛しい赤花の君。きみは僕が生を受けるよう、星に願ってくれたんだね? ありがとう!」
「私はべつに願ってなんか」
「照れなくてもいいよ。僕はきみに感謝と愛を捧ぐばかりだ。どうかその気持ちに応えてはくれないかい?」
 湖の声には純粋なところしか感じられない。だからこそ、赤い花は彼を拒絶したくなった。
 だって私は赤い花。この白い世界での異端者。だれにも愛されてはいけないんだわ……。
 と思うと同時に、生まれてすぐに好きだと言ってくるような輩を信じられない気持ちもあった。赤い花は毅然として言った。
「私はあなたを好きにならない。だれも、だれも好きになれない」
「どうしてそんなに寂しいことを言うんだい? もしや愛は自分を破滅に導くと僕が言ったのを気にしているのかな。大丈夫、破滅するそのときまで僕はきみといっしょにいるよ」
「私はそもそも破滅したくないの。ただ、生きたいのよ。だから、あなたの愛には応えられない」
 その後も湖は赤い花に色々と話しかけたが、赤い花は無視を決めこんだ。けれど、湖の声があまりにも温かで……それに比べて夜の温度は寒いほどに思われて……すこし温もりがほしくなって。
 これは湖の策略かしら、と考える内に彼女は眠りについた。
 明くる朝、喉をゴホゴホと鳴らす管理人が花園にやってきた。彼はいつもどおり花々の面倒を見た後、赤い花に近寄ってじぃと見つめた。冷たい欲望に憑かれた視線だった。しかしなにも言わずに去っていった。
「あぁ、もう私はだめなんだわ。死んでしまう、刈られてしまう」
 夜になって、赤い花はまた露を地にこぼす。管理人の視線に彼女の心は脅かされた。彼女の中で、死という概念がいよいよ大きくなっていた。湖がどうしたんだいと聞くと、彼女は心を落ち着けないまま話しだした。
「どうしたんだいって、あなたも見ていたでしょう? 管理人のあの目。あれは私を殺すつもりなのよ。私が異端者だからって命を刈り取って、路傍に捨てるつもりなのよ。赤い色に生まれなければよかった! みんなと同じ白い色がよかった!」
「みんなと違ったらどうしてだめなんだい」
 湖にまっすぐ疑問をぶつけられた赤い花は悲壮感をその花びらに浮かべた。
「不吉だからよ。差別されるからよ。のけ者にされるからよ。えぇ殺されるからよ!」
「生命のあるものはいつか死ぬんだし、殺されることに僕はそんなに問題があるとは思わないけど」
「それはあなたが刈られるものではないから言え」
「僕は」
 赤い花をさえぎった声は、天を覆う明るい紺碧よりも澄んでいる。
「僕はきみが好きだよ。ほんとうに、ほんとうに好きだよ。無視されたって、声を荒げられたって、きみが好きだ。愛おしくてたまらない」
「なんで、私を好いてくれるの……」
 二度目の告白にさしもの赤い花もとまどう。自分が愛されないと端から思いこんでいる赤い花にとって、湖の言葉は痛いくらいに染みた。
「きみがきみだから。最初はきみが赤いから愛を抱いただけだった。でもね、今はきみが赤いから。きみがその声を持つから。きみがその性格だから。だから、愛を抱いているんだよ。きみがほかと違うから僕はきみを愛している。きみがいつか刈られようと、その後も愛するよ」
 ほろりと。赤い花びらから露がこぼれる。それは清かな月光に照らされて真珠よりもきれいにかがやいた。
「泣くことはないだろう、赤花の君。まぁ泣いているきみもうつくしいけれど……」
「だって、私、受け入れられるとは思っていなくて」
 赤い花は湖の愛情を軽く見積もっていた。実際には、彼の愛情は深い深い純粋だった。
「ねぇ、赤い花。僕だけはきみを受け入れてあげられる。だから、僕を受け入れてくれるかい?」
「……わかったわ。私もあなたを愛します。だからあなたも私を永遠に愛して」
「もちろんだとも」
 それから。ふたつはゆっくり愛を育んでいった。朝に挨拶を交わし、昼は寄り添い合い、夜には愛を語らった。愛が育てば育つほど、赤い花は孤独を忘れ、湖は愛が自らを破滅に導くことを忘れていった————管理人が赤い花にこう言うまでは。すっかり育った異端者は高く売れるぞ、明日には摘もう。
 月が冷え冷えと光るころ、赤い花は湖に向かって言った。
「私はもうだめだわ。刈られてしまう。湖、あなたと過ごした日々は忘れません。あなたはどうか私のことを忘れないでね。もう、それだけで十分だから」
「なにを言う! 僕は認めない、認めないぞ。きみが刈られる運命だとか!」
「受け入れて。あなたは私を受け入れてくれたでしょう。愛が破滅に導くと破滅を受け入れていたでしょう。受け入れて。私が刈られる運命も」
「そんな、でも、僕は」
 口で軽々しく語っていた破滅の意味を痛感して、湖は水面を震わせる。そこに映る月もまた震えた。湖が赤い花に言葉を差し向けられないうちに、夜が明けた。
 だが、管理人は花園にこなかった。昼下がりになっても夕方になってもこなかった。夜がまたやってきた。
「あぁ赤花の君! きみはこうして生きている。これほどすばらしいことがあるだろうか!」
「えぇ湖さん! 私、生きている。今も生きているわ!」
 彼と彼女は嬉々として声を弾ませた。深い夜の下の花園で白さは暗みを帯びて、月は湖と赤い花、ふたつきりを祝福した。
「赤花の君。僕は前に言ったね。愛は破滅だと。でもね、こうなった以上、運命がきみを生かした以上、僕は思うんだ。愛は永遠なのではないかと」
「そうね。えぇ、そうね!」
「ずっとこれからも永遠にいよう、赤花の君」
 赤い花は聖なる火よりも赤くなって、はいとうなずいた。
 それから、花園の管理人が現れることはなくふたつは幸せに暮らしていた。朝は挨拶を交わし、昼は寄り添い合い、夜は語らう。ふたつきりの存在はそうして毎日、愛を確かめあった。しかし愛が永遠でも、それは赤い花の生命の足しにはならない。雨も降らない。管理人もこない。彼女の体がどれだけ水分を欲しても。
 管理人がこなくなって十日もしたころには、赤い花の花びらはしおれて、葉は元気なくうなだれていた。うつくしくない花を、月が祝福することはもうなかった。湖だけがこうこうと光を受けている……。
「私、もうすぐ死んでしまうみたい」と花はか細い声をだした。そこにはかつてのきれいな響きがなかった。それでも湖は彼女を愛していた。だから言う。一生懸命に言う。
「そんな、あきらめるのはまだ早いよ。明日にはきっと雨が降る。だからきみは死なない」
「私に足があれば、湖さんの一部を飲んで生き永らえたのにね……」
「赤花の君。僕の話をよく聞いてくれ。まだ、待つんだ」
 湖の声には強い力がこもっていたが、花の声に力などない。おもむろに、彼女は言葉を揺らす。
「だめなの。私の命はもう今夜限りなの。あぁ、あなたと出会えて」
「いいか。赤花。きみはゆっくり休むべきだ。もう喋らなくていい。今晩は休んで」
「よかった」と言ったきりだった。花は茶色く枯れたきりとなった。赤花の君? と湖が呼びかけても、静寂が返ってくるのみだった。
——そんな、そんなばかな。僕だけがどうして生きている? 彼女と僕は永遠の愛を誓ったのに! それともやはり生まれたばかりの僕が、わかったようなふりをして言った「愛が自らに破滅を導く」というのは本当だったのか? でもそれなら僕はどうして死んでいない。僕はこんなにも彼女を愛しているのに。あぁそうだ、僕も命を失うべきだ……。近くにいながらこの水をなにひとつ分けてやれなかった僕も!
 果たして、湖は破滅していった。ゆっくりと季節をまたいで、自らの命を涸らしていった。白い花園の夜に話し声が伝うことは、もうない。



 森が赤く染まる季節、ひとりの男が管理人の家のドアをノックした。
「兄貴、いるか?」
 ここ数ヶ月、音沙汰がない兄を心配してやってきた男だったが、兄の返事がないことに嫌な予感が強まる。三分後には手持ちの銃で扉の錠を壊して、中に入った。
「兄貴! …………これは」
 男が目にしたのは、肉が腐り、頭蓋骨の一部が見えた死体ひとつだった。死体の手とおぼしき、蛆が湧いた肉の近くには、錠剤の詰まっていた瓶が転がっていた。唇だったあたりは赤黒くなっている。まるで、血が乾いてしばらくしたかのような……。
「また、肺を病んでいたのか」
 男は涙をこらえながらその場を後にした。今は母と父に早くこのことを知らせなくてはいけない、と。しゃにむに走った。
 後日、花園にて管理人の葬儀はつつがなく行われた。街で葬儀を行わなかったのは、白い花を愛してやまず、ひとを嫌って仕方がなかった死者への配慮だった。
 兄が土の下に眠ったのを見送り、男は湖だったそこを目の当たりにした。
「なぜにあの広大な湖が涸れているんだ! それに」
——それに、アレはなんだ?
 アレが気になった男は湖の浅いところに下りてかがんだ。手を伸ばして、深いところにあるその物体をなんとか手中に収める。白くかがやく石のようなものだった。熱く、うつくしい、なにかだった。
「へぇ、星みたいだな。これほどきれいなもの滅多にないぞ。ずっと光ってやがる」
 かがやきを持って、男は兄の眠る場所へともどる。
 後に残されたのは白い花々。ただそれだけの永遠だった。



(了)

永遠の花園

永遠の花園

ワイルドの童話集に触発されて書いたファンタジー恋愛寓話です。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2020-05-17

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