何も無かった

結局、何も無かった

僕は絵を描くのがすきで、それは幼い頃からすきで新聞広告の裏であったり画用紙だったり、そんなものに描きたいものを描きたいように描いていた。
小学生になると図工の時間があって授業で描いた絵が、市の何とかという展覧会で特選を受賞してしまった。すると担任のアヤカ先生は勘違いをした。
その展覧会で入賞した僕を含めた三人を毎週日曜日に学校へ来させ絵を描かせた。展覧会では他の二人は佳作だった。アヤカ先生に何の目論見があるのかわからなかったけど毎週日曜日に絵を描く為に学校へ行く羽目になってしまった。
僕は、そうやって強制的に描くのが苦痛だった。だからちっとも上手く描けなかった。三人の中で一番駄目だった。いや、きっと此処には居ないクラスメートの中でも劣っていたはず。
それでもアヤカ先生は執拗に絵を描かせた。僕以外の二人は確実に上手くなっていた。アヤカ先生は僕に何を期待しているのだろう?と不思議だった。
日曜日の登校も五週目に入った頃、先生に呼ばれた。次の週から僕は日曜日に学校へ行かなくて良くなった。

それでも僕は絵を描く事はだいすきだった。段々と絵にはストーリーが生まれ、それが漫画へと発展していった。
漫画を描いていると何人かの生徒から、読みたいと言われた。意外な事に読んだ生徒からは、続きが見たい、おもしろい、もっと描いて等の反響があり僕は連載をかかえる人気漫画家になった気分だった。
その頃になるとアニメーションにも興味があって、将来は漫画やアニメの世界にいこうと想い始めていた。

漫画雑誌を作ろうと一人で何人かのペンネームを誕生させ漫画を描いた。アイデアは直ぐに枯渇し大学ノートを半分も埋めないくらいでその雑誌は中途半端に終わった。
中学生になっても相変わらず漫画やアニメがすきだった。
オタクという言葉を初めて聞いたのもこの頃だった。オタクは格好悪かった。暗くて、気持ち悪い喋り方で、浮いている存在だった。
僕は、こんな奴等と一緒と思われたくない一心で、すきなものに蓋をした。

ボクサーに憧れた。サッカー選手になろうと思った。足は割りと速い方だった。学年で十番くらい。その全てが中途半端だった。

只の格好つけで洋楽を聞こうと思った。訳もわからずにラジオにかじりついた。何が良くて何が悪いのかなんて全くわからなかったけど徐々に好みが出てきて、これは格好良い、激しいけど好きな音、こんなに暗い曲なのに惹かれる、こういうのは嫌いといった感じでどんどんとのめり込んでいくのがわかった。

そんな時期に自宅の箪笥の横に普段は全く気にしていなかったスペースがあって、ちょっとした物置みたいになってるのに気付いた。そこにクラシックギターが埃をかぶってポツんと居た。
音楽の授業で手にしたクラシックギターとは何かが違っていた。父親が弾いていたというそのギターには無理矢理にフォークギター用の金属製の玄が張られていた。学校にあるどことなく気品があるギターにはナイロンの玄が張られている。このギターは埃まみれでどす黒くて不恰好だった。矢鱈と玄と指板の間が開いていて玄を指板に押し付けるだけで指が痛かった。

楽器を弾くなんていう事は音楽の授業以外考えた事もなかったのだけど、洋楽にのめり込んでいる今は何か変な自信というか、何でも出来そうな感覚があってギターをいじくり始めた。
調玄など全くわかるわけも無かったのだけど毎日ギターを弾いた。弾いたというか鳴らした。本当はデヴィッドボウイが弾きたかったけどそんな事出来る訳もなく訳のわからない音を鳴らし、いつの間にかそれをオリジナル曲だと思い込みながら同じ様な不協和音を量産していった。

高校生になると更に事態は深刻化していく。その訳のわからないオリジナル曲をカセットテープに吹き込み同級生や下級生に売り捌くようになっていた。
迷惑なインディーズ活動の始まりである。

高校を卒業し就職という名目で東京へ。仕事は二の次で僕は大きく勘違いをしながらバンドを始めた。
滅茶苦茶なパンクバンドでギターを弾き鳴らした。ライブでは客席へダイヴなんかもした。避けられて床に激突した事もある。
そんな事を数年続けてやっとわかった。
「音楽じゃないな」

絵を描こう。絵が好きなんだ。そしてまた絵を描き始めた。
都会には夢を抱えている者達が大勢いて、それはバンドだったり役者だったり画家だったりした。
そういうドングリの背比べみたいな連中と一緒にいると最初のうちは居心地が良いのだけど段々と気持ち悪くなってきて、一体自分は何をやっているんだ?という感情に支配されてきて付き合いを止めてしまう。
写真家と知り合うと今度は写真に興味が湧きカメラを購入する。
何時もの悪い癖で、自分には出来ると訳のわからない写真を撮り写真展に応募する。当然箸にも棒にもかかるわけは無くまた断念。
芝居をやってる者と知り合い、社交辞令で劇団に誘われると、また勘違いをしノコノコと首を突っ込む。ただの社交辞令なのに。

そんな事を繰り返し生活と仕事に追われ、こんな仕事は自分の仕事じゃないと言い聞かせ気が付いた時にはもう還暦が目の前に横たわって居た。

小説を書き始め落胆、田舎暮らしに走り落胆、何もかも全てが中途半端以下だった。

最初から何も無かった。何の才能も無かったんだ。

僕は今、布団から起き上がる事も出来ずにいる。

なにひとつ認められずに自分だけが勘違いを繰り返す空っぽの人生でした。

もう目蓋を開ける事も出来ない。ゆっくりと風の音が聞こえる。

なぜか鳥の鳴き声がする。

鳥は嫌いなのに。


終り

何も無かった

何も無かった

と或男の人生

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-05-13

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