空に贈る詩

桐谷 迅

  1. 君がくれたアイ
  2. 僕が贈るアイ

君がくれたアイ

 僕の愛する人に贈ろう。

「……好きだったよ。そして、……ありがとう」

 いつまでも耐えきれない悲しみを噛み締め、雨に打たれながら空に向かって叫んだ。
 想いを、記憶を、感情を、その全てを声に乗せる。

 僕の声が届きますように。

✳︎

 彼女が僕に話しかけてきたのはいつ頃だっただろう。なんて、忘れられるはずもなかった。それは、高校生の時のお話。

 この地域は海がとても近く、一年を通してそこそこ過ごしやすい気候だった。時折、吹き付ける潮風は心地いい。それに、全体的に車通りも少ないし、自然の香りは町全体に漂っている。

 本当に良い所。
 なんて言ってみるが、結局ただの小さな田舎町に他ならない。特に、思春期真っ只中の僕からすれば、ロクな場所ではなかった。

「ねぇ、翔太(しょうた)君。……ほら、何ぼーっとしているの?」
「……えっ。あ、ごめん」

 視界に突然飛び込んでくるいつも通りの凛々しい声は、僕の日常に欠かせなくなっていた。

「翔太君は何でいつもぼーっとしているのかな? とっても不思議なんだけど」
「どーでも良いだろ」
「どうでも良くないよ。悩み事があるんなら私に任せなさい」

 相変わらずの世話焼き癖は、同い年の僕にまでも及んでいた。というか、これは世話焼きに入るのだろうか。なんて(いささ)かな疑問を抱きつつも、海風に吹かれながら通学路である海岸沿いを歩く。そして、何気ない会話を楽しんでいた。

 そんなことが平日の日課だった。これが当たり前だった。

「そう言えばさ、もうちょいで夏休みだね。翔太君は何処か出かけるとかするの?」
「いや、家で引き籠もってるかな」
「うわぁ」
「え? なんか変な事言った?」
「別に……」

 それにしても、時間と言うものは理解している以上に、途轍(とてつ)もない速さで進んでしまうものだと改めて思う。気が付けば、こうして夏休みを目前にしながら、照りつける太陽にほんのり暑さを感じていた。

「そう言えばさ、今日、うちの部活に来れる?」
「むしろ暇すぎて行きたいくらいだよ」
「え? 翔太君、部活は?」
「あるにはあるけど、どうせ今日もあの変態たちがニヤニヤしながら二次創作だのBLだのGLだのよく分からない物を書いてるだけだしなぁ」

 あの引きつった気持ち悪い高笑いが部室中に広がっているのを思い出しただけで気分が悪くなってしまう。

「小説の何とか大賞が夏の終わりに締め切りなんじゃ?」
「問題ねぇよ。後は軽い推敲だけだし」
「ふーん。じゃあ終わり次第教室に行くね?」
「いや、どうせ昼休みに会うだろ?」
「あ、えっと……何で?」
「ついさっき、お弁当もお金も忘れたから弁当分けて、って言ったの誰だよ」
「あ、そっか」

 周りからとても好かれている彼女は頭が良いだけでなく、絵を書かせれば賞を取り、歌を歌わせれば聴く人を感動させる、という超高スペックな少女。おまけに、顔立ちは綺麗な方に当たる。

 唯一の弱点といえば、運動が出来ないことくらいだろう。想像を絶する運動音痴に加え、体力は皆無に等しい。だが、それは逆に、男子の人気を集めるポイントにもなっているらしい。

 そんな彼女が僕に声を掛けてきたのは意外でしかなかった。

✳︎

 元々文学に耽っていた僕は、ある大好きな一つの小説に感化され、高校生になったら独りとして過ごしていこうと考えていた程だった。

 中学の終わり間際、転校でこっちに来たのを境に、誰とも仲の良くはしなかった。無論、高校へ進学後も想像通りに独りを貫き通した。
 そのお陰とでも言うべきか、もはや一人になることにも違和感を覚えず、あっさりと存在感を消せてしまうようになっていたのだ。
 まぁ、時々「あ、いたんだ」なんて言葉に傷つく事は否めないが。

 更に高校生にもなれば、恋に想いを寄せる時期であり、周りはそんな話で溢れかえっていた。
 一方の僕は、好きな女子……とか言うよりも、そもそもとして異性にもある程度以上の興味はなく、だからと言って同性にも、二次元にも興味が無い。俗に言うさとり世代の代表格とも言える性格なのだろう。

 それに気付いてくれたのか、ものの見事に噂話はゼロ、恋沙汰(こいざた)関係で白羽の矢なんて縁すらもなかった。

 結果的に一年生の間、面倒なことは全て回避。それこそ、全く目立たない存在に成れていた。
 転機は二年生。つまり今年である。あれは四月の中盤だったと思う。一番乗りで帰路につこうとバックを手に、廊下を歩いていた時だった。

「ねね、ちょっと待って」

 後ろから飛んできた声は自分に対してのものだとは思わず、足を止めることはなかった。だが、肩を掴まれて、ようやく足を止め、「何か用?」なんて言いながら振り返ると、そこには彼女がいたのだ。

 この当時は関わりなんて一切なかった上、彼女は僕でも知っているほどの有名人だった。ある種、驚きに似た戸惑いはあったと思う。

「えっと、君が秋月(あきづき) 翔太(しょうた)君だよね?」

 更に、会ったこともない人に名前を知られていると言う事実に困惑を覚え、声を詰まらせてしまう。が、瞬時に落ち着きを取り戻すと、振り返った。

「何か用? 部活があるんだけど」
「ごめん。ちょっと来て」

 腕を強く掴まれると、強引に引っ張られ、屋上まで連れて来られた。初対面の人間にする行動ではないだろ、普通。そんな不満は一旦心の奥底へとしまい込んでおく。

「ねぇ、一つ聞いてくれない?」

 冬も明けたばかりだと言うのに、目を細めてしまう程の眩い夕焼け。時折、強く吹きつけてくる風に、彼女の少し長い髪が(なび)く。聞こえて来るのは、賑やかな笑い声ばかりだった。

「何をだよ」

 あえての不愛想だが、致し方が無い。出来る限り不機嫌を装いながら、声のトーンを低めにして喋る。

「君が好きな歌をね」
「はぁ?」
「じゃあ聴いててくれる?」
「いや、ちょっ……」

 そうして彼女はいきなり歌い出した。こっちは必要最低限すらも喋ってことがないのに、いきなり歌い出したのだ。それも、とびっきりの笑顔と半端じゃない声量で。

 ただ、堂々としたその姿に惹かれなかった訳でもない。何と言うか、言葉には出来ない感動が全身を走った気がする。正直なところ、歌い終わるまで、彼女に釘付けになってしまったのだ。

「どう?元気になった?」
「えっ、あ、えっと」

 もう唖然としてしまう。それに、三つ、気に食わないところがあった。

一、何でこんなにも歌が上手い?
二、何で僕の好きな曲を知っている?
三、わざわざこれを聞かせた理由は?

 パニックにやられた頭の整理に、適当なナレーションを脳内に流し込んでいると、彼女は驚くべき行動をとっていた。

「––––ねぇ、ねぇってば。聞いているの?」
「っ! ……あの、ちょ、顔が……」

 気が付いた瞬間、視界の半分以上が彼女の顔だった。
 ち、近い。これ、何の関係もない異性間の距離じゃないだろ。

「何? 顔に何かついているの?」
「い、いや、ちょっと後ろに下がって貰える?」
「何で?」

 いや、そこは何も言わずに下がるべきだろう。なんてツッコミは口に出せるはずもない。それに、相手は女子。いくら興味がないとはいえ、思春期真っ只中の男子が動揺の一つもしない筈もないのだ。

 パーソナルスペースを気にしない女子は、この年代にいない。どっかの有名雑誌にそう書かれてあったのは嘘かよ。やっぱり、田舎と都会じゃ空気感やら距離感が大きく違うな、なんて痛感した。

「ま、元気になってくれたみたいだし、これで良し」

 何が良しなのかさっぱりだ。

「それじゃあね。元気にしなよ」

 全く意味の分からない出会いはこんな感じだった。

✳︎

 そんな想い出を脳裏で読み進めていた間に一日の授業は全て終わっていた。放課後は昼休に約束通り、彼女の教室に向かう。
 斜陽(しゃよう)に染められた廊下をゆっくりと歩く。と、何処からか歌が聞こえて来た。勿論、聞き覚えしかない声で。
 歌の方に向かっていくと、案の定、彼女の教室からだった。
 ほんの少しの間、聞き惚れているとうっかりドアに触れてしまい、物音を立ててしまった。

「お、お待たせ」
「あ、来た!さ、行こう」
「何処に?」
「いつものとこ」

 ドアを開け、部室に入った途端にこれか。どうしてこんなにいきなりの展開が多いんだろう。呆れながらも、彼女の後ろを歩いて行く。人目に晒されながらも、移動した先は屋上だった。

 今日は潮風が心地いい具合に吹き付けてくる。と、突然に彼女は口を開いた。そして、深みのある声で喋り始める。

「少し聞いて欲しい話があるんだ」
「どした?」
「聞いても驚かない?」

 いや、もう今更すぎる。それこそ相当酷い事くらいじゃないともう驚かない自信がある程だ。でも、彼女の表情は違った。いつも見せる笑顔とは別物。何処か陰りがあるような気がしてならない。
 大きく息を吸い込んだ彼女は、そっと口を開いた。

「……あのね、翔太君。実はね、もうちょっとで死んじゃうみたいなんだ、私」

 ––––は? 何を言っているんだ?
 一瞬、その言葉の意味を理解出来なかった。微笑みながら唐突に告げられた自らの死を、何をどうしたら真に受けられるのか。

「小さい頃から持病があってね。それが悪化したみたいでさ。もう明日にはここを出て、遠くの大きい病院に入院するの。まぁ、転校ってことで学校には言ってるけど」

 病気? そんな素振りは一度も見たことはない。どころか、ピンピンし過ぎてうざったいくらいだった。なのに、どうして。ただただ困惑ばかりが頭を埋め尽くす。しかし、脳裏を過ぎったのは、よく体育の時に端っこで休んでいる姿。
 途端、視界に入った空に一等星すら見えないことに気が付き、分厚い雲に覆われていることが分かった。

「……本当、なのか?」

 彼女がこんな嘘をつかないことなんて分かりきっている筈なのに、信じたくない想いは口から漏れ出す。

「うん。私も信じられないけどね。本当に元気だったのに」

 その顔は笑顔のくせに笑っていなかった。
 そんな事を突然言われたって整理がつくはずもないではないか。側にいた人が居なくなるなんて。
 心地良かった風も今やうざったく思えるほど強くなっていた。

「なぁ、何で僕にそんなことを?」
「そんなの決まってるじゃん。最後くらいはさ、お別れは好きな人にしておきたいの」

 動揺が隠しきれなく、心の中がめちゃくちゃになっている。どうしたらいいのか、どう答えればいいのか、その答えは出てこない。
 打ち明けられた心は只々混乱を招く一方だ。

「翔太君の事を考えるだけで、とても嬉しくなってね。翔太君と話しているだけでも楽しくてさ。でも、もう側に居れなくなるって考えると胸が痛くなって」
「なぁ、何、言っているんだ?」
「ねぇ。あのさ、私の作った歌、覚えてる?」

 絞り出されたような彼女の声に、息が苦しくなる。もう止めてくれ。誰か、これが夢であると、嘘であると言ってくれ。それを願うばかりだった。

「……あぁ」
「あれ、歌うから聞いてくれない?」

 その言葉がどんなことを意味するかはもう知っていた。彼女が決心したのだと、それでも戻っては来れないのだと。

「…………」

 言葉もまともに出ない。歯を思いっ切り食い縛る。
 思えば、とっくに気づいていたのかも知れない。別れが近いことも。彼女は僕が好きだってことも。僕が彼女を好きだってことも。そんな思考が巡った途端、悔しさや無力さが立ち込めてしまう。それに耐え切れないのは僕の弱さだ。

 空は暗く分厚い雲で顔を隠し、雨なんか降っていないのに、僕と彼女の足元は濡れた跡があった。

「ほら、泣かないでよ。私まで悲しくなっちゃうじゃん」
「ごめん、分かった。お願い」
「うん、じゃあ……」

 大きく息を吸い込むと、(さざなみ)、木の葉の(かす)れる音、流れる風を伴奏に歌い出す。その歌声は見えるような気がする。純透明で澄んだ歌声。でも、どこか悲しみの影が隠れ潜んでいた。
 こんなのが運命だというのなら、憎んでしまいたい。

『空のその向こう 誰も知らない世界』

 俯くしかない僕の耳に届いてきたのは、あの時の(うた)だった。

✳︎

 出会って以来、毎日、あまり長くもない昼休みに僕を呼んでは歌を聞かせるようになっていて、次第に学校外でも会う頻度は増え、よく話すようになった。

 いつしか、家が近かったことも知り、登下校を共にするようになり、気がついた頃には家族ぐるみの付き合いもするようになっていた。その時点で僕と彼女の距離感はただの友達とは言い難い。

 僕は趣味で小説を書いていたと言うこともあり、文芸部に入っていた。が、そこはオタク部と言ってもいい程に適当で、活動という活動はしていない。僕も基本的に家で執筆しており、慣れてきた頃には部活の出席簿に丸を付けると、彼女のいる合唱部に遊びに行くようになっていた。

 二ヶ月も経った頃には二人で海にも行った。記念写真って言ってツーショットで撮った事もあったっけ。とても気恥ずかしかったことと、彼女の最高の笑顔だけは鮮明に覚えている。

 そんなことが続いていたある日の放課後に、出会った時のことを聞いた事もあったっけ。

「そういえば、何で僕の事を知っていて、何で僕の好みを知っていて、何で僕に声を掛けたの?」
「ん? あ、えっと……わ、私って世話焼きでね。元気のない子を見ると声を掛けたくなっちゃうんだ。それに一年生の頃、同じクラスだったし、その時に君を見ていてどんな趣味しているか知ったの」

 おい、流石にそれはまずい。ていうか、そんなにモロバレだったのだろうか。
 流石にちょっとした焦りを覚え、軽く苦笑いをしてみた。

「どんな人が好みなのかも、どんな本を読んでいるかも。あと、好みの胸の……」
「ストーップ。それ以上は止めよう。ていうか、なんでそんな分かってるの? その観察力、最早キモいと思うが」
「ちょっ、キモいはないでしょ。って、翔太君に言われても……」
「うん、ストップ」

 そうやって笑い合った。

「ま、そんなとこ。それで今日はもっといい曲を用意したの。いい?」
「うん、お願い」

 空気の振動は美しい波を描き、体へと染み込んでいく。でも、どこか儚げな曲だ。悲しくも、寂しくもないのに、何処か儚い。
 なんて、聞き惚れていたら、曲も終わった時に涙が一筋溢れる。

「泣いて……って、そんなに酷かった?」
「い、いや、感動しただけ。でも、相変わらず凄いな。それって本当に自分で作ったの?」
「そうだけど……。あんまりだった?」
「そんなことはないよ。僕は凄く良いと思う」
「ホント?ありがとう!」

✳︎

 あの時の歌だった。

 淡い声をメロディーに乗せ、歌っている姿はまるで天使のようだ。
 歌声と共に一緒にいた短い間の記憶が鮮明に蘇っては、心で叫んでいた。けれど、不思議にも止まってはくれない。雨の日や、晴れの日。ちょっとばかり恥ずかしい記憶まで、次々と蘇ってくるのだ。

 そんな日々がもう続けれないというだけでなく、目の前の人がいなくなってしまう。いつも側にいてくれた人が。いつも側で励ましてくれた人が。
 耐え難い悲しみだった。

 ラスサビに入った頃には二人とも涙を流していた。これだけ広いのに、二人だけの空間。そんなものがより悲しさを生み出してしまう。
 溢れだしそうな感情を必死に押しこらえ、彼女の歌を聞く。その思いを汲み取れるように。受け止めきれるように。

 最後の歌詞を歌い終えると、数秒の静寂が時を奪った。まるで世界は色を失ってしまったようにまで思える程の。

「……ねぇ、今までありがとう。でもね、もう一つだけお願いがあるの。最後のワガママ、聞いてもらっていい?」
「……うん」
「お見舞いに来て欲しくないの」
「何……で?」
「翔太君が来ちゃったら、恥ずかしいもん」
「そう、か」
「安心して。大体の女子ってそんなもんよ。ね、だから、お願い」
「……分かった。あんまりあっさり飲みたくないワガママだけどね」
「ありがとう」

 次の瞬間は決まっていた。流石に、別れがこんなにも寂しいものだとは思いもしなかったけど。
 僕が生まれて以来、身内の誰一人として死ぬことはなかったのだ。死ぬなんてもっと遠い話かと思っていたのだ。
 なのに。どうして。
 そんな言葉は飲み込んで、代わりの言葉を口に出す。


君の歌、絶対に忘れない。僕の記憶にちゃんと残しておく。


ありがと。私も君を忘れない。じゃあね。


あぁ、またいつか。


 涙の跡も残る中、最高の笑顔を送る。それしか僕には出来ない。答えるように見せてくれた彼女の笑顔はとびっきりのものだった。

 七月二十四日。
 こうして、“突然”続きの三か月間は、突然に終わりを迎えた。いつもの、元の日常を取り戻した。取り戻してしまったのだった。

僕が贈るアイ

 その次の日。何事も無かったように終業式を終え、夏休みに入った。

 とは言え、部活はないし、かと言って誰かと何処かへ出かける気も起きない。いや、そもそも独りでいた僕なのだから、何かをしようにも出来ないという方が正しいのかもしれない。一方で、家にいると、何となく寂しさが残ってしまい、暇さえあれば適当に近所を歩き回っていた。

 それでも、気付くとあの歌を口ずさんでいて、その度により悲しさが募る。
 いつも隣にいた彼女がいないというだけでこれか。全く、みっともない。

 勿論、連絡手段がないわけではないのだ。だが、彼女との連絡と言えば、前に小説を読ませて欲しい、と僕の小説のデータを強請(ねだ)られて送っただけ。以降、こっちから連絡はしてるのだが、返事は一度たりとてなかった。

 時間は確かな悪意を持ち、僕の頭上を流れて行く。ふと気づけば、カレンダーを見てみれば夏休みももう中盤に差し掛かろうとしていた。だと言うのに、宿題とバイトばかりで、夏らしいことは何一つとして出来ていなかった。する気すらなかった。

 こんなにも独りでいることが苦しくて、つまらないなんて思ったことはない。
いつもだったら(はかど)るはずのタイピングも、倍というどころじゃない程遅くなっている。

 本当にどうしてしまったのか。
 肺中に溜め込んだ空気を絞り出すかのように大きな息を吐き、ベットに飛び込むと、また惰眠(だみん)謳歌(おうか)した。

 八月十四日、突然僕の携帯が鳴った。おそらく電話だろう。
 すぐに応答しようと画面を開くと、そこには彼女の電話番号が表示されている。でも、どうして。

「あ、もしもし、秋月 翔太くんのお電話でよろしいですか」
「はい、そうですが……」
「良かった。久しぶりだね」
「え、あ、はい」

 その声は彼女の母親のものだった。でも、何処か震えている。

「もし良かったらなんだけど、あの子がね、最後に会いたいって」
「え?」
「お金は後で出すから、来てくれないかしら? 無理なら、そう伝えておくけど」

 もうその言葉を聞き終える前には、何も考えず口が動いていた。

「何処に行けばいいですか?」
「△△市にある医療センターというところなんだけど」
「分かりました」
「来て、くれるのね」
「はい」
「分かった。入り口で待ってるわ」
「ありがとうございます」

 電話を切ると、家を飛び出し、自転車を必死に漕いだ。向かう先は駅。次々と現れる風景を置き去りにしながら、とにかく急ぐ。駐輪場に自転車を押し込むと、走りながら改札を通り抜けた。階段を一段飛ばしでエスカレーターよりも速く登って行く。閉まり始めたドアを何とか擦り抜け、電車へと乗った。

 心はとにかく慌てている。何故かは分からないが、とても急いでいた。
 そのせいか、一駅一駅止まって乗降するのですら、腹立たしく思えてしまう。

 人の密集など微塵もない電車に揺られる事、一時間半。ようやく駅に着いた。
 扉が開いた瞬間、出来る限りの力を振り絞り、ホームを走って行く。何人も追い越し、改札を通ると、南口と書かれた方の階段を降りた。

 シャッターの降りた居酒屋を横目に、ロータリーを抜け、車通りの少ない大通り沿いを進んで行く。医療センターと書かれた看板を見つけると、そっちへ向かい、住宅街に入って、幾度か道に迷いそうになるも、何とか到着した。

「あ、翔太くん」

 久々に見た彼女の母親は随分と(やつ)れていた。聞くところによると、幾度か危なくなっていたのだとか。その度に、きっと側でずっと励まし続けたのだろう。覚束ないような足取りをしていた。

 案内されるままに中に入ると、彼女はベットで横たわっていた。たった一ヶ月程度で、見ない間にやせ細った短い腕を見ると、足が動かなくなる。

 彼女の腕には数本の管が繋がっていて、すぐ横にはドラマなんかでしかみたこともないような心電図を撮る機械があった。それが、一定に刻む様子を見ると、何だかとても怖くなってしまう。
 そして、足元には箱型の機械に透明なマスクのようなものが乗っかっている。

 そんな様子に、全身が震え始めた。

「……翔太君?」

 その声は前とは余りにも違い過ぎていた。どうしても言葉に詰まる。

「あ、あぁ、うん」

 ゆっくりと近づいていく。一歩、また一歩進む度、呼吸は短くなっていった。
 そんな様子を見たからか、「一旦母さんは出ているわね」と言って、そっと病室から姿を消した。
 残ったのは、僕と彼女の二人。

「ごめん、ね。私の方から、お願いしたのに、ね」
「いや、良いんだ。大丈夫か?」
「うん、って言ったら、嘘に、なるかな。最後に、伝えたい、事が、あるんだよ」

 弱々しく掠れたその声を聞いていると、感情が溢れ出しそうになる。それでも、せめて今は、と、溢れ返る気持ちを押し殺して笑顔を作った。きっとぎこちないだろうが。

「ねぇ、あの曲、覚えている?」
「あの曲?」
「私が、作った曲。アレをね、部活のみんなに、教えてあげて、欲しいの」
「あぁ、分かった。必ず伝える」
「ごめんね、ありがとう。……また、迷惑、かけちゃうね」
「そんな気にすんなよ。僕で良ければ何でもするから……」
「ふふ、ありがと。あ、あと、これ、折角だから」

 そう言って渡されたのは、一冊のノートだった。
 中を開くと、僕が作っている小説の登場人物の名前が上に書かれ、その下には色付けまでされた絵が描かれてある。それも、単なるキャラクター絵ではなく、シーンごと描かれていた。

「何で? こんな……」
「歌えないし、暇、だったからね」
「…………」

 何も、言えない。大切な歌を失っても、想い続けることがどれだけ大変かは分からない。だが、どれほど苦しいものかは察しくらいつく。
 でも、それはとっても綺麗だった。

 天気雨の中、膝下まで水に浸かり、悲しそうに空を仰ぎながら、右手を高く掲げる少年。
 そんな絵が一番最初のページに描かれていたのだ。

 次のページにも、その次のページにも、色々なシーンごと描かれている。
 その全てが、全て、僕の想像していた通りの映像そのもの。いや、それ以上のものだった。

「それで、完結までの、挿絵は、足りるよね」
「ごめん……。ありがとうな」
「えへへ、先読み、させてくれた、代わりに、だよ」

 なんて言って浮かべた笑顔が僕の胸をギュッと締め付けた。どうせ彼女のことだから、自分の状態を理解(わか)った上でこんな顔しているんだろう。僕を、悲しませないように。

「そろそろ時間だ。……じゃあね」

 途端に想いは(ふく)れ上がる。もう、抑えきれない。もう、一杯一杯なのだ。
 それでも、涙を(こら)え、彼女に寄り添い、手を握った。柔らかくて透き通った色をした、細くて弱々しく、まだ温かいその手を。

「あぁ……僕、頑張って、これで沢山の人を笑顔にするから。誰かに元気をあげるから。ちゃんと見てて」
「うん、分かった」

 もう少し居たかった気持ちを抑えて、背を向ける。()えて「またね」なんて(つぶや)く。何処までも意地の悪いのだろう。病室を出ると、彼女の親に挨拶をして、すぐに家に帰った。

 溢れる感情を文字に変えて、物語にしていく。あの歌が頭から離れない。でも、それが僕に活力を与えてくれる気がした。
 パソコンに向かって激情のまま打ち込んでいく間に涙が溢れてきた。

「あれ?おかしいな?勝手に…」

 そんな溢れる涙を拭いて、さらに書き続ける。
 ––––見ててくれ。絶対に賞をとって、本にして、沢山の人に読んでもらうからな。沢山の人を笑顔にするから。元気にするから。

 あの時、彼女が僕にくれたように。

 決意を胸に、黙々と進めていった。

✳︎

 ようやく新しい作品を書き終えた。
 気が付けば、八月ももう終わろうとしている。ただ、夏の余韻はひどく残っていた。

 自分の思い出に近いものを描こうとすれば、何故か少し美化したものになってしまう。そんな作品だとしても彼女が(しの)ばれるのであればいい。言い方を変えれば、彼女に捧げるために書いたと言ってもいい作品なのだから。

 今までどうして書かないでいたのか、何て言う疑問の答えはいまだに出ていない。躊躇(ためら)っていたのか、単に書けなかったのかは知らないが、どうしても言葉に詰まり、手が止まってしまっていた。

 でも、これだけ時が経てば、ようやく彼女を描ける。物語に出来る。
 データを会社の校閲部(こうえつぶ)に送り、一つ溜息をつくと、カプチーノを(あお)った。

「          」

 と、不意に彼女の声がした気がする。それもハッキリと。
 呼ばれたように立ち上がると、じっとなんてしていられず、声がした方へと車を走らせた。行き先なんて知ったことか。
 今は影でも何でもいいから彼女の何かが欲しい。それこそ、思い出の淵にある残り香でもよかった。

 無我夢中で、必死に追いかけた。

 大分走って着いたのは母校である高校に近い海だった。しかも、ここは僕と彼女だけの秘密の場所。人が殆どこない場所と言うだけあり、綺麗なままだ。

 ふと潮風が頬を掠める。この季節だからか、風は強く、少しひんやりとして気持ちがいい。

 靴と靴下を脱ぎ捨て、タオルをその上に置くと、膝上まで裾をめくりあげる。そのまま、あの時と––––彼女がいなくなったことを知った時と同じように、膝下まで浸かる位の深さまで進む。
 やっぱり海水は冷たい。
 寒さに震えた体に追い打ちをかけてきたのは、突然の雨だった。

「雨かよ、ったく。着替え持ってきて正解だな」

 ふと、雲間から差し込む陽光が見えた。が、雨は降っている。これもあの時と同じ。彼女の旅立ちを知ったあの時と。
 天気雨か、本当に奇跡的なことが多く重なる。
 どうやら聞こえたのはただの空耳なんかではなさそうだ。

 少し背伸びをしてみる。少し高く手を伸ばしてみる。近いようで遠い世界にいる君に届くような気がして。

 雲の合間から差し込む光は雨粒を通るたびに、ダイヤモンドよりも光り輝いていた。きっと空は幻想郷なんかよりもきっと美しいものなのだろう。

 そして、今度は僕から君のところへ行って君を元気付けたい。恩返しとかではなくて、ただこの思いのままに。

愛月(あいづき) 香織(かおり)に……僕の愛する人に贈ろう。好きだったよ。そして、ありがとう」

 ずっと気付かなかったこの気持ち、抑え込んでいた本音、言えるはずもなかった言葉、その全てを着飾ることなく吐き出す。
 僕の想いを。その全てを。

 雨に打たれながら、その言葉を口にして手を空高くまで上げた。この手が、この言葉が伝わるように、届くように、願いを込めた。
 出来る限り高く、少しでも近付けるように。

 突然、砂浜から視線を感じた。が、振り返ってみても誰もいない。代わりに、砂に埋もれた何かがちょこんと出ているのを見つけた。
 近づいて見れば、箱のようなものだった。意外な重さに手こずるも、なんとか取り出す。が、鍵付きか。

「アルファベット3桁?」

 随分、珍しいタイプに驚く。誰かの名前? イニシャル? それとも単語? 考えても分からなかった。

 それでも諦めきれない気持ちに、思いっきり持ち上げると、紙が出てくる。そこには、“Syota’s first story of theme”と書かれてあった。
 成る程、これが僕を呼びかけていたのか。
 S K Yと入れると案の定解錠され、開く。その中に入っているのは、二つの折りたたまれた紙と一枚の写真だ。
 この写真……。ここに二人で遊んだ時に撮ったものだっけ。

 写っている彼女はとても綺麗だ。

 (つや)のある長い黒髪、日焼けを知らないかのような透き通った肌、折れそうでしなやかな細い手足、彼女らしいワンピースに麦わら帽、長い後ろ髪は風に(なび)いている。そんな彼女は良い笑顔をしていた。

 一方で手を引っ張られ、頰をほんの少し赤く染める僕はぎこちない笑顔をしているものだ。
 手紙は二折りになっていた。表には彼女の名前が書いてある。開くと、風で飛ばされぬよう慎重に読む。

「……あいつめ。やってくれるな、ほんと」

 読み終えると箱に終い、鍵をかけ直すと、同じ場所に埋めておいた。

 息を吸い込むと、声に音を乗せる。リズムを刻み、頭に反響する彼女の声に合わせた。
 ただ、彼女には悪いのだが、歌詞は少し僕の言葉を混ぜさせてもらった。今はそれを歌う。


 愛月 香織に、僕の言葉を贈る。

 空に贈る詩を。

空に贈る詩

 お読み下さり有り難う御座いました。

 さて、僕の代表作の一つとなるこちらの作品ですが、現在投稿している中では一番古い作品となっております。
 この作品を最初に書いたのは、中学二年生の頃ですね。その当時は四千文字弱でしたので、倍くらいには膨れ上がってますが、骨組みは一切変わっておりません。若さとは本当に恐ろしいものです。
 あと、この作品のタイトルは「そらにおくるし」ではなく、「そらにおくるうた」です。
(タイトルにもルピ振れたらいいな)

 では、少しだけ中身に触れていきます。
 この作品のテーマには「歌」と「小説」というものがあります。個人的に両方とも僕が好きな物です。どうでも良いですね、はい。
 そして、この作品のタイトルにもある「詩」という漢字は「し」とも呼びますね。英語で言うポエムのことを指します。
 この詩ですが、僕は小説とはおそらく切っても切れないものだと考えています。形や表現方法こそ違うものの、言葉で紡ぐ物語に変わりはありません。それに、短編作品は比較的に詩と近いです。
 また、歌の歌詞は元々を辿ると「詩」そのものと何ら違いはなかった筈です。
 そう考えると、彼らの間には「詩」という共通の大切なものがあったのかも知れませんね。
 更に、僕自身が昔、詩で市が出版している文集に載ったこともあったので、実は縁があります。まぁ、作者のアイデンティティと作品はどうしても繋がってしまいますね。
 それに、僕自身、割と辛い過去があったのは否めません。そんな思いなんかはきっと物語に込められているのでしょう。
 皆さんは、物語にどんな思いを込めますか?

 さて、あとがきはここで終わろうと思います。
 今後とも宜しくお願い致します!

空に贈る詩

これは昔の僕のお話。 潮風が香るこの町で、僕は高校生活を送っていた。そして、かけがえのない時間でもあった。 隣にいるはずの彼女は何処にも居なくて、理解かっていても探してしまいそうになる。 けど、僕は何年もの時を経て、彼女の物語をようやく描けたんだ。 そして、あの時、僕にくれたものを、ちゃんとした形で返そう。 『空に贈る詩』を。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2020-05-10

CC BY-NC-ND
原著作者の表示・非営利・改変禁止の条件で、作品の利用を許可します。

CC BY-NC-ND