ロンドンベルク公のつぶやき

ロンドンベルク公のつぶやき

1

 あるドイツの町に、ロンドンベルクという名の男がいた。
 彼は毎日必ず黒い紳士服を身にまとい、礼儀作法や言葉使いが大変丁寧でした。
 町のみんなはそんな彼の事を、ロンドンベルク公と言う名の愛称で呼び合っていました。
 ロンドンベルク公はとても善良な人間で、そしてとても不思議で特別な力を持っていた。彼のつぶやく言葉はみんなの願い事を叶えてしまうのだ。
 ある人は不治の病を治してもらい、またある人は誰をも魅了する美貌を手に入れた。しかし彼がつぶやく言葉は、一人につき一つの願いしか叶える事はできなかった。
 彼の愛称と不思議な力は他の大陸にまで知れ渡り、彼に会うためにはるばる遠くの地からやってくる者も少なくなかった。
 そして今日も、一人の青年が彼を訪ねてドイツの町までやってきた。

 「あなたを希望の光とし、私は海を渡りはるばる遠くの地からやってきました」
 青年はロンドンベルク公の前で、とても奇麗なお辞儀をしてひざまずく。
 「ロンドンベルク公よ。どうか私の願いを聞き入れてください」
 ロンドンベルク公は青年の願いを尋ねました。
 「私は世界の心理を求めているのです。この世の全ての迷妄を知りたいのです。どうかあなたのお力でなんとかなりませんか」
 ロンドンベルク公はうなずくと、青年にむかって一言つぶやいた。
 すると青年は、突然大声を上げて天を仰ぐように両手を広げ、空を仰ぎ見る。まるで自分の頭上にある種の神が存在しているかのように。
 青年は目玉が飛び出そうなくらい目を見開いていたかと思うと、今度は急にそのまま地面に倒れこんだ。
もう青年は息をしていなかった。
 ロンドンベルク公は思った。
 人間になんかにこの世のすべてを理解して平気なやつがいるわけがないと。すべてを知るということは、すべてに絶望することに等しい。結局一番幸せなことは何も知らないことなのだろう。

 「あんたがロンドンベルク公かい」
 次にロンドンベルク公に尋ねてきたのは、肌の黒い老人だった。 老人はロンドンベルク公の前に、ある白い包みを見せる。
 「わしらの村には先祖代々伝わる秘宝がある。これがその秘宝なのだが、あんたの力でこれを誰の手にも奪われないようにしてはくれないか」
 ロンドンベルク公はうなずくと、老人にむかって一言つぶやいた。
 すると老人の手元から包みが一瞬にして消えてしまった。老人は驚いてあたりを探すが、老人の持っていた秘宝はもうどこにも存在してなかった。
 ロンドンベルク公は思った。
 きっと宝がなくなってしまえば、誰にも奪われることなどないのだと。本当に守るべきものは、もっと別にあるはずだ。彼はそれに気づかず、ただ怯えているだけだ。

 「おじさんがロンドンベル公なの?」
 今度は一人の少女がロンドンベルク公を尋ねる。
 「私は美しい人間になりたいの。どうか貴方の力で私を美しくして」
 それは君を美人にすればいいのかと、ロンドンベルク公は尋ねた。
 「違うの。別に容姿はどうでもいいの。ただ私を美しい人間にしてほしいの」
 見たところ彼女は目が見えないようすだったので、そのことをロンドンベルク公は尋ねてみる。聞くと少女は生まれつき病弱で、盲目であると言った。ロンドンベルク公は、目が見えるようにしたり身体を丈夫にしたりしなくていいのかと尋ねてみた。しかし少女はそんなことはどうでもいいと言って首を振った。少女は確かに病弱であり目が見えなかったが、彼女は健康を求めるでもなく、光を求めるわけでもなく、ただ「美しい人間」とゆうなんとも曖昧なものを求めたのだった。
 正直なところロンドンベルク公は「美しい人間」とゆうのを理解していなかったが、彼女に向かって一言つぶやいてみた。

 ……………………。

 ところが今までと違って、今度はなにも起こらなかった。少女の容姿がよりいっそう可愛くなったわけでもなく、また人格が変わったわけでもない。本当になにも起こらなかったのだ。
 少女はあまりにも何の変化もなかったので、みんなが噂していたロンドンベルク公の話は嘘なのではないかと疑い始めた。でも 彼女の両親も友達も、みんなロンドンベルク公になにか一つ願いを叶えてもらっていた。だからロンドンベルク公の力を疑う事は、みんなを疑う事になると考えた。
 「ねえおじさん。どうして私の願いは叶えてくれないの?」
 ロンドンベルク公は困ってしまった。今までにこんな事は一度もなかったのだ。今までみんなの願いは、なにかしらの形をとって叶えてきた。でもいま目の前にいる盲目の少女にたいして、彼はなにもすることができなかった。

2

 自宅の書斎に帰ると、ロンドンベルク公は愛用に椅子に座り考えた。はたして美しい人間とはどんなものなのか?あの盲目の少女にたいしてだけ、なぜ自分は何もできかなったのか?
 もしかしたら少女にはもう、なにかしらの影響が出ているかもしれないが、今までにこんなにも何も起こらなかったことはなかった。
 ロンドンベルク公は自分の無力さにすっかりまいってしまった。
 彼は裕福な家に生まれなに不自由のない生活をおくっていたが、自分の生活の裕福さが他の人達を踏み台としてなりたっていたことが我慢ならなかった事を思い出す。彼はいつからかそんな事を考えるのをやめてしまっていた。でも今、彼は昔の自分を思い出し、そして自分の醜さを思い出す。

 ロンドンベルク公は意味もなく、まどから差し込む夕暮れの明かりを見る。窓辺に置いておいた銀の懐中時計が、夕日に照らされてキラキラと光っているのを見る。夕日によって赤く染まった机やペンや本を見る。気がつくと部屋全体が夕日の明かりによって赤く染まっていた。壁や床や本棚や扉、そして彼自身もその夕日の色に染められていた。彼にはそれら全てのものから、優しさや温もりに近いなにかを感じた。言葉にできないほどの感動が、彼を包み込むようにして広がって行く。彼にはいま彼に見せているそれら全てのものが、この世でもっとも美しい存在であるように感じられた。彼はできることなら今この状態の部屋を永遠にとどめておきたいと思ったが、そんなことはできないということを彼はしっかり心得ていた。
 いつしか部屋はその美しさを失って、もとのあるべき姿に戻っていった。

3

 少女の自慢は自分の声だった。まわりからはよく褒められるし、自分でも気に入っているのが理由だ。だから少女はよく歌をうたう事が多かった。だけど少女にはそれ以外の自慢が何一つとしてなかった。少女は自分の髪がどれだけ美しいのかを知らなければ、体のラインも、指先の細さも、目の大きさも、鼻の高さも、唇の可愛さも、どれだけ美しいのか知らなかった。少女には闇や光というものがどんなものであるのかさえもわからない。少女にとって唯一美しいと感じるものは、その耳から聞こえてくる旋律だけだった。

 「だってなにも見えないんだもん」
 少女は母親に向かって文句を言った。
 「私は目が見えないんだから、そんなものわからない。わかるわけがないわ」
 「そうね。あなたは目が見えないのだから、これくらいの事はしかたないわね。お母さんが悪かったわ」
 そう言って少女の母親は、娘を叱らずに部屋から出て行った。
少女は母親の出て行った扉をじっと見つめる。そして考えていた。私の両親は本当に私に甘い。今日の事だって、悪いのは私のほうだ。お母さんが私を叱るのも当然だ。目が見えるとか見えないだとか関係なく、悪いのは私のほうだ。それなのにいつも「私は目が見えないの」と一言いうだけで、お母さんもお父さんも私を許す。
少女は窓の外を見渡すと、一言こぼした。

 「少しぐらい…叱ってくれてもいいのに」

 少女はわかっていた。その一言を言わなければ、彼女の両親は彼女をきちんと叱り付ける。ちゃんと怒ってくれるはずだ。でも彼女はこの一言を言わずにはいられなかった。怒られるのは怖い。幻滅されるのが怖い。見放されるのも怖い。少女は目が見えなくて怖いとそれほど強く感じたことはなかったが、こんな誰にでも経験があるようなことが、ひどく恐ろしいものに感じられた。

4

 夜になるとドイツの町は所々に明かりを灯していたが、月が頭上にまで昇ってくると町は眠りに落ちるかのようにぽつぽつとその明かりを消していく。そして少女の家も街の鼓動に合わせて、ゆっくりと静かにその明るさを消していった。
 少女はベットに横になり、周りの音に耳を済ませていた。彼女は最近、毎日こうして家族が眠りに入るのをベットの上で待っている。少女は目が見えない代わりに音にはとても敏感で、家の中で誰かが目を覚まし足音を少しでも立てようものなら、彼女は即座にベットにもぐりこんで寝たフリをすることができた。
 しばらく静かにしていると家全体の音が消えた。念のために彼女は数分ほどベットの上で待機していたが、家族がすっかり寝静まったとみると、ベットの上で起き上がりそのまま横にある窓を開けた。窓から入り込む風が部屋全体を包み込み、少女の髪をなでるようにして揺らす。少女は手探りでそばにある音楽機を手に取ると、他の人に聞こえてしまわないくらいの小さな音量で大好きな音楽を流した。ゆっくりと静かに音楽は鳴り、それにあわせて少女はかすれるような声で歌い始める。

優しさも温もりも愛情も、君は何にも求めてないの。
ただ一つ君を慰めるもの、木箱にしまってある宝物。
愛なんてつまらないものじゃあ、君の心には届かない。
君はただ孤独に満ちていて、鏡の自分を見つめてる。

 少女はそうしてしばらく歌っていたが、しだいにある出来事を思い出していく。それは前に広場でおこなわれていた、人形劇で聞いたお話だ。そしてお話の主人公は、彼女と同じように生まれつき盲目の少女だった。人形劇の少女は多くの人々の役に立ち、多くの人々に愛されて、そして多くの人々のために死んでいった。彼女が死んで多くの人々が悲しんだ。彼女はそのあと像となってみんなを見守り、そして後の世に広く長く語り継がれていくのだった。
 人形劇の少女はたくさんの人達を愛していたが、なかでも自分の家族を一番に愛していた。家族のためなら自分の命を惜しむ事はなく、家族のためなら他の人を犠牲にすることだってできただろう。それほどまでに、人形劇の少女は家族というものを大切にしているように思われた。
 ベットの上に座り込み、窓の外に映る星々を見上げて少女は考えた。私には家族というものが、どれだけ大切なのかということを知らない。お父さんが彼でなければいけない理由を知らない。お母さんが彼女でなければならない理由を知らない。私にとって家族とは、ただ与えてくれるだけの存在でしかった。もしも私達が家族という名の鎖でつながっていなければ、私達はきっと一緒にはいられない。私はきっとどこか遠くへ飛んでいてしまって、そしてきっとどこか遠いところで死んでしまう。私にはその鎖がどれだけの価値を持っているのかわからなかった。人形劇の少女みたいに、みんなに愛されてみんなを愛する事に、どれだけの価値があるのかも知らない。私はいつも一人でいるような気がしてならなかった。

 「ごほ、ごほ、ごほ!」

 突然少女は咳き込み始めた。彼女はきっと長く窓を開けていたせいだと思い、窓を閉め音楽を止め、その華奢な身体に毛布をかけた。
 その夜、少女のもとに主治医とその助手が招かれた。

5

 早朝。ここカタリーネン教会では、神に祈りを下げるため多くの人々が訪れていた。
 ロンドンベルク公もその中の一人として、席に座り静かに祈りをささげている。彼は信仰心が厚いことで知られていたが、彼自身にとっては神とは道徳以外のなにものでもなかった。
 時間がたつとともに教会内の人数がぽつぽつと減り始めていく。ロンドンベルク公は立ち上がると、教会の脇にある別室へと移動した。
部屋には壁に立てかけてある神を現した像と、数冊の本が机の上に置かれていた。像の前には一人の老シスターがひざまずいて祈りをささげている。老シスターはロンドンベルク公が部屋に入ってきたのに気づくと、祈るのをやめて扉の方に身体を向け、かすれた歳相応の声で喋り始めた。
 「やあロンドンベルク。ここに来るのは久しいね。またあなたに会えて嬉しいよ。私はあなたのその優しさに満ちた顔を見られないことが、いつも何より惜しいね」
 老シスターは若い頃病気にかかり、その時の後遺症で光を失ってしまっていた。ロンドンベルク公は昔から「顔を見れないのが惜しい」と言われるたびに彼女の願いを叶えようとしたが、彼女はその度に首を横に振る。そして今日も彼は通例のように老シスターに尋ねたが、また通例のように彼女は首を振った。
 「あなたは何も変わらないね。そんなんだから、そんなにうじうじ悩むんだよ」
 ロンドンベルク公は微笑した。彼女は人の顔色を伺う事はできないが、人の心を読み取る事にはだれよりも優れている。だから彼は自分の心の内が知られようとも驚くことはなかった。
 「あなたのやっている事が正しいか悪いかなんて私にはわからないが、なにを悩むことがあるんだい。あなたはもう答えを知っているはずだろ」
 ロンドンベルク公は口を開こうとしたが、老シスターによってその言葉は止められてしまう。
 「まさかあなた、私に最後まで言わせようって訳じゃあないよね」
 そこまで言われてしまうと、にはもうここを後にするしかなかった。ロンドンベルク公は老シスターに礼を言って退室しようとしたが、最後に老シスターは言葉をかけてくれた。
 「あなたは知っているはずだよ。そして理解していたはずだ。ただそのことを忘れてしまっているだけなんだよ。大人になるとそうゆう事がわからなくなってしまうだけなんだ」
 それだけ言うと、老シスターはまた神の前にひざまずいて祈り始めた。

 ロンドンベルク公はむかし老シスターが言っていた言葉を思い出す。
 人は同じものを何度も見ていると、そのものの持っている美しさを見なくなってしまうんだ。かつては感激していたものでも、時がたつとただそれだけのものになってしまう。だからそのことを忘れないように気をつけなさい。忘れてしまうのとても簡単だが、思い出すことはとても難しいからね。

6

 少女は自分のベットに入って、家族に見守られながら安らかに眠っている。彼女にはもういくらかの時間も残されてはいない。彼女はただ眠りについて、そして時が来るのを待っているだけだった。彼女の両親は寝ている娘の隣に付き添い、彼女の主治医は別室で待機していた。
 ドタドタと足音を立てながら、メイドが部屋に入ってくる。メイドはお客様がお見えになられたと言うので、少女の父親は今日は帰ってもらってくれと伝えようとした。しかしメイドから客人の名前を聞くと、考えを改めてその客人を部屋に通すように言いつけた。
 しばらくすると部屋に一人の紳士が入ってきた。少女の父親はその紳士を目の前にすると、彼の前で泣き崩れながら頼み込んだ。
 「ああロンドンベルク公よ。もし今、かつて私の頼んだ願いを取り消せるのであれば、私はぜひともそうしたい。そのためならばなんでもする。ロンドンベルク公よ。どうかにか貴方のお力で娘を助けてもらえませんか」
 少女の両親は、2人とも自分のした事にとても後悔した。彼らもまた願い事を一つロンドンベルク公に叶えてもらっていた。しかし今ふたりはその願いを取り消したい気持ちでいっぱいだった。
 ロンドンベルク公は自分の足元で泣き崩れる父親と、娘のそばで悲しみにくれる母親を見て感じた。この人たちは本当に馬鹿で醜い。目先の欲望に目がくらみ、本当に大切なものが何一つ見えてなかったのだ。彼のもとにやってくる者の大半がそんな大人たちだということも、彼はその時に強く感じた。
 ロンドンベルク公は少女のもとまでいき、そして一言つぶやいた。
 しかし前と同じように、今回もまたなにも起きることはなかった。
 彼女の父親と母親は最後の希望を絶たれ、どんな言葉でも言い表せない空虚感と絶望感が入り混じったものを感じた。2人にできることは、もう娘のそばにいてあげることしかなかったのだ。
 少女はひたすら眠り続けていたが、しだいにその呼吸までも眠らせていった。彼女の両親はいつまでも娘のそばを離れない。ロンドンベルク公もしばらく部屋にいたが、そのうちにこの場から姿を消した。医者もメイドもみんな部屋からいなくなって、その家族だけがその場所に残った。


 ロンドンベルク公は表に出ると、奇麗な赤いバラを見つけた。その赤いバラはとてもいい香りと美しさで彼の心をなぐさめてくれた。
 高く昇った太陽は空を青くして、草木を揺らす風は心をくすぐり、彼の中に入り込む。
 ロンドンベルク公はとめどなく涙を流して、帰りの道を歩いていった。

ロンドンベルク公のつぶやき

 私は普段から愛だとか正義だとか、そんなことを考えています。そういった考えを友人達に話すと、だいたい「キモーイ」とか言われます。私にとって小説とは、自分の考えている事を放出する唯一の手段です。
 私は自分の中を駆け巡るいろいろな考えを小説にしていきたいのですが、なかなかストレートに文字として伝えるのは大変です。小説を書き始めてまだまだ日が浅いので、これからもっといい作品を作っていきたいと思います。

ロンドンベルク公のつぶやき

童話をイメージして作りました。 不思議な力をもったロンドンベルク公のお話です。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-03-31

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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