猫耳ロボには森の相談屋
ラ・リブレーゾン
「行ってきます、博士」
扉が静かに開いた。中から出てきたのは一人の少女であった。見た目は十代後半といったところで、真っ白なつやのある髪の毛を肩まで伸ばしている。扉の外には雄大な木々が生い茂り、風に吹かれて轟々と音を立てている。揺れる木々の枝の間から太陽の光が差し込んできたため少女は紫色の目を細め、ゆっくりともたげた手で光を遮る。扉の内側から人影が近づいてきた。
「リコ、今日は特別いい天気だから帽子を被っていきなさい」
細身の背の高い男性が現れ、優しい口調でそう勧めながらキャップを手渡した。男性はくたびれた作務衣を身にまとい、同じくらいくたびれた表情だが、穏やかなまなざしを向ける。リコと呼ばれた少女は受け取ったキャップをじっくり見つめる。次第に視線を男性に向けつつ頬に微笑みが灯る。
「博士、心配してくれるのは嬉しいですが私は・・・」
男性が「あ」と小さく呟いて少女の頭を見る。
「この耳をつけたのは博士なのですよ、まったくもう」
少女の頭の上では小さな猫耳がパタパタと動いている。そう、白髪の少女は猫耳付きであった。
「君を見ていると、いつもその耳を忘れたくなるんだよ。すまない」
男性の困った表情をさも嬉しそうに眺め、背伸びをし手を目いっぱい伸ばしてキャップを被せた。そしてそのまま振り返り、森の中に歩き出した。途中で顔だけ男性に向け、「暗くなる前に戻りますね」と伝えた。男性はその姿が小さく遠くなるまで少女の背中を見守っている。
「いってらっしゃい、僕の愛しいロボット」
ついに森の中に姿が見えなくなると静かにまた扉を閉めるのであった。
森の中をスラスラ歩き進む少女はとある場所を目指していた。青々と茂る枝葉を器用に避けながらまっすぐ前に、相変わらずその頭には猫耳を携えて。
「今日は誰が来てるかな」
段々濃くなる木々をグッとかき分けると目の前に開けた空間が現れた。そこには樹齢千年は超えているのではないか、と感じさせるほどの堂々たる大樹が鎮座していた。その大樹の根元には少しばかりの樹洞があり、少女、もといリコはその中に入っていく。
「あら、いらっしゃい。お待たせしたかしら」
樹洞の中には先客がいた。それは小鳥のアオガラである。リコの姿を確認すると羽ばたいて肩に飛び乗ってきた。それに合わせるようにリコの猫耳がピンと伸び、また目の色が紫から青色に変化する。
「遅いぜロゼットさん、早く話をしたくてうずうずしてたんだ」
アオガラがくちばしを動かしさえずると、リコの中には男の声で変換された人間の言葉が聞こえてきた。
「すみません、研究所の片付けが思ったように進まなくて」
傍から見ればアオガラがさえずり、人間の少女がアオガラがの鳴きまねをしているように映るかもしれない。しかし、この両者には会話と呼んで差し支えない伝達行為が確かに成立しているのだ。
そう、リコはどんな国や地域や動物の言葉でもすべて理解することができる。そればかりか動物の鳴き声までもを含めたあらゆる〝言語〟を人語に翻訳し、また人語をあらゆる〝言語〟に変換して発することができるのだ。これがリコの機能、『万物共通翻訳』である。
「じゃあ聞いてくれよ。昨日彼女がさあ、」
肩の上で話し出すアオガラをにこやかに見つめながら、リコ・ロゼットは今日の日課を開始した。聡明なリコ・ロゼットの元には解決策や導きを求めて様々な森の友達が訪ねてくる。森の相談屋、それが役割なのだ。
エクシスタンシア
今日もリコ・ロゼットは森の奥にある大樹の洞にて森の相談屋を開いていた。先ほど常連客のカワウソ三兄弟と楽しく会話を楽しんだのち、現在は一段落ついてゆっくりとした時間を過ごしていた。舞い降りてくる葉っぱを眺めながら初夏に近づく季節を肌で感じる。
「うかうかしていると、すぐに夏がきちゃうな。博士にも教えてあげなくちゃ」
穏やかな景色を見つめる紫色の瞳は宝石のように澄んでいる。その時、頭の猫耳がピクリと動いた。洞の外に一匹のカゲロウがハタハタと飛んでいるのを見つけた。
カゲロウはまるで洞の中のリコ・ロゼットを伺うように旋回しながら近くをグルグルと飛んでいる。「どうぞ、いらっしゃいませ」とリコ・ロゼットが手を差し伸べると、決意したかのようにこちらに向かってきた。今日四番目のお客さんはカゲロウね、とリコの猫耳がピンと伸び、目の色が紫から青に変化する。そうして生き物との相談翻訳機能を立ち上げた瞬間、カゲロウの背後にサッと滑空してくる影が見えた。
「あ・・・」
リコ・ロゼットが思わず声を漏らすのとほぼ同時に、カゲロウは捕食された。背後に滑空してきたのはツバメだった。そのツバメはカゲロウをあっさりとくちばしにくわえると、また森の中に戻っていった。
一連の流れは時間にしてみれば五秒にも満たない出来事だったが、高感度センサーを内蔵したリコ・ロゼットの目にはゆっくりとスロー再生するかのごとく見えた先ほどの場面が、頭の中でグルグルと回るのだった。カゲロウはいったい何を言いたかったのだろうか、さすがの高性能ロボットの頭脳でもはかり知ることはできない。頭の猫耳がぺたりと折れ曲がる。
しばらく悶々とした気持ちと向き合っていると、前方に気配を感じた。
「森の相談屋ってのはここのことかい」
洞の入り口に先ほどのツバメが佇んでいた。そしてリコ・ロゼットの方を真っ直ぐに見つめて返事を待っている。
「ああ、すみません。どうぞ、いらっしゃいませ」
一転して柔らかな表情を湛える。そしてツバメに向かって手を伸ばした。ツバメはその腕に飛び乗ってきた。ピョンピョンとそのまま肩に移動してくる。
「俺のことをひどい奴だと思ったか」
ツバメがそう問いかける。リコ・ロゼットは柔らかな表情のまま微笑みかけた。
「いいえ。生きるとはそういうことですもの」
そう言ったリコ・ロゼットの向ける視線は決してウソ偽りの色が混じっていなかった。「そうか」と答えるツバメは感慨深い面持ちで視線を外すのだった。そんなツバメの羽をゆっくりなでるリコ・ロゼット。
「でも、心はちょっとだけ溢れるのです」
二人、もとい一体と一匹はその後言葉を交わすことなく暖かな日差しを眺めていた。相談屋の役割は、相手の言葉から紐解かれる感情を綺麗に並べてあげることである。そう博士から教えてもらったことを思い出し、無理に何か話しかけることはせずにただ隣にいた。
「お前、ロボットなんだろ。心があるのか」
おもむろにツバメがくちばしを開いた。
「あるわ。心とは誰かを忘れない想いですもの」
「・・・なるほどな」
ツバメの横顔がそっと笑ったように、見えた。
「じゃあそんなロボットさんに相談させていただこうか」
「喜んで」
――生きるって何の意味があるんだ?
とつとつと、しかしくっきりと話し出した。
「俺たちツバメは、この時期に繫殖して子どもをつくる。毎年毎年。オスのツバメは子どもたちのために朝から晩までエサを捕っては巣に戻って子育てにいそしむんだ。さっき見てたよな、あんな風に虫とかを捕まえてる。もちろん子どもたちは可愛いしやりがいある日常だ。でも」
そこでツバメは言葉を区切った。話したいままにさせるため口を挟まず聞いていたリコ・ロゼットもそのタイミングで深く息を吸った。青色の目の中が僅かに揺れ動く。言語解析の機能が働いているので、ツバメの感情と呼べる部分が大きく隆起していることが理解できた。それでも余計な言葉を差し挟むことはしない。たった一言「でも?」と最後の言葉を繰り返して、次の言葉を促してやるのみだ。
「ふと考えちまったんだ、こんな生き方に何の意味があるんだろうって。」
呻きのように漏れるその言葉はただ深くリコ・ロゼットの耳に届いた。
「きっかけは単純さ。ツバメは、人間でいうところの一夫一妻ってやつで、一人のメスとずっと一緒にいるんだが、その相棒がついこの前、カラスに食われて死んでな。」
努めて冷静に伝える小さなツバメは、その体の温度、鼓動、音の振動から察するに爆発しそうな感情を必死で抑えているのだと分かった。リコ・ロゼットはツバメをなでていた手を止め、自分の頬に引き寄せた。精一杯押し殺した同情の表れであった。
「それでもきっと来年、俺は本能に従い別のメスとまた繫殖しているに違いない。間違いない、これは確かなことで他のどのツバメも繰り返してきたことなんだ。でも俺は死んだ相棒のことを思うと、あいつがいなくても同じように生きていく自分がどうしようもなく薄情に思えてな。同時に、俺自身が死んでたとしても結果は変わらないだろうと思う。そんなことを考えたら、あんたのとこに来てたよ」
そこまで一気に吐露してやっとツバメは体のこわばりを緩めた。紛れもない気持ち、だからこその重みがある。
「だから気休めでもいいからあんたに聞きたい。俺の生きる意味とは何だ」
リコ・ロゼットの頭脳があらゆるデータベース、及び言語解析の結果から返答を導き出す。そう、彼女は答えのない問いに答えられる唯一のロボットなのだ。その言葉は、ただの機械には超えられない、人間でさえも含ませることのできない言い知れぬ響きを持つ。
リコ・ロゼットの目の色が緋色に変化する。
「生きる意味は、あなたがこの世からいなくなった時に、他の誰かが与えるものよ。あなたが相棒さんのことをとても大切に想い出しているようにね」
呆然とした表情でリコ・ロゼットの一言一言を受け入れるツバメににっこりと微笑み続ける。
「この世界は、あらゆる存在のとる選択肢の結びつきによって成り立っているわ。悲しいことにあなたや私がいなくなったとしても、その新たな選択肢の結びつきがその隙間を埋めてしまうでしょう。でも、この世界に存在している限り、あなたのとる選択が幾許か必ず世界を変えるの」
日差しがすっかり傾いてきて、淡い夕焼けとしてリコ・ロゼットの横顔を照らす。その姿は聖女のように映った。与えられた言葉を嚙みしめると不思議と心を覆う不安や惜別が軽くなっていくのを感じる。
「生きてみるか」
そうつぶやくとツバメはリコ・ロゼットの肩から地面に降り立った。「ありがとな」と言い残し、恐らくは彼の帰りを待つ子どもたちのもとに飛び立っていった。
目の色が紫に戻り、猫耳がふんわりとした柔らかさをもって風に揺れた。リコ・ロゼット自身、自分の口から出された言葉をもう一度心で唱えてみる。ロボットである彼女も生きていくことの意味を探していたのかもしれない。
「さて、帰って博士の夕食をつくってあげなくちゃ」
誰にともなく宣言して、広げた荷物をまとめて来た道を戻るのであった。
猫耳ロボには森の相談屋