春のゆめはさめない
春なので散歩に出る。幸い陽気もよく、穏やかに風が吹いている。今日は電車に乗って、前から気になっていた商店街へゆく。広くて長い道が混み合うほど栄えている、昔ながらの商店街だ。
わたしには趣味があって、共有できる友人はいない。今は、インターネットでいくらでも仲間が見つかるので、情報交換も話し相手も困らない。今日の行き先も、SNSで写真を見て決めた。ただ、現実に趣味の活動をするときは、こんなふうに一人だ。もちろん、知り合った仲間と実際に会っている人もたくさんいる。けれどそれはどうも性に合わなくて、時々、理解のある友人に話したり、見せたりして、面白がってもらうくらいだった。
駅に着いて、ホームに降り立った。わたしは仕事が平日休みなので、行き交う人の多くは、作業服やスーツを着ている。その中に、買い物に来たらしいベビーカーのお母さんや、リュックを背負った老婦人もちらちら見える。新品のワンピースを着ているのは、わたしくらいかもしれない。そう思えるほど、あちらこちらに生活が滲んでいた。
駅は高架駅で、空も街並みも見渡せる、開放的な作り。眼下にバスのロータリーが見えて、商店街の大きなゲートもすぐにわかった。念のため調べてあった地図もいらなくなる。スマホを上着のポケットの中で握ったまま、駅の階段を降りていく。
商店街に一歩踏み込んで、わかった。確かにここは、素敵なところだ。アーケードになっているため、どことなく薄暗いが、真っ直ぐ奥へ続く古びた看板は、間違いなくわたしの趣味に合っている。洋食レストラン、蕎麦屋、食堂、純喫茶……。胸に下げたカメラに思わず目を落とし、「よし、頼んだよ」と、口の中で呟いた。心躍らせて、左右に目を光らせながら、歩き出す。人々の陰で見落とすことのないように、歩調は慎重に。
すると、笑ってしまうくらいすぐに見つかった。開店前の丼屋の店先、ガラスのショーケース。向かってくる人にぶつからないよう、早足で近寄る。
あった。あったあった。
カツ丼、天丼、海鮮丼、鉄火丼、親子丼、味噌カツ丼、うな丼、選りどりみどり。素敵。
わたしの趣味、それは、食品サンプルだ。
ひと息おいて、まずは遠景を撮影。通行人の邪魔をしないよう手早く、かつ、後悔しないよう正確に撮る。比較的新しい店で、サンプルは、上の具が見られるよう凹んだ壁に垂直に固定されている。オセロのように等間隔に並べられていて、かわいい。これは、友人に見せてもわかってもらえるだろう。
新しいものの方が、リアルだ。カツ丼。いかにも半熟の卵は白身がぷっくりとしているし、とじられているカツの方は、みるからに卵とだしが染みてふやけている。卵のかかっていない部分の衣が、カツらしく突き立っているところも芸が細かい。垣間見える白いご飯もツヤがあり、ほどほどに立っていて、炊きたての湯気が見えそうだ。美味しそう。正面はもちろん、角度を付けて何度かシャッターを切る。
さすがに全部は撮らないけれど、おっと思ったものを撮るだけで、かなりの枚数になる。だいたいは飲食店が開く前に来るので、お店の許可は取れない。撮った写真は、ただ、自分が眺めるだけのものだ。心の中でお礼を言って、丼屋を離れる。
少し歩くだけで食品サンプルにあたる。今、店先に専用のショーケースを設ける店は減っているから、こういう場所はわたしのような人間にとって、この上ない楽園だ。
看板の文字の塗装が、すっかり剥げてしまっている老舗の洋食レストラン。飛び込んでくるオムライスの黄色と赤。黄色はもちろん卵で、絶妙に焦げ目がついている。一方、先ほどのカツ丼と違い、表面がどことなくつるりとしていて、両端が重力に逆らって僅かに浮いている。赤はケチャップだけれど、これも卵の上に乗っかっているという風で、食品サンプルの創生期を感じさせる。
うーん、たまらない。
わたしは夢中でシャッターを切る。これはこれで最高。リアルさを突き詰める人もいるが、わたしは、食品サンプルであれば全てが愛おしい。ほかにも、店の外観との調和や、経年による変色や劣化すら、一つ一つの個性として味わい深い。逆に、食品サンプルにしか興味がないので、実物との比較はしない。そのため、開店前の、人の少ない時間帯を狙って巡ることができている。
商店街には他にも、人気のカフェや雑貨店、惣菜屋などが軒を連ねている。わたしもそこまで盲目ではないので、自分の肌に合いそうなセレクトショップを覗いてみたりもする。まだ春先三月下旬、淡い色のスカートやコートが目に心地よい。でも、今日の淡い花柄ワンピースは、かなり奮発して買ってしまったので、財布の紐が緩まないように歩いて行く。アラサーに突入してしまった身としては、この歳でも、無理なくきれいに着ることができる花柄ワンピースは貴重だ。
そんなこんなで素敵な道のりもそろそろ終わり、人もぼちぼち増えてきた。家に帰って、たくさんの写真を見返すのが楽しみだ、と、思いながら歩いていると、すれ違った広い肩幅の陰から、ちらりとショーケースが見えた。
よしよし。どうやら洋食屋のようだ。近づくと、ドアに閉店のお知らせが貼ってある。ドアの左側に大きな窓があるけれど、磨りガラスの向こうは真っ暗で、もう誰もいないことはすぐにわかった。右側に小さく作られたショーケースも、皆に忘れられ、幕を下ろした映画館のようにしんとして、暗がりの中に食品サンプルが並んでいる。身震いした。いい。
例によって外観を一枚。それから少し腰をかがめて、ショーケースの中を覗き込む。暗いだけでなく、埃や傷で不透明になっていて、そうしないと中がよく見えなかった。腰も、肩も、繰り返される動作に痛み始めているけれど、そんなことは気にならない。
奥に、クリームソーダやプリン・ア・ラ・モード、チョコレート・パフェ、ドリンク類。〝チープ〟という表現がぴったりの、申し訳程度のサンプルたち。すごく素敵だ。手前がハンバーグ、ナポリタン、カレーライスにオムライス。そして大きなエビフライが、鯱のように反り返っていた。
たぶん、わたしは疲れているのだと思う。ふとこの粘土のような赤い尻尾が、桜の花びらだったらどうだろう、と思ってしまった。ドキリとした。鼓動はそのまま高まって、視界が一瞬くらりとした。食べられる・食べられないという次元を飛び越えて、それは、魅惑的な思いつきだった。ぼやけたガラスのせいか、目の前のエビフライにありありと、桜の花びらが重なって見える。
わたしは弾かれたように踵を返す。写真を撮るのが趣味だけれど、自分で作るのも、同じくらいかそれ以上に趣味だった。今日も、帰りに途中下車して、画材店で新しい筆を買い、絵の具の補充をしようと考えていた。
商店街でお昼ご飯を食べて帰ろうと思っていたことも忘れて、近くの桜並木で花びらや花を調達し、画材店に寄って家に帰った。
最寄り駅に降り立ったところで昼食のことを思い出し、仕方がないのでコンビニで買う。やはり食べたくなったエビフライ弁当に、バウムクーヘンを付ける。このあと作業に入ることを考えて、しっかり食べておくのだ。気楽な一人暮らし、一度作業を始めると、熱中しすぎて食事を抜いてしまうこともある。
家に帰ると、ポストにハガキが入っていた。小さな島から上京してきたわたしにとって、唯一の拠りどころとなる親友からだ。上京してから今まで、週に一回くらいのペースで欠かさず届いている。今回は、桜の蕾が膨らんできたことを知らせる、水彩画の絵はがき。届くのはハガキだけではなくて、収穫した果物や、手作りの漬物などが段ボール箱いっぱいに箱詰めされてくることもある。わたしも含めた若者たちが、島の暮らしに限界を感じ、島を離れていくなか、この子だけは島の暮らしを営み続けている。正直、SNSを断固として始めようとしないのは、親友として不便だけれど、こうしてこの子から“便り”が届くたび、まあこれもすてきかな、と思うのだ。
電気ケトルでお湯を沸かし、ティーバッグでお茶を入れて昼食にする。頭では、これから始める食品サンプル作りについての構想を練る。やっぱり、樹脂粘土でいかに薄く軽い感じを出せるかがポイントだろう。エビフライももちろん作ったことがあるけれど、そのときも、カラッと揚がったエビの尻尾の感じを出すのが大変だった。
§
さて、彼女は食後、さっそく食品サンプル作りに入った。彼女は彼女の才能に無自覚だが、彼女がSNS上で公開している手作りの数々は、どれもこれも手作りとは思えないほどに精巧で、なおかつ、実物に縛られない食品サンプルらしさを兼ね備えた逸品だった。インターネット上で彼女の特集記事を見つけることは容易く、言い値で買うから売ってほしいと言うファンも絶えない。“実物よりも美味しそう”というのが、彼女の作品の総合評価である。一方、彼女自身は、「ただの趣味だから」と、インタビューを断り、取材を断り、販売すらも行わないのだった。譲渡することがなかったわけではないが、それも、まだ初期の、彼女の作品を知る人が十人にも満たなかった頃の話である。
彼女は、一人暮らしにしては広い居間の、更に左に続く部屋のドアを開ける。そこは、完全に食品サンプルのための部屋となっており、どこに何があるのかわからないほど、引き出しや段ボール箱などが部屋中に収められていた。家主は、迷わず一つの引き出しから、原型を取り出す。以前作ったエビフライ用の型だ。普段は、新しく作って古いものと交換するのだが、別の試みを早く始めたいがために省略することにしたらしい。材料一式をキッチンの専用作業台に運ぶと、道具を並べて手際よく作業を始めた。
一度、インターホンが鳴ったが、彼女の手が止まることはなかった。没頭して息を詰めて作業しているため、聞こえなかったとしか思えなかった。日が傾いて暮れてゆく。キッチンと作業台には初めから電気が点いていたが、広い室内は陰を強くする。彼女は慣れた手つきで付け合わせの野菜のサンプルまで作って揃えて、皿に並べていく。手袋をはめたその両手の指が、出来上がった主役を丁重に持ち上げる。皿には、主役を迎える千切りキャベツが、こんもりと盛り付けられている。彼女は微笑んだ。エビフライがゆっくり皿に下ろされた。
彼女はしばらくの間、出来上がったエビフライのプレートを見下ろしていた。立ち尽くしていたと言ってもいい。じっと眺めたまま動かない。皿にはトマト、キャベツ、パセリにレモン、タルタルソース。の、サンプル。真上から、自然光ではない光が強く当たっているにもかかわらず、その独自のリアリティは完璧に維持されている。だからこそ、その中心にあるエビフライの先端に、無いはずの桜の花弁が開いている様は、まるで騙し絵のようだった。ともすれば滑稽なだけの光景だが、笑いを誘う要素は微塵もない。ただただ、いつもの彼女の作品のそのように、“実物よりも美味しそう”だった。
それからどのくらい経ったか、彼女はゆるゆると手袋を外して、ゆっくり伸びをした。肩を交互に回し、首を左右にひねる。傍から見ていると、ロボットが起動したかのようだ。出来上がった作品を作業台に残して、すっかり片付けをする。縛っていた髪をほどいて、寝室へ向かう。そういえば、作業前に風呂にお湯を張っていたため、入浴してしまうつもりなのかもしれない。案の定、寝室から出てきた彼女は、着替えを抱えて風呂場へ行く。肉体労働後に汗を流しに行くときのように、彼女も作業後の入浴が心地よいのだ。
この日は入浴後すぐに眠る支度をして、八時には就寝した。
§
彼女は以来、平日は帰宅後、休日は一日中、食品サンプル作りに没頭した。いくら趣味とはいえ、ここまでのめり込んだのは初めてだった。
桜のエビフライの次に作ったのは、銀杏の鱚の天ぷら。大胆にも、三枚あるうちの一枚が、丸ごと銀杏になっている。二枚の陰になって見落としてしまいそうなところが、かえって見る者をドキリとさせる。彼女はまた同じように、完成したものを長い時間眺めてから、眠りに就いた。
真っ赤な担々麺に咲くヒガンバナ、コロッケ弁当に潜むマリーゴールド(黒ごまの代わりにその種がご飯にかかっている)……何度か同じことを同じように繰り返した頃、再び親友から手紙が届いた。手紙には、彼女の近況への返事と、自身の近況が、いつも通り書かれていた。今回は特に、彼女が同封した写真への感想が中心だ。写真は二枚。前回の手紙が届いた日に行った商店街の光景と、その日に作った桜の尻尾のエビフライのサンプル。撮影した翌日に自宅でプリントアウトして、すぐに親友に返事を書いたのだった。
彼女は、親友の、いつもと変わらぬ丁寧な共感にほっとすると同時に、自身の、つい一週間ほど前の興奮が、もはや遠い昔のように感じられていることに驚いた。特に、あの商店街の街並みが、親友の言葉の端々にある彩りを失って、色褪せている。
「うーん?」
彼女は思わず一人呟く。そういえば、ここまで“見なかった”ことは初めてかもしれない。ちょうど明日は休日。久しぶりに、カメラを持ってサンプルを見に行こうか。近くてお気に入りのあの通りに行こう。そう考えている間にも、次の作品への考えがちらつく。彼女は気付かないように振る舞っていたが、外出は、なかば義務感によって決められた。
翌日、彼女は、歩いて二十分の賑やかな通りに出かけた。食品サンプルを趣味とする人の中には繰り返し見に行かない人も多いが、比較的何度も通える性質で、うっかり金欠になってしまった日にもよく訪れている。以前の印象と変わったなと感じたときや、以前とは違った角度で魅力を感じたときがシャッターチャンスで、初めての場所とは違った楽しみ方ができる。
まず現れるのは生パスタ専門店。ショーケースの中央では、フォークで持ち上げられたボロネーゼが一際存在感を放っている。次にとんかつ専門店。ロースとヒレの微妙な違いや、かにクリームコロッケの断面からとろけ出すクリームがリアルなサンプルである。続いて喫茶店。ホットケーキのハチミツが歪に固まっている上に、バターが四角く角張っている。最後は中華料理店。回鍋肉、麻婆豆腐、八宝菜、とりあえずツヤがあればそこそこの水準になるという良い例だ。点心の、本物のせいろとのバランス感も見逃せない。前より少し埃がたまったかなと思えるところも、何度も見ているからこそわかる面白さだ。
しかし彼女は、どこを見ても、何を見ても、カメラを構えなかった。表情は至っていつも通りで、笑っていなくても笑っているように見える、柔和な無表情。それでも内心では、何に対しても、どこか物足りないような、釈然としないものを感じていた。食品サンプルは変わらずそこにあるというのに。
物足りなさを補うように、彼女には別のものが見えていた。見るもの見るもの全てに、彼女が作ったあの風変わりな作品の残像が、纏わり付いているのだ。それは、心地の良いことだった。その影が浮かぶたびに、彼女はほんのわずかに笑みを浮かべた。
通りを見終わって、ただ肩にカメラの重みを感じる。いつもの帰路は、次の作品を目指す道に変わっていた。
帰宅後は再び、脇目も振らず作品作りに没頭し始めた。親友への返事も、ハガキ一枚に済ませる。普段は仕事の忙しい時くらいしか使わないため、新たにストックした。作業台も片付けず、常に道具が広げられている状態だ。そうして彼女は、家と仕事場を往復する日常で、家にいる時間の全てを作品に捧げて生活した。彼女の、自身の作品に対する凝視が陶酔であったとわかるのに、そう時間はかからなかった。
魯肉飯にはどくだみが巻きつき白い花を一輪咲かせ、ハンバーグの付け合わせにはブロッコリーやポテトと並んで鮮やかなオレンジのストレリチア、曲げわっぱに入った二色そぼろご飯は、よく見ると炒り卵がオンシジウムである。毎日の作業の中で次々と作品が作られ、それは日増しに大胆になっていくようだった。
ある日彼女は、一つの事実に気がついた。これが間違いなく滑稽で、正しく彼女は、このとき一人ベッドの中で声を出して笑った。
驚くことに、作業後、彼女は食事を取ることを忘れていた。作業の進捗によって、朝も昼も夜も見境なく、あの陶酔の時間を迎えたら最後、食事のことなど思い浮かばない。俗にアラサーとなってしまった彼女、さすがに体に悪い生活をしている。しかしそれは、食べ過ぎた焼き肉や、毎週のケーキランチとは違い、一切の罪悪感を持たない気付きだった。義務感から、彼女は食事を忘れないよう気をつけることにした。だが、それももう遅かった。季節は夏も終わり、秋の涼しげな空が、薄ら現れつつある。驚くことに、半年もそんな生活をしていたのである。
今や義務感は何の意味も為さなかった。サンプル作りの材料が足りなくなって外出する。彼女は、ただ材料を買いに向かうばかりで、周囲には目もくれない。道では、枯れ葉が吹き溜まりで微かに動いている。その動きすら動的に見えるほど、起伏なく坦々と、彼女は歩いている。
ふと、透明なケースに彼女自身の姿が映って、なぜだか足が止まった。ぼんやりとした目に入るのは、かつて彼女が、まだ人目を気にしながら初めて撮影した、オムライスの食品サンプルだ。
「不味そ…」
思わず乾いた唇がそう動く。気持ちが悪かった。居並ぶ全て、彼女にとっては得体の知れないカタマリだった。なぜ今までこんなものを追いかけていたのか、わからない。彼女には明瞭に自らの作品が見えていた。それを前にして、これはもはや、不快な異物でしかない。そう、そして、その対象が本物の食品になるまでに、大して時間はかからなかった。
初めは、ハンバーグや、オムライスなど、食品サンプルにありがちな食品を受け付けなくなった。受け付けないと言うと不正確かもしれない。食べるものとして認知しなくなったと言う方が良いだろうか。例えば今、道のコンクリートを食べ物と思えと言われても難しいような、そんな感覚にほぼ等しい。段階的に、その感覚が広がってゆく。食品サンプルとしての必要性の低い、マイナーな食材であるほど、変化は遅れてやってきた。代わりに、彼女自身の作品が食べ物として認知されるようになったかというと、全くそんなこともない。
当たり前のように仕事を休みがちになる。彼女の異変を精神的なものと信じた会社の人々が休職を勧めたが、いとも簡単に退職する。あの手紙の親友も、彼女の返事が素っ気なく、次第に無色になってゆくのを心配して、何枚にも及ぶ手紙や、うつくしい故郷の海の写真を幾度も彼女に送った。彼女はというと、見るには見るものの、一度、目を滑らせて、引き出しにしまい込んでしまう。まもなく返事を書かなくなった。ともかく彼女は、日々が幸せだったのだ。部屋は、座ったまま全ての作業が出来るようになっていた。煩わしいものもない。昼夜問わず没頭する。珍しく都心で雪が降る。
§
季節は巡り、彼女は恍惚とする意識のなかで、作品を作り上げた。水すら飲まなくなった彼女は、傍から見ると、ただただ朦朧と座り込んでいるようにしか見えなかった。言うまでもなく、あの、陶酔の時間である。まばたきがゆっくり続く。次、閉じたら、それが最後になる。すっかり青白くなったうなじは、天井からの強い光に溶けてしまう。そんなひとときだった。
少し、息を吸うような音がした。ぐらりと前へ、体がバランスを崩して倒れてゆく。彼女は、作業台に体を埋めるように伏して、そして動かなくなった。しばしの静寂ののち、ポストがコトン、と鳴った。
差出人はあの親友。分厚い封筒には、手描きで満開の桜が描かれている。小さな島の、少し遅い開花を知らせる手紙だろう。いや、それももう、想像の域を出ない。決して封が切られることはないのだ。
《了》
春のゆめはさめない
2020-05-08 誤字修正