ミュウと瓶詰めの手紙
イラスト:藤池ひろし(Fantasica)
初出:コミケットSP 水戸コミケ
今日ではない、いつか。
ここではないどこかで。
うっすらと、おでこに汗を浮かべてのお仕事。
魔女のたまご(魔女見習い)のミュウは、スチームの熱を感じながら、良く乾いた洗濯物の上に、銀色の光沢を浮かべるアイロンを走らせ、シャツ、スカート、そして、枕カバーに付いたしわを丁寧に一つ一つ伸ばしてゆく。
「ミュウ。アイロン終わったら私に貸して。今日のエファの授業、時間大丈夫?」
台所の戸口に立ったアプリリア先生の声で、ミュウはアイロンがけをする手を休めた。
「はい。大丈夫です。今日はお茶をしてからなので、時間が三十分遅いんです。先生、アイロンがけなら、わたしが一緒にやります」
「そ。ならお願いするわ。お茶が先と言うことは、何か実技ということね」
ミュウは、アプリリア先生の問いにすぐに答えることができなかった。アプリリア先生の言った「実技」という言葉が気になったわけではなく、アプリリア先生から受け取った三枚のハンカチに目を奪われていたから。
一枚目は、青いハンカチ。青一色だったけど、海ではなく、空を思わせる青。夏の光と暑さの中、無限に広がってゆく青空を思わせた。
二枚目は、お花の刺繍がされたハンカチ。お世辞にも上手な刺繍ではなかったけど大切なハンカチであることをミュウは知っていた。アプリリア先生が診た子どもから贈られた大切なハンカチだ。
最後の一枚は、パッチワークのハンカチ。
シンプルだけど、一度見たら忘れることができないデザイン。
桜の花を幾何学模様にアレンジするセンス、形も、布の色彩チョイスもミュウの好み。
「気に入ったみたいね」
アプリリアは眼鏡の奥に笑みを浮かべていたが、
「え?、あ、はい」
ミュウはそのことに気がつけない。
「何でもないわ。ただ、今日の授業は何をやるのかと思ってね」
「授業は、いつも通り秘密だと、エファは言ってました」
「そう」
ミュウはアプリリア先生と話しながらも、頭の中には、三枚目のハンカチしかなかった。部屋にある端布で、三枚目のハンカチと同じものを作ってみようとさえ思っていた。それくらいアプリリア先生の三枚目のハンカチを気に入ってしまったのだ。
ミュウにとって、パッチワークはお手の物。ミュウがソーイングを大の得意にしていたこともあるけれど、端布などの布のストックを、アプリリア先生があきれてしまうほど、蓄えていた。だから、全く同じ風とは行かなくても、近いものを作ることはできるはず。そう思っていた。
「とても、素晴らしいハンカチですね」
パッチワークのハンカチにアイロンを押し当てる。
「そ? 私のお気に入りのハンカチで、それぞれに物語を持っているわ」
「刺繍のハンカチは、靴屋のプリムラの作ったものですよね」
「そう。今度はもっと上手に作ったものをプレゼントしてくれるそうよ。この空のハンカチは、飛行機乗りをやっている知り合いの魔女から頂いたもの」
「あの、これは?」
ミュウは一番気になっているパッチワークのハンカチを綺麗に畳んで差し出した。
「これは……そうね。そのうちわかるわ」
「え?」
「それよりも、時間は平気?」
ボタンを掛け違えたような、変な感じがした。
こういうごまかし方をする先生ではないのに、何があるんだろう? ミュウはアプリリア先生が三枚目のハンカチについて何も言わないのを怪しく思った。
アプリリア先生は物事をはっきり、しかも簡潔に言うタイプ。ミュウの魔女修行の関係で、隠し事をすることはあるけれど。そういうときは、ミュウに隠し事をしていることすら悟らせないのが、アプリリア先生のやり方だった。
ミュウはアプリリア先生の顔を見たけど。美しい顔の下にある心までは、ミュウには見ることはできなかった。
「ところでミュウ。エファの授業はどう? 楽しくできている?」
「はい。でも、気を抜くことができません」
「そうでしょうね」苦笑いの混じったため息と一緒に、先生は、「今度暇があったら、わたしも覗いてみようかしら」
「え? うん。ぜひ」
「授業参観というのも楽しいかもしれないわ」
「授業参観?」
ミュウには、その言葉が苦かった。
ミュウの母親は教育に熱心な人だったので、ミュウは、どうしても母親の熱心さに応えたくって、授業参観の日は無理な爪先立ちばかりしていた。
そんな小学校時代の嫌な感じが蘇る。
手を挙げることに必死になって、答えることのできない問題でも手を挙げてみたことだって、一回、二回じゃない。
本当に指されてしまい、顔を真っ赤にしながら取り繕ったことだって、ある。
「あら? あまり気乗りじゃないみたいね?」
「え? そんなことないです。ただちょっとだけ授業参観は苦手で」
「そう。ではやめておくわ。しっかり勉強してくれた方が良いし。エファの授業はしっかり集中していないと、後がひどいのでしょ?」
ミュウは心の中で頭を何度も縦に振った。
ミュウは一人前の魔女になるために、アプリリア先生ともう一人、魔女エファにも勉強を見てもらっている。
アプリリア先生の授業が、気が抜けない厳しいものなら、エファの授業は、楽しいが半分、怖いが半分だった。
アプリリア先生の授業のような、座学で何かをやるというのは希で、野山を駆けめぐったり、砂浜でものを探したり、と野外での実地に重きを置いている。それはとても楽しいもの。だけど、室内の座学ではあり得ない危険が、野外での実地にはたくさん潜んでいた。しかも、一番危険なのは、先生であるエファ本人のような気がする。
今でも、解毒とその治療法の授業の時に見せたとんでもないことを覚えている。エファがミュウの目の前で毒キノコを食べて、ミュウに解毒させたのだ。
ただでさえ白いエファの肌が、蝋燭のロウのようになり、唇が紫色に変わり、小刻みに震える。目はとろんとして、あらぬ空を眺め、奇妙な手の震えが止まらない。
「時間、大丈夫?」
その先生の言葉で、ミュウは考え事の世界から台所へと引き戻された。
「は、はい。かたづけを終えて出れば、丁度だと思います」
ミュウは台所の柱時計を見て答えた。
「そう。アイロンがけありがとう」
「はい」
ミュウはアプリリア先生にお礼を言われて嬉しくなった。
◇ ◇ ◇
「それでは今日の授業を始めましょう」
エファは、椅子を引いて席に着いた。
「待ってました」
エファの紹介に、ミュウの隣の席で魔女ビューエルが、男の子のように両人差し指を口の中に入れて口笛を吹き鳴らす。
ミュウと、ビューエルを挟んで座る、ミュウとおなじ魔女のたまごのパーシは、まばらな拍手しかする気分になれなかった。
そもそも授業を始めるときに拍手はしない。
しかも、ビューエルは完全なおまけだった。たまたま用事でエファのところに訪ねてきて、一緒にお茶をしただけで、彼女は授業などまったく受ける必要のない一人前の魔女。
暇つぶしにミュウたちと一緒に授業を受けていこうというのだから、ビューエルを挟んで座るパーシも、ミュウと同じで溜息をつきたいような気分だったに違いない。
でも、ビューエルはミュウの気も知らないで、不満らしい。
「ねぇ、ちょっと。なによそれ? 二人とも、ミュウも、パーシも、ちょっとばっかりノリ悪くない? 授業は楽しんでノリノリでやるものなの。ビューがたまごの時なんて、面白くなさそうにしていたら、お師匠さまは授業なんかしてくださらなかったんだから。それに、楽しくない授業なんて受けたって面白くないし、ちっとも頭に入らないんだから。気分を最高の波にドーンと乗せて、盛り上げて行かなくっちゃだめだんだから。
だ、か、ら、しっかり拍手をして喜ぶものなの。ねぇ、エファ」
「そうですね」
と苦笑するエファ。
風変わりな魔女と知られるビューエルは、マイペースでつかみ所がないエファと、仲が良い。
二人の姿格好だって、二人は仲良しとでも言うように、ビューエルは、古い時代の魔女のような黒いローブをいつも着ているし、エファも昔ながらの黒い魔女のワンピースを着ていた。
「エファ、悪いけど。もう一度入ってくるところからやり直してくれない? その方がエファも授業をやりやすくなるし、楽しい授業になるとビューは思うの」
ビューエルの注文に、エファは、右斜め上を見るような顔をした。
「エファは、困っているような気がするけど」
ミュウの言葉に、ビューエルが、
「ミュウがそう思うなら。次の一回で済ませればいいじゃないの」
「それは何か違うような気がします」
と、ボソボソ口元でしゃべるような感じで、ミュウに加勢するパーシ。
「何が?」
一瞬、パーシはたじろいだようにも見えたけど。自分を落ち着けるように胸元で小さく拳を作ると。
「拍手をしないでも、十分、私たちは授業が楽しみです。できれすぐにでも授業をはじめて欲しいくらいなのです」
ミュウは、自分のお腹がきゅうっと、言い出すのではないかと思った。
ビューエルの性格は知っているつもりだし、パーシにしてもそう。
でも、よそから見ると、この二人は上手くかみ合わない。
ビューエルは、相手のことをお構いなく喋るし。一方のパーシは、いつも、正しいことを言うけれど、微笑み一つ浮かべることなく、分厚い眼鏡に表情を隠して、ボソボソした声で鋭い意見をするから、喧嘩をしているわけじゃないのに、言葉がきつく感じられる時がある。
二人の言葉には、お互いの思いやりとか配慮という言葉が欠けていているように、ミュウには思えた。特に、近くで聞いていると、二人と仲が良いだけに心苦しい。
「えらい。本とパーシは真面目ね。授業を受ける態度がちゃんとできてる。ビューはおもいっきり感心した。じゃ、エファ。さっさと授業はじめて」
いつものことながら、杞憂だったようだ。ビューエルの変わり身の速さに、そのことをよく知っているはずなのに、ぼんやりしてしまった。
「じゃあ、今日はおばば様(東のくちばしで一番年老いた魔女)の授業を真似て、誰とも知らない相手へお手紙書いて、瓶に詰めて海に流そうと思います」
エファの言葉を受けて、ミュウの心の中に一つの情景が描き出された。瓶詰めの手紙が青い波の上を流れて旅していくのだ。
「瓶詰めの手紙?」
ビューエルが不満そうな声を上げた。
「いやですか?」
とエファ。
「あれ、私のも人造人間(ビューエルはアプリリア先生のことをこう呼ぶ)のも、戻ってこなかったんだもの。一生懸命作ったのに」
「じゃあ、今度は戻ってくるといいですね」
「エファ。ビューエルに質問いいですか?」
ミュウは手を上げた。
「え? 何何々?」
ビューエルは興味津々の目をミュウに向けてくる。
エファの苦笑いと共の「いいですよ」の声で、
「ビューエル。アプリリア先生も魔女のたまごの頃やったことなの?」
と聞いた。
「ええ、そうよ。贈り物と手紙を詰めた瓶を烏帽子岩の上から、人造人間と一緒になって、ポーンと投げたわ」
ビューエルはアプリリア先生のことを嫌っているので、嫌そうな言い方と顔になる。もちろん本当に嫌っているのではないことをミュウは知っているし、初めて会った人でも、その嫌々そうな言い方の下地が、古くからの友人とか、腐れ縁という言葉で出来ていることくらいすぐにわかる。そんな言い方と顔だった。
「そうなんだ」
ミュウはアプリリア先生が魔女のたまごの頃にやったのと同じ授業をするというだけで、心がわくわくしてきた。
「話が脱線したので、元に戻しましょうか」
エファはここで言葉を切った。誰も反対はしないので続けて、
「瓶詰めのお手紙を海に流す授業ですが、これから、ガラス棒で実際に瓶から作ってみようと思います」
エファが指を鳴らすと、机の真ん中で白い煙が弾け、銀とガラスで出来た竜の燭台が現われた。人数分のガラス棒もある。
その竜の口からのぞく、火の灯っていないろうそくのシンに、みんなの視線が集まる。
発火、加熱、ろうそく火。
ミュウの心の中に、ろうそくに火を灯すことができる魔法や、おまじないの名前が浮かんだ。
別に、ろうそくに火を灯すのが苦手ではなかったけど。思わず、パーシやビューエルの顔を覗う。
「あ? つけないの? 二人とも? どうしたっていうの? まさか、できないわけないわよね。初歩の初歩だものね。でも、ビューはつけないわよ。早く、二人のどちらかがつけなさいよ」とビューエル。
「えーと」
ミュウはパーシの顔を見た。
「では、私が」
パーシは、迷うことなく人差し指と親指をこすり合わせながら、ろうそくのシンに指を近づける。
マッチの火。
ミュウは、火の魔法で一番最初にやった魔法を思い出した。
ろうそくに灯がともり、炎が揺らめいた。
エファはうなずいて、
「炎のそばに立って、火力を上げましょう」
「ミュウ、どうぞ」とパーシは手で指し示す。
「え? う、うん」
ミュウは心を落ち着けて、揺らめくろうそくの炎を探る。
エファの言う「そばに立つ」というのは本質に近づくことを指していた。
ミュウは心の中に、ろうそくのロウが気化し炎が燃えるさまを描き出す。
「燃えろ」
口元で呟くと、ろうそくは、音を立てて燃える青い火の柱を立て燃え上がり、ちょうどアプリリア先生が鋼板溶接するときに使う炎のようになった。熱気を含んだ風がミュウの前髪を揺らす。竜の燭台が青い炎を吐いているようにも見えた。
エファは満足げにうなずき、
「では、ガラスを溶かして瓶の形に」
「じゃ、ビューが一番ね」
ビューエルは、パーシが何かを言うよりも先に、ガラスの棒を取ると、ろうそくの青い炎で炙る。
「へへ、さぁ、伸びろ伸びろ。もっと伸びろ。天まで伸びなくっても良いから、適当に伸びてしまえ~」
ビューエルの指先で、オレンジ色に熱く熱せられたガラスが、生きているかのように次々に形を変えてゆく。
こうしてみると、ビューエルはまるでほんものの魔女みたい。
ミュウは、ぼんやりと、そんなことを考えてしまった。
魔女の修行をはじめて一年近くになるけど。こういう風に魔女らしいことを目にすると、ミュウは改めて自分は魔女のたまごで、周りにいる風変わりな女の人たちは、みんな魔女だと思うのだ。
「さ、次はミュウの番ね」
ビューエルの声で、ミュウは考え事の世界から自分の世界に引き戻された。
ビューエルの手には、まだオレンジ色に熱を残すガラス瓶があった。ワインが入っている瓶にも似ているが、ちゃんと手紙が出し入れができる広さの口がある。立派な瓶だ。
手紙が出し入れできる瓶か。
ミュウは心の中だけで独り言をした。白状してしまえば、牛乳の瓶みたいなものを作ろうとしていたのだ。
「ミュウ。ガラスは、堅くて、もろくて、何よりもなめらかで、何よりも鋭くて。冷たくない氷のようでいて、水のようでもあるの」
エファの言葉に、「はい」と答え。
ミュウは机の上のガラス棒を一本手に取った。すぐにエファの手が添えられる。
ミュウは、緊張で乾いてきてしまった唇を濡した。
「ミュウ、ミトンのおまじない。火傷してしまう」
「あ、はい」
ミュウは、トッタン山を超えた自分が生まれ育った家で、お母さんがオーブンからパイ皿を取り出す様子を思い浮かべ。
オーブン、パイ皿、つかめる。
と心の中で唱える。
「では、次に、火のそばに立ちながら炙り。ガラスのそばに立って撫でてみましょう。飴を連想してしまってはダメですよ。瓶が甘くなって、海の底で溶けてしまいます」
笑わない。笑わない。笑わない。
ミュウは、吹き出しそうになってしまったこと。なぜ集中するときにそんな変なことを言い出すのだろうと、恨みがましく思ってしまったこと。それらに鍵をかけて、自分のお腹の奥底に、鎖で縛って重しをつけて放り込むと、ミュウは、ガラス棒と青い炎にだけに集中する。
ガラス棒が青い炎に触る。
青い炎がガラス棒を撫であげ、強く撫でられたところから、透明なガラスがオレンジ色の光沢に染まり始める。
「力だけでは、思うようにはなりませんよ」
この言葉は、耳が痛くなってくるほど聞き覚えがある。アプリリア先生も言葉の違いがあっても、同じことをミュウに言った。
ミュウは小さく息を吐き出しながら、心の中で、
力だけでは解決の糸口は掴めない。
エファの言葉に、アプリリア先生が言った言葉で答え、心を一つにする。
ミュウの手に添えられたエファの手が、ミュウの手をすり抜けたように見えた。
すり抜けたエファの手は直接ガラス棒を掴み。熱で操りやすくなったガラスを操りながら、飴のようにガラスを曲げていくさまが見えた。
ミュウは、ガラスを自在に操る幻のエファの手に、自分の手を合わせようとする。
「ミュウ。上手ですね」
エファの声に。
ミュウは自分でも信じられなかった。
心に思い描いた瓶の形に、ガラスが変わってゆく。
まるで最初から、その形が当然のものであったかのように、ガラスは瓶の形になった。ビューエルが作ったものにも似ている。巻物にした手紙が入れられる口を持つ瓶だ。
ミュウは満面の笑顔で、まだオレンジ色のガラス瓶を眺めていた。
しかも、灼熱したガラスに触れているのに、アイロンの蒸気ほども、熱くはなかった。ちゃんと、ミトンのおまじないが効いている。
「ミュウは本当に手先が器用ですね」
エファはそう言うと、ミュウの手を放した。
「ありがとうございます」
エファは「どうもいたしまして」と言うかのように微笑んだ。
ミュウの後にパーシ同じように瓶を作り上げ。
最後に、エファがガラス棒を手に取ったところで、突然考え事のポーズを始めた。口元を左手で覆い、その肘を右手で支えている。
エファが、考え事をするのは、けして悪いことばかりではなかったけど。今、ここでの考え事、というのはどうだろう?
逆に言ってしまえば、このエファの考え事のポーズは、何かとんでもないことを考えているときのポーズじゃないとは、言い切れなかった。
あの毒を自分で飲んでしまった授業のときも、こんな考えるそぶりを見せたような気がしてくる。
ミュウの気分がだんだん落ち着かなり始めたところで。
エファとミュウの目が合った。
エファは、にっこり微笑んで、
「今日の授業はここまでにして、お手紙を書くのはやめにしませんか?」
エファは、やはりとんでもないことを何でもないことのように言った。
ミュウの隣でビューエルは、エファが何を言っているのか分からなくなったらしく、目をパチくりさせ。
ミュウも「え?」と言う口の形のまま固まってしまった。
「せっかく瓶ができたのに、なぜ? 手紙書くのをやめるのですか? しかも授業まで」
と、冷静にパーシ。そのパーシの言葉を継いで、ビューエルが、
「そ、そうよ。せっかくみんなで手紙を入れる瓶を作ったって言うのに」
ミュウも二人の意見に賛成だった。
せっかく、手紙を入れる瓶を作ったというのに。
「みなさんが作ったのは手紙を流す瓶ですよね」
「あったり前じゃないの」
ビューエルは鼻息も荒く答える。
「さっきビューエルが言っていたじゃないですか」
エファは微笑んだ。
「え? なに? 何のこと。ビュー何か言ったけ?」
当のビューエルが声を上げるが、エファはニコニコしたままだ。
パーシが小さく手を上げた。
「どうぞ」
「贈り物を手紙と一緒に流したということですか」
「正解。手紙を受けとった誰かが、ただ手紙を受け取っただけより、どうせなら、もっと嬉しいことに、してみませんか?」
「あっ」
ミュウは心の中に、赤いリボンでラッピングされたプレゼントの箱が瓶に入っている姿を思い浮かべた。
それを海から拾い上げる人の笑顔も、見えたような気がした。
ミュウは強くうなずき、
「うん、それがいい」
「私もいいと思います」
とパーシ。
「リベンジね。絶対に返事貰うんだから」
とビューエル。
「それでは、明後日までにプレゼントと手紙を書いて、烏帽子岩から海に流してみましょう。あと、ガラス瓶はこのままではプレゼントまで入らないでしょうから。皆さん自分で瓶の形を変えてください。早いですけど、これで今日の授業は終わりにします」
エファは「さてと」と言葉を一度切ってから、
「今日は人手が多いことですし。これからの時間、薬草のラベル貼りを手伝ってはいただけませんか?」
エファの笑顔に比べて、ミュウたちの顔には輝きはなかった。
◇ ◇ ◇
「エファたち遅いね」
ミュウは隣に立つパーシに話しかけた。
空はオレンジに染まり日が落ちかけていた。空ばかりではない。ミュウとパーシを囲む海もまたオレンジに染まっている。そのオレンジの世界で、唯一黒い影を作り出す烏帽子岩に二人は立っていた。
海は巨大なゆりかごのようにゆっくり揺れ、たまに大きな揺れが波となって烏帽子岩で砕ける。
「考えられることは、ビューエルがこの遅刻と関係しているということです」
夕日の色が眼鏡に反射して、パーシの目までオレンジ色になっている。
「え? そうなのかな」
「エファは時間を守る方です。ですから、消去法で残るのはビューエルというわけです」
「悪かったわねー。ビューのせいで」
パーシは少しびっくりして胸元で握り拳を作った。
声の降ってきた空を見上げると、大きな鷲が大きく円を描いていた。
その背からネズミが降ってくる。
烏帽子岩に降り立つ寸前のところで、弾けるような白い煙に包まれると、エファに変わった。
大きな鷲も烏帽子岩の高くなっているところに降り立つと、白い煙と共にビューエルの姿に変わった。
「ま、ビューが、たまには変わった方法で烏帽子岩まで行ってみないって、誘ったから遅れたのは認めるけど。でも、こんなにも遅れたのは、エファが、ジャンケンしましょう、と言い出したからよ。負けず嫌いなんだから」
パーシが何か反論しようとする気配を、ミュウはすぐに感じて、
「ビューエルはどんなプレゼントにしたの?」
「え? ひ、み、つ。ひみつにきまっているじゃない。そういう楽しいことは、昔っからひみつに決まってるんだから。そう言うミュウは何にしたの?」
「ビューエルが秘密なら、わたしもひみつ」
ミュウは自分の瓶を背中に隠した。
「うっ」
ビューエルの隣で、エファは微笑みながら、
「ビューエル、たまごたちにやられっぱなしですね。私は紅茶の葉を入れてみました。この前飲んだのと同じ、スイートソルト地方の銘品です」
「私は、コンペイトウです」
と瓶を掲げて見せるパーシ。
赤、青、緑、黄色、白。五色コンペイトウが幾つも瓶の中に、手紙と一緒に入っている。
「むむ。ビューは何を入れたと思う?」
ビューエルはみんなの顔を見渡した。
「いつもの空を飛ぶ薬?」
ミュウは思いついたことをそのまま言ってみた。
ビューエルが風変わりな魔女あつかいされる最大の理由。それは、ほうきではなく薬で空を飛ぶことだった。
だから、ビューエルに限って言えば、大変珍しいはずの空を飛ぶ薬に、いつもの、がつく。
「おしぃ。おしぃわね。私の得意技に関係することは確かだけど。パーシは?」
「焼き菓子などのお菓子ですか?」
「うん、それもいい線よ。でも、いい線と言うだけでは、だめ。お菓子じゃない。エファは」
「笑い薬でしょうか?」
クスっと鼻で吹き出さなかったのは、みんなの礼儀作法が正しかったと言うよりも、たまたまだった。
エファが真面目な顔で言うものだから、パーシも、ミュウも、笑顔になりかけの頬が引きつっている。
ビューエルは別の理由で頬が引きつった。
「誰がそんな、しょうもないもの入れるっていうの」
ヒートアップするビューエルの脇でエファはいつもの笑みを浮かべ。
「では、妄想薬」
「ちがう。ビューが入れたのは、お守りよ」
ビューエルは手首を返すと、何もないところから、金色のメダルと手紙の入った瓶が現れた。
「あっ、そうか」
ミュウは大きくうなずいた。
ビューエルは、アプリリア先生や、エファ、といった魔法に長けた魔女たちも、その実力を認めるほどお守りを作る魔法に長けていた。
ミュウの驚きように、ビューエルは満足そうに、
「ふふふ。どう? 驚いた。これほどもらって嬉しいものはないでしょ。なんてったって、東のくちばし一のビュー印のお守りよ。交通安全から試験勉強まで、なんだってOKなんだから」
ビューエルは、えっへん、とでも言わんばかりに腕組みをした。
でも、なぜか、パーシの顔は曇り、エファはいい笑顔になった。悪いことを企む子供が悪いことを思いついた笑顔をそう呼ぶのであれば。
「ビューエル。たまごの時にやりませんでしたか?」
「え? なんのこと?」
「海はすべてにつながっているから、自分に戻ってくると」
「な、なによエファ。ビューを脅すつもり? 海に力あるものを流しては行けないことくらい、百も承知よ。だいいち、こんなの帰ってきたって、全然へっちゃらなんだから」
エファは微笑んだ。
「いいえ。脅したりなんかしません。ミュウとパーシに、いい勉強になる機会を提供してくれるのですから。ぜひ、流してください」
「エファ」
ミュウは思わずエファの名を呼んでいた。なぜ悪いことから守るお守りを流して大変な目に遭うのだろう? と。
「ミュウ、それも結果が出てのお楽しみです」
エファはミュウの心の内をお見通しらしい。
「ビューが流すのは災いじゃなくって、災いから守ってくれるお守りよ。降りかかってきたって絶対良いことになるに決まってるんだから」
「はいはい」
エファは微笑んでいる。
ミュウは、何かとんでもないことをたくらんでいるときの、あのとんでもない微笑みのような気がした。
エファのお茶
魔女エファ様。
あっしは、指輪島の漁船エドウィン号の船長エドウィンというもの。
あっしら、指輪島生まれにとって、お茶は片時も離せない。そりゃ大事なもの。
にもかかわらず、新入りがせっかく港で買ったお茶を船に積み込み忘れる不始末。
あっしら、漁場に辿り着くまで、五日、漁に二日、帰りに七日かけて行くにもかかわらず!
あっしら、お茶なしでは、食べるさかなの味も分からぬ始末。
あっしらにとって辛く、なんとも味けない、漁になるにもかかわらず。
魔女様の瓶を拾いまして、乗組員一同、感謝の言葉この上もありヤせん。
あっしらの釣った魚の薫製をお送りしヤす。
あっしらの感謝の気持ちお納めください。
エドウィン号 船長 エドウィン
山のように送られてきたさかなの薫製を前に、エファは苦笑いを浮かべていた。
パーシのコンペイトウ
初めまして、パーシさん。
僕は、アルビオンで天文学を学ぶ学生です。来月、王立観測所の採用試験があるので猛勉強の真っ最中!!
★が、御飯を食べることよりも好きな僕にとって、天体観測に出かける時間すら惜しんで、(これは正直あり得ないことです。僕は★が好きなのです)星々の運行計算やら、最近発見された七番目の惑星について、勉強しています。(王立観測所←絶対入りたい!!!!)
勉強は10.5時間に及ぶこともあり(第一惑星の周回時間!!!!!!)頭の中に、文字が全く入っていかないときは、いつも砂浜でジョギングをしています。
いつものように、気分転換のジョギングで走っていると、偶然砂浜に打ち上げられたパーシさん瓶詰めの手紙を拾いました。
王立観測所の採用試験に挑む。天文学者のたまごの僕が、魔女のたまごであるパーシさんの手紙と★(コンペイトウ)を拾うなんて、彗星が月に当たって砕けるくらいの確率!!!!!!!(以下二枚ほど、彗星が月に当たる確率の計算式が書かれていた。パーシの周りの人では、アプリリア先生しか正しく意味を理解することができなかった)
パーシさんも魔女修行をがんばってください。僕もがんばっていこうと思います。
p.s.これも何かの縁です。僕と文通をしませんか?
同封されていたのは、王立観測所のおみやげ屋で売っているという素敵なしおり。ザラザラした質感の厚紙の上に、宝石を溶かし込んだような絵の具で描かれた、ほうき座の様子だった。
パーシはそれを使うのがもったいないという理由で、大事なものを入れておく小物入れにしまい。名前を書かない相手との文通を始めるために、アプリリア先生に、「名前探し」のおまじないを教えて貰った。(パーシの師匠のイオおばさんが、アプリリア先生の方がその手のおまじないは得意だからと、パーシに薦めたため)
◇ ◇ ◇
晩御飯が終わり、いつも通りカフェオレを前にした「語らい」の時間がやってきた。
ミュウとアプリリア先生が、互いをよく知るためにはじめた「語らい」の時間も、もう一年以上になる。
昔し話などは、もうとうに一段落ついているので、今はエファの授業の話しや、ミュウの自習のすすみ具合などなど、魔女修行の勉強などの話しと、雑談や世間話が半分半分だった。
「……それで、便せんを買って、パーシはその学生さんと本当に、文通を始めるみたいです」
「手紙に自分の名前と住所を書き忘れるような人と?」
アプリリア先生は苦笑をした。
「はい。アプリリア先生に教えて貰ったおまじないで、名前と住む場所がついにわかったんです」
「そう。それはよかったわ。ま、確かに、字体と、あのアルビオン仕込みの頭の固い彗星の運行計算式、この二つだけ見る限りでは、悪い人ではないことはわかるけど。少し頭のネジの締め方が怪しいタイプかもしれないわ」
ミュウは言葉に詰まった。
パーシが受け取ったあの手紙の文字は、まるでタイプライターで打ったかのように、整然と並んでいた。
目の前のアプリリア先生も恐ろしく綺麗な字を書くけど、それは一つのリズムで流れるような美しさであって、堅さというものがない。でも、あの字体は綺麗ではあったけど、少しやりすぎのような気がした。
しかも、ご丁寧に彗星の運行計算式が書かれた紙を手紙として送るなんて、確かに、普通じゃない、そんな気がした。
「それでも、パーシに、男友達ができるのはいいことね」
「先生」
頬を真っ赤にしたミュウの声を微笑みで受けながら、
「パーシにさかなのほね町の狭い付き合いだけではなく、外の世界、しかも異国の知り合いができるなんて、素晴らしいことじゃない」
「それは、そうですけど」
「ところで、ミュウ。あなた、ビンセントとはその後どうなの?」
アプリリア先生の何気ない反撃に、
「先生」
ミュウは顔に熱を感じながら、目を閉じて大声を上げていた。
冒険家ビンセント・ブラック。
ミュウの胸の奥から頭のてっぺんまで熱くしてしまう人は、世界一周の冒険旅行の途中。
今は、ちょうど風向台とよばれるこの世界の反対側の国にいる。
冒険旅行の最初の難関だった「竜のはらいそ」を通過したときのことを書いた手紙は、それこそミュウの大切な宝物で、毎日、寝る前に読んでいる。
そのことを実はアプリリア先生は知っているのかもしれない、とミュウは思った。
「冗談よ。ところで、ビューエルはちゃんと出かけたの?」
「え? あ」
ミュウはビューエルのことを思い出した。
でも、今ビューエルのことを思うのは、少しだけ複雑。
ビューエルはビンセントの許嫁なのだ。ただし、祖父母が勝手に決めた、と言う条件付きの。
「ちゃんとみんなで、見送りました」
「そう」
ミュウは、落ち着かない気分を紛らわせるかのように、昼間のことを思い出していた。
◇ ◇ ◇
ミュウは、いつものように授業を受けるため、エファが施療所を開いている鐘楼の丘の鐘楼の扉を叩いた。
「ミュウです」
「どうぞ、開いてますよ」
いつものエファの声だったけど、ミュウは少し違和感を覚えた。いつもならエファかエファのお供のペトロニウスが扉まで出迎えてくれることの方が多いから。
ドアを開けてはいると。
ミュウは、体を硬くした。
空気が違った。
いつもの見慣れた、エファが施療所兼居間として使っている部屋に、エファ、パーシ、の他に、見慣れない二人の魔女がいた。
二人とも黒いローブを着ていて、それぞれ黒髪と白髪の髪を金の細工物できつく後ろの方で纏め上げている。
一人は、アプリリア先生くらいの若い魔女。もう一人は、オオババさまより若いけど年とった魔女だった。
二人の持つそれぞれの印象から、ミュウは、二人を厳しい学校の先生と、優しい校長先生みたいだと思った。
「こんにちは魔女様方」
ミュウは少し緊張していたけど、先に挨拶できたことに、少しだけ安堵した。アプリリア先生に、見知らぬ魔女と出会ったら、最初に挨拶できないと負け、と躾けられているのだ。
年老いた魔女は柔らかく表情を崩し、
「こんにちは。私は、カイトス。この者は」
「アルゲジ」
と若い魔女は答えた。
「私は、アプリリアの弟子のミュウです」
ミュウの答えに、年老いた魔女カイトスさんは小さくうなずき、
「さすがは、東のくちばし地方の束ねの魔女の弟子ですね。賢明さが伝わってきます」
「今の東のくちばしの束ねの魔女は、それはそれは恐ろしい人ですから」
とエファ。
「さて、お話しの続きですが、よろしいですか?」
カイトスさんの言葉に、
エファは、微笑みを崩さず、
「おそらく話すことは少ないと思います。本人がもうすぐ到着しますから」
「それは、それは」
「ミュウ、いつまでもそこに立っているつもりですか?」
「え? あ」
ミュウは、二人の魔女の会話に夢中になって、その場に立ったままだった。ミュウはいつもの席ではなく、窓際のベンチに座っているパーシの横に空いている席を見つけて座った。
ミュウには、今、何が起きているのか、まったく分からなかった。ただ、二人の魔女、カイトスさんとアルゲジさんがお茶を飲みに来たのではないことだけは確かだった。
冬の朝のような凛とした空気が流れている。
パーシに小さな声で訊こうか、と思って顔を上げた瞬間。
ドアノッカーが鳴らされ、
「ビューよ」
と言う声と共にビューエルが入ってきた。
「では、打ち合わせどおりに」
エファの微笑みに、カイトスさんは小さくうなずいた。
ミュウは少しだけ、イヤな予感がした。
「え? 何? 誰? お客様? え? あ。どうも、どうも。東のくちばしのビューことビューエルよ」
「こんにちは、ビューエルさん。私はカイトスこの者は」
「アルゲジ」
アルゲジの顔が少し強ばっている。
それだけで、ミュウは、アルゲジという魔女が、アプリリア先生のように行儀や作法にうるさいタイプである魔女だとわかった。
もし、ミュウがアプリリア先生の目の前で、今のビューエルのような振る舞いをしたら、多分アプリリア先生は一生口を聞いてくれないかもしれない。そんな気がする。
「実は、私共はこのお守りを海岸で拾いまして」
カイトスさんは、大切なものを扱うようにして、白いハンカチに包まれた丸いメダルを出した。
一ヶ月前、あの烏帽子岩で、瓶越しに見たお守りと同じものだった。
ビューエルが作ったお守り。
「え? どうして? そんなものを海岸で拾ったりするの?」
「瓶詰めの手紙をやりましたよね。一ヶ月ほど前」
とエファ。
「あ? そうだったけ? 思い出せないわ」
ビューエルはカイトスさんに歩み寄り、メダルを手に取った。
ミュウには理由が分からなかったけど、突然、部屋中の空気が、まるで冬の夜のように冴えたような気がした。
ミュウには気がつけない一瞬、アルゲジさんが小さく身構え、カイトスさんが強い視線をアルゲジさんに向けたのだ。
「うん、でも、それはビューが作ったお守りね。間違いないわ」
ビューエルは、アルゲジさんやカイトスさんに全く気づいた様子もなく。腕組みをし、記憶を探るようにコロコロ表情を変えたけど、本当に思い出せないようだった。
「ということは、カイトスさんは、ラッキーな人ってわけね」
ビューエルは人差し指を立てた。
「ラッキー? ラッキーとは?」
「だって、ビューのお守りを拾ったのよ。それをラッキーと言わないで何というの?」
カイトスさんの顔に迷いがでて、エファの方をちらりと見る。
「ビューエル。実はカイトスさん達は遠路はるばるビューエルの腕を見込んで来られたんです。そうですよね」
「はい」
とうなずくカイトスさん。
「え? ビューの腕って? 何? まさか、私のお守りの技のこと? ま、当然よね。東のくちばしで、ビューを越えるのは正直、オオババさまくらいだもの」
「そう、そのビューエルの腕を見込んで、ビューエルにしかできないことを頼みに、この二人は、遠くから来られたのですよ」
「ふーん」
ビューエルは胸を反らした。
「ビューエル、困っているカイトスさん達に協力してはいただけませんか?」
「わかったわ。協力する」
「本当ですか?」
カイトスさんは目を丸くした。
「ビューに二言はないもの。大丈夫、任せなさいって。大船に乗った気でいなさいって」
ビューエルはカイトスさんの背中を叩いた。
その横で、ミュウがハラハラしてしまうほど、アルゲジさんの顔が引きつっている。
「分かりました。では、束ねの魔女への挨拶も含めて、明日にでも出発しましょう」
「明日? 出発? 明日なんて言わずに今から行っちゃっって、ちゃっちゃと終わらせましょうよ。それにね、人造人間(アプリリア先生のこと)に挨拶なんていらないんだから」
「人造人間?」
「ビューエルは、アプリリア先生のことをそう呼んでいるのです」
ミュウは、自分でも分からなかったけど、なぜか頬を真っ赤にして言った。
「本当ですか。助かります」
カイトスはビューエルの手を包み込むように取った。
「そんなに感謝されたら、照れるじゃないの。で、ビューはどこに行けばいいの?」
「私たちと王の道に来て欲しいのです」
「オウノミチ? どこ? それ?」
「南に一〇〇〇リーグ下ったところです」
「せ、千、一〇〇〇ですって」
ビューエルの顔が次第に青ざめてゆく。
「ビューエルは、二言はないと言いましたよね」
「う、エファ~。ハメたわね」
「仕方ないことです。海に強い魔法の品を流すから、その力を必要とする魔女たちを引き寄せてしまったのです」
「むぅ」ビューエルは唸った。
「って、ビュー何をやらせるっての」
ビューエルは、小さな女の子が拗ねかのように言った。
「アルゲジ、箱を」
カイトスさんは、アルゲジさんに小さな箱を出させた。指輪の箱くらいの大きさの銀の光を帯びた箱。表面には、細かなレリーフがなされていた。
「開けてもよろしいですか?」とカイトスさんは一度エファに確認してから、慎重にその箱を開ける。
エファの家の居間にいたはずなのに。ミュウの目の前に、宝石を溶かし込んだような青い空が広がった。
丸く切り取ったかのように、空と交わるところまで周囲は一面の砂、砂、砂。砂ばかり。
地平線まで広がる広大な砂漠の真ん中だった。
でも、何も遮る物がないように思えた砂漠に、陽炎に霞む線が見える。
最初、砂にペンが突き刺さっているように見えた。
パーシが息を呑む声が、間近で聞こえる。
ミュウは口を大きく開けたまま、息をすることすら忘れた。
巨大な錆びと鋼と鉄の塊。
斜めに煙突を向けたまま沈黙している、鉄でできた工場のようにも見えた。
ミュウの背せよりもはるかに巨大な車輪が、十や二十ではきかない数がならび、工場のような建物を支えている。
煙突に見えたのは朽ちた大砲だった。
「魔女と人間の最も愚かなモニュメントですね」
エファの冷静な声が響くと、ミュウ達はさっきまでの通りに居間にいた。目の前の鋼や砂漠は、もう嘘のように消えてなくなっている。
「はい。すべてを砂に帰すまでには、あと千年はかかると言われていますが。今、私たちの前に立ちふさがった問題を解決するのに、ビューエルさんの力が必要なのです」
カイトスさんは、箱をアルゲジさんに渡した。
「ちょ、ちょ、ちょちょっと待ちなさいよ。ビューをあんなとこへ連れて行く気?」
もう泣きそうな声になっているビューエルに、エファが、
「大丈夫ですよビューエル。十日だけ、作業に加わわるだけで良いんですから」
「……あれは何だったのですか」
パーシは手を挙げることも忘れ、口元で呟くように言った。
「遥かな昔、それは本当に遥かな気が遠くなるほどの昔。ある魔女が、自分が最も愛した竜を殺そうとした。世界で最も力を誇る王を焚きつけて、愛する竜を殺すために作らせた、竜を殺すためのもの」
エファは目を閉じて胸の奥から湧き起こる言葉を口にするかのように言った。
◇ ◇ ◇
「ミュウ?」
ミュウは自分の名前を呼ぶ、アプリリア先生の声で記憶の世界から、夕食後のお茶のテーブルへと戻ってきた。
「はい?」
「また考え事?」
「え? いえ、その」
「ま、いいわ。昼間、すごい物を見せられたようだから。ところで、あなたは何を瓶に入れて流したの?」
「ハンカチです」
「そう」
アプリリア先生は微笑み大きくうなずいた。
「まだ、返事がこなくって」
ミュウは、アプリリア先生のあのハンカチと同じパッチワークのハンカチを作り、それを瓶に詰めた。
プレゼントについてあれこれ悩んだものの、自分が欲しいものを貰えば、きっと会ったこともない誰かも喜んでくれる、と思ったのだ。大急ぎでハンカチを仕上げて、今のミュウのことや、将来の夢のことを書いた手紙と一緒に流した。
もし、仮に瓶をハンカチを使わない男の人が拾っても、身近な女の人にハンカチを渡してもらえれば、絶対に満足する、そう考えていた。
「その返事は、早々には帰ってこないわよ」
「え?」
アプリリア先生はハンカチを机の上に出して見せた。
あのパッチワークのハンカチ。
「このハンカチは、私がたまごの頃に作ったものなの。私の師匠であるオババさまのハンカチを模してね。元にしたハンカチは、もっと素敵なデザインとテクニックでできていたけど、私の腕とセンスではこれが精一杯だった。ビューエルはもう少しだけ上手く作ったかな」
「え? それってどういうことなのですか?」
「わからない? 私がたまごの頃にも、瓶詰めの手紙を出す授業があって、私はこのハンカチを入れて流したの。一緒に授業を受けていたビューエルもそう。オババ様もたまごの頃、師匠のハンカチを模してハンカチをつくって、それを瓶詰めにして流したと言うわ。その前の偉大な師匠もまたそう」
「え? それじゃ」
「みんな自分で拾うのよ。自分で流した瓶を。そして自分が欲しかったはずの自分で作ったハンカチをプレゼントされるの。たまごではなく一人前の魔女になったと自然に思えた頃にね」
ミュウは、様々な時代の魔女が瓶を拾う姿が見えたような気がした。
瓶詰めにされた、かつて、自分が魔女のたまごだった頃に作ったハンカチを拾う姿。
時代をどんどん駆けてゆき、とうとう、オババ様の家の暖炉に飾られた写真でしか知らない、若いオババ様が拾う番になり。今と変わらないアプリリア先生が砂浜で瓶を拾う姿が見え。一ヶ月前、ミュウが海に投じたあのガラス瓶のところでとまる。
「先生はいつ拾ったんですか?」
「ミュウが弟子になってからかしら。ミュウが拾えるのはいつのことかしら」
「え?」
ミュウは何かまずいものを食べたような顔になった。アプリリア先生ですら、つい最近になって拾えた自分の瓶を、いつになったら拾えるのか? 考えただけで頭が痛くなりそうだった。
「気を落とさないで、いつかは必ず拾えるのだから」
「はい。あの、手紙にはなんて書いたんですか?」
「ミュウの書いた手紙と同じじゃないかしら。今となっては懐かしいことや、恥ずかしいこと。でも、たまごの頃の真摯な想いが書かれていたわ」
おしまい
ミュウと瓶詰めの手紙