灰色の仮面
ケチャップを混ぜて。休んで、混ぜて、少し外の空気を吸って。ケチャップを混ぜて、携帯を弄って、混ぜて、憧れのあの子の事をふと思い返して、ケチャップを混ぜるのを辞めた。午前4時のアラームが鳴る。どんなにヘラペコでも起き上がらない時間帯、外の空気は冷やされ純潔の匂いがある。それで僕はケチャップにソースを混ぜていない事に気づいた。僕はただ赤くて少々の粘り気のある液体をただただアホの様に混ぜていた。その事実にイヤになった。それで気分転換にラジオのスイッチを捻った。砂を噛み締めた音と共にラジオは朝早くからニュースを喋っている。僕は椅子に座ってテーブルに置いてある透明のコップに入っている緑茶を飲んだ。
『昨夜、大聖堂に赤いペンキで落書きが見つかったと職員からの通報で分かりました。これによって赤いペンキで落書きされた件数は合計で42件となり、警察は同じ者による犯行とみて捜査している……』
「落書きね……」
僕はそう言って緑茶が入ったコップを台所で流し、便所で用を足してから寝床に行った。
「これからカラオケでさ、歌いながらレポートの課題をやろーぜって話があるんだけど、お前も行くだろ?」
講義が終わった後、同じ班の眼鏡学生が言った。
「絶対、集中できないよね」
僕は反論した。
「逆に集中できると思うんだが」
「カラオケの方にな」
「いいじゃん。いこーぜ」
「イヤだ」
「X子も来るぞ」
僕は一瞬止まってから「イヤ、行かない」と行った。
「一瞬止まったぞお前。絶対来たほうがいいだろ。なに強がってるんだ」
「面倒だ」
「ばーか。それを強がっているんだと言うんだ」
「強がっていない」
「X子さん。今日は放送サークルは休みって言うから、誘ったんだぞ」
「知るかよ」
「嘘つけ。構内のラジオ放送でX子さんが話しているのお前、聞いているだろ」
「うるさい」
眼鏡学生はそう言ってから「とりあえず、あのコンビニの近くのカラオケ屋だからな、時間は18時からだ。絶対的に来いよ」と命令口調で言い放ち学食の方へと歩いて行った。僕は反論もせず、眼鏡学生の背中を数秒見た後に自分のアパートへと向かった。ママチャリにまたがってアスファルトの上を走っていると後ろのタイヤに違和感を感じた振り返って見ると小さな釘が刺さっていた。僕はママチャリから降りて髪の毛をガシガシと掻いた。
「押して帰るのめんどくさいな」
「パンクしたの?」
僕は声の先を見た。目の前にX子さんがいた。
「小さな釘が刺さっているんだ。僕からすると小さい釘で7人の小人からすると丁度いいサイズで親指姫からすると全てがデカい。そんな感じの釘が刺さっていた」
「つまりパンクした。と言うのね」
「パンクした」
僕は答えた。
するとX子さんは指を道路の反対方向に指した。
「何?」
「私、喉が乾いたの」
「ふうん」
僕はX子さんが指す方向を見た。青い自動販売機があった。
「今日、暑いじゃない」
「そうかな。僕には程度の良い気温なんだけど」
「私に奢ってくれない?」
「なんで? イヤだよ」
僕は答えた。そうしたらX子さんは不思議そうな表情を浮かべて「貴方、おかしいんじゃない? 私に飲み物を奢らないなんて? マジで男性なのかしら。貴方みたいな奴、初めてよ」と言った。
「僕は今先月、購入したばかりのママチャリが逝かれたんだ。で、それなりに落ち込んでいる。そこに、いきなり見ず知らずの女が現れて缶コーヒーだのウーロン茶だの、ミネラルウォーターだの奢れだとせがむ。誰だってイヤだと返答するだろ」
X子は笑った。
「そんなに細かく注文していないわ」続いて、さも当たり前の表情で「私って可愛いでしょ? 普通なら黙っていても何かモノを持ってくるの。男がね。私が直接、頼んだらみんな喜んで買ってくるわ」
「へえ。まるで現代のお姫様だね。それなら他の男に頼むんだな。こんな日でも『ホット』の飲みものが飲みたいと言えば、この市内を探し回って買ってくるさ」
僕はそう述べてパンクしたてのママチャリを押して歩いた。だがX子は僕の横に立って歩いた。
「なんでついてくる」
「私のアパートが此処の方向だからよ」
「どうして家に帰る? 君はこれからカラオケボックスに行ってレポート課題でもやるんだろ?」
「あら。それは貴方も一緒でしょ? どうして家に帰ろうとしているのよ」
僕は疑問の声で「僕がカラオケボックスに誘われている事を誰から聞いた」と言うとX子はニンマリと微笑んで「だって私が貴方を誘って欲しいと頼んだからよ」と言った。
「私的には貴方のアパートで課題をしたかったんだけど」
「死んでもイヤだね」
僕はアパートの近くの本屋に立ち寄った。その本屋の中にはカフェがあって学生がポツポツと自習をしていたり、主婦らしき人が本を読んでいた。僕は丸いテーブルに鞄を置いてコーヒーに6カップ分の砂糖を入れて飲んでいた。目の前にはニコニコと笑うX子がいた。教授が指定した本を開いて赤いペンで斜線を入れているがX子が僕の顔を見つめ続けるから僕は苛立ってきた。
「集中できない」
「私も」
僕はコーヒーを飲んで立ち上がった。鞄を丸いテーブルに置いたままにして財布と携帯はポケットに入れてカフェから出た。
「どこに行くのよ」
「君のせいでやる気が失せたから適当に本でも買って帰る事にしたんだ」
「人のせいは良くないわよ」
「うるさい」
僕は適当に店内をぶらぶらと歩きながら科学雑誌でも買おうと見ていたが、どうもしっくりくる内容のものはなかった。それで小説コーナーに歩いて進んだ。X子は相変わらず僕について歩いていた。新作と書かれた小説を手に取った。ペラペラとページを捲って元の場所に戻した。
「私、夏目漱石好きよ」
僕は振り返った。X子は続けて「読みやすいでしょ?」と言った。
「そうかな?」
僕は答えた。
「そうよ」
「こころとか、昔読んだけど、良かったわ」
X子は真面目な顔で言った。
「意外だね。君が小説なんて読むのか」
「有名人でしょ? 読んでいて当たり前だわ」
「ふうん」と僕は言って「僕は小説はあまり読まないから知らないな。読んで為になるとも思えない」と話した。
「別に為にならなくてもいいじゃない」
「どうして? そうも思う」
「料理みたいなものよ」
「料理?」
「エネルギーを得るなら、全部同じ味でもいいけど。そんなのつまらないでしょ。どうせなら美味しくて色んな種類の味を食べたいわ。それと同じものよ」
僕はまた「ふうん」と答えて目の前にあった本を取った。
「河童。これはどうかな?」
僕はX子に聞いた。
「芥川龍之介で1番好きよ」と言った。
僕は答えた「多分、3ページ読んで終わりだな」
「そんなもんよ」
X子は答えた。
僕はカフェに戻って鞄を取りお店から出た。後ろからX子がついてきていた。
「もう帰ろよ」
「いいじゃない。貴方のアパートにお邪魔させて」
「イヤだね」
僕は答えた。
「どうしてそんな事が言えるのかしら? 貴方、私の事が好きじゃないの?」
X子は不思議そうな声で言った。
「好きなのは顔の造形だけさ。性格は嫌いだ。いいから帰ってくれ」
「貴方って正直な性格すぎるわよ」
「嘘つきよりはましさ」
僕はママチャリを押して歩こうとした時、X子が「最近立て続けに起きている事件あるでしょ? 赤いペンキで落書きして回っているやつ。私、その犯人を追っているの」と言った。
唐突に話が変わる。僕はX子の方を振り返った。
「なんだって?」
「だから、最近流行りの事件。赤い落書き」
「探偵ごっこでもしているのか」
X子はふふと笑ってから「そうよ。私、名探偵ごっこしてるの」と言った。
「『名』は必要ないだろ」
X子は僕のツッコミを無視して話しを続けた。
「私、赤い落書きの画像をネットで探して集めていてね。落書きを私なりに調べていくと全てがこれから起きる予定を書いていた。で、実際に起きている」
「それで。次に起きることを止めたりしようとか思っている。とか、言うのか?」
「違うわ」
「じゃ。何さ」
「その落書きにはサインが書いてある。もちろん、見た目は違うけど、意味は同じ。そしてそのサインだけはケチャップが使われている。数日すればそこだけが消えてなくなる。そんなふうに犯人はサインを施しているの」
僕はX子の言葉を聞いて答えた。
「どうして、僕にそんな話をするんだ?」
「貴方が犯人だと私は知っているから」
僕はため息を吐いた。
「目撃者はみんな赤い仮面を着けていた。と、言っているわ。監視カメラにも犯人は赤い仮面を着けているのが写っている。それにね犯人は常に1人で行動している。これもカメラに写っているわ。ねえ貴方、昨日起きた事件は知っているかしら」
「大聖堂で落書きがあったんだろ」
「そうよ。ニュースでも流れていたわね。今回はオニオンの形をした落書きって」
「まあ、そんな感じで何層もある線を引いてあったからオニオンの形って……」
僕がそう言うとX子さんはクスクスと笑って「どうして貴方、それを知っているのかしら?」と言った。
僕は普通の表情で「今朝のラジオで聞いた」と答えた。
「ラジオですって? ラジオでそんなもの放送していないわ」
僕は「は?」と言う。
「だって大聖堂の落書きはまだ何処にも公表されていないですし」
僕は思わず息が詰まった声を出した。
「何を言っているんだ」
「大聖堂のヒトには前もって警察に相談するのは止めさせているの。私がある程度、目星を着けた施設には廻って話していたの」
「嘘だ。僕は確かに今日の朝、確かにラジオで聞いた。大聖堂の落書きについて」
「貴方、私が学内で放送しているチャンネルのままでラジオを聞いていたでしょ? 私の声よあれ」
僕は少し沈黙してから言った。
「君が勝手にラジオに向かって落書きのニュースを読んだからだろ。そんな事をすれば誰だってニュースの内容は分かる」
「でも私、貴方にラジオの話で落書きの内容まで詳しく言ってないわ。どうしてオニオンの落書きで何層まで描いてある落書きって分かったのかしら?」
僕は目の前に立っているX子に対して恐怖を感じた。
「おいおい、そこまでやるか? ふつー」
「認めるのね」
「ああ。確かに僕が落書きをしていた。でも訂正していいか?」
X子は言った。
「どうぞ」
「僕は今まで、赤いペンキなんて使った事はない。赤い仮面もした事はない」
X子は「え?」と言った。
「僕は灰色の落書きをしていた。灰色の仮面を着けていた。まあ仮面と言ってもケチャップを顔に塗っていただけだけど、うん。君がさっきから言っている赤とはなんなのか僕には疑問だった。でもまあ。しかし、どうして君はそこまでして犯人を追いかけてたんだ?」
X子は静かに口を動かす「42件の落書きの後、必ず、殺人事件が起きているわ。その15件目の時、私の親友が刺殺されている……。貴方に聞きたかった。貴方は何を意図として落書きをしているの?」
僕は快く答えた。
「うん、それなんだけど。あと一人、共犯がいるんだけど、そのヒトがイメージして僕はただトレースしているだけなんだ。あと、ケチャップは灰色だよな」
灰色の仮面