幻想の映画館


「あの森の奥には古い映画館があって、そこに入ると不思議な夢を見るんだって」
 ある日、騒がしい教室の中でそんな話が聞こえた。聞こえた、というのは、僕が誰かと話していたわけではなく、誰かが話していたのが偶然耳に入ってきただけだからだ。
 高校に入学してから一ヵ月が経つが、僕にはいまだ友人と呼べる相手がいない。クラスではある程度グループも固まり始め、また引っ込み思案な僕はクラスメイトに話しかけることもできず、どうやら孤立しつつあるようだ。しかし、僕は焦りも不安も感じていなかった。友達がいないということは、それだけ思考のリソースを自分に費やすことができ、時間を自分のためだけに使い、自由気ままな学校生活を送れるということである。
 そう、友達なんて必要ない。友達なんて。
 ところで、さっきの話に戻ろう。誰かの不思議体験話のことだ。この話には、おかしな点が二つある。まず、あの森には子供の頃からよく行っていたが、映画館なんて一度も見たことがない。二つ目に、仮に映画館があったとしよう。そしてその不思議な出来事を体験した人が本当にいたとして、夢を見たということは、その人物は森の奥の古びた映画館で眠ったということになる。そんな不気味なところで寝ることができるとは、相当な神経をお持ちのようだ。いや、普通そんな人いないだろ。
ともかく、信憑性の無い噂だと思った。

 しかし、その日の放課後。
 僕は学校が終わると家ではなくなぜか町外れの森にいた。別にあの噂話を信じているというわけではないが、いつのまにかここに足が向いていたのだ。つくづく人間の好奇心というものは理不尽だね。
 久方ぶりに訪れたこの森は、僕の記憶に残っている森とさほど変わらない。薄暗く、草木が茂っていて、名も知らない鳥の鳴き声が響いている。
 適当に歩いていると、木と木の間隔がだんだん狭くなってくる。僕の背丈ほども伸びた草を掻き分け、奥へ奥へと進んでいくと、突然、視界が広がった。
 そこにはずいぶんと老朽化した建物があった。
「本当にあったのか……」
 ふと、声を漏らす。
 その建物はあまり大きくなく、壁には植物の蔓が無数に伸びている。窓は割れていて、入口にもガラスが散乱していた。ガシャガシャとその破片を踏みながら、僕は建物に入っていく。
 少し広いロビーにも植物は侵食しており、不気味な雰囲気が漂っていた。床には砂や枯れ葉が積もっている。そのまま真っ直ぐ進むと、少し細い通路に入った。すぐ右に扉があったので引いてみると、ギギギ…と鈍い音を立て、砂埃を巻き上げながら扉は開いた。
 そこはシアターだった。
 前方には大きな(とはいえ、通常の映画館よりは格段に小さな)スクリーン。僕がいる後方の扉からスクリーンまでの間には、入り口からここまでの荒れ様からは考えられないほど綺麗な座席が百席ほど並んでいる。
「本当に、映画館なんだな……。それにしても、どうしてここだけこんなに綺麗なんだろう……?」
ふと感じた疑問を口にするが、もちろん答える者はいない。
座席の間の通路を歩き、スクリーンの前へと向かうと、なぜだろう。唐突に眠気が襲ってきた。
その直後、スクリーンに何かが映った。あれは……。
 視界が、まるで霧がかかったかのようにぼんやりとしてきた。だんだんと身体が重くなり、僕は膝から崩れ落ちる。そして、僕の意識はブラックアウトした。

ここは夢の中の世界だ。そうはっきりと認識できる。
 夢の中で、僕は友達と談笑していた。他愛もない会話で一喜一憂し、好きな漫画の話や昨夜見たテレビの話、面白かった出来事などを話しては盛り上がっている。
 そして僕は思い出したのだ。友達といる楽しさを。

「はっ……」
 目が覚めると、僕は森の中で寝ころんでいた。あたりを見回すが、映画館らしき建物はどこにも無い。空は赤く染まっており、カラスが何羽か鳴きながら羽ばたいていった。
 さっきまでのは、何だったのだろうか。全て夢?
 しかし、こんなところで寝るほど僕は図太くはないはずだ。ならば、あの噂が本物だったということなのだろうか。そもそも、考えてみれば最初からおかしなことばかりだった。あんなに騒がしい教室で、この話だけはなぜかはっきりと聞き取れたこと。まるでこのシアターに引き寄せられるかのように足が動いたこと。そして、スクリーンに映ったもの。
あれは、僕だった。すぐに朦朧としたのであまり長くは見ていなかったが、見間違えようもない。僕だ。
もしかすると、この幻想の映画館は人の心を映し出し、心の奥底で欲しがっていたものを夢という映像で教えてくれるのかもしれない。
あの映画館は、不思議な夢で僕に友達といる楽しさを思い出させてくれたのだ。
僕は決意した。
――明日は、クラスの人に話しかけてみよう。

幻想の映画館

幻想の映画館

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-04-30

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