青い仮面
もしも、もしもです。地球が宇宙内で溶けたバターみたいに水平を描いて線状であるなら、端っこと端っこの貴方と私は決して出会わなかったでしょう。だって遠いじゃないですか、とても……。星々がキャッキャッと笑っている声もお互い別々の場所で聞いても、ちっともロマンチックじゃないですよね。つまり、この星って、丸くて正解なんです。
授業中、僕は天井を見ていた。吸音板の虫食いの天井は時たま人の顔やアニメのキャラクターの表情を映すからだ。退屈しのぎにそれをボーと見つめているが、全然面白くなかった。こんな時、10世代前の乾電池で動くポーダブルゲームをやると革新的な楽しさを感じるだろう。そんなふうに考えながら僕はふと隣の生徒を見た。背の低い女生徒であった。彼女は黙々と黒板に書いてある文字をノートに書き写している。真面目であるが確か、勉強ができる生徒ではなかった筈だ。それでも一生懸命に勉強をするなんて偉いじゃなか。と、勝手に納得して敬意を表した。すると女生徒が僕の方をチラリと見た。少し恥ずかしそうな表情を作り平常心を取り戻す為に再びノートに向かった。そう言えばこの女生徒名前って何だっけ? 思い出そうとするが苗字の始めの発音も出てこない。それで諦めて僕も真面目に教師の話しを聞くことにした。教師は偉そうな口調で『it』と言っていた。
授業が終わり僕は背伸びをしてから隣に座っていた女生徒に声をかけた。
「ごめん。君の名前って何だっけ? 思い出せない」
僕の問いに女生徒は「え?」と軽く言い、また恥ずかしそうにモジモジとしながら「なんでそんなの聞くの?」と言った。
「思い出せないから気になっているんだ」
「思い出してどうするの? 私の名前を知って何か良い事でもあるの?」
「良い事は特にないけど、ただ、不思議と思い出せない事が不愉快なんだ。僕の感覚で言うと、プリンのカスタードの部分の色が思い出せない感じなんだ。うん。ド忘れとはまた違う。まるで、君の存在をほんの数分前に知ったような……。何故ならこのクラスに移ってからもう半年は過ぎている。それなのにボンヤリとも君の苗字の影さえ思い浮かぶないんだ。これは一種の怪奇現象だね」
「あっそ。よかったわね」
女生徒は少しムッとした顔で言った。それから机の引き出しから教科書を取り出して歩き出した。僕はその背中を追う。すると長髪の女生徒が僕が追う背の低い女生徒に近づいて「ねえ、青村さん、次って移動教室だっけ」
「そうだよ」
僕はこのやり取りを聞いていたが、どうも背の低い女性の名前が青村だとは思えなかった。教室を移動して理科室の入り教師が点呼を取って「野中!」と呼んだ。すると背の低い女生徒は「はい」と返事をした。僕はもちろん疑問に思った。教師が間違えるわけはない。それに加えて理科室にいる生徒たちもなんの反応もない。背の低い女生徒の本名は野中なのか? と僕は考えたがやはり何処かしっくりとこなかったので僕は再び背の低い女生徒の本当の名前を知ろうと思った。生物の授業が終わり教室を出て廊下を歩いていると不良のクラスメイトが背の低い女生徒に「松村! 俺の宿題やってくれ!」と言った。それに対して背の低い女生徒はとても困った表情を作った。すると近くにいた体育会系女生徒が近づいて来て「ちょっと、姫路さんが困っているでしょう! 自分の宿題くらい、自分でやりなさいよ!」と言った。
僕はこの後も背の低い女生徒を追ってこの様な光景を見た。流石にこれは、おかしいと思った。一体なんなのだ? 背の低い女生徒も何かの反応を示せばいいし、廻りの奴らも名前に対して疑問を持ち突っ込みはしない。それで僕は放課後背の低い女生徒の腕を掴んで誰もいない音楽室に連れ込んで問伏せる事にした。
「や、やめて下さい。いきなり何ですか? 授業が終わると同時に私の腕を掴んでこんな教室に連れ込むなんて、クラスメイト、全員が唖然としていましたよ」
息を強く呼吸する背の低い女生徒に対して僕は力強く言った。
「君の名前はなんだ!」
「ひっ!」
背の低い女生徒は怖そうに怯えた。
「今日、一日中君を観察していたが、みな、君の名前を『知らない』。それに対して君もなんの反論も示さない。僕は知りたい。君の本当の名を。さあ。教えてくれ」
「どうして?」
「うん?」
「どうして、それほど私の名前を知りたがるんです?」
背の低い女生徒は泣きそうな声で言った。
「人には名前があるからだ。じゃないと君の名を呼べないじゃないか」
僕は真っ直ぐに目を見て言った。
すると背の低い女生徒は「なんでもいいじゃん」と言った。
「良くはない」
僕は言った。
背の低い女生徒はため息を吐いて言った。
「もしも、もしもです。地球が宇宙内で溶けたバターみたいに水平を描いて線状であるなら……」
その言葉は背の低い女生徒が真剣な眼差しで僕に対して生まれて初めて言った質問だった。だから僕も真面目に言った。
「ああ、僕ら出会わなかっただろう。地球が丸くて良かったな」
背の低い女生徒は僕の言葉を聞いて、とても嬉しそうにケラケラと笑った。お腹を抱えて笑い続けた。僕は呆然と見ていた。
「何が面白いんだ」
「私、後、6万年後辺りで土星人か木星人かの彼氏作って結婚しようと思っていたんだ。だって、それくらいの件でしか私の脳みそと連結する奴はいないとずっと考えていたから。それでさあ。ぼっちいズボンのポケットの底に詰まったカスよりどうでもいい思考を巡らせる貴方って木星人なの?」
僕は目の前で楽しそうに笑いながら話す背の低い女生徒に対して「さあな」と適当に言った。
それから2人は青い仮面を被り、永久に、ごく普通に幸せに過ごしましたとさ。名前はplayer1。
青い仮面