空に奏でる君は

一ノ瀬 水々

  1. 放課後
  2. 再びの下校
  3. 紡ぐ言葉は神の使い
  4. わかれるほうこう
  5. 揺れる、止まる、心
  6. 穏やかに動き出す運命
  7. 雨の降る夜、君を呼ぶ声
  8. 声を聴かせて
  9. 旅立つ君、いつか旅立つ僕
  10. あの日を綴る夜想曲

放課後

「おいシュンペー、今日こそ行くべ魔女屋敷」
大きな声が放課後の田んぼの道によく響いた。こっちを見るその目はまるで冒険にでも出かけるかのようにキラキラと輝いている。
「行かねって、シロ一人で行けばええさ」
 シロこと、源田大志郎は小学校の成績は良くないものの、スポーツ万能でクラスのムードメーカー的な存在だ。幼なじみの僕はそんなシロの行動力にいつも付き合わされて大変だ。
「つまんねぇこと言ってんで、とりあえず魔女屋敷ん前まで行くべーよ」
 ああ、いつもこうだ。シロは無邪気に笑いながら、返事もしていない僕の背中をぐいぐい押して連れていくのだった。


「ほんとに行くんか、シロ」
「おうよ・・・おうよ・・・」
 さっきまで隣で騒がしかった威勢はどこへやら、シロは完全に怯えた表情になっている。それもそのはず、さっきから話していた魔女屋敷を目の前にすると大人だって震え上がるのだ。そもそも魔女屋敷という呼び名も、そのおどろおどろしい見た目のせいで付けられたのだ。実際は詞籠(しこめ)薬草堂という店らしいけど、だれもその名前を呼ばずに魔女屋敷と呼ぶ。なぜなら・・・
「そんなに怖いんならやめとくべさ、諦めろシロ」
 少し意地悪な言い方でシロの顔を覗き込んだ。シロは毎回こうなのだ、最初は威勢よく乗り込むだのなんだの言ってはみるものの、最後は諦めて帰る。この魔女屋敷は僕らの生保内小学校では有名な肝試しスポットになっていて、未だかつて中にまで入れた生徒はいないらしい。目立ちたがり屋なシロはそんな魔女屋敷に乗り込んでクラスの人気をさらに高めたいのだろう。
「ここでやらんで帰れねべや、俺はいぐど!」
 勇気を奮い起こしてシロはズルズルと魔女屋敷に近づいていく。そして重々しい木製の引き戸に手をかけようとした時だった。
 ぞぞぞ、とゆっくり引き戸が開いた。
「あうあう・・・」
 シロが声を失って立ち尽くしている。それもそのはず、引き戸の隙間から覗く魔女屋敷の中には、魔女がいた。
「ずぅいぶん騒がしぃず、小僧っこなぁんぞ用だがやぁ」
 銀色の長い髪を振り乱し、その隙間から見える顔は皺だらけ、そして何よりこちらを見据える真っ赤な目。この詞籠薬草堂の主である老婆はまさに魔女そのものといった風体なのだ。そのせいで魔女が住む屋敷、魔女屋敷と呼ばれている。
「シロ!帰るぞ!」
僕だって怖いけど、必死に叫んだ。その声に反応して、シロがもんどりうつようにこけた。振り返って走りたかったのだろうが、足がもつれてしまったのだろう。「助けてくれぇ」と情けなく声を振り絞るシロに駆け寄った。
「バカ!だから言ったべーや!」
 シロを引きずるようにして魔女屋敷から遠ざける。その間、一瞬老婆と目が合った。
「困ったことあったらぁ、こっちゃけぇぞぉ」
 困ったときは来いと言われても・・・今まさにあんたのせいで困ってますとは口が裂けても言える状況ではなかった。ジリジリと距離が離れた頃に、やっとシロが立ち上がった。そのまま二人してぶつかりながら走って逃げた。
 背後で魔女屋敷から赤い目でそんな二人をしばらく見ていた老婆がゆっくりと引き戸を閉め、何もなかったかのように通りには平穏が戻っていた。

再びの下校


 どれだけ走っただろうか。気付くとさっき出たばかりの小学校の校門前まで戻ってきてしまった。さっきまで顔面蒼白だったシロもやっと生気が戻ってきたようだ。膝に手をつきながらシロがちらりとこちらを向いてぎこちなく笑っている。
「こ、今回は・・・引き分けだべな!」
 精一杯強がってそう言ってみせるシロに「そうだな」と優しく返事をしつつ、僕も高鳴っている心臓を抑えるために深呼吸をする。そんな2人を不思議そうに見ながら、他の生徒たちが下校していく。その流れの中で遠くからズルズルと大きな足音が聞こえてきた。その足音を聞いて僕たちはふと真顔に戻っていた。「ジャクソンだ」シロが小さく舌打ちをした。
「なんだお前ぇら、一目散に帰ったどもまだおるんかい」
 靴をズルズル引きずる独特の嫌な足音をつれて現れたのは、僕とシロの6年1組の担任の弱村先生だ。元ラグビーの県代表に選ばれたことを常に自慢しているような、筋肉隆々のドでかい男だ。名前の弱村を音読みしてジャクソンと呼ばれている。シロと僕はすっと荷物をもって帰る体制を取り始めた。
「今ちょうど帰るところです」
「さ、行くべ。さいなら、ジャ、弱村先生」
 そそくさと立ち去ろうとしたが時すでに遅しだった。ジャクソンが回り込んでゆく手を阻んできた。
「逃げるようにいかんでもええがさ。なんじゃまた悪だくみでもしとろうかお前ぇら二人は」
 そうなのだ。ジャクソンは自分がクラスの支配者として立ち振る舞うことが理想的な教師の在り方だと考えているらしく、目立つような子はこれまでもことごとく押さえつけてきた。そんなやり方に当然反発するシロと僕は事あるごとに目の敵にされている。
「先生がお前ぇらのために特別授業をしてやってもええんぞ、今からでもなぁ!」
 ジャクソンがシロと僕の肩をがっちりつかんで学校内に戻そうとしてくる。2人で抵抗してみるが、こうなったら意地でも絡んでくるのがこの男だ。以前もこんな感じでお説教が始まり、結局一時間三十分も拘束されてしまったのだ。どうしたものかと困り果ててしまった。その時、シロの目に薄っすら反抗の光がともり始めているのに気付いた。「あ、まずい」直感でそう思いシロを止めようと手を伸ばした。
「弱村先生、どうかされましたか・・・?」
 帰っていく生徒達の中から声がした。その声を聞いてジャクソンが僕とシロの肩から手をそっと降ろした。声のする先には少女が立っていた。正確には一人の少女と、その背後に隠れるようにもう一人少女がいた。
「マイ、いいところに来てくれたべ!」
 シロがそそくさと声を掛けた少女、マイこと都築眞衣の横に駆け寄った。
「シロちゃん、大丈夫?」
そのシロを心配そうに見ているのが、もう一人の少女、木田小雪だ。
「ユキもサンキュウだべ、助かったど」
 その様子を見て僕もそろそろとジャクソンから離れていく。当のジャクソンはさっきまでの威圧的な態度から一変して、ニコニコと表情をつくっている。この都築眞衣という少女は、いわゆる美少女というに相応しい見た目で、かつ勉強も相当にできる成績優秀な生徒のためジャクソンお気に入りの生徒なのだ。それで都築眞衣からの評価を下げたくないジャクソンは僕たち二人を解放したというわけだ。
「ここで待ち合わせしていたんですけど、問題でもありましたか?」
 上目遣いでジャクソンを見つめるマイ、その視線ににんまり笑顔が膨らむジャクソン。美少女に見つめられた反応としてお手本を見ているようだが、実際それだけマイは可愛いのだ。ジャクソンがニコニコの顔で僕らに話しかけてきた。
「おお、都築を待っていたのか君たちは。それを先に言いたまえよ、アッハッハッハ。気を付けて帰るんだぞぉ!」
 そのまま僕らの横を通り過ぎて校舎の方に戻っていく。僕とシロはホッとしてハイタッチをした。その時、遠ざかったはずのジャクソンがまたズルズル走ってきた。またまた僕とシロは身構える。
「そうだ、今日は多摩境湖に霧が出てるらしいから、行かないようにね」
 そう言い残して今度こそ校舎の中に入っていった。時間にしてほんの十分ほどの出来事ではあったが、初夏の気候も手伝ってじっとりと嫌な汗をかいてしまった。シロなんかTシャツの脇までびっしょりだ。そんな姿を見てマイがシロにハンカチを手渡した。
「シロったらまた大汗かいてる。これで拭いて」
 サンキュウといいながらマイのハンカチでガシガシ汗をぬぐうシロ。まったく、マイのハンカチを使えるなんて他の男子からしてみたら羨ましいと思うやつも多いんだぞ、とこっそり感想を述べてみる、心の中で。僕はカバンを探してみるけど、タオルを持っていなかったのでシャツの袖で汗をぬぐった。
「俊平君、良かったらつかって」
 そっと横から青いハンカチを渡してくれたのは、ユキこと木田小雪だ。ユキは、最近ショートボブ?みたいな髪型に変えてからこっそり男子連中から人気が出始めているらしい。色白だし、背も小さいし、声も小さいしで僕には全然理解ができないけれど。
「もうええさ、だいぶと乾いてきた」
 ユキとはこの四人の中で一番長い付き合いなんだけど、最近なんだかうまく話せない。今だってシロみたいに素直にありがとうって言えばよかったのに。
「ふふふ、じゃあ一緒に帰ろ」
 マイの言葉でまた四人は歩き出した。僕とシロにとっては二回目の下校になったけど、そんなことは二人には言わずに何食わぬ顔で帰ることにした。かっこ悪いところは見せる必要、ないよね。

紡ぐ言葉は神の使い


 気持ちいい風が吹いている。さっきかいた汗がすっかり乾いてしまったみたいだ。僕たち四人は小川の土手の上を並んで歩いていた。ジャクソンから救ってくれたマイに対して、シロが大げさに感謝をしている。同時に、ジャクソンの媚びた口調をモノマネするのだった。
「なーにが、『今日は多摩境湖に霧が出てるらしいから、行かないようにね!』だべ!」
 憎たらしいジャクソンも、シロのモノマネなら僕も笑えてしまう。
「俺とシュンペーには『特別授業をしてやってもええんぞ、今からでもなぁ!』つってきたねえ言葉ぶっつけたべよ」
それをマイとユキは面白そうにクスクス笑うのだった。
「もうやめて、シロったら。アハハハ」
 マイが笑いながら軽くシロの肩に手を置く。気を良くしたシロの声はさらに大きくなるのだった。もう一回、「行かないようにね!」と誇張して真似た。
「いやもうほんと、九死に一生、救いの女神様に見えたべよ!」
 そんな2人のやり取りにうまく入っていけず、タイミングを見計らっていた僕は軽く足元の小石を蹴ってその行く先をぼんやり見ていた。思えば今日の放課後は、魔女屋敷から逃げ帰ったかと思えばジャクソンに捕まるわで散々だ。そのまま視線を川の方に向けた僕は川の中に影を見つけた。
「あ、多摩境サギや」
 僕の声に反応して他の三人が川の方を見た。
「おおー!珍しいな、昼間のこん時間に多摩境サギとは」
「そうね、私見るの久しぶりよ」
 川の中ですっくと一本足で堂々と立っているその多摩境サギとは、僕らの地域にしか生息しないサギなんだけど、基本的に夜行性で、しかも多摩境湖周辺にしか専ら姿を見せない生物なのだ。ちなみに多摩境湖っていうのは、この集落からやや離れた山の中にある、地域の人間しか知らないような場所にある湖のことだ。水位が毎日少しずつ変化しているらしく、なぜ水位が上がったり下がったりするのか、そもそもなんでそんな場所に湖があるのかすら解明されていないらしい。
「怖い、なんだかこっちを見ているみたい・・・」
 隣にいたユキが一歩後ずさりした。確かに、目の前の多摩境サギはエサを探すでもなく、飛び立つそぶりも見せずにじっと首をこちらに向けている。
「ねえ俊平君、私たちを見てるよね」
 しきりにユキが怖がるものだから僕まで落ち着かなくなってきて、もう多摩境サギから目が離せなくなってしまった。お互いにじっと見つめる時間が流れた。
「なんだ気味悪いべさ、石っこなげてやんべ」
 たまりかねたシロがしゃがんで、さっき僕が蹴った小石を拾った。
「だめよシロ!」
 小石を持って投げるべく振りかぶったシロを制するマイ。
「多摩境サギは神様の使いだっておばあちゃんが言ってたわ。だからそんなことしたらきっと罰が当たっちゃう」
 シロはその言葉を聞いて目を白黒させ、振りかぶっていた手を下した。その直後、多摩境サギが急に羽を大きく広げ羽ばたき始めた。「うおっ」とシロは漏らし、マイとユキは身を固くした。僕はなぜか逆に冷静な気持ちでその光景を見つめていた。なんだかふと懐かしい気持ちがした。そのまま多摩境サギは川の上流の方へと飛び去って行った。
「行っちゃった」
 ポツンとマイが呟き、僕たちはまた現実の世界に戻ったかのような感覚になった。
「す、すげー!見たべ、あのでがさ!かっこええー!」
 一気に興奮した様子になるシロ。手で羽の羽ばたきの真似をしながら、「バサバサー!」とか言いながら駆け出していく。土手の下りを利用して加速しているのが飛んでいる表現なんだろう。
「もう、そんな走ったら滑って転ぶよー!」
 マイがそう言いつつも、笑いながら手を広げる真似をして追いかけていく。
「大きかったね、多摩境サギ」
ホッとしたような声を出すユキ。そんなユキには動揺を悟られたくなくて、「別になんてことねえべ」と返事をした。
「ユキは怖がりだべ、ほんなんじゃ来年中学上がれねど」
「そうだね、ふふふ。でも中学に行けないのは困っちゃうよ」
 前方ではまだ2人が鳥の真似をしながら追いかけっこをしている。その姿を見てユキはさらに表情を緩やかにするのだった。
「中学でも同じクラスになれたらいいのにね」
「四人ずうっと一緒のクラスは無理だべ、どもおんなじ中学さ通うんだべ、変わらんさ」
 僕たち四人は、小学校6年間、厳密には五年半の間ずっと同じクラスだった。小学一年の二学期からマイが転校してきて、そこからは四人で行動することも多く、今日のように一緒に帰ったりたまにお出かけしたりと腐れ縁のように続いている。
「無理かな・・・」
 ふとユキがうつむいた。一呼吸置いて僕の方を見上げる。
「・・・俊平君、ちょっといいかな」
 そう言ってまたうつむく。その間がじれったくて、つい早足で歩きだす僕。
「なんだべ、歩きながら話すど」
「ああっ、待って」
 追いかけて僕の左隣に並ぶユキ。今思えば、この時ユキの話をちゃんと聞いておけばよかった。今となってはもう遅いのだけれど。もし僕が生まれ変わったなら、君の話を優しく聞いてあげるのに。目も合わせずに、歩幅も合わせずに君を困らせたりしないのに。
「俊平君、あのね」
 ユキが言葉を続けた。

わかれるほうこう


「俊平君、あのね。潟分校のことなんだけど」
耳になじんだ潟分校という言葉が僕の古い記憶を想起させる。
「ああ、こん前取り壊しが決まったって話だべな」
 ちらりとユキの様子を確認すると、ややうつむきがちで悲しそうな表情を浮かべていた。僕は潟分校の思い出をぼんやり思い浮かべながらユキの声に耳を傾ける。
「そう。仕方ないことだとは思うけど、悲しいよ」
「もう長えこと使われてねかったしな。仕方ねえべ」
 そもそも分校とは、田舎の小中学校にしか存在しない制度だと思うのだけれど、冬場の間だけ開かれる特別学校のことだ。冬の間に雪が多く積もり、本校に通えなくなる生徒に授業を受けさせるために存在する。僕とユキは小学一年から三年までの冬の間、その潟分校に通っていた。小学四年の夏に道路が整備されバスが近くまで通るようになったので、潟分校で授業をする必要がなくなり、今まで電気も水道も止められた閉校状態だったのだ。まあ、そうでなくとも最後の二年間は僕とユキの二人しか通っていなかったから、いずれは取り壊される運命だったのだろう。
「あそこは、思い出がいっぱい詰まってるから。大切な思い出が」
 それでユキは今まで沈んだ顔をしていたのか、と合点がいった。ユキはどちらかと言えば大人しい静かな女の子なので潟分校にいる時はむしろ落ち着いた時間を過ごせていたのかもしれない。「それでね」と言葉を続け、歩幅がゆっくりになる。
「取り壊される前に、私と一緒に潟分校に行ってくれないかな俊平君」
 思わぬ提案に「へ?」とユキの方を振り向く僕。急に目が合って恥ずかしそうに笑うユキ。確かに潟分校の思い出はたくさんあるし、取り壊される前にもう一度行ってみたいとも思っていた、ユキと。でも、急に誘われたことで僕も気恥ずかしさがこみあげてきた。
「なんで僕と二人なんだべ。さ、里子ちゃんでもいいべや」
 つい抵抗したくなって同じ地域の年上の女の子の名前を出した。一年間だけ一緒に潟分校に通っていた、数少ない同窓生だ。
「だって、里子ちゃんは今中学で忙しいと、思う」
 いつもはすぐに折れるユキが意外にも引き下がらなかったことに驚いた。そうまでして自分を指名してくれることへの嬉しさはひしひしと感じていたが、素直にじゃあ一緒に行こうと言えるほど僕は子どもではなかった。むしろより拒絶しなければならないとの念に駆られてしまったのだ。
「僕は忙しいごで、時間さ見つかったらまた行くべ。また今度な」
 息を吸った分だけ全部使って言葉を告げた。次に息を吸い込む間にユキは少し考え、そして悲しく静かに笑うのだった。
「無理言ってごめんね。俊平君がいい時に行こう」
 前で追いかけっこしていたシロとユキがニコニコしながら向こうから戻ってくるのが見えた。ああ、最近いつもこうだ、と罪の意識にさいなまれる。突発的な考えが先行して素直に話せない。後悔が沸き起こるころにはもうそのことについて謝ったりできる空気ではなくなっているのだ。
「二人で何話してたの?シュンちゃん」
 明るい笑顔で話しかけてくるマイ。「なんでもないべや」と答えつつ、さっきの会話が眞衣に聞こえていなかったことに安堵する。ずるい奴だよ、僕は。
「ふーんほんとかな。シュンちゃんとユキも多摩境サギのマネしたかったんじゃない?」
 おどけた調子で冗談を言ってくるマイのおかげで、ユキも穏やかな表情になっていた。やっぱり四人一緒にいないとダメなんだな。いや、単に僕がダメなだけか。
「体もあったまったさ、公園っこ目指すべ!競争ず!」
「あっ、シロ待てー!」
「アハハ、また汗かいちゃうよ~。よし!行こ、ユキ」
「うん」
 いつも遊び場にしている公園までの競争がスタートした。また多摩境サギのマネをしながら前を行くシロの背中を追いかける。後ろではずっこけそうになるユキをマイが支えつつ走る。夏に近づく川の側ではさらさら流れる潺が聞こえてくるようで。
うん、決めた。もっと素直に話せる僕であれるように、これを今年の夏の目標にするんだ。勝手に心の中で決意して、青い時間をただひたすらに駆け抜けたのだった。


 ―――その日の夜。
「ルルルルルル、ルルルルルル」
 鳴り響く電話の音。それはこの夏の歯がゆい旅を知らせる開始の号令だった。

揺れる、止まる、心


 青空の下、僕はいつもの公園でブランコを軽くこぎながら待っていた。ぬるい風を頬に感じながら、雑草とか木の葉っぱが少しずつ夏に向かって緑色を強くしているのを眺めている。
昨日の夜、風呂上りのアイスをかじりながらテレビを見ていると電話が鳴った。家族は僕の次に風呂に入っていたり、それぞれの時間を過ごしていたりで誰も周りにいなかったので渋々僕が受話器を取った。
「・・・ゴクッ。はい、松山です」
「もしもし、夜分に失礼します。俊平君のクラスメイトの都築眞衣ですが、俊」
「マイっ!?」
 受話器の向こうから聞こえた声の主がマイだと認識した瞬間、素っ頓狂な声を出してしまった。今日の夕方、さっきまで一緒に遊んでいたのに何だろう。いや、さっきの変な声を聴かれてしまった。さらには話をさえぎってしまう形になり、色々と恥ずかしい気持ちが込み上げた。
「その声はシュンちゃんかな?ンフフフ…そんなにびっくりしなくてもいいじゃない」
 応答したのが僕と分かるとマイは意地悪な声で僕を追い詰めてくる。でもその感覚は嫌なものではない。普段から仲良く過ごしている時間の積み重ねによって、こんなマイとのやり取りが心地よく思えるようになったのだろう。
何より、電話で話すというのは何だかとても特別なことをしているような気にさせる。なんせ会話と違って電話はかける相手をちゃんと選んで、その上でやっと話せるようになるのだ。つまり今この瞬間だけは、僕はマイに選ばれたたった一人の会話相手なのだ。
「いや、問題ないべや…なんか用事さ、あるべか」
 必死に心を落ち着けて、返事をする。食べ終えたアイスの棒をゴミ箱に放り投げた。
「シュンちゃんが予定なければ、明日またみんなで一緒に遊ぼうよ」
 アイスの棒がゴミ箱のふちにカンッと当たって床に落ちた。ああ、なるほど。明日は土曜日だしね。みんなで、ね。変なところに引っかかってしまうものの、マイからのお誘いというのはどんな形でも嬉しい。
「ええよ。じゃあ今日と同じで公園さ集まんべ」
「よかったー。じゃあ明日10時に集合ね。シロとユキには私から電話しておくから。」
 ガチャ――――

 というようなやり取りが昨夜あり、今に至るのだ。公園の大時計を見るともうすぐ10時になろうとしている。僕はなぜか気がはやって三十分も前に着いてしまったが、まだ誰も来ない。そもそも前日の夕方までずっと遊んでたんだから、その時誘えばよかったのに。しっかり者のマイでも、突発的に遊びたくなって誘うこともあるんだな。
 それにしてもよく晴れている。ひこうき雲が青い空に真っ直ぐ伸びているのがよく見えた。そんな空に近づくかのように前に振れるブランコ。足を真っ直ぐ上に伸ばしてみる。ゆっくりと後ろに戻る体。
「おまた、せっ!」
 突如背後から声がしたかと思えば、背中にそっと暖かさを感じた。そしてすぐ前にまた押し出された。
「ええっ!?マイ!?」
 とっさに首だけ後ろを向いて確認すると、そこにいたのは間違いなくマイだった。普段大きな目が、細く見えなくなるぐらいニコニコ笑いながら両手をこちらに伸ばしている。
「アハハハ!前向いてないとっ危ない、よっと!」
 マイの手のひらが僕の背中に触れ、暖かさを残す間もなくまた僕を押し出す。この繰り返しを他の人が見たら一体どう思うだろうか。強い理性の抵抗を感じながらも、背後で近くなったり遠くなったりするマイの声や存在にドキドキとする鼓動。いや、急にこんな状況になったから驚いているだけだ!
「誰か見てるかもしんねからっ、やめべっ!」
 背中を押されるたびに上ずる声が情けない。しかし瞬間に触れるマイの手の暖かさを待っている自分がいる。
「そうれっ!・・・ほりゃっ!・・・まだまだっ!アハハハ!」
 触れられるたびに耳元で聞こえるマイの涼んだ声に耐え切れなくなって、体が戻った時を見計らって足を地面にズザザっと踏ん張りブランコを止めた。でもマイはまだ僕の背中に手を置いた。もう一度押し出すべく力を込めているのが背中越しに分かった。
「もうええべ、あんがとあんがと」
 前を向いたまま少し早口でそう伝える。もういい加減手を放してくれ。
「フフフ。シュンちゃん意外と重いんだね。ビックリ」
「そんなことねぇべや!これでも、」
 デブだと思われてはたまらないと、何かしら弁解するべく僕はまんまと振り向いた。そこには白いワンピースに青いスニーカー、頭にはベースボールキャプを被り髪をポニーテールに束ねたマイが立っていた。手のひらが届くほど密着した距離で。
 息が止まるほど、その姿は不思議な魅力をもっていた。いつも一緒にいるはずなのに今日のマイは特別な気がした。刹那、目が合う。僕は何も言葉を持たないかのように黙って視線を外せずにいる。フッと笑ってマイが背中から手を離した。そのまま僕の正面に来てその両手を合わせる。
「ちょっと遅くなってごめんね。とりあえずベンチに座ろっか」
 やっと息を吸えた気がした。ベンチに向かって歩きだすマイの背中を今度は僕が見る。ちらりと公園の大時計を見ると10時3分を指していた。

穏やかに動き出す運命


「あんなに驚くとは思わなかったなー」
 僕の隣で明るく笑うマイ。足をばたつかせながら話す。その足先、青いスニーカーを目で追いかけながら反論しているところだ。
「あん状況で驚かねぇ方が無理だべや、まったく」
 僕の抗議なんか気にも留めない様子で「うんうん」と頷き、また笑うマイ。もしあんなに動転した姿をシロに見られていたら、しばらくはからかわれる羽目になっただろう。それにユキに見られてしまったら・・・いやユキは関係ない、うん。
 それにしてもその二人はまだ来ないのだろうか。シロは寝坊の常習犯だからいつものことかもしれないけど、ユキが約束の時間を守らないのは珍しい。もう10時15分を過ぎているし、何かあったのか。少しソワソワしながら時計をチラチラ確認する僕の様子を見ていたマイが自分の足元に視線を落とした。
「来ないよ」
 ポツリとつぶやく。虚を突かれたその言葉をゆっくり飲み込み、反芻する。理解が追い付き、マイを見る。
「シロとユキは今日来ないよ。昨日の夜、私が電話したのはシュンちゃんだけ」
 視線を落としたまま、こちらを向かずに言葉を続ける。気温と裏腹に体温がじわじわ上昇しているような感覚がした。
「それならそうと、最初から言ってくれたらえかったのに」
「正直に言ったら、シュンちゃんきっと一人で来てくれなかったよ」
 お見通しだった。実際昨晩の電話でも、シロとユキには私から電話しておくからというマイの言葉がなければあの後僕の方から二人に電話をかけていただろう。やはりマイは一枚も二枚も上手なのだ。マイが体を僕の方に向ける。首を動かすと同時に揺れるポニーテールが隠れた。
「私の作戦勝ち~!だから観念してね、シュンちゃん」
 あまりにあっけらかんと言いのけるものだから、僕もなぜだかおかしくなって笑ってしまった。2人で肩を震わせながらケラケラ笑い声をあげていると、何もかもがすべてうまくいくような気がした。
 その後はずっと取り留めのないことをおしゃべりした。マイのハマっている歌手のこと、僕とシロの下らない日常のやり取りのこと、そして話は自然と来年の中学進学のことになった。
「中学行ったらマイは部活入るべか」
「うん・・・まあね。シュンちゃんはどうするの?」
 ちょっと考えてから「運動できるんなら何でも」と答えた。中学のこと自体何にも想像がつかないのに、部活のことなんてまったく考えられないが芸術的なセンスは皆無なのでまず運動部に入るだろう。そう考えるとマイは運動もできるし、勉強もできるし選び放題のはずだ。
「マイはセンスもええし、吹奏楽とかどうだべか」
 優雅に楽器を演奏する姿がたやすく想像できた。もしかしたら指揮者として活躍するのかもしれない。しかし僕の提案に首を振るマイ。
「吹奏楽部ならユキの方がぴったりだよ。ユキはフルートも吹けるしね」
「・・・そういえばそったら特技あったべな」
 ふと遠い昔の記憶が蘇ってくる。木造校舎の一つの教室でフルートを吹くユキ、そしてその姿を見ている僕。あれ、これはいつのことだろう。ユキがフルートを吹くこと自体忘れていたが、確かな記憶として体に刻まれている。考え込んだ僕の横でマイも会話に一呼吸置いたので、少し間が空いた。
「シュンちゃんはさ・・・どう思ってるの」
 考え事の世界から揺り戻され、ぼんやりした頭のままマイの顔を見ると、さっきまでとは打って変わって凛とした真っ直ぐな表情になっていた。その質問の意図がつかめず答えられないでいると、マイがズイと僕に近づいてきた。
「ええっと、つまりその・・・何のことだべ」
 ベンチに置いた2人の手が触れあいそうになるギリギリの距離にある。
「答えて欲しいの、今日は」
 だから何のことなんだと思いつつも、必死に答えを探そうと回転する頭。空を見上げてウンウン唸っても仕方のないことだった。その時、頬にポツンと小さな感触があった
「あ」
「あ?」
気がつくと周囲は湿った空気に包まれていた。
「雨だべ」

雨の降る夜、君を呼ぶ声


 大雨に打たれながら、懸命に目を開け家に向かって走っていた。靴にまとわりついた多量の水分が運ぶ足を重たく感じさせた。公園からマイの家はそれほど離れてはいないけれど、僕の家からはえらい遠いところにあるので、ほぼ全身濡れてしまった。
 梅雨明けの天気は変わりやすいというけれど、それにしてもこんなタイミングで降らなくてもいいのに、と走りながら思った。マイとの会話を遮るように降り出した雨は弱まる気配がなかったので、傘なんて持ってなかった僕とマイはそれぞれ自宅に退散するしかなかった。あの直前にマイが僕に尋ねたあの質問はいったいどういう意味だったのだろう。また来週会った時に聞いてみよう。できればだけど。

――ガチャ
「ただいま!お母さんバスタオル持って来て!」
 家に飛び込むなりすぐにでも風呂場に駆け込みたかったが、以前それをして母親から大目玉を食らったので今回はグッとこらえた。
「雨すごかったね~。あ、もう俊平!びしょ濡れじゃないの!また洗濯機まわさないといけないじゃない!もう!」
 結局怒られる運命だったのか。母親とはなんと理不尽なのだろうか。
「だって、今日天気予報でもなんも言ってなかったべ」
「そうね、分かったから早くお風呂入りなさい」
「・・・行ぐっす」
 即時撤退を決め、すごすごと風呂場に立ち去ることにした。温かいシャワーでも浴びないと風邪をひいてしまうかもしれない。
「あっ!ちゃんと拭いた?廊下にしずくが垂れてるよ!」
 背後から鋭い指摘が飛んできた。僕の靴に丸めた新聞紙を突っ込みながらも監視の目はきっちり行き届いているようだ。「わりわり」と軽く謝罪し、逃げようと小走りになる。
「俊平!」
「今度はなんだべ・・・」
 うんざりとしつつ振り返って反応を伺った。まだ何かそそうがあったのか。
「俊平が朝出た後すぐ、小雪ちゃんから電話があったよ」
「小雪?」
「俊平はいないよって伝えたら悲しそうに電話切ってたよ。後でかけてあげなよ」
 意外な名前に少し驚いた。昔はしょっちゅう電話のやり取りをしていたが、最近はめっきりそんなこともなかった。一体何の電話だったんだろう。ユキの意図を想像しながら熱いシャワーを浴びる。芯まで冷え切った体に染み渡るシャワーの温度で生き返る思いがした。

 すっかり体も温まり、ほっと安心すると急に眠気に襲われた。ただでさえ公園から家までの距離を走っただけでなく、雨の中をずぶぬれになったんだから仕方ないよね。そう自分に言い聞かせて、ベッドに飛び込む。ふかふかの布団の感触に睡魔が同調して、もう寝ること以外の選択肢は僕に残されていなかった。
「あ・・・ユキに・・・電話・・・」
 眠りの世界に落ちる直前、先ほどの母親との会話を思い出した。いったい、ユキは何の用事で僕に電話してきたのだろうか。それにしても僕が出かけた直後にかけてくるなんて、昔からのタイミングの悪さは健在だな。変わらないユキのどんくささに頬が少し緩んでしまう。ユキのことを考え始めた頃、意識がゆるやかに遠のいていくのを感じた。
――あの時だって・・・
 夢現の中で思い浮かんでいたのは、潟分校でも昔の思い出だった。ユキの呼ぶ声が聞こえる。待ってくれ、今助けてやるから・・・

声を聴かせて


 ――四年前、潟分校で過ごした冬。その給食時間の光景がよみがえってくる。
「俊平君、ど、どうしよう。またお箸忘れちゃったみたい」
「またやったべ。なしてユキは弁当給食の時に限って忘れるべよ」
 小学二年生の姿のユキと僕が会話している。ユキがお箸を忘れるのは今日に限ったことではなく、よくあることなのだが今日は特にタイミングが悪かった。この潟分校にも本校と同じ学校給食が配送されるのだが、雪が特に降り積もると予想される日は配送が不可能なため、前日にあらかじめ弁当持参で来るように言われるのだった。
「先生、ユキがまた箸忘れだべ」
 潟分校でつきっきりで勉強を教えてくれていた、講師の西見先生を仰ぎ見た。何せ少人数なので給食は先生も一緒に食べる。西見先生は若い女の先生で、可愛らしいピンク色の包みにくるまれた弁当を広げているところだった。
「あちゃ~、今日は先生も余分なお箸持ってないな」
 先生のその言葉でユキの表情はさらに絶望の色が濃くなった。少しずつ涙ぐむ様子を見て、僕は決心した。
「ちょっと待っとれユキ」
 おもむろに自分の弁当を広げる。一瞬ためらったが、えいやと勢いをつけて弁当に手を伸ばした。弁当左側のご飯を素手で掴みハンバーグをつくるようにこねて平たく伸ばす。そしてご飯の中央に弁当右側のおかずをすべて乗せてギュッと握った。
「松山君、何してるの!」
「へへへ、これで僕はおにぎり一個になったべ。お箸いらねぇから使えユキ」
 にんまりと笑ってユキに箸を差し出した。絶望の顔から一転、目を丸くしていたユキだが、次第に笑みを浮かべる。
「すごーい!俊平君すごいよ!」
 今考えるととても馬鹿げた解決策だが、ユキがお箸を使えたし、褒めてくれたしでその当時は誇らしい気持ちでいっぱいなのだった。行儀が悪いと先生には少し叱られてしまったけど。
なぜだろう、この時もそうだがユキが困っていると無理をしてでも助けなければならないという使命感に突き動かされる。今も、きっとそうなのだがうまく話すことができないもどかしさばかりが僕を責め立てるのだ。
 場面が変わり、放課後また二人で話している姿が見える。降りしきる雪の勢いが治まるまで教室で待っているのだろう。僕がユキにお願いをしているように見える。
「な、ユキ。練習の成果さ今発表すっか」
「!?まだ全然だからダメ!できないよ」
「フルート持ってるべ、ならちょっとだけ聞かせっぺや」
 公園でのマイとの会話で思い出したが、そういえばこのころにはもうユキはフルートをちょくちょく潟分校に持って来て吹いていた。その吹く姿が好きでよく放課後ユキにせがんだのだった。この時もなだめすかし、なんだかんだと言って結局ユキが折れた。おずおずと楽器ケースからフルートを出して構える。今でも背が小さいほうのユキの、小学二年の頃なんか本当に小人のようだった。そんなユキが大人も使う正規のフルートを構えるものだから、バランスを保つだけでも精一杯でとてもまともに吹くことはできなかった。
「ふー、ふー」
 それでも、小さい手をいっぱいに広げながら必死にフルートをくわえて、まるで空に向かって掲げるように吹くそのユキの姿を、
 ――僕はずっと見ていたかった。

「・・・ユキに電話しなきゃ」
 目を覚ますと窓の外はすっかり暗くなっていた。
それにしても嫌にリアルな夢を見た。今朝マイと、ユキに関してフルートのことを話したから、あんな潟分校でのことを思い出したのだろう。でもだからこそ、寝起きにもかかわらずユキへの電話のことを思い出せたわけだしいいか。
まだ少し眠気が抜けない重い頭をふらつかせながら、電話をかけようと廊下に向かう。受話器を持って自分でも驚いたが、ユキの自宅の電話番号を今でも暗記していた。
「もしもし、松山です。ユキはいますか」
「俊平君!?」
 電話に出たのはユキの母親だった。ユキはお母さんと二人暮らしなので、二分の一でユキが出るだろうと安易に考えていた。しかし聞こえてきたユキの母親の声は、寝ぼけた僕の耳でも分かるぐらい焦りが伝わった。
「俊平君、ユキが!まだ帰ってこないの!どこに行ったか知らない!?」
 この時、重い頭の中が他の理由でドクドクと脈を打ち始めた。まるでまだ夢の続きを見ているんじゃないかと、そう思えるほどに自分自身の感覚が遠のいていくようだった。

旅立つ君、いつか旅立つ僕


 ユキが死んだ。その事実を未だ信じられないままこの場所に参列している。小学校近くの公民館には、所狭しと同級生や保護者達が集まっていた。しんと静まり返った空間、聞こえるのはすすり泣く声と、前方に飾られた祭壇に皆が進む乾いた足音だけだった。
「ユキちゃん、ユキちゃん、ユキちゃぁぁん!」
 同じクラスの女子生徒が悲痛な声で何度もユキの名前を呼ぶ。祭壇にはお菓子やジュースに果物など色々なお供え物が並べられ、中央には花で囲まれたユキの写真があり、悲しいほどに穏やかな笑顔を見せている。その前には棺桶が置かれていて、無機質な白さが冷たい空間の温度をさらに下げているようだった。
――そこにいるのか、ユキ
 僕はさっきから公民館の入口付近で立ち尽くしていた。次から次に人が出入りするのを横目に、ただ立ったままユキの遺影と棺桶を遠くから見渡している。涙一つ流さず入口に立つ僕はとても邪魔でとても異様な存在だっただろう。
さっきユキの名前を呼んでいた女子生徒が泣きながら友達に支えられつつ僕の横を通り過ぎて公民館を出ていった。彼女の悲しみや涙は本物の気持ちから溢れたものなんだろう。しかし、彼女が確かにユキの死を受け入れられたのだ。ユキの死に顔に最後の別れを告げ、重い足取りを引きずりながらもまた日常に戻っていく、ユキのいない日常を。僕はユキのいない日常も、ユキの死そのものも受け入れられなくて立ち尽くしているのだ。遺影を見ていられなくなって、視線を逸らした。その先には、ユキの母親が座っていた。
「ありがとうございます、ありがとうございます」
 来てくれた人に礼を述べるユキの母親は、明らかにやつれた様子だった。それは当然だ、一人娘が亡くなってしまったのだ。ユキと母親は事情があって二人だけでこの地域にひっそりと越してきた。だからこそ二人は助け合って暮らしていたのだが、そんな娘がいなくなってしまうというのはどれほどの痛みなのだろうか。およそその表情から窺い知ることはできない。
 そんな母親の姿もずっと見ていられず、結局ユキが優しく笑っている遺影に視線を戻した。遺影に寄り添うようにフルートが立てかけられている。フルートは全体的に汚れていて、所々土がついている。
――あの時、もしユキの電話を聞いていれば何かが変わっていたのだろうか
 ずっと頭から離れない後悔がグルグル体をめぐる。ユキがいなくなった原因は自分にあるのではないか、もしそうだとしたら自分が・・・ユキを殺した?
「おい、シュンペー」
「・・・」
「シュンペー!」
 自分の世界に陥っていた僕は、強く肩を掴まれる感覚で現実に引き戻された。うつろな表情で力の方向を見ると、目をきつくしたシロが立っていた。その後ろにはマイがボロボロと大粒の涙を流しながら顔を、目を真っ赤にしてこちらを見ている。
「しっかりするべよシュンペー!シュンペーまで、どっか行っちまいそうだべや!」
「・・・ユキに会えるだげそれもいいべな、ハハ」
 僕としては、二人に心配をかけまいと精一杯冗談を言ってみたつもりだった。ただ、どう考えてもその言葉は冗談には聞こえなかった。シロがひどく悲しい表情を浮かべ、そしてさっきよりもさらにきつい目になった。僕自身も一言一言発するごとに胸の中がえぐり取られるような気持ちになった。言わなきゃよかった。
「おめぇ!ユキの気持ちさ考えろ!目ぇ覚ましてやるど!」
 この言葉だけで、シロがどれほどいい奴か分かるってものだ。振り上げた右手の手のひらは僕を気つける意味で頬にでも振り下ろされるのだろう。それも悪くない気がした。万が一、そう万が一だけど、今いるこの空間が嫌に長く続く悪夢である可能性があるから、ユキのいる時空にまた戻れるのなら目覚ましがてらぶたれるのもいい。脱力して目を閉じた。
「やめてよぉーー!」
 刹那、前が暗くなり、目を開けると顔をぐしゃぐしゃにしたマイの顔が目の前にあった。バシンッと鈍い音が目の前でした。飛び込んできたマイの横顔にシロの手のひらがクリーンヒットしたようだ。
「い、いたぁ・・・」
「ああああ、マイ、マイ」
すべてが一瞬の出来事で、シロも途中で手を止められなかったのだろう。それか僕に忍びなくて目をつぶっていたのかもしれない、いやそれは自分に都合よく考えすぎかな。
 マイは運悪く横顔から耳にかけてぶたれてしまったらしい。耳を押さえてうずくまってしまった。
「耳大丈夫だべ?聞こえなくなってないべや?」
「ううう・・大丈夫・・・これは、罰なの」
 完全にうろたえてしまったシロをなだめるように呟いて、よろよろ立ち上がったマイ。シロがぶつつもりだったのは僕。正義感のあるマイはそんな僕をかばうためにぶたれて痛む耳を押さえている。悪いのは僕。やっぱりこの状況、お葬式を引き起こしたのは、ユキを殺したのは僕なのではないか。ああ、これも夢のワンシーンなんだ。僕がいなくなればこの夢は終わるに違いない。
 やり切れない感情が僕を埋め尽くした。
「ごめんなさい、みんな。ごめんなさい、ごめんなさい」
 三人とも泣いていた。込み上げるそれぞれの想いは、熱い涙となって体の外に放出されていく。それでもいつまでもいつまでも胸の苦しみが消えることはなかった。いつも四人でなんでも乗り越えてきたからだろうか。今日は少し、一人ぶんの背負う悲しみが、重いよ。

あの日を綴る夜想曲


 優しい風が僕の体のそばをふわりと舞った。
――これからは、私が守ってあげるから
 ユキに呼ばれた気がしてハッとする。顔を上げても、もちろんユキはいない。でも確かにこの前までと同じ、懐かしい感覚がしたのだ。まだどこかにいるんだ、必ず。
「探すべ、ユキを」
 シロとマイは何も言い返してこなかった。葬式の列にも参加せず、突っ立っていたかと思えば、ついに奇妙なことを言い出した僕に対してさすがに言葉を失ってしまったのかもしれない。無言でこちらを見つめる二人の視線が痛い。
「俊平君たち、来てくれてありがとうね」
 僕も次の言葉を見つけられず困り果てていた時、ユキの母親がわざわざこちらまできて声をかけてくれた。
「みんなが来てくれてユキも喜んでるわ」
ユキといつも一緒にいた三人組がなぜか不穏な雰囲気になっていることを、遠目に気になっていたのかもしれない。近くで見るユキの母親、気丈にふるまってはいるがやはり押し殺せない苦悶の痕がにじみ出ている。
「この度はご愁傷様です。お悔やみ申し上げます」
「おばさんげっそりさらんね、無理しちゃだめだべ」
 マイとシロがそれぞれ二人らしい励ましを伝える。ユキの母親はうんうんと頷きながら、二人に笑顔を向ける。
「ユキは・・・どうなって死んだべや」
 一方の僕は、唐突に不躾な質問をするのだった。なんて失礼な奴だろうか。しかし僕はその時、慰めが欲しかったのかもしれない。受け入れられないユキの死を現実として捉えるためのきっかけを求めていた。
「それは・・・」
 ユキの母親は当然困惑した反応を見せた。それでも、まったく理由も知らないまま、ユキを亡き存在になんてできない僕は聞くしかなかった。隣にいるシロがこの発言も諫めてくるかもしれないと思ったが、その気配はない。
シロも、マイでさえもユキの母親が口を開くのを待っている様子だった。二人にしても根本のところでは僕と同じやりきれない気持ちを抱えているに違いなかった。
「・・・そうね。ユキと一番仲良しだったみんなには、知ってもらうべきね」
 決心したユキの母親は僕ら三人を外に連れ出した。さすがに同じ空間で本人の死因を話すのがはばかられたのか、他の同級生にショックを与えないための配慮か分からないが、サササと早足で歩くユキの母親についていく。公民館の外はすっかり夜が深まって空気もひんやりと肌寒かった。それを不思議には思わなかった。

 公民館のすぐ横にある自動販売機でユキの母親は三人分のジュースを買ってくれた。礼を言って受け取ったものの、三人ともジュースどころではなく誰も飲まなかった。
「ユキは日曜の夜に山の中で発見されたの。フルートを持った状態で」
 ユキの母親がポツリポツリと話す内容を一言も聞き漏らすまいと静かに聞く三人。
勝手に交通事故だと考えていた僕は、予想を裏切られて驚いていた。何だってユキは山の中にいたんだろう。疑問が勝手に口から漏れ出していた。
「何で、山におったべや」
「私も理由は分からなくてね。でも昔からなのよ、ユキがあの日みたいにフルートを持って出かけるのは。だから私も山になんて行くと思わずにすんなり送り出して」
 そういえばさっき祭壇に飾られていたフルートは土の汚れが付着していた。その山の中で着いた土だろうか。
「ユキが、その、見つかったのは日曜で、出かけたのは・・・土曜日ですよね」
 マイがおずおずと質問した。少し寒いのか腕を組む体制で上着の袖をギュッと引っ張っている。
「そう、土曜日の昼過ぎぐらいに出かけていったの」
 心臓がズキリと痛んだ。土曜日、あの日はとてもいい天気で、僕はそんな青い空にかかる飛行機雲を見ながらブランコを漕いでいて。そして、マイと話していたら、あの後。
「みんな覚えてるかな。土曜の午後、急に激しい雨が降ったのよ」
 知らず知らずのうちに手を握り締める。手のひらにじわりと汗がにじんだ。土曜の雨はよく覚えている。僕自身土砂降りの中走って家まで帰るハメになったのだから。ユキと僕のあの日の行動が、パズルのように不穏な音で組みあがっていく。
「お、覚えてます。でもあの雨とユキが・・・あ!」
 マイが何かに気付いたように、言葉を切って口を押える。
土曜日の土砂降り、ユキの死、そして土のついたフルート。事実と事実が真っ暗な現実を示すために僕の頭の中で繋がって形を成してきた。
「山の中でユキが歩いてた道がね、たまたま、あの雨で地盤が緩んで、ユキは、」
 繕いながらもここまで笑顔を見せていたユキの母親が、顔をゆがめる。僕ら三人も、聞きたくない言葉から逃げたいのに一歩も動けない。
「山の、斜面、から、流れてきた、土砂崩れの、下敷きに、なったの」
 言葉を詰まらせ、赤い目の奥に隠し切れない涙をこぼす。僕も、みんなも。
 もはやユキの母親は大人から戻っていくかのように、ただひたすらに声を上げて泣いていた。僕はこれから先もずっと、人が本物の悲しみに閉ざされた時にかける言葉などないことを思い知るだろう。それは僕よりも遥かに頭のいいマイも、学校の中で誰よりも友達が多いシロでさえもそうであった。軽々しく慰めを求めた僕に応えてくれたユキの母親は、僕なんかよりも救いを求めていた。
「私がッ、代わりに死にたいッ!ぐぅ、ぐぅ・・・何でッ、私はッ!あの日ッ、ユキを1人で行かせたのッ!この親失格のバカヤロオォ―!!あああああああああああああ!!」
 こうやって何度も何度も自分を責めたのだろう。そしてその地獄のさなかで今も苦しんでいるのだ。いつも穏やかで優しいユキの母親が、吠えるように自分を罵倒しながら壊れていく、非現実的な光景だった。ユキはあの日、1人で死んでいったのだ。山の中で人知れず1人で。――――1人で
「ユキのお母さん、ごめんな、さ、い。うゔぅ、うゔぅ」
 マイまでもが崩れ落ちてしまった。マイも仲の良かった友人として、その死の状況を想像するだに耐えがたい心情なのだろう。
「お前ぇら何やってるッ!こげな日にまぁた・・・木田さん?木田さん!!?」
 非現実的な混沌の中に、嫌というほど現実的な、本当に嫌な、でかい声とズルズル靴を引きずる音が近づいてきた。反射的にシロと僕は身構え、声の主を振り返る。大嫌いなはずの担任、弱村先生だった。しかしこの状況においては、大人の男性が登場してくれたことは安心感をもたらす要素であった。
「ジャクソン!はよう!おばさんどご!」
 テンパって先生をあだ名で呼ぶシロ。そのことに気付いてすらいない。
 先生も、僕たちと一緒にいるユキの母親の異変を見つけて目の色を変えた。駆け寄ってきてユキの母親のもとに膝をついてしゃがみ込んだ。
「木田さぁん!!深呼吸してください!ゆっくりでいいですから、深呼吸を!」
 筋肉隆々の先生が力強く背中をさすり続けたことで、少しずつユキの母親は落ち着きを取り戻し、荒い息が治まってきた。しかし、その目に光が戻ることはなく、真っ暗な空を見ながら自責の念がぽろぽろと口からこぼれる。
「だって、ユキ電話してたもの。出かける前。だから誰かが一緒だと思ったの。でも・・・一人だったのユキは。大森山で1人で死んでいったのよ」
 頭のてっぺんを金槌で打ち抜かれたような衝撃を覚えた。
――間違いない。決定的な一言だった。
 大森山とは、僕とユキが通っていた、あの潟分校のある山だ。金曜日にユキは僕を誘っていたのだ。閉校になって久しい潟分校が取り壊されるから、一緒に行こうと。あの時僕は、また今度と言葉を濁した。ユキは、また僕を誘いたかったのではないか。
 ユキがあの日に電話したのは僕だ。

 ユキを一人にしたのは僕だ。

『ユキを殺したのは、おまえだ』

 限界だった。体の全細胞が僕という魂を拒絶するかのように、強烈な吐き気に襲われる。喉の奥に酸の味が突き上げてきて、自分自身の中から汚いものが逆流してくる。窒息しそうなぐらい大量の吐瀉物を地べたに吐き出した。
それでも、眩暈のする気持ち悪さがずっしりと全身に残っていた。

空に奏でる君は

空に奏でる君は

水鏡の湖と呼ばれる、秋田県の田沢湖を舞台に繰り広げられる現代ファンタジー小説です! 小学6年生の主人公たちは、この夏に訪れる大冒険をどう乗り越えていくのか。 実在する、生保内小学校、潟分校、大森山をモチーフに物語は進んで行きますので、よろしければ画像を検索して一緒に想像しながらお楽しみ下さい。 〇主な登場人物 松山俊平(しゅうへい)シュンペー 木田小雪(こゆき)ユキ 都築眞衣(まい)マイ 源田大志郎(たいしろう)シロ 弱村剛史(つよし)ジャクソン

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2020-04-25

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