犬に聖書

犬の目に聖書

 馬の耳に念仏という諺を知っていますか?
 ボクは今日お母さんから教わりました。
「意味は、えーっと・・・」
 お馬さんに念仏をとないても無駄だ、という事だそうです。
 一体どうしてお坊さんはお馬さんに念仏を唱えようと思ったのでしょうか。
「・・・っと!」
 えーっと、本題はそうではなくて、お母さんがボクに宿題を出したので、それを考えていきたいのです!
 なんでもこの諺にはほかにも別の意味があるらしいのです。転じて、なんとかすると、似たようなたとえ話になるそうなのですが・・・・。
「うーん」
 それは一体どういう意味なんでしょうか。

 ボクが机で考えていると愛犬のラブラドールのキャロットが部屋に入ってきました。
「あっ、そうだ!」
 馬は近くにいませんが、犬は傍にいるので試しに念仏を聞かしてみることにしました。
 ボクはさっそくキャロットへ念仏を唱えようとして、ふと気づきます。
「普通に考えて動物に話が通じるわけないよね」
 苦笑交じりにキャロットを見れば「わんっ」と元気よく返事をします。
「わかってるのかなぁ~、コイツ」
 頭をなでなでしながらボクはキャロットをお座りさせました。
「いい子に聞いてるんだよ」
 ボクの言ってることを知ってか知らずか、キャロットはこくりと頷きます。
「・・・・」
 もしかしたらお坊さんもこういう気持ちだったのかもしれません。
 動物にも熱心に接すれば、きっと意味が通じる。
「・・・・。」
 なのに、無駄だとなってしまったのはちょっと寂しいですね。
 お馬さんは走るのに熱心だから走ること以外のことは興味がなかったのでしょうか。
「でも、お馬さんと犬は違うからっ」
 お手をする愛犬の頭をなでてからボクは念仏を唱え始めました。お馬さんには伝わらないかもしれないけど、好奇心旺盛な犬にならと一縷の望みをかけて念仏を唱え始めます。ボクが口を開ければ、キャロットは不思議そうに首を傾げました。
 しめしめ、これは理解する見込みありだと思います。
 ボクは一回二回三回と繰り返していきます。するとキャロットが真剣な眼差しで見つめてくるので、ついボクのほうでも興が乗って、手を合わせて目を閉じて、念仏を唱え上げました。
 そうして、一通り終わったころにゆっくりと瞼をあげると・・・・。
「えっ」
 なんと驚くことにキャロットの姿は変化しておりました。もしその変異が小説のような展開で、犬が人に化けたとかであったならよかったのですが、現実はただ忠犬が家犬に戻っただけでした。
 先ほどの忠犬ぶりはどこへいったやら。いつも通りのグテッとした姿勢で、ドテッとベットの上に陣取って、ニヘッとした顔でほのぼのとしております。特段忠実であるわけでもなく、特段お利巧というわけでもなく、特段に念仏に心動かした様子でもありません。いつも通りの家でほのぼのとしている飼い犬に戻ったのです。
「・・・まぁ、そっか」
 ボクはちょっとだけガッカリとした心持になりました。だけども、このガッカリとした気持ちをキャロットにわかってもらうのは、念仏の意味を理解するよりも難しいことだとも思いました。
 キャロットが何か特別な反応を示すことにボクは期待していたので、ちょっぴり裏切られた心持にもなります。しかし、それはある種当たり前であって、だけどもなんだか信じられなくて。なにせボクとキャロットは友達です。同じ家に住む家族です。犬と人という関係以上のものがあります。気心知れた仲である大親友ですから、これほど親しい仲であれば伝わると、ある種幻想染みたことを想っていたのです。
 リラックス状態のキャロットの顔を見れば、なにもいわずにニヘっと笑っているような顔で居ます。
「・・・聞こえていたんだよね、きっと」
 苦笑しながらももう一度キャロットに近づいて頭をなでれば、今度はキャロットはボクをじっと見つめ返してきました。 その表情は何かを訴えてくるように真剣そのものでした。
「あっ、そういえば・・・」
 そろそろ三時のおやつの時間です。もしかしたら、キャロットはお母さんが仕事でいないからボクにオヤツをねだりにきたのかもしれません。キャロットの要望を察したボクは特製ジャーキーをあげることにしました。
 キャロットはジャーキーを見るや否や大はしゃぎ。尻尾を振って早く早くといわんばかりに自ら床にお座りします。そしてジャーキーを頂戴!とキラキラと目を輝かせます。
「待て」と、ボクが命じる前から待ってるキャロット。
 この時のキャロットは凄く良い子です。手を動かすと目で追い、無言で合図すれば制止します。
「ふふっ、よし!」
 相変わらずキャロットはジャーキーに目がありません。ぱくっと頬張る姿はとても可愛らしいです。オヤバカのようですが、同じラブラドールでも我が家のキャロットは飛びぬけていると思います!
「・・・そういえばラブラドールってどこの国から来た犬なんだろう」
 不思議に思ってネットで調べてみるといくつかの説が見つかりました。あまりハッキリとしたことは解っていないそうですが、イギリスで犬種が定まったためイギリス産となっているそうです。
 ここでボクはピーンっとひらめきました。
「キャロットは英国の犬だからもしかしたら聖書なら意味が通じるかも!」
 ボクは偉大な発明をする研究者のように、わくわくしながらネットで調べた聖書を読み聞かせることにしました。
 先ほどと同じようにお座りをさせてから今度こそ理解できるよう、キャロットの目を見ながら説教を始めます。
 するとキャロットは、初めはやはり熱心で何か貰えるのではないかと忠実に振舞うのです。されども、それが続くのはせいぜい二分三分で、次第次第に飽きてしまい、ボクが十小節目を読むころには寝転んでいました。
 思わず、苦笑がこぼれます。
「これが犬だよね」
 何も餌がなければ犬の我慢など当てには出来ません。
「あっ、そうだ!」
 ボクは再びひらめきました。
「餌があれば、キャロットは真剣に聖書を聞くようになるかも!」
 当初の目的を忘れて好奇心の赴くままに、ボクは聖書とジャーキーとをキャロットに見せて読み上げました。すると、先ほどの飽き性は尻尾を見せず、これでもかというほど真剣にボクをキラキラとした眼差しで見つめてくるのです。
 それからボクは毎日の餌の時間には聖書を読み上げる事にしました。

 そうして一週間後。宿題の答え合わせをする日のことです。

 それとなくボクはキャロットに餌なしで聖書を見せました。
 すると、まるで幸運を確信したかの如く、勢いよく尻尾を振って、嬉しい嬉しいと全身で表現するのです。自ら進んでボクの近くに座っては、背筋をピンと伸ばします。説教を始めればまっすぐとした瞳でボクに期待を寄せます。最初のころとは違って、だいぶ長く聞いていることができるようになったのです。
 その姿に、ボクは言いようのない感情を覚えました。
「犬に聖書を読んで聞かせるよりも餌をあげたほうが喜ぶ。ボールで遊んであげたほうが楽しむ。そもそもキャロットが理解できないような事をするよりも、キャロットの出来ることに合わせてあげるほうがいい。熱心に訴えて教えようとするよりも、キャロットの習慣を利用したほうがいい。だって、熱心にしろと言ったって犬は熱心にはならない。忠実であるように訴えたところで忠犬になるわけじゃない」
 ――――馬の耳に念仏。
 その言葉が脳裏に過ったとき、お母さんがお家に帰ってきました。
「おかえり!」
 出迎えて一通りの会話を終えてから、ボクとお母さんは宿題の答え合わせをします。
「さて。転じて、何になると思う?」
 犬と馬は違うけど、ボクなりに想ったことを答えました。
「お馬さんに人の言葉は通じないから、お馬さんの習性を利用して事を行うべし」
 ボクが確信めいてお母さんの顔を見上げるとお母さんは目を丸くして破顔します。
 そうして、頭をクシャクシャとなでてくれました。
 これは正解では!っと思ったのですが、お母さんは「残念、はずれ!」と言うのです。
 ボクはガーンっとちょっぴりショックを受けました。
「だけどよく考えたね」
「うーん、正解は何?」
「正解はね。≪馬に念仏を聞かせてもそのありがたみがわからないように、どれだけ相手の為を想って言い聞かしても、その価値がわからないこと≫だよ」
 答えを聞いて、ボクはちょっと神妙な顔になりました。
「お坊さんたちは、――――それでいいのかな」
「ん? どうして?」
 お母さんのその不思議そうな顔がちょっぴり珍しくて、ボクは目を細めて小さく笑いました。
「一体どうしてだと思う?」
 今度はボクがお母さんに問題を出す番です。すると、お母さんは笑顔になります。
「う~む。これは宿題ですなぁ」
 それから二人で笑って、ボクはキャロットとのこの七日間の想い出を語りました。
 居間でテレビを見ながらキャロットもボクの話を聞いています。
 お母さんはボクの話を聞き終わると納得したように言うのです。
「それはきっと犬に論語ってやつだね」
「え?」
「論語っていう、ありがたい本があるんだけど、その意味を理解できない人は多いって意味だよ」
「ボクは、道理につうじてない?」
「そういうことじゃなくてね。キャロットは熱心に聞いている姿勢はしても、決してその意味を理解しようとしてるわけではないから。きっと、動物の習性を利用して出来ることはあっても、お坊さんたちが悟ったようなことは出来ないんじゃないかな」
 またボクは神妙な顔になります。
 僕が俯いているとお母さんが優しく言いました。
「お坊さんはね、きっとお馬さんを救いたかったのよ」
「でも、お馬さんはお馬さんだよ」
 くすりと笑ってお母さんは言いました。
「だから、転じて。ね? なかなかいうことを聞いてくれない人にわかってもらおうとするのは大変だから」
 それから僕らは少し話をしました。家族の時間を寛いで、そうして一人で自室に戻ってから、それとなくネットをひらけばコロナのニュースが目につきました。 
 ボクは想うのです。
 キャロットに意味が通じればとボクは期待していました。期待以上のものがあったのも、事実です。なにせボクとキャロットは親友です。長い付き合いですからお互いにいろいろ察しがつくことは多い。だけどボクは人で、キャロットは犬です。キャロットがボクの気持ちを100%分からないのなんて当然です。同じ人間同士だって分からないことはあるのに、ましてまったく違う環境で生きている動物に理解を求めるなんてよっぽど変な話ですから。
 かといって、分からないからといってそこに憤りを覚えたり、意味を理解できる出来ないで話をしたって何になるのでしょうか。キャロットにはキャロットの視点があって、ボクにはボクの視点があるだけです。
 同じ人であっても同じ危機感を共有してるわけじゃない。おなじ人同士であっても同じ意見になるわけじゃない。同じであっても違うことが出来るから、お互いに協力して発展していける。
 ボクはキャロットの知らないことを知ってるだけで、キャロットはボクが分からないことを知っている。
 その反面で、またひしひしと感じることがあるのです。
「互いに意見が違う中で、相手を想って従ってほしいことがあるなら、言うことを聞かす方法を考えないといけないんじゃないのかなって。そして相手が喜ぶことであればあるほど、より従順になるんじゃないのかなって」
 ボクはなんとなく、キャロットの頭をなでなでしたくなりました。
 

犬に聖書

犬に聖書

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-04-22

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