飛ばなくなった熱帯魚

 空中熱帯魚の泳ぐ姿を「飛ぶ」と最初に表現したのは、誰だっただろうか。
 泳いでいるのか飛んでいるのか、どちらの表現が好きかと聞かれれば「飛ぶ」方だ。でも今はどちらでも構わない。

 私の空中熱帯魚は、もう飛ぶことも泳ぐこともない。
 寿命だと皆は言った。思ったより長く生きたじゃないかと。空中熱帯魚にしては。

 つい癖で上を向いてあの優美な空色のひれを探すが見当たるはずもない。
 こちらがどれだけ可愛がろうと世話をしようと当然懐くこともなかった。人間と同じ思考で生きていたとは思わない。
 それでも、窮屈なこの部屋を飛ぶのは楽しかっただろうか。
 一点の色を失っただけで、部屋は味気ないものになった。


 ホームセンターに行くことにした。1年と少し前に、あの空中熱帯魚を買ったホームセンター。
 見に行ってみるだけだ。そう、別に買いに行くわけじゃない。ただ見るだけ。見て癒やされたいだけ。
 自分に言い聞かせながらも通帳の残高を確認して、買うなら8万までと金額設定をしている。確か私が以前買ったときは6万くらいだったはずだ。
 気に入れば、その場で買って帰る…そんなこともあるかもしれない。ないとは言い切れないだろう。いつだってこういうものは、運命というものがあるのだから。


「ああ、空中熱帯魚ですか? うちでは半年前から扱わなくなったんですよ」

 店員は言った。

「一匹以上の飼育に向いてないんですよねえ空中熱帯魚。ここ狭いもんで管理に手間がかかる上に、価格が高騰してとてもじゃないけど入荷できなくなりました」

 30万近くまで上がってますよ、と暇を持て余しているのだろう、特に聞いてもいないのに話し続ける。

「今や投資対象になってます」

 今は空中熱帯魚が飛ぶんじゃない、札束が飛ぶんですよ、と前々から考えついて言いたくて仕方なかったのだろう、店員は目を輝かせて言った。

 空色の美しいひれが左右に揺れて空中を漂う姿を見るのが何より好きだった。一喜一憂する気まぐれな人間の頭上で我関せずとばかりにいつでも同じ時間が流れているのを見るのが好きだった。


「飛ばない」熱帯魚を私は買うことにした。

飛ばなくなった熱帯魚

飛ばなくなった熱帯魚

空色の美しいひれが左右に揺れて空中を漂う姿を見るのが何より好きだった。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-04-22

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