桃の花は散りて魔と交わりて
楽しいお話は皆を巻き込み
姉さまを、助けて……!
きっとそれは声にさえなっていなかったと思う。けれどもあの人は、あの私たちの英雄さまはそんな聞こえないはずの声にさえ、返事をしてくれた。ああ、任してくれ、と。
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私はアウリス。三姉妹の一番下で、生まれつき音や声などというものを聞いたことがない。いいえ、別に不幸自慢などではない。そりゃあ、音楽というものを楽しみたいと思ったことはある。でも良いの。姉さまたちが代わりに音楽を楽しんでくれているから。
そのかわり私は目が良いし、目の見えない一番上の……オクリス姉さまの代わりに景色を楽しんでいる。読唇術も使えるからうわさ話なんかも全て“視えて”いる。唇の動きを読めるのだ。それに真ん中の……オーリス姉さまよりも、この世界を色で楽しんでいる自信がある。
三人はいつも一緒だった。目の見えない長女のオクリス姉さま。喋ることができない次女のオーリス。そして耳の聞こえない私、三女のアウリス。と言っても年の差はない。三人とも一緒に生まれて、そして今の今まで、離れ離れになったことはないのだから。
だからこうして、桃の花が満開の下で、いつものように三人だけで約束をする。
「産まれも育ちも一緒に私たちだから」
最初の言葉はオクリス姉さま。右手を大きく広げて、花空に向けて伸ばす。
「これからも、ずっとずっと一緒に生き続けよう」
喋ることのできない次女のオーリス姉さまの代わりに、私が声にして、オーリス姉さまが同じように手を伸ばす。二人の手のひらの中を目掛けて、花びらが舞う。
「そして願わくは!!」
「死ぬときも一緒でありますように!!」
最後に私が、桃色の空に伸ばされた二つの手を追いかけて手を伸ばす。いつもこうして、春の時期になって桃の花が咲くと三人で約束をする。決して離れないようにと。喧嘩しても、何が起きても。
そう、何が起きても。
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そこは小さな町だった。けれども村というほど小さくもない。どちらかと言うと活気があって、少なくとも私たちの故郷よりも色で溢れている。そこには色んな人がいた。
そう、例えば貴族さま。どこか横柄で、けれどもどこか可愛そうな目で、いつもお使えの人たちに命令を出している。何を命令しているのか、視えているけれどよくはわからない。そういうことにしておく。
例えば飲んだくれのオジさん。肩まで届きそうな黄土色の髪はボサボサで、顔にも生気がなく真っ青で、いつも酒臭いから私たちはあまり近づかないようにしている。けれども人望はあるらしく、今日もいろいろな人がそのオジさんと喋っている。それは何気もない雑談。なのにどうして、喋っている二人はこんなにも楽しそうなんだろう。
例えば豊満な女性。なにが豊満って……その、胸とかお尻とか……。羨ましいな、なんて思いながら、オジさんと話しているのを遠くから眺めている。今日は天気の話らしい。曇り空だってのに……なにがキレイなんだろう? え、お化粧が……。
……イケない。慌てて目を逸らす。これ以上は視てはいけない気がした。
「で、今日はどんな話をしてるの? あのエロオヤジ」
オクリス姉さまの言葉。オーリス姉さまは、私を見てニコリと笑っている。この笑顔に騙されてはダメだ。もっとも髪と服が長く、もっとも大人しそうなオーリス姉さまが、もっともヤンチャなのだから。逆にオクリス姉さまはそこまでヤンチャではない。
……ちょっと、噂話が大好きなだけ。
「言えないよ!」
いかんせん二人がこんなカンジだから、私がブレーキ役をしている。目が見えないってのに、まるでそれが嘘のように動くのが大好きなオクリス姉さま。口が利けないのに、そのぶんヤンチャなオーリス姉さま。ならばせめて、私が二人を引き止めなければ。
「言っても良いじゃない! ここの皆んなは、アウリスが読唇術を使えるのは知ってるんだよ?」
だよね? とオクリス姉さまがオーリス姉さまに目配せをする。視えていないはずなのに、まるで視えているかのようにオーリス姉さまが頷く。その笑顔の、なんと楽しげなことか。
「ダメだよ! オーリス姉さまも! そんな好奇心の目で私を見ないでってば!」
この目が怖いのだ。喋ることができないからか、大きな目を使って私に迫ってくる。キレイな桃色のそれに見つめられると、ついぞ困ってしまう。私はなにか悪いことをしているじゃないかって。
「というか、オクリス姉さまは聞こえているよね……? ゼッタイ」
耳が良いのだ。私は耳が聞こえないぶん眼が良いように、オクリス姉さまは眼が見えないぶん耳が良い。だからこの距離で、別に内緒話もしていないからその話し声くらいは聞こえて良いはずなのに……ああ、そうか。
「えー? だって、ねえ、オーリス」
その言葉にオーリス姉さまが大きく頷く。二人に茶化されているのだと、やっと気づいた。さっき慌てて目を逸らしたのがバレたのだろう。視えないはずなのに、こういうことに察しが良い。
「……もう!」
ついつい慌てて机を強く叩いてしまった。そしてきっと、それが思った以上に大きな音を出してしまったのだろう。一斉に好奇と驚きの目が、私たちに向けられる。
またやってしまった。聞こえないから、加減が難しいのだ。右を見る。貴族さまとその従者さんが私を睨みつけている。左を見る。オジさんと女性が私を見ている。いたたまれなくなって、俯きかけると。
「あんまり茶化すと、また喧嘩になっちゃうぞ、お嬢ちゃんたち」
目の端にそんなオジさんの言葉を視ることができた。そしてきっと、姉さまたちは楽しそうに笑っていて、オジさんと話している女性もそれにつられて笑って、貴族さまと従者さんも笑ったのだろう。うつむいて、目も閉じてしまってわからなかったけれど、なんとなくそんな空気を感じた。
桃の花は散りて魔と交わりて