砂漠のグラウンド

朝日

まだ、誰にも汚されていない朝日の光が教室中に広がっている。

上村雫は、高校に入学してから毎日一番乗りで学校に来ていた。別に部活の朝練習があるわけでも恋人との待ち合わせでもない。

ただ、麦畑に広がるような新鮮な朝日を感じたいから一番乗りしている。冷たい教室の真ん中で朝日を感じて深呼吸し頭の中の血流をスムーズにする。雫の、瞳の中に光がして来てエネルギーを与える。

脈という脈を閃光がゆっくりゆっくりと走り抜ける。そして自分だけの世界に耽る。指先まで光が走り抜けて来たら窓を開けて校門から入って来る生徒達の小さな頭を見つめる。

ここから、朝日と冷たい空気を閉じて自分だけの空間にしたいと雫は願う。

HRが、始まるとすぐに雫の好きな時間は破壊されて空虚で退屈なお時間の始まり。雫はイヤホンを耳の中に押し込んでラジオを出して机の上に頬を乗せた。

ラジオは、いつだって一番早く新しい情報を提供してくれる。新曲が雫の鼓膜から脳細胞の隅々まで刺激してくれる。

担任の森脇和恵の話しは一時限目の授業が始まるまで続く。たぶん、和恵は生理中だと雫は予想した。それが的中するように和恵は雫からラジオを没収した。耳からイヤホンが外れた瞬間に砂漠化した時間が永遠と始まる。ウンザリだ。

ダメだ!狂!今は出てくるな!雫は狂を止められなかった。狂という名前の僕のもう一つの人格が席を立って和恵からラジオを取り返して

「先生、先生の下半身から生命の営みが聞こえてきますよ。いや、それとも亡霊の泣き声かな。」と狂は言って唾を床に吐いて席に座った。

そして狂は、雫に亡霊の泣き声とは○○と親切に教えてくれた。狂の突然で大胆な行動は周りの生徒から気味悪がられている。だから、雫と狂は学校で孤立している。

cheapfriend

【あの、和恵って言う教師、セックスする時どんな声をあげるんだろうな?声とはつまり艶かしい喘ぎ声の事さ。】狂は、勝手に授業中も雫の頭の中で喋り続けている。

昼休みの、時間になると中学が同じだった桐谷伸二と青い空が広がっている屋上で弁当を食べる。「上村君、かなりこの学校で有名人だよ。気色悪いとかでね。」悪気もない様子で伸二は肥満した体を揺らしながら言った。

伸二とは中学時代、話した事がなかったが受験の時に席が隣になってから親近感を持たれて一緒に弁当を食べる羽目になっている。

幼い頃から、狂は雫の中にいたが最近は頻繁に出て来ては雫に迷惑の種を蒔いていく。中学時代に、あと少しで一人の女の子を妊娠させるところだった。

狂は、女からモテた。

でも、コンドーム無しでセックスして、女の子から生理が遅れていると聞くと狂は女の子の腹を殴って首を絞めて窒息死寸前まで追い込んだ。

通りかかった教師が止めなかったらたぶん、僕と狂は今頃、少年刑務所で不味い飯を食べて兵隊みたいな生活をしていただろう。

殺しが未遂に終わって、地元の中堅レベルの高校に入学した。そしてデブの伸二と死にたくなるくらい真っ青なお空の下で呑気に弁当なんて食べている。

シャワー

自宅に戻ると雫は手も洗わずにシャワーを浴びて一日の汚れきった油という邪気を洗い流す。
顔にシャワーを浴びると自分が生まれ変われるといつも感じる。頭からシャワーを浴びる時は敗北者のようだ。

シャンプーを濡れた頭に擦り付けて泡を立てる。そして、脇毛も、陰毛もシャンプーの泡でゴシゴシする。要するに石鹸やボディーソープを使うのが面倒なのだ。なので背中、脛、尻なんて垢擦りに行ったらすごい垢が取れるんじゃないかと思う。

バスルームから出ると雫はタオルでさっと体を拭いて裸のままリビングルームに行って下着が入っている箪笥に向かう。「また、裸で出て来て。」と夕食を作っている母親に言われながらトランクスを履く。雫は、高校生になって白ブリーフを卒業してトランクス派になった。トランクスはアソコがブラブラしてスースーするから最初の履き始めは落ち着かなくてすぐにブリーフに履き変えたものだったが慣れて来ると気にならなくなり快適になった。

宗教の自由

雫の、父は、自営業で建材屋。姉は、短大生で東京の厳重な寮生活。裕福な家庭に育ったと思っているが、母は、自分の母親と雫には祖母に当たるが折り合いが悪い。週に三日は、宗教の集会に出かける。出かける時に雫に見せる視線が妙に優しげで嫌になる。一緒に行こうという目でのサインはウザいの一言につきる。

雫が、幼い頃、小学六年生ぐらいまで姉と雫は集会に連れて行かれていた。讃美歌を歌い。聖書のマタイ何章やらを読んだり、うたた寝したりしていた。集会では、居眠りしている人間なんてたくさんいた。神を、崇拝する人間も居眠りするもんだという事はひねくれている狂でも理解出来ないようだった。

ハルマゲドンが、来ると言われて雫は夏の夜に夢遊病にかかり記憶は無いが風呂に入ったり魘されたのは神様が乗り移ったのかもしれない。終わりの日なんてこの世には無い。この世はもう終わっているのだから、すでになと狂は言い放った。雫は全ての事を素直に受け止めようと思っているのにいつも狂がチャチャを入れて来る。

黒板

授業中の静けさは砂漠に吹く風に似ていると狂は言う。教師の持つチョークと黒板の擦れる音がたまに頭の中を狂わせておかしくなって叫び出して静寂を破りたい衝動にかられる。狂のように雫も十六歳という多感な感受性を持つ生き物として生まれ変わろうとした。

このクラスには過去にリーダー的番長がいた。みんなからはゴレムと呼ばれていた。体のデカイ男子生徒、武田強、今はその大きな体を小さくするようにかがみこんで黒板を見て一生懸命ノートを取っている。狂のせいだ。ゴレムは中学時代番長をしていて、こんなちっぽけな三十五人のクラスの頭になるなんて容易いと思っていたが、入学式の日に狂に鼻の骨をへし折られて今は物静かな勤勉な生徒になっている。

三日月

雫をターゲットにして狂にのみ込まれる人間はたくさんいた。学級委員の矢島香織もその一人だ。香織は、雫に自分の気持ちを告白して今は狂の性の玩具と化している。放課後の教室で夕焼けに染められた彼女の裸体を見て油絵を描いている。香織の体のしなやかさは新体操で鍛えたものからきてるようでおへその形は三日月のように美しかった。

しかし、雫にも狂にも屈しない男が別のクラスにいた。塩崎哲は、何回も喧嘩を吹っ掛けて来ては狂に蹴り飛ばされても何回でも起き上がって来る。バイ○ハザードのゾンビのようだと狂はゲラゲラ笑って哲を銃で撃つ真似しながら蹴りあげてトイレの便器の中に放り込む。

狂は、欲望のままに行動した。理性の雫に欲望の狂。対照的な二人が一つの体と脳に共同生活している。

SNS

哲を殴りつけて自宅謹慎処分を受けた雫は家のベッドの上で寝転がりながらスマホのあるアプリのコミュニティサイトにアクセスした。狂は馬鹿にしてきた。雫は無視して趣味の合いそうな人物を探して社会人を装ってビール好きの二十四歳のOLにメールを送った。「ビール好きなんですか?」という質問メールをした。

雫にとってビールは狂のようになれる自分に酔いしれる代物だった。初めて飲んだ時はあまりの不味さと苦さに引いたが酔うという世界の扉を開けてアルコールとはなんて素晴らしい物だと思った。理科の実験室でじっと待っているアルコールランプは哀れだとさえ思えた。素晴らしい世界に誘うビールに雫は酔狂している。

嫌な事や、眠れない夜があると父のビールを冷蔵庫からくすねたり帽子を被ってコンビニにビールを買いに行ったりしていた。日本酒はアルコールの度数が高すぎて飲んだ後にゲーゲー吐いた。狂は、その雫の姿を見てゲラゲラ笑っていた。

狂は、酒は嫌いで、女と暴力、イジメと煙草が好きらしい。たまに老け顔のゴレムをパシらせて煙草を買いに行かせている。自販機で買う時はゴレムは自分の父親の認証カードを使って法の目を掻い潜って煙草を買って来る。世の中便利になったのか不便になったのか分からないと狂は怒ってゴレムを蹴り飛ばしていた。

「ビール好きですよ。」という返信メールが来たのは雫がメールをしてから二、三日経過してからだった。「良かったら、今度、飲みに行きませんか?」と雫は思い切ってメールをしてみた。期待半分、冗談半分だった。

良いですよ

孤独と繰り返される毎日の混沌。みんな窒息しそうな金魚のような目をゴシゴシして生きていく。その先に何があっても何もない事を知りながら。楽しいという快楽は薬物やセックスでしか補え無いわけではない。ただ好きな人が、ただ側に居てくれれば良いと雫は願う。そして叶わなくて嘆く、そこに幸せがあるのではないかと雫は考えている。『良いですよ。』とアプリに返信メールが来たのは土曜日の昼下がりの時で狂とテレビゲームをしている時だった。狂は、少し興奮してどうするつもりだよ、おい!その女に会って僕はビール好きの十六歳高校生だって告白するのか?しないよ。ただ、雫には、その『良いですよ。』の文字がとても温かくて優しいものだと感じた。たまに来る出会い系のメールのような粗悪で俗物的とは感じなかった。

ビール

狂が、また哲をトイレの便器に投げ込んでくれたおかげで雫はまた自宅謹慎処分を学校から受けた。雫はメール交換していたOLと飲みに行く事にして最寄り駅で待ち合わせした。
待ち合わせに現れたOLの美沙子は全体的に肉弾的で背が高かった。メチャ胸デカ!と狂は言って美沙子の胸の谷間ばかり見ている。

「アルコールって良いよね。何か飲んで酔うと自分ていう殻を脱ぎ捨てられる感じがして。」
と美沙子はビールを飲みながら静かに言った。

「確かにね。自分自身を装う事で生きられる世の中だからね。」雫は会って直ぐに自分は高校生だと告白した。180cm近くある背のある雫は黙っていればバレなかったと思うが何故か美沙子の優しい雰囲気に解されて正直に言った。

美沙子は、笑って「だと思った。」と言った。その表情が少し寂しそうで何かを訴えていると感じた。

社会という足かせをつけられて歯車になっている自分自身に失望していても毎朝起きて出社して笑顔を振り撒き、事務、雑用をこなして控室で無表情でテレビを観ながら母親の作ってくれた弁当を食べて一息ついてまた午後の仕事。その歯車が彼女を輝かせている半面でカチコチに固まったコンクリート人間にしていると雫は思った。

出会いと別れ

美沙子と雫は、ビールを飲みながらたわいもない学校と会社の話をしたり趣味の話をした。美沙子は本をほとんど読まないと言う。狂は、フロ○トや太○治を勧めると言った。雫は、今、ベストセラーになっている本はなかなか良いよと勧めておいた。彼女は、たぶん本は読まない。ファッション雑誌などをコンビニで立ち読みして貯金残高を気にしてコンビニを出て行く姿が想像出来る。そして自宅に帰り自室に籠ってテレビを流し見して布団に入り眠りにつく。とても単調で狂は気が狂っちまちそうだと吐いた。「毎日、そうやって過ごす事は誰にでも出来るようで出来ない事だからすごいよ。」と雫は心の奥底から思って言った。美沙子は本当に嬉しそうに「ありがとう。」と言って笑った。

もう二度と会う事も無いだろう美沙子に雫は駅の改札口でまたねと言って別れた。一発やらねーのかよと狂は言っているが雫はそんな気にはなれなかった。自分が彼女の生活の一部になって美沙子がコンビニに入りファッション雑誌を買って服装を気にして生きるようになるのはかわいそうだと思ったからだ。いつかは来る別れを分かっていた。

出会いは別れの始まりだろと煙草を吸いながら狂は呟いた。詩人だねと雫は狂に言った。たぶん、俺様の前世は松○芭蕉だと思うんだよなと狂は妙に畏まった感じで言うので雫は笑ってしまった。

駅のプラットホームにはサラリーマン、高校生、OLがたくさんいる。みんなそれぞれの小さな小さな世界という家に帰って小さな小さな問題を抱えながら夕食を食べて晩酌をして妻の愚痴などを聞き流しつつ新聞を見て眠りにつくのだろう。それは明日もこのプラットホームに立っているために。

蹴り

グラウンドという檻の中で球蹴りの授業を雫は受けている。狂は、鉄棒が無い事に腹を立ててふて腐れている。

完全にアウェイな雰囲気を感じるのは自由にサッカー、バスケット、ハンドボールと学期ごとに希望が出せるからだ。雫のクラスメートは球蹴りを熱い時期にはしたくないらしい。パスすら誰もくれない。これなら公園で狂と鉄棒している方がマシだと雫は暗くて居心地の悪い気分がした。

審判をしている体育教師は雫にパスをもらいに行けと指示を出す。そう命令されるとなお更パスをもらいに行きたくなくなる。大人は子供が放って欲しい時には絶対的な確率で放って置いてはくれないものだ。

パス

雫は、仕方ないので前線へと移動してパスをもらえる位置に走り込んだ。そうすると足元にピタリとボールが転がって来た。そして雫は簡単にシュートしてゴールを決めた。

その動きを何回も繰り返して雫はハットトリックを決めた。これで体育の成績も少しは良くなるだろうと雫は思ったが、パスをしてくる奴が狂の気に食わない生徒会で書記なんかをしている沢村昇だった。昇は司令塔になったつもりで雫にパスを出して来る。

サッカーは、リンチが発生らしいぜと狂は体育教師目掛けてボールを蹴る。昇のガキ、自分に酔いしれてやがる。日本代表のサッカーみたいにパスばかりしやがって日本は点取り屋の目立ちたがり屋がいないから弱い。協調性という名の下で教育を受けて育った日本人は世界に通用するわけがないと狂は一人でサッカー論を語っている。

雫は、突然、後頭部に衝撃を受けて砂利の上のグラウンドに倒れた。倒れた衝撃で口の中に砂利が入り気持ち悪い感触が口の中に広がった。
「大丈夫?」と優等生の昇が言って雫の体を支え起こした。狂が出て来て昇を拳で殴りつけて倒れた昇の腹や背中を蹴り飛ばした。雫は、大丈夫だったが狂は攻撃には攻撃で仕返しするタイプで昇が泣き出すまで殴る蹴るを繰り返した。

体育教師に止められて狂は「この筋肉バカ!」と叫んで反省文を書かされる羽目になった。良かったじゃねーかよ、文章能力が飛躍するチャンスだぜと狂は皮肉を言った。雫には、グラウンド全体が砂漠に思えた。ざらついた空気、喉の渇き、雫は久しぶりに苛立ちを感じた。

放課後の教室には、和恵と雫と狂しかいない。あの女教師を犯してその感想文を書いてやろうかと言う狂を無視してカリカリカリカリと反省文を書いた。

暴力には暴力ではなくイエ○・キリストの言葉を引用して右の頬を打たれたら左の頬を相手に差し出しなさいと雫は書いた。ガ○ジーの非暴力についても書こうと思ったがやめておいた。狂は、ガ○ジーかイエ○・キリストと戦いたいと言っている。せめてお釈○様にしておけと雫は言った。昇は、狂に顔面を蹴り飛ばされて失明寸前までいった。失明したら神になって手を翳して治してやったのにと狂はゲラゲラと笑いながら言った。

薄れ

最近、狂が薄れていくのを感じた。陰毛と腋毛が生えて来た時は一日中、狂は出て来なかった。髭も薄っらと生えて来て背もまだ伸びている。その度に狂は大人になんてなるんじゃないと怒った。声変わりはもう終わっていた。成長になるに連れて高校に行くのも億劫になってズル休みをして公園で狂とボーっとしている事が多くなった。

世界が一変したとはこの事かもしれない。今まで無意識に義務教育という強制的なレールを走らされていて高校生になって脱線する事が許された。狂の場合はいつも脱線事故を起こして喜んでいる。狂が見えなくなった時の不安は子供が大人の世界に放り込まれてもみくちゃにされて生きて行くような感覚だった。狂がいなくなった日は狂を一日中探した。学校を休んで狂を探して日が暮れて大人の世界が孤独の牢獄だと知って泣いていると雫の腰の辺りを触る狂が現れた。ごめんね、何か体が小さくなってずっと隠れていたと狂は少し寂しそうに静かに言った。

メール

美沙子から、毎日のようにメールが来るようになった。高校を卒業してから、ずっと今の大手の食品会社に勤めて事務をしている事や本当はビールよりも芋焼酎の方が好きな事とか、このままずっと同じ繰り返しの毎日におかしくなりそうとか。美沙子は強い鎧を被った反面、繊細で傷つきやすい女だった。五、六年間同じ職場で働いてる事はすごいとか一つの事をずっと続けていくのは偉い事なんだよと雫はメールを返信した。

嘘つきとベッドの上で漫画を読んでいる狂が言った。「嘘じゃないさ、本音の嘘。」

ふん、綺麗事だねと狂は漫画を閉じて寝てしまった。最近、狂は雫の頭の中から離れて行動する事が多くなった。狂の体も小さくなり、今は身長150cmくらいしかなくなった。少し前は160cmくらいはあったはずだった。

偽善者

父親とは、最近、滅多に顔を合わせなくなった。朝に会っても何も話さないで新聞を読んでいる。狂は父を『アイツ』と呼んだ。アイツは自己中心的で自己愛の塊だと言う。

雫は、一週間学校を休んで公園を狂とブラブラしていた。そうするとゴレムと昇が雫に学校のプリントを持って来てくれた。狂はゴレムに煙草を買って来るように指示した。ゴレムはダッシュで煙草を買いに行った。よほど、狂を恐れているみたいだ。

「森脇先生もクラスのみんなも上村君の事、心配している。」昇は、オドオドしながら言った。「了解。明日から行くよ。目、大丈夫?」狂に殴られてまだ腫れている昇の瞼を見て聞いた。「全然、大丈夫だよ。」こいつ嘘をついてるぞと狂は頭の中で疑惑の声を上げた。そんな事無いだろう。どうかな?みんながガ○ジーやイエス・○リストなら話は別だけど殴られた相手に気を使うなんて幽霊なんじゃねーのかコイツ。

狂は、走って帰って来たゴレムから煙草を奪い取って吸い始めた。雫の体に煙草は入って来るが脳の中にいる狂にしか煙草のうまさは分からない。ゴレムはデカイ尻を狂に蹴り飛ばされながら顔に苦笑いを浮かべている。

「ガ○ジーとイエス・○リスト、どっちが好き?」と雫は昇に聞いた。昇は思案するような神経質な顔になって「ガ○ジーかな。」と答えた。「何で?」「イエス・○リストはいたぶられて死刑になったでしょう。痛いのは僕は嫌いだからね。」と少し傾いた眼鏡をかけ直しながら昇は言った。ガ○ジーか非暴力愛好家かよ!この眼鏡猿と狂は昇の顔に煙草の煙を吹きかけてゴレムのオデコで煙草の火を消した。ゴレムは悲鳴を上げて水!水!と言って帰ってしまった。狂はその様子を見てゲラゲラ笑った。

花瓶

学校に行くと雫の机の上には花瓶が置いてあった。雫が、教室に入ると騒いでいたクラスメイトが静寂の中に閉じ籠った。まるで死刑囚を見送る神父のように哀れむような顔つきだ。

狂は、花瓶を手に取って昇に投げつけた。そして「このクソ野郎!」と叫んで昇に馬乗りになり殴り付けた。「殴りたければ殴れば良いだろ!この二重人格者が!」と昇は口から血を流して叫んだ。昇の鉄錆臭い血で雫と狂の手が染まる。やめろ!狂、これ以上やったら死んでしまうぞ。うるさい!こいつは俺様を死んだ者にしたんだぞ。裏切り者のユ○より酷い奴だ。しんじまえ!しんじまえ!と狂は殴り続けた。

騒ぎを聞きつけた教師数人がかりで雫の体を昇から引き離した。「こいつはユ○だ!裏切り者で金に目が眩んで自殺したユ○だ!」と狂は叫び続けた。

パラダイス

「学校で、問題起こしたんだって?」と父が新聞を閉じて雫とは目を合わさずに聞いてきた。夕食の食卓に冷たい空気が流れた。ヤベーぞ、アイツが話しかけてきたぜ。狂は珍しく萎縮したような声を上げた。「別に‥。」と雫は素っ気なく答えた。この父親という塊をした物体は自分の妻からもアノ人と呼ばれるようなロボット人間だ。鉄のような頑丈な精神と肉体で人に弱さを見せようとしない独裁者のように雫の目には写っていた。ヒ○ラーとゲシュ○ポを合成させた物体はさすがに俺様も苦手だぜと狂は呟いて脳の片隅に隠れてしまった。「大概にしとけよ。」とアノ人はそれだけ言うと自室に引き上げた。母はほっとしたような安堵した表情を見せた。「母さん、僕が、父さんと喧嘩するとでも思ったの?」母は何も言わずに寂しそうな表情を顔に浮かべて笑うだけだった。いつも母はそうだった。父との会話など無く、寂しさから新○宗教にのめり込んで神を信じて、この世は酷い所だと思い、パラダイスがいつか来ると願っているだけの気持ち悪い母親だ。母は群衆から石を投げつけられていた女のようにイエス・○リストに助けられたのだ。幼い頃に連れて行かされた週三日の集会は雫には苦痛でしかなかった。みんな笑顔で雫に接してくれたが、讃美歌を歌って感動で涙を流す母の姿は哀れで恥ずかしい存在だった。狂は大声で讃美歌を歌い。聖書を読んではゲラゲラ笑っていた。パラダイス=楽園なんてあるかよ。死んだらそこでゲームオーバーなんだよ。誰かが死ななかったたらこの世は楽園という投獄になっちまうぜと狂は言った。

哲学

家の中に、いる事に何故だか息が詰まりそうだった雫と狂は家という刑務所から抜け出して近所で母校である中学校に侵入した。

砂埃とねっとりした夏の夜風が雫の顔に張り付く。狂は、ここのグラウンドを田舎のオアシスと呼んだ。「矢島香織はどうしたんだよ?最近、放課後セックスしてないじゃん。」と雫は狂に聞いた。「もう飽きた。あいつ自身に飽きたと言うよりもあいつの体に飽きたと言った方が正しい理屈であり見解なのである。」最近、狂はシェイ○スピアやドス○エフスキー、プラ○ンと言った歴史的人物の書物を良く読んでいて、屁理屈という博学者になりつつある。戦下手な石田○成よりはマシだと雫は思っている。
狂は戦には強い。しかし、徳川○康のように気が長くないので本○寺の変を起こしてしまう明智○秀か前田慶○といった人物が前世かもしれない。気が短くてこの世を馬鹿にしながら楽しむ感じだ。

「人を殺したら罪と罰のように人間は狂人になってそして廃人になって正気に戻って新たな光のある未来への道を歩んで行く的な感じなんだろうかな?」と狂は雫に聞いた。「賢い人間は人なんて殺さないよ。」と雫は答えた。「素晴らしい見解だな。」狂の声が雫の脳に流れ込んで来て体に滲み出る。夜風が少し冷たくなって来て狂は寒い寒いを連発する。近くの自動販売機で缶珈琲を買って飲んだ。珈琲の甘味が雫と狂の脳に染み渡って行く。狂がいきなりグラウンドを走りたいと言うので意味もなく走った。サッカーゴールの前。プールの前。体育倉庫の前を横目で見つめながら走った。ベタついた空気は汗に変わり、雫の体を夜の闇へと誘う。「ランナーズハイになるのはセックスよりも気持ちいいぜ。」と狂は言った。「何で?」「セックスよりもアドレナリンが多く分泌されるからじゃね。」としれっとした調子で狂は答えた。

ラジオ

三回目の謹慎が解けた久しぶりの教室は前よりも更に陰湿で冷たい空気が流れていた。お前をみんな避けてるぞと狂は言うが本当は狂を避けているんだと言ってやりたかった。雫は、誰とも口を聞きたくなかったし誰にも関わって欲しくなかった。しかし、森脇は余計なお世話な発言をしてくれた。「みんな仲良くするように。」三十五人の生徒みんな仲良しだったら何人子供が出来るんだよ!アホ!と狂は森脇に指でタイマンをして言った。

四時限目の国語の授業が自習になって教室中が歓喜の声を上げて騒ぎ始めた。同時に雫もスマホでラジオを聴き始めた。しかし、ラジオからは鬱陶しいDJの声しかしなかったのでYou○uでビー○ルズを聴き始めた。狂は、曲に合わせてエルビィス○レスリーのようなダンスをし始めた。雫は、静かにイエス○デイを聴いて、この曲は雨が降った湿った日に聴くと一番良いと感じていた。

そんな調子でいると、ゴレムと昇が雫の机を蹴り飛ばした。そして雫の首をゴレムは掴み上げようとしたが身長175cmのゴレムは180cm近くある雫に見下ろされてムカついたのか雫の醒めた瞳に恐怖したのかそのまま殴り飛ばした。雫は、何事もなかったようにゆっくり立ち上がって机を直して座りまたイエス○デイを聴き始めた。今度は、血走った目をした昇が雫のイヤホンを乱暴に掴み取ると「この狂人が!」と叫んで殴り付けて来た。昇の細胞から繰り出された拳は雫の左目に直撃した。狂は、ワォッと愉快そうに叫んだ。

「三日月。上弦の月。小望月。満月。そして今晩は満月だ。」と雫は言いながらイヤホンを付け直してHey○udeの曲に合わせて狂に人格と体を預けた。

雫は、脳の片隅でHey○udeを聴きながら静かに眠った。そして夢を見た。髪の毛を金髪に染めてムースで髪の毛をオールバックにして派手な竜の刺繍がしてある学ランを着ている少年と砂漠のグラウンドをはしるのを。たぶん、その少年は狂だと思った。

狂と雫は、競争するように砂に足を取られながら走った。まるで砂漠のグラウンドは造花のように変化がない。走っているうちに雫は足を取られて砂漠の上で転んだ。狂は、雫を見ながらゲラゲラ笑ってヤッホー!と叫んで、すごい速さで走って行ってしまった。

バット

意識が、戻った時には雫の手に血で染まったバットが握られていて教室の中央に立っていた。ゴレムと昇が頭から血を流して近くで倒れていた。女子生徒の悲鳴がした。駆け付けた教師達に雫は押さえつけられて床に頭から倒れた。教室の床がこんなにも冷たくて気持ち良い物だったならもっと早く床に頬ずりするべきだったと雫は後悔した。狂を呼んだが狂は返事をしない。狂!狂!と雫は、何回も呼んだが狂は何も応えてはくれなかった。グラウンドに行きたいと雫は思って取り押さえている教師達を振り払って拳で殴り付けてバットを手にして教室を脱出した。

グラウンドに到着した雫はグラウンドの中央に立って「狂!」と叫んでトラックを走り始めた。そうするとHey○udeは名曲だぜと狂が声をかけてくれた。荒い息を上げながら「ああ!」と雫は答えた。今度はカーペ○ターズを聴いてみると良い。小学校の給食が食べたくなるぜ。確かに、小学校の給食時間にカーペ○ターズが流れていた気がする。トマトスープとカーペ○ターズ。走っている内に雫は頭の中がハイになって来た。パトカーの音がそれを遮って、警察官が雫を捕まえようと必死の形相で追いかけて来る。

雫と狂は、ゲラゲラ笑いながら鬼ごっこしてるみたいに逃げ回った。俺達は、砂漠の勇者だ!と狂は叫んで警官の頭をバットでフルスイングした。ぐにゃっという心地いとは違う人間臭さの塊のような感触を手に雫は感じた。狂は、残りの警官の頭もバットでフルスイングして最後に駆け付けて来た森脇の顔面スレスレのところでバットを止めた。雫は、何でバットを振り下ろさない?と狂に聞くと狂は、照れ臭そうに俺様は意外とこの先生が好みなんだよと呟いた。雫は、大笑いしてバットを空高く虚空に放り投げた。

アノ人

雫が、パトカーに乗せられる時に、森脇は寂しそうな顔をした。狂は、そんな顔すんなよ、美人が台無しだぜと言った。雫は、ニッコリ笑って狂の気持ちが初めて分かった気がした。

警察には、母が迎えに来た。アノ人が自殺したと雫に母は静かに言った。アノ人が自殺?そんな勇気があったなんてと思った。いつも機械のように生きて来たアノ人と言う父親。何故か、空虚な空洞が雫の心を襲った。

アノ人にも、心があって毎日の繰り返しの虚しさを感じたのだろうか?鉄のように強く生きて行けと雫に言っていたのに自分自身は自分を殺した。呆気ないアノ人の最後。会社の屋上から飛び降りて死んだ。

夜には、親戚が集まりお通夜、葬式の用意が着々と進んだ。家の中は久しぶりに人でごった返して狂はきょろきょろしている。母は、放心状態で親戚が母の代わりに葬式の段取りをしてくれた。父の死体はぐちゃぐちゃで見れるものではないから見ない方が良いと叔父に言われたが狂が見たいというので見た、その衝撃は狂と雫にズッシリとのしかかり脂汗をかいて失神した。

サヨナラ

線香の匂いが鼻を通過して脳内に侵入して来て雫は目を覚ました。ゴレムと昇に殴られた箇所が痛んで腕は筋肉痛だ。夢を見た。アノ人が母さんを頼んだと雫に頭を下げていた。初めて置いていかれる恐ろしさを感じた。待って、父さん、まだ行かないで、まだ話したい事があるんだ。もっともっと父さんが好きな音楽や食べ物を知りたいんだ。本当に母さんを愛していたのか。父さん待ってくれよ、僕を置いて行かないでよ。本当は父さんに愛される息子になりたかったんだ。雫は、夢の中で泣きじゃくった。父さんは、お前には幼い頃に死んだ兄さんがいたんだと告白した。これからも兄さんがお前を守ってくれる。兄さん?兄さんって誰だよ?待ってくれよ父さん。父さんは背を向けて高い高い白い階段を上がって行ってしまった。その先に眩しい光があって父さんは一度だけ振り返ると笑ってサヨナラと言った。

葬式は、しめやかに幕を閉じた。父の死体は焼かれて骨の屑と化した。煙と共に父の魂は空へと消えてしまった。もう、父が新聞を閉じる音が聞けない。親戚の叔父や叔母に「お母さんを頼んだよ。」と言われたがまるで実感も責任もない。何が頼むだよと狂は悪態をついた。誰かに会いたくなって美沙子にメールしたが二、三日しても返信はなかった。フラれたなと狂はベッドの上で漫画を読みながら言った。

「狂、お前、僕の兄さんなんだろ?」と雫は父の言葉を借りて聞いた。「ふ、兄さんかなんて問題じゃないだろ、俺様はお前が作り出したもう一つの人格さ。」「もう、僕は大丈夫だから消えてくれないか。」雫は苦虫を噛んだような顔をして言った。「お前は、俺様がいないと何も出来ない弱虫だろ、俺様がいれば何も問題はないだろ。」

窓の外に降る雨の粒が窓に張り付く、そして粒が大きくなって流れて落ちる。その粒を見つめながら雫は悲しい顔をして狂を見た。

「分かったよ、消えるよ、達者で暮らせよ。」と言って漫画を放り投げて狂の姿が消えかかった。そして優しげに笑って「母さんを頼んだぞ。」と言って消えた。

狂の姿が消えてから雫は「ああ。」と答えた。

午前中に降り切った雨は午後には上がって雲の切れ間から太陽が光を放って顔をちょこっと出した。母は、父の位牌が置いてある畳の部屋の机の上で寝てしまっていた。雫は、小さくなったような気がする母の背中を優しくさすって母さんと小さく呟いた。

雫は、狂のいなくなった世界に一歩踏み出すように父の位牌に手を合わせてサヨナラと心の中で呟いた。

砂漠のグラウンド

砂漠のグラウンド

僕と俺は、二重人格だ。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-04-20

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 朝日
  2. cheapfriend
  3. シャワー
  4. 宗教の自由
  5. 黒板
  6. 三日月
  7. SNS
  8. 良いですよ
  9. ビール
  10. 出会いと別れ
  11. 蹴り
  12. パス
  13. 薄れ
  14. メール
  15. 偽善者
  16. 花瓶
  17. パラダイス
  18. 哲学
  19. ラジオ
  20. バット
  21. アノ人
  22. サヨナラ