bloom wonder 5
《かんたんキャラクター紹介》
◆三島一臣(21・♂)……外見・和種×ハスキーの大型犬といった風情。チャラい外見でお調子者キャラながら人間関係を観察し姑息に立ち回っている。
◆七原千彰(29・♂)……外見・黒目・黒髪。痩せ形ながら鋭角的なパーツは少なめ。『仕事はできるが、何を考えてるのかまったくわからない男』(三島評)
◆新名昴(にいな すばる)(19)……双子の兄。特技・早とちり・空耳。動物。
◆新名晶(にいな あきら)(19)……双子の妹。特技・即時訂正。ボーイッシュ。
◆宮蔵青(みやくら あお・23・♂)……どっかの島の出身。人懐っこく感情豊か。落ち着きがなく、目を離すともう消えている。
◆藤村蓮樹(ふじむら れんじゅ・23・♂)……おっとりと育ちの良いイケメン御曹司。3年間の期限付きで修行中。『スペックのわりに全然モテない』(三島評)
◆武蔵野糸鶴(むさしの しず・25・♀)……通称『シズ』。広報担当。店のブログ更新が趣味の域に達しており、端末を手放さない。
◆久慈継穂(くじつぐほ・28・♂)……実直な性格。居るだけでそこはかとない安堵感。『クマさんっぽいイメージ』(三島評)
◆志村すみれ(31・♀)……外見・オリエンタル系の美人。最悪すぎる第一印象のため、三島には大変嫌われているが、スタッフの人望はあるらしい。
◆森見修(33・♂)……バリスタ。眼鏡。おしゃれパーマ。『だるい。エロい』(三島評)
◆信永(59・♂)……ベテランフロアマネージャー。
◇清瀬陽世(きよせ おきつぐ・27・♂)………以前『paigue』で働いていた。現在は食品関係に強い企画プロモーションの会社に勤務。七原となにかトラブルがあったらしいが……。
打診
「三島」
昼休みの終わり頃、歯を磨きに行こうとしているところで呼び止められた。
あまり聞きたくはなかったきっぱりとした響きの声に振り向くと、相手はやはり志村マネージャーだった。
幸いというかなんというか、詳しくは知らないが、最近は外渉のからみで忙しいようで、顔を見るだけでも1ヶ月ぶりくらいのことかもしれなかった。滅多に会うこともない相手にこんなところで捕まってしまうとは、なんともタイミングが悪いと思う。
「はい」
瞬発的にこみ上げたうんざりとした気分を、振り向くまでの短い間に業務用の人畜無害な顔でコーティングする。志村は第一印象から大っ嫌いな女ではあるが、俺は雇用主である相手にわざわざ感情を露わにするほど、自分に正直でも向こう見ずでもない。
一方で志村の方はといえば、会えば忌憚のない挨拶をする程度だが、いっそ清々しいくらいに、面接の時の自分の発言など覚えてもいない様子だ。
以前リセと話をしている時に、知らず知らずのうちに志村の愚痴になっていたことがあって、「臣が女の人のことをそんな風に言うのって珍しいよね」と変に関心を持たれてしまったことがある。確かに、プライベートで愉快でもない仕事の話を持ち込んだことについては、自分でもどうかしていたと思えたので、自ら振ったものではあったものの、「10こ年上で、体格はほぼゴリラ、顔はおにぎりみたいな女なんだ」と言ってさっさと話を切り上げた。実際の志村の容貌を口にしたら、(それが本当に単なる事実であろうとも)リセも俺自身も、意味もなく気分を害することは目に見えていたからだ。
だいたいにおいて、女は異性に自分以外の同性を褒められると、「へぇー、そうなんだぁ〜」とか口では言いながらも顔が不自然な笑顔で固まる。そしてそのことを延々と根に持ち続ける。それでいて、自分は知り合いですらなく、良いところしか見えていない男タレントなどを褒めそやす。はっきり言ってまったくフェアじゃない。その場で拗ねて不機嫌になるなんて、まだ可愛気があるほうだ。
興が乗った彼女に「えー。じゃあ具はなぁに?」と突っ込まれ、なんとなく「んー。岩塩かな」と答えたために、志村のあだ名はすっかりと『岩塩』で定着している。
「ちょうど良かった。七原に、キリのいいところで執務室に顔を出すように言ってくれないか」
何を言われたところで無難な対応でやり過ごす構えであったにも拘らず、えっ、と思いつい顔を見てしまう。長話をしたいような相手ではないので、伝言だけ受け取ってさっさとその場を後にすればよかったのだが、なんとなく引っ掛かりを感じて立ち止まってしまった。本当にただ、なんとなくではあったのだが。
好奇心とも言えない引っ掛かりを察したわけではないのだろうが、志村が話を続ける。
「先週、メールでオファーが入った。相手は以前ここで働いていた清瀬という男なんだが、今はフード関係の企画会社をやっているらしい。なんでも、どこかのフード店のブランドを立ち上げるのに、七原に『paigue』のショコラティエとして、新規からアドバイザーとして携わって欲しいという話だった」
「へえ、すごいじゃないですか」とでも返せば良かったのだろうが、すぐには言葉が出なかった。志村のどこか他人事のような言い方と、挑発的とも取れるような目の底光に、不可解なものを感じたからだ。
「───というのは表向きの話で、実際の目的は七原個人の引き抜きだろうな。フード関連のイベントプロデュースのほかにも、独自に持っている人脈とノウハウを使って、企業と技術者なんかのマッチングみたいなことも手がけているようだ。見たところ、そこそこの実績もあるみたいだな。若い会社だけあってフットワークも軽いし、けっこう面白いことをしている。デモンストレーションとして提示されている条件も、七原の知名度とキャリアからすれば、破格の扱いだ。なかなかどうして、堂々としたもんだと思わないか?」
と、ご丁寧に、資料らしきファイルの紙束を俺の目線まで掲げて見せる。
不意打ちに、とっさに顔を装うことができなかった。単純に、驚いていた。
今の七原は店にとって、今日明日居なくなっても簡単に取り替えが効くような軽い存在ではないわけで、どう間違っても、経営者として感心したような顔で言えることではない。はず。
「そ」
動揺がもろに表れしまった第一声をいったん引き取り、言い直す。調子が狂った自分が嫌だった。
「……それを、なんで俺に?」
どう考えても、まず順番として妥当なのは信永さん、もしくは当人に直接伝えるべき内容だろう。
その、”キヨセ”というのがどんな人間なのかは知らないが、俺が志村だったら、間違いなくそんな本音が透けて見えるようなナメた打診があった時点で、それなりの牽制を仕掛けた上で、即時に握り潰している。根拠などは無くともわかる。こいつだったらそれ以上の報復措置であろうとも、なんなくやってのけるはず。
問題は、わざわざこんな下っ端を捕まえて、そんな伝言を頼もうとする志村の肚が見えないことだ。
「さあ、なんでかな。まずは反応が見たかったのかもしれない」
何のだよ、と思う。だから嫌なんだ。この女と話していると、いつも喧嘩を仕掛けられているような気分になる。自分という人間の底を見透かした上で、さらに回りくどく試されているような気がして神経がざらつくのだ。言い草も、表情も、すべてがムカつく。
何を口にしたところでこいつの思うがまま、すべてが裏目に出そうな予感が、口を開くことを躊躇わせる。
「七原は……」
珍しくも歯切れ悪く言葉を止める。そこまでこちらの出方を、どこか面白がっているようにも見えた志村の目が、不意に遠くなった。
「いや、いい。もう時間だろう。とりあえず用件は伝えた。七原には、今日中ならいつでも構わないと言ってくれ」
は?
ふざけんな。
「ちょっと、待ってください」
「なんだ」
言いたいことだけを言い、ハイヒールの踵を返した志村が、顔半分だけ振り返る。
「志村マネージャーは、受ける気なんですか?」
「受ける、受けないは、七原が決めることだ。私は話を通すだけで、その先のことに関知する気はないよ」
………こいつ。
「わかりました。七原さんに伝えておきます」
「そう。じゃ、頼むよ」
呼び止められたことで、やや疎ましそうに顰められていた眉間がゆるむのを見届ける。
「ただ、その時には、自分も同席させてください」
「……おまえ、なんの話をしているんだ?」
今度こそ、志村がこちらへ向き直った。
売り言葉に買い言葉とでもいうのだろうか。自分でもアホだなとは思ったが、まったく引く気にはならなかった。
”キヨセ”、”志村”、”七原”。
それぞれの間にどのような経緯があって、どんな思惑があるのだろうが知ったことじゃない。だけど、自分が単なる媒介役として、そいつらの間で便利に扱われることが、我慢ならなかった。
「七原さんが、その相手に会うのだとして、その時には俺も一緒に話を聞きます。同席って言っても、ただその場にいるだけで別に邪魔をする気はありません。けど、話だけは聞かせて欲しいです。俺の今後にも関わるはずのことだから。それとも、”それ”に関しては”関知する”んですか?志村マネージャー」
少しの間だった。息を短く吐き出す音がして、高くヒールの鳴る音に混じって「勝手にしろ」となおざりな返事が投げられた。
勝手にするに決まってるじゃねえかこのやろうと、立ち去る細い背を睨んだ。
そして気付く。
今日もまた、俺は歯を磨くことができなかった。
hesitation
七原には、志村から聞いたオファーの内容や余計な私情は挟まずに、志村から話があるということだけを伝えた。
”キヨセ”の用件は、七原に俺から言うようなことではなかったし、ましてやその件に関する俺の私見などは、もっと余計なことだと思ったからだ。
俺の伝言に七原は、手元に向けた視線を動かす事なく「わかった」とだけ、短く答えた。
そのあとは無駄口も叩かずに、指示に従い仕事をこなしながら、とめどもなく考える。キヨセの要件というのは、俗に言うヘッドハンティングというやつなのだろう。
『paigue』での給与査定の仕組みがどんなものなのか、俺は知らない。リクルート中に提示された給与額と、実際の内容が食い違うなんてのはよく聞くことだけど、幸いにも自分の給与は同業の同年代と比較しても、かなり上等の部類だと思う。
七原や、たとえば森見、信永さんくらいの人のが、果たしてこの店でどのくらいの収入を得ているのかはわからない。でも彼らなら、業界の第一線と言われるような所へ転身したのだとしても、すぐにでも通用するんだろうと思える。あくまでも”仕事上のスキルでは”という意味で、(信永さんを除き)、一部の人間性や、ある種のルーズさに目をつぶれば……というものではあるけれど。彼らは、間違いなく優秀だ。
一般的に、パティシエやショコラティエという仕事は、美容師などと同様に、聞こえは良くとも収入の面では、お世辞にも恵まれていると言えるものじゃない。同業でも高い収入が得られるのは、多分ほんの一握りの名の売れた有名人や、独立した中でもごく一部の、ライセンスや企業顧問契約など、特異なニーズを掴めた人たちだけの話なんだろうと、俺は理解している。
………とか、そんなことを考え出すと、そもそもなんで俺は、こんな職種に就こうだなどと思ったのかという、根源的な疑問にたどり着くのだけれど。それはまあ、さておいて。
その”キヨセ”というのが、どんな人物であるのか俺は知らないけれど、現時点で十二分に気に食わず、その印象はこれから先も変わることがないような気がしている。何でなのかなんてことは、どうでもいい。ただ、そいつのことが無性に気にくわない。
いっそのことそいつが持ち込んできたものが、詐欺まがいの作りごとであることが早い内に露見して、話ごと吹き飛んでくれればさっぱりもするのだろうが、志村の目をかいくぐって、そのような出鱈目がまともに通るとも考えにくい。
志村の価値観を以ってして「破格」と言わしめる待遇で迎え入れようとするほどに、キヨセという男はもともと同僚だった七原のことを買っている。今は店から離脱し、志村という人間の人となりをまったく知らないでもないだろうにも拘らず、傍目に見ても喧嘩を売っていると取られても構わないようなやり方で、七原に対しあからさまな引き抜きをしかけている。
そして志村の方はといえば、相手の魂胆を承知の上でそれを「好条件」だと嘯く様は、気を悪くするどころか、どこか面白がっているようでさえある。
俺は、まるで自分だけがあらかじめ筋書きの立てられた出来レースの観客にでもさせられたかのようで、果てしなく気分が悪い。もしも志村がそういった意味での「反応が見たかった」と言ったのであれば、趣味が悪いにもほどがあると思う。七原のことも含め、人をそんな風にゲームの駒か何かのように扱う気でいるのであれば、はっきりと軽蔑する。
だけど。志村のふと見せた、どこか別の遠くを見ているようだった、らしからぬあの逡巡は、一体なんだったのだろうかと、どうしても思ってしまう。それがあるばかりに、端から嫌いな相手を”軽蔑する”という、シンプルな結論に辿り着けないでいる。
七原は、と思う。
七原は、どうするだろうか。
自分に差し出されたものが、純粋に今よりもずっと自分を引き上げる、自分というものの価値にもっと正当に値すると思えるような、”いい話”であったのだとすれば。
もやもやと落ち着かない、苛つきに似た気持ちは、単に身近にいる人間が自分より高いところに引き上げられることへの嫉妬なのだろうか。だとしたら、さすがに図々しすぎるんじゃないかと自分でも思う。引き抜かれるからには、それ相応の利用価値がなければ話にもならないのだから。
結局その日の終業間近になるまでに、七原が厨房を離れることはなかった。厨房の清掃を終え、窯の電源を落とし、水道とガスの元栓の始末など、終業前のルーティンを一通り終えると、2人で厨房を後にする。
俺が遅刻をした日、イレギュラーな出来事が続いたせいか、いつもよりも少しだけ七原の存在を身近なものに思えた。七原の言動のすべてを覚えているわけではないけれど、ふとした時にあの日あったはずのささやかなやりとりを思い出しては、本当にあったことだったんだろうかと不思議に思う。
その後の七原を見ている限り、もしかしたらあれは自分だけが見た白昼夢だったのではないかと疑いたくなるくらい、前後の態度は変わりばえがしなかった。慌てすぎたせいでパジャマ同然の部屋着で電車通勤したことを、いつの間にかちゃっかり証拠写真まで撮っていた宮蔵(以下、それを見た同僚ほぼ全員)には散々笑いのネタにされたけれど、七原がそのことに触れてくることはなかった。
変わり者だということは知っていたつもりでも、本当に人と馴れ合わない奴なんだなーと、落胆するような、感心してしまうような、不思議な気持ちになった。店でのキャリアも中堅で、実直さには定評のある久慈くんに、それとなく思うところを話してみたが、彼は心あたりがあるのかないのか、「ああ…」とだけ漏らして、困ったような顔で笑っていた。
これがもし、宮蔵やシズあたりだったなら、あることからないことまで、聞いてもいない話をマシンガンのように喋りまくったのだろうとは思ったけれど、久慈くんの癒しスポット的なキャラクターは、「ああ」のひと言だけで、宮蔵とシズの言葉を10,000積み上げたってまだ足りない、含蓄のようなものを感じさせてしまう。樹齢28にして、屋久島の御神木にでも話しかけているかのような、稀な趣のある男なのである。まさにこれは、人間性の違いというやつに他ならないのだろう。
久慈くんに話したことでひとまず飲み込んだつもりだった気持ちの塊が、今、七原本人を前にして、むくむくと頭を擡げはじめていた。
だけど尋ねてしまおうかと思ったところで、結局何をどこから話していいのかもわからないまま、執務室のある二階へ続く階段に向かう七原を見送った。
前日のやりとりをそのまま再現したかのようなシチュエーションで、志村から七原とキヨセとの話し合いの日取りを聞かされたのは、その翌日のことだった。
一同
「今日でしたよね」
「ああ」
七原は、そのようなことにはなんの思い入れもないといった風に、型から外したチョコレートに最後の仕上げを施す手元に集中している。ちなみに今作っているのは、和生菓子をイメージした『しずく』という名の、季節のアラカルトだ。毎回数量50個の限定商品で、いつもすぐに売り切れてしまう。数を増やす予定は、現時点では無いらしい。
今日は、キヨセとの談合の日だっだ。
志村にはその場で日時を聞かされただけだったので、場所はどこなのかと聞いてみたら、「それなんだけどな。どこがいいと思う?」と逆に聞き返された。そんなことは七原当人が決めるべきことで、明らかに自分が口を挟むようなことではない。
と、そのまま意見したのだが────
「おまえな。アレにそんな管理能力が備わってるとでも思ってんのか?」
「は?いや?………え??」
「この際だからはっきりと言うけどな、あいつにあるのは技術者としての能力だけ。ヒトとしての総合力なんてもんは、いいところ社会不適合とA.I.を足して3で割ったくらいなもんなんだ。だから、正直ちょうど良かったという気もしている」
いや2を3で割るとか、普通に計算おかしいよ。しかも、譬えに容赦がなさすぎだし。(当たってるけど)
「丁度いい?」
「私は、この件に関知する気は無いと言ったけど、七原は常時あんなザマだし、誰かしらが立ち会わなければ、話にもならないだろうとは思ってた。ただ、スケジュールを合わせられたのだとしても、清瀬と私では、相性がすこぶる悪い。おまえ、『渡船問題』って知ってるか?ライオンやヒツジだのウサギだの、置き換えるのはなんでもいいんだけどな。要は一組しか乗れない船に、相性の悪い組み合わせ同士で乗り合うと、川を渡りきる前にどっちか片方が食われてしまうんだ。清瀬がワニなら、七原はヒツジ。となると、さしずめ私はウサギってところか…」
馬鹿か。そんなホラーなウサギが居てたまるか。
自分で言った他愛もない戯言に、志村が嗤う。こういう時、無駄に画になってしまう顔というものは、まったくもってタチが悪いと思う。
にしてもこいつは、どういうセンスの持ち主なのか。やたらめったら血生臭い、物騒な譬え話もあったもんだ。
「クマは力持ちで頼りになるけど、少し性格が優しすぎるからな。下手をしたら即興の作り話に同情をして、ワニに腕の一本くらい与えてやりかねない」
と、俺にはわからない含みをもたせながら、志村がうっそりと笑う。
「あ。そのクマって、もしかして……」
「だからこの際、おまえが立候補してくれたことは、渡りに船と言えなくもなかった」
………ああ、それで”丁度いい”、ね。にしても、世界残酷童話みたいな『渡船問題』に対して『渡りに船』って、なんか、すごく……嫌だな。こいつのことだから、間違いなく自覚的に口にしているのだろうが。
「その、”キヨセ”って、実は結構やばい人なんですか?」
あんたが、同席に二の足を踏むくらいに。
「いや?それは、連名で会社を立ち上げられる程度には頭は切れる奴だけど、今は与信判断を下す立場の銀行だって潰れるような時代だからな。会社の経営なんてもんは所詮どこも水物だろう。ただ、仮に相手が自分だけに都合の良いような話の持って行きかたをしたところで、あいつにまともな判別が出来るとも思えないからな。誰かしら横にいて話を聞いているだけでも、ヘタな作為の抑止力くらいにはなるだろう」
「だったら」
余計、俺よりもあんたの方が向いているんじゃないのか。
「言っただろう。私と清瀬じゃ、相性が悪いんだ。こっちはもとよりあいつの外交能力を高く買っているのに、どういうわけか、向こうにはえらく嫌われている。同席することで、これ以上いらん確執の呼び水になるのは避けたいんだ」
─────そのようなやりとりがあり、場所についてはどちらにも気心の知れている、終業後の店のロッカールームでということで落ち着いた。執務室や店内では、元従業員といえども、部外者を入れるには差し障りがあったからだ。また、どこに誰の目があるとも知れない飲食店などで、今回のような先行きのわからない話を不用意に持ち出すことも避けたかった。
なんとなく、七原をファミレスや居酒屋に引っ張り出すという、後ろめたさにも似た場違い感のようなものも、選定の基準としてまったく無かったとは言えない。言動から察するに、自分よりはるかに七原のキャラクター性を理解している志村も、確実に似たようなことは考えていたのではないかと思う。
やっぱり志村は、心底食えない奴だと思う。最初に俺が口を挟んだ時は鬱陶しそうな顔をしていたくせに、なんだかんだであの女のいいように丸め込まれてしまった感が拭いきれず、だとしたらいったいどこで間違ってしまったのだろうかと、つい考えてしまう。
が、今さらそんなことを言っても仕方がなかった。
今日の業務もあらかた終えていて、約束をしたという時間までは、あと1時間を切っていた。脱いだキャップをパンツのポケットにねじ込み、店舗側に続く厨房出入り口のドアノブに手をかけて身をのり出し、ずっと気にはなっていた、あからさまに大きな違和感についてを口にした。
「………ところで、皆さんはなんで居残ってるんです?」
『えっ?』(合唱)
「いや、『え』じゃなくてですね。仕事も掃除も着替えも終わって、あきらかにやることなんてなんもないですよね?久慈くんはたしか、さっきタイムカード切ってたでしょ?宮蔵おまえも、急にモップとか持ちはじめちゃってるけど、ものすごく不自然だから。あと他のみんなも、コーヒー一杯でどんだけ粘るつもりなんでしょうか。意味がわかりません」
「わわっ、違いますよ。これは広報活動の一環として、ここにいる皆さんたちで開催中のドリンクメニューの開発に向けた勉強会の取材をいたしたりなどしていたわけでですね。っ、ま、……前向きに」
椅子を引き倒す勢いで立ち上がったシズが、普段俺にたいして使ったこともない敬語をふんだんに誤使用しながら諸手をあげる。が、その手に掲げ持った携帯の画面には、お笑い芸人の動画らしきものが再生されていた。
重ねて、自分の職域であるカウンターからそれを見ていた森見修がエスプレッソカップを片手に、「出歯亀ですが、なにか?」と、残留の理由をいとも悠長に暴露してくれたため、見え透いた弁明を図ろうとしたシズの立場は、跡形もなく撃沈した。
「信永さん。藤村さんも?」
「ええ。大変申し上げにくいのですが、そのように不純な理由で、私もコーヒーを頂いておりました。少々気になる話を小耳にしましたもので」
と、丁寧な言葉遣いで信永さんが言い、ラテのカップをテーブルに置いた藤村も、それに追随するように細かく頷く。一方で、見るからに出歯亀のオマケそのものといった風情を隠しもしない双子たちが、お互いにしか通じ得ないキッチュなボディランゲージを交わしながら、きゃらきゃらと笑っている。
間違いなく、情報の漏洩元でありながら白々しく俺を無視するシズを一瞥したあと、背後にいる七原の方へ首を巡らすと、彼は俺よりも年下だなんてとても信じられないくらいに無垢な瞳で、どこでもないどこかを見ていた。
一連の光景に、この人たちは一体なんなんだろうかと思わずにはいられない。
「修さん、俺ミルクティーが飲みたいです」
どのみち、時間はまだあるのだ。七原と2人、所在ない時間をやり過ごすより、ここでみんなでお茶でも飲んで時間まで待つのもいいかと割り切るまではすぐだった。
「だから紅茶は置いてないんだってば。ラテかブレンドでいいなら今日は俺のおごり。七原は、緑茶でいいよね?」
ひとつ空けて隣のカウンター席に腰掛けた七原がこくりと頷くのを、不審のこもったまなざしで凝視してしまう。
「じゃ、ラテで。緑茶って、これからなんか使う予定ありましたっけ?」
緑茶が七原の嗜好物であるのだとして、メニューにはないそれが、なんでここにあるのかを知りたくて、ストレートにそんな聞き方をしてしまった。だけど相手が森見では、いかにもあざとかっただろうかと、口に出してから少し思った。
「ああ、これね」
俺の前にラテのカップを置き、カウンター下の収納棚から、あらためて銘柄を確かめるかのように、ひょいと茶葉の入った袋を持ち上げた。
「うちの実家の近所にタバコ屋さんがあるんだけど、そこんちのおばあちゃんが、昔から俺のファンなんだよね。………まあ、そこから先は話せば長くなるんだけど」
いや。あなたのたらし遍歴を聞いているわけではないので、それは別にいいんだが。しかも、お茶の顛末だけなら1ターンくらいで済むと思う。
その時、『あ、なんかいる』『なんかきた』というほぼ二重音声にかぶって、どこかから何かを叩く音がしたような気がした。小鳥のさえずりのように耳を傾けるでもなく聞こえていた双子の話し声が止んだのを合図に、一同の視線が夜の帳のため半分鏡のようになった、テラスへ続くガラス扉の方へとあつまった。
「清瀬………」
聞こえたのは、感情の面を掃き均したかのように仄かな、七原の声だった。
bloom wonder 5
ありがとうございました。