サイレン
救急車のサイレンが、山に響いてる。
寂しいもんだよね。冷たく澄んだ濃紺の空気を切って
遠くのサイレンがしっかり聞こえんだよ。盆地さ。
星がよく見えた。
たしかに空気は澄んでいたし濃紺で、空は夜の色をしていた。
サイレンはたぶん、4,5分くらい聞こえていたと思う。
どこかで倒れた人がいるんだねなんて、お互い言わなかった。
言おうと思ったんだけど、河下くんはそんな中途半端な感傷に浸るような神経を持っていないだろうと思った。言うはずがないんだ。この時なぜか、瞬間的にそう思えた。本当はいつも、心の奥では気づいていたことだったんだろうと思った。
僕は、そんな感覚の先端をゆく河下くんに媚びようとしていたような気がして少し悔しかった。
ちょうどすぐにサイレンも鳴り止んで、そんな話題を出すタイミングも逃したから、やめた。
夜の色と星の光と、「サイレン」って、なんだか合うね。
代わりに僕が口にしたのはこれだった。雰囲気をいじろうとなんかしないで、素直な事を言ってみた。だから理解されなくたって、気持ちはなんだか清々するような気がした。
本当だったらサイレンなんかじゃなくて虫の声なんか合うんだろうにね。
なんでだろうな。妙だねぇ。
河下くんが共感してくれた。
僕の素直さに寄り添ってくれた。
嬉しかったんだけど、つぎの瞬間にはもう、次の一手はしくじれないようなプレッシャーを感じていた。
河下くんは静かに、まるで温かい気持ちを僕らの間へ注ぐみたいに、夜の色と星の輝きとサイレンは合うと言ったんだ。それも「妙」なんて言葉を添えて。
僕は小さく「うー、」と言ってみた。
自然なのに、機械的だからねぇ。
しくじった。もう、意味のわからない事を言ってしまった。
たぶんだけどね、夜の色は濃紺で、星の色はほとんど白。青や黄色のような気もするけどね。サイレンは何色だと思う。オレンジか、濃い黄色か。そういう色が冷たい夜空の中に伸びていくのが見えんだよ。だから綺麗さ。
僕は概念みたいなことを言って、河下くんは色の解説をしてくれた。
河下くんの中には、河下くんの眼の裏には、いつでもこんなふうに色んな光が弾けて流れているんだ。
この言葉を聞いたとき、僕の視界にも濃い紺や、白や黄の光が燦めいて、オレンジが広がった。
こんな素直な事を言ってみたいと思った。
おれもだよ。
サイレンがまた響いてきた。
寒い夜の空気の中を走るサイレンが山々に反響して、いよいよ綺麗に見えた。
綺麗だね。
そんなふうに言ってみたかったけど、河下くんはきっともう色のことなんか考えていなくて、何か別の感覚に晒されているかもしれない。
そう思って横を見てみたら、河下くんは頷くように顎を引いて、綺麗でしょうと言った。
たしかに、サイレンは寂しいものだと思った。
サイレン