一人暮らし

 先日まで生きていたらしい隣に住む大学生の女のペットの鳴き声は聞こえない。生きていたらしいと言えば違和感を感じるかもしれない。もちろん、僕だって初めてそんなふうに言われた時にはおかしいと思った。普通なら死んだらしいとか、どっかに持って行かれたとか、盗まれたとか、脱走したとかいう筈だ。しかし、新聞配達しているおじさんが僕に言った。
「隣の家のペット、先日まで生きていたらしい」
 喉が渇いた。意味もなく。ただその言葉は何かのメッセージとしても捉える事が出来た。それは僕だけの感性なのかもしれない。でも確かに新聞配達のおじさんが言った通り、その日から隣に住む大学生の女の家からペットの鳴き声は聞こえなくなった。
 携帯の画面に表示される。『今晩はビーフシチューです』最近、白髪が目立ち始めた母からであった。僕は小さく呟く「ビーフシチュー」。僕の母が晩御飯を作るなんて久しぶりだ。この前作ったのは半年前だっただろうか? 母は朝飯と昼飯は作るが晩御飯は作らない。昔からだ。理由を聞くと何時もこう答える。
「夜中、口の中に有機物は入れたくないの」
 じゃあ、僕の飯は作れよ、と、何時も文句を言うが聞いてくれない。小銭を貰って近くの食堂で飯を食いに行く。それで母が飯を作るなんて物珍しいと考えながら帰宅した。夕方で夕焼けが空を飾っている。そのような時刻に家の前に到着した。すると横から声が聞こえた。何処かしらか疲れた声だった。
「ねえ。見なかったかしら?」
 僕は声の主の方を見た。隣の家の女大学生だった。声と同じく女の顔も疲れた様子で今、流行の服装をしていた。
「何をですか? 何を見たって言うんですか?」
 僕は返答した。
「鍵よ」
 女は答えた。
「鍵? 家の鍵ですか?」
 僕は再び返答した。
「そう」
 女は軽く答えた後、僕を見つめた。
「見てないですね」
「それは困るわ」
 女は言うと話しを続けた。
「鍵がないと私、家に入れないじゃない。玄関前で寝ろって言うの?」
 僕は少し困惑しながら「ないなら、鍵屋でも呼ぶか、友だちの家にでも行くかネカフェでも行ったらどうですか?」と答えた。
「嫌よ」
「じゃあ知りませんよ」
 僕は家に入ろうとした。
「一緒に探そうと思わないわけ? 紳士じゃないのね」
 女は嫌味を言う。
「それなら、君が歩いた周辺や大学、女子便所、お洒落なカフェまで僕に行って探して来いとでも言うんですか?」
「別にそんな所を探せなんて一言も言ってないでしょ? 家の周囲を探してよ。そうね。庭でも探して」女そう言うと強引に僕の腕を掴んで自分の家の庭に僕を招き入れた。僕は嫌だと思いつつも近所付き合いも大切だと考えてしぶしぶ鍵を探す事にした。女の庭は雑草が生い茂っている。玄関まで続くレンガブロックが無ければ人が歩く事は出来そうになかった。
「ええ、こんな所に落としたのかよ」
「そうと思ってるわ」
「雑草を刈れば見つかるだろ。鎌を貸すから自分で刈れよ」
「なんで?」女は呟いて「もう暗くなるんだから急いで探すのよ」と言う。
 僕はため息を吐いて雑草を掻き分けた。見つかるわけはない、そう思った。女も雑草を掻き分けて探していた。そうしているうちに僕は家の裏側まで雑草を掻き分けて探していた。すると雑草はなく、かわりに渇いた土と大きな穴が掘ってあった。僕は思わず「は?」と言葉が出た。次に「もしかしてペットでも埋めたのか? でもそれにしては穴は大きすぎるし、土をまた埋めなおしていない」と独り言を言った。そう僕が述べると女が玄関の方から「ねえ? 鍵は見つかったかしら?」と僕に声が投げかけられた。僕は女のいる方に歩いて「ない」と言った。
「やっぱり、ないのね」と女は言う。
 僕は女に聞いた。
「なあ、家の後ろに大きな穴があったけど、最近、ペットでも埋めたのか? なんというか、君の家からペットの鳴き声とか聞こえないしさ」
「あー」
 女は僕の質問に困った声で言った。
「うん。ペット、病気で死んじゃったから埋めたよ」
「そうなんだ」
 僕は答えた。
「でも結局、鍵は見つからない」
「そうね。困ったわ」
 女が視線を足元に落とした。本当に困っているのか? そう思いながら僕はなんとなしに玄関に進んでドアノブを回した。ドアノブは簡単に回転して扉は開いた。
「鍵はかかってない」
 女は僕の声に疑問そうに扉を見た。開いている事を知って「嘘よ」と言った。
「かけるの忘れたのか?」
「なんで開いているの? 意味が分からないわ」
 女は不満と不安が入り交じった声で言った。
「知らないよ。でもとりあえず今日は家に帰れるな」
 しかし女は怒った口調で「うるさいわね。誰がこんな家に入るっていうのよ。今日はビジネスホテルに泊まるわ」と言った。
 女の発言に僕は当惑した。
「君の言っている事が理解できない。君はさっきこの家で眠れないのが嫌だから僕に鍵を探せって言ったんだろ? 矛盾している」
「うるさい。扉なんて開くわけないでしょ。だって最初から鍵なんてないし、扉もずっと締まってるし」
 女はそう言うとそっぽを向いて早歩きで去って行った。僕はポカーンと口を開き女の背中を見ていた。「一体なんなんだ?」僕が再び独り言を呟いた頃はもう辺りは暗くなっていた。それで僕は頭を掻いて自分の家に帰ろうとした。けど、ふと、あの大きな穴の事が気になった。どんなペットを放り込んでいるんだろうか? あれほど大きな穴だ。でかい犬とかでも不思議すぎる。そうして好奇心と共に家の裏側へと向かった。渇いた土に大きな穴があった。近づいて底を見るが暗くてよく見えない。深いのか深くないのか、それも分からない。ただ冷たい風が穴の奥から吹いているようだった。そんな気がした。僕はポケットから携帯を取り出してライトのスイッチを入れる。足元は明るくなった。軽く息をした後に穴を照らす。
 人の手が見えた。
 僕は一瞬驚いた。心臓の鼓動が激しくなり頬から汗が垂れる。僕は目を凝らして見た。数体、人のカタチがわかった。それらは乱雑に覆いかぶさっていた。しかしよく照らして見るとそれは、マネキンだった。男のマネキンが1体、女のマネキンが1体、子どものマネキンが1体あった。捨ててあるのか? 考えた所で理解は出来なかったが気持ち悪いと思った。趣味の悪いバカが隣に住んでやがる。そう唇を動かして家に帰る事にした。途中、開いた扉を見た。僕は再びドアノブを回したがドアは開かなかった。もしかして、鍵が壊れていてその所為でこんなふうになっているのか? と、考えた。変な疲れを感じつつ僕は自分の家に帰宅した。

 母の作ったビーフシチューを食べていると母は外行きの服に着替えていた。僕の方に向かって「今日は、同窓会があるから行ってくるわね」と言った。
 僕は無言で頷いた。その後、母は外に出てすぐに着信をかけてきた。要件を聞くと水道料金をコンビニエンスストアに払いに行って欲しいとの事だ。僕は了承してビーフシチューを食べた。食べ終わると丁寧に皿を洗い、家から出た。隣の家を見る。2階の窓から明かりが漏れていた。1階には光は灯されていない。きゃんきゃん、ハハハ、きゃんきゃん、ハハハと言った人の声と何かの鳴き声が聞こえていた。それからシルエットが見えた。大人の男の姿と大人の女の姿と子どもの姿。それからもう一つ、女の姿が映っていてソイツだけが動いていた。とても楽しそうだった。
 僕は「一人暮らし?」と言って目の前に落ちていた空き缶を蹴り飛ばした。

一人暮らし

一人暮らし

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 冒険
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-04-16

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