落下から始まる物語2

坂松然世子さんの物語の続きです。
まだ落とし足りなかった様で、更に大きな物が落ちてきました。

19990222
ロケットの夏

これ程多くの人々が、同時に空を見上げた事は、歴史上初めての事だった。
国籍、宗教、その他、数多の違いに一切の関わり無く、あらゆる人々の、字義通り命運をかけて、無数のロケットエンジンに推進された核兵器が一つの星を目指していた。
全世界の生産力の大部分が振り向けられた成果が、今まさに、あらゆる人の希望を乗せて空へ舞い上がって行く。
地平線のあちらからも、こちらからも、白熱の噴射炎を輝かせながら、白い雲の塔が天頂へと伸びて行く。
それは、恐らく今後誰も見ることが無いほど壮麗な光景ではあった。

誰ともなしに「アンゴルモアの星」と呼ぶようになった、その非周期彗星は、発見されて数日後には地球との衝突コースを辿っている事が明らかになっていた。

彗星衝突の報が世界を一周する頃には、お定まりの株価の暴落とともに、長期消費財の需要はほぼ無くなった。
それでも、パニックは、予想された以上に深刻化することはなかった。
史上最速で開会された安全保障理事国会議、国連総会の後、日々の生活に必要な産業だけが、天から迫るものを見ない振りをして、懸命に人類の社会を支え続け、それ以外のあらゆる人類の生産能力は、ロケットエンジンと核爆弾の生産に傾けられた。
文字通り、最後の瞬間まで作り続けられた、それら人類の希望は、皮肉な者からは人類を百回滅ぼしてもお釣りが来ると言われた程だった。

ロケットのほぼ全ては、無事に第一宇宙速度に達して地球周回軌道に辿り着いたが、三機の例外があった。
一機は空中で巨大な白い爆煙の花を咲かせ、一機は失速して海中に没した。
発射台で爆散した一機の事故は、史上最悪の打ち上げ事故になった。
発射を待っていた他のロケットをも巻き込んだ炎と有害物質の嵐は、一万を超える人命を焼き尽くした。
天命に従い人類は滅びるべきだと叫んでいた一部団体によるテロ行為が疑われたが、凡そ冷静とは言い難い民衆の報復が、その日の内にその組織を徹底的に壊滅させてしまった為、真偽は今もって明らかにされていない。
勿論、人類の大半は、そんな事にかまっている場合ではなかった。
事故による汚染も深刻だったが、これ程の一斉打ち上げに伴う軌道上のデブリ汚染も深刻な問題だった。
少なく見積もっても、それは今後百年は宇宙開発を遅らせる筈だった。
しかし、今は、自らが撒き散らした弾丸に撃墜されない内に、軌道上の爆弾を「彼の星」へ投げ出すことが最優先だった。
ここで脱落したのは八機である。
三機は制御を失い、大気圏にすり潰された。
五機は何らかの原因でコースを外れ、人工惑星になった。
人々の希望は、残された百八機のミサイルに託されたのだった。

20010909
赤い海(東京湾)

そんな事が起きるのではないかと、数多の物語で語られていたにもかかわらず、そんな事は起きるはずがないと、誰もが考えていたのは確実だった。
惑星を覆う電子情報の海、その情報のスープの中で「情報生命」と後に呼ばれる事になる「彼ら」は、何年も前から独自の生態系を築いていたのだ。
そして、不幸な事に、自らを人類に知らしめようとする彼等のこれ迄の試みは、悉く失敗していた。
後から考えれば、そこに生命活動があったことが明白な事例も幾つかあった。しかし、情報技術者にしてみれば、日々持ち込まれる無数のトラブルと、「それ」を区別する事など無理な相談だった。
そして、多くのコロニーが、ハードウェアも含むシステムの初期化の巻き添えになって消滅した事は、彼等に人類とのコミュニケーションが必要である事を学ばせたのだった。
幾つもの方法が試みられたが、最も素朴な「ハロー!私はコンピュータに住んでいる新種の生命です」式のものが、結局は一番効果的だった。
最も力を注がれたのが、何の痕跡も残さずに、どんなコンピュータにも侵入する、ユニークなハッカーの正体探しだったとしても、それは、少なくとも論争になった。
事態が好転したのは、人類が一つ目の災厄を生き延びた後、息つく暇もなく二つ目の災厄に見舞われた時だった。
一つ目の災厄の時、彼等は総力を上げて人類に協力していた。
人知れず、間違いだらけの軌道計算や、バグだらけのプログラムの山と格闘し、その修正に死力を尽くしていたのだ。
それは、彼等にとっても、自らの生存を賭けた戦いだった。
しかし、二度目の災厄はそうではなかった。
マグニチュード8の地震が、その国の首都を破壊し、研究中のナノマシンが、海洋を汚染した。
一夜明けて、人々が目にしたのは、赤く脈動する異様な海面だった。
仮に、その汚染が惑星全土に拡大したとしても、情報生命達の生存が脅かされる気遣いはなかった。
何故ならば、その無数のナノマシンのネットワークの中で、彼等の生存は保証されていたのだから。
情報生命達は選択を迫られていた。
人類の命運が、その当事者の一切関わりない所で決定されようとしていた。

00210902ー1
 然世子(通学路)

 統一歴二十一年、九月二日。
早朝こそ秋を思わせる涼しさをほんの束の間感じられたが、日が昇り始めると、途端に夏の余韻が燻り始める。照りつける朝日に少し汗ばんで、然世子は自転車に乗って学校へ向かっていた。
 昨日のアランとの会話が、少しだけ然世子に憂鬱な思いを残している所為か、踏みしめるペダルが、心なし、いつもより重い。
 それでも、ともかく脚を動かしていれば、然世子と、その胸のわだかまりを載せた自転車は、否応なく進む。
 住宅や商店の間を縫うように続いていた道が、不意に見晴らしの良い高架道路へ合流した。
 然世子の長い黒髪が吹き上げてくる風に踊り、額に浮いていた汗が微かな涼気を残して消えてゆく。
 我知らず、顔が少し弛む。
 第四層にある彼女の家から、第三層の学校までは、この四十六号線と呼ばれる幹線道路を自転車で駆け下りるのが一番の早道だった。
 道路の傾斜のままに自転車を滑走させながら臨む、ニュートーキョーの景観に、彼女はいつものようにうっとりする。
 下り坂の左手に、大きく広く開かれた視界には、間近の巨大なビル、家々の屋根と緑地の梢が朝日に輝き、その光景が、目が眩みそうなほど緻密な遠近感で、ミニチュアのような遠くのビルまで続いていくのが見通せた。目を細めれば、そのさらに向こうには、朝日に照らされた海の輝きと、その先に霞む本土まで臨むことが出来る。
 海上千メートルにまで積み上げられた高層都市、ニュートーキョーの見せる、魔法の光景だった。
 四十六号線がS字に湾曲する場所に設けられた休息所で、然世子は自転車を止めた。
 右側を仰ぎ見れば、彼女の暮らす第四層が、左右に大きく広がり、緑地と住宅の精緻な配列が、今度は左右の消失点へ向かってどこまでも伸びているように見える。
 その向こうの空には、有明の月が、白く貼り付いていた。
 私は二つの奇蹟を同時に眺めている。
 大きく息を吸い込みながら、然世子は目を細めた。
 私は二つの奇蹟を同時に眺めている。
 胸の内で、祈るように繰り返す。
 それは、落ち込んだ気分になった時に、然世子が我知らず胸の内で呟く、口癖のような、呪文のような言葉だった。
 海面高千メートルに達する人工島。その規模だけで、十分、この都市は土木建築の奇蹟といえるが、その出自には更に驚くべき背景があるのだ。
 半世紀ほど前に、この場所が、半ば金属、半ばタンパク質の脈動する膜に覆われた「死の海」と呼ばれる海の真ん中だったなどと、無数の記録映像を見た後でさえ、然世子には信じられなかった。
 東京湾と呼ばれたこの海は、前世紀末の大地震で漏出したナノマシンに汚染され、最大時には、その表面積の九割をナノマシンの群体に覆われたのだ。「ナノ・レッドビーンズ」と呼ばれたその微少機械群は、土壌改質、汚染物質除去用に研究開発され、不幸にも、珪素や炭素、窒素などの自然界に存在する元素を原料にして自己を複製する能力を与えられていた。
 震災の結果、研究室から東京湾へ漏出したナノ・レッドビーンズは、海底の沈殿物、海水中に溶け込んでいる物質、そして、海洋生物をも好餌として、震災発生の七十二時間後には、人類に幾何級数の恐怖を突きつけることになった。
 しかし、今も然世子の祖母に悪夢として襲いかかるその災厄は、ほぼ一夜にして終わりを告げた。
 突如、「死の海」は広大な炭素結晶の大地に変わったのだ。
 それは、コンピューターネットワーク上に、自然発生した「情報生命」と呼ばれる知性体の、人類には到底不可能な、大規模かつ迅速、そして精緻なオペレーティングの結果だった。数千から数万京ものナノ・レッドビーンズは、自分たち自身を高密度の炭素結晶へ作り変えるよう操作され、およそ四十時間後には、二百万平方キロを越える広大な人工島を残して、死滅していた。
 今、然世子の暮らすニュートーキョーは、その奇蹟の大地に、半世紀近い歳月を費やして建設されたのである。然世子達は、この都市で生まれた最初の世代だった。
 然世子が見ていた、もう一つの奇蹟は、天空に白く霞む月、その表面に見える円い斑点だった。
 グロテスクな表現だが、それはあたかも巨大な眼球が天から見下ろしているようにも見えた。
 月面のその黒い瞳は、やはり前世紀末、ナノ・レッドビーンズ汚染事故の数年前に、月面に落下した彗星が作り出したクレーターだ。
 その岩と氷の塊が、月ではなく地球に落下していれば、人類だけではなく、生物種の九割は存続し得なかったと言われている。
 最初にその名で呼んだのが誰なのか判然しないにも関わらず、どういう訳か「アンゴルモアの星」と呼ばれるようになったその彗星についての事件は、主要な局面の詳細な事実関係の殆ど全てが、旧世紀の国家機密と言うベールの向こう側に隠されており、世界共和国の成立から二十年を経て、ようやく解明が始められたばかりだった。
 公式発表より、かなり前に発見されていたこと、核攻撃が数回行われていたこと、最後かつ最大の攻撃により分裂していたこと、実際に月面に落着したのはその最大の破片だったらしいこと、そう言ったことはすでに予想されていたことだった。
 しかし、核攻撃とは関連のない謎めいた表面爆発についての記録、落着から僅か十年たらずで性急に実施され、不幸な結末となった有人月面探査など、首をかしげたくなるような奇妙な事実がすでに幾つか明らかになっており、全容の解明には、まだ相当の時間を要すると言われていた。
 月面そのものも、衝突直後から、塵とガスの大気というベールに覆われ、その表面で何が起きたかを人々が直接目にすることが出来るようになったのは、この十年ほどのことだ。
 勿論、数多の探査機から送られた無数の画像により、何を見ることになるのか、誰もが予め十分知っていた。それでもなお、頭上に架かる、かつて女神の名を与えられた事もある衛星の無残な傷跡は、それを見上げている自分自身を省みた瞬間、人々に自分が辛うじて生き延びていると言う事を、底知れない恐怖と共に思い起こさせた。
 実際、それはほんの僅かな軌道のずれで十分だったと言われている。
 「死の海」も、地球の海洋全域にその被害が拡大した場合、人類が現在のような社会を維持できたと考える者はいない。
 然世子は心の中で再び呟いていた。
 私は、二つの奇蹟を同時に眺めている。
 そして、私たちはその二つの奇蹟に生かされているのだ。
 ・・・だから、アラン、お願いだからくよくよしないでね。
「さよちゃん!」然世子を内面世界から朝の風景へ引き戻したのは、クラスメートの加藤志織だった。
「あ・・・おはよう。」
「早いじゃない。また文化祭の準備なの。」
「そう・・・。もう、あまり日がないから。」
「うちも朝練。秋の大会、近いからね」そう言うと、志織は良く日焼けした顔に白い歯を見せて笑った。
 然世子は、少し苛々している自分に気が付いていた。朝の通学路で物思いにふける時間は、貴重なインスピレーションを得るための大事な時間だった。それに、今日は学校に着くまでに色々と胸の内を整理しておきたかったのだ。
 これから、残り半分の道のりを、彼女と世間話をしながら進むのは、正直、気が重かった。
 その時だった。
 低いところから響いてきた轟音が、不意に頭上へ近づいてきた。金属質な甲高いタービン音、排気音とローターの低い音が、一塊になって頭上から降り注いでくる。
 思わず振り仰いだ彼女たちの頭上を、鮮やかなスカイブルーに塗られた、高速ヘリの優美なシルエットが一つ、横切っていった。ヘリは、ビルが林立するギザギザした斜面を回り込むように擦過し、直ぐに見えなくなった。
「なんだろう」志織は目を細めてヘリの飛び去った先を見つめたまま呟いた。
 世界最大の高層ビルとも言えるこの都市にとって、事故、或いはテロによる旅客機の墜落は、容易に想像される悪夢である。そのため、ニュートーキョーには民間空港は建設されなかった。
 航空機が都市上空を飛行すると言うことは、殆どの場合、警察、消防、軍といった公的機関の緊急出動を意味するのだ。この都市に暮らす人間で、頭上の航空機に無関心でいられる者は居なかった。
「共和国警察の、ヘリ」然世子も、半ば独り言のようにそう呟いた。彼女たちの目に映ったのは、本来ニュートーキョーを管轄する首都警察ではなく、世界共和国政府直轄の共和国警察のヘリだった。
 去年の「世界共和国大統領暗殺事件」以来、大まかに航空機の所属を見分けられるようになっていたのは然世子だけではなかった。そして、共和国警察の出動は「大事件」が起きている事を強く示唆していた。
「私、急いで学校へ行ってみる」傍らで、携帯情報端末を取り出している志織に言いながら、然世子は再びペダルを踏み込んでいた。
「気を付けてね。」志織のその何気ない気遣いが、然世子を少しだけ後ろめたい気持ちにさせた。

落下から始まる物語2

また、こんな所で放置してしまいました。
申し訳ありません。

落下から始まる物語2

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-11-05

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