white moon
テストの日は基本的に憂鬱で、木漏れ日がよく見える日にはだいたい誰かが生まれ誰かが死ぬ。ドブに落ちたキャンディーも一応甘いように、人は何時だって好ましくないものを好んで食べる。あくびをしたいが出来ない僕の身体は永久に不幸せだと言えるだろ。これは一種の定めなのかと思考を巡らせた事はあった。でもそうじゃない。僕自身が選んだ結果なのだ。十二単を着る奴も重いと思っても脱がない。それと同じだ。だから僕は、盛大にあくびをする真似をした。
「あら、とても盛大なあくびをするのね」
僕の座る黄色いベンチの目の前に女が立っていた。ニヤついていた。それに対して僕は答えた。
「これは、あくびじゃない。あくびの真似をしているだけだ」
女はふうんと言ってから僕の隣に座った。
「くだらない真似をするなんて相当な幸せなヒトなのね」
「違う。僕は幸せなんかじゃない。非常に不幸せな奴なんだ。一生、永久に、あくびの出来ない甲冑を身に着けているんだ。でも僕はその事について決して卑下しているわけではないんだ。誰にだって譲れないものはあるだろ? 例えばドクターペッパーは飲むがコカ・コーラは飲まないと決めているようにさ」
「よくわからない。よくわからないけど、貴方が言っている事がもし私が理解しているとするなら、こんなふうに思ったわ。歯磨きをする時、歯ブラシよりもチェンソーを使った方が歯垢が取れる。つまり貴方はバカね」
「それで君はなんなんだ? 僕の隣に座るなんて、ロクな奴じゃない。余計な事をだらだらと話す」
女はニヤリと笑う。
「補導員よ」
「へえ」
僕は答えた。
「補導員も暇なのかよ。僕みたいに真面目に学校をサボって公園のベンチで青空を見ながら晩飯を考えているクソガキより、もっと悪質に悪事を働いている不良でも補導してこいよ」
「それはレベルが高いわね。そう高いの。だって私、今日が初めて補導する、つまり補導キャッチ一号が貴方で生まれて初めての成功というわけ。私の人生初の補導キャッチングが貴方よ。これは名誉な事だわ。ちなみに不良はあと三か月後くらいに補導する事にしているの」
「あっそ」
僕は答えた。実に誠実な返答だった。
「帰って祝いのケーキでも食えばいいさ」
女は少し黙った後に「なんで学校をサボったの? 見た目は真面目そうなのに? それって逆に恥ずかしいわ」と言った。
「この街から月の距離を考えて三角スケールで測定していたんだ。そうしていると学校から道がそれていた。ついでに今日は数学と生物のテストだから、で、サボっても良い日なんだ」
「そうなんだ。でもやっぱり見た目は真面目そうなのにサボるのは駄目だと思うわ。イキるにはイキるなりの格好とか風貌とか口調だってそうね……。『マブダチ』とか息を吐く様に言わないとサボる権利はないわ」
「僕は現代チックな不良なんだよ。誰も傷つけないし、誰にも迷惑をかけない。できるだけ」
女はつまらなさそうに右手の人差し指を舐めてから「学校が嫌なら辞めれば?」と言った。
「うーん。別に嫌じゃない。不思議と『今日』だけ嫌になったんだ。というのは食パンを食って歯を磨いて学ランを着て鞄を持ち外に出たら青い空に浮かんでいた。白い月が。そしたら全てがどうでも良くなったんだ。ファラオだってピラミッドの建設を途中で投げ出すほどに見事な月だったんだ」
「そうかしら? 今日は月なんて見えないわ。どこにも。青い空もないよね。雲とか鳥とかそれも息をしていない。ねえ。貴方には何が見えているのかしら?」
女は静かに言った。
冷たい風が吹いた。ああ春。と小さく、何かに対いて返答したくなる風が通った。女の髪の毛は揺れた。その1本1本を滑らかな左手で押えた。女の左手は白いミルクの様で人差し指は2本だった。
僕はこの時、思った。今から家に帰ってピアノの練習をしよう。ピアノなんて一度も弾いた事はないし家にもピアノはない。でもピアノを弾いてみよう。そうだ。まずは有名でお洒落で落ち着いてて、大木に穴をくりぬいて喫茶店でもしているお店に流れている様な曲を練習しよう。そうしたらもっと早く夜が降りてくるだろう?
「384.400キロ」
僕はポツリと言った。
「何それ」
女は少しムカついた口調で言う。
「君と僕との距離感かな」
white moon