僕の隣

 僕の隣にはあの子がいる。

 僕の好きなあの子がいる。



 それだけで、今日も僕は生きてこれる。



 恋ってなんだろうか?

 中学生で、色恋に目覚め始め、早ければ小学生でもう付き合ったりするそうな。



 大事な人は誰にだって存在する。いない人もいるだろうけど、でも、大半はいると僕はそう考えている。

 初めて恋した中学二年の秋。フルートを練習する彼女の横顔は僕にとっては誰よりも魅力的に見えて、ずっとずっと、何時間でも眺めていられるような、絵画のような美しさを放っているようにも感じた。



 彼女は、可愛かった。

 同時にどこか儚げで……だからそれこそ美しさが滲み出るようで。

 情熱的な赤も似合うし、柔らかに冷えた水色も似合う。一見その二色は対立しているように見えるが、しかし、それは不思議で彼女を見ると、その対立した二色がまるで、馴染んでいるかのように捉えられる。



 元々、女性とは、そんなものなのだろうと思っていた。

 だから、彼女ほど、魅力的に感じるものは無かった。



 ふわりと舞うカーテンのような仕草の彼女が好きだ。そんな控えめな彼女が好きで好きでたまらなかくて、今日、初めて言葉を交わす。

 かと言って、彼女と雑談を交わすのではなく、勿論、彼女に告白をするのでもなく。今日は初めて彼女に挨拶をしようと意気込んでいるところなのだ。

 僕は、練習をする。

 かと言って、これが正しいのかすら分からず、未だ自信が持てないままで尻込んでしまう気がして、更に真面目に考えてしまうほど、客観的に捉えてしまうので中々に恥ずかしく、そして中々に難しい事で、未だ胸の高鳴りが収まらいのだ。



 嗚呼、愛しい。愛しくてたまらない。



 知的な彼女の横顔が脳裏を過っては、学校へ向かうための通学路であったとしても、その騒々いうるさい心臓の鼓動が止むことなどなく、いつまでもいつまでも、続いてしまうような気すらしてしまう。



 彼女は、吹奏楽部に属している。

 毎日朝早くに、廊下の窓際で練習をしている彼女の姿は、麗しい以外の言葉が見つからない。

 毎日彼女がここにいるのは分かってはいても、どうしても、その傍らを通り過ぎる事はどうしても出来ず、毎日のように窓越しに彼女の事を見るばかりだった。

 ただ、遠目に見た彼女の真剣な眼差しは、奥に何か深いものを感じて、それさえもまた違った魅力として感じてしまう。



 僕は、いよいよ、彼女の傍らを通る。

 少し肌寒くなって、山吹色に染め上がる季節。眼鏡をかけ、両手にフルートを手に持った一人の女性は、少し驚いた顔をしてこちらを見ていた。



 それだけなのにどうして僕の心は、ここまで踊ってしまうのだろうか。

 まだ、彼女が振り向いただけだというのに、僕は恥ずかしさと嬉しさで、頬だけでなく顔全体が緩んでしまっている気がして、言いたいことはただの挨拶。

 ただ、好きな彼女に少しでも早くお近づきになりたい。だから、変に思われないようにと、心の中で自問自答を繰り返す。



 「……お、お……おはようございます……」



 不器用ながらも、これが全力だった。

 いいのか悪いのかすら、僕には判別がつかなかったが、一つ自覚している事があって、それというのは顔がほとんど茹で上がっているということ。

 言い切ったことに、達成感を感じつつ所々で、後悔も混じる。大丈夫だろうかと少々心に不安が広がる。

 ただ、顔には出さなかったものの、彼女の驚いた顔から初めて間近に見る柔らかい笑みに心底昂った。はんなりとしたその優しそうな顔は、正に自身の思い描いた魅力的な女性像で一瞬頬が緩みかけて焦る。



 「おはようございます。寿さん……こんな朝早くに珍しいですね」



 優しそうな表情と、落ち着いた温かみのある声に、再度落ち着いていた心臓がまた騒がしくなるのだった。

 名前を呼んでくれた。それだけでなく、朗らかに微笑んでくれた彼女の仕草に思わず心の底から嬉しくなる。今日一日、いや一生頑張れるような気さえして、とにかくそういう風に好意的に接してくれた事が何よりも幸福で、心臓が更に高らかに脈打って苦しい。だけどもそれすら気にならないほど、痛みすら和らぐほど、嬉しかった。

 なんて、僕は幸せなんだ。



 教室に戻ってからも、ただ一人の教室でいつものように落ち着いていられるわけもなく、高鳴る鼓動の余韻に浸りながら、未だ、脳内の喧騒に終止符を打てる間もなく、とうとう読書にも彼女の事がちらついて、集中出来ず、ただ一人の教室でにやけてしまうほど……。

 文系なら自身がある自分でも、初めて実感する興奮と焦りに戸惑うばかりで、内心「ヤバイ」としか発せなくなる程の興奮が収まってきて、段々と感じてくるのは、また会って話したいという漠然とした願望で、しかしそれを思う反面ふと、次会ったらどうなってしまうのだろうかという、こちらもこちらで漠然としたものだった。

 時間が経つにつれて、段々と不安要素が大きくなるのを実感する。

 もし、次嫌いになってしまったらどうしようという相手への不安であったり、しっかりと喋らないととかという自分への不満であったり……。

 なんだかんだ言って、今日挨拶できたのはずっと、前から……一目惚れしたときから偶然彼女があの場所で朝練習をするということを知ったからであって、自分から進んでいくというのは経験がない故に、自分にとって物凄くハードルが高いのだ。

 彼女へ告白する以前の問題に、どう対処すればいいのかと悩んでいる内に、無駄に時間が過ぎる。



 ついには、考える余裕も無くなって、ため息をつきながら、机に伏せる。

 そんな中、さっきまでの事を鮮明に思い出すかのように瞼の裏に浮かんでは、突然過る彼女の笑顔に、どうしようもない自身の思考が潤った気がするも、もうそのことについて考える事は無く、ただ一人の教室で、人目に付かない様に隠れて笑うだけだった。



 ふと、身体中が硬くなった気がして、上体を机から起き上がらせると、不思議と気分が良く欠伸が出る。

 あれ?なんで皆教室にいるの?

 と思ったのもつかの間、自分が寝落ちしてしまったのを自覚したのは割とすぐの事だった。



 話しかけてくる友人は居ないが、雑談を交わす友人はいるが、大半は小学生からのクラスメイトで、全員男子であるのだが、自身の座っている席と、友人達の席は丁度よく散っているので、頻繫に話し掛けることも無くなってしまった。

 そんなことを思いながら、周囲の変化を軽く窺っていると、ふと視界に彼女の姿が写って、何と無く読書中の彼女の横顔に魅入る。

 前々から見ていた真剣な風貌とはまるで違っていて落ち着いて、そんな大人びた雰囲気に内心驚いていた。一つ一つの事にまるで違う印象を受ける彼女の姿は、それぞれの魅力が詰まって、その魅力の一つずつが可憐で、儚くて、情熱的で、知的で……その一つ一つが互いに対照的で、でも互いに反った物同士なのに不思議と彼女は馴染んでいる。

 不思議で、でもそれは総じて彼女の魅力だった。



 彼女に見惚れていると、こちらに気付いて、微笑みながら控えめながら手を振る。

 ヤバイ

 ただ、それだけが、思考を埋め尽くした時だった。

 音を立てて扉が引かれる音が聞えると、次の瞬間、辺りの喧騒が静かになるなり、担任の声が響き渡る。いつの間にか、そんな時間になっていたみたいだった。



 一時間目が終わり、二時間目、三時間目……と続いて六時間目、席替え含む総合の授業が始まった。

 本日最後の授業と言うこともあるが、それ以前に席替えと言う本日のビッグイベントを迎えたため、教室内は、いつもより騒がしく、自信も高揚感を抱いてクラスの喧騒に隠れるようにして笑みを浮かべる。

 そんな中、彼女はどうなのだろうかと彼女の席に視線を移す。あれから数時間は経ったものの、彼女の事が妙に気になって仕方がなく、頻繫では無いにしろ、時偶彼女の席を見ていたのだが、彼女の姿を見る度、目が合って、同じように微笑みながら手を振るといった仕草で反応してくれている。

 正直言って、可愛い。未だその仕草に耐性の無い僕には照れてしまって、まともに反応を返す事が出来ていない。

 次で、四回目になるのだが、どうなのだろうか?



 そして、彼女の方をチラリと見る。



 「――」



 同じ仕草で……控えめな口パクで何かを伝え、伝え終えたのか穏やかそう微笑む。

 何処か親近感を感じ、嬉しくて仕方ない反面、何を伝えようとしているのかが気になり困惑するしか無かったが、何よりも今度こそワンアクション、一つ何か仕草を返さなければいけないと言う事が咄嗟に脳裏を掠め、彼女と同じ仕草で、反応を返す。

 不器用ながら強張ってガチガチの笑顔と、控えめにというよりかは震えているようにしか見えない手の振り方と言う、すぐ自分自身を客観視してしまう性分が故に終えた瞬間、猛烈に恥ずかしくて机に突っ伏す。



 そんなこんなで、担任の説明など、一連の作業が終わり、いよいよくじ引きが始まり、席の場所に嘆く者や早々に隣が決まり騒ぐものなど正に教室内は、阿鼻叫喚と化していた。先に引いた、彼女の反応はと言うと顔には出さなかったので、あまり分からない……。

 そして、遂に自分の番に回って来たが、もう残りも数枚で、空気を掴んでいるような感覚に不安しか感じることが出来ず。三角に折りたたまれた紙を広げると、「15」と書かれていたため、少々、心が救われた気がした。



 幸せな人や、不幸な人で阿鼻叫喚が収まることは無かったが無情にも、席替えは続く。

 席はそのまま放置で、荷物などを移動させるため、一斉に教室中が轟音までいかないにしろ、騒々しい場所に早変わりした。

 そんな中、自身の荷物は自分だけ、そもそも席替えなのは事前から知っているため、前もってロッカーを整理していたのだ。なので、邪魔にならないよう、後ろで静かになるのを待機していた。



 「席替え……一緒になれるといいですね」



 途端に、まるで教室中の轟音が、あたかも消失したかのような感覚に陥った、そんな気がした。

 声がした方を振り向くと、彼女が居るということに、僕は心底驚いて言葉が咄嗟に出ず、ただ、隣にいる、彼女の横顔を見るだけだった。どうしてここに?そんな言葉が喉の奥から詰まって出ることは無く、ただ綺麗な輪郭をみて、顔というよりかは頬を真っ赤に熱くするだけでそれから、どもりながらも返答するのにも、時間が掛かった。

 折角、傍にいるのだから、何かしら喋らなければ損なのかもしれない。



 「えっと……そその……なんていうか……」

 「答えですよ」

 「……え?」



 急に、彼女が喋った一言に、何の事か理解できないでいると、笑みを浮かべて



 「ほら、席替えの前に口パクしたじゃないですか……それの答えですよ」



 はんなりと穏やかで、落ち着いたその温かい声で答え合わせをする彼女は、何処か策士的な雰囲気と、小悪魔的な雰囲気を併せたような自信に満ち溢れた眼差しで、そんな彼女に自身の心底から跳ね上がる何かを感じると共に辺りの喧騒が耳に戻って来るのを感じて暫く、衝撃に撃たれたかのようにその余韻に浸る。

 崩れる顔をどうにか保ちつつ彼女の方へ話し掛ける。



 「あの……鹿目さん……その、えっと……荷物移動は大丈夫なんでしょうか」

 「大丈夫ですよ、そう言えば寿さんの席番号、何番になりましたか?」



 そう彼女は言うので手に持っていた、紙を彼女の方に渡す。

 そう言えば彼女は何番なのだろうか?そんな疑問を感じて僕は、彼女に聞くと



 「私は、動かないので……前回と一緒なので、寿さんの隣になります……よろしくお願いしますね」



 そう言って穏やかに微笑んで言う彼女は嫌そうでは無くさっきよりも、好意的に接してくれる気がして、幸せ以外の何物でも無くて……。

 控えめに隠すのも、大胆な告白をするのも全て女の子の特権なのだ。



 「は……はいッ、ここここここちらこそ!」



 それから、席替えは終わって、心弾む一日も幕を閉じたのだった。



※※※※※



 それから、暫く月日が経った頃のお話。

 あれから、体育祭や文化祭、修学旅行に夏休み……と、日々を過ごして、そして中学三年の締めの一歩手前となる受験期に突入し、そして無事に志望した上位に位置する私立大学に合格する事ができた。

 残念ながら、一緒に目指していた彼女は家族と共にイギリスへ行ってしまった。自転車に乗っている今も初日から気がのらないでいる……。



 桜道も、今年は嵩が増すのが早い。

 遅刻ギリギリでは無いにしろ、多分、投稿者は自分が最後らしく、駐輪場も場所が限られている状態だった。



 何故か、そんな光景に気が滅入ってしまうのは何故だろうか。

 ふと、並ぶ自転車を見て、これから毎日一人で学校に通わなければならないのかと感じてしまう。

 なんで、そんな事を思ってしまうのだろうか……。

 うれしいはずなのに……。



 一段と強く吹く風が、桜吹雪となって宙を舞う。



 嗚呼、そうだったと、記憶が鮮明に蘇る。



 過去に一度、一年程前の春休みに、学校見学へ彼女と来た時の事を鮮明に覚えている。



 「私、寿さんと……いえ、秋人さんとこの学校に合格したいですね。そうだ!約束しましょう、一緒にこの学校に行きましょう!約束ですよ!」



 そうか、そうだったか。

 いつかイギリスへ行ってしまう事を聞いてからこの約束を忘れてしまっていた。例え受かっていたとしても、彼女が頼る親戚も友人も居ないということなのだから、仕方のない事である。

 ただ、そうか……そうだったのかと、自身で深くそれを改めて……今度は違った形で胸に刻むことにした。



 「七海さん……」



 呼びました?

 その声に再び吹いて、横を通り過ぎる風切りの音を境に辺りの雑音は一切され、背景のハイライトが主張するかのように、辺り一面真っ白に染まったかのような感覚を覚える。

 振り返って視界に映り込むそれは、あの時の同じ……あの時のまんまで……。



 吹き付ける桜吹雪を包み込んでは、散っていく。



 目の前にいたのは……紛れもない、声にした彼女だった。



 「校長先生が、編入学ということで認めてくれました。ほんとギリギリでした」



 三ヶ月ぶりに見る彼女は、何一つとして変わらず。

 その声も、笑みも、知的な表情だって、何一つ変わっていない。



 「試験を一応受けていたので、何一つ問題はないです」



 ほんとに、何一つ変わって居なかった。



 「――」



 だから、嬉しかった。心底から歓喜の何かがこみ上げてくる気がして、それが何かは僕には分からないけど。でもそれが出てしまうほどに、それが出てもおかしくない程で……。



 ゆっくりと手を伸ばす。

 痛まない程度に強く抱きしめる……。背中に回った、その大きくも太くもない腕。けれど逞しく、勇ましく感じるその腕は私の知っている彼の腕だった。



 「あれ……?でもどうして……頼る親戚なんて、居なかったはずじゃあ……」



 そうだった。

 頼る親戚が居ないのなら、どこに行く当てがあるというのだろうか……?

 この学校は、寮制ではない。一体どこに行くのだろうか?

 僕は、その一つの疑問を彼女に問う。



 「あ、そのことについてなのですが、今日から、秋人さんの家でお世話になります。よろしくお願いします」



 突然の告白に、驚愕する。初めて、彼女と一つ屋根の下で暮らすということになる。良いか悪いかで言ったら当然、良いに決まっている。

 ただしかし、あまりにも突拍子過ぎる。

 戻ってきてくれたのは嬉しいけど、そんな事聞いてない。メールでさえも送られていいないのだから、心の準備なんてできているはずがない。



 どうしよう。多分、家散らかっているのに……。



 そんな事を思っていると、早くもチャイムが鳴る。

 早く行かないとと、急いで走り出す彼女の腕を握って引き留めた。自分の想いを伝える為に――――



 「どうしました?」

 「言いたいことがあるんです!」



 鳥が豆鉄砲をくらったかのような表情で、彼女は、こちらの表情を伺う。



 『本当に……本当にありがとう』



 彼女は、七海は穏やかに微笑みかける。

 早くいかないと遅刻しちゃいますよと、言うもんだから秋人は悪戯に笑って、七海をお姫様抱っこをして教室へ急いだ

 

僕の隣

2019/8/30

僕の隣

純愛物語です

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-04-11

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted