時の溶解
金木犀の香りが落ち着いて、昼もコートが必要になってくる季節が今年も巡ってくるーー
今年もこの季節がやってきた。
11月も過ぎ、もう次の年が来るまでもうあっという間な月になり、家のコタツが恋しくなる。もう午後の5時だというのに、もう辺りは夕焼けと深夜という二色の采配に、青年は一人、姉……血縁関係上オバに位置するので、実の姉ではないのだが彼女の家が近くにあるので、夕方の散歩のついでに寄ろうと考えていた。
吐息が、白くなって深い夜空に消えて行く……。
「もう、こんな季節か」
そんな事を呟いて、彼は深夜に染まりつつある、歩道を歩き続けるーー
※※※※※
鉄でできた階段だからか、上る度に金属音が鳴り響く階段を上がって、奥の角部屋205号室に姉は居る。
それにしても、姉に会うのはこう見えて久しぶりである。だからか、途中色んな事を想像しながら歩を進めた……。
インターホンを鳴らすーー『歩だよ、来たよ』
「いらっしゃい、急だから驚いちゃった」
「何か用事でもあったの」
歩は散乱した、少し高そうな華やかな服を見て聞いてみる。すると、姉は気怠そうに「彼氏がドタキャンしたの」というものだから「最近どうなの」ときいては聞いてはみたものの反応がよろしくなかったものなので、つまりはそういうことなのだろう。
歩は、コタツを見つけて、嬉しそうに入ったのだが
「あったかくない」
「そう言えばつけてなかった、付けといて、そこらへんにリモコンあるでしょ?」
コタツ布団を弄ると直ぐに、リモコンが出てきた。つけていいということなので『強』にしておいた。一番強いやつである。うちでは、電気代の所為でここまで上げることができない。
「お待たせ~~」
「なにこれ」
「ホットミルク。ココア昨日で使っちゃったから。あれ、暑くない?」
そう言って、姉が持ってきたのは恋人用の絵柄がつながるタイプのマグカップに入れられたホットミルクと、御中元の缶に入ったクッキーを入れ物ごと持ってきた。
「ありがとう。そこまで暑くないと思うよ。外がさむいから寒いからそう感じるだけ」
「噓つけ、リモコン貸して」
「下げたからもう大丈夫。良いの?これ食べて」
噓を吐きつつ、茶菓子に目を付ける。前に出されたのなら食べていいのだろうけど、来客用の高い缶箱に入ったやつだ。食べるのも躊躇する。
「いいよ。スーパーで売れ残っちゃって、店長が持ってけって」
「ふーん、じゃあこれも頂く……あれ?ホットミルクに砂糖入れてないの?」
「昨日で砂糖も切らしちゃったから無いよ~~。プレーンで我慢して」
「えぇ、甘くないと嫌だよ。お姉ちゃん買ってきてよ」
「嫌だよ、雪降ってるのに外に出たくない」
「おいおいマジかよ」
窓の外を見てみたら、姉の言った通り、白い粉が結構な勢いで降っていた。帰りはどうしようか、そんなことを考えていたが、気が重くなりそうなのでテレビを付けた。
「へ~~青汁って凄いな」
「あ、飴あるじゃん歩、これ使いなよ」
そう言って、キッチンから持ってきたかと思われる飴の入った袋をこちらに持ってきて、隣りに姉が座る。
「砂糖は無くて、飴はあるのか……。まあ、砂糖と同じものだけれども」
「何味が良い?」
「純粋にドストレートな奴がいいんだけど」
「何?ドストレートって、ハッカ?」
「味の王道的な意味じゃないよ、砂糖飴は無いの?」
「う~~ん、ハッカとミカンしかないよ」
「じゃあミカン。スースーするホットミルクは嫌だ」
早速受け取って、オレンジ色に透き通る砂糖菓子をホットミルクに放り込む。まだまだホットミルク自体は熱いので、案外早く溶けてくれるだろうと、期待を寄せながら待つ。ふと、横を振り向くと姉が砂糖飴をホットミルクに入れていた。
「おい、ちょっと待てあるじゃん、砂糖飴」
「え?無いよ。これが最後だもん」
「あ!まさか、自分が食べたいから言わなかったの!ずるい!」
「ずるいもなにも、これ私のじゃん」
そんな事を言われては元も子もない。
何処かに感じる悔しい気分をかき消すために伸ばしたクッキーの箱に何故か割りばしが一膳入っていたので、二つに割って一つは姉に、もう一つは自分にとミルクをかき混ぜる様として、マグカップに突っ込んで、時折混ぜては様子を見る。
「へえ、人間って水なしで4、5日生きられるんだ~~」
「山に遭難したときとかに役立つね」
「4、5日耐えきる前に凍死しちゃうよ」
それから、しばらくテレビを見ていると、ようやく姉がこちらの噓に気付いて危うくホットミルクがハッカ味になるところであった。
「もうそろそろ手ごたえが無くなったかな……?」
「こっちはまだ残ってるよ、あ!ほら見ろ俺の方が正しかったじゃん!」
「でた!最初に選んだやつが本当は、正解だったパターン!間違えを人の所為にするのはズルいぞ」
それからどれくらいたったのか知らないが、クイズ番組に夢中になっていた。
まだ飴玉は小さくなって残っているが大分ぬるくなっているのでそろそろ飲もうと、マグカップに口を付ける……。甘ったるい、そしてほんのりとオレンジの香りがする……。
「ん?結構いける。ミカン風ホットミルク……」
「うん、こっちも普通に美味しい!」
「そっちは普通に砂糖飴じゃん。何ならハッカとか入れても良かったんじゃない」
「それ、ただの嫌がらせじゃん」
特別おいしいとか、特別まずいとかそんな風には感じなかったけど、でもやっぱり、おいしかった。
バイトに追い込まれてて今まで、こんな小さな幸せを忘れていた。誰かと何かしらを分け合うそんな当たり前のことに幸せを感じるなんてよっぽど疲れていたんだろうな。
「美味しかった」
「うわ凄い。一気に飲みしたんだ」
「うん」
「どう?お姉ちゃん特製ホットミルクは」
「とても…………とてもおいしかったよ。幸せな気分になった」
「おお?牛乳を湯煎で温めただけなのに?」
「うるさいな」
一通り笑い合って、時は過ぎ。雪も強くなって、結局泊まることになってしまった。久しぶりに、誰かと一緒に寝る気がする。親も兄もみんな離れてしまって、独り暮らしのような感じであったから、少し気分が浮いて、落ち着かない。
※※※※※
「おはよう」
「眠い」
「こら、起きて、もうお昼だよ」
「あと5分」
「5分前にそれ言ったじゃん」
「じゃああと1時間」
「いい加減にせんかい」
鋭い手刀を食らって、やむを得なく起きると、コタツを目にした瞬間、一目散に駆け込む。
「ねえ、温かくない」
「スイッチ入れても無駄だよ。電源抜いたから」
「この悪魔め」
「コタツ付けるとまた動かなくなるからダメ」
「この魔女め」
「ほら、とっとと準備して」
そう言われて、やむを得なくコタツから出るなり、私服に着替えて朝食を済ますと、帰る準備を整える。
元々10箱ほどあった缶箱のクッキーを5箱お裾分けしてもらい、それを紙袋に下げているが中々重たい。帰るまでに紙袋が分解しないか心配だがまあ……多分。大丈夫だろう。
「じゃあね」
「うん、またね」
ドアノブに手をかける。ひんやりと手に染み込んでいく冷たさに何処か寂しさを覚えて、姉の方へ振り向いた。少し、戸惑って姉は少し残念そうな、悲しそうに笑みを作って微笑みかける。
そんな、彼女の姿に歩は姉に向き直った。
「また、会うには……時間がかかりそうだけど、次会うときには何か持ってくるよ」
「うん、また……元気でね。待ってる」
「ありがとう。じゃあーー」
何を言うべきなのかが?次へ紡ぐ言葉が見当たらず、一瞬戸惑ったが……。
いや、あるじゃないか……。
歩は笑って告げる。またねでも、さようならでもなくーー
『ーー行ってきます』
ドアノブに手をかけ、後は勢いだけで何もいらなかった……。
それだけでいい。それだけで何もいらない。それだけで僕は明日を頑張ろうと思えるーー
--外気は湿気に包まれて、それでいて寒かった。まるで、今の決心をあざ笑うかのようであったが。でも、歩は前へ進みだした。
彼女は、未だに玄関の前に立っていた。
寒くても、脚が冷えてなお、まだ立っていたい。そう思ってしまうのだ……。
今年の冬は多分温かくなる。そう思って彼女は微笑んだ。
--輪郭を伝う涙を一滴流して
時の溶解
2019/8/30