ブルームの屈辱
ブルームの屈辱
初等教育6年間、紆余曲折を経ながらも何とか終え、
義務教育の最終段階、中学入学を控えた春休みのある日。
小学校へ呼び出された。
招集したのは6年生の担任を務めていた教員。
が、僕のクラス担当ではなかった。
更には話したことすらない、面識もほぼない相手。
そんな薄い間柄にある自分をなぜ呼び出したのか、
まったくもって見当がつかなかった。
切り出された内容は入学式における、
新1年生代表の挨拶をお願いしたいとのことだった。
中学校側から打診を受け小学校側の担当として、
上から指名されたのであろう。
その点、想像に難くない。
しかし、その大事な新入生一同の代表に、
なぜ自分が選ばれたかについての説明はなかった。
僕の方から聞くのもちょっとなあ……
そう思い、あえて選抜の訳を尋ねることはしなかった。
大人の事情や舞台裏の詮索はいかがなものか。
思春期以前より感受性の鋭い質であった自分は、
無意識のうちにそんな気を使っていたのかもしれない。
小学生時代は国語算数理科社会、
学科に関する成績は良かった。
かといって点数に執着する気は皆無に近く、
まあ75点前後取れてればいいやと、
手を抜くまではいかないものの、軽く見ている節があった。
中学校に入ってから頑張れば、そう考えていた。
生意気なガキだったな、よく思い出す。
そんな上から目線の座学でも国語だけは特別で、
テストにおいても楽しみながら、高得点を狙っていた。
特に、正解がひとつとは限らない記述式の問題が好きで、
登場人物の内面や物語の行方に対する想いを、
文章に乗せて書き出し吐き出す行為がたまらなく好きだった。
作文も然り。
もしかしたらその文作好きな姿勢を見込まれ、
結果、白羽の矢が立ったのかもしれない。
作文を書くこと自体に苦はない。
代表という責任も子どもなりに感じていたが、
プレッシャーは心地よいものだった。
新たなステップへの意気込みを、一生懸命考えて書いた。
推敲し直し納得のいくものが出来上がり、
件の先生に完成形として手渡した。
目を通してもらい、どういった評価を受けるか楽しみだった。
数日後、正式な原稿を受け取った。
一瞥し、ショックを受けた。
自分の書いた文章がひとつも見当たらない。
出だしから締めまで、全ての内容が書き換えられていた。
―これなら僕である必要、なくない?
だって、誰が読んだって同じなんだもの。
未熟だったのであろう、
稚拙であるから手を入れられた。
だから、責めるならば自分自身。
それでもやっぱり、悔しかった。
入学式当日。
新入生代表として登壇、
先生の書いた挨拶文を読み切った。
晴れの舞台。
周囲の目には、さぞかし立派に映ったであろう。
しかし当の本人、その心中は虚ろであった。
ブルームの屈辱