日常
あおい はる
手をつないでいるあいだは、あのひとのものだと、すこしの安心感と、わずかな優越感に、ひたり、でも、いつか、ぼくが、あのひとのものではなくなってしまう瞬間、というのが、おとずれるかもしれない、みえない未来の、不確かなものにさいなまれる夜の、朝、テレビをつけると、なんだかもう、まいにち、かなしいニュースばかりで、ぼくは、のりトーストをつくって、たべました。のりトーストにするパンは、八枚切りに限るなあと思いながら、あのひとの、ぼくより大きな手から伝わってくる、体温を、念入りに思い起こしていました。ぼくら、にんげんよりも、あのひとの体温は高くて、ゆびは、毛むくじゃらだけれど、いやな感じはしなくて、想うに、ぼくが、あのひとのものでなくなってしまう瞬間、というのは、あのひとが、たとえば、だれかを傷つけて、処分されてしまう、とか、捕獲されて、どこか遠くへ、送られてしまう、とか、そういうのではなくて、あのひと自身が、ぼく、という個人を、ぼく、という単体ではなく、にんげんの、ひとつの、括り、として捉えるようになったときが、ぼくと、あのひとの、終わりなのだと、ぼくは考えるのでした。種族が異なる、というのは、やっかいなことだと思います。言語なんてものは、愛があれば、どうとでもなると、ぼくは、あのひとと過ごすなかで、学んだのですが、根本的なものというのは、昔からある、神さまがつくった、世界の、星の、基本的構造のようなものは、この星が生まれてから何億と経ってから現れた、ぼく、みたいなものには、どうにもできないという現実を、日々、突きつけられています。
蔓延する、かなしみに、まいにち、こころ、折れそうになる。
きょうは、あのひとに逢いたい。
うそ、ほんとうはまいにち、あのひとに逢いたい。
しょうゆ、ではない、しょっぱさが、くちのなかにひろがって、逢えるところにいるのに、逢えないことが、あたりまえのことが、あたりまえではなくなっていることが、ただ、ひたすらに。
日常