心の中の雪の国~私のチベット旅行記~ その11 ラサへ
一月二十五日
旅立ちにふさわしい、よく晴れた朝。
言葉は少なく、るりちゃんとラブランパンを食べて朝ごはん。一階でゆっくりして、十時くらいになったら出発する。るりちゃんは、バスターミナルまで見送りにきてくれることになった。
ツェラン・ツォにデモォと言って外に出ると、快晴だった。
私のサブザックを背負いながらるりちゃんが、「よかったねえ。いい天気」
「ふだんの私の行いがいいからじゃない?」
「風邪で寝込んでしまえばいい」
タクシーに乗ってもよかったけれど、るりちゃんとバスターミナルまで歩いて行くことにした。相変わらず積もった雪が凍っていて、歩道のタイルはツルツル滑る。
歩きながらるりちゃんが後ろから、「大ザック重い? 気をつけてね」
「るりちゃんは? 大丈夫?」
「私は、道産子だもん。これくらいの雪、どうってことないよ」
そう聞いた次の瞬間、ぎゃっと声がして振り向くと、るりちゃんが氷の上に尻餅を付いていた。すぐ後ろを歩いていたチベット服のおじさんが、その光景を見てヘラヘラ笑っている。
「大丈夫?」
私も笑いながら、るりちゃんに手を差しのべる。
「いったーい」私の手をつかんで立ちあがると、「ちょっと、笑うことないじゃん」
「ごめんごめん。でも今の、すごくおいしかった。てかるりちゃん、北海道だったんだ」
一ヶ月近くるりちゃんといっしょにいて、初めて彼女の出身を知った。
「うん。小さいころね。育ったのは内地だけど」
内地のどこかは、続けてくれない。やっぱり最後まで、自分のことはほとんど話してくれなかった。
バスターミナルの前では、蘭州行きのバスとツォエ行きのバスが呼び込みをしている。その回族らしい呼び込みの人に連れられて窓口で切符を買うと、バックパックをバスのトランクルームに入れた。すぐに発車らしい。
るりちゃんからサブザックを受け取って、「お世話になったね。いろいろ」
「ラサ着いたら連絡ちょうだい。アブーにも、メール送っとくね」
ガッチリと、抱き合った。
「じゃあ、デモ」
そう言ってバスに乗って、指定の座席に座った。窓の外のるりちゃんを見ると、彼女は小さく手を振ってからその場を立ち去る。涙が出そう。
バスは本当に、すぐに発車。音楽で気を紛らわせながら、起きたらそこはもうツォエの町だった。前と同じバスターミナルの対面の宿に入って、地図でガンロ州公安処の位置を確かめて直行する。空は久しぶりに快晴で、日陰には雪が厚く積もったまま。
看板は出ていないけれど、奥の駐車場には警察とか公安とか書いた白と青のパトカーが何台も停まっているからたぶん公安処なんだろうと思う建物の前で、たまたま中から出てきた人に外事科と書いたメモを見せたら下午三点半と書いて返された。
お昼休みだった。午後三時半に来いという意味らしい。そういや、お昼を食べていない。適当に選んだ回族食堂で激辛の牛肉面を食べてから、まだ時間があったから町の中を探索。おいしそうなパン屋さんを見つけて、さんざん悩んでバゲット風なのをひとつ買った。
三時半ぴったりに、また州公安処前に行った。門衛っぽいおじさんに外事科と書いたメモを見せると、駐車場の奥を指さす。よくわからないけれどおじさんに指さされたほうに歩いて行くと、立派な公安処本館とは別の平屋の建物があって、金色の看板には、甘南蔵族自治州公安処出入境管理科と赤い字で書いてある。ドアは閉まっていた。
しばらくその前で待っていたら、メガネの男の人が来て私を見ながら、ドアの鍵を開けた。制服は着ていないけれど、どうやら係の人らしい。
「あ、あのう、エクスキューズミー?」
入り口の外から声をかけると、「パスポート」
部屋に入ってパスポートを渡すと、最初のページから一枚一枚、じっくりと穴が開くかと思うくらいに見てから、「で? 何か?」
外事科の職員だから、英語は話せないと言いながらふつうに英語を話す。
「ビザを、延長したいんですけど」
彼は、私の中国ビザと机の上のカレンダーを何回も見比べると、「蘭州に行きなさい」
そう、言われるかもしれない。るりちゃんに聞いて、予想はしていた。でも、せっかく来たんだしと粘ってみる。
「仕事したくない気マンマンの中国役人相手にするときは、押しが大切。押したり引いたり、ときにはウソ泣きしたりして頑張んないと、ビザ延長とかだと州とか省をまたいでたらい回しにされるんだよね」
るりちゃんの言葉を思い出しながら、「でも、天気悪くてまたバス止まるかもしれないですよ。私、ラブランからようやくここに来たんです」
「あるいは、ゾルゲに行けば県公安局でビザ延長できるはずだよ」
私はあなたに、私の行き先を聞いてるんじゃない。メガネの外事科職員は明らかにめんどくさそうで、でも私もあきらめない。
「私、ゾルゲから来たんですよ」
「今、係が新年の休暇でいないから延長はできないんだよ」
じゃあ、あなたはなんの係? というか、なら最初にそう言えばいい。しょうがない。はいそうですか蘭州に行きますと言って、宿に帰った。明日、蘭州に行こう。
町中をグルグル歩いて疲れていたから、買っておいたバゲットとコーヒーで晩ごはん。ふつうにバゲットで、お店の袋を見たら、蘭州に本店があるらしい。メモ帳に、その住所を写しておいた。
明日は、甘粛省の省都、蘭州。ビザの延長は、無事にできるんだろうか。
一月二十六日
今日も気持ちのいい冬の晴天。
ツォエから蘭州のバスも頻発しているから、余裕を持って対面のバスターミナルに行って切符を買った。
乗車の時間が来たら大きな電光掲示板にバスの番号と発車時間が表示されるようになっていたけれど、私の乗るはずのバスの番号がなかなか表示されない。五分前くらいに心配になって検札のおばさんに切符を見せたら、駐車場のほうに行きなさいみたいなことを言われた。
お客さんが乗り込んでいてもうすぐ発車らしい蘭州行きバスのドライバーに切符を見せると、番号は違うけれども乗れと言われて、よくわからないまま急かされてそのバスに乗る。お客さんは定員の半分くらい、チベット服のチベット人は乗っていない。すぐに走りだしたから、もしかしたら私を待っていたのかもしれない。
音楽を聞きながらすぐに落ちて、臨夏手前あたりで目が覚める。大雪だった。
臨夏市は臨夏・回族自治州の州都で、チベットっぽさはもう、どこにも見当たらない。看板には漢字かアラビア文字、そしてモスクとミナレット。
T字路の突き当たりで、大型トラックがT字路を曲がらずに側溝にはまっていた。私たちのバスはちゃんとそこを曲がって、近所の食堂の駐車場に入る。
お昼休憩だけれど私は食堂には入らないで、買っておいたパンをバスの中で食べようと思っていたら、トイレから帰ってきたらバスのドアを閉められていた。ドライバーの食事が終わるのを、バスの外で待つしかない。路面が凍ってツルツルなのに、このバスはチェーンをしていない。大丈夫なんだろうか。
どれくらい待ったか、つま先がすっかり冷えきったころにバスのドアが開くと、座席には十分余裕があるはずなのに、やっぱりなぜかみんな我先にとバスに乗り込む。
臨夏から先もずっと雪、バスはいつの間にか高速道路を走っていた。蘭州の市内に入ったあたりで、天気は薄曇り。高速を降りたと思ったら、すぐにバスターミナルに着いた。
ガンロ州からのバスが着く南バスターミナルは、市内中心からはけっこう遠い。バスから降りると、蘭州駅に行く乗り合いタクシーの客引きが何人も寄ってくる。最初に私に声をかけた人にバックパックを持ってもらうと、その人のミニバンに連れていかれた。駅まで十元、るりちゃんの言った通り。すぐにミニバンは満員になって、派手にクラクションを鳴らしながら蘭州の町の中へ。蘭州も大雪だったらしくて、道路は融けた雪でグシャグシャ。
蘭州駅前でミニバンを降りて、るりちゃんに教えられた駅前のホテルに泊まる。入り口の回転ドアに、大きなホール。高級ホテルだった。高級だし高層で、私の部屋は九階。窓から蘭州の市街を見下ろすと、大会社の社長にでもなったようで気分がいい。もちろん暖房が効いているし、お湯も蛇口をひねればジャバジャバ出る。そして最高なのはバスタブがあることで、これで久しぶりにお風呂に浸かれる。ちょっと高くても、駅の対面だし、バスタブは十分料金に見合う価値があった。
お風呂の楽しみはあとに残しておいて、とりあえずは町の様子を見ようかと思ったものの、歩道のタイルが凍っていて危なっかしい。時間は早かったけれど、近所の食堂街で炒め物と白ごはんを食べてからスーパーに寄って、すぐに帰った。
宿に帰ると、まず最初にバスタブにお湯を張った。日本を出てからはずっとシャワーだったしそのシャワーもときどき浴びられなかったから、久しぶりにお湯に浸かると、お風呂ってこんなに気持ちのいいものだったのかと思う。何時間でもそのままお湯に浸かっていたい気分だった。
でもお風呂から上がって身体を拭いたら、自分の垢にびっくり。そういや、ラブランにいた間ずっとシャワーを浴びていなかった。どうりで、服が真っ黒になるわけだった。
日記を付けながらなんとなくテレビを見ていたら、蘭州の明日の天気は雪。あさってしあさっても雪マークで、最高気温が零度くらい。
蘭州だけでなく、るりちゃんが言っていたように中国内陸の広い地域で歴史的な大雪だそうで、あちこちの高速道路は閉鎖されているし、電車の運休も多い。私はラサに行けるんだろうか。
るりちゃんに言われたように、電話のプラグを抜いてから寝た。
一月二十七日
今日は日曜日だっけ。朝起きてから気がついた。日曜日はもちろんお役所はお休みだから、ビザの延長もできない。
また大雪。窓から見下ろす景色は白か灰色で、近所のビルは白いもやもやの中に吸い込まれたよう。すぐ近くのスーパーに買い物に出るだけでも滑りやすい道を転びそうになりながら慎重に歩かなければならなくて、ほとんど一日中お菓子を食べながら部屋の中ですごした。
中国内地の大雪は続いて、旧暦のお正月前だから、大都市から田舎に帰る人たちが大勢足止めされているらしい。あちこちで軍隊が出動して雪かきをしている映像がニュースで流れているけれど、蘭州市内の雪は積もる一方。軍隊、どこにいるんだろう。
日記には何も書くことがなく、今日もバスタブに浸かって終わり。
一月二十八日
月曜日。公安局、やっているんだろうか。お正月休みとか言われたらどうしよう。不安ではあるけれども、行ってみないとどうしようもない。
雪はまったくやむ気配もなく、道は凍ったまま。
駅前から市バスに乗って、蘭州市の公安局に行った。本館とは別棟の出入境管理科はちゃんと開いていて、ビザ係のカウンターの奥には、ちゃんと制服を着た若い女性の警官が座っていた。やっぱりふつうに英語をしゃべる。本当は、ビザの延長には泊まっている宿の宿泊証明書とか銀行預金の残高証明とかいろいろ書類が必要だけれども、彼女は私の泊まっているホテルの名前を聞いただけで、事務的にビザ延長の申請用紙をくれた。
用紙に必要事項を書き込んで写真とパスポートを渡すと、「あさって午前中に来てください」
それだけだった。
町に出たついでにファストフードのお店でお昼にしてから、バスに乗って駅前に戻る。
駅の切符売り場に行って、電光掲示板を見た。蘭州からの電車の空席状況が表示されていて、蘭州発ラサ行きの電車は当日でも切符が買える。
お正月前だから、大都市から地方に行く電車はどれも何日も先まで完売なのに、地方から大都市に行く電車は当日でも空きが多い。ラサは地方都市でもラサに帰るチベット人よりラサから帰る出稼ぎの中国人が多いそうで、ラサ行きの電車は大人気で切符がなかなか手に入らないと聞いていたけれど、今は冬でオフシーズンだし中国内地の交通がこの天気でガタガタだから、そんなに混んでいないらしい。
ビザを取ったその日に、ラサ行きの電車に乗ることに決めた。
一月二十九日
この雪は、やむんだろうか。
私の中国ビザは今日切れるけれど、明日は新しいビザがもらえるはずだった。
午前中公安局でパスポートを受け取って、電車の切符を買ってからチェックアウト。その日のラサ行きの電車に乗れれば、あさっての夜にはラサに着く。
テレビを見ていると、中国はまだまだ大雪。送電線の鉄塔が倒れたり民家がつぶれたり、なかなか大変そう。でもとりあえず蘭州では、道を歩いていて滑って転ぶのが危険なくらいだろうか。
蘭州市のテレビを見ていたら文明市民なら自分たちの街は自分たちで雪かきしましょうみたいなニュースが流れていたけれど、軍隊はどこにいるんだろう。テレビではさかんに軍隊が道路の雪かきをしている映像が流れて、軍人さんありがとう的な番組ばかりやっている。
テレビを見てお菓子を食べて、そんな一日。日記とお小遣い帳を調べながらコウちゃんノートと見比べて、古くなっているところを赤ペンで書き直しているうちに一日が終わった。
なんか私、ノブさんみたいだ。作業に没頭しているうちに、買ったガイドブックのほうにまで書き込みをしていた。
夕方、備蓄ぶんが底をついたから、明日まんまと電車に乗れたときのために食料を買いに外に出た。雪は小降りになっていた。明日は、晴れるだろうか。
一月三十日
雪がやんだ。
空はまだどんよりと曇っているものの、昨日までよりもはるかに明るい。吉兆ではないだろうかと思うようにして、すぐにチェックアウトできるように荷物をまとめると公安局にパスポートを受け取りに行く。
九時半ちょっとすぎ、営業時間が始まってすぐあとくらいに出入境管理科に着いたけれど、係の女性の警官はちゃんとカウンターの奥に座っていた。
彼女は私を覚えていた。私が何か言う前に、「ちょっと、待っていてください」
どこかに電話をかけて、どうやら実際にビザを作るのはべつのところらしい。今印刷しているんだかなんなんだか、彼女が何回か電話をかけると、ようやく制服を着ていない女の人が外から私のパスポートを持ってきた。
なんで、中の職員用出入り口から入って来ないんだろう。そんなことを思いながら、渡されたパスポートを見た。
香港で取った三ヶ月ツーリストビザには、昨日の日付でキャンセルのスタンプが押してある。その次のページに貼ってあるのが、今日の日付が入った甘粛蘭州発行の新しいツーリストビザ。二00八年二月二十八日まで有効になっていて、これできっちり一ヶ月、中国滞在期間が延びた。百六十元払って、受け取りの書類にサイン。頭の中では、駅に行って切符を買ってチェックアウトしてと、次にこなす用事を考えている。
「ありがとう。サンキュー。謝謝」
領収書をもらったら、足早にその場を離れた。
まずは市バスで駅に行って、切符売り場の窓口に並ぶ。テレビで見た広州とか上海の光景と比べるとはるかに少ないけれど、それでも、窓口には長い長い行列。チェックアウトの時間は十二時だからと気は焦るのに、列はなかなか進まない。一分ごとに時計を眺めながら、そしてボヤッとしていると知らない人が横から行列に割り込むから、なかなか油断もできない。
蘭州には、北京発、上海か広州発、成都か重慶発の三本のラサ行き電車が停まる。上海広州と成都重慶は日替わり、蘭州始発のラサ行きは西寧始発と交代で一日おきだから、毎日三本から四本のラサ行き電車が蘭州駅から出ていることになる。どれかには、空席があるだろう。
ただ、本当はチベット自治区に外国人が入るには手配旅行でなければいけないはずで、個人で切符を買って電車に乗るのは規定違反になる。でも実際は、個人旅行者が自力で行っても何も問題ないことは、ノブさんもるりちゃんも言っていた。問題なくはないんだろうけれど、ノブさんもるりちゃんも、そしてコウちゃんも、そうやって何回もラサに行っている。
私は初めてだし、知らなかったということで、ふつうに切符売り場に並ぶ。怒られたら、そのときまたべつの手段を考えよう。
私の順番になった。成都か重慶からの電車が午後一時着だからそれに乗ればちょうどいいと思って、昨日のうちに書いておいたメモを何もしゃべらずに窓口のおばさんに見せる。
『当日 T二二次 到拉薩 硬臥 一張』今日のT二二次のラサ行き二等寝台を一枚ください。
彼女はメモを見て、キーボードを叩くと私に何かを言ってくる。でも、もちろん言っていることが私にはわからない。文法的に正しいか正しくないかはべつとして、今まで身に付けた中国語能力を総動員、「対不起、我听不好。清写一下」
人をだますのは悪いとは思ったけれども、私はどうしてもラサに行きたい。お姉さんごめんなさい。
オム・ターレ・トゥッタレ・トゥレ・ソーハー、オム・ターレ・トゥッタレ・トゥレ・ソーハー。
気がついたら、無意識にジャケットの上からガウに手を当てていた。
係員のおばさんはガラスの向こうで困ったような顔をしながらまたカタカタとキーボードを叩くと、私の出したメモ帳に何か書いた。達筆だった。
『T二七次 今天一五:二一開車 硬臥 中舗』
T二二次は満席で、T二七次なら空席があるらしい。T二七次って、どこの始発だっけ。行き先がラサなら、どこの発車でも関係ない。
「好的、好的」
何度もうなずく私におばさんは、メモに絵を描いて三段ベッドの真ん中だよと説明する。好的を繰り返す私。
プリンターから切符が出てきて、私は料金を払う。お釣りと切符、それに健康申告ナントカと書いてある紙を渡された。
手に入れた切符を見た。
『蘭州 T二七次 拉薩 二00八年0一月三十日一五:二一開』
勝った。チベットの神様、ありがとう。窓口を離れながら、小さくガッツポーズ。
急いで、それでも転ばないように慎重に、駅前広場を渡ってホテルに戻る。バックパックを背負ってからサブザックを身体の前に抱えてお菓子とカップ麺が入ったスーパーの袋を持つと、急いで一階へ。フロントに鍵を返したのは、十二時ちょうどだった。
ヨタヨタと、また駅に戻った。ラサ行き電車には専用の待合室があって、入り口で係の人と目を合わせないようにしながらさっき買ったばかりの切符を見せる。何も言われない。
空港みたいなX線の機械と、ゲート式の金属探知機があった。バックパックとサブザックとスーパーのビニール袋をX線に通して、金属探知機のゲートを通り抜ける。時計とか硬貨とか身に付けたいろんなものがピーピー鳴るかと思ったけれど、何も反応しなかった。
あとで見ていたら誰も鳴っている人がいなくて、どうやら電源が入っていないようだった。それでもそこを通る規則なのか、機械の横を通りすぎようとする人は警官か係の人に大声で注意されている。よくわからない。
待合室には人は少なくて、暖房があるからいいけれども、あと三時間もここでじっと待たなければならないことに今さら気がついた。
三時間ですむんだろうか。もうすぐ着くはずのT二二次は、到着が遅れているようだった。私の乗る北京発T二七次も、遅れるようなことが電光掲示板に表示されている。ここまで来たら待つしかないと、目を閉じて音楽を聴く。
待合室が騒がしくなった。成都からのT二二次に乗る人たちが、列を作る。私は胸にサブザックを抱えて音楽を聴きながら、行列が長くなって、やがて改札に流れて行くのを眺めていた。
また待合室が静かになる。大きくあくびをしてから、待合室を見渡した。回族らしい人の姿が多い。高原から下りてきたままのようなチベット人の大家族は、ラサに巡礼に行くんだろうか。そして、ロングスカートに横縞のエプロンをしたちょっと上品そうなおばあさんは、ラサの人だ。あの服装は、コウちゃんの写真で何度も見た。
ラサが一気に近くなった気がした。明日の夜にはもうラサ。気持ちが高まるのと、このまま何も言われないでラサにたどり着けるかの不安と。
T二七次ラサ行き一五時二一分発。
電光掲示板に、表示が出た。まだ一時間近くあるのに、急にそわそわする人たち。私は、チベット家族の小さな女の子を見つめる。髪の毛を何本もの細かい三つ編みにして、汚れたチベット服。あのままの格好で中国風大都会らしいラサに行くのかと思うと、なんだかほほえましい。
改札口がザワザワして、貫禄ある駅員のおばさんがハンドマイクで何か叫びだした。発車時間まであと二十分くらい。ベンチに座っていた人たちが行列になって、私もバックパックを背負って列に並ぶ。それからまた、改札口が開くのを待った。急げ、そして待て。ノブさんがよく言っていたっけ。
肩が痛くなってバックパックを下ろそうかと思ったとき、行列の向こうにあるガラスの扉が開いた。ラサ行きの電車は乗車券だけで座席のない、いわゆる無座票がなくて全席指定のはずなのに、それでも大きな荷物を持って走る人が多い。私も人の波に洗われるように、私の意志とは関係なくなかば運ばれるようにしてホームに出た。指定の車両を探して、ドアの前に立つ車掌さんに切符を見せる。彼女は無表情で、入り口を指さして乗れと合図しただけだった。左右の壁にバックパックをガツンガツンぶつけながら、廊下を奥に進む。
あった。私のベッド。三段ベッドが向かい合ったコンパートメント、下の段のベッド両方には、もうお客さんが乗っていた。北京から来たのか、左側には回族のおじいさんが寝ていて、右側には若い女の子がベッドに座って窓の向こうを眺めている。私のベッドは、その女の子の上の段。途中の駅で降りたお客さんが使っていたようで、布団がグシャグシャに丸くなっていた。サブザックとスーパーの袋をベッドに置くと、バックパックを背負ったまま壁の内側の足がかりを使って、もがきながらなんとか廊下の天井裏スペースにバックパックを押し込んだ。
ふう、と一息ついて廊下の折りたたみ椅子に座ろうとすると、「こんにちは」
私の下の段に座っている女の子で、びっくりするような美人。
「あ、はい、こんにちは。日本人? ですか?」
「いいえ。私はチベット人です」
一瞬、日本人かと思った。それくらいふつうの発音だったし、日本で地下鉄に乗っていても、誰もチベット人だとは気づかないような顔立ちだった。
突然の日本語に驚いている私に、「座ってください」
「あ、はい。どうも」
彼女の隣に座る。よく見ると、片耳にぶら下げた大きなマスクとかピンク色の例のトックリセーターとか、そのへんのセンスが、どことなくチベット人っぽい。耳には金とトルコ石の小さなピアス、そしてヒマワリの種をポリポリかじっている。
「日本語、お上手ですね」
そう言うとちょっとはにかんで、その笑顔がまたかわいらしい。チベット人には美男美女が多いというのは、本当だった。
外でレトロな発車ベルの音が鳴り響くと、ゆっくりと、窓の景色が動きだす。太陽が出ていたことに、今ようやっと気がついた。
けっきょく定刻ぴったりの一五時二十一分、北京発ラサ行きのT二七次列車は私を乗せて、ラサに向かって蘭州駅を出発。バゲットのおいしかったパン屋さんの本店に行こうと思っていたのを、すっかり忘れていた。
「お名前は?」
「松島真理子。友だちは、まりって呼びます」
なんか、すごく改まった自己紹介。
彼女の名前はチメェ・ドルマ。私のメモ帳に名前を書いてもらうと、ていねいなローマ字でChimey Dolma、そしてその下にカタカナでチメェ・ドルマ。ほとんどのチベット人には姓がないからチメェもドルマも彼女のファーストネームだけれど、名前を呼ぶときはチメェ。発音が上手いから日本語ぺらぺらなのかと思ったら、英語のほうが得意らしい。だんだん会話も、日本語の単語混じりの英語になる。北京の大学に通っていて、お正月休みを使ってラサの実家に帰るそうだ。
「あなたも、ラサに行くの?」
彼女にそう聞かれて、「うん、そう」
でもチメェは、外人である私は本当はここにいてはいけないことを、知っているんだろうか。
「ラサは、初めて?」
「チベット来るのが、初めて。日本から香港に行って、三ヶ月ずっとチベット」
「チベットの、どこに行ったの?」
「雲南のギェルタンから始まって、リタン、ダルツェンド、成都、ダンゴ、セルタ、ンガワ、それから、どこだっけ、タクツァン・ラモ、ラブラン、レコン、西寧、蘭州。四川、甘粛、青海、また甘粛。成都と西寧と蘭州は、中国か」
「いいなあ。あなたはラッキー。私、チベット人なのに、どこにも行ったことがないの。ラサの近所くらい」
「北京は、どうなの?」
「学校だからしょうがないけど、私はあんまり好きじゃない。友だちも家族もみんなラサだし、私はラサが好き。だんだん、北京みたいになってるけど。大きなビルが建ったりして」
チベット人には家族が大事と言っていたのは、るりちゃんだっけ。北京からラサの硬臥、二等寝台の料金は八百元ちょっと。この国の大卒の初任給がいくらだったか、二千元はしないと聞いたから、日本円に換算したら一万円ちょっとでも物価を考えると彼女にとっては大金のはずで、実家がお金持ちなんだろうか。
「どれくらい久しぶりなの? ラサに帰るのは」
「去年の秋から学校が始まって、だから四ヶ月くらい。それまで、ラサから出たこともなかったの。お母さんは小さいころインドに行ったことがあるって言ってたけど、私は北京に来たのが初めての旅行」
「北京に、友だちはいるの?」
「チベット人の同級生はいるけど、やっぱり家族と離れてるとさびしい」
チベット人の同級生。中国人の友だちはと聞こうと思ったけれど、やっぱりやめておいた。
反対側のベッドに寝ていた回族のおじいさんが起きて、私たちに話しかける。
チメェがおじいさんと何か二言三言話したあと、「あなた、私の友だちでチベット人ってことにしといた。外人だってバレないように」
外人が自力で切符を買って乗ってはいけないこと、この子は知っているんだ。
そして彼女は微笑んで、「大丈夫。私は日本の人が好き。だからあなたを助けてあげる。心配しないで」
「ありがとう」
回族のおじいさんは私たちを見つめていて、そしてまたベッドに横になる。
窓の外は、何日も見なかった青空。そして降り続いた雪が積もって、白くまぶしい。
「どうぞ」
クッキーの袋を開けると、チメェに差しだす。
彼女は日本語で、「ありがとうございます」そしてクッキーをつまみながら、「切符といっしょにもらった紙、ある?」
健康申告ナントカって、要は、電車に乗っている最中に何かあっても本人の責任で当局はいっさい関知しないってことだけれど、そんなにこの電車に乗るのって、危険なんだろうか。そうも思えない。チメェにその紙を渡すと、いたずらっぽく笑いながら記入欄を埋める。
終わると私に紙を返しながら、「あなたの名前はテンズィン・ドルマ、住所はラサ市。私のうちの近所」
「この、電話番号は?」
「うそ。適当」
いいんだろうか。
窓の向こうに、見覚えのある赤い岩山、その岩肌には白く塗られた建物。
チメェが、通りすぎるその建物に両手を合わせる。そして私に、「あのお寺、マルツァン・ツクラカンって名前なの」
「知ってる。何日か前に行った」
「私は、ここから見ただけ。私たちの歴史の中ですごく重要なお寺なんだけど、ほとんどのチベット人はそんなこと知らないの。私はそのこと、日本の人に教えてもらった。おかしいでしょ? 私たちチベット人って、なんにも知らないの。チベットのこと、外国人に教えてもらってるんだよ」
おかしいことなのかどうなのか、でもよくよく考えると、私も日本のこと、知ってるようで知らないことも多い。
「チメェは、日本語はどこで習ったの?」
「日本人の知り合いがいるの。それで、教えてもらった」
「英語は? すごい上手だけど」
「それも、知り合いの日本人」
チベット人が日本人に英語を教えてもらってるのも、変な話。
十八時三十分、電車は西寧に着いた。標高二二五0メートル。
回族のおじいさんは、起きあがって外に行ったようだった。私たちはクッキーを食べながら、おしゃべりを続ける。デジカメで今まで撮った写真と私のガイドブックをチメェに見せると、目を輝かせながら、ここはどこ? ここはどこ? これは何?
行ったことがないと言うわりには、ラブランがジャムヤン・リンポチェのお寺でリンポチェは蘭州にお住まいとか、クンブム寺で一番偉かったアキャ・リンポチェは何年か前に亡命して今はアメリカにお住まいだとか私に教えてくれて、チベット人だけによく知っていた。
またレトロな発車ベルが鳴ると、電車はゴルムド駅へ、青蔵高原に向けて走りだす。
回族のおじいさんが戻ってきた。手にはお湯の入ったカップ麺、荷物の中から売るほどたくさんパンが入った袋を出すと、丸くて平たいパンをひとつづつ、私とチメェに差しだす。
「シェ、謝謝」
そういやもう、夕ごはんの時間。おなかが減っていた。回族のおじいさんはパンを食べながらチメェに話しかけて、チメェがそれに答える。
「テンズイン・ドルマ、あなたはインドに住んでたから、中国語があんまり得意でないってことにしといた」
そうやってウソの話を作っているのを、どうやらチメェは楽しんでいるらしい。チメェの作り話を、このおじいさんは信じているんだろうか。
無表情な車掌さんがやって来て、私に何か言った。チメェが答えながら、健康ナントカの紙を車掌さんに渡す。私も彼女にならって、ウソだらけの紙を渡した。車掌さんは無表情なまま、紙を集めるために次のコンパートメントに移る。少しでも笑顔になれば、かわいい人なのに。
回族のおじいさんは、紙を渡さなかった。ゴルムドで降りる場合は五000メートルの峠を越えないから、健康ナントカは必要ないらしい。でもゴルムドまでのツァイダム平原は、海抜三000メートルくらい。高度計の数字は、チメェと話をしている間にもぐんぐん上がる。あとで見たら、夜の十一時には三七00メートルちょっとの峠を越えていた。
回族のおじいさんからもらったパンと買っておいたカップ麺で、晩ごはん。チメェも、自分のカップ麺を食べていた。洗面所の蛇口からは、予想したように水が出ない。ペットボトルの水で歯を磨くと、チメェにおやすみなさいを言ってからベッドに登って横になる。一番上の段の布団はきれいに畳んだままで、私のベッドにあった丸まった布団をそっちに投げてから、畳んであるきれいな布団をいただいておいた。
順調な一日。明日の今ごろは、私はラサにいる。
一月三十一日
五時半。時計のバックライトに浮かび上がった標高は、二八六五メートル。
電車は、動いていない。遠くで何か、アナウンスの声が響いている。ゴルムド駅。ベッドにうつ伏せになって、いつの間にか閉められていたカーテンの隙間から駅のホームを見つめる。真っ暗だし、誰もいなくて寒々しかった。コウちゃんは何回か、ここからバスに乗ってラサに行ったらしい。
ゴルムド、格爾木は、青海省からチベット自治区に向かう道路の中継基地として人工的に造られた町だそうで、ゴルムドという地名はチベット語ではなくモンゴル語起源だと、昨日チメェが言っていた。モンゴル人も多い地域らしいけれど、青海モンゴル人とチベット人の区別は、チメェにもよくわからないらしい。
民族どうこうなんてのは、結局は政治的なことっスからね。ノブさん語録。
青蔵鉄道が通る前は、許可証のない旅行者にとっては青海からラサを目指す旅のスタート地点だった町らしい。でも鉄道が通った今は、どうなんだろうか。コウちゃんノートには、違法旅行者を乗せてくれる闇バスの乗り場とか、観光名所なんて何もない場所のはずなのにこと細かく調べてある。でも私は、電車の寝台ベッドに横になったまま何も見ないで、真っ暗なこの町を通過する。
電車が動きだした。しばらく外を流れる何かの明かりを眺めてからトイレに行こうとベッドを下りると、チメェは起きていて、やっぱりカーテンをめくって外を眺めていた。
トイレの窓は開いたまま、外から吹き込む風は、びっくりする寒さ。
広州から昆明の電車のトイレはそのまま垂れ流しだったのに、ラサ線の電車は水洗式。でも、ときどき逆流することがあるらしいと恐ろしいことをるりちゃんが言っていたから、水洗のボタンを押したら急いで外に出てドアを閉める。洗面所の水は、相変わらず出なかった。
ボサボサになった髪の毛をゴムでまとめてから戻ると、「おはようございます」
チメェが、きれいな日本語で言う。
「チメェ、あなた寝てないの?」
「考えごと」
るりちゃんと似たような雰囲気の、なんだか奥深いような、不思議な感じのする子だと思った。
回族のおじいさんはゴルムドで降りたから、このコンパートメントには私とチメェだけ。ゴルムドを出るとほとんど停まらずにラサに着くし、乗ってくるお客さんもいないはず。そう思って、おじいさんの使っていた枕と布団を私のベッドに投げると、私がそこを使うことにする。夕方ラサに着くまでは、食べるか寝るかチメェと話をするしかすることがない。
星を眺めているうちに眠くなって、さっきまで回族のおじいさんが使っていたベッドに横になった。
七時半、標高四五九五メートル。ちょっと息苦しい。
ベッド脇のテーブルに手を伸ばして、ペットボトルの水を飲む。チメェのほうを見ると、彼女は顔にマフラーをかぶせて眠っているようだった。廊下の照明が点いているけれど、外はまだまだ真っ暗。カーテンを半分くらい開けて外を見ていたら、チメェが起きた。
「気分はどう?」
チメェに聞かれて、よくはないものの、まあ耐えられないほどでもない。むしろチメェと話していたほうが、気が紛れていいかもしれない。
「少し息苦しい感じだけど、大丈夫。あなたは?」
「平気」
さすがチベット人。「そういや、チベットの新年って、もうすぐなんだよねえ?」
「うん。今日は、三十一日だっけ? チベットの暦だと十二月の二十四日だから、あと一週間。今年はたまたま中国暦とも重なってるけど、チベットにはチベットの暦があるの」
そう言いながら、楽しそうな笑顔。
「家に帰れるの、うれしい?」
「もちろん。本当は私、今年帰る気はなかったの。でも、北京に着いた瞬間さみしくなっちゃって、どうしてもお母さんに会いたくなって、電車代は高かったけど飛行機よりも安いから、学校の空いた時間に働いてお金貯めたの。お母さんは帰ってこなくていいって言ってたけど、やっぱりお正月は家族みんな揃わないと」
ラサから北京の学校に行けるって、よっぽど頭がいいかコネがないと難しいようなこと、コウちゃんから聞いたんだったか。始めは上品な感じからいいとこのお嬢さまなのかと思っていた。でも、大学に通いながらバイトして、けっこう苦労しているらしい。
「ラサまで電車が通って、便利になった?」
彼女はちょっと考えて、「ラサに電車が来たこと外国の人がどう言ってるかは、知ってる。でもね、例えば飛行機だと、この時期はすごく料金が高くなるの。電車とバスを乗り継ぐより時間もかからないし、電車がなかったら、私、帰ってないと思う。お正月が終わって北京に戻ったら、また働かないとならないけど」
やっぱり、便利になったってことなのか。コウちゃんなら、なんて言うだろう。
それから、二人でお菓子を食べると、私は少し横になる。チメェは自分のMP3プレイヤーで何か聴きながら、また外を眺めていた。
九時ちょうど、標高は四八二五メートル。
廊下側の窓から日が差している。身体を半分起こして景色を見ると、青空と雪原。そんな景色ばかりが続いている。
「大丈夫?」
心配そうな、チメェの声。ベッドにあぐらをかいて、テーブルの上に広げたノートに何かを書いていた。
「大丈夫」頭がちょっと重いような、でもまだ耐えられないほどにはなっていない。「少し気分よくないけどね。何書いてるの?」
そう聞くとちょっと恥ずかしそうにノートを見せてくれて、ひらがなとカタカナの練習をしていた。
「日本語、教えて」
私も正しい日本語はあんまり知らなかったりするけれど、チメェの目の輝きを見ると、いやとは言えない。それに、チメェが私に聞きたがっているのは学校で習うような日本語でなくてもっと口語的なものだろうから、彼女の質問に答えるような形で単語と発音を教える。
そのうち私も、覚えたチベット文字を書いて見せたり、でもなぜかチメェは私のしゃべるチベット語を聞いて、ときどきクスクスと笑う。
十時、標高四七一0メートル。
またちょっと横になった。トイレに行ったりとか、動くと少し頭の奥が痛くてフラフラする。じっと座って水を飲んでいると、ちょっと息苦しいくらい。
音楽を聴いてウトウトしながらときどき目が覚めて高度計を見ると、タンラ峠を目指して数字がどんどん上がる。チメェも、ベッドに横なった。
十一時半、四八三五メートル。
起きて、おなかが空いていたからカップ麺を食べようと思ったのに、私の乗っている車両の給湯器からはお湯が出ない。フラフラと二つ向こうの車両まで行ったら、ようやっと給湯器からお湯が出た。お湯の入ったカップ麺を両手で持ってベッドに戻ると、チメェは音楽を聴きながらパンと牛乳でお昼ごはん。ヘッドホンを耳から外して、「大丈夫?」
「うん。頭は少し痛いんだけど、おなかは空く。大丈夫だよ。ありがとう、カディンチェ」
私がチベット語でありがとう、チメェが日本語で「どういたしまして」
食欲はあるから、大丈夫だろうと思う。
「何、聴いてるの?」
チメェはヘッドホンの片方を私に差しだして、聴いてみるとJポップだった。
「日本の歌、私好きなの」
でも残念ながら、私はあんまり詳しくはない。
「そうだ、ねえテンズィン・ドルマ、日本のファッション雑誌とか、持ってない?」
そっちのほうも、あんまり詳しくない。
「ごめん、小説とガイドブックしか持ってきてない」この子は、どれだけ日本好きなんだろう。「学校では、何を勉強してるの? 日本語?」
残念そうに首を振ると、「法律。日本語の勉強は楽しいけど、日本語習っても、どこで使っていいんだか。あなたは? 日本で何をしているの?」
「看護師。チベット来るために、仕事辞めちゃったけど」
「すごい。立派な仕事」
「でも大変。仕事きついから、今の日本じゃあんまりなりたがる人いないの」
「私のおばあさんがよく言ってるの。人の役に立つ人間になりなさいって」
「でもあなたも、卒業したら法律関係の仕事するようになるんでしょ? 十分、人の役に立つと思うよ」
「今の中国じゃあ、大学出てもなかなかいい仕事見つからないの。それに私はラサに帰りたいけど、ラサに帰ったらもっと仕事がない」
みんなそれぞれ、大変な人生なんだ。日本では決して裕福ではないのにこうして何も仕事しないで外国をブラブラできる私は、幸せな部類に入るのかもしれない。
十二時十分、標高五0五五メートル。
高度計の数字を見るだけで、息苦しくなる。外は相変わらず、銀色に光る一面の雪と青空。臨時停車を繰り返しながら、なかなか先に進まない。
私もチメェも寝たり起きたりしながら、ときどき変わらない外の景色を見てすごす。
十二時三十五分、ニェンチェン・タンラ峠。標高五一五0メートル。
青海省とチベット自治区の境界を越えた。ここから先はチベット自治区。線路はラサに向かって、標高を下げる。
ちょっと息苦しかったけれど、なんとか無事に青蔵鉄道の最高地点を越えた安心感と、最後にラサで捕まりはしないか不安になるのと。
十三時五分、標高四九五五メートル。
標高が五000メートルを切っただけで、身体が楽になった気分。
チメェはノートを見ながら日本語の練習中で、私はベッドに寝ころんでガイドブックのラサのページを見る。
「どうぞ」
チメェがクッキーの袋を開けて、私に勧める。
「カディンチェ」
二人でクッキーを食べながら、流れる景色を眺めていた。
突然チメェが、「チベットにはね、なんでもあるんだよ」
「どんな意味?」
「チベットにはね、雪山も森も砂漠も草原も、どんな景色もある。日本は? あなた、日本のどこに住んでるの?」
「東京。大都市だから便利は便利だけど、住むところじゃないのかもね。車と高い建物だらけで。でも、東京でもちょっと郊外に出ると、まだまだ自然が残ってるよ」
そうだ、コウちゃん山歩きが好きだったから、一度雲取山に連れていかれたっけ。
「家族もみんな、東京なの?」
「うん。でもみんな、住んでるとこべつべつ。あなたのうちは? やっぱり、大家族なの?」
「お父さんとお母さんと、おばあさん。今は、それだけ。お兄さんは、お坊さんだから。テンズィン・ドルマは?」
「二人姉妹だけど、お姉ちゃんは結婚してるから、家にいるのはお父さんとお母さんだけ」
「日本には、いつ帰るの?」
いつだろう。「まだ決めてないけど、夏までには帰ろうと思って」
「一人で旅行って、さみしくない? ホームシックにならないの?」
「そうね、高校出てからずっと一人暮らしだし、あんまり気にはならないかな」
ときどき、やっぱりさみしいかも。でも途中途中、誰かしらといっしょになった。るりちゃんとも会えたし、今はチメェといっしょだし。
「いつか、日本に行ってみたい」
彼女はなんだかしみじみと、るりちゃんみたいに一瞬笑顔が曇った。
積もった雪がまばらになって、だんだん茶色い草原が見えるようになる。ぜんぜん木が生えていない荒涼とした景色の中に、ヤクの群れ。
十四時半、標高四七0五メートル。
アムド駅で停まったまま、電車はなかなか発車しない。
蘭州の待合室で見た小さい女の子が、楽しそうに廊下を走っている。モコモコのチベット服を脱いでいて、今は日本のアニメのキャラクターがプリントされたパジャマ姿。
この子は、ラサに行くのは初めてだろうか。生まれ育った草原から、蘭州、そしてラサの街を見て、何を思うんだろう。
「チメェは、インドには行かないの?」
ちょっと、悲しそうな表情。そして、「難しいの。パスポートとか。それに、家族を残して遠い外国には行けない」
「行きたいとは、思わない?」
「一度は行ってみたいけど、でも、やっぱり私はラサが好きだし」
やっと、電車が動きだす。
「あなたはチベット人? 中国人?」
それほど深い意味があって聞いたつもりではなかったけれど、チメェは一瞬考え込むと、「私のおじいさん、牢屋の中で死んだの。なんでだと思う? 貴族だったから。私のお母さん、小さいころ、病気になっても病院で看てもらえなかったんだって。なんでだと思う? 貴族の子どもだったから。私のお兄さん、私が小さいころインドに行って、もう何年も会ってないの。なんでだと思う? チベットには先生がいないから。私の友だち、歩いてインドに行こうとして、行方不明なの。彼女はなんで、インドに行こうとしたと思う? チベットでは、チベット語の勉強ができないから」
小さな声で、まくし立てるように早口。やっぱり、聞いてはいけない質問だったのかもしれない。
申し訳ない気分になって、「あの、チメェ」
ごめんなさいと言おうと思ったら、「私は、中華人民共和国の人民。中国人。そして私が生まれたのは、ここ。チベット。私は、チベットの子ども」
中国人民だけど、チベットの子ども。
私みたいな観光客の気がつかないところで、みんな大変な思いで生きているんだと思った。
「チメェ、ありがとう。」
彼女は笑顔になると、「ねえ、テンズィン・ドルマ、私の家に遊びに来ない? ラサに着いたら、どこに泊まるの?」
るりちゃんがよく泊まる安宿に行くつもりだったからそこの名前を言うと、「近いから、遊びにおいで」
お嬢さまもなにも、上品に見えたのは貴族の家柄だったからだ。貴族の家に、外国人の観光客がふらりと遊びに行っていいものかどうか。
でも、チメェはテーブルに置いてあった私のメモ帳に電話番号を書いて、「何か困ったことがあったら、電話して」
チメェの家に行ったときのほうが、困りそうだった。作法とか、どうすればいいんだろう。
十七時五十分、標高四四二0メートル。
電車は停まったり走ったり、ようやくナクチュ駅に着く。
雪は日陰にチョロチョロと残っている程度。荒野にポツンポツンと建つ家は、切妻のない平屋。塀と家の壁が白く塗ってあって、どの家の屋根にもタルチョが翻っている。
すぐに発車。だんだん人口が増えていくようで、ときどき見える集落の規模が大きくなっている。ヤクと羊、それを追うモコモコの人たち。
ゴルムドからラサに続く道路を走る車が、おもちゃのように小さく見える。そしてその道路脇を、ラサ目指して五体投地礼で進むグループ。
チメェは携帯電話を握りしめて、時間を見てはため息をついている。私はもう退屈するのにも飽きているけれども、窓の外を見ているしかなかった。
十八時二十分、ダムシュン駅。標高四四二五メートル。
廊下側の窓から見える一番高い雪山は、ニェンチェン・タンラ山。ラサを守る神さまだと、チメェは言っていた。
十九時十分、ヤンパチェン駅。標高四0七0メートル。
遠くでモヤモヤと白い煙が上がっているのは、温泉らしい。葉は落ちているけれど、ようやっと木が生えているのを見た。
あともうちょっとで、ラサに着く。行政上の大きなくくりでは、もうラサ市内に入っているらしい。
「チベット人の言う伝統的なラサってのは、ほんとに狭い地域なの。ほんの五十年前の写真で見ても、建物なんてそんなに多くない。今ラサって言うと、もっと広い、中国人が造った街を含んでて、それが県級のラサ。地区級のラサだと、周りの七つの県も含んでるから、ダムシュンからはもうラサ。中国的には」
チメェの言うことを聞きながら、心はもうラサの街まで飛んでいるのに、電車は臨時停車を繰り返す。
十九時五十分、標高三九一五メートル。
ラサは標高三六五八メートルだから、もうすぐそこまで来た。でも電車は停まってばかりで、だんだん空が薄暗くなる。
線路はトェルン川に沿って、ラサまではずっと下り。枯れた木々と茶色い畑、白い平屋の家々。そうだ、コウちゃんの写真で見た中央チベットの景色は、こんな風だった。
長い臨時停車。外は真っ暗、でも電車は進まない。本当ならもうラサ駅に着いている時間なのに、私たちは電車の中でじっと待っているしかなかった。
チメェがそわそわしだして、あちこちに電話をかけて楽しそうに話している。
家族だろうか友だちだろうか。言葉はわからないけれど、会話の内容は想像がつく。
私、もうすぐラサに着くの。
窓の外には、無数の街の明かり。チメェはベッドの下に入れてあったスーツケースを引っ張りだすと、電車を降りる準備をする。廊下を走る女の子はチベット服を着ていて、その子を追いかける母親はショルンをガラガラさせながら、やっぱりチベット服。
「もうすぐで着くよ」
うれしそうなチメェ。私もチメェに手伝ってもらって、バックパックを天井の棚から下ろした。
二十時四十分、標高三七五0メートル。
電車はゆっくり、ラサ駅に近づく。電車に乗ったときに切符と交換した寝台券を車掌さんに返して、切符をもらった。
もう、すぐそこまで来た。太陽の都、ラサ。ニマ・ラサ。
香港を出て一万キロ弱。電車とバスを乗り継ぎながら、越えた峠は二十か、いや、もっと多い。気持ちばかりが先に行くけれども、あともうちょっとなのに電車はノロノロとしか進まない。
「私の家、近いから、いっしょにタクシーでラサに行こうよ」
チメェが言うのを、断る理由はない。「うん、いいよ」
二十一時、標高三六八十メートル。
電車は静かに、ラサ駅のホームに入る。蘭州から約三十時間。疲れていて、意外と感動が少ない。
「ようこそ、ラサへ」
チメェが笑顔で、そして立ちあがってジャケットを着る。私も、ジャケットを着てからマフラーを首に巻いた。
電車が停まった。
バックパックを背負ってサブザックを胸の前に抱えると、待っていてくれたチメェと電車の出口へ。外に立っている車掌さんは、やっぱり無表情なままだった。
駅の出口に向かう、いろんな人たち。私みたいにバックパックを背負った、白人ツーリストがいる。大きな荷物に白い帽子の回族、チメェのようにスーツケースをガラガラ曳いてうれしそうなのは、中国内地からラサに帰った学生だろうか。迎えに来たらしい縞々エプロンの女の人に、首に白い布、カタをかけてもらっている。それに、モコモコのチベット服の巡礼家族。
チメェは歩きながら、電話をかけたりかかってきたりで忙しい。
駅員さんに切符を渡して改札を出る。鍵束をジャラジャラさせながらラサ、ラサと言って寄ってくるのは、ラサ市内までの乗り合いタクシーらしい。
駅前広場は暗くて、蘭州とか西寧の駅前を想像していたから、栄えていないのが意外だった。
チメェに言われるまま乗り合いタクシーの一台にバックパックを積むと、すぐに満員になって発車。キチュ川に架かる橋を渡って、闇の中に浮かぶ宝石のように光輝くラサの街を見たとき、ようやっと実感がわいた。
私は、ラサに来た。チベットの神さまありがとう。
けっきょく外人がどうこうとか、ぜんぜん何も言われなかった。
ノブさんやるりちゃんに言われてなんとなく想像はしていたけれど、広い道路と高いビル。大都会だった。
それでも、だんだん白い三階建てとかの石の建物が多くなって、私が泊まる予定の宿の前に着く。チメェも家が近いからと言って、そこで車を降りた。乗り合わせたほかのお客さんはもっと先に行くようで、車は私のバックパックを降ろすと、急ぐように走り去る。
大きな門をくぐって、チメェがレセプションで部屋はあるかと聞いてくれる。四人部屋で一ベッド二十元、トイレはべつ。シャワーは、お正月前だからないとよくわからないことを言われたけれど、まあ外に出ればシャワー屋さんがいくらでもある。シャワーとかそのへんにこだわってないあたりが、るりちゃんらしい。
チメェから私のサブザックを受け取ると、「ここに泊まる。ありがとうね」
「じゃあ、何か助けが必要なときは電話して」
スーツケースをガラガラ曳きながら、彼女は門を出る。
最後に日本語でさようならと言いながら手を振って、足早に去っていった。
服務員のおばさんに連れられて、部屋に入る。私一人だった。ベッドが四つにテレビだけの、殺風景な部屋。
電車に揺られて疲れていたから、ラサ到着最初の夜は、まだ残っていたクッキーとパンを食べたらすぐにベッドに横になった。
心の中の雪の国~私のチベット旅行記~ その11 ラサへ