まちゆく"彼女"
まちを行く"彼女"はかわいい。
春になり、人出が多くなってきて、まちが歩きにくい。私はすれ違う人がくっつきすぎて細胞分裂ならの細胞結合とやらで、そのうち人口は半減していくのではないかといらぬ心配をしながらよろけて歩いた。
特に行くところがないから映画館に行くがあと数十分ある。
いつもは邪魔だと思っていた彼ら彼女らを自分とはまったく違う生物として捉えてみた。すると頭の中で何かが渦巻く感覚が湧き上がり、私は"彼女"という存在に対し、しっかりとした違和感を覚えた。
"みんな同じかわいさを持っている"
違う顔、違う服、違う髪型、違う声、違う背丈、違う匂い、違うカップ数、なのに何かが同じだ。
その何かが気になって先に進めなくなる。
この"種"はそれぞれ異なるのに、統一感のある違和感は何だ。
ベクトルが逆を向く世界に途方もなく興味をそそられる。
脳の後頭部あたりに血が通う。
・共通項
・重なり
・分類
・じっくり眺める
・
・
・・・それは"かわいい" だ。
かわいい女が彼女になれるのか、、、、いや違う。。。(失礼は承知である。ただ無感情の客観視ゆえ)
それはその言葉が、体の何かしら一部分に、ひと時の刺青のように記載されていることだった。
全身にまとっている人、おでこに書かれている人、左手の薬指にしるされている人、ミニスカートから見え隠れする人、記載部分はそれぞれである。しかしどこかしらにあるのだ。
この根拠のない"かわいい"は一体何なんだろうか。
かわいいと思っている男(ヒト)が世界に一人でもいることが具現化された世界が、目の前に広がっているからゆえにかわいいたらしめているか。
証人を連れて歩いているからということになるのか。
その証人はこの"彼女"の外部か内部か、発掘か、"かわいい"を見つけた男ということができたのだ。
それが"彼女"は"かわいい"の統一性である。
説を実証する時に本人の証言は不要であるからして、生み出すかわいさはこの場合当てはまらないが、客観的証明にはかなわないことが多い。
一人で数年歩き続けてきた私には、その"かわいい"が果てしなく遠く、永遠なる平行線を感じてまた遠くなった。
平行の意味を小学校の時に教えてもらった時、平行な線は地球を一周しても平行だと聞き、血管が疼き、胃がよじれるような感覚になったのと近い。
春はまた一つの思考を生む季節として、"彼女"の笑顔が続くことを強く祈る。
まちゆく"彼女"