そうかんたんに忘れられたら好きになんてならなかった

 白々と夜は明けて、あのひとが忘れていった煙草が、キッチンにはあって、みょうな存在感をはなっていることが、気に喰わなくって、ぐしゃぐしゃにして、すてた。ライターは、すてるのがめんどうだから、そのままにしておいた。テレビをつけると、いまは、もう、かなしいニュースばかりがあふれている、そんな世の中になってしまって、ぼくは、ちいさなこどもがみる教育番組に、チャンネルをあわせて、オレンジジュースを飲みながら、食パンをたべた。焼かずに、ジャムも、バターも、なにもつけない食パンを、生、というのは、なんだか、いつも、ひそかに、おもしろいなあと思っていた。生食パン。和食が好きだと、あのひとは言っていたけれど、ぼくは、朝は、パンがいいのだ。もちろん、ごはんも、おみそ汁も、納豆も、好きだけれど。テレビのなかでは、なんらかの動物を模したキャラクターが、歌って、踊ってた。あのひとが忘れていったものが、どうか、煙草だけでありますようにと祈りながら、グラスと、お皿を洗った。ベッドのシーツを、とりかえてしまおう。クッションのカバーも。クローゼットのなかに、もしかしたら、あのひとの私物があるかもしれない、と想うと、一瞬、憂鬱になった。あのひとが、この部屋にいたという形跡を、すべて消したかった。跡形もなくなれば、もう、なにも、煩わしいものはない、と思いながらも、あのひとにもらった、腕時計や、ピアスを、かんたんにすてるというのは、なんとなく、ためらわれた。かといって、売るのも、という、迷いがうまれたら、だめだ、とわかっているのに、一ミリでも、その、迷い、がうまれてしまったせいで、ぼくは、あのひとと過ごした日々のことなんかを、いちいち思い出し、回想し、感傷にひたって、グラスの水滴を拭うのに、やたらと時間をかけてしまった。テレビのなかは、へいわだった。ちいさなこどもたちが、キャラクターに抱きついたり、話しかけたり、していた。そこだけが、へいわだった。あのひとが忘れていったライターは、百円均一の、ちゃちなものだったけれど、ぼくの好きな、青色だった。

そうかんたんに忘れられたら好きになんてならなかった

そうかんたんに忘れられたら好きになんてならなかった

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-03-30

CC BY-NC-ND
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