【土山】この世界はきっと美しい

しずよ

【土山】この世界はきっと美しい
  1. プロローグ
  2. 一、高校三年・春
  3. 二、高校三年・夏
  4. 三、高校三年・秋
  5. 四、高校卒業
  6. 五、高校生でも大学生でもない春休み
  7. 六、大学二年・春
  8. 七、大学二年・夏
  9. 八、大学二年・秋
  10. 九、大学二年・冬
  11. 十、大学二年春休み

二次創作(腐)につきご注意ください。
2013年の山崎受オンリーで発行しました学パロ本です。土ミツ、山たま要素が若干あります。
この時点では山崎の方が年下だと思っていたので、土方さんより下級生です。そして連絡を取る手段が携帯メールです。LINEじゃありません。時代を感じるなーと思ってしまいました笑
当時お手に取ってくださった方、感想をくださった方、本当にありがとうございました。

プロローグ

俺の十六年の人生で最悪な一日。

「沖田さんのところのお姉ちゃん、先週亡くなったんですって」

 訃報を聞いたのは昨日の夜。仕事から帰った兄嫁が、近所のスーパーでご近所の主婦から聞いたらしい。
「家族葬でごく近所の方しか知らなかったみたいよ。学校には知らせてあるみたいだけど、春休みだから……」
 義姉の話の途中で、俺は居間から立ち去った。


 翌日、初めて剣道の練習をさぼった。できるだけ遠くの海へ行きたかった。知ってるやつが誰もいない海岸へ。
 バスを降り、電車を乗り継ぐ。
 海のことなんて、夏以外はふだん思い浮かびもしないのに、どうして行きたくなるんだろう。
 電車に揺られてぼんやりと思い出したことは、人は海から生まれ海に還っていくとうたった詩。国語の教科書に載っていたような気がする。
 二時間後、降り立った駅前は全く知らない場所じゃなかった。
 この近くの少年自然の家は、夏休みの合宿で小学生の頃から何度か利用したことがあった。海水浴場行きのバスに乗る。
 すぐに海沿いの国道へ出る。視界が急に開けた。
 水面に反射した光がまぶしくて、目を細める。降りたバス停から十分ほど歩くと、砂浜へ降りる階段があった。砂浜とはいっても四月のそこは、ゴミが海藻、流木が目立つ。
 海開きに備えたゴミひろい前だからだ。
 俺はいつの間にかそれらを一か所にひろい集めていた。なんにも考えたくなかった。
 太陽が西に傾きはじめ、直接目に入る高さになってきた。長く伸びる光が余計にまぶしい。
 一息つき、背筋を伸ばす。
 そこに突然、珍妙な景色が映った。馬にまたがって波打ち際をゆっくり進む三人。
 なんだあれ、貴族か。いや昔の日本の貴族は馬じゃなくて牛に乗ってたはずだ。それ以前にやつらが牛に乗ってたとしても、気品も風格も何もない。
 テンガロンハットをかぶった派手なおっさんひとりと、普通のおっさんと子どもだ。ホントなんだあれ。
「ちょ、父さん、これもう無理だって! お尻痛くならないなんて嘘じゃん!」
 子どもが後ろから叫ぶ。声変わりしたのかまだなのか、わからないくらいの高い声。中学生くらいか。
「ああもうちょっとだから頑張ってください! ほらこうやって少しお尻を高くするんです!」
 テンガロンがにこやかに返す。
「でもこれぜったい皮すりむけてるから! 痛い! もう降りる!」
 ぎゃーぎゃーわめく一団が俺の前を通り過ぎる。
 あきれて見送っていると、子どもと目が合った。こっちが引き気味なのに気が付いたのか、恥ずかしそうに笑いながら会釈する。
 いやいやそんな笑い程度でごまかせるわけないだろう、この珍妙さ。
 そのまま見ていると、子どもの乗る馬が止まった。降りる準備なのかと思ったら、馬の尻から何かが落ちた。ポトリと。
 ……見るんじゃなかった。
 まったく、お前らの尻の事情なんてどうでもいいよ。
 ここに何しに来たんだか、俺は分からなくなってしまった。
 現実ってなんでこう空気読まないんだろうな。
「はー、帰ろ……」
 ポケットに手を突っ込み、小銭を確認する。帰りの電車代は残っていた。
 悲しみ以外すべて忘れて溺れてしまいたいと願っても、頭の隅にある兄夫婦の顔を、俺は捨てきれない。

一、高校三年・春

 終業のベルが鳴り、先生に礼をするとすぐさま廊下を急ぐ男子がいる。うちの購買のカツサンドは人気で、早く行かないと買えないらしい。ただ上履きがスリッパで走れないから、みんな競歩選手みたいになっている。
「土方くん、今日のお昼なんだけど……」
「わりィ、おれ今から職員室に行かなきゃいけねえから」
 同じクラスの女子に声をかけられたので、あたりさわりのない言い訳で教室を出ようと考えた。職員室に用事はないけど、生徒会室には実際用事があった。放課後の風紀定例委員会での配布プリントの確認だ。
 普段あまり弁当を持ってこない俺に、手作りのパンなど渡そうとする子が時々いる。ぜんぶ断って逃げている。ありがたいとは思うけれど、まだ鮮明に覚えている顔や声を大事にしたいから。一周忌が終わったばかりだった。
 階段を下りて先に職員室へ行き、生徒会室のカギをもらう。そこから廊下を歩いて行くと、店の前に群がる生徒たちの集団が見えてきた。
 するとそこに、見慣れた横顔があった。近付いてそいつの跳ねた毛先をつかむ。頭髪検査はいつもギリギリでクリアする中途半端な長さだ。
「うえっ?」
 妙な声があがる。それからこちらを振り向いて、自分の髪を取り返すように押さえた。
「ちょ、土方さん。後ろから急に引っ張るのなしって言ったじゃないですか!」
「いや、なんか引っ張ってほしそうにぴょこぴょこ跳ねてるからさ」
「俺の髪は猫じゃらしじゃありませんて」
「俺が猫に見えんのか」
「んー、猫っていうか、ネコ科の大型のなんかには近いんじゃないですか」
「なんかって何だよ」
「オセロットとかウンピョウとか」
「しらねーよ、なんだよそれ! 普通トラとかジャガーって言うだろ」
「うわっ、土方さんやっぱり自分のこと格好いいって思って……いたたた踏んでますって」
 イラッときたので足を踏んだ。一見気が弱そうに見えるのに、あまり物おじしない下級生。ていうかその辺によくいるアホな男子高校生と変わらないんだけど。
「はい、そっちは何? パン?」
 購買のおばちゃんが俺たちに聞いてきた。
「あっ、上履きください。二十五センチ」
「はい二十五センチねー。一二〇〇円」
 おばちゃんに山崎が代金を渡す。
「上履きどうしたんだよ」
「つま先が外れちゃって」
 山崎が左足を軽く上げる。するとスリッパ型の上履きはつま先が底とつながっておらず、かろうじて真ん中だけでぶら下がっている状態だった。
「なんでこんななるまで履いてんだよ」
「いや、急にですよ」
「そっちの兄ちゃんは何?」
 おばちゃんが俺に聞いてきたので「コロッケパンとメロンパンと牛乳ちょうだい」答えた。
 受け取って山崎を見ると、すぐに新しい方に履きかえている。
「名前書けよ」
「土方さんってそういうのちゃんとしたいタイプですよね。だから風紀委員なんですか?」
「あー、お前そういうの大雑把だよな。細かそうに見えるのに」
 買い物が終わったので教室へ歩き出す。
「細かくもできるんですけど」
「面倒くさいだけなんだろ」
「なんで分かるんですか」
「一年見てりゃ分かるだろ。ていうかまた去年と同じ専門委員やる意気込みがあるとは思わなかったな」
「それひょっとしてバカにしてます?」
「そうでもねえよ」
 俺が素直にそういうと、山崎はぽかんとした顔をした。
 なんか言えよコラ、返ってこっちが恥ずかしくなんだろ。
「……。土方先輩は今日のお昼もパンですか」
「うん。……急に先輩呼びすんなよ」
「照れてるんですか……うわっ、なんかチクッてした!」
 紙パックの牛乳についていたストローの先で首をつついた。
「ちょっと黙れ」
「暴力でごまかすのやめてください」
 四月末に生徒総会が終わりそのままゴールデンウィークに突入、開けた今週はそわそわした雰囲気が校内をふんわりおおっている。
 しばらく真っ直ぐ進むと階段が見えてくる。山崎は二年なのでそこを登った二階だ。しかし折れ曲がって特別教室の方へ行こうとした。
「あれ、二年の教室こっちじゃん」
 階段を指さす。
「あ、その、今日はちょっと」
「ちょっと、なんだよ」
「じゃあ、ここで」
 見たことないような爽やかな笑顔で、会話をぶった切る。
「ごまかし方が下手すぎるぞ、山崎くん」
 こっちも負けじと爽やかに笑い、なれなれしい感じで肩を組む。
「こわい、その笑顔こわすぎます……」
「で、何があるんだ?」
「……今日はお茶室で弁当食べる約束してるんですよ」
「お茶室? なんで?」
「茶華道部の子がお茶をたててくれるって言うんです」
 山崎はとても言いにくそうにしている。けれど、そんな隠すようなことか?
 しかし、なんかモヤモヤする。隠そうとしていたところが許せん。
「俺も行く」
「えっ、なんでですか!」
 山崎が慌てるから、よけいに邪魔したくなった。
「失礼しまーす」
 山崎がドアを開けて声をかける。上靴を脱いで小間に上がる。
「なんか茶室ってさ、しゃがんで部屋に入るイメージあんだけど」
「まあ、高校のお茶室ですからね。普通のドアにしたんじゃないですか」
「つーか校内に茶室があるの初めて知ったわ」
「二年も通ってるくせに……いだっ」
 頭をはたいた。ふすまを開けると正座をしている生徒がふたりいた。ひとりはアップにしている髪の結び目に、ネジをさしている女子、もうひとりは地味なメガネだ。
「いま僕のこと地味なメガネって思ったでしょ! 土方さんいいかげん名前覚えてください、志村です!」
 山崎と同級生の志村新八が声を張り上げる。
「あ、ひょっとしてお前も心の声読める系? あなどれねえメガネだな……」
「だからメガネやめろって」
「えっ、土方さん心の声が読めるんですか!」
 山崎が割り込んでくる。
「あ? だったらなんだよ」
「いや、すみません。ちょっとびっくりしただけです……」
 言いにくそうに声が小さくなる。不思議に思って山崎の顔を見ていると、そこに女子の声がかぶる。
「ちょうどよかったです、山崎さん。そちらの方もご一緒ですか?」
「あっ、すみません。先輩がどうしてもたまさんのお茶が飲みたいって」
 どうしても、ってなんだよ。
 そう心の中で山崎に問い詰める。
「ちっす。山崎とは風紀委員会で一緒に活動している土方っす」
「存じております。いつも朝の委員会活動ごくろうさまです」
「あ、ども」
「わたくしは山崎さんと同じクラスのたまと申します。よろしくお願いします」
「こちらこそ。あー、でも俺、お茶の作法とか知らないんすけど」
「堅苦しく考えないでください。今日は普通にお召し上がりください。……もっともパンには合わないかもしれませんから、 その点はご容赦いただきたいです」
「なんか難しい日本語知ってるんすね」
「土方さまは日本人じゃないのですか?」
 よく分からない会話になってしまった。
 山崎はというと、壁の近くに置いてあった鞄を開けて、弁当を取り出した。それから彼女の前に正座をする。
 彼女がまず茶碗に抹茶を木製のさじで入れる。お湯をそそぐ。竹で出来たハケみたいな道具を碗の中で素早く動かした。
 話をするのは作法に反するような気がして、三人で黙ってその様子を見ていた。数十秒後に道具がお盆に置かれる。
「山崎さんから、どうぞ」
 茶碗が山崎に差し出された。一瞬びっくりしたように固まり、それからおずおずと両手で受け取る。
「け、結構なお、お点前です!」
「はえーよ! まだ一口も飲んでないじゃん!」
 志村と俺が一緒に反応する。その緊張感、なんだか聞いているこっちが恥ずかしくなる。
 ていうかなんでそんな緊張してんの? ひょっとして浮かれてんの? ムカつくなー。
 山崎の浮かれ具合が気に食わなかったので、受け取った抹茶を俺はひとくちであおった。


 ホームルームが終わり、生徒会室へ向かう。これから風紀委員会の月一の定例委員会だ。三年生になり俺が副委員長になったので、早めに行って今日配るプリントの確認をする。しばらくするとガラッと引き戸が開き「失礼しまーす」とのんきな声が聞こえた。
「あっ、土方さん。お疲れさまでーす」
「早いじゃん」
「ええお昼に……」
「早く来たんなら口だけじゃなくて手も動かせ。ほら、机を並びかえろ」
「は、はい!」
 続きをあまり聞きたくなかったから、わざと遮った。
 まずイスを引いて壁に寄せ、委員会用に会議用の長机を四角に並べる。黙々と作業をする横顔を盗み見る。
 山崎はおそらくさっきの話の続きをまた口にするのをためらっているのかもしれない、なんて柄にもなく山崎の気持ちを汲んでみる。ちょっと意地悪だったか。
「なあ、山崎」
「はい」
「たまって女と付き合いてえのか」
 いきなり核心をつく。
「いや違いますよ! そういうんじゃなくて……」
 意外にも山崎は全力で否定する。あれ、違った?
「付き合うとかよく分かんないから、まず友だちから、とか言うんじゃないだろうな?」
「いっ、いや……。あ、でも友だちかぁ。それはそれで」
「どっちだよ!」
 みぞおちにひじ鉄をくらわせてやった。
 戸が開き、今度は三年生が六人連れ立って入ってきた。一気ににぎやかになったので、俺たちは話を中断する。
「おや、土方くんに山崎くんもいるじゃないか。珍しく早いな」
 委員長の伊東がメガネのブリッジを指先で上げながら言う。いつも嫌味たらしく聞こえるのは気のせいか。続いて他の委員も集まってきたので、委員長がよく通る声で室内の生徒たちにうながした。
「間もなく定例委員会を始める。はじめる前に配布資料の確認を各自するように。今日のレジュメと来月の当番表はあるか?」
 ざわつきながらも席に着き、自分の前に置かれているプリントにそれぞれが目を通している。
 よくある恋愛相談だと思ったのに。ていうか俺にそんなの聞かれても困るけど。
 ていうか山崎がいったい何に一喜一憂してるのが分からなかった。単純なやつだと思っていたのに。

二、高校三年・夏

 午後三時三十分。学校での補講が終わり、教室を出る。
「土方先輩、また何しに来たんですか」
「え、涼みに」
「いや武道場にエアコンなんてありませんから、めっちゃ暑いじゃないですか」
 すべて開け放たれた出入口からは、すぐわきに立っている桜の木からセミの大合唱が聞こえる。
「お前ら汗くせえ、近寄んなよ」
 憎まれ口を言うと、練習を終えて話しかける後輩たちは防具を一斉に脱ぎ始めた。この季節の匂いだけは本当に剣道やってていやになる。
「寂しがり屋の先輩に、俺たちの香りをプレゼントです!」
「いらねえし!」
 夏休みとも言えない三年の夏休み。補講が終わってもそのまま家へ帰る気にもならず、何となく部活へ顔を出していた。
「先輩今日は差し入れないんですか」
「あーあ、じゃ、俺も帰るとすっかな」
「あ、逃げた」
 後輩たちより一足先に部室を後にする。
 バス停で待っていていると、夕方のサイレンが鳴り出した。帰宅して冷蔵庫を開けると晩ご飯の準備がしてあった。義姉が仕事から帰るのは、もうちょっと後だ。適当に食べて塾へ向かう。
 七月に部活の引退が決まると、兄が慌てて申し込んだのだ。実は人生初の、塾通い。
 講義が終わった後、そのまま夜まで自習を続ける生徒がほとんどだったけれど、俺はマックやファミレスを自習室代わりにする日もあった。
 受験勉強をしていると、どうしても思い出すのが三年前の高校受験。昔に逃げそうになったので、あわてて頭を振る。
 その日もマックへ寄ることにした。
 アイスコーヒーを持って三階まで階段を上る。今日は客が多い。フロアを一周したけど、席が空いてなかった。
「はあ、今日は帰るかな……」
 そのまま店を出ようと階段の方へ歩いて行く途中「せんぱーい!」と声が聞こえた。振り向く。奥の半個室の席に山崎が立っている。近付くと、もうひとり見知った顔が座っていた。
「山崎……。お前総悟と仲良いのか?」
 思いもよらない組み合わせだった。
「あれ、友だちだったんですか?」
 山崎も目を丸くして俺に聞き返す。
「そんなんじゃねーよ」
「二度と友だちなんて言うんじゃねえぞ」
 俺と総悟が同時に山崎に返す。
「いだだだだだ!」
 テーブルに乗せていた山崎の右の手のひらに、総悟がシャープペンシルの先に力を込めて線をかいている。
「生命線のばしてやろうって俺のあったかい気遣い、遠慮すんなよザキ」
「いやその線ってミミズ腫れになってるだけだから! いたい! ちょ、やめてホント血が出る!」
「お前らどういうつながりなんだよ」
 総悟は俺たちとは別の高校に通っている。知らない者同士のはずなのに。なので俺は山崎の隣の席へ座りながらたずねた。
「同じ塾仲間だよなァー、山崎」
 総悟がにっこりと笑って向かいの山崎を見る。寿命を延ばすのはもう止めている。
「はあっ? お前ら塾なんて通ってんのかよ?」
「あっ、はいそうなんです……。あんたどうせ夏休みヒマなんでしょ!って親に言われて」
「で、今はその帰りで友情を温め合ってるんでさァ」
「ふーん」
「ていうか土方さんもこんな時間にこんなとこ来るんですね」
「どーゆー意味だ」
「なんか似合わない……いだだだもう寿命いりませんからやめて!」
 山崎は手を引っ込めた。
「一緒に来る友達もいねえんですかィ。さみしい人生だねェ」
「勉強すっからひとりがいいんだよ」
「えっ、こんな騒がしい店でできるんですか?」
「あれだろ、スタバで仕事やってまーすアピールしてるリーマンと同じじゃね。放っとけよザキ」
「ふん、アホくせえ。童貞じゃあるまいし」
 俺は急にアイスコーヒーを思い出して飲んだ。
「えっ、土方さん童貞じゃないんですか!」
「……。どっちだっていいだろ」
 山崎があまりにも勢いよく食いつくので、あきれた顔で目を伏せる。一方、総悟はにやにやしている。
「えー、彼女は同じ学年ですか? 別の高校とか? 知りたいなー」
「なんでお前にいちいち報告しなきゃいけねんだよ」
「あれェ、まじめにお付き合いしてる相手がいるんですか。初耳だなァ」
 総悟がにやにや笑う。
「ええっ、付き合ってないんですか? 行きずり?」
「うるせーよ」
 本当はこの手の話は苦手だ。でも周りがそれを許さない雰囲気なので、合わせているうちに慣れた……はずだった。頬が少し赤くなったと思うけど、店内はあまり明るくなかったので、気付かれなかったらしい。
「先にそっちに話持って行ったの土方さんじゃないですか。ちぇー、聞きたかったなあ」
 山崎はうつむいて残念そうに口をとがらせる。
 ズキュウウウン!
 急に場違いな音が聞こえた。
「あっ、近藤さんからだ」
 総悟が携帯を取り出して画面を見る。メールを読んでいるらしい。
「妙な音、着信音にすんじゃねえよ……」
「俺もいまだにこの音慣れません」
 山崎が苦笑いで俺の方を見る。ひとしきり操作したあと、総悟は携帯をポケットにしまった。
「山崎、土方さんのお受験のじゃまになるからもう出ようぜィ」
「あっ、それもそうですね」
 総悟に続き、山崎も席を立つ。
「じゃ、土方さん。勉強がんばってくださいね」
 うるさいふたりが去ったので、これから少し勉強して帰ることにした。テキストを鞄から取り出して三十分経過。さっきからずっと同じ問題文を何度も読んでいる。頭の中に入らない。その中を占めるのは、さっきまでここにいたふたりのことだ。
 どちらも俺とは遠くない仲だ。モヤモヤするのはなんでだ。
 この気持ちの出所が子どもっぽいような気がして、息を詰めるように抑え込んだ。ため息が出る。

三、高校三年・秋

「おい、お前らいい加減に家帰れ」
 二年Z組の教室のドアをガラッと開けて言い放つ。下校時間の十七時四十五分よりは約一時間は早い。が、中間テスト最終日だからみんなもっと早く帰っているのだ。この教室内には六名の生徒が残っていた。
「あっ、三年生の……」
「そう、風紀委員。お前らこんな時間まで何やってんだよ」
 六人のうち四名はベランダから何かを眺めている。俺も教室を突っ切ってベランダへ出た。すぐ近くのひとりをつかまえる。
「あっ、ひじか……」
 その首に腕をまわして絞め技をかけた。
「うぐ……いきなり何すんですか……、く、くるしいいいい……!」
 山崎がうなっている。
「だからお前らなに見てんだのぞきか? ああ?」
 俺が問い詰めると、すぐ隣に立っていた男が冷たく言い放つ。
「こんな暗いのに誰の着替えも見えやしません」
「……は、はなして……、篠……たすけ……」
「ほら土方さん、あれです」
 志村が遠くを指さす。なにが見えるのかと不思議に思って見てみる。
「あの太陽ですよ」
「太陽?」
 それは間もなく山に沈もうとしていた。赤い。沈みかけてるけど直視しない方がいい気がして、焦点を少しずらして見た。
「三週間前からかなぁ? 初めは課題するために教室に残ってたんです」
「へー、感心だな」
「それで僕ら沈んでいく太陽を見ていたら、動くスピードが結構早いのに気が付いたんです」
「そうなの?」
「それからこうして眺めるのが日課になっちゃって」
 事実、こんな話をしている間にも太陽は山の向こうにほとんど姿を隠してしまった。
「速度ってどれくらいなんでしょうね」
「毎日見ているわりには調べてねーのか」
 あらためて注意して見てみれば、本当に早い。
 完全にその姿が隠れるまで、ついじっと見てしまう。腕の力が自然にゆるんでいることに気が付く。
 さっきまで絞め技をかけていた山崎を思い出し、その横顔を確かめた。すると同じように遠くの空を見つめていた。
 どちらかというと口数が多いタイプだから、黙っているだけで意外な一面を垣間見たみたいな気分になってしまう。
 何を思っているんだろう。
 その横顔を、つい見つめてしまった。すると前触れなく山崎が俺の方を振り向く。目が合う。俺は思わず何度かまばたきをする。目をそらす。
 しまった、逆に不自然だ。
「面白いでしょ?」
「……そうか?」
「えー、土方さん自然を敬う感性を養った方がいいですよ。ほら小論で役に立つかも」
「お前に言われたくねえよ」
 ちょっと笑ってしまった。子どもが背伸びして大人っぽい言い回しをしてみた、みたいなところがおかしい。
 かわいいとか思ってしまった。
「ほらもう終わったんだろ、帰れ帰れ」
 追い払うように、手をひらひらと振ってみせる。ベランダに出ていた二年生がみんな教室に戻った後、山崎の首根っこをひっつかんで教室内まで引きずって入る。
「離してください、ひとりで歩きますからー」
 そう聞こえてきたので手を離した。
「じゃーな」
「おつかれまた明日」
 口々に帰っていく五人に続いて山崎も帰るんだろうと思っていたら、残って俺に話しかける。
「ていうか土方さん、三年生はもう委員会活動も引退じゃないですか。なんで校内巡回してんですか?」
 小首を傾げてくる。
「んー、なんとなく?」
「なんとなくですか?」
 ちょっと照れたように笑う。
「うん」
「俺ときどき土方さんのこと分からないなーって思います」
「……」
 どういう意味なんだ。ときどき分からないって、それひょっとして突き放されてんの?
 意外にショックを受けているみたいだ。なんで。
 自分の心の動きが予想外で、しばらく無言で廊下を歩いた。山崎も俺に合わせたのか、何も言わなかった。
「土方さん、鞄取りに行きますよね?」
「……ああ」
「玄関で待ってていいですか?」
「……うん」
 俺は教室に戻り鞄を手に取る。下駄箱へ向かうと生徒用昇降口はすでに鍵が締まっていた。正面玄関へ回ると、山崎が待っているのが見えた。
 ふたりで体育館横を通ると、窓から照明と掛け声とボールの音が盛んに聞こえてくる。中間テストが終わってさっそく部活を再開したところもあるのだ。
「そういや、お前は部活ないの?」
「それがですね、俺たち選択科目の美術で課題を提出期限までに出せなかったから、二週間部活禁止になったんです」
 はー、と俺はため息をついた。
「なにやってんだよ。課題って何だったんだ?」
「クリスマスカード作りです」
「えらいかわいらしい課題だな……」
「ええ、実際送りたい人のために作りましょうとかなんとか先生が言うんですよ。で、女の子は仲の良い子同士で作ってたみ たいですけど、男同士で同じことするのもねぇ……みたいな話になりまして」
 えへへ、みたいな苦笑いをしている。バス停に着いたので、そこで立ち止まる。
「まあ確かに、野郎同士でクリスマスカードもねえな……ひょっとしてさっきの教室のやつら、みんなそうか?」
「そうです」
 バレてしまった、と言いたげな眉尻を下げた笑い顔になった。
「じゃあさ、田舎のバーさんとかに送れば?」
 俺が提案すると、山崎は目を丸くする。
「あー、確かにそれいいかも! まさか土方さん、毎年おばあちゃんに送ってるとか? どこのヨーロッパ家庭ですかそれ」
「いや、俺バーさんいねえし」
「あ……、すみません……」
「いいって。うちはバーさんどころか父ちゃんも母ちゃんもいないぜ」
「……。俺なにも知らなくて……、本当にすみません……」
 数年前、母が亡くなって兄夫婦と一緒に暮らしている。隠すことでもないような気がして、口にしてみた。
 だから生きているうちにできることはやってあげろよ、なんて柄にもない言葉をかけたくなるんだ。なんていうか、先輩面したくなったというか。
 その瞬間、突風が吹くように目の前に現れたのは、彼女の面影。
 鮮明すぎて回想とは思えないくらいに。
 唐突に疑問が頭に浮かぶ。
 山崎は、喪失感を知っているんだろうか。
 自分の胸を見つめる。この胸にぽっかりと開いている穴と同じもの。
 いや、知っているから仲間だとか、俺はそんなもの求めているんじゃない。
 それなら塞ぎ方は知っているんだろうか。この後輩の存在自体が俺にとっては想定外の出来事だから、俺には思いつきもしない意外な答えをくれるんじゃないのか。
「なあ、お前さ……」
 我に返る。
 俺は何を聞こうとしているんだ。誰も失っていなかったら、癒す方法なんて知っているわけないじゃないか。
 それに俺自身、生傷のまま抱えていたいのか、代わりのもので埋めたいのか、それすらも決められない。
「えっ? なんですか? 良く聞こえなかった」
 隣に立つ山崎は、不思議そうにただじっと俺の言葉を待っている。
 そこにバスがやってきて、俺たちを日常へ押し戻してしまった。

四、高校卒業

 体育館での卒業式が終わり、教室に戻る。そして正午過ぎには最後のホームルームも終わった。
「原田、柔剣道場行くぞ」
「ちょっと待ってくれ」
「なにその大荷物」
「タイムカプセルに入れんだよ」
「そんなたくさん入んねーだろ」
 原田が持っている物は、風紀委員会で交通安全の寸劇をしたときに作った小道具や台本だった。
 それぞれが所属していた部活のメンバーと部室で集まるので、俺たちも柔剣道場へ向かう。写真を撮ってタイムカプセルを埋める。
「じゃ、六時に駅前集合な」
 受験が終わった連中はさらに夕方カラオケへ行く約束をして別れる。在校生は今日は休みだけれど、校門までの道のりを、花束を持って花道を作って待っている。
「あのう、先輩」
 か細い声に呼ばれてそちらに顔を向ける。一年生の女子だ。
「もうボタンないんですね」
 そう言われて自分の上着を確かめる。もともと三つボタンのジャケットなので、すぐにボタンはなくなった。袖にも二つボタンがついているけど、これもない。シャツのボタンはさすがにあげられない。
「あ……、ボタンね。ごめん」
 俺がちょっと気まずくなっていると、すぐ後ろから聞きなれた声が耳に届く。
「あっ、原田はらだ! これ!」
 俺の隣を歩いていた原田を見つけ、駆け寄って花輪を頭に乗せようとした。
「そんな恥ずかしいもんできるか!」
「ぜったい似合うって!」
「お前がやれ!」
 結局リーチの差で、花輪は山崎の頭に乗せられる。それをあきれて眺めていると、急に山崎がこっちを振り向く。
「あっ、土方さん。卒業おめでとうございます!」
「なんだよそのついでみたいな言い方。しかも原田に花あって、俺にはないのかよ」
「だって原田は総体でバドミントン団体戦の助っ人してくれてたから用意してあるんですよ」
「分かった、俺にはないんだな」
「土方さんはちゃんと剣道部の後輩からもらってるじゃないですか。あっ、だったらこの花輪ぜひ! きっと似合……暴力反対!」
 山崎が両手をあげて制する。
「なあ、山崎。原田のことはなんで呼び捨てなんだ?」
「えー、だって原田は原田ですよ」
「なんの説明にもなってねーよ」
 ため息をつく。
 夏休み、総悟と山崎が一緒にいるのを見かけた日と重なる。その時の心象に、アイスコーヒーの苦さが溶けて染まる。胸の中も苦くなった。
 あ、そうだ。帰ろうとしてたんだった。
 思い出して足を踏み出す。うしろをついてくる足音が聞こえるのを意識しながら。
「土方さん、もう帰るんですか?」
「帰っちゃ駄目なのか?」
「ひとりで帰るんですか?」
「そうだけど」
「あの、いつも誰と帰ってたのかなーって」
「何が言いたい」
「いっ、いえ、そーゆー意味じゃないですよ! あの、ため息つくと、幸せ逃げちゃいますよ……」
 おそるおそる、という表情で俺をうかがう。
「あの、土方さんってストイックって言うかなんて言うか、そういうのも剣道に役立つのかもしれないけど」
「は? なんの話だ」
「この人きっと精神的にはMだって思っ……うぼっ」
 みぞおちに拳をくれてやった。
「俺からすりゃあ、お前の方がよっぽどMだろ。蹴られてもどつかれても逃げないし」
「違いますー! 俺はアンタが心配なだけです!」
 なんだよそれ、心配って。
 俺が目を丸くして山崎を見ると、しまった、という表情をした。あわてて取り繕うように目を泳がせる。
「あ、あの、そう! タイムカプセルには何を入れたんですか」
「……あ」
「えっ、なんか忘れ物ですか」
「お前入れて埋めりゃ良かったかな」
「なに物騒なこと言うんですか」
 このざわざわする気持ちまるごと、埋めりゃ良かったんだ。
 校門を出ると、バス停まで数十メートル。俺は秋のあの日以来、ちょっと後悔していた。一緒に夕日なんて見るんじゃなかった、と。
 あれから夕日を見るたびに、山崎の横顔を思い出してしまうから。
 横顔を盗み見るのは危険だ。正面より本心が分かりやすく表われている気がする。本人すら気づいていない心の中まで、のぞいた気になってしまう。
「山崎」
「はい」
「総悟か」
 そうたずねると、迷った挙句に「はい」と静かに答えた。
「いつから知ってた?」
「三か月くらい前……かな?」
「お前さ、こういう時は知らない振りするもんだろ」
「そ、それは……」
「でもまあ」
「はい」
「こーゆーのも、今日までだな」
「え……」
 山崎の表情が固まってしまう。
 ああ、俺のためにこういう表情してくれるんだな。
 それが俺は嬉しいと思ってしまった。
 放心する山崎を置き去りにするように、再び歩き始める。三メートル離れたところで、我に返ったみたいに山崎が駆け寄った。
 でも言いながら、疑問に思ってしまった。
 本当に知らない振りされた方が良かったのか?
 強い風が吹く。俺たちは自然と立ち止まり、目にゴミが入らないように顔をそむける。
 早春の風はかなり強くて、ふたりの間の空気をきっぱりと分けた。

五、高校生でも大学生でもない春休み

 彼女とは小学生のころからの知り合いだった。別の学区だったけれど、家は比較的近かった。そのころから胸を患っていた。
 中学生の頃には病を忘れてしまうくらい元気な日があって、そんな時はモスへ行くこともあった。彼女の好きな辛いメニューがあったから。
 約束した訳じゃなかったけど、一緒の高校に通うことになった。しかし、結局彼女は一日も登校することはなかった。
 入学式直前に倒れて入院、そして一年後に病院で息を引き取った。十六歳だった。
 ちゃんとしたお別れどころか、訃報もまた聞きだった点が、俺には悔しくて仕方なかった。
 一年後、とある文化人が雑誌のインタビューで、親しい人の死について、こう答えていた。
 いわく、本当に親しい人の葬儀へはできるかぎり参列しないことにしているということ。
 それはなぜなのか、その時の俺にはとても興味があったので食い入るように記事を読んだ。
 要するにあれだ、葬儀なんて逝った人じゃなく、残された人の区切りのために存在するようなものだと言った。
 区切りをつけたくないのだったら、参列しないのもひとつの方法である、と。
 亡くなった人とは決別しなくてはならないと思い込んでいたから、目から鱗だった。少し気持ちが軽くなった。

「それじゃあ、生きている人と死んだ人の区別もつけないで生きていくんですか? そんな思い出だけを心のよりどころにして生きていくんですか?」

 突然、想像の中の山崎が俺に突きつける。
 実際そんなことを言われた覚えはない。けれどいずれ、あいつはいつもの調子で俺に直球を投げかける予感がする。
 そうだよ。あいつは年齢のわりにはどこか含みがあって、生意気なところがあるんだ。

「うるせーよ、難しいことごちゃごちゃ言ってんじゃねえ、山崎のくせに」
でも実際おれは、強がるので精いっぱいなんだけど。

 見透かされたくなかったから、距離を置くことにした。自分の頭も冷やすために。

六、大学二年・春

「さくらがちったらいちねんせい~」
「それ入学式の時も歌ってたよね」
 総悟らしい替え歌だな、と苦笑いする。今年の桜の見頃のピークは三月下旬だったので、入学式にはほとんど葉桜だった。
 それから約一週間経過。今年度の講義のガイダンスを受けるために総悟と俺は教室へ向かった。
「なあ山崎。A三〇一てどこか分かるか?」
「えっと、確か書いてあった……」
 キーン コーン カーン コーン
「あっ、やべ」
「大学もチャイムなるんだね」
「ホント、俺も鳴らねえんだって思ってた」
 あわてて教室を探しだし、うしろのドアから入る。教卓を見るとまだ誰も立っていない。学生たちは着席しているけれど、まだ雑談をしている。
 一分経った頃、先生なのか事務の人なのか知らないおじさんがドアを開けて入ってきた。手に持っていたマイクに、スイッチを入れる。
「えー、これから履修登録のやりかたを説明します。聞き漏らしたら皆さん方が今年一年間おそらく困ると思われるので、よく聞いてください」
 大半の学生はちゃんと聞き入っているなか、総悟は早々に居眠りを始めた。
「フリーダムでうらやましい……しかもアイマスク持参って……」
 すると唐突にもうひとりおっさんが教卓へ歩いてきて、今まで説明していた人と交代して話し出す。
「体育講師の松平だ。えー、今年の一般教養での体育の授業について説明するから耳の穴かっぽじってよく聞きやがれ」
 ジャージ姿でサングラスをかけている、斬新な格好の先生だ。いやあれが本当に先生か?
「今年は一~二年には必須の体育の授業ができない!」
 え? と教室中から疑問の声が聞こえる。
「だからと言って黙って全員に単位をやるなんてことにはならないからな。隣町に体育館を新しく作ったんだけどよォ、おじ ちゃんが使用許可を町に出すの忘れちゃってたんだよねェ。だから今年度はその新しい体育館使えないわけ」
「じゃ、どこでやるんですか」
 前の方の席に座っている生徒が、代表して質問する。
「だから今年は体育の通常授業はやらねえ。その代わり夏休みと冬休みに合宿やるからな、そいつに二回参加するように!」
「どんな合宿なんですか」
 ホワイトボードに先生が文字を書きなぐる。
『夏休み…フリスビーゴルフ、遠泳、バドミントン』
『冬休み…スキー、フルマラソン、バドミントン』
「この中からひとつずつ選んで、期限までに申込みするように! 以上!」
 そう言うとさっさと帰って行った。残された学生たちはざわざわしている。
 俺は夏も冬もバドミントンに参加することに決め、あらかじめ配られていた申込用紙に書いていく。
 すると、隣で寝ていた総悟がようやく顔を上げた。
 ホワイトボードに書かれた文字を見ていう。
「……なに遠泳って。あれみんなやんの?」
「あの中から二つ選ぶんだよ」
 総悟は大量のプリントの中から合宿の申込用紙を見つけ出して、すぐに書き始めた。
 のぞき込むと「遠泳・マラソン」と書いている。
 書き終わって「お前、学生番号何番?」と聞いてくるので「俺の勝手に申し込まなくていいから!」とちゃんと断った。
 こういうのはハッキリさせないと、この人は本気でやるから恐ろしい。
「なぁ、フリスビーゴルフって何?」
「俺も知らないよ。フリスビー使ってゴルフやるんじゃない?」
「そのまんまだな。山崎なんにするんだ?」
「んー、夏も冬もバドミントンにするよ。おれ中高の時、部活やってたし」
「いつもいつも地味なもん選ぶんだよなァ」
「真剣にやってる俺に失礼だ!」
 俺としては珍しく、総悟にハッキリ言い返す。バドミントンのことだけは譲れない。
「ほら、地味なザキも大学デビューでもしてみなせえ」
「え……、何やったらいいかな?」
「お、やる気かィ?」
 総悟がペン回ししながらつまらなそうに言う。
「つーかさァ、ここ一年だけじゃねえだろ。二年生もいるはずだよな?」
「そうだっけ? まだ大学の仕組みがよくわかんない」
「土方さんいるんじゃね? ここの二年だろ? 留年してなかったら。お前メールとかしてんの?」
「いや、してないよ」
「そんなもんかィ?」
「え、用もないし……」
 この調子だと、土方さんは総悟には決別宣言なんかしていないんだろう。
 そりゃそうだ。彼女の身内だもの。
 一年たったのに俺はそのことに傷付いてしまって、顔に出ないように必死につくろうことしか頭になかった。
「もうガイダンス終わりかな?」
「そうだな。ザキ、あとで教えて」
「はいはい」
 それからテキストがどんなものか確認するために、生協へ向かう。すると店内から喧嘩をしているような男の声が聞こえてきて、こわごわと遠巻きにうかがった。
「だーんな、元気そうで何よりです」
「あれ、沖田くんじゃねーの? 旦那はやめろって言ってるだろ。つーかお前よく大学は入れたなァ、裏口?」
「俺は毎日正門から通学してますぜィ」
「俺だってそうよ? 後ろの奴は友達?」
「奴隷です」
「ちょ、総悟!」
「あー、お前友だち作れないタイプだもんなァ。奴隷だったら納得だわ」
「でしょう?」
 総悟はこの銀髪の男からバカにされてるんだろうか、理解されているんだろうか。本人が怒らないから、まあ大丈夫なんだろう。
「俺はもう帰るぞ! クソッ」
 前触れなく耳に入ってきた怒鳴り声は、とても聞き覚えのあるものだった。俺の心臓がしだいにうるさく鳴り始める。数メートル先、その人の顔を見る。
 土方さん。
 こめかみに青筋が見えるようだ。
 相変わらず不機嫌が板についているなあ、と懐かしくなる。そうしていると、土方さんはくるりとうしろを向き、一直線に出口を目指した。怒りのため、靴音が大きく聞こえる気がした。
「あっ、あの! 土方さん!」
 どうしようか迷いに迷って、俺は結局走り寄った。土方さんが振り向く。
「……なんだよ」
 あれ、一年前にあんな別れ方したのに、わりと普通の反応なんだけど。驚きもしないし。「なんで同じ大学なんだ」とか責められると思った。
「帰るんですか?」
「ああ、今日はオリエンテーリングだけだから、帰るわ」
 元の方向に向き直り、歩き出す。俺もついて行く。
「あの」
「なに」
「すみません」
「……何に謝ってんだ?」
 一年前の俺の余計なお世話の件です。
 心の中でつぶやいてみたけれど、心の声を読んではくれなかったみたいだ。読んでほしい時はどうすればいいんだろう。
 土方さんの歩くスピードに合わせて急ぎ足になる。
 再開は意外なほど普通の反応。けれど、返って何しゃべっていいのか分からない。
「おい山崎」
 先へどんどん歩いて行った土方さんが、俺がついてきていないことに気付いたらしい。五メートルほど離れたところから呼ばれる。
「お前帰るんじゃないのか?」
「はっ、はい! 帰ります!」
 あわてて駆け寄る。
「バイトとかしてんの?」
「いえ、まだこれからです。土方さんはバイトあるんですか?」
「ああ、学費稼がねえといけないからな」
「学費?」
「兄貴に世話になってるから」
「あ……、そう言えば聞いたことありました……。ごめんなさい」
「お前さ、簡単に謝るもんじゃねえぞ」
「そ、そうですね、気を付けます……」
「ところで総悟よく受かったな。まじめに受験勉強したなんて信じられねえ」
「総悟は推薦です」
「総悟? 呼び捨て? あれ、高校の時は沖田さんって呼んでなかった?」
「はあ、そうでしたね」
「……ま、一年たちゃ変わるよな」
「……」
「で、推薦入学?」
「そうです」
「あー、だろうな」
「去年のインターハイの団体戦で、総悟ひとりで三十人抜きで優勝ですからね……」
 世にも恐ろしいものを見てしまった。
 昨年の夏の剣道の試合で、そう感じた。思い出して青ざめる。
「先鋒で一番強えーの持ってくるのって、作戦っていうかあれ総悟ひとりのためじゃね? 新聞に憎たらしいくらいの笑顔で載ってたよな」
「土方さんも記事読んだんですね……。個人戦と合わせると四十人抜きだっけな。で、さっさと進路決まったから、二学期には塾もやめちゃいましたよ」
「いや、風のうわさで聞いてたけど、そうか」
「ええ、教育学部です」
「調教の間違いだろ?」
「ホントそうですよね……」
 教卓でムチを振るう総悟の姿が、簡単に想像できるところがおぞましい。きっと土方さんの頭の中も、同じに違いない。
「なんでここに入ったんだ?」
「え、俺ですか?」
「そう」
「なんでって……」
 やっぱり責められてるんだろうか、と弱気になる。でもさっきも簡単に謝るなって言われたことだし、なにより以前みたいに話したかった。
「あの、総悟に脅迫されたんで」
「脅迫? それで大学選んだのか?」
「ええ、まあ。ザキどこにするんでィ、ってこう喉元に手をかけられて」
 自分で自分の首に手をかけると「お前ら相変わらずバカだな」と呆れた顔になった。
「仲が良いって言ってください」
「そっちがよけい嫌だよ」
「え、仲良くしたらいけないんですか?」
「……いや、だって分かるだろ」
「分からないから聞いてるんですよ……」
 そう言いながらも、実は分からないこともない。
 総悟の土方さんへの接し方は高校の頃に二~三度見たきりだ。少ないにも関わらす、基本いつも絡まれている。と言うか、からかわれている。
 この二人のパワーバランスはなんなんだろうと、不思議に思っていた。
「相変わらずって、高校の時からバカっぽいって思われてたんですか?」
「そりゃそうだろ」
「男子なんてみんなそうですよ?」
「開き直るんじゃねえよ」
 土方さんの口角がわずかに上がる。それを見逃さなかった。嬉しくなる。一年のすき間に言葉を詰め込むみたいに、会話を続ける。
「そういえば去年は体育の授業どうだったんですか?」
「姉妹校の短大の体育館借りてやってたぜ」
「えー、今年もそっちの方が良かった」
「おい山崎、体育館行ったくらいで出会いがあると思うなよ」
「ないんですか」
「……」
「ああ、フツメン以下にはないって話ですね」
「山崎、憧れのキャンパスライフは女なしでも楽しいって兄ちゃんが」
「そんな慰めいりませんって兄ちゃんに伝えてください」
「土方くん」
 かわいらしい声が耳に届く。そちらを振り向くと、行く先に設置してあるベンチに腰かけている女性が、俺たちふたりに手を振っている。
「あー」
 土方さんが返事ともなんとも言えない声を出すと、彼女は立ち上がってこちらに歩いてきた。
「土方くん、今日は何コマ入ってる?」
「んー、家帰って時間割確認しねえと分かんねーな」
「そう。わたし今月から英語の強化授業も入るから終わるの遅くなるのよね。それでちょっと相談があるんだけど」
「じゃあ始まる前に聞く」
「今じゃダメかな」
 彼女がそう言いながらちらりと見るのは、俺の方だった。
 急に目が合い慌てふためく。
「あ、俺もう帰ります」
 邪魔者は退散しなきゃ。
「それじゃ」
 爽やかそうに見える笑顔で立ち去る。でも胸の中は曇がたちこめてしまった。
 なんだよ、土方さんちゃんと立ち直ってんじゃん。心配して損した。
 周りに人がいないのを確認してからつぶやく。
「損ってなんだよ。いたわる気持ちを勝手に寄せたの俺じゃん」
 見返りのために、心配してたんじゃないはずだったのに。

七、大学二年・夏

「んー、なんか酔ったかも……」
「弱いくせになんでバスん中でしおりなんか見るんだよ」
「だって総悟が……うっ」
 がしっと手のひらで口をふさがれて脅された。
「いいか、吐きそうになったら教えろ。その窓から降ろしてやるからなァ」
 コクリとうなずくしかなかった。
 八月上旬にフリスビーゴルフの合宿が始まり、そのバスの車中である。結局、総悟と土方さん、それに土方さんと同じ学年の近藤さんも一緒に参加申し込みをしたのだ。
 関越道を走っている。寝てたらすぐ着くだろう、となかば無理やり寝ることにした。
「……もう着きました? どこですか?」
「あ、起きたのか。高速おりたとこ。で、進まねェ」
 この辺りに自動車教習所があるらしく、仮免中の車がたくさん練習していた。なのであちらこちらでにわか渋滞をしているらしい。
「こんな車通りの少ない田舎道で練習して、意味あんのかねェ」
「珍しくまともなこと言うじゃねーか、総悟」
 後ろの席から土方さんがつぶやく。
「教習車にひかれて骨折しろ土方」
「うっせ、お前が骨折しろ」
 バスはどんどん山道を登って行く。途中のトイレ休憩はコンビニだったり、なぜか川遊びをする時間があったり、修学旅行とは違った旅だ。
 着いた時刻は午後三時。到着した宿は、大方の予想通り古い建物だった。
 この日はフリスビーゴルフの練習はない。自由行動だった。部屋に入る前に、玄関前で整列する。先生の話が始まる。
「えー、まずはじめに各班リーダーを決めるように! 事前に説明したようにここの飯は自炊だ! 五時になったら各班ごとに調理室に材料取りに来くように! それまでは各自、自由行動」
「よ! ザキ」
「近藤さん一緒の班ですよね、嬉しいです。よろしくお願いします」
 近藤さんは総悟と一緒の高校の先輩だったと聞いている。こうして同じ大学に通っているけど、学部も違うから講義で会うことがめったにない。
「近藤さんって男の料理系が上手そうですよね、なんとなく」
「えっ、そうか? この合宿でもバーベキューなんかできたら楽しいのにな!」
 まず荷物を部屋に置きに行く。
「まあ、それでもエアコンがないなんてまさか予想できなかったな……」
 部屋に入るとまず暑い。なのにそれらしき四角い機械が見当たらない。本当にエアコンは付いていなかった。同じ班の連中が口々に部屋の感想を言いはじめる。
「エアコンないなんてありえなくね?」
「まじかよ」
「蚊取り線香はあるぜ」
「窓開けて寝ろって事か……」
「なあサイクリングできるって言ってたよな」
「借りに行く?」
「ここいたってすることねえしな」
「スマホ電波入んねえ」
「まじかよ。俺の携帯アンテナ三本立ってるぜ」
「おい、あの壁見てみろよ! 染みすげえ!」
「うわっ、こわ! なにあれ血?」
「ていうかあそこに見たことないサイズの蜘蛛いるんだけど」
「うわー、でけえな」
 いつの間にか総悟がやって来ていた。
「おいザキ、俺と部屋代われよ」
「なんで。勝手に代わっちゃいかんでしょ」
「土方の野郎と一緒なんだぜ、最悪だろ?」
「じゃあ俺にその最悪を押し付けるんですか……」
 ふたりでこそこそ話しているところへ、背中から急に低い声が聞こえる。
「なにヒソヒソ話してやがる」
「うわっ」
「盗み聞きしてんじゃねーや、このムッツリ」
「だっ、誰がムッツリだ! 盗み聞きなんてするかよ! どうせお前らふたりして俺の悪口言ってんだろ?」
「分かってるんだったら割り込んでくんなよ死ね土方」
「お前が死ね総悟」
「お前が……」
 土方さんと総悟が延々と言い争いをしているので、放っとくことにした。
「近藤さん、晩ご飯までどうしますか?」
「ああ、先生たちサイクリングできるって言ってたよなぁ……、行ってみるか!」
「そうですね!」
 自転車を借りに同じ班の連中と部屋を出る。しかし山の中だし広すぎて借りるところがどこだか分からない。迷っているとさっき部屋でケンカしていた土方さんと総悟がやってきた。
「おい、自転車借りるんだったらあっちだ」
 土方さんが指さして歩いて行く。
「なんでこの辺のこと詳しいんですか」
「先月の合宿免許、このふもとの宿泊所だったんだよ」
「ああ! そう言えば土方さん一ヶ月くらい見ないなーなんて話してたんですよ。免許取りに行ったんですね」
「失踪者扱いか……、だったらメールくらいすりゃいいだろ」
「そうなんですけど、気ィ遣うじゃないですか」
「誰に?」
「ほら四月に見かけた彼女とか」
「四月……? あー、あの子は同じバイト先ってだけ」
「そうなんですか? でも土方さんのことだから、恋にバイトに大忙しかなって」
「山崎、大学生活ってそれだけじゃねーからな?」
「ところで何のバイトなんですか?」
「塾講師」
「かっこいいっすね」
「別に普通だろ」
「でも土方さんが教卓に現れると、女の子のキャーキャー言う声が聞こえます」
「お前やっぱバカだろ。受験生だぞ。そんな浮ついてるわけねーじゃん。それにさ……」
「なんですか」
「遠慮ていうか、お前ちょっとムッとしてるように見えるんだけど」
 ドキリとした。
「俺が誰にムッとしなきゃいけないんですか」
「んー、俺?」
「モテる人はそうやって自覚しないうちに敵を増やすんでしょうね……」
 変に勘ぐられるより、怒られた方がましだ。そう思い、わざと恨みがましく言ってやった。
「お前は俺の敵だったのか」
「いま知ったんですか」
「へえ、いい度胸だな、山崎」
 不穏な空気が立ち込める。
「それはそうと、もうみんないませんよ?」
 周りをぐるりと見渡しても、近藤さんも総悟も他の連中もいなかった。ふたりでしゃべっているうちに、置いてけぼりにされたらしい。
「行きましょうか」
「そうだな」
「土方さん、ところで車は買ったんですか?」
「いや、まだ。この合宿だってただじゃねえだろ?」
「そうですよね……。授業料に含まれてんのかと思ってたら、合宿費用は別に支払いましたもんねえ……」
 単位を金で買ったようなもんだな、とみんな少し苦い気分になっていた。
「お前は免許持ってるの?」
「いえ、まだです。取るんだったらすぐに車買わないと運転できなくなるわよ、って親に言われたから、まだいいかなって」
「免許取って終わりじゃねえからな」
「ホント、車に駐車場に任意保険ですよね。気が遠くなります……。土方さんは欲しい車とか行きたいところがあるんですか?」
「乗れりゃ、なんでもいいかな」
「えっ、そうなんですか? 軽トラでも?」
「あれはあれで面白いんじゃね? 発進はのろいけど加速が伸びるって聞くぜ」
「あー、それに引越しの時に役に立ちそうですね」
「お前ちょっとバカにしてるだろ」
「い、いや、そんなことありませんよ」
 腕が伸びてきたので、絞め技をかけられる、と予感して身構える。
「おっ、俺、小学生の時に乗ったことあるんですよ!」
「軽トラに?」
「ええ、プールの帰りだったんですけどね」
 俺は小学生の頃、今の家ではなくもっと田舎に住んでいた。近くに市民プールなどもなかったので、夏休みは小学校のプール解放によく泳ぎに行った。
 自分の親が一緒に行けない日には、近所の友だちの親に一緒に連れて行ってもらった。
「その日おれも一緒に連れて行ってくれた友だちの家が兼業農家だったんです。プールで泳いでいる途中、急に真っ黒な雲が 出てきて、遠くから雷が聞こえてきたんです。それで慌ててプールから上がって、軽トラの荷台に友だちと俺が乗せられて急いで帰ったんですよ。家に着く前に雨が降り出して、友だちも俺もずぶ濡れになったんですけどね」
 俺が笑うと「また軽トラに乗りたいのか?」と土方さんが聞いてきた。これまで見たことないくもりのない笑顔だった。
 俺につられただけなのかなぁ、貴重なものを見てしまった。


 音楽が急に聞こえなくなった。
 晩ご飯とお風呂がすんで、俺は布団に寝転がって携帯で音楽を聴いていた。イヤホンが引っ張られて外されたのだ。
「あっ、土方さん返して」
「山崎、俺と部屋代われよ」
「いやですよ。それに土方さんあっちの班のリーダーなんでしょ」
「だったら総悟とお前が代わるのでもオッケーだから」
「なんで」
「総悟と一緒だなんて、この合宿中おれがまともに寝られると思うか?」
 かなり真剣に訴えてくる様子が、かわいいとすら思ってしまった。
「土方さんの班ってご飯つくるの上手い人いるんですか」
「んー、まあ普通だよ」
「普通って一番あやしくないですか。さっきのメニューは何だったんですか?」
「……」
 即座にマヨネーズてんこ盛りのご飯が思い浮かぶ。
「やっぱ代わるのなしでお願いします。近藤さんのご飯がおいしかったからこっちがいいです」
「俺の命より飯の方が大事なのかコラ」
「……」
「悩むんじゃねーよ。つーか近藤さんさっき何作ったんだよ教えろよ。俺がこうして頭下げてんのにゴロゴロしてるしイヤホン片耳突っ込んだままだしイラッとする!」
 寝転がったままの俺の首に手をかけようとする。
「頭なんて下げてないし、俺の布団の上であぐらかいてるだけじゃないですか!」
「つーかさっきからなに聞いてんだよ」
 土方さんがさっき引っ張ってはずしたイヤホンを自分の耳にはめた。
「あっ」
「な、なんだよ」
「これ高校生の時に彼女とできるかなぁって憧れのシチュエーションだったのに……」
「あー、これね。イヤホン片方づつ付けて一緒の曲を聞くってやつな。まあ俺とできて良かったじゃん」
「……」
 とっさに憎まれ口が思い浮かばない。不覚にも頬が赤くなってしまった。それにつられたのか、土方さんも照れている。
「おい、なんか言えよ」
「えっと……」
 冗談で済ますなら今のうちなのに、と妙に焦る。気まずい。
 ふと周りを見てみると、部屋にいる八人が遠巻きに様子をうかがってるようだった。俺と視線が合ったひとりが声をかける。
「ふたり仲良いって知らなかったなー、同じ高校だった?」
 他人からそう見られているのに改めて気が付く。
 それでますます恥ずかしくなって、土方さんを引っ張って慌てて外へ出た。俺が夢中で早歩きになっていると、土方さんが「ちょっと待てよ」と足を止めた。
「あっ、土方さんは自分の部屋へ戻ればいいんですよね。すみません」
 慌てて手を離す。
「そうじゃねーよ。今の時期さ、星がかなりたくさん見えるって知ってたか?」
「そうなんですか?」
「なんとか流星群」
 見上げると山中にある宿泊所からは、プラネタリウムよりたくさんの星が見えた。たくさん見えすぎて星じゃないみたいに思えてしまい、少し不気味に感じてしまった。
 けれどすぐに慣れたら、瞬きの間隔や色もそれぞれ違っていて、首が痛くなるまで見続けた。
「土方さんがこういうの知ってるって、とても意外です」
 怒られるかもと思いつつ、正直に言ってみる。けれど、いつもみたいに絞め技をかけられたりため息をつくこともなかった。少しだけ笑って、それが優しかったので返って切なくなってしまった。
 俺の知らない、大切な思い出を分けてくれたのかもしれない。

八、大学二年・秋

 互いの頭をくっつけて一生懸命探す。昼休み、学食で総悟と携帯で地図を見ていた。隣の県内にあるK大学への道順を探しているのだ。画面をのぞき込み総悟が言う。
「駅から歩いて行けるな」
「うん、ちょっと離れてるけど大丈夫そう」
 不意に画面が暗くなる。背中越しに現れた人影は、土方さんだった。
「お前ら何見てんの?」
「のぞくんじゃねーや。そこにいると暗くて見えねえから、どいてくれませんかねェ」
「悪かったな」
 しぶしぶ、という表情で土方さんが少し離れる。
「ていうかのけ者にされてるの察しろィ」
「なんだとコラおめーには聞かねえよ!」
 早くもケンカが始まった。しかし挨拶と同じようなものなので、俺は特に気にしない。
「俺たち今日、学園祭に行くんですよ」
「どこの?」
「K大学。チケットは二枚しかねえからな」と総悟が答える。
「学園祭にチケットなんて必要なのかよ」
「ライブ見に行くんです」
「ふーん、誰の?」
「×××」
「……」
「え、ひどい! 土方さんこのまえアルバム貸したじゃないですか」
「え、そうだっけ?」
「覚えてもないなんて……」
「ま、五十代の感受性を持つ土方さんにはどのみち関係ない話でさァ」
「知ってんだろ俺の心はガラスの十代なんだよ」
「すいやせん。土方さんは永遠の中二でしたね」
「総悟、おもて出ろ」
 こんな調子だからからかわれるんだよな、なんて心では思うが口にはしない。しかしとばっちり以外の物も感じている。
 フリスビーゴルフ合宿の時、なんか俺が女の子に嫉妬しているみたいなことを言われたけれど、自分だってそうじゃないのか?
 俺が総悟と出かける時は、土方さんは特に機嫌が悪い……ような気がする。
 仲良きことは美しきかな、と心の中で唱えてみる。
 直視できない収まりの悪い気持ち。貸したCDは覚えていないし、機嫌が悪いし。
 相まってあてつけるように総悟に向けてにっこり笑いかけた。
「今夜が楽しみだねー」
「なー、山崎ィ」
 総悟も俺に合わせてにっこり笑いかける。


 いったん家に帰り、できるだけ荷物は持たずに出てきた。会場はオールスタンディングなのだ。
 最寄り駅からは迷わず着いたのに、構内に入ってから迷ってしまった。会場である体育館がどこにあるのか分からない。
 薄暗い中をウロウロしていたら、それらしい人達が数組歩いているのでついて行く。坂の途中にある建物に入って、一階から階段を下る。
「地下? 体育館、地下なの?」
「これァ分からねぇはずだよな」
 迷うのもなんだか楽しかった。
 ライブが終わり、ずっと立ちっぱなしで疲れたので、帰りはかなりゆっくり歩いて駅までたどり着いた。
「山崎、飯どうする?」
 時計を見る。午後九時前だった。
「うーん、疲れたしこのまま帰ろうかな」
「そう言うと思った。気になるんだろ」
 俺が携帯を入れているポケットを指差す。
 開演前に切った電源を入れる。問い合わせるとメールが入っていた。土方さんからだった。
「なんでメールが来るの分かったの?」
「俺にまで嫉妬しやがってバカじゃねえの」
 総悟が心底嫌そうな顔をする。
「……嫉妬?」
「そうじゃん」
「誰が誰に嫉妬?」
「土方さんが俺に」
「な、なんで」
「なんでって、それは俺も聞きたいから教えろよ。お前らなんかあったんだろ? 合宿の時だってさァ、夜ふたりでこそこそ出て行ったじゃねーか」
「えっ、なななななにもないよ? あるわけないじゃん!」
「……。なんにもないのに、あんな独占欲まる出しになるわけねーじゃん」
「……」
 これまでの出来事を、頭の中で急いで巻き戻す。しだいに眉間にしわが寄る。汗も出てくる。
「うーん、うーん……」
「便秘でもしてるみてえだな」
「なんか……出てきそうなんだけど……」
「え、上から? 下から?」
『次はー、富士見ヶ丘ー、お降りの方は―』
 車内にアナウンスが低く響いた。
「あーあ、時間切れ」
 最寄駅に着いた。総悟が残念がる。
「じゃ、また来週」
「うん、じゃーな」
 巻き戻し完了。すると一番初めの風景が再生される。
 でもあれは……、土方さんは知らないはずだ。

九、大学二年・冬

「うち、年末に家庭の事情で引っ越すことになりました」
「どこに?」
「母の実家の関西です」
「大学はどうすんだ?」
「それがあるから、俺はこっちで一人暮らしをすることにしました」
「そうなのか……、で?」
「土方さん引っ越しを手伝ってください」
「そんなのひとりでやれよ」
「免許持ってるじゃないですか」
「軽トラ借りてきて運転しろってか。免許持ってる人間の義務みたいに言うんじゃねえ」
「サービスしますからー」
「何をだよ」
 こいつまさかいろんなやつに同じセリフ吐いてるんじゃねえだろうな。胸がざわざわした。
 山崎に使われる感じはなんだか癪だけど、他のやつを頼るのは反則だ、反則。
「そう言えば昔住んでたって田舎が、かーちゃんの実家なの?」
「あ、そうです。それが小学二年生の時の話で。三年生の時にこっちに引っ越してきたんです」
「まあ、小学生の時みたいに荷台に乗せてやることはできねえけど。あっ、死んだふりしろよ山崎。だったら乗せてやる」
「死んだふりの方がよっぽど問題じゃないですか! 警察から絶対とめられる」
「あれだよあれ、あの映画みたいじゃん」
「え、映画? おれ任侠映画見ないんで分からないです」
「ちげーよ、あれだよあれ」
「タイトルが出てこないなんて土方さん……いたっ」
 まだ何も言ってないのにひどい! と、山崎が責めた目で見上げる。
「絶対ボケてるとか何とかいうんだろ」
 十一月の終わり、部屋が決まり荷造りがすんだと言うので、山崎のマンションへ行く。親は仕事らしく、家の中には山崎だけしかいなかった。部屋のあちこちに、ダンボールがいくつも積んである。
「自分たちの荷物まとめるだけで手いっぱいだから、自分の引っ越しは自分で何とかしなさいって母が」
「まあ、そりゃそうだろうな。大学生が一番ヒマだろうし」
 でも山崎の荷物はあまりなかった。衣類などの大きなダンボール四箱と、本や食器などの小さなダンボールが三箱。それと布団袋。と言っても、一般的な十九歳がどれほど物に囲まれて暮らしているか、俺にはよく分からないが。
 十一月だから、荷物の搬出・搬入は暑くなくて良かった。
 新居に到着する。真っ先に浮かんだ疑問を口にする。
「なあ、お前ん家って裕福なのか?」
「いや、普通っていうか、これから両親が別居するんで大変なんですけど……」
「……家庭の事情って、それか」
「あ、はい……。実はこういう理由なんです……」
「大変だったな。つーかさ、男子大学生のひとり暮らしで、なんでこんな小奇麗で広い部屋なんだよ。何畳?」
「十二畳です。いや不動産屋がですね、あんまり安い部屋だと物騒だからって、この部屋しか紹介してくれなかったんですよ」
「女だったらそれ言われんのも分かるけどさ」
「俺の場合、気が弱そうだからとか言われましたけどね……」
「家賃いくら?」
「七万五千円です……」
「まあ、バイトがんばれよ」
「はい……」
「ルームシェアとか考えればいいのに」
「あー、その手もありますね。総悟とか声かければ良かったかな」
 そう言いながら、俺に笑いかける。また見透かされたようで、目をそらしてしまった。
「土方さん遊びに来てくださいね」
「じゃあ車買ったら、いつでも来てやるよ」
「えっ、ついに車買うんですか?」
 山崎の目が輝く。
「中古だよ」
「土方さん大人みたいです!」
「みたい、って。じっさい大人なんだよ」
「あ、そうか。二十歳でしたね」
「お前はまだ」
「二月で十九です」
「えっ、まだ十八なのか? 高校生と変わんねーじゃん!」
 急に自分だけ老けているように感じ、それが結構ショックだった。
「何もなくても遊びに来てくださいね」
「何も?」
 これまで、理由がなければお互い家を訪れたりしなかった。テストの過去問だったり、漫画だったり。
 山崎にしては珍しいくらいの念押しに、ほだされてやった振りをしよう。
 そして折りにふれて思い出していた彼女の輪郭が、あいまいになってきた感覚を俺は素直に受け入れている。そしてそれが自然だと思った自分自身に、一番驚いていた。

十、大学二年春休み

 だいたい車の中ではラジオを聞いてることが多い。話の内容が、今日はなんだかかFMっぽくなかった。
「春は変な人多いですから気を付けてくださいねー」
 ゆるい調子でパーソナリティがしゃべる。珍しく何か曲でも聞こうかな、と山崎が貸してくれたCDを取り出す。
 兄夫婦は気をつかわなくていいと言うけれど、俺はできるだけ早くひとり立ちしたい気持ちを持っていた。車が先になってしまったけれど、一人暮らしをしたい気持ちも当然持っていた。
 だからだろうか、山崎の事情はともかく、うらやましかった。
 自分だけの家は、誰にも気兼ねしなくて居心地がいい。
 山崎の希望通り、特に用事がなくても部屋に寄ることが増えて行った。
 山崎も学費を自分で稼ぐためにアルバイトを増やした。夕方からの飲食店のバイトは、残り物を持って帰れるらしい。しかも毎回、一人じゃ食べきれない量の炊き込みご飯や鶏のから揚げがあった。なので、俺は今日も晩ご飯のために山崎の部屋へ向かった。


 ふたりで食べていると、天井からドカッ、ドスンと大きな音が響く。
「なあ山崎、上の階って同じ大学の体育学部の学生だったよな?」
「そうです……」
「いつも家で床運動の練習してるんだよな?」
「はい、初めに挨拶に行った時に、そんなこと言ってましたね」
「……」
「……」
「なんか今日は特別うるさくね?」
「はい、うるさいですね……」
「注意しに行く?」
「いや、これホント練習してるだけだと思います?」
 ふたりで顔を見合わせた。お互い怪訝な表情になっているんだろう。上の階へ上がる。エレベーターから降りてその部屋を目指していると、反対側の非常階段へ走って行く人影があり、嫌な予感がした。インターホンを押す。
 ピンポン――
 一分待っても反応がない。部屋にいるはずなのに、おかしいと思い取っ手をひねると開いた。
「土方さん……」
 ますます嫌な予感がする。いったん閉めて、もう一度インターホンを押す。
「……はい」
 ごく小さい声がスピーカーから聞こえた。
「あの、下の階の山崎です」
 プツ、と通話機能が切れる音がする。
 ほんの少しドアが開いた。
「あの、結構大きな音がしたので、何かあったかなって……」
 山崎が緊張した声で話すと、細いすき間から見える女の子の顔が、みるみるうちに泣き顔に変わった。
「さっき、アルバイトが終わって帰宅したんですけど……鍵を開けて家に入った瞬間、うしろから知らない男が押し入ってきて……」
 エレベーターを降りてすぐにすれ違った男が脳裏をよぎる。俺は走ってエレベーターの方へ向かった。一階に着きエントランスや付近の道路を見渡したけれど、さっきすれ違った男の姿は見つからなかった。
 戻ると山崎は部屋の前で待っていた。
「警察に電話した?」
「はい、すぐに来るそうです」
 それから五分たたないうちに刑事と名乗る男二名がやってきた。ひとりは背広、もうひとりは制服姿だった。俺と山崎も事情を聴かれたが、大した話はできなかった。名刺をわたされ「また後でお話を聞かせてもらうかもしれません。よろしくお願いします」と、解放された。
 部屋に戻る。
「あれ、さっきまでなんの話してましたっけ……」
「えーっと……」
 部屋をあけた時間は一時間ほどだったのに、いろんなことがあり過ぎてなかなか頭の中が切り替わらなかった。胸の動悸もまだ収まらない。
 帰ろうか、と思った。けれど、ずっと話をして過ごしたい、とも思った。
「お前さ、就職どうするか考えてんの?」
「えっ、就職ですか? あ、土方さん三年になるからもう就活始まってるんですかね?」
「いや、説明会とかまだ先だけどさ」
「土方さんは希望の職種、あるんですか?」
「公務員試験、受けようと思ってな」
「公務員……」
 山崎が微妙な顔になる。
「似合わねーとか思ったんだろ」
 耳を引っ張る。
「いや、だって土方さんが腕カバーして事務職とか、なんか想像できるけど似合いませんよ!」
「そっちじゃねーよ」
「どっちですか?」
「警察とか消防」
 まだ誰にも話したことがなくて照れがあったけど、打ち明ける。すると山崎の顔がみるみるうちに明るくなる。
「あっ、だからか! さっき警察に詳しく話してたから、土方さん冷静ですごいなってびっくりしてたんですよ。おれ気が動転して、ちっとも覚えてなかったのに」
 そんな風に見られてたんだと照れてしまう。
 それから一晩語り明かして青春ぽいことしてみたかったけれど、山崎は「土方さんベッド使ってくださいね……」と言い残し、午前一時につぶれてしまった。
 上の階の子はどうしているんだろうとか、いろいろ思い返していたらなかなか寝付けなくて、こたつで寝ている山崎を見る。
「怖くて青ざめていたくせに、すげえ緊張感のない顔」
 よだれ垂らして寝ている男の隣に毛布を持って移動した。カーテンのすき間から入る薄明りにすら、その髪がきれいに反射しているのが分かった。光をさわりたいと思い、そっと髪に触れてみる。
 落ち着くな、と思った。
 気配を感じて目が覚めると、山崎が顔をのぞきこんでいた。
「土方さん、寝相が悪いんですね。ベッドから落ちるなんて小学生みたい……あっ」
 首のうしろに手をまわすと、山崎は吐息の混ざった声をあげる。いつも微妙に長くしている襟足の理由は知っていた。耳や首元を無防備にさらしたくないから、だ。
「あっ、て」
「だって、急にさわるから」
「急じゃなかったらさわってもいいんだ」
「さ、……」
 何も言えなくなる様子がかわいいと思い、引き寄せるためにもう片方の腕も伸ばす。すると山崎は、右手で俺の胸を押し返そうとする。けれど力は弱くて、迷っているのが分かった。
「あっ、あの、からかって……」
「もういいだろ」
 俺がそう言うと、山崎は一瞬目を見張った。それから突っ張る腕の力がぬけていった。
 人の体温は、こんなに温かかったのか。
 俺がすっかり忘れていた、大事なことを思い出させてくれた。
 大人しくなった山崎が、か細い声で語りかける。
「あの、土方さんいつから……」
 意識していたのはいつからなのかと聞きたいのかもしれないけれど、その話の前に伝えておきたいことがあった。
「いま何時?」
「え? えーと、四時半ですね」
「なあ、これから海見に行く?」
「海? なんか突然ですね」
 ふんわり笑って「行きたいです」と続けた。
 まだ日の出前で薄暗い中を、急いで着替えて出発する。目的地は決まっていた。
 電車だと二時間はかかったけど、早朝の空いている道路だからその半分ほどで着くだろう。
「どこの海へ行くんですか?」
 山崎は不思議そうな顔をしている。約一時間でそこに着いた。五時四十分。こんな時刻だから、駐車場には他に車がなかった。砂浜に降りていく階段に一番近い駐車スペースに停める。
「ねえ、土方さん。こっち、海は海なんですけど方角が逆です。西ですよ。夕日が沈む方の海です」
「そうだっけ」
 とぼける。
「海へ行くっつったら、この時間だから朝日を見に行くんだと思うじゃないですか。なんでこっちなんだろ……」
 ぶつくさ言うのがおかしかった。山崎はときおり周囲を見渡している。
「なあ、山崎。あの時、なんで馬に乗ってここ歩いてたんだ?」
「え? 馬って……」
「あれお前だろ?」
「……ビーチ乗馬体験!」
「やっと思い出したか」
「いや、思い出したもなにも全然忘れてないですよ! ていうか土方さんこそ覚えてたんですか!」
「え? 俺だって分かってたのか?」
「あ、はい。簡単に忘れ去られる顔じゃないですよね、俺と違って」
「顔だけかよ。つーかあんなの地味顔だって絶対忘れねーよ」
「……」
 あれ、感動の回想シーンだったはずなのに、瞬時に険悪なムードになってる。
 冷たい汗がじわりとにじむ。
「いやいやなんの話してんだよ」
「なんの話でしたっけ……」
「あっ、そうそう、一目惚れの話な」
 俺がにやりと笑ってそう続けると、山崎は大慌てで否定した。
「えっ、なんでそうなるんですか! 違いますよ!」


 四年前の春休み「高校の入学祝いに砂浜を乗馬しよう」と父から提案されたらしい。
「じーちゃんからビーチ乗馬体験のこと聞いたらしくて。結局、父がやりたかっただけなんですよ」
 山崎の父方の祖父宅が、この近所らしい。
「え? あのテンガロンが山崎のじーちゃんか? えらい若いな」
「いやあの人はインストラクターです……」
「あの時さんざんケツがどうのこうのって叫んでたけど、どうなった?」
「はい?」
「見せてみろよ」
「いやいや四年前ですよ? ちょっ、やめて!」
 あの日俺は楽に呼吸ができることや、青い空や夕日がきれいだと感じること自体がいけないような気がしていた。大切な人を失った人間はもっとどん底の気分を味わい続けて生きていかないといけないような気がしていたら、力の抜けた山崎たちを目の当たりにして、なんだか肩の力がぬけたんだ。
 一見頼りない感じの少年でも、タイミングよく現れたらメシア的なものになることもある。
 メシアって……世紀末救世主伝説か。
 俺は目を伏せて頭を振った。
 山崎の乗っていた馬は白い馬だった。
 ……白馬の王子様。いやいや王子さまって。
 俺たちの場合、王子さまっつったら俺の方だろ。って実際口にすると「やっぱり土方さん自分のこと格好いいって思ってるんですね」と山崎から白い目で見られるから言わねーけど。
 自分で考えたくせにばかばかしさにおかしくなって吹き出したら、山崎が「やらしい」と怪訝な顔をした。
 耳を引っ張ってやった。
 それから、ぽつぽつと山崎が話してくれた。
 この海岸は、砂浜からわずか一キロ離れただけで、すぐに潮の流れの速い岩場になっていて、あぶないこと。
 早い潮流が釣りにはちょうどいいけれど、釣り客で足を滑らせて事故になるケースが多いと、磯釣り好きの祖父から聞いて知っていたこと。
 事故だか自死だか判然としない不幸なケースも多いこと。
 あんなシーズンオフにひとりで海に来ているなんて、ろくな理由に違いない、と気がかかりだったこと。
 高校生がおぼれたニュースは数日間聞かなかったから、すっかり安心していたら、入学した高校に俺がいて、心底驚いてしまったこと。

 砂浜を走りづらそうに逃げる山崎に追いつく。
「うわっ、土方さんなんでそんな砂浜を早く走れるんですか!あんたリムガゼルですか、こわっ!」
「リムガゼルなんてしらねーよ! 剣道の合宿で砂浜の走り込みやるから慣れてんだよ!」
「うわっ」
 山崎が砂に足を取られて転ぶ。立ち上がらせようと、俺は手を差し出す。山崎が俺の手をつかむと、勢いつけて引きあげる。
「ありがとうござ……」
 腰から抱き寄せる。部屋にいた時の続きで、首筋に口づけると息をのむのが分かった。
 この圧倒的な現実が、俺の胸を静かにうめていく。

〈了〉

【土山】この世界はきっと美しい

【土山】この世界はきっと美しい

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