三月もおわる

 くじらが、夢をみているあいだに、ぼくらは眠り、星がちいさなあくびをするとき、いきものたちがうごきだし、春は来る。生命、というものを、でも、ぼくらはよく、わかっていないで、国語辞典に載っている、その意味の通りではなく、ほんとうの、生命、というものと向き合っていないような気がすると、せんせいは云った。コーヒーを飲みながら、テレビにうつる、閑散とした都会の様子をながめていたら、きみは、つかれたと言って、ベッドにもぐった。なにもしていないのに、ね、ただ、テレビを、みているだけなのに、憂鬱が募ってゆく。砂糖をいれすぎて、コーヒーは甘くなって、読み止しの本を何度も開いては、閉じてを繰り返し、この三月でお別れとなった、せんせいのことを、想った。
 四月の学校は、花の苗床となり、ぼくらは星のために、もしかしたら、その、生命というやつを、すこしずつ削らないといけないのかもしれない。
 やさしさと、愛があれば、どうとでもなる、なんてことをいっていたひとが、いたけれど、ほんとうかな、って感じ。インターネットのなかのひとだったから、いろんなかんがえのひとがいるよな、と思うようにしたのだけれど、やさしさと、愛だけじゃ、どうにもならないことは、たくさんあるよ。テレビは、確か型落ちで、安価になっていたけれど、六万円くらいだったし、インスタントコーヒーは、三百円くらいのやつ。きみの横たわるベッドも、フレームは一万そこそこで、マットレスは二万円ほどだったかな。
 苗床となった学校で、ぼくらは花と共存して、まぁ、ゆくゆくは、星に帰還してゆく予定。マスクをしているために、表情がわからないアナウンサーを一瞥し、ぼくはテレビを消した。ベッドから、きみの寝息が、きこえてくる。

三月もおわる

三月もおわる

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-03-28

CC BY-NC-ND
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