早秋譜

早秋譜

目高と茸のファンタジー


 秋になった。
 小川の中をのぞいてごらん。ほら、流れていく水草と一緒に目高が泳いでいるだろう。背中の上に乗っているのは赤い茸だ。
 「茸の姫様、どこまで乗っていくのかね」
 「知らない」
 赤い茸はつっけんどんだ。
 「どうしたの」
 「母様がおまえはぶすっていうのだもの」
 目高は困った。そろそろ群に戻らなきゃいけない。
 「どうして言われたのさ」
 「あたしの傘に白いぽちぽちが少ないでしょ、それでぶすだって」
 「母親が自分の娘にそんなこと言うはずがないよ、聞き間違えだよ」
 目高は仲間と泳いでいたら、いきなり赤い茸の子供が飛び乗ってきたものだから、回れ右をすることができなくなって、ここまできてしまったんだ。
 「ふん、母様だって小さいときはぽちぽちがなかったくせに」
 「そんなに言うもんじゃなよ」
 「このまま下の方に連れてってよ」
 「下流に行ってどうするんだい」
 「母様と別れて大きくなるの」
 目高ははたと考えた。姫さん一人じゃ茸虫に食われるのが落ちだろう。それで、何とか茸を背にのせたままユーターンできないか考えた。反対に向くことさえできれば、流れに逆らって泳ぐことは、力はいるが難しくない。
 そこに椚の木の葉が流れてきた。目高は葉っぱの縁を咥えた。その勢いで木の葉はくるっと回転した。目高が途中で口を開けると、頭が上流のほうを向いた。
 「目高の兄さん、やだよもどるのは」
 赤い茸がむくれた。
 「茸の姫さん、おうちにお帰り」
 「いやよ」
 といっても水の中に飛び込むわけにもいかない。
 「この川には茸を好物とする悪食ナマズがいるんだよ、あいつらこどもの茸が大好物だ」
 目高は懸命に流れにさからって胸鰭を動かした。
 ゆっくりゆっくりだが泳いでいく。仲間たちの尾っぽが見えてきた。
 やっと追いついた。目高はずい分疲れた。仲間と話す気力も無かった。
 それでもしばらく行くと、茸の子供が飛び乗ってきたところまできた。
 「さあ姫さん、おりとくれ」
 目高は岸に近づくと背中の茸に言って身を震わせた。
 赤い茸の子供は落ちたら大変と、ひょいと川縁の草むらに飛び乗った。
 目高は「元気に母さんを大事にしてな」と仲間と一緒に行ってしまった。
 茸の子どもはしぶしぶそばを通ったカナヘビの背中に飛び乗って林の中に戻った。
 白いぽちぽちのある赤い大きな傘の茸がでんと立っていた。
 「母様戻りました」
 姫の茸がしおしおと母茸を見上げたのだが、「あー」と言ってひっくり返った。
 母親茸の傘に大きな穴が開いていている。そこから茸虫が覗いていた。
 茸の姫さん金切り声をあげた。
 「キャーッ」という声が林中に響いた。 
 顔を出していた茸虫が母茸の中に落っこちた。
 母親の茸は茸虫に食われてガランドーだったのだ。
 「帰ってきてくれたんだね」
 母さんのお声だ。なんて弱々しいしいの。
 「ぶすって、大きな声で言って、かあさん」
 茸の子どもは涙声で言った。
 そこに風が吹いてきて母親だった茸は吹き飛ばされちまった。
 茸をかぶっていた茸虫が顔を出した。
 赤い茸の子供と目があった。
 茸にゃ目がないって言うのかい。そりゃ動物のように丸くて顔にくっついているようなのはないさ、だけどねほら、人間に心というやつがあるだろう、それで心の目というだろう、茸だって同じような物があってさ、それの目があるんだよ。なんていうのかって、まだ名がついていないのさ、そうね、人間の心は体と脳が作るもの、茸の心は茸と菌糸が作るものだから菌心(きんしん)とでもするかね。菌の心って何かロマンチックじゃない、茸の初恋なんていいわね、あれ横道にずれちゃった、ともかく菌心の目が茸虫の目とあっちまった。
 本能ってのはすごいね、
 「うまそう」茸虫は茸の子供を見つけちゃった。
 茸の本能もすごいね、怖いと思ったから叫んだ勢いで空中に飛び跳ねちまって、そうしたらそこに何事かと様子を見に来た鬼ヤンマの背中に落ちちゃった。 
 鬼ヤンマは赤い物が背中に乗ったのを見て、火がついたと思ったらしい、これは精神的なものだね、熱いはずはないのに、あちちと大慌てで川岸にきちまった。そこで火を消そうと水の中にからだをつっこんだ。茸は流れに浮かんじまった。するとそこに目高がつっこんできて、茸の姫様を背中に乗っけちまった。てなわけだ。
 「水に飛び込んだら危ないじゃないか、悪食ナマズが出てきたらどうする」
 さっきの目高だ。
 姫さんは「ヤンマに落とされた」とぶすーと言った。
 「茸のおじょうさん、鬼ヤンマは背中に火がついたと思ったから水に飛び込んだんだよ」
 「なんでさ」
 「姫さんは真っ赤だからね」
 茸の子供は、あ、そうか、と思った。
 「母さんはなんて言った」
 「茸虫に食われちゃた」
 目高はドキッとした。自分の母親と父親が白サギにいっぺんに食われちったときを思い出したからだ。父さんがさあ泳ぐ練習だよって言って、母さんがほらこっちに向かってらっしゃい、と胸鰭をたたいたときだった、上の方から、「ほらとってごらん」という声が聞こえたと思ったら、父さんと母さんが急にいなくなっちまった。水の上を見るとシロサギのこどもが二羽、父さんと母さんを咥えていた。そばに大きなサギがいて、「上手上手」って言ってたんだ。サギの母親だ。あわてて水の中に潜ったら、黒い細い足が六本見えた。サギの子供と母親の足だ。
 父さんと母さんが食われちまった。ひとりぼっちだ。水の中で涙を流してもつまらないんだ、涙か水の流れかわからないものね。それ以来、細い足の鳥は大嫌いになった。
 「茸は涙を流せるのかい」
 背中の赤い茸に聞いたんだ。すると俺の背中がひりひりしたよ。涙でびしょびしょになったんだ。涙には塩が入っているんだね。お姫さん声を出さずに泣いていたんだ。俺の目からも塩水がでたよ。でも川の流れに持って行かれたよ。両親がサギに食われちまったときと同じように。
 あのとき一人ぼっちになった俺の周りに、たくさんの目高がよってきてくれたんだ。それで今でもいつも同じ方向に泳いでいるんだ。目高の家族は遺伝子じゃないよ。
 茸の子供にゃ仲間がいない。
 「姫さん、行きたいところを言っておくれ、一緒にいくよ」
 茸の姫さんがうなずくのがわかったよ。
 仲間の目高は回れ右をして流れに逆らって今きた上流に向かって泳いでいった。行ったり来たりしっているんだ。だけどもう一緒には戻らない、茸の姫さんと一緒に行くんだ。
 茸を乗せた目高は川の流れに逆らわずに下流に流れていった。
 鰭を動かさず水の流れに身を任せ、春のヒバリはいないけど、目高はああこれが人生、いや魚生かと、なんだかうっとりした。
 「茸の姫さん、あんたのおかげで、一所懸命泳ぐのはほどほどがいいと悟ったよ」
 そう言ったけど背中の茸から返事がなかった。
 どうしたのかなと思っても背中の茸を見ることができない。
 「おいががんぼ、茸はなにしてる」
 ちょいと川岸を漂っていたががんぼにたずねると、
 「寝てる」との返事。
 ああ、赤い茸は泣き疲れたんだ、母が茸虫に食われちまたんだもんなあ。
 目高は黙って流れを下っていった。
 ちょっと大きな川にでた。
 目高もこんな遠くにはじめてきたんだ。川はどんより流れている。泳ぎやすいが深そうでとても怖い。
 帰ろうかな。
 そのとき背中の赤い茸が目を覚ました。
 「ここはどこ」
 「大きな川だ、もどろうか」
 「どうしてさ、雄大でいいなあ」
 「深い川だよ、なにがいるかわからない」
 「だーいじょうぶ、いこういこう」
 茸の姫は大胆だ。目高は姫の声に押されて大きな川の真ん中に出てきた。周りに仲間はいない。背中の茸だけだ。
 「わー、大きい川はきもちいい」
 さっきまで泣いていたのにうらやましい。目高は自分のうじうじして恐がりなのが恥ずかしかった。
 「ねえ、目高の兄さん、この大きな川をずーっと行ったらどこに行くの」
 目高は生まれた小さな川を行ったり来たりするだけで一生をおえるんだ。きっとこんな大きな川に来た目高はいないだろう。そう思うとちょっと胸が熱くなる。だけどこれも茸の姫さんのおかげなんだ。
 「おいらも初めてだよ」
 「あらそうなの、強いお兄さんで、いろんなところに行ってるのかと思った」
 最初に姫さんを背中に乗せたとき、お説教をした自分が恥ずかしくなる。
 「でもお兄さんのおかげで、母さんの最後に会えた、ありがとう」
 この茸はいい子だ。
 「行こう、どこまでも、姫さんが行きたいとこえ」
 茸の子供が背中の上で喜んでいるのがわかる。それに、子供のくせに俺を喜ばせようとしている。
 目高は鰭を力強く動かした。流れにのって早い早い、どこまでいくのだろう。
 川のながれがゆっくりとなった。ちょっと広くなって渦巻いているとこがある。真っ黒な糸トンボが飛んできて目高の上の赤い茸に近寄った。
 「おい赤い茸、いい乗り物に乗ってんじゃねえか」
 「いいでしょ、目高の兄さんすごいんですから」
 「ちょっと、おいらもご相伴」
 そう言って糸トンボは茸の傘に止まった。
 「あれ、トンボの子供が頭にのってる」
 茸のお嬢さんが声を張り上げると、目高は冷静だ
 「そいつはもう大人だよ」
 「どうしてなのちいさいじゃない」
 「糸トンボはみんなちいさいのさ」
 「でもどうして大人なの」
 「とんぼの子供はやごだ」
 「やごってなに」
 「トンボは水の中に卵を産むんだ、卵は水の中でかえるとやごになる」
 「それじゃ、水の中で羽をひらひらさせて飛ぶの」
 「やごに羽はないよ、水の中を歩くだけさ、羽は背中にたたんであってね、大人になると水から出てきて羽をのばして空にとぶんだ」
 「目高の兄さんも大人になったら羽が生えて空を飛ぶようになるの」
 「ならないよ、茸と同じ、ただ大きくなるだけ」
 「つまんないの、ねえ、頭の上のトンボの兄さん、何にもしゃべんないんだ」
 そこで、茸に止まったトンボが目玉をきょろっと動かした。
 「あたしは女なの」
 「あれー、このトンボさん、女だって、真っ黒なのに」
 「黒いから男ってことはないんだよ、赤いから女ってこともない」
 目高の兄さんが茸の子供に説教した。
 「目高は雄も雌も同じ色さ」
 茸の姫さんはそうなんだと思った。
 「でもな、目高の雄と雌は形が違うんだ」
 「わかんない」
 「そりゃそうさ、目高は目高の世界があるのさ」
 「でも、トンボの姉さん頭に止まったとき男の言葉で話してた」
 「あたい今大人になったばかりだからどうやってしゃべったらいいかわからなかったの、赤い茸の上に止まったら、女だってわかったのよ」
 「どうして」
 目高ははたと考えた、どうしておいらは男なんだ、女だっていいはずだ、知らないうちに男になった。でもそれでいいんだな。
 「それでいいんだよ、そう思ったら女だよ、茸の姫さんがかわいかったからだよ」
 「それじゃ、あたしの頭に止まるとみんな女になっちゃうのかな」
 「どうだろうね、糸トンボの姉さん、ちょっと飛び上がってごらん」
 それを聞いた糸トンボの姉さんが茸の傘から飛び上がった。
 「おいらはこのままいくからね、あばよ」
 男の声になった糸トンボは飛んでいった。
 「あれ、さようなら、ネイサン、いやニイサン」
 「茸の姫さん、ほらわかったろ、姫さんの傘に止まるとみんな女になるんだね、あの糸トンボは貴重な経験をしたんだよ」
 「そうなの」
 茸の子供はちょっと自分の傘を誇りに思った。
 川の流れが緩やかになった。ずいぶん広い。目高はこんなに広いところに来たことがない。
 どこにいっちまうんだろう。
 「すてき、とっても広い水の上」
 茸の姫さんは喜んでいる。
 目高は鰭を動かすのを止めた。ゆっくりと流れていく。鰭を止めたのは生まれて初めてだ。今まで川の中で一生懸命鰭を動かし続けていたんだ。こんなにゆったりした気持ちは初めてだ。
 「目高の兄さん気持ちよさそ」
 「うん、こういうの初めてなんだ」
 「どこいくのかしらね」
 目高は目を閉じて、背中に茸を乗せて、流れにからだを任せていた。
 「うわー、きゃー」
 目高と茸の子供が大声を上げた。
 茸の子供を乗せたまま目高は空に跳ね上がった。水しぶきがかかった。なんだか空を飛んでいる。
 「おちてる」
 茸の子供が下をみたら、川が縦に流れている。
 「なーにこれ」
 目高は仲間が話していたのを思い出した。川の先に滝がある、そう言っていた。水が下に落ちている。これが滝なんだ。
 「俺たちは落っこちて死ぬんだ、姫さんごめんな」
 目高は目をつむったまま悲痛な声を上げた。
 「気持ちいいー、はやいー」
 茸の子供ははしゃいでいる。
 すると、目高と茸は空の上に浮かんだ。
 目高は目を開けた。
 まぶしい。
 金緑と金赤と黄金色の光が下から差している。
 目高はこんなきれいなものを見たことがなかった。
 「すてきー」
 茸の姫さんはきらびやかな着物を着た気分を味わっていた。
 目高はこれが天国なのかと思った。
 「もっときれいなものが、ほれ、あそこをみてごらん」
 そんな声が聞こえた。
 目高と茸の子供は見た。
 滝のカーテンに七色の輪ができていた。
 「あれが虹だ、きれいだ、わしはあれを見るために、毎日滝の脇を飛ぶんじゃ」
 「おじさんだーれ」
 茸の子供が聞いた。
 「わしは玉虫じゃ」
 目高ははっと我に返った。
 「あの伝説の玉虫の翁」
 目高は小川のせせらぎで大きくなった。川の縁の草の中で虫たちがささやいていたことを覚えている。
 「金に輝く玉虫の、その翁の羽の色のすばらしさ、一度お会いしたいものよ」
 虫たちのあこがれの玉虫、その中でも一段と輝く玉虫の翁、今、その翁の背中に乗っている。この輝きが虫たちのあこがれ。
 「わしの羽の色など、滝と日の光が作る虹に比べたらただのまがい物、偉大な自然にかなうわけがない」
 玉虫は背中に目高を乗せて、その背中に茸の子供を乗せて、滝を通り過ぎた。
 「おまえさんがたどこに行きたい」
 目高はすぐには答えられなかった。
 茸の子供が、
 「おじさん、目高のお兄さんと一緒に暮らすところがいいな」
 目高の目から涙が落ちた。
 うれし涙と、自分の情けなさの涙だ。
 「よしよし、連れて行ってやろう」
 玉虫の翁は林の中にはいると、木と木の間をすーっと飛んで、黄金色の光の尾を残しながら、小さな泉のほとりにおりた。
 「ほれ、目高の兄さん、小さな妹を大事にするんだよ」
 目高はうなずいて、泉の中におろしてもらった。
 「きれいなところ」
 赤い茸の子供は泉のほとりにおろしてもらった。
 玉虫の翁は緑と赤と黄金の色を振りまいて飛んでいった。
 目高は泉の中から顔を上げて赤い茸の子供を見た。
 「大きくなったね」
 「目高の兄さんも」
 赤い茸はどんどん大きくなった。傘には白いぽちぽちができた。
 大人になったんだ。
 「おっそろしくきれいな茸だ、俺がなめてやろう」
 真っ黒な蠅が茸の傘に止まった。
 目高が水面から顔を出した。
 「やめとき」
 「何だ、目高、うるさいな」
 蠅が吻をのばして茸の傘に吸い付いた。
 「こそばゆいじゃないか」
 赤い茸が笑った。
 「あーやっちまった」
 目高がそう言ったとたん、蠅は、
 「あれ、私はなぜここにいるのかしら」
 蠅が手をする足をする。
 雌になった黒蠅は卵を産みに暗やみに消えていった。
 赤い茸の傘は男を女に、女を男にする毒をもつ。
 目高は泉の中をすいすいと泳ぎ回った。きれいな水だ。
 赤い茸は森の中で一番の器量よしになった。
 「きれいになったね」
 目高が声をかけると、赤い茸は嬉しそうに身をよじらした。
 「兄さんも胸鰭が青く輝いている」
 だが、時は無情、茸の命は八日で終わる。
 赤い茸は崩れていく。
 目高が声をかけても答えてくれない。
 最後に一言、
 「目高の兄さん、来年またここに生えてきます」
 茸の傘が泉の中に垂れ下がった。
 目高は傘に食いついた。
 傘をかじった。
 食いつくした目高は言った。
 「おいしかったわ」
 目高は赤くなって緋目高になった。
 卵を産んだら、来年はまた雄に戻ろう。
 雌になった目高は、来年赤い茸に会えるのを楽しみにして、泉の中を舞うように、優雅に泳ぎ回った。

早秋譜

早秋譜

茸の子どもが目高の背中の上に落ちた。二人で一緒に旅にでる。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-03-27

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