Tokyo syndrome
※これは、コロナ禍に見舞われる以前に書かれたものです。禍下にあって、これが他の人の目にはどう映るのか私には正直わかりません。
ただ、世界全土を覆う辛く先の見えない疫禍によって、皮肉にも私の懸念は晴れていく兆しが見え、しかし手放しで喜べるわけもなく、今はただ、一刻も早くこの禍が収束-終息に向かうことを祈るばかりです。どうか、人びとが安全に心地よく暮らせるかたちの街がつくられていくよう願いを込めて、そして過去の妄執を手放す覚悟を込めて。
〈以下、原文ママ〉
これは精神疾患を治療中の筆者が、コンプレックス(complex)を解きほぐしていくために、自分の抱えてきた「おかしい」考えや感情をまずそのまま言語化してみようという試みです。
誰かに何かを伝えたいわけでもなく、読んで何かが得られることもないと思います。むしろ嫌な感じを受ける可能性があるので、タイトルにある首都の街を愛する方は読むことをお勧めしません。
それでも読んでみたい方は、そのことを念頭にお読みください。
私は東京が嫌いだ。まだ見ぬ頃は純粋に憧れていた。父が東京に単身赴任し、小2で初めて訪れた。わくわくしていたが、某放送局のアナウンサー体験が楽しかった他は、とにかく疲れた記憶しかない。父のアパートは薄暗く息苦しく、そんな場所で生活する父のことが何だかとても心配になった。
その後の意識の変化はよく思い出せないのだが、中学の修学旅行で再び訪れる頃にはすっかり嫌になっていた。気が重く、楽しめないのが確実にわかっていた。それでもこの世の現実と向き合うために、しっかり見て来るのだと思った。
修学旅行は、そこそこ楽しかった。友人たちは心底楽しそうだった。友人たちが喜んで笑うから、私も嬉しかった。でも私自身は…。東京に所在しないのに東京の名を冠した業の深いテーマパークで、暑さにうだりながら、吐き気をこらえて昼食を食べたが、もともと少食なせいもあって、ランチプレートを食べきれなかった。食べ残しを食べてもらえるほど気安い仲ではなかったから、残り物は無駄になった。別の日の夕食会場にはチョコレートが滝状に流れ出る謎の装置があって、皆はマシュマロや果物を付けて喜んで食べていた。私は甘いものが苦手で、羨ましさと拒否感の半々でそれを眺めた。あとは演劇と寺を鑑賞し、社会見学に行った。
私は東京に魅力を見出だせなかった。人間の欲望と享楽の結晶たる街-人工物で埋め尽くされ、去勢された自然で彩られ、自然を喰い尽くす大量消費社会の業を不自然に整った美しさで覆い隠した街に、強烈な違和感と嫌悪感を抱えずにいられなかった。
けれども同級生らが楽しんでいる様を見て、魅力的に感じる人々もいる街なのだと理解した。自分を納得させようとした。呑み込んで、何も言わない、考えないことにした。
今の私はそこまで思わない。進学で地元を離れ、東京からさらに離れた地方へ赴き、友人らはちらほら東京へ旅立ち、東京出身の先輩同輩らと知り合い、東京への拒否感は呑み込んだつもりだった。
けれども、事件や事故以外で東京に関するニュースを聞くたび、未だに強い嫌悪を覚える自分がいる。東京にものとひとが集中し、そのせいでさらにものとひとが東京に集中していく悪循環の事実を知って、ますます不信感や怒りにも似た感情が募ってくる。
あの街に何があるのか。あの街が何をくれるのか。皆いろんな好きなものがあって欲しいもの見たいものがあって、この地域はあまりにも何もなく、未来がなかった。それでも、それにしても、あまりにも。郷土愛とか地域の絆とか、美しい言葉だけど、そんなものはどうでもいい。家庭の事情や生活環境は様々で、東京に来なければ本当に生き残れなかった人々がたくさんいるのだろう。職も社会インフラも住居も店も娯楽もあの街には全てがある。仕方ない。けど。
どうしてみんな見捨ててしまうのか。あの薄汚れた醜い街並みに埋もれていってしまうのか。あの街では人は生きられない。土にも還れない。空がない。あまりにも人が多すぎ、欲と悪意が密集して耐えきれない塊を作っている。どうしてみんな平気なんだろう。私はここですら生きられなかったのに。根を張る土も、吸う空気も、水も得られなかったのに どうしてみんな平気なんだろう
ねえどうして だれか たすけて
未熟で愚かな私は、そんなことを感じながら、絶望をもう一度呑み込んで、うまく咀嚼もできないまま、置き場に困って空を見上げる。
Tokyo syndrome
2019/03/26(執筆)
2020/03/26(公開)
コロナ禍下より哀悼と不安と祈りを込めて