菜の花のゆりかご

 かなしいほど、やさしいせんせいは、野原で眠る、こぐまを、あいしている。こわれものをあつかうかのように、こぐまをなでて、どうか、きょうも、世界は平和でありますようにという、ありきたりで、漠然としていて、少々うそくさい祈りを、せんせいは捧げているらしい。儀式めいている。こぐまが、いけにえだったら、どうしよう、とも思うし、どうでもいい、とも思う。
 学校は砂の城となり、にんげんは眠りを忘れて、真夜中のきらびやかなネオンは、ひとびとをじょじょに狂わせていった。海のなかに海が沈んでいるとき、星の声は冬の夜よりもクリアにきこえて、しゅんしゅんと音をたてて沸騰するストーブの薬缶は、まるで泣いているようだった。生物室の主だったせんせいが、野原にいるために、生物室は無法地帯と化し、せんせいがたいせつに飼っていた動物や昆虫たちの、ちいさな楽園となっている。虫がきらいな学校のひとたちが、生物室を燃やそうと企てていることを、せんせいは知らないで、眠ってばかりいるこぐまに、夢中で、ぼくは放課後、かげからこっそり、せんせいとこぐまの様子をながめては、無常、という言葉と、無情、という言葉が、どうしてかあたまのなかに浮かんでは消えをくりかえし、咲き始めた菜の花の黄色に網膜を染められ、くらくらとめまいがしてくる。

 せかいでいちばんこわいことは、だれかをほんきであいすること。

菜の花のゆりかご

菜の花のゆりかご

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-03-25

CC BY-NC-ND
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