死別と祝福。

yumieisuke

 私の目の前、過ぎていくもの、いつもそれに形はない。猫をみた。おおきな黒ねこだ。いつしか、必死のすばやさと身のこなしで、横断歩道をそそくさと白黒の上を、適度なリズムでかけぬけていった。家をでて、右へ二回、左へ一回まがったあと、国道のすぐ傍の、裏路地をまわった、つきあたり、佐藤さんの家の裏側で、ついに追い詰めた黒猫は、宇宙よりも黒い瞳の中に、一筋の光を蓄えて、じっと、まじまじとこちらをみつめかえしていて、一声あげた。
 ニャー。
 ただそれだけ、あとは鳥のように、とびさった。民家の明かりで照らされた猫の口元には、捕まえたばかりか、薄茶色の小鳥がくわえられていた。それは、母猫だったのかもしれない。ともかくその猫に、私は、いつしか死んだ私の祖父を(といってもそれは、その時にはまだぴんぴんしていた)をかさねて、アニメやドラマでみるそれと重ねて悦にひたっていたのだ。

 学生時代、テスト、受験、社会にでてから普段の生活。晴れ舞台、成人の日。どこにいても、私は自分が自分じゃない気がしていた。それは日常と同じだった。私は今、現実では普通のアパレル店の店員をしている。普通の社会人、OLだけど、休日や、深夜、人のしらない裏の顔では、インターネットやブログ、snsにはまっている。通話をしたり、リアルであったり、私はそのうち、インターネットで人の心を読むことには、自分がとてもたけているとわかった。私には、日常の外に苦しみはない。日常は大変だ。仕事はつらい、自由がないのが、拘束される時間が長いのが、自分が自分でなくなるような時間が続くのがとてもつらい。かといって、そのほかの自由がどこかに存在するというわけではないのに、その代わりの、代替的な世界は、存在なんてしない。22歳になって、それが絶対だと気が付いた。いや、すでに、とっくの昔に、小学4年のあの春と夏をすぎたころには私は。

 こんな文章を書きかけたSNSを、ブラウザをとじて消してしまった。どこにも私はいない、それすら、まるで平凡で退屈な日常の一部だと気が付いて、机に向かった。都内の安アパートを借りているが、かろうじて流行に追いつけるアパレル点に勤務している。立ち続けで、足に支障がでるのは当然、工夫してもあちこちがたがきてる。 

 平凡な中でも、暇つぶし、SNSに、私は最近はまっている。イン●タ、ツイッ●ー、ひらめいたことをつぶやき、その数を競う。平凡な日常でいくどかあった、“コンテスト”と地続きだ。写真をあげたり、文章を上げたりするけれど、私はどれも本気じゃない。
 私は、人並以外の何もしらない、けれど時々本気をだして、小説をかく、時折、街で猫を見ると、愛嬌に魅せられるでもなく、ただ、母性や何かの代わりに、苦痛に感じることがある。黒猫だ。黒猫をみると、特にそうで、創作欲と、実際、創作の完成度を上げられるときがある。

 けれど、私のすべては、非日常も日常も、何処にでもいるような人間で、人並だ。私を信じるものがあっても、私は裏切り、私を偽るので、何もかもが、どう頑張っても人並みだ。
 半面、違うかもしれないと思うときがいる。時折、私をほめる人がいても、私はそれを疑って見せる。私は、人並ではないもの、人並ではな苦痛を幸福を知っている。それは、いつかのこと、通学の帰りにおいかけた黒猫の、おいつめたときにみた表情、雰囲気、暗すぎる瞳の中に潜んだ光こそが、全て、私の代わりに私の事実をかたっている。だから私は、それを容易に人に話さない。

 いつか、私は私を殺したことがあった。私は、私を殺す必要があったのだろうか?私は、それほど、世界にとって不幸なことをしたのだろうか?。ふりかえれば、随分昔。それは私が、大人というものが理解できなかった小さなころの、記憶だ。私は私が小さな、学生だった時には、これほどその記憶を、強く重要だとは思っていなかったかもしれない。なにせ、私は小学生のころの思い出に何の不満もない。今でも親しい友達もいる。今の生活にも得に不満もない。それなりに友人もいて、彼氏もいる。ただ、私はそのいい思い出しかない筈の学生時代、その初期の初期、小学生のころに、強いトラウマがある。それは普段の、学校、塾、それから社会人になり、社会に所属し、日常をこなす(実社会へコミットメント)するようになってからは、社会の歯車としてひっしに働き、家計をやりくりし、普段の生活と業務と、法と規律だけを信じ、ただ、そんな日々のルーチンワークをこなす中でも、永遠の疑問となった。私は、小学生の頃にトラウマがあって、私と仲の良かった少女(仮にA子とする)が、裏切ったことがあった。
 あの春、新しいクラスと、進級。女児たちのコミュニケーションは絶妙なバランスをつくっていたけれど、両親がモデルをしているというB子はクラスの人気ものであり、ファッションリーダーだった。地味で、普通女性の興味がもつものに興味の薄い私は、格好のまとになった。
 『ねえ、このクラスの中でさ、だれか、えらそうに、生意気ぶって、しったかぶりをして、おとなぶったポエムをかいている人がいるっていう話をきいたんだけど、本当?』
 その後、私はさらされた。私は、恐怖にさらされた。春の終わりかけ、5月16日(木曜日)の事だった。私はその後、ノートをとりあげられ、クラスのみんなの前で、女児たちのリーダーとなっていたB子、そして標的を指定した、私の友人A子が、そのリーダーグループ三人組に(C,D子)スポットライトをあてられたまま、一日中避難されつづけた。
 『生意気、ませている、大人ぶっている、かしこしら』
 この言葉はトラウマで、いまでも使えない。文章だけを頼りに、こっそり、インターネットで小説を書く間にも、絶対にこの文字はつかえない。

 その出来事の一番のつらさは、つまり友人こそが、私の文章と文章力と、その芸術性の初めの発見者だったことだ。その前年の小学3年の冬休み、私は家に初めて友人を招いた。祖父のたてたボロボロの屋敷で、大きなクヌギの木があり、畑もあり、祖母がよく畑の手入れをしていた。収穫の多い秋ごろには、時折狸や野生動物が迷い込む。片田舎で、近くに大都市圏があり、つまり、本当にませた人々やその子供たちは、私のような家と、その田舎臭さ陰気くさを嫌がっていた。だから悪い噂の標的になっていた。けれどはじめての友人A子は、そんな家にきて、普通に接して礼儀ただしく、母とも祖母とも話しをしてくれて、その一日は、一家にとって、いい思い出だっただろう。私も、ポエムやら、小説やら、私がすきだったものを、つくえからひきだし、みせるたびに褒めてくれて喜んでいた。今でも思いだす、一緒にお茶やお茶菓子をたべて、リビングでくつろいだ夕方、A子の帰宅、その後の家族のだんらん。

 後から見れば、それが苦痛の始まりだったのだ。いじめはしだいにひどくなり、2ヵ月ほど続いた。その後、いじめの主犯格が、私の家に謝りにきた。母親が担任から、いじめをしらせられ、是非内密にと菓子折りもって謝りに来た。それはもう2週間ほど、それ以来、私の日常は普通になり、影ではすべて隠されて、私はその話を、永遠に、なるべく、隠す事にきめた。
 
 実は、A子は今でも私の友人だ。そしてその話を、時折すると、まるで大雨のような、大粒の泪をながすのをしっている。だから私は彼女の前でその話しをすることをなるべくさけている。

 けれど、小学生のあの5~7月は今でも、苦痛で、私はそれから、ずっと自分の文章と言葉をうたがっている。何せ私は、昔から内向的で、人と話すのが苦手だったからだ。それが、人にとがめられるなんておもっていなかった。そして、その後に起きた出来事はさらに私をくるしめてくれた。私は、だから私は、私を殺すことを疑問に思わなくなった。あの白黒猫を追い詰めた後、私は猫に尋ねた言葉も今でも思い出す。
 『あなたは、本当は言葉を話すのでしょう?そしてあなたは、私の苦しみと幸福をしっていて、私のために話てくれるわね』
 どうかしていたのだろう、アニメとドラマのみ過ぎたろう。仲の良かったA子ちゃん、あの子が、クラスのいじめっ子の女の子に、私の、私のポエム帳を公開して、公開処刑してから、私は私の、普段の社会への業務(コミットメント)に疑問を抱きはじめていた。通学、通勤、テスト、資格、受験。そのすべても、それだけではものたりなかった。こなすだけでは物足りない。私はいつも、私の形を探している。あの時否定された、私はあのときしんだのだと、今はおもってしまうのだ。

 おいうちをかけたのは、冬休みの出来事だ。あのいじめっ子のB子がテレビでインタビューをうけていた。

 『小説なんて、なんてことないんですよ、だって、私の腕にかかれば』
 
 ニヤついたほほえみ、小学生のコンクールで賞をとったあの子、出版社Bの夏休み中のコンクールで、私は小学3年生のころだった。いじめっ子のほほえみ。いつも思いだす。裏側で何をしていたかを、あのしたり顔と、ませた言葉つき、きみが悪くてみてられなかった。私に、私のポエムを見くだして、クラス皆の要る前で、私の友達を背後に隠しながら、けたたまし笑い声をあげた。
 『才能ないから、死ねよ、何も才能ないんだから』
 あの時とは別人、私は、あとからA子に私は、衝撃の事実をきいた。それは、進級前の冬休みで、ひたすら私に平謝りをして、中を取り戻したあの子が、良心から、あの時と同じ悪意を持つような言葉を、今度はB子にむけてはいたのだろう。
 『あなたの小説、まるぱくりだったよ』

 それ以来、私は世界を信じられなかった。表向きの現実と、裏側にある現実は、いつも違っていて、誰かに不条理をおしつける。あの黒猫は、私の前を、何度も何度も、頭の中で、いつものリズムでかけていった。それは日常と同じだった。非日常と同じだった。

 いつか、私の日記を取り上げたあいつの文章を超えられたとき、私は裏側とも、表向きの世界とも正しく交渉ができるようになるだろう。

 私は、あの取り上げられた日記の文章を、裏切り、憎み、超えようと考えて居る。あのいじめ、あれ以来、私はいつも探していた。あれから10年、平穏無事な生活をこなしている、只機械的にこなしている。あの光景に、いつかなくした私の主張をみていた。私の苦しみは、人とは違う。形のきまったことよりも、深く苦しく、ある意味ではそれより軽く、明るい。私の苦しみは、人とは違う、それをうまく口にできなくて、小説をたよった。いずれ誰かが、それを裏切り、だれかが、それにこたえることもあるだろう。それでもまだ、満たされない。私の言葉は、人と同じように形にはできない。人が喜ぶときに喜べず、人が楽しむように楽しめず、人が苦しむように苦しめない。だからこそ、私は、私の場所で、私の形を形にするという事を、諦めてはいないのだ。

 人には裏も表もある。その事実を指摘したうえで、この世界に私は、嘘と欺瞞でみちた、私の夢を小説に託し、いつしか、ちゃんと発表したい。ただそれだけが、恨みと同時に、幸福を他者に与える術なのだと、すでに知っているからだ。

 今でも思う。
 『みてるか、立派な人間ども、私はゴミだ、都市のゴミ、けれど、お前たちほどじゃない』
 隠した自分を、大きく変える方法をみにつけた。私は、よわい人間に、とてもやさしい。

 おしまい。

死別と祝福。

死別と祝福。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2020-03-24

Copyrighted
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