えいえんに夜のそこで
絵のなかの海のように、おだやかに、凪いでいる、日々、というものは、まぼろしで、いやなことがあると、だれかのせいにして、それで、ゆるされるなんて、おもっていないけれど、でも、ときどき、どうしようもなくだれかを、うらみたいときも、ある。
にんげんって、そういうものかしら。
いつか、菜の花にうもれて、黄色い波にたゆたって、目をつむりたい。きみがそう言っていた春の日の、いきものたちの息吹を、はだで感じた瞬間の、すこしだけこわいのと、なんだかうれしいのと、わけもなくかなしいのとがいりまじったものが、わたしのからだの奥底で、静かに渦をまいている。きらいなひとを、きらいだと、切り捨てることは容易いけれど、きらいなひとを、好きなひとに変換するのは、むずかしくて、きらいなひとを、じゃあ、さけてとおれるかといえば、よのなか、そういうわけにもいかない場面が、あって、けれども、まいにち、だれかをきらうのも、うらむのも、つかれてしまうし、なんだかなって感じよね、と愚痴を吐いたわたしに、きみはほほえみ、うなずきながら、ホットミルクをいれてくれたね。泣いた。
えいえんに夜のそこで