ユメウツツ

ぱぴぽ

ユメウツツ

暗闇の端を白い光の霧が散る。ひやりと涼しいはずの空気は私の背中をふしぎとぞくぞくさせる。いつも綺麗に手入れして揃えている指先の感覚が一切無い。私はここが地球の一部だとは思い出せなかった。身体を小瓶に押し詰められて海へと乱暴にボトンと投げ捨てられたよう。それでも瞬きをすれば朝の教室にテレポートできるよう。それでまた、目をつぶって、まぶたを開いたら、海面に揺らされながら空を見詰めているんだ。
ここは夢ではないか、と、そう、人は眠りの深くなかでは気づけないんだっけ。覚醒して現実でやっとそれはおかしいと認められるのだから、これもきっと大したことないはずだ。私は夢を見ている。そしてそれを知れない。だって、夢なんだ、から。

「ここが夢ならば、そうだ、霧の奥まで歩いて行こう。木にひそむ悪魔に体を八つ裂きにされたって、底の果てしない落とし穴に落ちたって、私は一滴も血を失くさないでしょう」

恥ずかしながら、私はいつもと違って、気を強くしてずんずんと前に進んだ。だってそうでしょう。起きてから、『ああ、夢の中なら何をしても良かったんだ。あれをしときゃよかった、それをしときゃよかった』って、後悔するんでしょう。どれだけ強い風が頬を切ったって、痛くないんだし。

「は、あ、わぁ」

がさがさと葉と枝を歩き越えてたどり着いたのは、水銀の池だった。その通り、銀の水の池。震えることはなく、私が覗き込むと全く同じ形の私が私を見詰め返してきた。ネイビーブルーの空と松を薄く照らしたうず巻く輝き。それは池の奥の奥の奥から、とっても遠くから、足元と世界に色をくれているんだ。いつの間にか、森は灯りに染まり澄んで葉の輪郭をくっきり見せ出してくれた。
私の心は弾み返った。ここと同じ律動で。やっと朝になったような、意識に足元を浮かされた。
光と影がねじり結われたこの奇妙さに引っ掛かりながらも、私は鋭いことに勘づいた。単なる妄想に、謎の根拠を伴わせた。ここって、もしかしたら、
『この世界を造っているんじゃ』



「へ」

『って思ったでしょ』

ひとりの幼い少女。

あっ!

「なんで分かるの!?!!!」

驚いたあまりに、私は大きな声で問うた。とても失礼だと感じたんだけれど、その通りに、彼女は煩わしさをわざと示すために、耳をその小さな小指でぽりぽりと掻いた。『なんだろう、性格悪そう。肌が透きとおってて雪みたい。手足が細くて、軽すぎて飛べそう。エルフとか言う、妖精とか言うたぐいの、彼女は、生き物じゃないんだ

ってまた思ったでしょう』

「そう!」
なんで分かるの。彼女は、彼女は、


『あなたの想いえがくことなんて、知るには容易いわ。でも、あなたの知ってること以外、知らないんだもん。あなたが訪ねたことない場所だって想像もできないし、半ぶんしか理解できてない相対性理論だって、私もそれしか分かんないの』

どうしてくれるの。と、か細い声でぶつぶつ呟く。少女の声は、空気をふんわりと駆けて私の耳に触れて来た。相対性理論なんて、私も彼女も理解したってなんにもなんないて。それに、そんなの私には、どうにも。って、どうにかできるのかもしれないけど。
あまた不機嫌な顔をする。なんで彼女なんかに、私の考えを知ることができるの。

『あ、もう何もわからなくなった。私もう何も聞こえない。あなたの思考はまだ回り続けているはずなのに?わからなくなっちゃった。どうしてくれるの。私の居る意味がなくなったじゃない。どうしてくれるの。ねえ、ねえ』

そのぺらぺらな脚、池に呑み込まれないのかしら。彼女なら、もがいたってあがいたって一度引っ張られたら一瞬で消えるのに。
でも、いなくなったら寂しいかも。ここは寒い。まんまる二つの硝子玉が、私を無垢に見る。彼女は、きっとこの時間だと冷えるのよ。と、軽く言うことももうできない。

「あなたは、なんでここがつめたいか知っているの?どうしたら、もっと暖かくできるの?」
『知ってるの。運が良ければ、あなたは寝返りをうったら、あなたが毛布に胸をうずめれば、ここはとても温かくなるわ』

「あなたの名前ってなんなの?」

『なんて呼びたいの?なんて名付けたいの?カッパでも、鹿でも、おにぎりでもいいわよ』
昔のヨーロッパのどっか森に住んでいそうな彼女が、そんな単語を口から出して私は違和感をおぼえた、けど、指摘して笑ったら怒られそう。そうでもないかも、だけど。

「私、別にあなたの名前なんて付けたくないんだけど。どうすればいいの。あなたには意志がないの?」

『どうせあなたの想像で創られている私なんだから、意志なんて存在しないの。独立したオブジェクトではないの。馬鹿じゃないの?そんなことすら理解できないの?』

腹を立てた声でも、なかった。ふつうに、少女は感情を映さずに言葉をすらすらと並べた。彼女の振る舞いや言動は、その身に纏っている白くさっぱりしたワンピースみたいだった。彼女は、私が買い替えようと思って絵を浮かべた欲しい椅子の図と、レジに並ぶ際に一人しずかに立ったまま頭の中で足したり削ったりする数字と、何も違わないのかもしれない。

「ここには、何があるの?」
『あってほしいものがあったり、あってほしくないものもあったり。とても自由な場所よ。でも、あなた自身を変化させることはできないわ。ここでドーナッツを食べたって、あなたのお腹はちっとも満たされないし、あなたがどれだけここで恐怖にさいなまれたって、日が昇れば嘘になるかもしれないの』

なぜ、そんな意味のわかんない遠回しな言い方をするのか私は理解できなかった。少女は、爪先で銀の池に波を立たせ、粒を空中に散らばせた。彼女のその金色の絹の前髪や、さらさらした頬の肌に当たったしたたりは、すぅと蒸発するかのように直ぐ消えて行った。彼女は、揚った脚をふたたび水の中に、ばちゃんと捨て戻した。

「あ、あの光はなに?」

『ああ』

と、言ったまま、彼女は何も教えてくれなかった。と、言うより、彼女は知らなかったんだと思う。ただなんとなく、ああ、と言っただけなのだ。
きらきらと、黄色い丸い何かが水面を漂ってきた。小さな池なにも関わらず、それは地平線の裏側から寄せられて、目の前に姿を見せた気がした。それなのに、私が視線を離した隙に、コッソリと光をかざしていた。

「かわいい!!」
金色の種を覆った、小さな木の実。しかも果実はまるごとえぐり出されたみたいに、空っぽでガラスの皮と輝いている種しか見えなかった。彼女がそれを自身の手に収めてころころ転がすと、閉じ込められた虚空の中を種が重力に従って走り回った。


「食べられるんじゃない?どう?」

そう言ったら、彼女はすぐに口の中に入れた。ボリッ、ボリッ、って音がして、私はすぐに感知した。皮は砂糖で、種は蜂蜜とフルーツジュースが詰められた飴の味。冷たい砂糖がはんぶん溶けはんぶん崩れて、彼女はその細かくなったくずを無表情で呑み込んだ。

『喉が熱い』
「どんなふうに?」
『温かいお茶がそのまま降りないで揺れてるみたい』
「美味しかった?」
『わかんない。美味しいって何?』
「あなたが口に入れて好きって感じたことよ」
『好きって何?』
「それはあなたにとってならば私も分からないわ」

そう、とぽそり呟いて、彼女はつまらなさそうに頬杖をついた。桃色のほっぺたがやわく歪む。青い瞳はゆらゆら薄れてゆく黄色いかがやきを見つめていた。私は、彼女が何処にも行かないことを確かめるために、ちょこんと隣に座り込んだ。そして、ぱちぱちと鋭く緩んでくあかりを一緒に眺めた。そしたらいくつか経ち、空は私たちに沈黙を与えたくなかったのかすぐにそれはなくなった。また、それはただの水銀の泉に戻った。

「暗くなっちゃったね」
『あの知らない実が無くなったってそれは問題ない。元々ここは明るい』
「そうだった!」
私が気づいたら、頭上の星たちも揃って白く瞬いてくれた。首を曲げて見上げたので、藍色の海に、雲が泳ぎ始めた。そよそよと、私たちをおどかすかのように左から右へと大きく、流れてゆくのだった。空を見る私を彼女の透けた瞳が見る。

彼女は立ちあがって、音を立てずに水の中に両脚を差し入れた。無言だった。そしてその中に呑み込まれていく。前の下に進んでく。
「どこ行くの」
少しずつ、少女の体が黒い液体に溶けて、慌てた私はあっと口を開けてそくざに背を起こした。
「どこ行くの!」
もし、彼女が自由になったならば、と思った。彼女は私の声に応えないし、無視してどこかに行こうとしているんだ。私がこれを知らない所で望んでいるんじゃないかと、考えるつもりでも、私にはできることがない。

肺に溜まった炭素をこぷこぷ泡にせず、彼女の顔が鼻先まで沈んだ時だった。長い髪の毛が水面に沿って散り広がっていた。彼女は顔を回してまた前を向いた。私はなにがなんだかのまま彼女の後ろを着いてくことにした。きゅっと、小さな手が私のを握った。苦しいことはなかった。

「っは」

私たちは夜空の上に浮かされていた。ふわふわの灰の雲を踏んだ足は感覚がないに等しかった。私はあちらこちらに落とされくっつけられた星たちを一つずつ目で追い、彼女はまた興奮ぎみに頬を膨らめるその私を観察する。目を凝らせば、白い光を射すものだけじゃなくて、赤や黄色、碧、紫まで異なったスペクトラムを振り撒く星の姿があった。

「濡れてない…」
『濡れてない』
乾いた手を、それは、もう離されていたのだけれども、少しずつ上に持ちあげると皮ふの柄が見えるくらいに明かりと影がしっかりコントラストして見せた。

「この中に生きているものっているの?」
『いない』
「あなたは違うの?」
『じゃあ生きているってなんなの?何のことを話しているの?』

「…さあ」
馬鹿になった。うーんうーんと喉を唸らせて考え込んでみようとも、なぜかとても無理みたいだった。

『話を合わせるだけならできるけど?』

澄んだ彼女の両眼が広がる景色をとらえた。青くて黒いキャンパスに降った小さな粒を明確に、細かく、映し出す。私は体を囲む空間よりも、吸い込まれてしまってもいいとその径12センチにも達しない額ぶちの中をのぞこうと自覚せずに熱中した。潮に下へと押し込まれて流されるプランクトンがかがやく水中の夜、そのちいさな浮遊生物たちが渦を起こして美しい波を作る。

『空を飛んでみたい?』
「落ちたらその後どうなるの?」
『何時かによる』

気を失ったかのように頭を捨てて、とんっと足元を蹴ればおちる。束ねられていない糸の髪はなびいて上半身があっけなく彼女はひたすら目の前を引きちぎって流れ星になって虚空を裂いて行った。とても速く速く加速をしベクターを直線にして私はそれを定義することは不可能だった。結ばれた手は溶かし絡められた鉄よりもガラスよりも何よりも固く私二人は地面に向かって、向かって、視界が眩暈を及ばすほどうつり変り、私は瞼を閉じそうになって、彼女の肌からラズベリーの甘い香りが漂う。火薬がバクハツして私たちの肉を散らし、どろどろに鉄と水とヌクレオチドを混ぜ合わせて、それのひと塊を角砂糖みたいにミネラルウォーターの入ったグラスにぽとんと落とすのだ。



私は小さな棚の上に置いたハンドクリームを手の真ん中をはじめにして伸ばして塗った。4時間前に飲み乾されてからからになった容器は朝日に光り、それは昏睡した私と繋がりひとつになっていたことが分かった。おはよう。これは、きっと、一日っていうやつですか。

ユメウツツ

ユメウツツ

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2020-03-23

Copyrighted
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