落下から始まる物語1
物語を思い付く時、冒頭を考えると、その大半が落下から始まるのが、不思議です。
この物語とは、かれこれ25年の付き合いですが、やっぱり、始まりはいつも落下です(笑)
主人公は、坂松然世子(さかまつさよこ)さんと言います。
彼女の物語は、随分長い事、結末に辿り着けないままでした。
なので、最終章から書き始めてみました。
00220222ー1
季節外れの文化祭(東七高等学校新校舎)
未明から低く垂れ込めていた鉛色の雲が、朝になって、とうとう小雪を降り散らせ始めた。
それは季節外れの冬の文化祭だった。
紛れもない「事件」の影響で、第十九回東七高校文化祭は、過去に例がないほど盛況だった。実行委員会は、開始後一時間で、すでに前年の来場者数を越えたようだと発表していた。
顔馴染みの実行委員達が独楽鼠のようにきりきり舞いしている様を想像して、然世子はちょっとだけ愉快な気分になった。
しかし、彼女の口元に浮かんだその笑みは、舞い散る小雪と同じように、儚く融け、消え去った。
然世子が避難場所に選んだのは、通称「文化部長屋」と呼ばれる、校舎とは別棟になった四階建ての建物の屋上だった。誰が持ち込んだか知れないパイプ椅子に腰掛け、四囲から湧き上がってくる喧噪を遠く聞きながら、然世子は、この数ヶ月の間に数え切れないほど繰り返した溜息を、力なく、白く、吐き出した。
統一歴二十二年、二月二十二日。
彼女の名は坂松然世子。
その時の彼女は、ニュートーキョー東七高等学校に通う子供だった。
「事件」で名前が出たこともあり、彼女が会長を務めるSF研究会の展示会場も、ひっきりなしに来場する観覧者で盛況だった。
なにしろ、展示品の中に、あの「パワードスーツ」があるのだ。「事件」で活躍した本物の機材に実際に触れる事が出来るとあって、一般の見学者も多く、その中には、報道関係者も大分混ざっていた。
未成年である然世子は、事件の主要な関係者としては異例なほど取材攻勢を免れていたが、今日はそう言うわけにも行かなかった。最初は我慢して記者達の相手をしていたが、切れ目無く押し寄せる彼らの、異口同音の質問に、愛想良く答えることが出来たのは、せいぜい一時間だった。
然世子が限界に達しつつあるのを一早く見抜いたのは、部員の上田で、すぐさま彼は、然世子の「挨拶映像」を撮って会場の入り口で流す段取りを付けた。勿論、然世子はこの提案に飛びついて、残された全ての力を振り絞って愛想笑いを顔に貼り付け、短い立体映像を残すと、這々の体でこの屋上まで逃げ出してきたのだった。
この身代わり映像は、SF研究会の展示会場入口でエンドレスに再生され、普段決してみせることのない、取り澄ました然世子の姿は、悪友から格好の話の種にされて、この後何年も彼女を後悔させることになった。
しかし、この時は、勿論そんな先のことまで考えられる余裕はなかった。
「皆さん、本日はご来場いただき、本当に有り難うございます。あのような出来事があったにも関わらず、今日の、この日を迎えられたのは、大勢の方々のご支援があったお陰です。本当に色々なことがあった一年でしたが、今日は、私たちのこの一年の活動の成果を、どうか、ゆっくりご覧ください。」
せめてこの三倍の長さを喋っていれば、あれほど耳についたり、友人にモノマネされたり、ニュースとして映像全編が報道されたりしなかったかも知れない。とは言え、笑顔の方がこれ以上続かなかったのだから、やむを得ない。
ともかく、この身代わりのお陰で逃げ出すことに成功した然世子は、関係者以外立ち入り禁止のこの屋上で、無為に溜息をつけるだけの落ち着きを手にしていた。
?
最初に然世子が感じたのは、目眩だった。
疲れてるのかな・・・。
!
目眩ではなく、それが地震だと気が付いたのは、二度目の異変の時だった。
一瞬の間も置かず、然世子は自分の携帯端末を取り出すと、会場にいる副会長、アランの携帯端末を呼び出した。
二度目のコールで、アランが応じたのと同時に、然世子は、いきなり用件をまくしたてた「地震のようだけど、そちらに異常は?誰か怪我したり、展示物が落ちたり、倒れたりしてない?」。
「展示はだイじょうブ。みんなも無事ダ」然世子のこう言った調子には慣れっこになっているので、アランも平然と答え、携帯端末のカメラを使って、室内の無事な様子を一渡り然世子に見せた「そナえあれば、うマイなしダナ。」
きっと、咲子が隣で突っ込みを入れているだろう。
然世子には「憂いです」と言う咲子の声まで聞こえたような気がした。
「了解、一度そっちに戻るわ」その然世子に答えたのは、アランの携帯端末を奪い取った見知らぬ男だった。
「坂松然世子さんですね。高橋です。私が行くまで、今いるその場所を動かないで下さい。」
十秒ほど考えて、然世子は困惑した声で言った「すみません。どなたですか。」
「高橋です。共和国政府の、警備担当補佐官の、去年の事件の時にお会いした、ジョエル=ロングの部下の、高橋です」必死の訴えに、ようやく然世子の記憶の中で、一つの顔に焦点が結ばれた。
「ああ、思い出しました。」
「・・・ともかく、お話がありますから、動かずに、そこで待っていてください。」
一方的に通話が切られた。
事態の急変に、然世子の思考はまだ追いついていなかった。ともかく、動いてはいけないらしい。
取り敢えず、また溜息をつく。
この数ヶ月、数え切れないほど溜息をついた。奇妙な胸のつかえが、そうさせるのだが、実は、然世子にもそのつかえの正体が今一つはっきりしていなかった。あの事件に関係する「何か」なのは間違いないのだが、彼女の心は、まだその秘密を明かしてくれない。
PTSD診断でも、今のところ深刻な後遺症はないと言われているし。
自分自身の心だから、いつか、かならず秘密を明かしてくれるに違いない。
それを待とう。
然世子は、そう結論していた。
「そう言えば、高橋さんは、ここが何処か分かってるのかな。」独り言に乗せて、然世子の吐き出した白い溜息が消えるのと入れ替わりに、遠くから、金属質の轟音が聞こえ始め、速やかに彼女の真上へ達した。
反射的に顔を上げると、一瞬遅れて、強烈な風圧と轟音が彼女に打ち下ろされる。
たまらず眼を閉じ、耳を押さえ、その場にしゃがみ込んだ。
ヘリコプターが真上でホバリングしているのだと気がついた、その瞬間、
ズシン!
然世子の周囲を、重いものが落下してきた音と振動が次々に取り巻いた。
始まった時と同様に、急速にヘリの轟音が飛び去り、恐る恐る目を開けた然世子の周囲を、今までとは違う、滲んでぼやけた風景が取り巻いていた。
その滲んだ風景の一部が、ノイズを走らせながら、ちらつき、白い強化服に身を包んだ武装警官の巨躯が一瞬だけその姿を見せた。強化服とは言うが、実際にはパワーアシスト機構を備えた甲冑であり、所謂、本物のパワードスーツである。その純白の装甲が一瞬ちらついたかと思うと、再びその表面に周囲の風景が映し出され始めた。着地時の衝撃で一瞬だけ途切れた光学迷彩機能が再起動したのだろう。
然世子の周囲は、賑やかなモーター音と、滲んだように見える、解像度の低い屋上の風景に取り囲まれていた。
然世子はノロノロと立ち上がる。
そこに、高橋が駆けつけてきた。
事態は、彼女に追いつく暇を与えるつもりは無いようだった。
「坂松さん、こんな時に申し訳ありません」そう言いながら、彼女をガードする武装警官の間をすり抜け、然世子の傍らに来るまでに、高橋は二度、見えない警官に頭をぶつけた。「心配する必要はありませんが、万が一に備えて、あなたを保護させていただきたい」それでも、痛そうな素振り一つ見せずに、そう続けた。
「どうしたんですか」見ているコッチが痛いな、と思いながらも、高橋の努力に敬意を払って、然世子も努めて平静にそう言った。
「今は詳しく話せません。問題が解決すれば、説明できると思いますが。」
「そう、ですか」然世子は、自分にも言い聞かせるように答えた。
しかし、意志と裏腹に、突然、然世子の胸は激しい動悸を打ち始めていた。然世子には、その鼓動が目の前の高橋にも聞こえてしまいそうに思えた。
落ち着こうと目を閉じてみたが、それは事態を更に悪化させただけだった。平衡感覚を失っていた然世子は、激しい浮遊感と目眩に襲われ、思わず短い悲鳴を上げた。
慌てて目を開くと、高橋が然世子の異変に気が付いて怪訝そうな顔で見ていた。
「あ、あの・・・」然世子は顔を真っ赤にして必死で呻いたが、何を言うあてもなかった。
胸の奥で、何かがミシミシと軋んだ。
然世子には、急に分かりかけていた。
軋んでいるのは、胸の奥の、あの「つかえ」だった。
「大丈夫ですか?」高橋がそう聞いた瞬間だった。
胸の奥で何かが砕け散った。
いや、寧ろ、砕け散ったのは、彼女周囲の世界全てだった。
胸の奥で目映い光が爆発し、彼女が立つ世界全てを瞬時に塗り替え、そして、然世子は叫んでいた。
「彼に会わせてっ!」
その言葉の意味を飲み込めず、高橋は然世子の顔を見返した。
然世子はその高橋の視線を正面から見つめ返した。
高橋が驚いたのは、強烈な意志に輝く、別人の様な然世子の顔と、その瞳からこぼれ落ちている大粒の涙の両方についてだった。
「ど、どうしたんですか。」
「会いたいんです、彼に。彼に会わせてください。」
そう言いながら、然世子は、自分が涙を流していることにようやく気が付いていた。
落下から始まる物語1
こんな所で放置ですみません。