救い、救われた私たちは救われない
のんびり書きます
1話
私はある日、知らない人の身代わりになってトラックに轢かれた。これを聞いた人は一言一句変わらずこう言った。
「すごい。まるでドラマみたいだね。」
私はこの話を聞いていつもうんざりしていた。
とっさに身体が動いて助けてしまったのはまだいいとして、全身打撲した上に、色々な場所を骨折。おかげで今年、あの事故の日出席すればとれていた単位を落としてしまった。大学一年目から単位を落とすなんて思っていなかった。ほんとにもう、踏んだり蹴ったりだ。
「嫌になってくる。」
私は病室の窓の外で蕾がつき始めた桜の木を眺めながら毒づいた。
俺はある日、トラックに轢かれそうなところを見ず知らずの人に助けられた。これを聞いた人は口を揃えてこう言った。
「すごい。まるでドラマみたいだね。」
だが、俺はこの言葉に些か同意しきれない節があった。
先に断っておくが、救ってくれた人に感謝していないとかそういうわけではない。
それでも、これが美談だというのは本人の意思を無視した極めて勝手な言い分なのではないだろうか。そう俺は思う。自分にしか原因がない状態で轢かれかけたのに、それをかばってもらう形で見ず知らずの女性を巻き込み、大けがを負わせる結果になってしまった。なんて不甲斐ない話なのだろう。それに普通これが物語の世界なら男性と女性で立場が逆なのではないだろうか。
「そう言って、ぼやけるような立場ではないんだけどな。」
四面楚歌でやり場の見つからない、もやもやとした灰色の気持ちはどこにやればよいのだろう。
そんなことを思いながら見上げる桜。その背景には心にある色はなく、澄み渡った青があった。
私の彼氏がトラックに撥ねられかけた。そんな話を聞いたのはその事故があった翌日のことだった。本当ならその日のうちに教えてほしかったものだが、それよりも生きててよかったという気持ちが勝ってしまって、叱るに叱れなくて、それどころか泣き出してしまった。そんな私を彼は笑って「ありがとう。」って言いながら慰めてくれた。
そして私が落ち着いたら自分を救ってくれた女性の存在を教えてくれた。ドラマみたいな話だと思った。でも、そのあと警察からの取り調べとかがあってお礼の一つも伝えてられないという。それに彼女はかなり大きな怪我らしい。
私も一緒にお礼に行くというと、少し驚いた表情を見せて、しばらく迷った表情をしていた。でもすぐに私の目を見て、「ありがとう。心強いよ」と笑って言ってくれた。
そして今日、病院の前で桜を見上げる彼は、桜以外の何かを求めるような、そんな色彩を欠いた瞳をしていた。
「でも、私にはそのことを話してくれないんだ。」
そっと漏らした私のほうに向き直した彼は優しく微笑む。
2話
私にかばわれた人がやってきた。まあやってくることは大方予想はついていた。
「こんにちは。石崎と申します。この度は本当にどうお詫びをしたらいいか、本当に申し訳ございませんでした。」
病室に入ってきたと同時にそんな型式ばった謝罪の意が述べられた。
「ううん、別に気にしてないから。それより石崎君、だっけ?君は大丈夫だったの?」
「はい、おかげさまで無傷です」
そんな互いにテンプレートから全く離れないやり取りをしたのだが、私は彼の一歩後ろで立っていた女性に目が行った。
「その方は、石崎君のお姉さん?」
でも、二人の間に流れる空気は家族とはかけ離れているように思えた。
「紹介が遅れました。彼女は…」
「私は彼、石崎亮二君の彼女の徳野庵と申します。今回の件、私からも一言お礼申し上げたくて彼に無理を言って同伴させていただいています。本当に彼のことを助けていただきありがとうございました。」
綺麗に肩口で切りそろえられた少し色が抜けた髪、それに凛とした声。あざとらしくない自然な化粧。美人だった。というか、今風な子だった。
「それで僕の両親なのですが、申し訳ないのですが、共働きで時間が作れなかったため後日、改めてお礼申し上げに参ります。」
「うん。わかった。ごめんね心配かけて。」
「助けられたことを感謝しているまでです。治療費に関してはこちらで全額負担させていただきます。あと、こちらお見舞いの品です。」
「ありがとう。」
何から何まで丁寧だな。高校生と聞いていたが中に大人が入っているのではないだろうか。
彼が渡したのはゼリーだった。
「では、本日は早いですがお暇させていただきます。」
「あ、そうなの。ありがとうね。」
「それでは失礼しました。」
「失礼しました。」
彼の丁寧なお辞儀の後に続いて彼女さんも頭を下げて退室する。
なんだか、思い描いていた人物像とはかけ離れていた。掴みどころがなく、文句の一つも言えないままに帰してしまった。
淡白な人だ。俺は彼女の人物像をそう評価した。
彼女の病室の前には「鴫野京子」と書かれたネームプレートがあった。
何を言っても落ち着きを払った笑顔のままで定石通りの返答。僕は彼女に何かそこはかとない冷たさを感じた。
病室のドアを閉めて「ふう」と一息ついた。
「なんか、こう、これぞクールビューティーって感じだったね」
いつもの砕けた口調に戻った庵がそう言った。
「そうだね。庵とは違うタイプの美人だ。」
「んー。浮気しないでよ。」
俺が彼女のことを褒めると少し不満そうな表情をしていた。
「しない、しない。そういう意味で言ったんじゃないんだから」
そう言うと「ふーん」と言って手を差した。それを軽く握り返すと庵は嬉しそうに「行こ」と言って手を引っ張った。
3話
鴫野京子と初めて会ってから二週間が経った。すでに両親ともお礼に行き、金銭面に関しては互いの両親同士でやり取りしたのだろう。結局、こういう時は一人では何もできないところが実に高校生らしい。
あれから、何度か彼女の病室に行ったが初対面の時と変わらないような上辺での会話だけを交わしていた。そして少しずつ彼女のいる病院へ足を向ける頻度も減ってきてお互いこのまま何もないまま終わってくれるんだろう。ほら、やっぱり。俺の人生にはそんなドラマみたいな出来事なんて起こるはずもない。そう確信していた。
だが、その俺の確信はやはりというべきなのだろうか。すぐに打ち砕かれた。
亮二が事故に遭いかけてから二週間と少し経った。高校三年になって受験生になった私。彼と出会ったのは近所のコンビニだった。去年の四月に彼は私のバイト先でもあるそのコンビニで働くことになった。私の一つ下の亮二は、ずいぶん大人びた印象を受けた。喋ってみるととても優しい人だと分かった。それからしばらく彼と働いていくうちに彼に恋をした。
亮二に「今日の放課後、どこか行こう」とラインを送ったが「ごめん、用事あるから」「明日じゃダメかな」とそんな返信がきた。
「そんなのイエスしかないじゃん。」
そう呟いた声は誰にも届かず、新しいクラスの友達としゃべることに必死な教室の中へ吸い込まれて消えた。
あの事故から二週間と少し。私は今日、病院を退院する。とは言ったものの松葉杖を使わないとまだ生活できないわけではあるのだが、それでもこれといった後遺症はなかった。
久しぶりの外の空気に少し心躍らせながら、私はいつもの場所へ向かう。どこかノリが合わない大学の友達とのコミュニケーションに疲れたらいつもここにやってくる。もともと、口数が少ないとよく言われる私は人付き合いそのものが苦手だった。そんな私の唯一の心の癒しはここだった。
土地の引き取り手が見つからないのか、私が小学生のころからずっと壊されないで放置されている廃ビル。その屋上だった。
住宅地の真ん中に位置するそれは、周りに高い建物がなく風通しが良くて、この時期は特に居心地がいい。
誰にも邪魔をされない一人きりの時間。風に吹かれて空を眺めて、過ぎゆく雲を数える。この時間が私の命ではないだろうか。
松葉杖と折れてないほうの足。全身を使って階段を登っていく。それは苦しいはずなのに、しんどいはずなのに、私は屋上へ必死に向かう。
屋上から光が差す。その光を標に登っていく。
やっとの思いで屋上にたどり着いた私の目に飛び込んできたのは予想外の光景だった。
「え…」
彼、石崎亮二はただただ、驚きを隠せない表情をしていた。多分、私も変わらない表情をしているのだろう。
救い、救われた私たちは救われない