銭の重みと仏ごころ

千葉しげる

ある一人の僧侶の話ー3

春に初めて訪れたこの寺で、 あっという間の一年が過ぎ、二度目の春を迎えようとしていた。
それまで、ガンガン働いていた僧侶も。 これではいかん、体がもたんと思い始めていた。七日に一度、
いや、せめて 十日に一度でもいい、体を休める日を作るか。そう決めた頃、 忘れかけていた例のお弟子様より、寺に文が届いた。
夜になって、住職に、座敷に呼ばれた。そして、届いた文の内容について聞かされた。
住職が言うには。 あ奴、やはりもう帰ってこれぬ、
ということじゃ。 住職は、ガックリと肩を落としていた。
それを見た僧侶が。 何故でございますか?。と、 言う前に、 住職にこう言われてしまった。 そこでじゃ、 わしのたっての願いである。 この寺を継いでくれ。頼む。と、頭を下げながら、またしても、
拝まれてしまった。
さすがに 僧侶も困り果て。 おやめくだされ。 拝まれてはかないませぬ。と、言ったが、住職は、なかなか頭を上げない。
さらに。頼む。この通りじゃ。と、依然として、僧侶を拝んでいる。その時、ちょうど一年前 僧侶の頭の片隅にあった。 そろそろ、 自分も根を下ろす時期が来たのではないかとの 思いがにわかに蘇り、 思わず。 わかりました、私のような未熟者で構わぬのなら、お受けいたします。と、言ってしまった。
言ってしまった以上後には引けぬが、ただ 僧侶 にはかすかな迷いが生じていた。 つい、引き受けてしまったが、 今の私では、僧侶としての修行が足らぬのではないだろうか。との 思いがこみ上げてきた。
だが、そんな僧侶の気持ちには気づかぬ住職は、 またしても抱きつかんばかりにただただ喜んで。
では、 わしは今から隠居するからの、 これからは離れで暮らすから、 後はお頼み申しましたぞ。と、
言い残して、満面の笑みをたたえたまま、部屋から出て行ってしまった。
部屋に一人残された僧侶は。ついその場の勢いで引き受けてしまった自分を反省しながらも。あー ここが私の居場所になるのか。と、 ポツリと呟いた。
まさか、野犬に追われて逃げ込んだ寺の住職に収まるとは、想像だにしなかった。 そして、人生とは、
本当に分からぬものよ。と、思いながら、 旅立ってからのこの六年余りをしみじみと振り返っていた。
一人物思いに暮れていた僧侶であったが、夜も更け
明日の朝も早いことを考えて、その日は床に就くこととした。
布団に潜ると、今まで借り物の布団や枕も。 これからは全部、 自分のものになるのか、、、。と、 ふと思うと、これからの、寺の復興の大変な重みを少しだけ軽くしてくれるような気がした。
朝が来た、僧侶は、朝のお勤めを済ませると、境内にある畑から、野菜の収穫をすぐに始めた。迷いはあるものの。自分は、今日からこの寺の住職なのだ。 という確固たる事実は、 若い僧侶にさらなるやる気を起こさせるのに十分な理由となった。
この一年、 境内で採れた野菜を井戸端で丹念に洗い
背負い籠に詰め込んで、 町まで売りに行くのが、 日課になっていた。
その日も、 野菜を詰め込んだ籠を背負うと、 山道を下っていった。途中、喉が乾くと、湧き水や、 谷川でその渇きを潤した。
春の初めは、山の雪解けの水ゆえひどく冷たい、 いつものように水を飲もうと、僧侶は谷川まで降りていった。 その日はよほど喉が渇いていたのか、つい
うっかり籠を背負ったまま、 川に口をつけてしまった。
すると、大事な野菜の一つが、 籠から川の中へ転がり落ちてしまった。
しまった。 大切な売り物の野菜が。と、 思って、 慌てて、 川の中に膝まで浸かって、流れてゆく野菜を追いかけてみたが、 水のあまりの冷たさに驚いて
これはたまらん。と、今度は、慌てて川の中から飛び出した。
流されていく野菜を目で追いながら。あーあー。 大事な売り物が、、、。と、 悔し紛れのため息をついた。
流れてゆく野菜を見つめながら。 しかし、 野菜とはそもそも水に浮くものよな、、、。 などと思っていると、また、ハタと 閃いた。
この谷川は、 町までつながっているはず、 ならば
いっそのこと、 収穫した野菜を全て上流からあらかじめ流してしまうというのはどうじゃ。と、 言うことを思いついた。
僧侶は、 寺から一番近い沢まで戻り、 そこから町まで、 川がどのようになっているか確かめた。
すると、途中に小さな滝がいくつかあったが、 流した野菜が傷つくことはなさそうだ、ということがわかった。 流した野菜は、 町の手前で、 川の両端を結んだ網をかけて集めさえすれば良い。
これがうまくゆけば、 いちいち、 野菜を背負って町まで降りることもあるまい。 それに、一日にたくさんの野菜が売れる。 これは名案ではないか。と、
思うと、 笑顔にならずにはいられなかった。
この話は、 今から何百年も前の話である。 当然、 現代のように川の中へ大量の下水などを流したりする時代ではなかった。 それは多少の不純物は流れ込んではいたかも知れぬが、 川の水は相当澄んでいたものと考えられる。
話は戻るが、 そうと決めた僧侶の行動は早かった。
この計画を実行するには、 協力者がいるということにすぐに気づき、 まずは、 協力してくれる川漁師を探した。
当然のことながら、タダで協力してくれる者はおらぬだろうから、 雇うという形にした。
僧侶は、 川を下りつつ、 人柄の良さそうな川漁師を一軒一軒訪ねて探し回った。
すると、もう歳だから 漁師家業はやめようという人柄の良い老人と出会った。 僧侶は、 事情を話して
ただ、 早朝網にかかった野菜の取り出しに手を貸してくれるだけで手間賃を払うと約束すると、ならば
手伝わせてもらう。と、 言ってもらえた。
次に、川から取り出した野菜の運搬だった。 当然のことだが、町のすぐ近くまで川で流してしまうと、 盗まれる心配があるゆえ、網は町の一歩手前に仕掛ける必要があった。
だから、 仕掛けの場所から町まで、 人の手で運ばなくてはならなかった。 大量の野菜を 籠に入れ、 それを大八車に乗せて、馬に引かせて行こうと僧侶は考えていた。
今度は、馬方を雇う必要があった。 僧侶は、 一旦町までゆき、問屋場を尋ねたが、 相手にされず、 口入れ屋で人足を紹介してもらい、 馬と大八車の手配も何とか済ませた。
僧侶は、一通りの手配を終えて、寺へ帰る道すがら
さて、これでうまくゆくかどうか、、、。ううーん
と、 言って 首をひねり、 余計な心配を続けてその日は暮れた。
次の日、 僧侶は川漁師の老人から約束していた網を買い、 二人で町の一歩手前で川に網を仕掛けてみた
今度は、僧侶 一人川の上流に戻り野菜を流してみた
そして、 半時ぐらいしてから網に野菜がうまく掛かっているかどうか調べに行った。
果たしてうまくいっているかどうか。 僧侶は、 期待と不安で頭の中が一杯だった。 しかし、 不安とは裏腹に、仕掛けに到着してみると、野菜は、流した数だけ網にかかり、 川の流れにゆらゆらと揺れていた。

銭の重みと仏ごころ

銭の重みと仏ごころ

  • 小説
  • 掌編
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2020-03-22

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