ネムリの花

夜の帳が下がり、一寸先も見渡せないくらいには真夜中であった。私は何故か不安に襲われてしまう。ここに踏み込んでから嫌に静かなのだ。
蟲は鳴かず、木々は揺らぐことなく、風はなく。

自然に足早となった私は纏わり付く泥に身体が重くなったように感ぜられ、止めざるを得なかった。突如として背後に発狂しそうなくらいに凄まじい力を纏った気配が現れたのだ。まるで現実味のない出来事であった。
そうして、
「どうしたのです。もう夜遅い。身体を休めなくてはなりませんよ」
奴は言霊を紡いだ。そう言霊だ。表面上は優しく心配してるように聞こえるが、その瞬間に世界は滅びた。宇宙も破裂した。そう錯覚する。もはや言葉というより、それを発するだけで数多の宇宙そのものが生成され、或いは破壊され、それだけ、いやそれ以上に地獄が幾千もの産声を上げ闘争に巻き込まれていくような悍ましさがある。けれど空も海も大地も真空も、何もかもを平然と笑って見守るような超然とした母のようですらある。
私は唾を飲み込んだ。
どうしようもなく喚起する畏れに飲まれてしまいそうだった。冷や汗が頬を伝う。
後ろをバッと振り向くとすぐ側にそいつは佇んでいた。
私は思わずに一歩後ろに下がる。
石の道から逸れてしまい、土の感触に顔を顰める。

「誰だ。お前。私が何処で何をしようと自由だろう」

すると姿も形も分からぬ、恐らく女はクスクス嗤った。
何故、こんな訳の分からない奴に振り回されているのかと思えば腹立たしくもなるというもの。いや、腹立つ!腹立たつ!なんだ、こいつ。こんな理外を認めるか!

「いえいえ、人の子よ、心配だっただけのこと。そう気にしないで欲しい。それに貴女はどうも、今夜死ぬようだ。ん、どうだ?この私と会話できた気分は?最高であろう?私はお前たちが好きだから祝福をやることにした。咽び泣けよ、人間。」

「ああ、最悪だぜ、お前」
そう乾いた喉で、なんとか言ってやった。
精一杯の強がりだ。
ほんとうに最悪だ。奴は今、私を呪った。
瞬間、風が吹いて思わず目を閉じてしまい、そして目を開けたときには彼女の気配など何処にもなかった。
まるで最初からこんな出来事なんてなかったように世界は息を吹き返していた。
木々はざわめき、風は肌を撫で、足音が闇夜に響く。
ただ纏わり付く蛇のような生々しい不快があった。

翌日、ある高所から飛び降りた人がいたとある地域で話題になっていつしか誰もが忘れていった。
ただわかるのはその人は奇跡的に生き残ってしまったというわけだ。そうして、その人は何処に行ったのか、今は何をしてるのかは誰にも分からない。

ネムリの花

ネムリの花

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-03-21

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