別れの季節
廊下に、ときどきあらわれる、ひとは、なまえを、ノグチさん、といい、ぼくは、べつに、ノグチさん、と、とくべつ親しくしているつもりはないのだけれど、ノグチさんは、なんだか、ぼくに、ともだち、のような感覚で、はなしかけてきます。しかも、わざわざ、まわりにひとがたくさんいるときに、ぼくにしかみえないらしい、ノグチさんは、べらべらとはなしかけてきて、ぼくは、ただ、うん、だの、ああ、だの、まわりのひとに気づかれないほどのちいさな声で、こたえます。ノグチさんは、二十代くらいの男のひとなのだけれど、その、ぼくをからかっているのか、いたずらっぽく笑う感じは、しょうじき、たちのわるいおじさん、にしかみえません。さくらが咲きはじめる頃には、ぼくはもう、この廊下を歩いていないのだと、しみじみしながら、ぼくと、ノグチさんしかいない、放課後の廊下で、ノグチさんに、そろそろさようならです、と告げると、ノグチさんは、そっか、と言って、そっか、ともう一度言ったときのノグチさんは、なんだかすこし、さみしそうでした。ノグチさんは、いつも、白いワイシャツに、デニム姿で、髪はさっぱりとみじかくて、やせていて、でも、やせすぎでもなくて、声は、高くも、低くもなくて、ぼくにしかみえないことと、学校の廊下に棲みついていること以外は、ふつうのおにいさんなのです。冬がおわります。春がやってきます。ノグチさんは、廊下にいます。ぼくは、もうすぐ、この学校をさります。ねむれない夜に、ノグチさんにあいたいと思うことは、まれにあります。まれに。ノグチさんのからだは、はんぶんとうめいです。はんぶんだけ。
別れの季節