奇想短篇小説『突発性自転車放置症』
「私の好きな写真は、何も写っていないように見えて片隅で謎が起きている写真だ」
(ソール・ライター)
1. 何かの手違いで足を踏み入れてしまった世界 (不幸で哀れな青年)
俺は狭いキッチンに立ったままグラスに入れた水道水をごくごくと飲んでいた。目の前のすりガラスの窓からはぼんやりと朝の光がこちらに射し込んでいた。光を見ているとこめかみのあたりがずきずきと痛んだ。どうやら昨日飲んだ酒が抜けきっていないようだった。けれども、ありがたいことに吐き気はなかった。
俺はついこの前、三年間勤めた自動車部品メーカーの仕事を辞め、それから二年間付き合っていた年下の彼女とクリスマスの翌日に別れたばかりだった (なんだかワム!の歌みたいだ)。不幸なことというのはこういうふうにつづくものなのか、と俺は思った。仕事も彼女も失い、これから先もいろんな物事がいろんな理由で俺の前から消えていきそうな予感がした (来るなら来い。こうなったら一生に一度くらいは落ちるところまでとことん落ちてやろうじゃないか、というふうにも俺は考えていた)。
そして、まわりのものを失っていく代わりに酒量だけは日々確実に増えていった。ちょうど監獄の囚人が一日ごとに白い線を壁に足していくように。とにかく要するに俺はやけくそだった。
二杯目の水道水をグラスに注いでいたところに突然電話がかかってきた。こんな朝っぱらからいったいどこのどいつだと思って、壁に掛かった丸時計を見上げると、もうすでに十時二十分だった。けっこう寝たんだな、と俺は水を飲みながら思った。それからベッドのほうへ行き、枕の下に入れてあった携帯電話をしぶしぶ取り上げて、通話ボタンを押した。それは高校時代からの友人からだった。
俺とその友人はだいたい同じ時期に上京してきた。彼は恵比寿にある小さなデザイン事務所で働いている。昔から手先が器用で絵のうまいやつだった。
彼からの電話は、蒲田に雰囲気の良さそうな銭湯があるから入りに行こうという誘いだった。銭湯か、朝の銭湯もなかなか悪くないと思い、俺はすぐに身支度を整えてそっちに向かうと伝えてから電話を切った。そのまま俺はキッチンの流し台で顔を洗い、三回くらいえずきながら歯磨きをして、グレーのプルオーバーパーカーに黒のスウェットパンツというほとんど寝巻のような恰好のまま玄関を出た。それから友人と恵比寿で合流し、電車を乗り継いで蒲田へ向かった。
蒲田へ行くのは二人とも初めてだったので、蒲田駅を出てから俺と友人は土地勘もないまましばらくうろうろしながら銭湯を探した。
しかしいっこうに見つからず、このままでは埒が明きそうになかったので、通りがかりのおばあちゃんに銭湯がどこにあるのかを尋ねた。
地元のおばあちゃんに教えてもらったアバウトな方角 (あっちの方) へ十分ほど歩いて、ほんとうにこれで合っているのかと不安になりだしたころに〝蒲田温泉〟と書かれた大きなアーチ状の看板が目に入った。
薄茶色の建物に入ってすぐのところに券売機があり、料金は460円だった。安い。コイン投入口に硬貨を入れると取り出し口から入湯券が出てきた。その入湯券は紙製ではなかった。それは金色の文字で〝大人〟と書かれた赤色の小さな長方形のプラスチック板だった。こんなものが今でもまだちゃんとこうして使われていることを知って俺はいくらか嬉しくなった。
ロビーに入ると、床には赤いバラを模した柄の厚みのある絨毯が敷かれ、こげ茶色の大きな革張りのソファーが中央に置かれていた。そこには年季の入った洋風旅館のような趣があった。建物の二階へ通じる階段があり、その横の壁に〝カラオケ 1曲100円〟と書かれた貼り紙があった。どうやら二階には宴会場もあるようだった。俺と友人は風情ある店内をざっと観察してから、フロントのおばちゃんにプラスチック板の入湯券を手渡して男湯の暖簾をくぐった。
細長い浴室に入ると、手前に小さなサウナ室と水風呂があり、狭い通路には背の低いシャワーが並んでいた。午前中にしてはわりに混んでいた。毛髪のないシミだらけの老人、異様に背中の丸い老人、片足の膝から下が何かの病気で変色している老人、普通の老人、エトセトラ老人。そしてそのほとんどが常連客のようだった。俺と友人はその老人たちの中では明らかに異質な存在だったが、老人たちは俺たちのことなどまったく気にしていない様子で、まるでひとつの大きな意思を持った集合体のようにそれぞれに身体を洗ったり、髭を剃ったり、湯船でじっとしたりしていた。
小さな風呂椅子に座る老人たちの間を抜けていくと奥のほうに湯船が三つあった。泡風呂と電気風呂ともうひとつがコーヒーのように真っ黒な色をした湯船だった。それは底が見えないくらい濃くて熱い湯だった。
俺と友人はそこでたっぷりとくつろいでから、フロントのソファーに座って俺は普通の牛乳瓶を、友人はフルーツ牛乳を一気に飲み干した。それから友人が、ここから少し行ったところにうまいカツカレー屋があるらしいと言い出した。俺は朝飯を食べていなかったので、そこに行こうと即答した。銭湯の後にカツカレーを食べるというのはなかなか粋な提案だなと俺は思ったが、口にはしなかった。
そのカツカレー屋は大きめのマンションの一階に併設されていた。どうやら人気店のようで、すでに店先に五人ほど並んでいた。列に並んでいる間に店員が注文を取りに来たので俺はヒレカツカレーを、友人は上ロースカツカレーを頼んだ。友人によると、この店は元々はとんかつ屋をやっていて、それからカレー屋を始めたらしい、ということだった。こりゃずいぶんと期待できるな、と俺は乾燥した両頬をこすりながら思った。
入店までの間、俺はぼうっと周りを見ていた。視界の右側にチェーンの回転寿司屋があり、それを取り囲むように腰くらいの高さの植込みがあった。そしてその植込みの中に何かがあるのが見えた。俺は一瞬それが何なのかうまく認識できなかった。
しかしよく見ると、それは自転車だった。サラリーマンが通りすがりに植込みに突っ込まれたその自転車を見ていた。
なぜだかよくわからないが、気がついた時には、俺は携帯電話で植込みの自転車の写真を撮っていた。その奇妙な光景を何らかのかたちで記録しておく必要があると俺は無意識のうちに判断したのかもしれない。
撮り終えてからふと気がついて左にいた友人を見ると、少し驚いた様子で俺の顔を見ていた。それから彼は俺がさっきまで見ていた方向に視線を移し、植込みに自転車が突っ込まれているところを目撃した。無言で彼も携帯電話を取り出し、俺とは違う画角でその異様な光景を写真に収めた (彼のほうがうまく撮れていた)。
それにしてもいったい何があったのだろう。いったいどんな人間がどんな思いであそこに自転車を突っ込んだのだろう。フラストレーションが溜まっていた誰かが憂さ晴らしか何かでその自転車を植込みに突っ込んだのだろうか。あるいは自転車が要らなくなって捨て場所に困った結果、たまたま通りがかったあの植込みの中に放置していったのかもしれない。
しかしよく見ると、植込みの右の方には自転車放置禁止の看板が立てられていた。これはもしかするとこのあたりで常習的に行われている行為なのかもしれない。だとすれば動機はいったい何だ。あるいはひょっとすると、その常習犯は道端で見かけた自転車をどうしても植込みに突っ込んでしまいたくなるというような訳の分からない病気を患っているのかもしれない。
そんなふうにあれこれとバカげた妄想を膨らませていると店内から「次の方」と呼ばれたので俺と友人は入店した。店内はカウンターのみでとても狭かった。入口の上の神棚のようなところにある小さな薄型テレビでニュース番組が流れていた。席についてから俺はヒレカツカレーの他にアサヒの瓶ビールを追加注文した。
店の外で並んでいるときに事前に注文を済ませていたので、料理はすぐに提供された。ヒレカツは特製のピンク色をした岩塩をかけて赤い福神漬けと一緒に美味しくいただいた。俺と友人は腹をすかせた孤児のようにそれぞれに無言でカレーを平らげた。それで食欲は満たされたものの、やはり揚げ物とカレーはすごく胃がもたれた。
俺と友人は少し休んでから代金を支払い、胃をさすりながら退店した。
それから俺は目線を上げた。そこには植込みがあり、やはり自転車が突っ込まれたままだった。
それからというもの、俺は街中や住宅地や公園を通るたびにそこにある植込みに目がいってしまうようになってしまった。
そして驚いたことに、そこには少なからぬ数の自転車が突っ込まれていた。そのおかげで ―と言うのが適切な表現かどうかはわからないが― 植込みに自転車が突っ込まれている光景というのは案外それほど異様なものではなく、どうやらわりに日常的に見られる風景であるということが判明した。ひょっとすると東京という有象無象の人間たちが一所に暮らしている特殊な環境がそうさせているのかもしれない。
あるいは、蒲田のカツカレー屋の前にある植込みに突っ込まれた自転車を目撃したあの日を境に、俺は自転車が日常的に植込みに突っ込まれている奇妙な世界に何かの手違いで足を踏み入れてしまったのかもしれない。
とにかくいずれにせよ、俺のあずかり知らないところで、何か不思議なことがこれからはじまりそうな予感がしていた。ひょっとすると、人は仕事と彼女を同時に失うと、こういう奇妙な物事 (そこにはもちろん多かれ少なかれ個人差のようなものがあるのだろうが) に巻き込まれていくのが世の常なのかもしれない、と俺は考えた。
たとえばAさん (四十代前半 男性) はこう言う。
「僕の場合は、まずリス ―動物のあの可愛らしいリスのことね― がどうしようもなく目につくようになってしまって、そのリスたちが二人一組になって肩車をして生活しているところをふとした時に見かける変な世界に足を踏み入れちゃったんだ。たとえば公園の樹の陰とか狭い路地裏とかでね。あれには最初は参ったよ。それに、どうしてリスたちが肩車をしながら生活をする必要があるのかもわからないし、そのことがいったいどういう経路を辿って僕の失業と失恋に結びついているのかなんてさっぱりわからなかったよ。けれども、訳が分からないなりにも、だんだんとその光景に慣れていって、気がついたころにはもうリスたちは肩車をしなくなっていて、そのうちにリスにも目がいかなくなったよ。だから君もきっと大丈夫。そのうちに元通りになるさ」
あるいはBさん (三十代後半 女性) はこう言う。
「あれは、たしか三年くらい前のことだったかと思います。派遣切りで急に仕事がなくなってしまってから、当時付き合っていた彼氏ともギクシャクしていたのですが、どうやら彼が浮気をしているようだったので、問いただしてみたところやはりそうでした。女の勘というやつです。ちょうどその時期あたりから、私は道端のホームレスの人たちがトンボの目のような形の大きなサングラスをかけているところを時折見かけるようになりました。ちょうど『チャーリーとチョコレート工場』という映画に出てくるウィリー・ウォンカがかけているような変わったサングラスです。そういうホームレスの人たちが地下街や公園にいて、何をするともなくただ座っている姿がやけに目につきました。最初は同じ人物かと思っていたのですが、どうやらサングラスだけが同じで、サングラスをかけている人間は毎回異なっているようでした。もしかするとホームレスの人たちの間で流行っているのかなとも思いました。その人たちが私に対して特に何か危害を加えてきたということではなくて、ただ私がそういう変なサングラスをかけたホームレスの人たちをよく見かけるうようになった、というだけのことです。それから浮気をしていた彼氏とはすっぱりと別れて、いろいろと仕事を探したりなんやかんやと忙しくしていたら、徐々に変なホームレスの人たちを見かけることも少なくなっていきました。少なくなったと言うよりも、私が単にそこまでその人たちのことを以前のように意識して見なくなっただけのことかもしれません。ありがたいことに ―と言っていいのか判然としませんが― とにかく今ではもうまったくその人たちのことを見かけなくなりました」
そしてCさん (五十代前半 女性) はこう言う。
「私が盆踊りをしている猫を見たのは……」
2. 天涯孤独の身 (突発性自転車放置症の中年)
私は突発性自転車放置症という奇病を抱えてこれまで生きてきた。この病気を簡単に説明すると (経験的に言って病状を説明したところでたいていの人間は首をかしげるだけで、きちんと理解しようとしてくれないのだが)、たとえば散歩をしているときや出勤途中などにおいて駐輪されている自転車を見かけると突発的にそれをどこかの植込みに突っ込まずにはいられなくなってしまうという奇妙な症状を伴う疾病である。
発病してからこれまでに身体的なものから精神的なものまで考えられ得るありとあらゆる観点から西洋医学や東洋医学のさまざま治療法を試してきたのだが (荒っぽいショック療法から漢方や鍼灸治療まで)、どれもほとんど効果がなかった。なかには一時的に症状が和らいだ治療法もあるにはあったのだが、やはり結局は対症療法的な効果しか得られず、病魔を根絶することはできなかった。
突発性自転車放置症が発病したのは私が中学生の頃だった。当時は多感な青春期ということも相まって、決壊したダムから水が勢いよく流れ出るようにその衝動が自分の内側から沸き起こり、それをまったく制御できないまま、路上や学校で見かけた自転車を片端から植木に突っ込んでいった。私はたんにその衝動に従って行動していただけだったのだが、気がつけば周りの生徒だけでなく教員にも怖がられ、不良たちからは一目置かれる存在となっていた (隣町の学校にまで私の噂が広まっていたらしい)。
私の両親はただ単に息子が思春期の少年らしくちょっとやんちゃしているとしか考えていなかったようだが (私自身も当時はこの衝動が病気だなんてこれっぽっちも思っていなかった)、高校や大学でも同じように自転車を植込みに突っ込んでいるということで何度も学校や、時には警察にも呼び出されるうちに、ひょっとするとうちの息子はどこかがおかしいのではないかと疑うようになり、試しに大きめの名のある病院で診察してもらったところ、そこで私は初めて突発性自転車放置症と診断されることになった。私はそのとき大学の二回生であった。
担当の医師によると、この病気は心理的な要因が大きいと考えられるが詳しいことは現時点では正直なところまだよく分からない。脳の構造に関係している可能性も大いにある。それに実を言うとこれまでに日本においてこの病気を発症したのは、正式な記録上では君だけだ、ということだった。
人類の長い医学史の中でこの病気が初めて記録されたのは、今から五十年ほど前のことで (当時は病気としては認識されていなかったようだが)、ドイツ人の男性が発症したようだった。そのドイツ人の男性は小さな靴屋を営みながらも私と同じ衝動に日々苦しみ、妻も子供もいたが、そのあまりの辛さにライン川で入水自殺を図ったが、それは失敗に終わった。それから彼は精神をひどく病んでラウフという田舎町にある療養所にいたのだが、最終的にはそこで首を吊って自らの命を絶った。
これはその担当医から聞いた話ではなく、私が自ら大学の図書館の膨大な資料の中からやっと見つけ出した情報であった。
この事実を知った私は、その哀れなドイツ人に深く同情したのと同時に、彼と同じ人生を私もこれから歩むことになるのかもしれないと思うと、忌まわしい過去に囚われた救いようのない老人の一対の瞳のように真っ黒で底のない不安と恐怖に襲われた。
突発性自転車放置症と診断されてからは毎週のように病院に通い、最初にも言ったように、実に様々な治療を施された。私はなかば実験用のモルモットになったような気分だった。治療を続けていくにつれて、私は徐々に身体的にも精神的にもやつれていき、最終的には大学を中退し、この病気が治るまでは病院と自宅を行き来するだけの生活を余儀なく送ることになった。
しかし、努力の甲斐もなく私の病気はいつまでも治ることはなかった。両親は多額の治療費を支払い続けた結果、以前のような裕福な暮らしはできなくなり、家庭はいつも険悪な雰囲気だった。
やがて生活が困窮してきたため、私の治療は断念せざるを得なくなり、我々一家の生活にも限界が見えてきた。
それから数年後、父と母は離婚し、私は母と二人で細々と暮らした。その間も私はできるだけ外出しないようにはしていたが、止む終えず外出した時は、やはり自転車を目にするとつい手を出してしまった。
それから父は五年前に脳梗塞で亡くなり、母も大腸ガンを患い三年前に他界した。そうして兄弟がいない私は天涯孤独の身となった。
母が亡くなって以来、私はひとりで狭い安アパートに暮らしている。仕事は小さな広告会社向けのコピーライターをしており、自宅のパソコンで業務をしているので、基本的にはほとんど外出しなくて済む。しかし、若いころに比べればずいぶんと穏やかにはなったのだが、それでもやはりあの衝動はどうしても抑えきれないので、週に二回程度は外に出て、買い物のついでに二、三台の自転車に手を出している。
今となってはもうどうでもいいことではあるが、ここ最近になってようやくこの病気の発症の原因ともしかすると関係しているかもしれないという出来事をふと思い出した。なぜこれまで忘れていたのかが不思議に思えるほど鮮明にその出来事に関する記憶が何の前触れもなく突然よみがえってきたのだ。
それは私が中学生の頃で、ちょうどこの病気が発症する前のことだった。
どの地域にも一人や二人くらいは変なおじさんなり変なおばさんがいる。そしてご多分に漏れず、私の実家の近所にはモリオという変なおじさんがいた。
モリオは海辺の住人に特有の浅黒く日焼けした固そうな皮膚をしていた。髪は白く、額には深いしわが刻まれていた。目は少し正気を失っているようで、黄色くて落ち着きのないような感じがあった。モリオはいつも自転車に乗っていた。モリオの自転車の両側にはサイドミラーが付いていた。モリオが釣竿を片手に自転車で近所をうろうろしているところを私は下校途中によく見かけた。
私はいたずら好きの悪友たちとサイドミラー付きの自転車に乗っているモリオを見かけるたびに、モリオに向かって罵声を浴びせたり、ときには道端に転がっている小石を投げつけたりしてモリオをからかっていた。モリオは当然我々の悪質な行為に対して腹を立て、自転車に乗って猛スピードで追い掛け回してくることもあったが、それでもいつも我々はモリオからうまく逃げていた。
モリオに対するその一連の悪質ないたずら行為は決して許されるものではなかったが、当時の私にとってはそれがたまらなくスリリングで楽しかったのだろうと今になって思う (それにたぶん他にすることがなかったのだろう)。
ある日、私が例の悪友たちと田んぼのあぜ道を通って下校していたところ、サイドミラーの付いた自転車がカラオケ喫茶の前に停めてあるのを発見した。カラオケ喫茶のドアからはハウリングしながら演歌を歌っている男の声が漏れ出ていた。あれはきっとモリオの自転車に違いないと推測した我々は腐肉を漁る狡猾なハイエナのようにその自転車の周りに群がり、自転車に取り付けられたトレードマークのサイドミラーをひん曲げたり、チェーンを外したり、タイヤの空気を抜いたり、サドルを引っこ抜いたりしてモリオの自転車をことごとく破壊していった。
仕上げに我々は無残に解体されたモリオの自転車をカラオケ喫茶の前にあった小ぶりな植込みに突っ込んだ。それから一目散に我々はそれぞれの家のある方向へと走り去った。
その翌日、私が体育の授業でサッカーをしていたところ、モリオがグラウンドにぼろぼろになったあの自転車で乗り込んでくるのが遠くのほうに見えた。すると他の生徒たち (その中には例の悪友たちも何人かいた) もこちらに近づいてくるモリオに気づき、ざわつきはじめた。
「あれ、モリオや」
「チャリで入って来よった」
「めっちゃこわいやんけ」
モリオが学校の周辺をうろうろしているところは何度も見かけていたが、グラウンドにまで侵入して来ることはそれが初めてだった。きっと昨日のことで堪忍袋の緒がぷっつりと切れてしまったのだろう。当然だ。それは何もおかしいことではない。もしも私がモリオの立場だったら、やはり私も同じことをしていたかもしれない。犯人の目星はだいたいついているから、そいつをとにかくとっ捕まえてやろうと校舎に乗り込むかもしれない。いくら変な自転車に乗って、狂人じみた風貌であっても、やはりモリオも私と同じひとりの人間で、きちんと感情をもって生きているのだ。
私はそんなふうに考えながら、こちらにまっすぐと向かって来るモリオをぼんやりと見ていた。まるで幻影か蜃気楼でも見ているかのようにも思えたが、それは間違いなく生身のモリオが例の自転車に乗ってグラウンドを突っ切って来る光景だった。
モリオは私の五メートルほど手前のところで自転車を投げ捨てるように飛び降りて、私の目の前までやって来た。体育の先生は私からはいくぶん離れたところでサッカーの審判をしていたので、そこからこちらに向かって走ってきていたが間に合いそうにもなかった。
私は覚悟を決めて、無言のままモリオをじっと睨んでいた。それからモリオはおもむろにくわえていたタバコを手に取り、火のついたタバコの先っぽを私の左頬に軽く押しつけた。
3.自転車を植込みから引っこ抜くことは自転車を植込みに突っ込むことよりも難しい(不幸で哀れな青年)
それは俺のどんよりした気分とはまったく正反対なくらいに空が気持ちよく晴れ渡っていたある日のことだった。
俺は朝の十一時くらいに起きて、適当に着替えてから気分転換に吉祥寺の街へ散歩にでも出掛けようと思い立った。俺は三鷹台の奥まった住宅街の袋小路にあるぼろぼろの木造アパートに住んでいた。部屋の壁は例によって薄く、よく隣の部屋からセックスをしている音が聞こえてきた。実を言うとその朝も隣人がセックスをしている音で起きたのだ。他人のセックスの物音で目覚めるというのは本当に他の言葉では言い表せないくらい不快なことである。聖書の引用か何かでメタフォリカルに表現したいところだが、俺は生粋の浄土真宗大谷派なので、あいにく聖書に関する知識はいっさい持ち合わせていない。とにかく、そんな不快な目覚めを払拭するためにも俺は一刻も早くこのぼろアパートから出ていかなくてはならなかった。
俺は玄関を出て、愛用の白いスポーツバイクが停めてあるスペースに行くと、なぜかその愛用の自転車がなくなっていた。まるでもともとそんなものはここにはありませんでしたというようにきれいさっぱりとなくなっていた。
しかし俺はたしかに昨日もその自転車に乗ってここまで帰ってきて、ちゃんと同じ場所に鍵をかけて停めておいたはずだった。俺にはまったく訳が分からなかった。
それから俺はアパートの周辺をくまなく探してみたが、結局その自転車は見つからなかった。どうやら誰かにパクられたようだった。
ふと横に視線を移すと、いつもこのへんをうろついている黒猫がマンホールの上に座りながら俺を見ていた。
あのさ、きみ犯人見てない? とその黒猫に尋ねてみたが、そいつは緑色の目で俺のほうをしばらく見てから、何か大事な用事を突然思い出したみたいにさっと狭い路地を抜けて走り去っていった。勘弁してくれよ。あれは大学のころからずっと大切にしてきた (かと言ってそれほどちゃんと手入れをしてきたわけではなかった) 自転車なのによ。それにしても、こんな奥まったところにあるぼろアパートの前に停めてあった自転車をわざわざ盗むかね? もっと性能もデザインも良い自転車なんて東京中に掃いて捨てるほどあるってのによ。それなのによりにもよってなんで俺のなんだ? こいつはきっとよほどの変人でそして暇人の仕業に違いない、と俺は思った。
俺は仕事も彼女も失ったうえに、今度は愛用の自転車まで奪われた。神様もここまでひどいとは思わなかった。しかし文句を垂れていても物事は前に進んでいかない。こうなったら不幸のほうが飽きるまで、とことんこの不幸の連続に付き合ってやろうじゃないか、と俺は変な意気込みのまま井の頭公園まで歩いて行くことにした。
二十分くらい歩いてやっと井の頭公園にたどり着いた。そこにはたくさんの人がいた。無邪気に走りまわる子ども、スワンボートを漕ぐカップル、木々を眺めながらゆっくりと歩く老夫婦、ベンチに座って静かに本を読んでいる若者、橋の上で名前のよくわからない楽器を演奏しているミュージシャン。その他にも本当にいろんな人がいて、本当にいろんなことをしていた。そんな人たちの中に愛用の自転車を盗まれてここまで歩いてきた俺もちゃんと含まれていた。公園の良いところは、誰でも、その人がたとえどんな事情を抱え込んでいたとしても、その中ではみんなニュートラルな状態でいられることだ。だから公園というのはいつも穏やかで平和に見える。
しばらく園内をただぶらぶらと散歩していると、俺はなんとなく目を引く植込みを見つけた。蒲田でのあの出来事以来、俺はさまざまな植込みを見てきて、植込みにも人間と同じようにそれぞれの個性や良し悪しがあるということに気がついた。そして俺がつい反応してしまうような植込みにはたいてい、俺のこれまでの経験上、もれなく自転車が突っ込まれていた。だからさっき俺の目を引きつけた植込みにはきっと何かあるに違いないと思い、その植込みの周辺を調べることにした。
案の定、そこにはやはり自転車が突っ込まれていた。そして驚いたことにそれはパクられた俺の愛用の白いスポーツバイクだった。なんでこんなところにあるんだよ。とっくにどこかで解体やら転売でもされてもう二度と巡り合うことなんてないものだとばかり思っていた俺は、こんなに近くでこんなに早く見つかって呆気にとられてしまった。
とにかく俺は周囲に誰もいないことを確認してから、なんとか自転車を植込みから引っこ抜いた。自転車を植込みから引っこ抜くことは自転車を植込みに突っ込むことよりも難しい、と俺は心の中で呟いた。それは何かしらの示唆やら暗示やらを与えてくれそうな文言にも思えたが、残念ながら俺に対しては何も提示してくれなかった。
愛用の自転車と運命の邂逅を果たした俺はすっかり気分が良くなり、そのまま自転車に乗ってサンロード商店街へ行った。そこで行きつけの古本屋を、長期的に島に滞在する渡り鳥のようにじっくりと二軒まわり、目ぼしい古本を合計で六冊購入した。それから近くのブックオフに行き、そこでも古本を二冊と洋画DVDを三本買った。そのあと俺は他にすることも思いつかなったので、ヨドバシカメラの裏手にある行きつけの図書館へ行くことにした。
図書館はいつも通りの図書館的な静けさをきちんと保っていた。人もまばらだった。
俺は一人掛けの席に座ってまずは古本でざらざらになった砂っぽい手のひらを自前のウェットティッシュで丁寧に拭いた。ついでにそのウェットティッシュで購入した古本の表面と裏面もきれいにした。それでもまだ手の汚れが気になったので、トイレへ行き、緑の液体せっけんで念入りに洗った。それから、先ほど買った古本ではなく貸出用の村上春樹の『海辺のカフカ 上』を棚から取り出して読むことにした。
本を読んでいると外では雨が降り始めた。さっきまでの晴天が嘘みたいに曇っていたが、それはこの辺の上をたまたま通りがかっただけの小さな雨雲のようだったので、俺はそのうちに止むだろうと推測し、そのまま雨がおさまるまでここで本を読んでいくことにした。
しばらく本を読んでから、俺はふと外にある屋根付きのテラスのほうへ目を向けた。そこには学生服を着た高校生の少年がいた。彼は立ったまま片手に本を持って、何やら必死に音読をしているようだった。しかし、俺と彼との間には一枚のガラス窓があったので彼の声はこちらには聞こえず、彼が実際に音読をしているのかどうかは俺にはわからなかった。だが、それにしても彼の口はとてもよく動いていた。しかしもしあれが口パクだったとしたら、彼は無駄に口を激しく動かしすぎているように見えた。それは口パクにしてはあまりにも不自然だった(かと言って、口パクがどうあるべきかなんて俺にはわからないのだが)。彼の口の動き、あるいは口の動きも含めた彼の全体の雰囲気はちょうど演劇俳優が台本を片手に科白の練習をしているみたいだった。そして彼のまわりには誰もいなかった。
一枚のガラスで真実は霞む、と俺は心の中で呟いた。これは今朝の自転車の文言よりもいくらか示唆に富んでいるような気がした。けれども、その示唆はエスキモーたちの古い伝承のように限りなく曖昧でどこまでも不確かなものであった。
それから雨が止んだのは夕方ごろだった。
4. どことなく私を励ますような響き (突発性自転車放置症の中年)
今週分の仕事はある程度昨日のうちに片づけておいたし、それにあの衝動もそろそろ解消しておかなくてはならなかったので、私は朝から散歩に出かけることにした。朝方なら誰の目も気にせず、心置きなく自転車に手を出すことができる。
私は玄関先で体を伸ばしながら深呼吸をした。それからふと見上げるとそこには雲ひとつない突き抜けるような青さの空があった。それから涼しい風が優しく私の左頬を撫でていった。その日は他に文句のつけようがないくらい完璧な散歩日和だった。
しばらくぶらぶらと何も考えずに路地を歩き回っていると、道端に一匹の黒猫がちょこんと座ってこちらを見ているのに気がついた。少しのあいだお互いに見つめ合ってから、その黒猫が私の前に出てきて横の道へと歩いて行った。なんとなくだがその猫がどこかに向けて道案内をしてくれているような気がしたので、私はその猫の後を一定の距離を保ちながらついて行くことにした。
五分ほど歩いてから黒猫は奥まった住宅街にある袋小路にたどり着き、私の役目はもう終わったというような顔つきをして、そこにあったマンホールの上にまたちょこんと座った。
私とその黒猫の目の前には木造の古い二階建てのアパートがあった。ひょっとするとここがこの黒猫の住処なのかもしれない、と私は思った。けれども、彼 (あるいは彼女) には首輪は付いていなかった。
そのアパートの前にはちょうど軽自動車一台分ほどのスペースがあり、そこに白いスポーツバイクが一台だけ置かれていた。
それを見た瞬間に、私の内側から抗いきれないほどの例の衝動が、飛びまわるコウモリの黒い群れのように押し寄せてきた。これほど強い衝動はずいぶんと久しぶりだった。そして私はどうしようもなくその自転車をすぐにでも植込みに突っ込みたくなった。
けれども自転車には鍵がかかっていた。ダイヤル式のロックだったが、試しにいちばん左端の数字をひとつ繰り上げてみたら簡単に解錠できた。
私はあたりを注意深く見まわしてから自転車にまたがり、植込みがたくさんありそうな井の頭公園へと向かった。
私は公園に入ってから自転車を降り、それを手で押しながら人通りがあまりないところにある植木を探し求めてしばらく歩いた。
十五分ほど彷徨い歩いたところで、私は園内にある食堂の裏手のひっそりとした道に絶好のポイントをようやく見つけた。私は周囲に誰もいないことを確認してからひょいと白い自転車を持ち上げ、すとんと植込みに突っ込んだ。
それから私は怪しまれないように普通の速度で歩いて現場から立ち去った。
一台目は見事なまでに順調に片づいた。しかし少なくともあと一、二台は処理しないことにはこの衝動が収まりそうになかったので、私は他にも植込みに突っ込みやすそうな自転車を求めて吉祥寺の街をふらふらと歩き回ることにした。
サンロード商店街の周辺には、ロードバイクやマウンテンバイクやクロスバイクやママチャリや電動式自転車や折り畳み自転車などのさまざまな種類の自転車があったが、どれも私の欲求を満足させてくれるような代物ではなかった。
自分でも事情はよく分かっていないが、それが自転車であればどれでもいいというわけではないのだ。そこにはある一定の基準点があり、それを軸に私の内なる病魔がどれが適正でどれがそうでないかを、有無を言わせぬ裁判官のように決定しているのかもしれない。
昼を過ぎたあたりから急に雨が降り出したので、私は慌てて駅前のルノアールに入った。しばらくすれば止みそうな雨だったので、それまで私は店内でコーヒーを飲みながら待つことにした。
私の横の四人掛けのテーブルには喪服を着た女性が三人座っていた。私は暇だったので彼女たちの会話に耳を傾けていた。どうやら耳の病気の話をしているようだった。
それからしばらく彼女たちの耳についての話を聞いていると (いつも不思議で仕方がないのだが、なぜ女性というのはどれだけ些末な事柄についてでも延々としゃべり続けることができるのだろうか)、三人のうちの一人が「耳の中の石を溶かす薬があるの」と言った。
そこで急に私の思考が止まった。世の中にはそんな不思議な薬があるのか、と私は心の中で驚いた。しかし冷静になって考えてみると、私の抱えている奇病のほうがよっぽど奇天烈であることに気がついた。
それから私は目を閉じて、まず耳の中にある石を頭の中で思い描き、次にその石を溶かすための酸を耳穴に垂らすところを想像した。白くてつるりとしたその小さな耳の石は特殊な酸によってゆっくりと溶けていく。外の雨の音と耳の石が溶ける音が静かに重なって聞こえたような気がした。
雨が止んだのは夕暮れに近い時刻だった。
私はルノアールを出てから、自転車の多そうな東急百貨店の方向へ行ってみることにした。
それからしばらくその周辺をうろうろしたのだが、目ぼしい自転車は残念ながら見つからなかった。
そろそろ今日はこの辺で切り上げて近くのラーメン屋で夕食を済ませてから自宅へ戻ろうと段取りを考えていたところ、たまたま通りがかったレンタルビデオ屋の前で足を止めた。そこで私は理想的な黒のピストバイクが停まっているのを発見した。後輪にワイヤー錠がかかっていたので、ダイヤルを何度か回してみたが今朝のように簡単には開かなかった。しかし私はどうしても内なる病魔の衝動が抑えきれず、人通りは多かったが、そのピストバイクの後輪を浮かせて前輪を転がすような恰好でなんとかその場から持ち去った。
私はそのまま自転車を持って足早に井の頭公園へ行き、朝に白い自転車を突っ込んだときとは異なる植込みにその新たな黒い自転車をいくらか乱雑に突っ込んだ。
私は息を切らしながら「これでよし」と思って後ろを振り返ると、誰かがすぐそばでこちらを見ていることに気がついた。どうやら私が自転車を植込みに突っ込んでいたところを目撃されたようだった。
心臓が一度大きく歪な音を立ててから、瞬間的に私は仮死状態のようになった気がした。それから私はとにかくその場から逃げようと走り出したが、その目撃者は自転車に乗っていたので、すぐに追いつかれてしまった。その目撃者は白いスポーツバイクに乗った若い男だった。
「あんたさっき、自転車をあそこの植込みに突っ込んでただろ? 俺ずっと見てたんだよ。あと、この自転車に見覚えあるだろ?」とその若い男が自分の乗っている白いスポーツバイクをポンポンと手でたたいて、尋問官のように高圧的に示した。「お前だろ? 今朝俺の自転車を植込みに突っ込んだのは。とりあえず警察いこうか。そこに交番あるから」
その白い自転車は間違いなく私が朝に植込みに突っ込んだものであった。どれだけあれこれと考えたところで言い訳のしようがなかった。
そこで私はその若い男をなだめようと「いや、ちょっと待ってくれ。あなたの自転車を勝手に持ち出して植込みに突っ込んだことは本当に申し訳ないと思っている。けれどもこれには事情があるんだ」と苦しまぎれに言った。
「ひとの自転車をパクってどっかの植込みに突っ込むことにいったいどんな事情なり理由があるんだよ。ただの変質者だろうが」と若い男はもっともなことを言った。
「本当に申し訳ない。けれども警察だけはやめてほしい。これは病気なんだ。冗談みたいに聞こえるかもしれないが、これは突発性自転車放置症という奇病なんだ。ここには持ち合わせていないが、家には正式な診断書だってある。これまでいろんな治療法を試してみたがどれもダメだったんだ。自分でもどうしてこんなことになってしまったのかがさっぱりわからないんだ。お手上げだよ」と私はほとんど泣きそうになりながら一気にそう言った。それから少し間をおいて、私は話を続けた。
「あなたの言う通り、たしかに私はもう警察のお世話になるか、あるいは精神病院に入るべきなのかもしれない。でもとにかく、あなたの自転車を盗んだうえに植込みに突っ込んだりなんかして本当に申し訳ない。それから、さっき突っ込んだ黒い自転車は元あった場所にすぐに戻してくる。その後で自分で交番に行ってこれまでの行いを洗いざらい自白する。もしかするとまったく相手にされないかもしれないけれど。それでもこれ以上人に迷惑をかけるわけにはいかない。もう二度とこんなことはしない。誓うよ」
「今ここで俺にそんなこと誓われても困るけど、あんたが必死な顔して話してるのを聞いてると、あんたにもそれなりに事情があるみたいだな。まあ、俺の自転車は無事に見つかったから俺はそれでいいんだけどさ。少なくとも、俺のはもう絶対に盗るんじゃねえぞ。あ、そうだ。あんたの顔の写真いちおう撮らせてもらうわ」と若い男はそう言っておもむろに携帯電話を取り出し、フラッシュをたいて私の顔を素早く撮った。
「ちょっと。やめてくださいよ」と私はチカチカした目を抑えながら言った。
「次また同じような犯行を繰り返しているようだったら俺がこの写真を交番に持っていって、指名手配してもらう。これはあんたのための抑止力だよ。そういうのがないとあんたもやめらんないだろ? だから感謝しろよ。本来だったらすぐにでもあんたの身柄を警察に突き出したっていいんだからよ。まあとにかく、もうこんなつまらんことはすんなよ。あんたにも病気だとかなんだとかいろいろあるんだろうけど、やっぱり人に迷惑をかけちゃダメでしょ。んじゃ、もういくわ」と若い男はいくらか同情を込めたような声でそう言った。
若い男は白のスポーツバイクに乗って去っていき、五十メートルほど離れたところで何かを急にふと思いついたかのように立ち止まり、それからこちらに振り返って「改心しろよ!」と大声で言った。まわりの道行く人たちはすこし驚いた様子だった。
若い男のその声はどことなく私を励ますような響きを残して、やがて消えていった。
奇想短篇小説『突発性自転車放置症』