朝の読書の蓋然性

高校に入学とは淡いレモンと唐揚げがマッチしたときの
酸っぱさに似ていると思う。

私が高校生の時の話

私が今日の朝思い出したこと
なのだが、一年の少し反抗的で幼くまだ誰とも知り合いになってない頃の朝読の時間、私は菊池寛の入れ札がふと読みたくなり手元に本がなく仕方なく青空文庫で読もうとした。今考えれば他の時間に読めと思うが
その時はどうしても読みたくて仕方なかった。
もちろん周りはみんな紙の本を読んでいる。私は先生に注意されたがまたスマホで読み直すさすがに
呼び出しされた。その時はまだ部活にも入ってなかったから、放課後は空いており反抗的な態度で 
会議室へと向かい何が悪いか問うた
僕は菊池寛の入れ札が読みたかったため青空文庫で読んでいました。
それの何が悪いのですか?
先生曰く、みんな真面目に本を読んでるのに一人だけスマホをしてると不真面目に捉えれると。
先生は入れ札を読んだことは
ないのですか?一度は読むといいですよ。なかなかの皮肉が詰まった
名作ですから。読書は必要だと思いますが僕は何故紙媒体にこだわるのかがよくわかりません。
教えてくださいお願いします。
君のような本が好きな人には別にスマホで本を読むために使ってもらっても構わないんだけどスマホを使うことで他の人はSNSを使ってしまう可能性があるそのためスマホは朝読の時間には使わないで欲しいと言われ
なるほど。僕の配慮が欠けていました。すみませんでした。失礼します
さようなら。
はいさようなら
今思うと本当にさよならするとは…

朝の読書の蓋然性

最近のエロティシズムについて、いつか話したい。

朝の読書の蓋然性

嘆かわしい本は君たちの孤独を 促進させる効能があるだろう

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-03-08

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