土曜日の午後

土曜日の午後

小雨が降り出した、土曜日の午後。

わたしは車の中にいて、黒くて、滑らかな、

(ワニ)皮の、細くて、分厚いハンドルを、

右へ、左へ、舵を切るエイハブ船長のように、

頻りに、大袈裟に回していた。

この鰐皮はわたしの手によく馴染むので、

わたしに、知りもしない皮の元の持ち主、

つまりは生きていた頃の彼女の姿を想像させた。

あくまでわたしの頭の中の、空想の、

想像上の彼女の姿でしかなかったけれど、

水辺でのんびり過ごしているその姿は、

穏やかで、優雅で、実に優しそうだった。

愚かしい人間に命を奪われるまでは、

彼女も自分の人生を歩んでいたのだと思うと、

静かな怒りが込み上げてくる。

やがて、わたし自身も例に漏れず、

その愚かしい人間であったことを思い出して、

これまで考えていた考えを、

どうすれば考えなかったことにできるのか、

一生懸命に、考えてみた。

どれだけ目を凝らしたって、

鰐を殺して生計を立てている人たちと、

殺された鰐皮を加工して作られたハンドルを握っているわたしとの間にある境界線は、

ぼやけていて、霧がかっていて、

みることができない、わからない。

代わりにもし、

境界線がそこにみえたとしても、

彼らとわたしが違う人間だと証明できたとしても、

私たちをぐるりと囲んでいる『人間』という、

大きな輪っかから逃れることなんてできない。

そんな時に、真実はいつも、

わたしの隣で、薄気味悪い笑みを浮かべている。

わたしの首元にナイフを突きつけながら、

事実と真実は違う生き物だよ、

意味のない戯言を囁きながら。

鰐からすれば、鰐を殺す人間も、

鰐に同情しているわたしも、

どちらも同じ人間に見えるのだろう。

泳いでいる鰐Aと水を飲んでいる鰐Bは、

わたしたちにはどちらも同じに見える。

事実と真実は違うって、どういう意味?

事実は真実で、真実は事実でしょ?違うの?

わたしがどれだけ違うと叫んだところで、

鰐にとってもわたしたちはただの、

人間Aと、人間Bのまま。

視界に突然入ってきた鳥の影に気を取られて、

昨日食べた魚の味を思い出して、

ちょっと目を離しただけで、

どっちがAで、どっちがBだったかなんて、

すぐに忘れてしまう。

それぐらいの違いでしかない。

生きていくために、全く必要のない、

たかが格好良くみせる装飾品のために、

鰐たちは殺されていく。

わたしがここで、どれだけ糾弾したところで、

鰐殺しをやめないと今ここでわたしは死ぬ、

と脅したところで、

誰かがどこかで、構わず鰐を殺し続ける。

だから殺してもいいんだ、と言わんばかりに、

獰猛な水辺の怪物、なんて、

都合の良いレッテルを貼り付けて、

当然のように、傲慢に。

鰐にだって、家族はいる。

子供が生まれたら、母親は子を咥えて、

急いで水辺まで運ぶんだって。

子が死なないように必死になるんだって。

それの一体どこが、

わたしたちの掲げる愛とは違うのか。

ハンドルになってしまった彼女、

ハンドルを回すわたし。

同じ母親なのに、境界線はみえないのに。

こんな姿になってしまった彼女を、

どうやったって元の姿に戻してあげることはできない。

わたしにできることは、ただ一つ、

彼女の肌を優しく撫で付けてあげるだけ。

それ以外にわたしはどうすることもできない。

鰐を保護するように世界中に訴えることも、

鰐を殺す人間からライフルを取り上げることも。

そもそも普通の生活を送るわたしに

それをやれというのは酷だろう、

許してほしい。

自分の人生を、

曖昧な正義に捧げる勇気は、

わたしの中のどこを探しても見当たらないのだ。

この正義は、わたしの勘違いかもしれないという、

漠然とした不安も、

真実の隣でわたしを嘲笑っている。

わたしには、

どうすればいいのかなんてわからない。

だから、

わたしはただ、

黒くて、滑らかな、その肌を、

優しく、優しく、撫で付けるだけ。

鰐は人を襲って怪我させるから、

危険な生き物なんだ、

用意してあったもっともらしい言い訳をそのまま、

わたしは読みあげるだけ。

あの交差点を、

いつも通り、

右に曲がるだけ。

土曜日の午後

土曜日の午後

補足:カリフォルニア・ベーカーズフィールドに住む40代女性。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2020-03-05

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

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