キジバトの鳴く声
まこちゃん
きみちゃんとまこちゃんは幼馴染だ。いつもなにをするにしても一緒であり、朝学校に行く時も、休み時間の間も、それにトイレに行く時すら行動を共にしている。元々2人の親同士の仲が良く、その付き合いで物心つく前からの、いわば家族みたいな間柄なのであった。
きみちゃんは、まこちゃんの興味あるもの、好き嫌いをよく知っている。彼女は明るくて生き生きとした内容の本が好きだ。それに、可愛らしいひらひらのレースのついた、髪色はブロンドで鳶色の目をした人形を大事にしている。一方で、同じクラスのうるさい男子は嫌いらしく彼らが面白半分にからかってくると、私はさっと彼らの方へきつい視線を送り、彼女から彼らを遠ざけるように気を配っている。つまり、私は彼女のことが好きなのだ。彼女と一緒にいると自然と安心するし、全く寂しく感じない。きっと彼女の方も、私のことを好きでいてくれていると思っている。それは多分、私たちは昔からずっと仲良しであったし、今もそうなのだから半ば当然のことで、疑いようのない事実だろうとも思う。そしてこれからも、今みたいに始終一緒にいられないかもしれないが、きっと何らかの形でつながっていくのだろう、となんとなくではあるが感じている。
松
気の滅入るようなピリピリとした寒さがとうとう訪れた11月のある日、きみちゃんはいつも通りに家を出た。家の中も寒かったが、ドアを開けると独特の澄んだ冷たい空気が瞬く間に顔中にまとわりつき、より一層寒く感じる。それでも、空はどんよりとした灰色の雲に覆われていたため、この寒さであってもまだましな方のようだ。朝の道には、会社員やら中高生らが白い息を吐きながら足早に歩いている。ふと何処かで、
「ホホウホウ ホホウホウ」
と鳴く声が聞こえてきた。右の塀の向こうに立派な松の木があるが、その木陰でキジバトが寒さなど全く意に介さないかのように鳴き続けている。飽きることなく泣き続けているこの鳥も、あまりの寒さに鳴かぬ日もあるのだろうかなどと考えながら歩いていたら、まこちゃんの家の前に着いた。既に彼女は家を出て、両手を口に当てて寒さを紛らしていた。ふと、今度のクリスマスプレゼントに手袋はどうだろうか、という考えをよぎらせながら声をかけた。
「まこちゃんおはよう。」
「きみちゃんおはよう。」
「今日も寒いね、早く行こう。」
「そうだね。行こう行こう。」
「まこちゃん手袋しないの?」
「まだ準備できてなかったよ。お母さん用意してくれてるかな。」
「ねえねえ、クリスマスプレゼントに手袋あげよっか。」
「え?いいの?ありがとう。新しいの欲しかったんだ。」
「まこちゃんの好きなピンク色の花柄のにしようかな。」
「やっぱりきみちゃん分かってるね。私はお返しにマフラーあげようかな。」
「ありがとう。楽しみだね。」
クリスマスプレゼントの話をしながら、2人はいつも通り登校した。雑多な話をしながら校門まで来た時、2人の会話が一瞬途切れた。なんとなく西の空を見上げたきみちゃんの目に、その端をさっと横切る一羽の鳥が映った気がした。
ゆかりちゃん
それから2週間程経った日、きみちゃんは休み時間が来るといつものようにまこちゃんの席へ向かった。昨日見たテレビや話題のアイドルの話をしていると、同じクラスのゆかりちゃんが2人の会話に加わってきた。
「まこときみ、何の話をしているの?」
「昨日のテレビの話をしていたよ。相馬君かっこいいよね。ねえまこちゃん。」
「そうそう。めっちゃかっこよかったよね。ゆかりちゃんは昨日のテレビ見た?」
「うん見たよ。私相馬君の大ファンなんだよね。私のお姉ちゃんが大好きで、つられて好きになっちゃったんだ。」
「ほんとう?私知らなかった。一番人気って訳じゃないし、話できるのはきみちゃんだけだと思ってたよ。ねえきみちゃん。」
「そうだよね。相馬君のファンだなんて、ゆかりちゃん見る目あるよね。」
どうやら3人の仲は好きなアイドルの話で深まったようだった。ゆかりは2人とは同じクラスではあったが、属しているグループが違っていたため、今までさほど話す機会はなかった。彼女はクラスの中心的な存在で、仲の良い他クラスの友達も多いほど社交的で明るい性格をしていた。
それから後、3人で話す機会は以前よりも多くなった。大抵は好きなアイドルの話であったが、打ち解けるうちに様々な話もするようになった。きみちゃんは、まこちゃんと過ごす時間にゆかりちゃんが加わったことへの違和感を最初こそ抱いたものの、きっとそれは日を重ねるごとに次第に薄れていくようなものだろうと思っていた。
登校
12月になり、季節はすっかり冬らしくなった。きみちゃんはここ毎晩、まこちゃんへ贈る予定の手袋作りに精を出していた。彼女は手があまり器用ではなかったため、母親から作り方を教えてもらったり本を見たりしながら夜更かしをして地道に作業を進めていた。そのため朝起きると目ぶたが重く、頭もなんだかぼんやりしていた。それでも彼女はいつ通りに家を出た。
立派な松の木のある家に近づくと、相変わらずキジバトが鳴いている。以前よりも確かに、寒さに深みが増したはずなのだが、そんなことは無縁とばかりにその鳴き声を寒空に響かせ続けている。松の木陰にいるであろう、寒さを忘れて毎日鳴くその鳥はきっと、自らの寿命が尽きて声の出せなくなるまで鳴き尽くすのだろう。鳥のことに思いを巡らしていると、まこちゃんの家の前まで来た。しかし、いつも待っているはずのまこちゃんは家の前にはいなかった。彼女は仕方なく1人で登校した。
教室へ着くと、まこちゃんは既に席に座っていた。それと同時に、彼女の前の席の椅子に後ろ向きに座るゆかりちゃんの笑顔が見えた。きみちゃんは自分の席にランドセルを下ろすなりすぐに2人に加わった。
「おはよう、まこちゃん、ゆかりちゃん。」
「おはよう、きみちゃん。」
「おはよう、まこ。今日はめっちゃ寒いね。」
「うん、寒くなったよね。ねえねえ何話してたの?」
「いつも通りだよ。それよりさ、昨日のテレビ見た?」
朝のホームルームが始るまで、3人の会話はいつものように流れていった。いつも通りの3人らしい話題だった。授業の間中ずっと、きみちゃんは先ほどのことを考えていた。いつも一緒に登校していたはずが、今日の朝はそうでなかった。また、教室に入るや否や2人の仲良く会話を交わしてる様子も目にした。この時、彼女の心の中でいいようのない不安がよぎった。いつでも、どこでも共にしていたまこちゃんに、この種の感情は抱いたことなど以前はなかった。彼女は、自分がなぜ落ち着きをなくしているのか分からないことに動揺を感じながら、目の前で坦々と引かれていく白線をただ眺めていた。
鏡
次の休み時間、3人は再びまこちゃんの席に集まった。
「授業退屈だったね。つまんない。」
「ゆかりちゃんは頭がいいからじゃない?でも退屈でもちゃんと授業は聞かなきゃ。」
「まこは真面目だよね、ほんとう。ねえ、きみ」
「ああ、うん、そうだよ。私なんか黒板の文字がミミズみたいに見えたよ。」
「それ言い過ぎ。ていうかきみ、具合悪い?まぶた腫れてるよ?」
「え?ほんとう?最近夜更かししてるからかな。」
「鏡貸すから見てみなよ。小さいけど。」
ゆかりちゃんはきみちゃんに鏡を手渡した。鏡というよりは、なにかの破片と言った方が適切なものではあったが、なんとか反射させて鏡のように使うことができた。破片を色々な角度に動かして片方のまぶたを見てみると、ろくに反射しないせいで微かにしか分からなかったが、言われた通り確かに腫れている。朝目が重かったのはそのせいであったかと、彼女は腫れたまぶたを優しく撫でてその具合を確かめた。
「なんかトイレ行きたくなってきた。きみは鏡と睨めっこしてるから、今のうちにトイレ行こうよ、まこ。」
「うん、行こう。あんまり触ったら駄目だよ、きみちゃん。」
2人は揃ってトイレへ行った。きみちゃんは小さな破片と格闘していたが、拉致があかないのでトイレの鏡で見てみることにした。
教室を出てトイレに入ろうとする間際、ゆかりちゃんの声が聞こえてきた。
「そういえば、朝なんで待たなかったの?」
ゆかりちゃんのこの言葉を聞いた瞬間、彼女の足が止まった。自身の不安の原因に無意識にも身体が反応したかのようだった。
「え、なんでだろう。分かんない。」
「分かんないって何よ。嫌いなの?」
「嫌いとかそういうことじゃないけど。私もよく分かんない。」
「まあ別にいいけどさ。そういえばクリスマスプレゼントどうする?手袋とかどうかな?」
「手袋かぁ。お母さんに新しいのいくつか買ってもらったし、別にいらないかな。」
「そっか。また考えとくね。」
彼女はすぐに教室へ引き返した。そして先ほどのように、小さな破片を手に持ち、2人が戻るのを待った。破片を持った手は、心なしか震えていた。先ほどの2人の会話を頭の中でなんとか整理しようとするものの、どう受け止めたらいいのか分からなかった。自らが朝に感じた動揺が、まさにこのような形になって襲ってくるとは夢にも思わなかった。惨めな自分はさぞひどい顔をしているだろう。それに加えて腫れぼったいまぶたで散々だ。2人が戻ってきたら一体どういう顔をすればいいのだろうか、と彼女は思った。
しばらくして2人は戻ってきた。彼女は何も言わずすぐに、ゆかりちゃんに破片を返すと、さっさと自分の席へ戻ってしまった。
早退
授業中、きみちゃんはまこちゃんに疑念を抱いた。以前からそうであったことは以降も必ずそうでなければならない、という幼い理屈を彼女はまこちゃんに当てはめてしまっていた。人の心は移ろいやすい、という真理を理解するにはまだ未熟過ぎた。その理屈も、彼女がただ信じてすがりたい、不安から逃れたい一心で打ち立てた、人生経験の浅さに由来する虚栄と大差なかった。彼女のこの虚栄は、まこちゃんが彼女のことをあまり好ましいと思っていないということを暗示するようであった。彼女は直感的に、この暗示をまこちゃんに対する疑念として強く意識してしまったのだった。そう思えば思うほど、今までのまこちゃんとの過去全てが黒く塗り潰されてしまいそうな気がして寒気を覚えた。彼女は軽い目眩を先生に訴え、授業中ではあったが保健室へ行き、結局その日は早退してしまった。学校からの電話で仕事から抜け出してきた母親に連れ添われて家へと帰った。
母は彼女の体調を案じる言葉を色々かけてはいたが、なんらの言葉も彼女の心には届かなかった。顔色の悪い彼女に、母はもうそれ以上言葉をかけず、ただ一言安心させるような言葉をかけて再び仕事へ戻っていった。
毛糸玉
きみちゃんはベットに横になりながら、先ほどのことを考えてみた。あの出来事からしばらく経ったせいか、動揺は多少和らいでいた。ただ、自分がまこちゃんから嫌われているのかもしれない疑念だけは、彼女の心の真中に頑として横たわっていた。
彼女は今まで、まこちゃんのことをよく知っているつもりでいた。どういう人間で、どういう趣向をしていて、どういうことに喜びを見出すのかを彼女なりに理解しているつもりでいた。しかし、ゆかりちゃんのあの言葉によって、どうやらそうでないらしいことに気付いてしまった。彼女は、そのことに気付かせたゆかりちゃんのことはどうでもよかった。不愉快な事実はこれからもなんら変わることはないのだ。
部屋の机の上に、作りかけの手袋が置かれてある。まこちゃんは花柄が好きだと言っていたが、彼女はそれを作る技術を持ち合わせていなかった。ピンク一色の手袋が丸い毛糸玉とともに暗い部屋で怪しく光っていた。彼女は、まこちゃんがこの手袋を貰って喜んでくれると信じていた。ちょうど自分がまこちゃんから何を貰っても喜ぶのと同様に。
これまで一体どれほどまこちゃんのことを考えてきたというのだろう。にも関わらず、何故自分は今こうして悲しみに暮れなければならないのか、それならばいっそのこと嫌いにでもなってしまおうかとも考えた。彼女はまこちゃんに対して、愛に近い感情を抱いていた。ただ好きでいつも一緒にいたかったのだ。しかし、愛の本質を理解するほど彼女の精神が成熟しているとは言い難かった。彼女はしばらく作りかけの手袋をじっと眺めていたが、ふと立ち上がって手袋をずたずたに引き裂いてしまった。糸がもつれてぐしゃぐしゃになった手袋を見下ろす彼女に目には、もう以前の腫れぼったさは見当たらなかった。
キジバトの鳴く声
翌日、特に不調はなかったので登校することにした。家を出る前、昨日めちゃくちゃにした手袋を毛糸玉ごと、ごみ箱に捨てた。彼女は一瞬、クリスマスプレゼントの言い訳をどうしようかと考えたが、何か別のもので代用は効くだろうと単純に考えて、ごみ箱の底の方へ押し込んでしまった。外に出ると、顔中がすっと冷えるほどの寒さだった。相変わらず通勤通学をする人々は足早に自分を抜き去っていく。堀の向こうの松の木の方からはそれらしい鳴き声は聞こえなかった。大方寒さでやられたのだろう、いやもしかしたら何か別の場所で、別の声で今も鳴き続けているのかもしれないと、彼女は夢想してみた。
しばらく歩くとまこちゃんの家が見えてきた。家の前にはまこちゃんの他にゆかりちゃんもいるようだ。遠目からでも、彼女ら2人が向かい合って楽しく談笑している様子が手に取るように分かる。ふと、彼女の頭の中でホホウホウと鳴く声の聞こえたような気がした。
キジバトの鳴く声