ユリコの初めてのお友だち? なんだしっ★

koyasumi

  1. ⅩⅢ
  2. ⅩⅣ
  3. ⅩⅤ
  4. ⅩⅥ
  5. ⅩⅦ
  6. ⅩⅧ
  7. ⅩⅨ
  8. ⅩⅩ
  9. ⅩⅩⅠ

「メイド心得その一」
「……へ?」
 パシィィン!
「うおっ」
 乗馬用鞭の鳴り響く音に、百合子(ゆりこ)は反射的に身をすくめた。
「くっ……」
 そんな自分をごまかすように、百合子は狂暴な目つきをして鞭を鳴らした相手をにらみつけた。
「な、なんなんだてめえ、クソババア!」
 クソババア――そう呼ばれた女性・朱藤依子(すどう・よりこ)は、しかし、眉一つ動かすことなく冷たい表情のまま、
「メイド心得その一」
「だから、なんだよ、いきなりそれはよ!」
 ふぅ。これ見よがしなため息をつかれる。
 それがさらに百合子をイラつかせ、
「なんだって聞いてんだろ、クソババア! ああン!?」
「あなたはなんです」
「は?」
「あなたは何かと聞いているのです」
「オレ様は……」
 言葉に詰まった。
 百合子――それは本当の名前ではない。
 本当の名前が何なのかもわからない。
 自分は目の前にいる依子の〝娘〟としての記憶を持たされた。六歳のときに捨てられた娘だという記憶を。
 そのために依子を恨んだ。憎しんだ。
 そして、自分の代わりのようにして依子が育てた少年・花房葉太郎(はなぶさ・ようたろう)が変ずる白い仮面の騎士ナイトランサーを否定するため、黒い仮面の騎士ダークランサーとなった。
 ダークランサーは――敗れた。
 その後、逃れられない消滅という運命が待っていた。
 だが、いまも自分は存在している。
 それは目の前の気に入らない女――依子の命をかけた行為の結果だった。
「く……」
 百合子は依子をにらみ続けた。それしかできなかった。
 ふぅ。
 またもため息をつかれ、
「百合子さん」
「な、なんだよ……」
「下を見なさい」
「下?」
 思わず間の抜けた声がもれる。が、そんな自分に気づくと、またもつくろうような険しい表情になり、そして視線を下に向ける。
「………………」
「どうです?」
「『どうです』って……」
 またも言葉に詰まる。と、やはりそんな自分が気にくわないというように百合子は再び依子をにらみ、
「なんもねーよ!」
「はい?」
「『はい?』じゃねーよ! なんもねーっつってんだよ!」
 たまらず声を張り上げる。
 二人がいたのは、彼女たちが暮らしている屋敷の廊下の上だ。百合子が見たのは、よく磨かれたその廊下の木目模様だけだった。
 ふぅ。三度のため息。
 とっくに切れていた忍耐がさらなる限界を超え、
「てめえ、殺すぞ、ババア!」
「殺しなさい」
「……っ」
 本気の目だった。
「くっ……」
 そうだ。
 この女はそうなのだ。
 百合子は認めたくない敗北感と共に目をそらし、
「なんもねーもんは、なんもねーだろうが。わけわかんねーよ」
「下です」
「だから、下には何も……」
「あなたの首から下です」
「あ?」
 またも間の抜けた声がもれてしまう。
 百合子はあらためて〝下〟を見る。
「あ……」
 ようやく言われていることが見えてきた。すぐに気づけなかった自分のにぶさに頬を熱くしつつ、
「だ、だから、なんなんだよ」
「あなたはなんです」
 同じ問いかけがくり返される。
「オレ様は……」
 そうだ。依子が言いたかったのは――
「ケッ」
 しかし、それを素直に口に出すのが嫌で、百合子はまたも横を向く。
「百合子さん」
「……!」
 ごまかすことは許さない。
 静かな圧力を感じさせる声にたまらずふるえる。
「くそっ……」
 悔しくてたまらない。そんな思いの中、しぼり出すようにして、
「……メイドだよ」
「はい?」
「メイドだっつってんだろ、オラァッ!」
 ドン! 足を踏み鳴らす。
 依子はほんのわずかも表情をゆらさなかった。
「くぅ……」
 屈辱が胸を焦がす。
 メイドの格好をしていることが気に入らないのではない。
 納得はしていた。そもそも何もしないで人の家にあがりこむようなことは矜持が許さなかった。
 この屋敷で暮らすようになって、早くも三か月が経つ。
 しかし、その間、自分と同じ格好をした目の前の女は、こちらに何一つ屋敷の仕事をさせようとしなかった。
 まるで役立たずだというかのように。
 おまえなど――必要ないというかのように。
「わけわかんねえ」
「わからないのですか」
「わからねえよ!」
 グググッ。
「っ!」
 依子の手の内で鞭がしなり、またも反射的にびくっとなってしまう。
「仕方ありません」
「何が仕方ねえんだよ! な、なんなんだよ!」
「メイド心得その一」
「はあ!?」
 唐突な言葉に依子をにらむもすぐにはっとなる。
 さっきもその言葉を聞いた。というかそれがこの成り行きのきっかけだった。
「なんなんだよ、それ!」
「わからないのですか」
「知らねえよ、そんなの! 聞いたことも……」
「ユイエンさんが教えているはずですが」
「えっ!」
 ふぅ。またもため息。
 鞭を持つ手に力がこもるのを見た百合子はあわてて、
「やっ、待てって! オレ様は本当に……」
「言いわけは」
 ググググッ!
「騎士としてもメイドとしても見苦しい行為です」
「ちょ、待っ、マジで……」
 そのとき、
「あ……あのっ!」
 振り下ろされる寸前の鞭が止まった。
「くっ……」
 その場にへたりこむ百合子。頭では認めたくないが身体は恐怖に対して正直だった。
「何か御用ですか、冴さん」
「いえ、その、あの……」
 屋敷で一緒に暮らす少女・五十嵐冴(いがらし・さえ)はあたふたと言葉を探すように視線をさ迷わせ、
「わたしも、その……メイドの格好とかしたほうがいいのかなって」
「………………」
「あっ、違いますよ! 決してそういう憧れがあるわけじゃなくて……あっ、いえ、別に憧れられない仕事だと思ってるわけじゃなくて……えーと、その……」
 ふぅ。ため息が落ち、
「百合子さん」
「!」
「メイド心得その一については、また今度」
「メ、メイド心得?」
 冴があぜんと口にする中、
「あっ」
 二人に背を向けた依子は静かに立ち去っていった。
「………………」
 沈黙する冴。かすかに躊躇する気配を見せた後、おずおずとこちらに顔を――
「おい」
「きゃっ」
 立ち上がっていた百合子は、すぐそばで冴をにらみつけた。
「『きゃっ』じゃねえよ、『きゃっ』じゃ」
「ご、ごめんなさい」
「なに、あやまってんだよ」
「それは……だから……」
「おい」
 百合子はさらに顔を近づけ、
「メイドでオレ様と張り合おうってのか、ああン?」
「張り合うとかそんなつもりは……メイドになるつもりもなくて」
「ケッ」
 気に入らない思いに顔をそむける。
「貸しでも作ったつもりかよ」
「えっ」
「そうなるだろうがよ」
 百合子はきまり悪そうに、
「別にメイドになりたくなかったってんなら……オレ様を……助けたってことに」
 終わりのほうは消え入りそうなほど声が小さくなる。
 が、すぐにボリュームを上げ、
「カン違いすんな! オレ様はクソババアに負けたりしねえんだよ!」
「う、うん……」
「二度と余計なことすんな! わかったな!」
 そう言い捨て、荒々しく足を踏み鳴らして立ち去ろうと――
「あ、あのっ」
「あん?」
「その……」
 勇気をふるってというようにこちらを見て、
「さっきの……朱藤さんの言葉!」
「どの言葉だよ」
「だから、その、メイド心得っていう」
「う……」
 百合子はたちまち顔をしかめ、
「それがなんだよ」
「だから……」
 またも言葉を選ぶように口ごもったあと、
「許しが出た……ってことなんじゃないかな」
「許しぃ?」
 こくり。冴がうなずく。
「ユイファ先輩から聞いたんだけど」
 ぴくり。反応する百合子。
 ユイファ――劉羽花(リュウ・ユイファ)は依子に次いで屋敷の家事を取り仕切っている存在だ。口に出すことはめったにないが、百合子も一目置いているところがある。
「ユイファお姉ちゃ……あ、あいつがなに言ってたってんだよ」
「うん……あのね」
 まだかすかにおびえを残しつつ、
「朱藤さんは、まず見てもらおうと思ってるんじゃないかって」
「見る?」
「うん」
 うなずいた冴は、こちらの目を見て、
「わたしも学校でやってる。先生たちが治療してるところを見学するの」
「それが……なんなんだよ」
「朱藤さん、まずは自分やユイファ先輩が家事をするところをじっくり見てもらいたかったんじゃないかな」
「えっ」
 百合子の目が見開かれる。
「そう……なのか?」
「だから、さっきの『メイド心得』って、今日から一人前として扱うってことだと」
 ドン!
「きゃっ」
 壁を勢いよく叩いた百合子に、またも冴が悲鳴をあげる。
「なんなんだよ、それはよぉ……」
 こみあげてくるいら立ちを抑え切れず、
「なら、最初から言えってんだよ! わけわかんねえよ、あのクソババア!」
「けど、朱藤さんってそういう人みたいだから」
「知ってるよ!」
「きゃっ」
「っ……悪ぃ」
 再びのきまり悪さに横を向く。
 冴はあたふたと、
「あ、あの、だからその『メイド心得』っていうのがわかれば」
「それだよ、それ!」
 ダン、ダン! またもたまらず壁を叩き、
「なんだよそれ! そんなの知らねえって――」
 そこではっとなる。
 依子は言っていた。『ユイエンさんが教えているはず』と。
「あのクソガキぃ……」
 ぎりぎりと歯が食いしばられる。
 ユイエン――劉羽炎(リュウ・ユイエン)は百合子にとって何かと気に入らない〝ガキ〟だった。きっと『メイド心得』というのも、
『教えたよー。オイラ、優しい先輩だからー』
 といった感じでぬけぬけと依子に言ってのけたのだろう。
「今日こそきっちりシメてやんぜ、クソガキぃっ!」
「ええっ!?」
 冴の驚く声に我に返る。醜態を見られた恥ずかしさに頬をかきつつ、
「その……あんがとな」
「えっ」
 冴の顔が赤らむ。
「そんな……お礼を言われるほどのことじゃ」
「どこだーっ、クソガキーーっ!」
「あっ、ちょ……そ、その、シメるとかだめだから! ちょっとーーーっ!」


 こんなふうに――
 それなりに順調(?)に百合子は日々を送っていた。
 メイドのことはともかくとして、他のことはそれなり――ではない厳しい指導が行われていたりもしたが。
 騎士としての立ち居ふる舞い。
 それ以前の一般常識としての応対の仕方。
 不平を言いつつ、百合子はそれらに素直に従っていた。
 はっきりとした理由は言えない。
 しかし〝母〟である依子――
 加えて、屋敷で共に暮らす者たちの存在が確かに彼女を変えていた。


 そして――
 その日は、来た。

「百合子ちゃーーーん!」
 バン! 朝から五割増しの元気さで屋敷に入ってきた少女――友人であり騎士である鏑木錦(かぶらぎ・にしき)の姿に、
「ちょっ……錦!」
 あわてて彼女に近づいた冴は、かすかに非難するような声で、
「もう、なんなの? 今日は、その、大事な日で」
「知ってるよ!」
 錦は目を輝かせ、
「百合子ちゃんが学校に来る日だよね!」
「ちょっ……!」
 とっさに錦の口を手でふさぐ。
「そういうデリケートなことを大声で言わないで!」
「むぐ? えいえーお?」
「そうよ」
 険しい表情でうなずくと、自分より長身な錦を引っ張るようにして歩き出す。
「? ?」
 口をふさがれたままハテナマークを出し続ける錦。
 そこへ、
「来んなっつってんだろ、ババア!」
 部屋の扉越しに大声が響いた。
「いあおって……」
「えっ?」
 何を言われたかわからない冴。
 錦が口をふさいでいる手を指さす。
 目で「絶対に静かに」と指示しつつ、冴は手を離した。
「いまのって……百合子ちゃん?」
 うなずく。
 と、またも扉越しに、
「何度も言わせんじゃねーよ! 来んなっつってんだよ、オレ様はよ!」
 そっと。わずかに開けた扉の隙間から二人は中をのぞきこむ。
「おおっ!」
「錦!」
 あわててまた錦の口をふさぐ。驚きに見開かれた彼女の視線の先に、
「言われていることの意味がわかりません」
 いつものメイド姿――ではなく、なんと、落ち着いた色合いの日本の着物に身を包んだ依子の姿があった。
 その前では、こちらは依子ほどには非日常でない私服姿の百合子がいら立たしそうに、
「オレ様が学校に行くんだよ! てめえが行くんじゃねえんだよ!」
「その通りです」
 依子はうなずき、
「ですから、学校に行く娘の付き添いとして……」
「付き添わなくていいんだよ!」
 百合子は自分の白い長髪をかきむしり、
「つか、なんでンな格好してんだよ!」
「これが正装だからです」
「違うだろ! てめえのいつもの正装はメイド……ってあれで来られてもアレなんだけどさあ!」
「一緒に行くことは認めていただけるのですね」
「認めてねーよ!」
 といったやり取りが室内では延々くり返されていた。
「朝からずっとあれなの。この調子じゃいつ学校に行けるのか」
「行こう」
「えっ」
「ぼくら先に行こう、冴ちゃん」
 冴の肩に手を置いた錦が優しい笑みを見せる。
 錦は、今日から百合子が通うことになる〝騎士の学園〟サン・ジェラール学園の学生――騎生(きせい)だ。
 冴もサン・ジェラールの学生で、錦が通うのは騎士学部、冴は医療学部である。
 校舎は異なるが向かう方角は同じだ。
「でも……いいの?」
「いいの」
 錦がうなずく。
「せっかくの入学式だもん。親子水入らずがいいよね」
 正確に言うと入学式ではない。しかし、錦の提案は冴にもうなずけるものだった。
「そうよね。二人きりで……」
「では行きますよ、百合子さん」
「だから、来んなって言ってんだろ!」
「わたくしが行かなければ、あなたまで行けないことになります」
「なんねーよ!」
「二人きりで……いいのかな」
 疑問かつ不安な思いもありつつ、冴は錦に手を引かれて部屋の前を離れた。


「いよいよだな」
 正午のすこし前までかかって。
 さんざん抵抗したあげく押し切られる形で依子と共に学園に来た百合子を迎えたのは、精悍な顔をした大柄な男性だった。
 金剛寺鎧(こんごうじ・がい)。
 現在、学園長代理のさらに代理という立場にある人物だ。
「百合子のこと、よろしくお願いします」
「ああ……」
 和服姿の依子に深々と頭を下げられ、学園長室の椅子に座っている金剛寺は戸惑ったように首すじをかいた。金剛寺と依子は下位騎士だったころからの付き合いだそうだが、そんな彼でもこんな姿を見るのは初めてという顔だった。
 と、金剛寺の視線がこちらに向けられる。
「本当にいいんだな」
「……おう」
 言葉少なにうなずく。
 騎士の学園に入りたいと言ったのは――百合子だ。
 その理由を彼女は誰にも語っていなかった。
「そうか」
 金剛寺もそれだけを言ってうなずく。
 彼は百合子がダークランサーだったことを知っていた。ダークランサーがこの学園にしたことも――当然。
「よし」
 厳粛な顔で金剛寺は関係書類に判を押した。
「朱藤百合子。これでおまえはサン・ジェラール学園の第一騎生だ」
 サン・ジェラール学園騎士学部の騎生は三つに分かれている。第三、第二、第一。それぞれが騎士の下位である第三位階(サードクラス)の〝権騎士(プリンシパリティ)〟〝大騎士(アークナイト)〟〝騎士(ナイト)〟に準じている。
 つまり、百合子の〝騎士団〟――九百年以上の歴史を誇る国際的騎士組織・現世騎士団(ナイツ・オブ・ザ・ワールド)における位階は〝騎士〟ということになる。
「ケッ」
 気に入らないというような顔をしてみせる百合子。しかし、本心では位階の上下などどうでもよかった。ポーズというか普段の癖でそんな態度を取ったというところだ。
「ところで、鎧」
 依子が口を開く。
「百合子さんの騎生連(サークル)についてはどうなるのでしょう」
 騎生連――それはサン・ジェラール独自の特殊な学習班と言うべきものだ。同じ位階の騎生三人で一組の騎生連を構成し、それを教官が指導する。
「ああ。それについては……」
「なり手がいないのであれば、わたくしが」
「わけわかんねえこと言ってんじゃねえぞ、ババア!」
 あわてて声を張り上げる。
「そうですね」
 依子はかすかに微笑み、
「わたくしは騎士ではありません。立場的にも、実際も」
「……っ」
 その通りだった。依子は十年前に〝騎士団〟を抜け、そして現在、騎士としての能力そのものも喪失している。
「どっちにしても無理だっつんだよ、クソババア」
 小さくつぶやく。それは無意識ながらも百合子なりの〝配慮〟だった。
「それでもできることはある」
 金剛寺が言う。彼もまた騎士としての能力を〝喪失〟した人間だった。
「では、わたくしが騎生連に……」
「そういうこと言ってんじゃねんだよ、ババア!」
「そ、そうだな」
 かすかに口もとを引きつらせつつ、金剛寺は、
「彼女の騎生連については俺のほうで考えていることがある」
「それは、どのようなことを」
「うむ」
 あごをさすりながら、彼は言った。
「向こうも今日の予定になっているが」
 依子と百合子を交互に見つつ、笑みを見せ、
「この学園にもう一人編入生が来ることになっている」

「ここが騎士の学園のある島ですかー」
 荷物と共に港に降り立った紀野鳴(きの・めい)は、目を輝かせながら辺りを見渡した。
「あんまりきょろきょろしないの。無駄に田舎者まる出しだから」
 共に船から降りたフランソワ・ミンが、年下であり騎士としても下の位階である鳴をたしなめる。
 はっとなった鳴はすぐさま背筋を伸ばし、
「すいませんでした、ミンさん!」
 その瞳に熱がこもり、ぐっと拳が握りしめられる。
「そうですよね。東アジア区館代表として恥ずかしくないふるまいをしないと」
「誰が代表よ、誰が」
 たまらず苦笑してしまう。
(無駄に気合入り過ぎちゃってるのよねー、ホント)
 そう思いつつ、ちらりと目を脇に向ける。
 そこにも〝気合入り過ぎ〟な人物が、いつもの無表情で立っていた。
「……ねえ、ハナ」
 呼ばれたハナが顔を上げる。
 その姿は、幼いころから彼女を妹のようにかわいがってきたミンにとってきわめて〝異質〟なものだった。
「本当にその格好で行くの?」
 こくこく。無表情のままうなずかれる。
「いや、まあいいんだけど」
 言葉を濁す。
 普段まったく身なりに気をつかわないハナ。そんな彼女が、なんと淡いピンクの三つ揃いスーツを身にまとっていた。ぼさぼさの短い髪もきちんとセットされ、手には小さなハンドバッグ。あえて言うなら、学校での子どもの大事な行事に赴く母親のような装いだ。
(ある意味『保護者』ではあるんだけど)
 鳴はハナの従騎士であった。従騎士は騎士の見習いであり、それが仕える騎士はいわば師匠に当たる。ハナは鳴が正式な騎士――〝騎士(ナイト)〟となった後もいろいろと目をかけ続け、サン・ジェラール入学にもこうしてついてきてしまったのだ。
「まさか、このまま島で一緒に暮らすなんて言い出さないわよね」
 ぎくっ。そう言いたそうに小柄な身体がかすかにふるえる。
「あんたねー」
 さすがにそれは黙っていられないと、
「わかってるでしょ? 立場ってものがあるんだから」
 相変わらずハナは何も言わない。しかし、その目に明らかに不服そうな色が浮かぶのを、ミンは驚きの思いで見た。
 こんな態度を取られたのは初めての経験だった。
 そもそも、このようにきちんとした格好を見たこと自体がすでに初めてなのだ。ミンがいつも身ぎれいにしようと苦心して、それでも変わらなかったハナがだ。
 彼女を変えてしまったのは――
「ハナさん」
 鳴がハナの前に立った。
「ごめんなさい。僕が情けないせいでいつも心配をおかけして」
 ふるふる。ハナが首を横にふる。
 それを優しさと受け取ったのか鳴は笑みを見せ、
「いいんです、わかってますから。だから、僕は騎士の学校に来たんです」
 ハナの瞳がゆれる。
「成り行きみたいな形で〝騎士(ナイト)〟になってしまいましたが……従騎士のころから自分が成長したとは思えません。自分の未熟さは自分が一番よくわかってます」
 またもハナが首を横にふる。
 内心では、ミンもハナと同意見だった。
 鳴は成長した。すくなくとも出会った当初は、こういうふうにはっきり自分の意見が言える少年ではなかった。
 そして、成長したのはハナも同じだ。
 師になることで彼女もまた変わったのだ。
「僕、必ず強くなって鳳莱島(ほうらいとう)に帰ります。ハナさんに誇りに思ってもらえる騎士になって」
 頼もしい言葉に、ハナの頬が赤く染まる。
 そして、未練をにじませつつも、こくりとうなずいたのだった。
「行きましょう」
 鳴が手を取る。かすかに照れるそぶりを見せるもハナは引かれるまま共に――
「あっ」
 足が止まる。
 ? とハナが首をかしげる中、
「あの……」
 鳴は情けなさ全開の顔で、
「学園って……どっちに行けばいいんでしょう」
 がくっ。ハナだけでなくミンも肩を落とす。
(やっぱり、まだまだ成長してないのかしらねー)
 内心ため息をつくミンだった。


「ケッ、長々オッサンの話なんか聞いてられっかよ」
 学園の廊下を歩きながら、百合子は一人で悪態をついていた。
 あれから金剛寺による『学園での心得』的な話が始まり、長くなりそうな気配を感じた百合子は「トイレに行く」と言って早々に逃げ出したのだ。
「心得は『メイド心得』だけでたくさんだっつーの」
 ぼやきは止まらない。
「つか、あのババア、何が『学園内は不慣れでしょう。わたくしもついていきます』だよ。不慣れなのはてめえも同じだろーが。大体、ババアに便所つきあっってもらうほどガキじゃねーんだよ、こっちは」
 独り言が誰もいない廊下にやけにこだまする。
 昼間、校舎にひと気がないのは、騎士学部では珍しいことではないようだ。騎士槍の鍛錬も乗馬の修練も、基本は広い野外で行うことになる。格闘術も専用の訓練場があるらしい。そして、野外での活動が多い分、学問の分野もそのまま外で行うとのことだ。
「………………」
 独り言が止まる。共に足も止まりそうになるが、
「ふんっ」
 力をこめて前に踏み出す。
 ただ脱け出すことが目的だったわけではない。
 百合子には――一人で行きたい場所があった。
「無駄に広ぇ校舎つくってんじゃねえよ」
 再び悪態をつきつつ、記憶と案内図を頼りに百合子は足を進めていった。


「………………」
 思っていたほどの感慨はわかなかった。
 サン・ジェラール学園・医療学部。騎士学部からさほど離れていない場所にあるその校舎は記憶とほとんど変わらない姿を見せていた。
 百合子が――黒い仮面の騎士ダークランサーが破壊する前と。
「フン」
 気に入らないという鼻息をもらす。
 なぜここに来たのか、それは自分でもはっきりとはわからなかった。
 けど来ないのは――逃げているような気がした。
 ただ、それだけのことだった。
「ハン」
 再び鼻を鳴らす。
 ここにいつまでいても仕方ない。
 校舎に背を向けると、百合子は大股にその場から――
「見つけました!」
「……!」
 身体が強張る。
「くっ……」
 うかつと言えばうかつだった。
 ここはまさに〝現場〟なのだ。仮面をしていたとはいえ、百合子の面影にダークランサーを重ねる者がいたとしても不思議はない。
「チッ」
 舌打ちをして百合子はその場から走り出そうと――
「ローズランサー殿!」
「なっ!?」
 百合子の足がもつれる。
 いま何と言われた? ダークランサーではなく……ローズランサー!?
 思わずふり返った――そこに、
「はあぁ~……」
 うっとりと。これ以上ないほど顔を歓喜に輝かせて〝彼女〟は言った。
「やっとお会いできました! ローズランサー殿!」

「百合子さん」
「うおっ!」
 ドターーン! 自室で物思いにふけっていた百合子は、座っていたベッドの上から転がり落ちた。
「い、いきなり人の部屋に入ってくんじゃねえよ、ババア!」
 あたふたと声を張り上げる。
 そこには、いつものメイド姿に戻った依子が静かに立っていた。
「先に帰っていらしたのですね」
 ぎくぅっ! 心臓が跳ねあがる。
「やっ、それは……」
 あの後――
 百合子はなかば無意識のまま学園を後にしていた。学園長室にいるであろう依子のこともすっかり忘れていた。
「な、なんか、腹が痛かったんだよ! それで……」
「お腹が?」
「そうだよ! だから帰ったっつーか……」
 ガバッ!
「うおっ!?」
 不意にのしかかってくるような勢いで迫られ、たまらず驚きの声をあげる。
 依子はさらに、
「ちょっ、てめっ……何してやがんだよ!」
「診察です」
「はあ!?」
 上着をまくりあげられそうになり、必死で抵抗する。
「や、やめろ! やめろってんだよ!」
「心配ありません」
「何がだよ!」
「騎士の力は失われても知識までは失われていません」
「は!?」
「ですから、心配ありません」
「それとこれとがどうつながって……」
 そこではっとなる。
 騎士は、簡易ながら怪我などの手当てが行える知識を具えている。それは常在戦場である騎士の伝統であり、サン・ジェラールに医療学部が併設されている理由もそこにある。
「さあ」
「『さあ』じゃねえよ! まくるな!」
「まくらなければ診察できません」
「な、治ったから! もう平気だから診察すんな!」
「そのような予断は禁物です」
「予断じゃねえよ、事実なんだよ! だからまくんなーーーっ!」
 そこに、
「百合子ちゃん……」
「!」
 信じられないというような声を耳にし、驚いて顔をあげる。
「あ……」
 開かれた扉の前に立っていたのは、依子とは微妙に異なるデザインの使用人服姿をした眼鏡の少女――ユイファだった。
 いまの自分の状況に百合子はあわてて、
「カ……カン違いすんな! これはこいつが無理やり……って違うほうの意味の無理やりじゃなくて」
「百合子ちゃん……」
 眼鏡の向こうの目がきゅっとつり上がり、
「ずるい!」
「はああ!?」
「わかるよ、親子だもん! 親子が仲良くするのは当然だもん! けど、わたしだってお姉ちゃんなんだよ!? なのに仲間外れにするなんて!」
 あぜんと言葉をなくす。
 お姉ちゃん――ユイファがそう自称しているのは確かだ。
 だからと言ってこんな状況でそんなことを言うのは実の姉でもあり得ないというか、そもそもどう見ればこの状況が仲良くしているように見えるのかと――
「わかりました」
「って、おまえが何わかったんだよ!」
 抗議はさらりと無視され、
「ユイファさん」
「はい」
「医療学部で日々学んでいること、見させていただきます」
「はい!」
「『はい』じゃねんだよ、おまえもよぉーーっ!」
 目を輝かせてうなずくユイファに百合子は絶叫する。
「お医者さんごっこですね」
「どうしてそういう発想になるんだ、てめえはぁーーっ!」
「あっ、そうだよ」
 ぽん。ユイファが手を叩き、
「残念だけどいまはこういうことしてる場合じゃなくて」
「残念がるなよ、てめえはよぉ!」
「だって、部屋に入ったらいきなり百合子ちゃんが誘惑してくるから」
「してねーよ!」
「それで、ユイファさん」
 いままで異常なことをしていたとはとても思えない冷静な口調で、
「何か用事があるのではないですか? それでここに来たのでしょう」
「あっ、はい、実はいま……」
 そう言いながら、愛らしいものを見るときのうっとりした目になる。
 百合子は直感する。
 年下好き――そんなユイファにこんな反応をさせる〝存在〟は決まっている。
「来てるんです。シエラちゃんが」


「ようこそ、マリエッタ」
 夕焼けに染まる中庭。うれしそうに目もとをほころばせる赤褐色の馬・麓華(ろっか)に、白馬のマリエッタも笑みで応えた。
「今日はまたどうしたのですか? シエラ様もご一緒で」
 その質問には答えず、マリエッタは中庭を見渡す。
「ここって、こんなに広かったんですね」
「っ……」
 かすかに麓華の表情がこわばる。が、すぐに気にしていないというそぶりで、
「そうです。毎日とても気持ちよく過ごせています」
「………………」
 わかっている。そんな目で見たマリエッタは、
「わたしが一緒に住んでも大丈夫そうですね」
 麓華が息をのむ。
「どういうことですか? また、その、トレードのようなことを」
 マリエッタの首が横にふられる。
「でしたら……」
「わかりません」
「えっ」
 驚きの声をあげる麓華にマリエッタは、
「みんな、これからの話ですから」


「んだと、ガキぃ」
 ぎょろりと目を剥いた瞬間、
「百合子さん」
「……!」
 背後からのプレッシャーが百合子をふるわせる。
 そんな自分をごまかそうと、わざとらしく腕と足を組み、
「な、なに言ってやがんだよ、ガキ!」
「あの……ご、ごめんなさいっ」
 向かいに座った黒いドレスの女の子――シエラルーナ・ルストラがあたふたと頭を下げる。
「何あやまってやがんだよ」
「ごめんなさいっ!」
「だから、何あやまってんだって聞いてんだろーが!」
「百合子さん」
「っ……」
 またもどうしようもなくふるえてしまう。
 応接間のソファーに座った百合子は、後ろに立つ依子を忌々しそうに見て、
「なんでてめえまでいやがんだよ、ババア」
「メイドですから」
「理由になってねえよ!」
 しかし、後ろに楚々とメイドが控えている姿は確かに絵になった。
「メイドというなら……」
「あん?」
 つぶやきを耳にした百合子がまたも剣呑な目つきになる。
 あわてて口に手を当てるシエラだったが、
「んだよ、ガキ。言いたいことがあんなら言えや」
「う……」
 瞳をゆらすもシエラはおそるおそる、
「……ですよね」
「あ?」
「メイド……ですよね」
 じっと。
 百合子の服装を見て、シエラは言った。
「ああン?」
 気に入らないというように、
「んだよ。メイドじゃ悪いかよ」
「そ、そんな、悪いなんてことは」
 あたふたと言うシエラ。
 自室での騒動のあと、百合子は当然のようにメイド服に着替えてシエラの前に現れた。屋敷でこの格好をするのは彼女にとって当たり前のことだ。
 シエラが百合子のメイド姿を見るのは初めてではない。しかし、偉そうに座っているメイドの後ろにさらにメイドが控えているという光景は、あまり見るものではなかったはずだ。
「で、なんだよ、ガキ」
 百合子が身を乗り出す。
「てめえはさっきのつまらねえ話するためにここに来たってのか」
「つまらない話では……」
「フン」
 どっかりとソファーの背に寄りかかり、
「オレ様はガキにめぐんでもらう気はねえんだよ」
「そんな!」
 シエラは顔色を変え、
「めぐむなどというつもりはありません!」
「じゃあ、なんだってんだよ」
 再び身を乗り出し、
「なんで、てめえんとこの馬をオレ様になんて言うんだよ」
「それは……」
 おびえをにじませつつも、シエラは百合子の目を見つめ返し、
「ふさわしいからです」
「あ?」
「マリエッタが。あなたにふさわしいすばらしい騎士の馬だからです」
 ためらいのないその言葉に、かすかに気圧される。
 が、すぐに、
「っせえ! なんでそんなこと言えるんだよ!」
「言えます!」
「だから、なんでだよ!」
「知っているから……」
 胸元できゅっと小さな拳を握り、
「マリエッタがすばらしい馬であるということを。私の……この身をもって」
「っ……」
 確かな信頼のこもったその言葉にまたも気圧される。
 しかし、すぐに当てつけるようにして、
「つーかよー、オレ様だけじゃ決めらんねーぜー。ここに新しい馬が増えるなんてよー」
「構いません」
「おい!」
 あまりにあっさり承諾されてしまい、たまらず依子に詰め寄る。
「なんでだよ!」
「知っているからです」
「何をだよ!」
「マリエッタさんがとても賢くて心の優しい馬だということをです」
「えっ」
 百合子は驚き、
「なんで……」
「マリエッタさんはここで暮らしていたことがあるのです」
「そうなのかよ!?」
 シエラを見ると、
「はい……」
 そのときのことにはあまりふれてほしくないというように目を伏せた。
「ふーん」
 百合子はかえって興味を持ち、
「なんだよー、何があったんだよー」
「それは……」
「言えねえようなことかー? どうせ、てめえのことだから、カン違いお嬢様なクソ恥ずかしい……」
「百合子さん」
 いじめは許さない。そんな冷たい声を依子が放つ。
 またもふるえる百合子だったが、
「な、なんだよ。オレ様はその馬? ってのを知ろうとしてるだけで」
「………………」
「ちょっ、だから違うっつってんだろーが! 鞭しならせてんじゃねえよ、おぉい!」


「シエラ様は本当によく百合子さんの話をされるんです」
 中庭――
 いつも夢中で彼女のことを語るシエラを思い浮かべてマリエッタは目を細めた。
「このたび、その百合子さんが騎士の学園に入学されると聞いて……」
「それで……あなたを?」
 うなずくマリエッタ。麓華は難しそうな表情を見せ、
「大丈夫でしょうか」
「えっ」
 思わぬ言葉にマリエッタの表情が沈む。
「わたしでは……力不足ですか」
「あっ、いえ、そういうことを言っているわけではなくて」
 そこに、
「あー、ほんとにマリエッタだー」
 使用人服姿の小柄な人影――ユイエンが明るい声と共にやってきた。
「ぷりゅ」
 マリエッタは頭を下げる。以前、この屋敷で世話になったときにその顔は見知っていた。
「ねーねー、ちょっと聞いたんだけどさー」
 内緒話を打ち明けるようにユイエンが顔を近づけてきた。
「マリエッタがあいつの馬になるってマジ?」
「ぷりゅ……」
 困ったといういななきをもらす。
 あいつ――百合子のことを言っているのだろう。しかし、彼女の馬になるかどうかを決めるのは自分ではない。
「やめといたほうがいいよー」
「ぷりゅ?」
「あいつさー」
 秘密の話をするというように耳元で、
「オイラのこといじめるんだー。メイドのオバサンの見てないところで」
「ぷりゅ!?」
 目を見張るマリエッタ。
「あいつ、すっごいワルモノでさー。生意気だし、人の悪口ばっかり言うし、ぜんぜん言うこと聞かないし。あいつの馬になったら絶対後悔するよー」
「ぷ、ぷりゅ……」
 動揺のいななきがもれる。
「あいつがまともな騎士とか無理無理。学園に入ったのだって意味わかんないしさー。大体あいつ前に学園で……」
「おい」
 がしっ。ユイエンの頭が後ろからわしづかみにされる。
「う……」
 ユイエンの顔がこわばる。
 が、すぐに不敵そうに微笑み、
「あれー、こんなところにいていいのー? お客さんはー?」
「よけいなお世話だよ」
 ぐぐぐ……指に力がこもる。
「てめえ、部屋の外で盗み聞きしてやがったな」
 小さく舌を出すユイエン。それは肯定ということを示していた。
 と、再びこちらに向かって、
「ねーねー、信じられないと思わなーい? こいつが学園に通うとかさー。あんなことした学園によく……」
「てめえ!」
 怒声が放たれる。
 と、その感情のゆれの隙をついたユイエンがすっと真下に頭を抜いた。
「あっ」
 あわてるもすでに遅く、前方に跳んだユイエンは地面で一回転するとそのまま逃走態勢に入った。
「待ちやがれ、ガキ!」
「待つわけないだろ、バーカ!」
 ふり向いたユイエンは思いきり舌を出し、
「オイラは忘れないからな、おまえがしたこと! 姐々やシルビアが許したって絶対にな!」
 そう捨て台詞を残すと、あっという間に姿を消した。
「チッ」
 忌々しそうな舌打ちがこぼれる。
 そこへ、
「マリエッタ!」
 ぱたぱたと駆け寄ってきたのはシエラだ。
「何を言われたんですの!?」
「ぷりゅ?」
「ひょっとしたら、百合子さんのことをいろいろと……」
 はっとなるマリエッタ。
 シエラはこちらがいろいろと耳打ちされているところを見たのだろう。そして、その後のユイエンたちのやり取りからその内容に思い至ったのだ。
「ぷ、ぷりゅ……」
 どう返事していいか言葉に詰まる。すると、
「おい」
〝彼女〟がシエラを脇にどけた。
「百合子さん……」
 不安そうな声をもらすシエラ。
 彼女――百合子がこちらを見て、
「てめえかよ」
「えっ」
「黒ガキがつれてきた馬ってのは」
「はい。マリエッタと……」
「カン違いすんなよ」
 こちらの言葉を制するように百合子はドスを利かせ、
「別におまえをオレ様の馬にするって決めたわけじゃねえ! つか、そんな話、最初っから興味ねえ!」
 あからさまな拒絶にマリエッタは瞳をゆらす。
「では、どうしてここに……」
「仕方ねえだろ。『馬を知ろうとして』ってババアに言っちまったんだから、ここに来ねえわけには」
 マリエッタにはよくわからない言いわけをつぶやいたあと、
「おい」
 あらためて百合子がこちらをにらむ。
「聞いてんのかよ」
「えっ?」
「オレ様のこと。こいつから」
「あ、はい、もちろん」
「ハン」
 鼻を鳴らす。
「どうせ、勝手にオレ様のことをヒーローとか言ってんだろ。ったく、うぜえガキだぜ」
「そんな……」
 マリエッタは驚きあわてて、
「百合子さんはシエラ様を助けてくださったと」
「たまたまだっつの」
 うっとうしくて仕方ないという目で、
「それをこのガキはいつまでも」
 シエラが見る見るうなだれていく。マリエッタはいっそうあわてて、
「けど、助けてくださったのは事実です!」
 ぷりゅ! 強くいななきをあげる。
 百合子はかすかに驚いたという表情を見せ、
「なんだよ……なんでこのガキのことをそんなに」
「必要としてくれたからです」
 そのときの感動を思い出す。
「シエラ様はわたしを……情けない馬だったわたしを必要としてくれました」
 百合子の目を見つめ、
「騎士の馬として、それ以上の理由が必用ですか?」
「っ……フン」
 言葉に詰まった百合子は、悔しそうに目をそらした。
 そして、
「違ぇーよ」
「えっ」
「おまえは……」
 声に真剣さがこもる。
「おまえは情けなくなんかねえ」
「……!」
 マリエッタの目が見開かれる。
「あ、あの、それは」
「フン」
 その場の空気をごまかすようにまたも鼻を鳴らし、
「あっ」
 背を向けた。
「百合子さ……」
「来んな」
 静かに。しかしはっきり拒絶を示す言葉。
 認められたと思ったのが一転、マリエッタは動揺を隠せなくなる。
「オレ様の馬になんかならねえほうがいいんだよ」
 それだけを言い残し、彼女はふり返ることなく去っていった。
「百合子さんっ」
 シエラがあたふたとその後を追いかける。一方、マリエッタは遠ざかっていく二人をただ見送ることしかできなかった。
「マリエッタ……」
 心配そうな声と共に麓華が寄り添ってくる。
「その……百合子様はすこし難しい方で」
「………………」
 何も答えられなかった。

『シエラ様はわたしを……情けない馬だったわたしを必要としてくれました』
『騎士の馬として、それ以上の理由が必用ですか?』
 あれから一晩が経ち――
「チッ」
 マリエッタの言葉が頭から離れず、百合子はいらだたしそうに髪をかきむしった。
 今日も学園長室に行くことが厳命されている。昨日できなかった騎生連の話があらためてされるらしい。
『また逃げ出すようなことがあれば……』
 鞭を手にしながらそう言った依子を思い出し、百合子の背筋が凍る。その上、今日も一緒についてこようとした彼女を、それだけはと必死になって止めたのだ。
「別に逃げたわけじゃねえよ」
 言いわけのように、一人つぶやく。
 本当に逃げたつもりはなかった。
 ただ、思ってもいなかったあの〝遭遇〟さえなかったら――
『ローズランサー殿!』
「う……」
 昨日の昼間のことを思い出し、百合子の顔が引きつる。
 必要としてくれた……そううれしそうに語ったマリエッタ。しかし、世の中には〝必要とされない〟ほうがよかったというようなこともあると――
「見たのです、ローズランサーを」
「!?」
 学園長室の扉に手をかけた瞬間。
 扉越しに聞こえたその声に、百合子はぎょっと動きを止めた。
「あの後ろ姿は間違いなくローズランサーです。証拠? そのようなものはありません。ですが見間違えるはずはありません。たとえ髪の色が変わっていようとも」
「く……」
「ですから、何度も言っているようにローズランサーは学園にいると――」
 まずい。百合子は後ずさりで学園長室から離れようと、
「!」
 ドンッ!
「わっ」
「おわあっ!?」
 思いがけず大きな声が出てしまう。後ろにいた〝誰か〟にぶつかった百合子は、そのまま一緒に倒れこむ。
「――!?」
 ぐみっ。
 背後から胸を思いきりわしづかまれた――そう気づいた瞬間、
「死ねや、オラァァーーーーッ!」
 ぼぐぅっ!!!
「ぐふっ!」
 考えるより先に肘が出ていた。
「死ね、死ね、死ねぇっ!」
 ぼぐっ! ぼぐっ! ぼぐぅぅっ!
「ち、ちょっと!」
 腕がつかまれる。
「……!」
 動けない。力づくで無理やりというのではない。軽くひねったその角度で巧みにこちらの動きを封じている。
 そのことに気づいた瞬間、怒りに支配されていた頭が我に返った。
「ふー、話には聞いてたけどね」
 やれやれというような声が耳に届く。
 ふり向くと、ふわりと結い上げられた褐色の髪が目に入った。
「てめえ……」
 にらみつける。
 向こうはまったくひるむことなくため息をついてみせ、
「ほんと狂犬ねー」
「ああン!?」
「ぐふっ」
「あっ」
 思い出す。自分が〝誰か〟の上に乗っていたということを。
 そして、そいつは胸を――
「オラァァァァッ!」
「ちょっ……いきなりまた暴れ出すんじゃないわよ」
 あわててブルネットの女性が百合子を止めようとした――そこに、
「……いた」
「!」
 百合子の顔が引きつった。
 おそるおそる……視線が正面に向けられる。
 開かれた学園長室の扉。
 そこにいたのは、
「ローズランサー殿……」
 感動に声を打ちふるわせ、彼女は百合子に向かって、
「ローズランサー殿ぉぉぉぉーーーーっ!」
「おわぁーーっ!」
 ドンッ!
「うぐっ!」
「ぐふぅっ!」
 百合子、そして百合子に乗られた人物の悲鳴が廊下にこだました。


「ふぅ」
 学院長室の椅子に座った金剛寺は困ったというように頭をかいた。
「さっそくこの騒ぎとはな」
「ンだよ」
 応接用のソファーにどっかり身を沈めた百合子は、気に入らないというように横を向き、
「オレ様が悪いってのかよ」
「そうは言わないが……」
 難しそうな顔でそうつぶやく。
 と、そこに、
「ローズランサー殿❤」
「う……」
 熱い視線を感じつつ、それを意識しないよう横を見続ける。
「ああ、なんと凛々しい横顔。まさにあのとき鳳莱島で見たのと同じ……」
「だからよ! それは……」
 思わず顔を向けてしまい、そしてすぐに後悔した。
「く……」
 熱い。熱すぎる。
 静かながら熱に満ちたその視線から百合子は逃れられなくなる。
「や、やめろ……」
「何を?」
「見んのをだよ……」
「やめません」
 微笑しながらの、はっきりとした拒絶。
「目を離したらまたいなくなってしまうでしょう。昨日のように」
「………………」
 昨日――
 医療学部の校舎前で百合子を『ローズランサー』と呼んだのは、目の前の浅黒い肌の女子だった。黄色が主体のゆったりとした衣装を身にまとい、実用的とは思えない飾りのような小さな眼鏡が鼻の上にちょこんと乗っている。
「あらためて自己紹介をさせてください」
 宣言通りに視線を外すことなく彼女は言った。
「サン・ジェラール学園第一騎生ラモーナ・タヴィア。インド区館出身です」
「インド区館……」
「昨日もお話しした通り、東アジア区館の鳳莱島へは導師のお付きで行きました」
「聞いてねえよ……」
 蛇ににらまれた蛙のような状態で、それでも百合子はつぶやく。
 七区館(セブン・プライオリー)――
 それは、世界中にいる〝騎士団〟の騎士たちを出身地別に分けたものである。インド区館や東アジア区館は、その七区館の一つとして数えられている。
「導師は東アジア区館の前館長ととても親しくされていたそうで、その縁でいまも交流があるのです」
「聞いてねえって……」
「ちなみに導師は騎士であり徳の高い僧侶でもあります。拙(せつ)も導師にはるかにおよばぬながら騎士の道を通して悟りを……」
「聞いてねえって言ってんだろ!」
 たまらず立ち上がって声を張り上げる。
 しかし、彼女――ラモーナはやはり動揺を見せることなく、
「聞いてください」
「ああン!?」
「まだまだとても足りないのです。拙の貴女への愛を語るには」
「う……」
 ぞっとなる。怖気がふるう。
 愛。
 そんな言葉を正面からぶつけられたのは初めてだった。
 逆だった。
 憎まれ、恨まれ、嫌われ続けてきた。
 そしてこちらも、憎み、恨み、嫌いぬいてきた。
 それを目の前の女は――
(……チッ)
 心の中で頭をふる。
 違う。
 この女が見ているのは――自分ではない。
 ローズランサーだ。
 あのうっとうしい黒ドレスのガキと同じだ。
 見ているのは本当の自分ではない。
 本当の自分――
(自分……?)
 自分とは――何なのだ。
「ラモーナ・タヴィア」
 ようやくというように金剛寺が口を開く。
「おまえが見たローズランサーは彼女……朱藤百合子ではない」
「っ……」
 はっとなる。
 そうだ、わかっていた。
 ラモーナは言った――『鳳莱島で見たのと同じ』と。
 百合子はその島へは行ったことがない。つまり、彼女がそこで見たローズランサーというのは――
(ババア……)


「ふぅ」
 金剛寺はため息をついた。
 どうして、こんなことになってしまったのか。
 そもそも学園長代理など無理だということはわかっていた。正確には代理の代理だがそれでも自分には荷が重すぎた。
 しかし、
『他に適任はいないと思うのだがな。キミの知識と経験は有用だ。それとも、わたしの判断に疑いがあるのかね、金剛寺』
 騎士の大先輩である真の学園長代理・李秀宗(イ・スジョン)にそう言われてしまえば、彼には断るすべがなかった。
「ふぅ」
 またもため息がこぼれる。
 一体これはどういう状況なのか。金剛寺は頭の中で整理する。
 百合子のことは自分も気にかけていた。
 彼女が〝本物の〟朱藤百合子ではないと知っていても、その〝母親〟である依子の想いを長い付き合いである金剛寺が無視することはできなかった。
(しかし……)
 あらためてこれはどういう成り行きなのかと思ってしまう。
 昨日、百合子に逃げられたときは、それも仕方ないという思いがあった。
 彼女の〝生まれ〟を知る者としては、自分ができることの限界を痛いほどに了解していたということもあった。
 そして、日をまたいだ今日、学園長室にラモーナが来た。
「この学園にローズランサーがいます」
 驚いた。突然その名を聞かされて。
 彼女は言った。
 自分は昨日ローズランサーを見た。
 しかし、逃げられてしまった。
 どうしても再び彼女に会わなければならない。何か知っていることがあるならば教えてほしいと。
「学園長代理は東アジア区館の所属と聞いております」
 そして、ラモーナは言った。
 自分が初めてローズランサーを見たのは東アジア区館の拠点である鳳莱島なのだと。
 ここで金剛寺はあることを思い出した。
〝娘〟から報告は受けていた。
 以前、鳳莱島でトラブルがあった。
 そのときに現れた朱混じりの紫色の仮面の騎士。
 それこそが、ローズランサーだった。
「一目でわかりました。かの方がローズランサーであると」
 違う……。そうはっきり言っていいのか、そのときの金剛寺には判断できなかった。
 見間違いとは言えない。
 確かに二人は〝同じ存在〟であるのだから。
 金剛寺がどう返事すべきかためらっているそこに――
「死ねや、オラァァーーーーッ!」
 部屋の外から扉越しに怒号が響いたのだった。


「ローズランサーです」
 おまえが見たローズランサーは百合子ではない。そう口にしてしまった金剛寺への返答はすみやかだった。
 ラモーナは百合子を見て、
「でしょう、ローズランサー」
「っ……」
 懸命に目をそらし、そして言う。
「ち、違ぇよ……」
 嘘ではない。
〝鳳莱島で見た〟ローズランサーならそれは自分ではない。
「違いません」
 ラモーナは微笑したまま欠片もゆらぎを見せない。
「ローズランサーです」
 どうすんだよ……たまらずそんな目を向けてしまう。
 金剛寺はさらなるため息と共に頭をふっただけだった。
(頼りになんねーな、オッサン!)
 心の中で怒鳴りながら、百合子はとにかくこの状況をなんとかしようと意を決して彼女と向き合った。
「おい、てめえ」
「ラモーナです」
「っ……な、何がしてえんだよ」
「はい?」
 虚を突かれたというように目を丸くする。
「何が……」
「そうだよ」
「………………」
 しばらく黙って考えるそぶりを見せた後、
「わかりません」
 がくっ。百合子だけでなく金剛寺も肩を落とす。
「なっ、なめてんのか、てめえ!」
「なめる?」
「そうだよ!」
「お望みならば……」
「って、顔近づけんじゃねえ! なに考えてやがんだ!」
「何も」
「はあ!?」
 再びおだやかな笑みを見せ、彼女は言う。
「すべては流れのままに」
「な、流れ?」
「はい」
 うなずく。彼女にとってそれは当然のことだというように。
「………………」
 絶句する。
(なんなんだ、こいつ……)
 一つだけわかったことがある。
 目の前の女の言うことが何一つわからないということ。そして、これ以上黙ってわけのわからない話を聞くつもりは百合子にはなかった。
「おい」
 立ち上がる。
 こちらに送られ続ける熱い視線を押し返すようにその目をにらみ、
「呼ぶな」
「はい?」
「オレ様をだ。さっきの呼び方で」
「さっきの……?」
 きょとんとなるラモーナだったが、すぐにぱっと顔を輝かせ、
「わかりました」
「えっ」
 あまりに気持ちよく了承され、今度は百合子のほうがあぜんとなる。
「い、いいのかよ」
「はい」
 ラモーナはうなずき、
「うかつでした。申しわけありません」
 深々と頭を下げる。
「いや、うかつっつーか、なんつーかだけど」
「うかつです」
 ラモーナは真剣な顔で、
「ローズランサーは謎の仮面の騎士。その正体を人前で言うなどうかつにもほどがあります」
「お、おう……」
 もうそれはそれでいいとうなずきかけたところに、
「というわけで、これからは『ローズランサー前ランサー』と呼ぶことに」
「おい!」
 どこまで言っても通じ合わない会話に頭をかきむしる。
「なんでそういうことになるんだよ!」
「そういうことになるでしょう」
 ラモーナは平然と、
「ローズランサーになる前のランサーなのですから、ローズランサー前ランサーと」
「なんだよ『なる前のランサー』って! 何ランサーだよ!」
「だから、ローズランサー前ランサー」
「戻んなよ、そこに!」
「普通に名前で呼んだらどうだ」
 見かねてというように金剛寺が口を開く。
「名前?」
 またもラモーナはきょとんとなり、
「ローズランサーにローズランサー以外の名前があるのですか」
「おい!」
「俺はそれを教えたはずなのだがな」
 嘆息する金剛寺。
「ああ、もう相手してらんねえ!」
 ドン! 百合子はソファーの前のテーブルを片足で踏みつけ、
「いますぐオレ様の目の前から消えろ!」
「嫌です」
 またしてもにこやかに言われる。百合子の忍耐はとっくに限界を超えていた。
「かーーっ! だったら……」
「力づくで言うことを聞かせる?」
 はっとふり向いた百合子が見たのは、おもしろいものを見つけたという笑みを浮かべたあのブルネットの女だった。
「てめえ……」
 先ほど動きを封じられた屈辱が怒りとなって立ち昇る。
 しかし、彼女はすずしい顔で、
「ミン」
「えっ……」
「フランソワ・ミンよ。『てめえ』じゃなくてね」
「っ……そんなの知るか!」
 向こうにペースを取られそうな気配を感じ、あわてて声を張り上げる。
 彼女はそれをさらりと受け流し、
「どんな調子です、金剛寺さん?」
「どんなも何も……」
 見たままだと言いたそうに顔をしかめる。
「そっちのほうはどうだ、ミン」
「鳴クンなら平気ですよー」
 ひらひらと手をふる。
「ちょっと過保護な保護者があわてちゃってるだけですから」
「保護者か……あのハナがな」
 金剛寺が苦笑する。ミンも笑顔を見せ、
「ああ見えて、鳴クン、騎士になる前からちゃんと鍛えられてはいますから」
「万里小路(までのこうじ)さんのところにいたという話だったな」
 大柄な身体がかすかにふるえる。
 と、それを見過ごさなかったというように、
「ひょっとしてアレですかー? 金剛寺さんもいじめられてたとかー」
「特別にそういうことがあったというわけではないが……」
 金剛寺は苦い表情で、
「それでも……そうだな。あの当時、万里小路さんを恐れていない者は東アジア区館にはいなかっただろうな」
「わかりますよー。あのオバさんですから」
「例外はタン館長とスジョンさんだけだ」
「スジョンさんって、確かキルハのお父さんの?」
「ああ」
「おい!」
 自分たちだけで会話を続ける二人に、たまらず大声をあげる。
「なに、ほのぼの昔語りしてるんだよ!」
「あらー、いいじゃなーい」
 ミンはまったく気にするそぶりを見せず、
「他にもいるんじゃないです?」
 金剛寺に、
「在香(ありか)さんを怖がってなかった人」
「ああ……」
 金剛寺はうなずき、
「依子だな」
「やっぱりー」
「てめえ! いいかげんにしやがれよ!」
 またも怒号を響かせる百合子に、
「もー、わかったわかったー」
 ミンがうるさそうに手をふる。
「それで百合子ちゃんはどうしたいわけ」
「えっ」
 不意に質問をふられて息を飲む。が、すぐにまた険しい表情を作り、
「ゆ、百合子『ちゃん』じゃねーよ!」
「じゃあ、百合子クン?」
「なんでだよ!」
「えー、百合子サマって呼ばれたいのー? まー、自分のこと『オレ様』って言っちゃう子だからー」
「っ……!」
 キレていた。相手がそれなりの実力者らしいことも百合子をためらわせなかった。
「おらぁぁっ!」
 全力をこめた拳がうなる。
 ミンは予想していたというように不敵な笑みを見せ――
「やめないか!」
 ダン! 無骨な手が執務机をふるわせた。
 百合子、そしてミンも動きを止める。
「代理ではあるが、俺には学園を任されている責任がある」
 重々しい口調で言うと、金剛寺は百合子とミンを交互に見据え、
「私闘を許すわけにはいかん。決してな」
「お、おう……」
 静かな迫力に百合子は飲まれる。
 と、ミンが姿勢を正し、頭を下げた。
「すみませんでした、金剛寺さん」
 そこに先ほどまでのふざけていた調子はまったくなかった。心から彼に敬意を払っていることが感じられる態度だった。
「でも……」
 ミンが顔をあげる。そこに再びいたずらそうな笑みが浮かび、
「私闘じゃなければいいんですよね」
「む……」
 ここは騎士の学園だ。
 私闘でなく合意の上での〝決闘〟となれば、むしろそれを避けることのほうをとがめなければならない。
「というわけで、百合子ちゃん」
「『ちゃん』じゃねえよ」
「決闘って形にすれば物事はシンプルに解決するんじゃない? 長々話し合ってるよりも」
「それは……」
 そうかもしれない。
 しかし、目の前の女の提案にあっさり乗るのが悔しくて、
「……なんなんだよ」
「ん?」
「てめえはなんなんだって聞いてんだよ!」
 ダン! またもテーブルに足が乗る。
 向こうはすずしい顔で、
「言ったでしょ? ミンおねーさんよ」
「そういうことを聞いてんじゃねえよ! どこの何モンかってことだよ!」
「現世騎士団東アジア区館所属〝力騎士(ヴァーチャー)〟フランソワ・ミン」
「……!」
〝力騎士〟――中位騎士の二番目。
 つまり、それなりの実力者ということ。百合子の動きを止めてみせたのも、実力に裏打ちされた行為だったのだ。
「金剛寺さんじゃないけど、こっちは一応館長代理? ってことで、この学園の視察に来てるってわけ」
「視察……?」
「そうなのよ」
 ミンは肩をすくめ、
「ほら、うちの館長って、学園のことにはあんまり興味なかったわけじゃない」
「知らねえよ……」
「それをちょっと方向転換? で、ここのことを詳しく知るためにわたしが来たってわけ。うちの新入生をつれて」
「おまえにも紹介しようと思っていたのだがな」
 金剛寺が口を開く。
「しかし、昨日はその前に逃げられてしまって」
「う……」
 何か説教が始まってはたまらないと、
「とにかくそれだよ! 決闘だよ!」
 相変わらずにこにこと座っていたラモーナを指さし、
「おい!」
「はい?」
「『はい?』じゃねえよ! オレ様は……」
 すうっと息を吸い、これまで以上の大きな声で、
「ラモなんとか! てめえに決闘を申しこむ!」

 理事長室から見下ろすことのできる中庭。
 そこで、百合子はラモーナと向かい合っていた。
 決闘――それにふさわしい場所は〝騎士の学園〟と呼ばれるサン・ジェラールにはいくらでもあるだろう。
 しかし、金剛寺はあえて人目につかないこの場所を選んだ。
 その意図を百合子はそれとなく察していた。
 こちらをローズランサーと呼ぶラモーナとのいざこざを大ごとにしないようにというつもりなのだ。
「おい、ラモなんとか」
 頭を切り替え、百合子は離れて立つラモーナをにらむ。
「こいつは決闘だ。てめえもそれは承知してんな」
「はい」
 相変わらずのアルカイックな笑みと共にラモーナがうなずく。その顔にイラつきをかき立てられるもぐっと抑えこみ、
「負けたほうが相手の言うことを聞く! それも文句ねえな!」
「はい」
「だったら……」
 百合子はにやりと笑い、
「てめえが負けたら二度とオレ様の前に顔を出すんじゃねえ。いいな」
「はい」
 あっさりうなずかれ、かえってイラつきが増す。
「二度とっつってんだぞ! わかってんのか!」
「はい――」
 そして、
「……!」
 彼女の構えた〝異形の槍〟に百合子は目を見張った。
「なんだ……?」
 一見して普通の騎士槍ではない。
「〝魔釣(まつり)の槍〟です」
 ラモーナは言った。
「人を誘惑するもの……それを魔羅(マーラ)と呼びます」
 シャラン。手にした騎士槍を鳴らし、
「この槍はその魔を釣る槍なのです」
「い……」
 意味がわからない。
 ただ『釣る』ということは理解できた。
 そのままだった。
 ラモーナの騎士槍には――フック型の釣り針がついていた。
 一つではない。
 何かの飾りのようにいくつもの釣り針が槍身に散りばめられている。それがラモーナの騎士槍だった。
「わけわかんねえ……」
 百合子は己の騎士槍――〝薔薇の槍〟を握る手に力をこめ、
「うらぁぁぁぁぁぁっ!」
 正体不明な槍のことをごちゃごちゃ考えても仕方ない。
 騎士槍にとって突貫こそ最強の攻め方。
 なら、正面から突きかかるのみ。
「……!」
 消えた。
 避ける動作をしたとは思えなかったのに、百合子の槍は完全に空を突いていた。
「くっ……」
 すぐさま横なぎに払う。
 それもまたかわされる。
 いや、かわされたという感じすらない。
 ただそこにいない。あり得ないがそんな感覚なのだ。
(なんだ、こいつ……)
 気づかされる。
 とらえどころがない――それは先ほどの彼女の言動とまるで同じだ。
「ローズランサー殿」
 はっとなる。
 声を出した瞬間、そこに現れたというように百合子には思えた。
 鼻の上の眼鏡を軽く上下させたラモーナは、なぜか悲しそうな顔をしていた。
「貴女は……拙を見てはくれないのですね」
「はあ!?」
 そんなわけがないだろう! 戦いの最中に相手を見ない馬鹿がどこにいる!
 なのにラモーナは――消えるのだ。
「!」
 激情に気を取られた瞬間にまたも視界から彼女が消える。
「あ……」
 突きつけられていた。
 騎士槍の先端が、百合子の喉元に。


「下位騎士の動きじゃないですね」
 決闘を見守っていたミンはつぶやいた。
「というか一体何の〝動き〟なんです? 騎士のお家芸のレスリングじゃないし、武術とも感じが違う」
「操体法だそうだ」
「えっ」
 思わず隣を見る。金剛寺は正面を向いたまま、
「彼女の師……サマナ導師にお聞きしたことがある」
「サマナ導師って、あの!? お会いしたことがあるんですか!」
 驚きの声をあげてしまう。
 サマナ導師――騎士サマナ・シルダは伝説、いや幻の騎士と言われる人物だ。
 世俗のことを超越してしまっていると言っていい彼は、自分の行く先をほとんど誰にも告げずに世界中を〝遊行〟し続けている。
 インド区館所属ということになっているが、実際はどのような役職にもついておらず、しかも騎士の身分証明である位階すら持っていない。
 それでも、彼はインド区館、いや〝騎士団〟全体に確かな影響力を持っている。
 その実力は上級騎士、さらには各区館の館長に並ぶと言っても過言ではない。
 実質、最高位の〝熾騎士(セラフ)〟クラスの存在なのだ。
「かなり昔のことだ。導師が東アジア区館に来られたとき、お会いする機会があってな」
 金剛寺が語る。
 そのとき、彼は若さゆえの勇み心からサマナに手合わせを申しこんだ。
 結果は惨敗だった。
 いや、敗けるという言葉が当てはまらないほどに勝負にならなかった。
「そんな俺に導師は教えてくれた」
 自分の動きは誰かを負かそうとしたり競おうとしたりするものではない。
 ただ己と向き合うもの。
 そこに無理や不自然な意図はない。
 流れのままに。
 それをさまたげることのない動きなのだと。
「そして、同じ動きは俺には無理だと言われた」
「そうなんですか?」
「努力ではだめなのだそうだ」
「努力では……だめ?」
 金剛寺は自身の太い腕にふれ、
「努力で磨き上げられた身体がむしろ邪魔をするのだ」
「はあ……」
「ずっと後になってわかったことだがな。導師には一切の無駄がなかった」
「無駄ですか」
「そうだ」
 金剛寺はうなずき、
「動きには無駄が伴う。その場で槍を突くとき、騎士が身体をひねるように」
「えっ? けど、それは……」
 当たり前だ。騎馬による突進がないなら、槍を前に出すエネルギーを得るには身体をひねるしかない。
「それが導師には……なかった」
「……!」
 ミンは一瞬言葉を失う。
「それって……えっ……でも……」
「おまえも見ていただろう」
 正面の光景から視線を外さないまま、
「彼女は……ラモーナ・タヴィアは正しく導師の教え子だ」


「く……」
 動けなかった。喉元に槍をつきつけられたまま。
(チクショウ……)
 納得できなかった。
 なぜ? なぜこんな状態になってしまっているのか。
 自分は弱くない。
 弱くないのに……なぜ――
「見ていないからです」
 くり返し。彼女は言った。
「貴女は拙を見ていない」
「わけわかんねえこと……」
 槍を握る手に力がこもる。激情が止まらなくさせる。
「言ってんじゃねえぞ、オ――」
「待ってください!」
 そこに、
「!?」
 飛びこんできたのは、顔を包帯でぐるぐる巻きにした男だった。
「なっ……」
 とっさにどういう反応をとっていいかわからない。
 が、百合子はすぐに攻撃的な顔で、
「なんだてめえ! 邪魔すんな!」
「百合子さん」
 包帯の隙間から落ち着いた目がのぞき、
「この勝負、僕に預けてください」
「は!?」
 戸惑う百合子を置いて、包帯男の目がラモーナに向けられる。
「あの……」
「ラモーナです」
 そう口にした彼女の声は、かすかな怒りをふくんでいた。百合子の前ではずっとおだやかな笑みを絶やさなかったというのにだ。
「そちらは?」
「紀野鳴と言います。その……」
 ラモーナの静かな怒りに気圧されたように鳴と名乗った男は目をそらし、
「勝負に立ち入るのは失礼だと思ったのですが」
「失礼です」
 はっきりとした憤懣をこめてラモーナが言う。
 鳴は縮こまりつつも彼女を見て、
「けどこれはあなたの望む勝負じゃない。……ですよね?」
 かすかにラモーナの表情がこわばる。
 と、鳴が両手を前に出し、武術らしき構えを取った。
「よろしければ僕と手合わせ願えませんか」
「………………」
 ラモーナがそばの壁に槍を立てかける。鳴のように構えは取らないながらも明らかに戦いに臨むと思しき気を漂わせ始める。
「お……おいっ!」
 我に返った百合子があわてて、
「てめえら、何やってやがる! これはオレ様の……」
「はいはい、静かに」
「っ……!」
 後ろから肩に手を置かれ、驚きふり向く。
 そこにはミンの姿があった。
「いいから、すこし見てなさい」
「何を……」
「ここは学校でしょう」
 真剣な目になり、
「あなたはここに何をしに来るの?」
「……っ」
 二人を見て学べ――この女はそう言いたいのか。
「……!」
 向かい合っていた両者が動いた。
 先に動きを見せたのはラモーナだった。
「な……!?」
 一瞬何が起こったのかわからなかった。
 突いていた。
 槍を手放しているからもちろん拳での突きということになる。
 しかし、その突きがいつ放たれたのか、百合子にはわからなかった。
 気づいたとき、すでに突いていた。
 魔法としか言いようのない動きだった。
「っ……」
 さらに目を見張る。
 脇で見ていながら捕らえられなかったラモーナの動きに、なんと鳴と名乗った包帯男は反応していた。
 突きがかすめ、包帯が宙に舞う。
 流れるようにラモーナの突きがくり出されるが、そのすべてを鳴はかわしていた。
 しかも、ほどけた包帯に視界をふさがれているであろう状態でだ。
(なんなんだよ、こいつら……)
 抑えきれない悔しさがふくらんでいく。
 最初からまったく何もさせてもらえなかったラモーナ。そのラモーナと互角に渡り合っている鳴。
 そのどちらより……自分は――
「だーーーーーっ!」
「あっ、ちょっと……」
 とっさにミンが止めに来たが、ラモーナと鳴の拳舞に目を奪われていたのか反応が遅れた。
 百合子は昂る感情のまま二人に向かって――
「!」
 飛び越えられた。
 頭の上を、後ろからまるで跳び箱のように。
「なっ……な!?」
 思いがけないことに足が止まる。
 百合子を飛び越えた小柄な人影は、そのまま素早く自分の身体を鳴とラモーナの間に割りこませた。
「ハナさん!」
 ハナと呼ばれた似合わないスーツ姿の女がラモーナの突きを受け止めた。
「……!?」
 初めてラモーナの表情にはっきり動揺と呼べるものが浮かぶ。
 と、小柄な身体が絡みつくようにその腕の周りを回転する。
「きゃっ」
 回転の勢いに体勢が崩れ、彼女はそのまま地面に叩きつけられた。
「ハ……ハナさん!」
 鳴があわてて、
「なんてことをするんですか! これは僕とラモーナさんの……」
 それ以上言うより先に、
「ぶぶっ!?」
 ほどけかけた包帯を、ハナが前以上のきつさでぐるぐると巻き始めた。
「ちょっ、ハナさ……く、苦しっ」
 先を越された形の百合子はその光景をあぜんと見つめるしかなかった。
 と、そんな彼女の脇を過ぎ、ミンがラモーナに近づく。
「ごめんね。二度もうちの区館の子たちが横槍入れちゃって」
 倒れている彼女に手を差し伸べる。
「……いえ」
 その手を取って立ち上がるラモーナ。
 そこには、あのアルカイックな微笑が戻っていた。
「拙の未熟さを教えてもらいました。ありがとうございます」
 ミンが驚いたという顔を見せる。年齢的には百合子や鳴とあまり変わらないように見える彼女の大人びた態度に感心しているのだろう。
 と、百合子は気づく。
 勢いよく叩きつけられた割にラモーナはほとんどダメージを負っていないように見えた。
 推測する。
 投げられそうになったとき、きっと彼女はそれに逆らうことなく、むしろ自分から跳んだのだ。その分、勢いは弱まり、受け身を取る余裕もできたのだろう。
(なんてやつだ……)
 その底の知れなさに百合子は瞠目する。そしてまた悔しさがこみ上げてくる。
 と、ラモーナの目がこちらに向けられた。
「ローズランサー殿」
「……!」
 思わず身構える百合子の前に彼女が立つ。
 そして、深々と頭を下げた。
「許してください。未熟な拙が決闘などという破廉恥な行為に及んでしまって」
「っ……」
 歯が食いしばられる。皮肉を言われているとしか思えなかった。
「時間をください。貴女に納得していただける拙になってから……」
「納得できねえな」
 ぎろり。これまで以上に憎々しげに彼女をにらみ、
「時間なんてやれねえんだよ! いますぐだ、いますぐ!」
「ちょっとちょっと百合子ちゃーん。いますぐやったらまた返り討ちに決まって……」
「うっせえ、ババア!」
「バ……!?」
 ミンの額に青筋が浮かぶ。
「あらあらー。わたし、そんなこと言われたの生まれて初めてかもー。ヤンチャが過ぎるにしてももうちょっと言い方ってあるんじゃなーい」
「いいから口出しすんな! こいつはオレ様とこいつの問題だ!」
「ローズランサー殿と……拙の」
「って頬染めてんじゃねえよ、おまえも!」
 そこに包帯を巻き直された鳴があたふたと、
「ま、待ってください! どうして決闘なんてことになったのかはわかりませんが、ここは落ち着いて……」
「うっせえ、ガキ! てめえ、無駄に包帯巻いてて気持ち悪ぃんだよ!」
「あら、言うわねー。あなたのせいなのに」
「は?」
 ミンはわざとらしく肩をすくめ、
「あなたに顔面ボコボコにされちゃったから医務室で手当てしてたのよー、鳴クン」
「オレ様に……」
 と、たちまち顔が熱くなり、
「てめえ、さっきの変態野郎か! オレ様のむ……胸をさわりやがった!」
「ローズランサー殿の……」
 ラモーナから笑みが消える。
「滅しましょう」
「ええっ!?」
「当然です。拙の想いを注ぐべきローズランサー殿が胸をもみしだかれ辱められたなどと」
「し、しだかれたとか言ってんじゃねえよ!」
「しだかれたのでしょう?」
「しだいてませんっ!」
「口を閉じなさい、魔羅の化身」
「えええっ!?」
「ちょっと、キミたち、決闘は終わったんだからー。ほら、ケンカとかしないで仲良く……って、ちょっとは人の話を聞きなさいよ。聞きなさっ……って、おとなしくしろって言ってんでしょ、クソガキどもーーっ!」
 ミンの怒号が轟き、金剛寺がやれやれというように頭をかかえた。

「百合子さん」
「……!」
 布団の中で聞いた依子の声に、百合子の身体がふるえる。
「朝ですが」
「………………」
「朝ですが」
 再び。静かな、しかし反抗を許さない声が届く。
 そして、
「!」
 ぐぐっ! 鞭が強くしなる音に、
「お、起きるっつってんだろ、クソババア!」
 悔しさを全身ににじませながらも、百合子はかけ布団をはね上げて起き上がった。
 スッ。何も言わずに依子が背を向け部屋を出ていく。
(クソババア……!)
 悔しさに歯ぎしりが止まらないが、かと言ってずっとこうしているわけにもいかない。
「チッ」
 舌打ちと共にベッドを離れ、百合子は身支度を始めた。
「くそっ……」
 思えば思うほど気持ちが重くなる。
 今日から、始まるのだ。
 百合子の学園生活――
 騎生連(サークル)としての活動が。


「というわけでー」
 学園校舎から離れた郊外。見晴らしのいい草原の木の下に、どこかやけ気味さを感じさせる明るい声が響いた。
「わたしがみんなのセンセイ、フランソワ・ミンよー」
 沈黙。
 それでもミンはめげずに、
「ほらほら、みんなー。美人女センセイにごあいさつはー」
「よろしくお願いいたします」
 しとやかに頭を下げたのはラモーナだ。
 それに遅れて鳴もあたふたと、
「よ、よろしくお願いします、ミンさん」
「ミン『センセイ』」
「ミン……先生」
「よろしい。……で」
 ミンの目が、切り株に座って脇を向いている百合子に向けられる。
「そっちのふくれてる子はー?」
「………………」
「もー、照れてるのー? まー、センセイが美人すぎるとそうなっちゃうわよねー」
 百合子はぼそりと、
「うるせえ。しゃべんな、ババア」
「っ……」
 ミンの口もとがひくひくっと引きつる。
「キミキミー。センセイにそういう口の利き方は……」
「しゃべんなっつってんだろ、ババア」
「っっ……!」
 ミンは引きつった笑顔のまま、
「ハナー」
 そのかたわらに小柄な女性――ハナが現れる。昨日のスーツ姿と違ってラフな服装で、少年のように短い髪もぼさぼさのままだ。
「もー、早くもきちんとした格好やめちゃってー。まー、スーツってのもちょっと違和感はあったんだけど」
 首をひねりつつミンを見るハナ。そんな話をするために呼んだのかと言うように。
「あっ、そうそう。教育的指導、よろしくねー」
 うなずく。直後、
「!?」
 猛進してきたハナに百合子は目を見張る。
「うおっ、なっ……」
 反応する間もなく腕を取られ、
「だっ……痛だだだだだっ! て、てめえ、離しやがれぇっ!」
 完全に腕を極められた百合子は激痛にのた打つ。
「離せっつつてんだろ! 殺すぞ、ガキぃぃっ!」
「いやいや殺せないわよー。ハナ、強いから」
「だぁぁぁぁぁーーーっ!」
 必死にもがくも技がゆるむことはなかった。
「すばらしい……」
 ラモーナがうっとりと、
「意図やはからいを超えた野生とでもいうのでしょうか。流れるように身体が動いている。まさに自然(じねん)と言うべき……」
「長々解説してんじゃねえよ! それより早く助……」
 助『け』――そう言いかけた自分に気づきあわてて口を閉じる。
「たす? いま拙に助けを求めたのでしょうか」
「も、求めてねえっ!」
「当然ですね」
 ラモーナはおだやかな笑顔で、
「ローズランサー殿はヒーロー。ヒーローとは助けを求めるものでなく助けを求める者を助けるもの。それが助けを求めるはずがありません」
「くっ……ううう」
 何も言い返せない。するとミンが、
「ほらほら、助けを求めるほどじゃないみたいだからもっとやっちゃっていいわよー」
 ぐぐぐっ!
「ぎゃぁぁぁぁぁっ!」
「あの、それくらいで……」
 見かねてというように鳴が口を開く。
 こくり。うなずいたハナは百合子の腕を放した。
「ハァ……ハァ……」
 激痛に耐え続けた疲労で息を荒くしているところに鳴が近づいてくる。
「すみません、ハナさんが……」
「………………」
「あと『ガキ』って言ってますけど、ハナさんは僕より年上で……」
 ぎろり! 百合子は鳴をにらみあげ、
「止めんならさっさと止めやがれ、オラァァァァッ!」
 ぼぐっ!
「ぐふぅっ!」
 顔面を殴られた鳴が情けない悲鳴をあげて吹き飛ぶ。
 直後、またもハナが素早い動きで百合子の腕に関節技を極める。
「痛てててて! 痛えっつってんだろうが、ガキぃっ! チビアマぁっ!」
「ハァ……」
 まとまりの欠片もない状態にミンがため息をつく。
「ホントにやれるのかしら……この子たち相手に」


「わたしが先生ですか!?」
 昨日――
 あの大騒ぎがあった後、ミンは金剛寺から驚くべき提案を持ち出された。
「いやいやいや、無理ですって」
 あわてて首を横にふる。しかし金剛寺は笑みを見せ、
「ただ視察するよりも学園のことが理解できると思うがな」
「そうかもしれませんけど、ここにいられる日数だって決まってますし」
「それなら問題ない」
「えっ」
「館長に許可はもらった。いられるだけいて構わないとな」
「金剛寺さん……」
 手回しの早さにミンは苦い顔になる。
 大柄でがっしりとした見た目から力任せな人物というイメージを持つ者は多いが、実際の金剛寺は非常に冷静な思考や判断ができる〝大人〟な人だ。だからこそ、騎士としての力を失ったいまも敬意を払われている。
 その敬意は当然ミンにもあり、はっきり言える理由がない以上頼みを断るのは難しい。
「本当にいいんですか、わたしで」
「ああ」
 うなずいた金剛寺がかすかに目をそらす。
「おまえだから任せられるというか。何かあったときもうまく収めてくれそうだしな」
 その態度にはっとなる。
「まさか……わたしが担当する騎生って」
「組ませてみたいと思う。あの三人で騎生連を」
「ちょちょちょ……」
 あの三人。それが誰を指しているのか明らかすぎるほどに明らかだった。
「無理ですって! 昨日のアレ、見てたじゃないですか!」
「だからこそだ」
 再び金剛寺がこちらを見て、
「学園のそもそもの理念は、区館の立場を超えて一体となれる騎士を育てること。彼女たちこそ、その理念を体現するのにふさわしいと思わないか」
「いや、それでも無理っていうものが……」
 と、ミンはあることに気づく。
「ほら、あのラモーナって子! 騎生連は組んでないんですか? 百合子ちゃんと鳴クンは新入生だから仕方ないですけど、あの子はすくなくともすでに騎生なわけですよね? だったらもう……」
「彼女もまだここに来て日が浅い」
「そ、そうなんですか……。あっ、でも位階が違ったら」
「彼女に位階はない」
「は!?」
 目を丸くするミン。が、すぐに思い出す。
「サマナ導師の弟子なんですよね……」
 位階を持たない騎士サマナ・シルダ。師がそうなら弟子が同じであってもおかしくない。
「一応、第一騎生ということになってはいるがな。そういったこともあって騎生連をどう組ませるか頭を悩ませていた」
「はあ……」
「百合子とあの鳴という少年もある意味で〝騎士(ナイト)〟のレベルは超えていると言っていい」
「それは……そうですけど」
 ただ、組み合わせの相性としてはどうなのかと考えると、やはり素直にはうなずけない。しかも、その面倒を見るのはこのままでは自分になってしまうのだ。
 そんなこちらの気持ちを察したのか、金剛寺は安心してほしいという笑みを見せ、
「何もおまえにばかり任せるわけではない」
「えっ、そうなんですか」
 しかし、聞くところによれば、基本は騎士連ごとに担当教官は一人のはずだ。
「特例ということでな。ハナをサポートにつけようと思う」
「いやいやいやいや……」
 期待が一気に落胆に変わる。
「その、ハナがだめってわけじゃないですけど、助けになるかと言われると」
 くいくいっ。
「う……」
 ふり返る。
 そこでは、後ろに控えていたハナが、心外だと言いたそうに口をへの字にしてミンの服のすそをつかんでいた。
「……やりたいの?」
 こくこくっ。
「はぁ……」
 いっそう頭が痛くなる。
 突然鳴が〝騎士〟になってしまったことで、まだ彼に教え切れていないことがあるという思いは強いのだろう。初日の気合の入った装いも、満足に教えられなかった分、せめてという気持ちだったのかもしれない。
(でもねえ……)
「確かにハナは〝能騎士(パワー)〟。本来なら教官になる資格はないが、そこは副教官という特例で……」
「いや、あの、そういう心配はしてませんから」
 金剛寺の言う通り、学園の教官になれる騎士の位階は〝力騎士(ヴァーチャー)〟〝主騎士(ドミニオン)〟〝座騎士(ソロネ)〟に限られている。
 しかし、ミンにとってそういうことは問題ではなく、あの問題児たちにさらにハナまで加わって面倒を見切れるのかという――
「頼んだぞ」
 有無を言わさず。というほど強いものはなかったが、確かな信頼のこもった視線にはそれなりの強制力があった。
(騎士の男って……)
 悪意がまったくないだけに逆にやりづらい。自分の身近な〝アイツ〟も含めて、騎士の男にはこういうタイプが多いのだ。
(わたしもお人よしよねえ……だから騎士なんてやってるのかもだけど)
 もはや自分が断れないことを、ミンははっきり悟っていた。


「ふふっ」
「っ!」
 ハナの腕関節から解放された百合子は、笑い声をもらしたラモーナをぎろっとにらんだ。
「何がおかしいんだ、てめえ」
「はい?」
「オレ様がやられんのを見て楽しいのかって聞いてんだよ!」
「すばらしいです」
「は!?」
「すばらしい……」
 うっとり目を輝かせ、
「やはり、ローズランサー殿はヒーロー。実力を隠すのは当然のことです」
「く……」
 たちが悪い。あの黒ガキのヒーロー好きよりさらにたちが悪すぎる。
「……呼ぶなよ」
「はい?」
「だから、そっちで呼ぶなっつってんだろ、何度も」
「ああ」
 納得したというようにうなずき、
「百合子殿」
「……!」
 正面切って言われるとそれはそれで照れくさくなる。
「そうですね。ローズランサー殿は世を忍ぶ身。軽々しく本当の名前を呼ぶようなことをしてはいけませんね」
「っ……」
 本当の名――
 自分のそれは……何なのか。
「さーて、まずは何をやろうかしらねー」
 百合子たちの前に立つミンが微妙なやる気と共に口を開く。
「模擬戦……はやったわよね、昨日それっぽいこと」
「おい」
 百合子は頭を切り替え、
「いいじゃねえか。やろうぜ、模擬線」
「けど、それじゃ、弱い者いじめになっちゃうしー」
「おい! そりゃオレ様のこと言ってんのか!」
「だって、昨日は圧倒的な敗者だったじゃない」
 こくこく。ハナもうなずく。
「くぅっ……」
 たちまち怒気がこみあげるも百合子は言い返せない。
 なんとか気持ちを鎮め、
(こいつらと一緒にいるのはこいつらの技を盗むためだ。それまでは……)
 唇をかみ、再びミンをにらむ。
「いいからやるぞ。それともオレ様に負けるのが怖えのか」
「あのねえ……」
 ミンがやれやれというように頭を抱える。
「まあ、確かにわたしはちゃんと相手してなかったわね」
 そう言うと、招くように手をくいくいと動かす。それに応じて、百合子はミンと向かい合う位置に立った。
「素手でやんのか?」
「素手のほうがまだねえ。初日から怪我させちゃってもアレだし」
 カチン! あからさまにこちらを格下と見なす言動が、百合子の怒りをさらに燃え上がらせる。
「死んでも文句言うんじゃねえぞ」
「そう言われてもねえ。手加減するストレスで死んじゃうかも」
「っっっ……!」
 早くも百合子の忍耐は限界だった。
「オラァァァァァァッ!」
 真正面から殴りかかっていく。いつもながらのケンカ殺法だ。
 ミンがため息をもらす。
「そりゃ、わたしに操体法とかハナみたいな空中技は無理だけどさあ」
 拳が顔面を打ち抜いた――
 と思われた瞬間、ミンの手が動いた。
「!」
 ぱぁぁぁん! 小気味いい音と共に拳が手のひらで受け止められる。
「くっ……」
 とっさにもう一方の拳をくり出そうとする。しかし、ミンの動きのほうが早かった。
「これでも中位の騎士なのよ」
 するどい踏みこみでこちらの懐に入る。それは長年の修練を感じさせるよどみのない身体のキレだった。
 反応する間もなく腰を抱えこまれ、
「ふっ!」
 短い気合の息。
「!?」
 どぅぅん!
「がはっ!」
 背中から地面に叩きつけられた。
 何が起こったか完全に把握する間もなく、
「あ……」
 乗られた。あぜんと目を見開いた先にミンの顔があった。
「はい、おしまい」
「………………」
 悔しいという気持ちさえなかった。何がどうなったのか完全にわからなかった。
 ただ、昨日ラモーナに感じた魔法のような動きと違うのはわかった。
 理屈の動きの延長線上。
 それでありながら、自分が何もできずに倒されていることを百合子は理解できなかった。
「何がなんだかわからないって顔してるわね」
「っ!」
「いまのがレスリング。騎士が何百年もかけて磨き上げていった技術の結晶よ」
 レスリング――
 その言葉、そしていま自分が受けた技は、なぜか昨日自分が見たラモーナや鳴、ハナの動きより胸にぐっと来るものがあった。
「まあ、競技のレスリングと違って実戦の技だけどね。昔の分厚い鎧を着た騎士同士でパンチやキックなんか効かなかったわけじゃない。半端な関節技や小手先だけの投げ技も同じ。だから……」
「身体ごと……投げる」
「あら」
 そのつぶやきにミンが笑みを見せる。
「興味ある?」
「っ……」
 はっとなった百合子はあわてて目をそらし、
「ね、ねえよ、そんなもん!」
「手取り足取り教えてあげてもいいわよー。〝騎士団〟仕込みのレスリング」
「興味ねえっつってんだろ!」
「まー、確かに騎士槍で突き合うとかに比べたら地味よねー。……でも」
 口調が真剣なものになり、
「こういう地味な技術が本当に強い騎士の土台になってるものよ」
「……!」
「表面だけ強いところを求めてるとね、そういうのがおろそかになっちゃうの。しっかりとした土台を持っている者は一見強さでは劣るわ。けど、簡単に負けたりしない。積み重ねたものが支えてくれて……折れたりしないのよ」
「………………」
 ミンの言おうとしていることが百合子にはわかった。
 そして、その裏にあるものも。
(こいつ……)
 昨日、初対面にも関わらず顔と名前を知られていたことから、ひょっとしてという予感はあったが――
 ミンは……こちらのことを知っている。
 いまここにいる〝百合子〟が何かということを。
 しかし――
 いまはそのことよりレスリングへの興味が勝った。自分の中でも決して軽くない〝事実〟が知られていることへのもやもやとした気持ちより、いまは自分を前へ進めてくれそうなものへの想いのほうが彼女をとらえていた。
「……いいぜ」
 目をそらしたまま、百合子はつぶやいた。
「教えろよ」
「ん?」
「オレ様に教えてやってもいいってんだよ。その……レスリングをよ」
「もー」
 仕方ないという響きの中に、こちらを愛でるような色をにじませ、
「かわいげがないわねー、この子は」
 つんつん。
「て……てめえ! つっつくんじゃねえよ!」
「やーん、ほっぺ、やわらかーい」
 ふにふに。
「つ、つまふんじゃへえよ、ほらぁぁぁーっ!」
「逆らっていいのー? 教えてほしいんでしょー、センセイにー」
「ぐぐぐぐぐ……」
「だったら、ちゃんとお願いしなさーい。『お願いします、お姉さま』って」
「『センセイ』じゃねえのかよ!」
「ほらほらー。早く言わないと」
 ふにふにふにっ!
「ぐぐぐぐぐぐぐぐ……」
 恥ずかしいことを言わなければならない屈辱と頬をつままれている屈辱とで、またも怒りが爆発しそうになる。
 しかし、それを超えて、やはり強くなりたいという想いのほうが勝った。
「お、お姉……さ……」
「そんなのずるいです!!!」
 目を見張った。
「おまっ……!」
 その場の一同が驚きの顔でそちらを見る。
 ユイファだった。
 いつの間にそこにいたのか、屋敷の使用人姿とは違う白衣の彼女が立っていた。おそらく医療学部の実習服なのだろう。
 そう、彼女も同じ屋敷に住む冴と同じ医療学部の生徒だった。
「……っ」
 ユイファと医療学部――
 並べてその言葉を思い浮かべた百合子の胸がかすかにきしんだ。
 と、そんなこちらの感情を吹き飛ばすかのように、
「ずるいです!」
 つかつかと歩み寄ってきたユイファが、百合子に馬乗りしているミンをにらみつけた。
「えーと……え?」
 戸惑うミンに向かって彼女は怒りもあらわに、
「わたしは百合子ちゃんのお姉ちゃんなんです!」
「お……おい!」
 堂々と恥ずかしいことを言うユイファに百合子のほうが真っ赤になる。
「なのに、そんなお姉ちゃんのわたしを差し置いて……『お姉さま』だなんて!」
「おい……」
 脱力してしまう。
 こいつにはこれしかないのか……というかなんでユイファがここにいる!?
「さあ、百合子ちゃん!」
「え!?」
「わたしを! 『お姉さま』と!」
「いやいやいやいや……」
 言えるわけがないだろう、こんなところで! いや、どんなところでも無理だが。
「お、おい、こいつ部外者だろ? 早くどっかに……」
 助けを求めるようにミンを見た瞬間、百合子は凍りついた。
 笑っていた。
 にやにやと楽しそうに。
「くっ……」
 そうだ、こいつはこういうやつなのだ! 短い付き合いだが百合子はミンの性格の一端を正しく理解していた。
「呼んであげたらー。『お姉さま』って」
「うっせえ!」
「もー、すぐそんな言葉使ってー。お姉ちゃん、悲しいっ」
「って、なんでおまえが『お姉ちゃん』になるんだよ!」
「そうです! お姉ちゃんはわたしで……」
「おまえはどっちが望みなんだよ!」
「ああっ。そう言われると『お姉ちゃん』も『お姉さま』も捨てがたい……どうしよう、百合子ちゃん!」
「ンなこと知るかよ、オレ様がよぉぉーーーーーっ!」


 それから――
 ユイファの乱入があった後も指導は続いたのだが、ある意味で〝身内〟の恥ずかしい姿を見られてしまった百合子は、以降まったく集中することができなかった。
「くそっ……」
 悪態がこぼれる。
 すると、隣を歩いていたラモーナが、
「さすがです」
「何のどこを『さすが』って言ってんだよ!」
「もちろん、ローズラ……百合子殿がです」
「はぁ?」
「だって、そうではないですか」
 うっとりと遠くに想いを馳せるような目で、
「誰からも愛される。それがヒーローの条件ですから」
「あっ、愛されてねーよ!」
 顔が熱くなり、たまらず横を向く。
「謙虚なところ。そこもまたヒーローらしい」
「くぅぅっ……」
 何を言ってもこうなってしまう。だから何も言えなくなってしまう。
 ミンによる指導の後、そんなラモーナとなぜ二人で歩いているのかというと、
『つきあってもらいたいところがあるのです』
 もちろん断るつもりだった。なんで自分がと。
 それでもつきあわざるを得なかったのは、
『お忙しいようでしたら、お姉ちゃん殿と……』
『おい!』
 ユイファはとっくに医療学部に戻っていた。百合子が心配だからとぬけ出して様子を見に来たと言っていたが、騎士学部のようなある意味で融通が利く〝授業〟と違い、むこうはかなり厳しいらしいというのは普段の会話でなんとなくはわかっていた。
 しかし、いまこの場にいなくても、ラモーナならわざわざ迎えに行きかねない。
 百合子はいやいやながらつきあうしかなかったのだ。
 そんな彼女がつれてきたのは、
「ここです」
「……!」
 目を見開く。
「おい……ここって」
「はい」
 ラモーナはうなずき、
「あなたと出会った場所です」
 そう。そこはラモーナと初めて遭遇した医療学部の校舎前だった。
「なんで……」
 思い出を懐かしむ。というにはあの出来事は最近すぎる。
 と、ラモーナは言った。
「聞いたからです」
「聞いた?」
「はい。この場所で……」
 スッ――校舎を見つめる目がするどくなり、
「悪しき仮面の騎士ダークランサーが暴虐の限りを尽くしたと」

「というわけなんですよ」
 応接間に通されたミンは、依子を前に彼女が淹れた紅茶を口にしていた。
「一応、お耳に入れておいたほうがいいと思ったんですけど」
「………………」
 沈黙。
 騎士の力を失ったと聞いてもなお恐れの消えない相手にミンもまた黙りこむしかない。
 と、しばらくしてようやく、
「どうです」
「はい?」
「あの子の上達具合は」
「え? あっ、その……」
 とっさに言葉を返せなかったが、
「き、期待はできると思いますよ? もともと身体能力は高いですから」
「そうですか」
「ホント惜しいですよ、これまで何もしてこなかったのが」
 そう口にしてしまって、はっとなる。
 目が自然と伏せられる。
 依子に〝娘〟ができたと知らされたとき、ミンには衝撃が走った。そして、その素性を知ったときもだ。
 もちろん、ほとんどの者は百合子の秘密を知らない。
 それをミンが打ち明けられたのは、彼女の現在の立場とも無関係ではないだろう。
 次期館長候補。
 いま、ミンは周囲からそういう目を向けられている。
 現東アジア区間館長・孫大妃(スン・ターフェイ)の突然の宣言によってだ。
 正直、ミンにとってはまだ納得しかねる部分はあるものの、すでにそれに向けて動き出している流れから逃げるほど無責任にもなれなかった。
 何より彼女は区館、そして自分を取り巻く仲間たちを愛していた。
「原石っていうんですか? 才能そのままっていうか……野生そのままっていうか」
 百合子の話を続けるミン。
 そして、彼女は思い出す。百合子と同じ生まれの者たち――自分たちと激しい戦いをくり広げたその相手もまた野生むき出しの攻撃を仕かけてきた。
 事実、彼らの多くは〝獣〟の力を植えつけられていた。
 人間の身体能力をはるかに超えた怒涛の攻撃にかろうじて応戦できたのは、騎士としてつちかってきた確かな技術、そして信頼による連携があればこそだった。
 逆に敵がそれらを具えていたらと思うと――いまでもぞっとさせられる。
「そう……彼女がこのまま成長すれば」
 つぶやいて、はっとなる。
 そうだ。その〝成長〟のさまたげになるかもしれないことについて相談するために屋敷を訪れたのだった。もちろんまずは学園の責任者である金剛寺に話したが、やはり〝母親〟の意見も聞いたほうがいいだろうと言われてのことだ。
「あの、それで……」
「あの子はもっと学ばねばなりません」
 ミンの言葉をさえぎるように口を開くと、依子は深々と頭を下げた。
「百合子のこと、よろしくお願いします」
「………………」
 ミンは続ける言葉を失っていた。
(でも……)
 不安はまったく消えていない。
 百合子たちの騎生連への指導が始まってから小耳にはさんだ話……というより当の本人であるラモーナが一切隠そうとしていなかったため、それは自然とミンにも伝わってきた。
 ローズランサーに憧れていると言った彼女が――
 ダークランサーを探していると。
 同じ仮面の騎士でありながら暴虐の限りを尽くした……彼女を――
 倒すために。


(わけわかんねーぜ、あのガキ……)
 その日、百合子は一人でいた。
 昼間の鍛錬は今日も最悪だった。まったく集中ができない。その理由はユイファの乱入のときと異なり、もっと深刻なものだった。
 ラモーナのしようとしていることが頭を離れないのだ――
(ダークランサーを……だと?)
 彼女は言った。
 かつて島に現れ、学園の騎生たちを相手にその暴威をふるったダークランサー。
 突如として姿を消したその悪の騎士をいま自分は追っている。
 一目見たローズランサーに心を奪われた者として、同じように仮面をつけている者の非道は決して許せないのだと。
「貴女も協力してくださいますよね、百合子殿」
(できるかよ……)
 そのときのラモーナの言葉を思い出し、心の中で毒づく。
 ダークランサーは――この自分だ。
 ある意味、協力できないわけではない。自分がそうだと言えばいいのだから。
 そう言ってしまって……それからどうなるのだろう。
「くそっ!」
 わらを敷き詰めただけの寝台から起き上がる。
 百合子がいたのは『ダークランサーのかつての潜伏場所』だった。
 人の近づかない薄暗い森の中にある小屋。
 もっとも、自分の意思で〝潜伏〟していたわけでなく、負傷していたところを運びこまれたのだが。
 あのとき黒いドレスの少女・シエラが向けてきたひたむきな憧れの眼差し。
 それと同じものをラモーナも向けてくる。
 だが、彼女が見つめる先にあるものはまったく違う――
「百合子殿」
「どわあっ!」
 思いもしなかったところで声をかけられ、百合子はわらの上から転がり落ちた。
「……!」
 いた。
 いま一番顔を合わせたくないと思っている相手が。
「すばらしいです」
「またかよ……」
 こちらの心境など構わず、ラモーナはまたも一人感動したという顔で、
「さすが、ローズラ……百合子殿」
「今度は何が〝さすが〟なんだよ」
 うんざりと言う百合子に、ラモーナははっと口に手を当て、
「申しわけありません。拙が騒ぎ立ててはせっかくの気持ちを無にしてしまいますね」
「気持ち?」
「はい……」
 ラモーナはもはや見慣れたうっとり目で、
「『共にダークランサーを探してほしい』――そう拙がお頼みしたとき、貴女ははっきりと断りました」
「お、おう。それが一体……」
「なのに、貴女はいまここにいます。ダークランサーが潜伏していたというこの小屋に」
「……!」
 がく然とさせられる。
 そうだ……この場所のことはすでに人に知られているのだ。
 なのに、一人になりたいと思った自分は、無意識にこの場所に来てしまっていた。ダークランサーのことを調べているラモーナが来てもまったくおかしくないというのに。
「ここには拙も折を見て来てはいるのですが、ダークランサーが戻る気配はないようです」
「そ、そうかよ……」
 たったいま戻っているとは、もちろん言えるはずもなかった。
(いや……)
 言ってしまえばいいのか。
 ここにいると。
 自分がその探しているダークランサーなのだと。
「………………」
 まさに、いまがそのときなのではないか。
「おい……」
「ありがとうござます」
 またもこちらの言葉をさえぎるようにラモーナが手を合わせる。
「ひそかに協力してくれていたのですね、拙のダークランサー探しに」
「っ……」
 百合子はすぐさま、
「そ、そんなわけねえだろ!」
「それ以外に貴女がここにいる理由がありません」
「う……」
「いいのです、わかっていますから。ここは声をかけてしまった拙が無粋でした。ですが、やはり貴女が拙の思うようなヒーローであったことがうれしくて……」
「違うっつってんだろ!」
 もうどうしようもない気持ちで声を張り上げた。
「オレ様は……オレ様がここにいるのは……」
 そして、
「どけっ!」
 駆け出していた。
 ラモーナを突き飛ばして小屋の外に。
「くそっ……くそっ」
 悪態ばかりがこぼれる。
 胸の内には、ただ事を先延ばしにしたという敗北感だけがあった。


「ハァ……ハァ……」
 海に沈む日の光が目を刺す。
 どこをどう走ってきたかわからないまま、百合子は見晴らしのいい丘の上に立っていた。
「………………」
 呼吸が落ち着いてくる。
 すると、わきあがってきたのは、またも苦い思いばかりだった。
「どうすんだよ……」
 誰にともなくつぶやく。当然のようにそれに応える者は――
「百合子さん?」
「!」
 ぎょっとなってふり返ったそこにいたのは、
「ヘンタイ!」
「う……」
 ぐさっ、という音が聞こえそうな傷ついた顔を鳴が見せる。
「あの、そろそろ、その呼び方は」
「てめえ、何してやがんだ、ヘンタイ!」
 初遭遇のことが思い出され、無意識に胸をかばうように腕を組む。
「まさか、オレ様のことをストーキング……」
「してないですよ、そんなこと!」
 鳴があわてて首を横にふる。
 と、そのそばにハナがいるのに気づく。
「チビアマ……」
「ねっ? ハナさんがいるのにそんなこと……」
「チビアマをつれて人をストーキングだと!? 何を見せつける気だ!? どこまでヘンタイなんだ、このヘンタイ野郎!」
「って、どういう発想ですか、それは!」
 たまらずというように鳴が声を張り上げる。
 と、直後、
「ぅおっ……痛ててててててててっ! てめっ、いつも無言で人の腕極めるんじゃねえよ、チビアマぁっ!」
「ハ、ハナさん、いじめられてたわけじゃないですから」
 百合子に関節技を極めるハナを鳴が引き離す。
「チキショウ……こいつのもレスリングなのかよ」
「いや、すこし違うみたいで」
「あ?」
 ぎろりとにらまれ身をすくめる鳴だったが、おそるおそるというように、
「ミンさんに聞いた話ですが……自然に覚えたそうです」
「自然に?」
「はい」
 うなずいた鳴は言葉を続け、
「その……館長さんに登っているうちに」
「登って……って、山に登るとかの『登る』か!?」
「はい」
 その語ったところによると、鳴たちが所属する東アジア区館の館長・孫大妃は見上げるばかりの巨体を誇る女傑であるらしい。
 幼いころそんなターフェイに引き取られたハナは、生まれ育った大陸中央の山岳地に挑むかのごとく連日ターフェイの身体に登り続けた。最初はおもしろがっていたターフェイだが、それが連日となるとさすがにうっとうしくなってやめよさせうとした。しかし、ハナは無言のままターフェイに登り続けた。つかまえようとする手をかいくぐり、ふり落とそうとゆらすのにも耐えて。
 そんな日々の中でハナは自然と鍛えられていった。ただ身体の大きな相手ではない。上級騎士であるその人の動きに反応するうちに、普通の山に登る以上にその敏捷性と柔軟性を高めていったのだ。
 そういった日々が結実したのが、現在のハナの体術なのである。
「マジかよ……」
「まあ、ハナさんなりの組み稽古と言えないこともないのかと」
 そしていまターフェイの首まわりには、ハナの代わりを務めるように小籠(シャオロン)というセンザンコウが巻きついているのだという。
『なんかさー、ここにいてくんねえと物足りねえんだよ』
 と、かつてハナがからみついてきたのを懐かしがってのことらしい。
「つか、オレ様は山じゃねえぞ、おい!」
 百合子ににらまれるも、相変わらずの無言かつ無表情でハナは首をかしげる。
「チッ」
 まともに相手するのも馬鹿らしいと百合子は目をそらした。
「ったく、ガキのころから迷惑なやつだぜ」
「いや、迷惑なのは百合子さんも負けてないかと」
「……!」
 迷惑――
 それはダークランサーのことを知っていて――
「あ、いえ、その……」
 百合子が表情をこわばらせたのを機嫌を損ねたと思ったのか、
「迷惑というか、その……もうすこしだけ優しくしてもらえれば」
「………………」
 おどおどと口にする鳴の表情を見て百合子は気づく。
 こいつは――何も知らない。
「あ、いえ、騎士に成り立ての僕が、有名な騎士だったお母様を持つ百合子さんに意見するなんて生意気だとはわかってるんですけど」
「おい」
「は、はいっ」
「……それだけか」
「えっ」
「てめえが……オレ様のことで知ってるのは」
 それでも不安に耐えきれず、百合子は問いただす。
 はっとなった鳴はさらにあたふたとなり、
「あの、僕、騎士になったばかりで騎士の世界のことをほとんど知らなくて」
「じゃあ、オレ様のことも……」
「はい。あなたのお母様のことも、実は詳しくは……」
 すまなそうに言う鳴だったが、逆に百合子は安堵するものを感じていた。
 と、そんな自分に気づき、内心舌打ちする。
 さっきはラモーナに打ち明けてしまえなどと思っていたが、いまの自分にはとてもできそうになかった。
(なんでだよ……)
 わからなかった。そんな自分の臆病さの理由が。
「っ」
 ハナがこちらをじーっと見つめているのに気づく。
(こいつ……)
 鳴はともかくハナはそれなりに長く騎士をやっているはずだ。本来なら依子に娘がいないことを知っていてもおかしくない。
 しかし、相変わらず無言かつ無表情なハナからは何も読み取ることができなかった。
「と、ところでよー」
 百合子は話題を切り替えようと強引に、
「おい、ヘンタイ」
「ええっ!?」
 ドスを利かせて鳴をにらむと、
「てめえ、いつからストーキングしてやがった」
「だ、だから、してないです!」
「じゃあ、なんでここにいやがる」
「それは……」
 と、鳴がはっとなり、
「あれ? 百合子さんもあそこへ行く途中だったんですよね。ここには他に何も……」
「……!」
 逆に質問を受けた百合子はあわてて、
「あ、当たり前だろ! ここには他に何もねえんだからな! 何も!」
「ですよね」
 微笑む鳴の目に優しさがにじむ。
「行きましょうか」
「え!?」
「僕たちもちょうど行くところだったんです。といってもここに来るまでにかなり迷ってしまったんですが」
「えっ、いや、オレ様は別に……って、なんでおまえらと一緒に行くんだよ! 手ぇ引っ張ってんじゃねえよ! てめえまで引っ張んなよ、チビアマぁ!」


 そこは――
 一見すると特別なところのない大きなな石のモニュメントに見えた。
「ンだよ、ここは」
「えっ? 知っていて……」
「し、知ってんに決まってんだろ!」
 あわてて声を張り上げる。
 鳴は若干釈然としない顔ながらも、その石碑に向かって黙祷を捧げた。隣のハナも同じようにして目を閉じる。
「……?」
 あらためて石碑を見る。
 荘厳な空気を漂わせるそれは、しかし何のためのものなのかさっぱりわからなかった。
「槍の墓場……」
 そのつぶやきにはっとなる。
 黙祷を終えた鳴がこちらを見ていた。
「もっと早くに知ることができればよかったのですが」
「お、おう……」
 あいまいな言葉を返すことしかできない。
 鳴は再び石碑を見つめ、
「ここには〝ヘヴン〟との戦いで砕けた騎士たちの槍が納められているそうです」
「えっ!?」
 思わず驚きの声をあげてしまう。そんな自分の失態を気にかける余裕もないくらいに、それは百合子にとって衝撃的なことであった。
「〝ヘヴン〟との……」
 自分はかつて〝ヘヴン〟――〝騎士団〟の敵対組織である来世騎士団(ナイツ・オブ・ヘヴン)に所属していた。所属という言い方が正確かはわからないが、無関係とは決して言えない立場にあった。
 無関係どころではない。
 自分は……〝ヘヴン〟によって――
「僕はまだ騎士がどういうものかきちんとわかっているとは言えません」
「っ……」
 鳴の声に我に返る。彼は石碑を見つめたまま、
「けど、ハナさんやミンさん……身近で騎士の方たちにふれてきて、その魂の気高さはずっと感じてきました」
「………………」
「ここには」
 鳴の瞳が静かな熱をたたえ、
「そんな騎士の方たちの魂が眠っているんですね」
 ――百合子は、
「あ」
 あたふたと頬にふれる。
 濡れていた。
 信じられなかった。
 自分は――涙を流していた。
 あせりつつも、さりげなさを装って鳴たちに背を向ける。
(なんだこれ……なんだよこれ……)
 わからなかった。
 困惑しきっていた。
「百合子さん?」
「!」
 百合子は反射的に、
「み、見んな!」
 しまったと思ったがもう遅かった。
「あの……」
 鳴はおろおろと、
「本当にどうしたんですか? 僕、何か気に障るようなことを……」
「なんでもねえ」
「でも……」
「なんでもねえって―― !」
 拳を握る百合子。ふり返りざま鳴を殴りつけようとしたとき、
「!」
 足がもつれた。バランスを崩した百合子はそのまま、
「わっ」
 鳴の驚く声が耳に届く。しかし、それはどこか遠い出来事のようにしかいまの百合子には感じられなかった。
 飛びこんでいた。
 鳴の、薄いながらもしっかり鍛えられた胸の中に。
 涙で塗れた自分の顔を、百合子はそこに強く押しつけていた。
「あ……」
 瞬間、
「あ……ああっ……」
 止めることができない。
 あふれる涙のまま、百合子は群れからはぐれた獣のような嗚咽をくり返した。

「……!」
 翌朝。
 野外のいつもの場所で出くわした百合子と鳴は、同時に顔をこわばらせた。
「あ……その……」
 ようやくというように鳴が先に口を開く。
「お、おはようございます……」
「おう……」
 言葉すくなにそれに応える百合子。
 どちらも下を向いたまま、目を合わせようとしない。
「………………」
 沈黙が続く。と、そこに、
「なんでしょうか」
「うわっ!」
「おわぁっ!」
 突然、間に現れたラモーナに、鳴と百合子は驚きのけぞった。
「なんでしょうか」
 微笑をたたえながら――しかし決して笑っていないという空気を漂わせてラモーナが同じ言葉をくり返す。
「鳴殿」
「!」
 視線を向けられた鳴は、明らかすぎるほど明らかな動揺を見せる。
「この空気はどういうことなのでしょうか」
「く、空気?」
「はい……」
 その視線が百合子に向けられ、
「百合子殿と」
「!」
 そして戻り、
「鳴殿の間の空気」
「っ……」
 にっこり。これ以上ないほどの『何か』を漂わせ、ラモーナは言った。
「どういうことなのでしょう」
「………………」
 二人は沈黙するしかなかった。
「そうですか……」
 何かを納得したようにうなずく。そして、
「切りましょう」
「えっ?」
「鳴殿」
 にっこりと。ラモーナは微笑みながら、
「脱いでください」
「ええっ!?」
「ほら、脱がないと切れませんから」
「ちょっ、脱がないと切れないって……えええっ!?」
「問題ありません」
「何がですか!」
「古来よりくり返されたことで技法は確立されています。先人たちは己の煩悩を断つため進んで切り落としたと言いますから」
「いや、そのっ、僕にそんなつもりは……」
「さあ」
「『さあ』じゃなくて!」
「百合子殿、手伝ってもらえますか」
「おう」
「ええええっ!?」
 鳴が悲鳴をあげる。しかし彼女の耳にはやはり遠くの出来事のようにしか聞こえなかった。
 いっぱいだった。
 昨日、鳴の胸の中で泣いてしまった自分――
 そのことが一晩経ったいまも彼女の心の中でまったく整理できていなかった。
「さあ、しっかり押さえていてください、百合子殿」
「おう」
「あっ、目はそらしていてくださいね。汚らわしいもので貴女の目を汚したくはありませんから」
「おう」
「やっ、やめてくださぁーーーーーい!」
 そこに、
「あんたたちねぇ……」
 ハナをつれたミンがため息交じりに現れる。
「小学生じゃないんだから。そういういたずらはやめなさいよ」
「いたずらではありません」
「そうなの?」
「本気です」
「ほ、本気はもっとやめてくださぁーーい!」
 鳴の悲鳴が響く中、
「ハナ殿」
 ラモーナがミンのそばにいるハナを見る。
「貴女はご存知ではありませんか? 百合子殿と鳴殿に何があったか」
 ハナの目が泳ぐ。
「あったのですね」
 迫るラモーナから逃げるようにハナがミンの後ろに隠れる。
「ほらほら、そういう話は後にして」
「後にできるような話ではありません。最悪、百合子殿の純潔が失われてしまった可能性も……」
「鳴クンがぁー? やるー」
「や、やってません! そういうことではなくて……」
「どういうことです?」
「う……」
「あったのですね。やはりあったのですね」
「ううう……」
「切りましょう」
「おう」
「って、だから、なんで百合子さんまで!」
「はいはい、そういうのは後だって」
 ミンがパンパンと手を叩き、
「ちょっと、今日の授業は実戦レッスンにしまーす」
「実戦レッスン?」
「実践的に切り落としを……」
「もうやめてください、それは!」
「実戦……」
 戦士としての本能か、百合子の目に光が戻る。
「おもしれえじゃねえか。センセイとやるのかよ」
「それじゃいつもと変わらないでしょ。百合子ちゃんが泣かされるとこまで含めて」
「ああ!?」
「泣かされるんは同じやと思いますけどねー」
 そう言いながらやってきたのは、
「てめえ……!」
 百合子の表情が引き締まる。
 知っている相手だった。寝起きする屋敷でいつも顔を合わせている――
「シルビア……」
「もー、シルビア〝センパイ〟でしょ」
「うっせーよ!」
 ミンの軽口を一蹴し、百合子は長い銀髪をなびかせた彼女――シルビア・マーロウに視線を注ぎ続ける。
 確かに、シルビアはサン・ジェラールの第三騎生――つまり第一騎生として編入されたばかりの百合子にとっては〝先輩〟だった。
 シルビアの左右には二つの影があった。
 一人は、開放的な衣装に褐色の肌がまぶしい女性。
 もう一人は逆に、全身を隙なく衣服で覆い、顔もまた目もと以外を隠している女性だ。
「てめえかよ……」
 シルビアを見る百合子の目がつりあがる。
「オレ様たちの〝実戦〟の相手ってのはよ!」
「ねーねー、どう思う、シルビィ」
 百合子の怒声を無視するようにしてミンはシルビアに、
「この子ってホント生意気なのよー。先生のことを先生って思ってないっていうかー」
「まあ、それはウチも同じなんですけど」
「ん?」
「ミンねーさんが先生ってちょっと……」
「何か言ったー?」
「いいえ、何も言ってないです」
 しれっとした顔で首を横にふったあと、一転戦意に燃える目でこちらを指さし、
「というわけで、勝負や!」
「おもしれえ……」
 百合子はポキポキと指を鳴らす。
 シルビアの強さは知っている。直接槍を交えたことこそないが、生活を共にする中でその能力の高さは自然と感じ取っていた。
「はいはい、そこだけで盛り上がらなーい」
 二人の間にミンが入る。
「これはチーム戦なんだから」
「チーム戦?」
「そうよ」
 ミンがシルビアのそばにいた褐色の肌の女性を指し示す。
「モアナ・モス。オセアニア区館出身で、シルビィの騎生連のパートナーよ」
「よろしくー」
 モアナと呼ばれた女性がにこやかに手をふる。
「で、彼女はナシーム・アル=カリム。西アジア区館の子で、同じくシルビィのパートナー」
「よろしく」
 顔と身体を覆い隠した女性は、静かに目もとで微笑んだ。
「で、そいつらがなんなんだよ」
「だから、チーム戦って言ったでしょ」
 ミンが肩をすくめ、
「今日の実戦は三対三でやってもらうわ。騎生連同士のね」


 そして――
 日ごろ練習場となっている草原に、百合子たち三人とシルビアたち三人が向かいあった。
「おい」
 百合子が左右の二人に向かって口を開く。
「オレ様の邪魔はすんなよ。いいな」
「無論です」
 ラモーナが笑顔でうなずく。
「拙らはただの引き立て役。主役はもちろんヒーローである百合子殿が務めるべきです」
「お、おう」
 複雑な思いでうなずく。逆らわれることは当然許せないが、ここまであからさまに言われるとそれはそれで面はゆい。
「あの……」
 そこへ鳴が、
「チーム戦なんですし……もっと普通に協力して戦ったほうが」
「そうですね」
 またもラモーナが笑顔でうなずき、
「鳴殿にそう言ってもらえてうれしいです」
「いや、僕は当たり前のことを……」
「では、さっそく切りましょう」
「なんで、またそっちに話が戻るんですか!」
「えっ? 協力してくれると言ったではないですか」
「どういう協力ですか! なんの協力ですか!」
「ほらほら、センパイたち待たせていつまで漫才やってるの、あんたたち」
 見かねてというようにミンが口を開く。
 そして、シルビアたちに、
「ホントごめんねー。この子たち、いつもこうで」
「構いませんよ」
 シルビアが不敵な笑みを見せる。
「こっちも燃えるやないですか」
「わー、シルビィのほうはやる気で助かるー」
「ナシーム、モアナ」
 パートナーである二人を見て、
「ウチらもやるで! 騎生の先輩として本物の三人漫才っていうものを……」
「って、そっちに対抗心燃やしてどうするのよ!」
 本当にこれで勝負になるのか……そう言いたそうにミンが頭を抱える。
「あーもー、とにかく始めるわよ! ほら、お互い並んで!」
 ヤケ気味の声にうながされ、両チームはあらためて向かい合う。
 と、不意に、
「百合子ちゃん」
 シルビアが真剣な顔を見せ、
「これは練習やから。それ以外には何の意味もない」
 自分に言い聞かせるかのようにたんたんとつぶやく。
「他のどんな思いも交えない……」
 手にした得物をぐっと前に突き出し、
「この槍にかけて誓うわ」
「お、おう……」
 突然の宣言に戸惑う百合子だったが、
「さっ」
 再びシルビアは陽気な笑顔を見せ、
「かかって来ぃ。美人なセンパイらが軽ーくもんであげるわ」
「はぁ?」
 カチン。たちまち百合子の頭に血が上り、
「もめるもんならもんでみろ、オラァァーーーッ!」
「と言っても、後ろからもんだりしないでくださいね、鳴さん」
「もっ、もみませんよ!」
「切りますから」
「切らないでくださいっ!」
「てめえら、なにゴチャゴチャ言ってやがんだ!」
「ほーら、漫才の時間は終わりや」
 シルビアは――いやシルビア〝たち〟は完全に息を合わせた動きで前に出た。
「教えたる……」
 その目に熱がちらつく。
「騎士の厳しさを」
「っ……」
 とっさに自分も槍を構える百合子。しかし、それより早く、
「!」
 三人の騎士たちが疾風のように迫った。


「……ぐはっ!」
 無様なうめき声と共に地に倒れ伏す。
「くっ……うう……」
 立てない。
 完全にやられていた。
 まず応戦することにすべての意識を奪われた。シルビアたち三人はためらうことなく百合子一人に迫った。自分一人でなんとでもなると思っていた百合子だったが、思惑と現実には大きなへだたりがあった。
 息の合った三人の連撃。百合子はそれに応じることで手一杯となった。
 援護しようと、遅ればせながらラモーナと鳴が動いた。
 それもシルビアたちにとっては狙い通りだったらしい。
 彼女たちは落ち着き払って、またも三人の力を合わせて一人一人に対処していった。翻弄されていた百合子、そして助けに赴いた自分たちがまさかターゲットになると思っていなかったラモーナと鳴は、不意打ちに近いその攻撃をまともに受けた。
 結果、百合子たちは反撃らしい反撃もできないまま、シルビアたちに突き伏せられていた。
「ま、待てよ……」
 百合子はなんとか上体を起こし、
「いまのは……なしだろ」
「何が?」
 戦いの前の明るい顔とは一転、シルビアは冷たい眼差しで、
「騎士の勝負に『なし』も『あり』もないんと違う?」
「く……」
 何も言い返せなかった。
 三人一組で一人一人つぶしていく。騎士らしくない卑怯な戦いのようにも思えるが、そもそもこれは最初からチーム戦である。シルビアに恥じ入る様子はまったくなかった。
「やっぱり、ちょっとまだ早かったわねー」
 ある程度この結果は予測できていたという顔でミンが言う。
「付き合ってくれてありがと、シルビィ」
「正直がっかりですよ。この程度の相手に……」
 そこまで言ってはっとなり、シルビアは苦い顔で頭をかく。
「あー、いまのナシナシ。せっかくのいい先輩キャラが台無しやん」
 戦う前のからっとした笑顔を再び見せ、
「というわけで今回は惜しかったなー。ミンねーさんのとこで修行し直して、もうちょっと強くなったらまたってことで」
 それだけ言うと、モアナとナシームをつれてあっさりと去っていった。
「く……」
 座りこんだままの百合子の中で悔しさばかりがふくれあがる。
 すると、
「よいしょ」
「!」
 百合子の目があぜんと見開かれる。
「て、てめえ……」
 立ち上がったラモーナは、何事もなかったような顔で百合子に手を差し伸べた。
「どうぞ」
「………………」
 百合子は声もない。ようやくというように、
「へ、平気なのかよ」
「はい?」
「だから……あいつらとやりあって」
「ああ、とても強い方たちでしたね」
 ラモーナはうなずくと、にこりと笑顔を見せ、
「全力を出していたらお互い無事では済まなかったかもしれません」
「……!」
 激しくふるえる。
「全力じゃなかったのかよ……」
「はい?」
「手ぇ抜いてたのかって聞いてんだよ、オラぁぁぁぁッ!」
 怒りの絶叫と共に立ち上がる。
 ラモーナは笑みを崩さず、
「手を抜くというのはすこし違います」
「何がだよ!」
「これは練習だと言われました」
 百合子を見つめる瞳におだやかさをたたえ、
「ならば、まず練習として何が第一かということが大切になります」
「ンなこと……」
「練習はあくまで己を高めるその糧とするべきもの。無用な気張りは本来の己とは異なるものです」
「く……」
 言いわけとしか思えなかった。しかし、たんたんと語る彼女に何かをごまかすような態度はなく、こちらも具体的に何を言い返せばいいのかわからなかった。
「百合子殿も本気ではなかったでしょう」
「!」
 これ以上ないほど目が見開かれた。
「な……」
 そんなわけない! とっさに言おうとして、しかしその言葉はのどで凍りついた。
「あ……く……」
 言えるはずがない。本気を出した自分が無様に負けたなどと……本気を出していなかったラモーナの前で。
「大丈夫です。わかっていますから」
 ラモーナは心から信じているといった笑顔のまま、
「普段も百合子殿は本気を出されていませんよね」
「っ……」
「それはヒーローとして当然のこと。ヒーローが真の力をみだりに見せたりするはずはありません。それでも拙が見たローズランサーの雄姿はいまもしっかり……」
「うるっっせーーーよ!!!」
 限界だった。
「あ……」
 駆け出していた。
 かすかに驚くラモーナの声が聞こえたが、それをふり切るようにして百合子は走った。
 走らずにはいられなかった。

「百合子さん」
「!」
 そろそろ来るかとは思っていた。しかし、百合子はかすかにふるえただけで、寝たふりを続けた。
「百合子さん」
 再び。依子が静かな声で名前を呼ぶ。
「………………」
 寝台の中でぎゅっと縮こまる。こうなれば寝たふりをやめるわけにいかなかった。
「ふぅ」
 かすかなため息。
 そして、部屋を出ていく気配に、百合子は信じられないという思いで顔をあげた。
 当然のように鞭が飛んでくると思っていた。
 それしかないと思っていた。
 ――〝親〟として。
「チッ……」
 いらいらとしたものがこみあげてくる。
 百合子は布団を跳ね上げ、ベッドから飛び降りた。


 身支度を調えたあと、百合子は何も言わずに屋敷を飛び出した。その足で向かったのは、しかし、いつもの練習場所ではなかった。
「はぁっ! うおらぁっ!」
 突いては、引く。
 身をひるがえし、または上下左右にと、百合子は突きの動作をくり返した。
 昨日の敗北の屈辱が頭から消えない。
 朝食も取らずに飛び出したのは、依子のこともあったが、それ以上にシルビアと顔を合わせたくないという思いが強かった。
「ふんっ! はぁっ!」
 頬を汗が伝う。
 もうどれくらいになるかわからないくらい百合子は突きの動作をくり返し続けていた。
 止められなかった。止めてしまえば、煮えるような思いにとらわれてしまうことがわかりきっていた。
「く……」
 それでも限界はやってくる。
 徐々に手足に力が入らなくなってくる。しかし、百合子は槍をふるい続けた。
「ふっ! はっ! はぁぁっ!」
 身体の力が衰えた分、気合で補おうと自然と声が張られる。
 それに合わせて踏みこみも強く――
「っ!?」
 草を踏んだ足がすべった。
 こらえようとするも疲労した筋肉に力が入らず、そのまま地面に――
「ぷりゅっ!」
「!?」
 支えられた。その白く大きな身体にあぜんと顔をうずめていた百合子だったが、すぐにはっとなる。
「て、てめえっ、黒ガキんとこのクソ馬!」
「ぷりゅ」
 うなずく動きが伝わってくる。
「くっ」
 百合子はなんとか自分の足で立ち、
「なっ、なんでここにいやがる、クソ馬ぁ!」
「それは……」
 白馬のマリエッタに代わって、そばにいたシエラが答える。
「その……お屋敷にうかがって」
「はあ!?」
 百合子はシエラをにらみ、
「屋敷のやつに聞いたって、オレ様がここにいるなんて誰も知るはずねえだろ!」
「はい。だから、ここへはマリエッタがにおいをたどりました」
「ぷりゅ」
「つーか、なんでてめえが朝っぱらからうちの屋敷に来るんだよ!」
「それは……」
 言っていいのかという戸惑いを見せたあとシエラは、
「ユイファお姉ちゃんに聞きまして」
「は!?」
 またも百合子の目が見開かれる。
「ユイファお姉ちゃんに……つか、てめえも『お姉ちゃん』って呼ばされてんのかよ!」
「きゃっ」
 思わず怒鳴ってしまった百合子だったが、いまの問題はそこでないと気づき、
「き、聞いたって何をだよ!」
「百合子さんが……」
 またも迷うそぶりを見せつつ、
「その……とても落ちこんでいると」
「っ……」
 よけいなことを! たちまち胸に怒りがわき立つ。
「ンなことねえ! オレ様は……」
「けど、昨夜も食事を取らなかったと」
「それは……」
 その通りだ。やはり、シルビアと顔を合わせるのが嫌で、帰るなり自分の部屋に閉じこもっていた。
「う……」
 ぐぅぅぅ~。
 身体が空腹を思い出したというように、ごまかしようもないほど大きな音が鳴った。
「あ、あの」
 シエラがあたふたと手にしたバスケットを差し出す。
「どうぞ」
「……!」
 鼻先に漂ってきたにおいだけで口の中に唾がわいた。
 それでも最後のプライドと言うべきか、
「な、なんのつもりだよ」
「食べていただこうと思って……それで」
 そう言いつつ、恥ずかしそうにうつむく。
「本当は全部私の手で作りたかったのですけど……」
「………………」
 百合子は、
「……これのためかよ」
「えっ」
「だから……」
 頬をかきながら横を向き、
「これをオレ様に食わせたいって……それで朝から」
「そ、そうです!」
 ぱっと笑顔になってシエラがうなずく。が、すぐまた不安そうな顔になり、
「その、すこし失敗してしまったところがあって、そんな料理ではお気に召さないかもしれませんがせめて……」
 それ以上何か言うより早く、
「あっ」
 百合子の手がバスケットを取り上げる。
 中に入っていたサンドイッチをわしづかみ、まとめて口に入れると力強く噛みしめた。
「う……」
 うまい。広がる肉汁の味に、空腹であったことも相まって思わずそう言いそうになる百合子だったが、咀嚼したサンドイッチと共にかろうじてそれを飲みこんだ。
 シンプルすぎるくらいシンプルな料理。
 ただローストした肉を硬いパンにはさみこんだだけという一品だったが、中世の騎士たちが口にしたような野趣あふれる肉の直火焼きは百合子の大好物だった。さすがに肉だけではと思い、こうしてパンではさんだのだろう。
 あふれる肉汁で手をべたべたにしながら、百合子は夢中でサンドイッチをほおばった。
「……ふぅ」
 あっという間に一食分のサンドイッチが消え、ほっとした息がもれる。
 それでも一度火がついた食欲は容易には治まらない。
「おい、このサンドイッチ……」
 もっとないのか――そう言いかけている自分に気づいた百合子はさすがに恥ずかしくなり、
「こ、このサンドイッチ、お姉ちゃんに言われて作ったのかよ」
「いいえ」
 シエラが首を横にふる。
「私が百合子さんにと思って」
「そうかよ……」
「以前にとてもよろこんでくれた料理だから」
「う……」
 確かにそんなことがあった。しかし、自分が気に入った料理を覚えていられるのは百合子にとってなんとも気恥ずかしいものだった。
「昨夜、ユイファお姉ちゃんから連絡を受けて、それで私、作ってみたんです。百合子さんをすこしでも励ませたらって」
「おい」
 とたんに百合子の表情が険悪なものに変わる。
「何をどう励ますってんだよ」
「えっ」
 きょとんとなるシエラだったが、すぐに失言に気づいたというように口に手を当てる。
「オレ様に何か励まされなきゃいけないことでもあるってのかよ。ガキのおまえによぉ。あああ!?」
「それは……それは……」
 と、そこへ、シエラをかばうようにマリエッタが割って入る。
「ンだ、クソ馬」
「………………」
「何とか言えよ、おい!」
「シエラ様は……」
 おだやかな顔立ちの白馬はまっすぐにこちらを見つめ、
「百合子さんのために朝早く起きて料理をしたんです」
「ンなこと聞いてねえよ!」
 声が跳ね上がる。
「オレ様はてめえらがどういうつもりで……」
「大切なんです」
 にこり。笑顔を見せ、
「百合子さんのことが」
「っ……」
 正面から好意を口にされ、さすがの百合子も顔を引きつらせる。
「し、知らねーよ」
 悔しそうに言って横を向く。そこに好ましげな視線が注がれる。
「正々堂々の勝負だったら負けることもあります」
「……!」
 たちまち百合子の目がつり上がり、
「負けてねーよ! 負けてなかったんだよ! あいつらさえいなかったら!」
「あいつら……?」
「そうだよ!」
 言い捨てるなり、百合子はマリエッタたちの存在を無視するようにして再び騎士槍をふるい始める。
「オレ様一人だけなら絶対負けてなかったんだ。オレ様一人だけでいい。オレ様だけであんなやつら……」
「無理です」
「!」
 思いがけない辛辣なつぶやきに動きが止まる。
「クソ馬……!」
 本気の殺意がこみあげる。
 シエラが青ざめるも、マリエッタは目をそらそうとしなかった。
「一人だけでは……無理です」
「てめえに何がわかる、クソ馬!」
「わかります」
 その目が手にした騎士槍に向けられる。
「その槍は誰に授けられました?」
「……!」
 息を飲む。
「く……」
 百合子の槍――〝薔薇の槍〟は依子から受け継いだものだ。
「先ほど食べたサンドイッチもシエラ様が作ったものです」
「そ、そういうことじゃねえ!」
 苦しそうに頭をふり、
「オレ様が言ってんのは……」
「戦えないです」
 マリエッタは再びこちらを見つめ、
「一人だけでは戦えません。槍を授けてくれる人、ごはんを作ってくれる人……多くの人たちの助けがなければ」
 言い返せなかった。それでもこのままではいられないと懸命に――
「どうしてですか?」
「っ……」
 不意を突く問いかけに百合子は目を剥く。
「な、何が……」
「………………」
 マリエッタはその静かな眼差しを百合子の後方にそびえる――
 石のモニュメントへ向けた。
「槍の墓場……」
「!」
 その目が百合子に戻され、
「あなたはなぜここに来たんですか」
「それは……」
 なぜだ? 理由が見いだせないことに気づいて百合子の瞳がゆれる。
 どうして自分はここに来てしまったのか。屋敷を飛び出した自分の足がどうしてここに向かってしまったのか。
 どうして――
「ここには……」
 マリエッタが言葉を続ける。
「多くの騎士槍が眠っていると聞きます」
 そうだ。この間、鳴もそんなことを言っていた。
 槍――
 百合子は手にした〝薔薇の槍〟に視線を落とす。
 槍は騎士にとって魂と言われる。
 しかし、それは百合子にとって比喩でもなんでもない。
 現実――槍を失ったとき、命を失う。
 実際に自分はそれを体験している。
 この〝薔薇の槍〟を新たな魂としていなければ、自分は確実に消滅していた。
 魂――
「………………」
 無言のまま、百合子は後ろの石碑をふり返る。
 槍の墓場。
 ここは文字通り〝墓場〟なのかもしれない。自分という存在に照らし合わせればそういうことになる。
 無数の槍――仲間たち。
 自分もまたここに眠るのがふさわしい。
 そんな想いが、無意識にここを選ばせたのかもしれない。
(オレ様は……)
「百合子さん」
 我に返ると、またおだやかで優しい眼差しがこちらに注がれていた。
「わたしにはとても大切なお友だちがいます」
「……っ」
 友だち――それは決して百合子が普段口にしない言葉。
 いたことも、ほしいとも思わなかった存在。
「わたしは自分に友だちができるなんて思ったことはありませんでした。それどころか他の馬たちにおびえてさえいました。でも……」
 口もとに笑みが広がる。
「いまは友だちがいてよかったと心から思えます」
「………………」
 百合子は――
 そんなマリエッタの言葉を怒鳴り飛ばせなかった。
 気がつくと、なぜか先ほどまでの怒りもいら立ちもいつの間にか消えてしまっていた。


 シエラとマリエッタを伴い、百合子は気まずい思いで屋敷に戻った。
「!?」
 その目が驚きに見開かれる。
「なんで、おまえらがいるんだよ!」
 視線の先――屋敷の玄関の前に、
「あの、それは……」
 戸惑いを見せる鳴。そのそばには、
「何もおかしいことはないではありませんか」
 ラモーナがいつも通りのアルカイックな笑みを見せ、
「拙たちは騎生連。毎日顔を合わせるのは当然のことで……」
「ここでは合わせねえだろ、ここでは!」
 そもそも今日は学園での修練は休みとなっていたはずだ。昨日の練習試合で疲労した肉体のケアをするということで。
「なのに、なんでおまえらが……」
「あーら、騎生連の仲間同士じゃない。遊びに来たっておかしくないでしょ」
「……!」
 いつもの気にくわないしゃべり方でミンがやってくる。いつものようにハナを連れて。
「てめえらは『センセイ』だろ」
「付きっきりで特別指導? あっ、合宿? みたいな」
「合宿!?」
「あの、ミンさん、やっぱりご迷惑ですよ……」
 鳴がおそるおそる、
「僕たちみんなでここにお世話になるなんて」
「はああ!?」
 とんでもない発言に、百合子は目が飛び出そうなほど驚かされる。
「てめえ、ヘンタイ! なんのつもりだ!」
「く、苦しっ……」
 胸もとをつかまれた鳴は、
「ち、違います! 僕はそんなことやめたほうがって……」
「えー、うそー。最初に言い出したのは鳴クンじゃなーい」
「言ってませんよ!」
「言ったでしょー。『もっと百合子ちゃんのことが知りたーい』って」
「てっ、てめえ!」
 怒りのまま、鳴を激しくゆさぶる。
「ちち、違います! そんな、おかしなことなんて考えて……」
「おかしなことを考えていたら」
 キラーン。いつ取り出したのか、ラモーナの手の内でハサミが光る。
「だから、考えてませんっ!」
 懸命に声を張り上げ、鳴は百合子の拘束をふりほどく。
「ハァ……ハァ……」
「おい、ヘンタイ」
 息を切らす鳴を見下ろし、
「てめえが正真正銘のヘンタイだってわかったら、即行殺す」
「そして、切ります」
「こっ、殺すのも切るのもやめてください!」
 鳴は泣きそうになりながら、
「もっと百合子さんのことを知りたいと言ったのは……本当です」
「てめえ!」
「やっぱり……」
「変な意味ではなくて、お互いにわかりあったほうがいいと言ったんです!」
「お互いに……」
「あなたの汚らわしいものを百合子殿の眼前に……」
「だから、そういうことじゃないんですって!」
 鳴の目に本当に涙がにじむ。
 そして、ちょっぴり憤ったような顔で、
「僕、昨日のことは、やっぱり僕たちに問題があるんだと思います」
「ああ、そうだ。てめえとラモなんとかに……」
「百合子さんにもです!」
 鳴が声を張る。と、その目が伏せられ、
「僕たちは……バラバラでした」
「拙は百合子殿と一心同体のつもりですが」
「一心同体じゃねえよ!」
「そんな僕たちに比べて、シルビアさんたちは本当にチームでした。動きも、そして心も完全に一体になっていました」
 百合子は言葉に詰まる。しかし、それを認めたくないというように、
「だ、だから、なんだってんだよ」
「だから、僕たちも……」
「もっとお互いを知り合わないとー。そのための合宿ってわけ」
「合宿なんてことまで僕は言ってないですよ!」
 横から口をはさんできたミンに鳴はあわてて言い返す。
 そして、百合子にも、
「ごめんなさい! こんなふうに押しかけたりして」
「そうです。貴方は本当に迷惑な……」
「って、ラモーナさんも乗り気だったじゃないですか!」
「『も』?」
「あ、いえ、僕じゃなくて……」
 横目でミンを見る。彼女は悪びれた様子もなく、
「というわけで、今日からみんなで合宿よ。これは教官命令です」
「教官命令だとぉ……」
 思わず歯を食いしばる。と、はっとなった百合子は意地悪そうに笑い、
「おいおい、許可は取ってんのかよー」
「もちろん金剛寺さんには……」
「そこじゃねえって」
 余裕たっぷりにミンに近づき、そして屋敷のほうをふり返る。
「ここんちのババアにだよ」
「う……」
 とたんにミンの顔が引きつる。
「や、やっぱり取らないとだめよねー、依子さんに」
「いいんじゃねえかー、取らなくても」
「えっ、そう?」
 あからさまにほっとした表情を見せ、
「そっかー、百合子ちゃんが話してくれるのねー。そうよねー、百合子ちゃんの頼みならきっと……」
「おい」
 百合子はさらに悪い笑みを見せ、
「何してくれるんだよ」
「えっ」
「ただでとか言わねえよなー? あーん?」
「も、もー、なに言ってるのー。騎生ならよろこんで教官に協力を……」
「へー、教官なら騎生に何やらせてもいいって言ってんだ。自分でもいやがるようなことを無理やりに」
「無理やりとは言ってないけど……ねえ?」
「『ねえ』なんだよ? あぁーん?」
「わ、わかったわよ。そんなに大変なことじゃなかったら」
「よし。じゃあ、素っ裸で逆立ちしながら校舎の周りを十周な」
「十分に大変なことでしょ! ていうか、ヘンタイなことでしょ!」
「別にヘンタイ呼ばわれされんのはそっちだしよー」
「あなたねぇ……」
「ミ、ミンさんが……裸で……」
「鳴クン」
「!」
「あなた、いま何を想像してたのかしらー。んー」
「いや、その、あの……って、痛っ!」
「ほらほら、ハナが怒っちゃってるわよー。つねっちゃってるわよー」
「痛たたたっ! 痛いです、ハナさん!」
「切りましょう」
「って、ラモーナさんまで! ハナさんもうなずかないでください!」
 と、そこに、
「人の家の前で何を騒いでいるのですか」
「!」
 その場にいた全員が凍りつく。
「ミンさん」
「っっ……!」
 矛先を向けられたミンはこれ以上なくうろたえ、
「いえ、その、あの……い、いい天気ですねー、依子さーん」
「………………」
「あははははははー。……えーと」
「こいつら、いきなり押しかけてきて、ここの屋敷で合宿したいんだとよー」
「ゆっ、百合子ちゃん!」
「なんだよー。オレ様から言ってくれって言っただろー」
「それはそうだけど、その、タイミングってものが」
「言ってやったから、裸で十周なー」
「OKって言ってないでしょ、それは!」
 そこに、
「ミンさん」
「っっ!」
 たちまちミンが青ざめる。
「どういうことですか」
「あの……き、昨日の練習試合のことを踏まえてですね……」
 騎生連の絆を深めるために寝食を共にしたいという自分の提案を、ミンはびくびくしながら依子に語った。
「………………」
 凍りつきそうな視線が一同を見回し、
「わかりました」
「えっ!」
 驚きの声をあげる。
「そんなあっさり……い、いいのかよ!」
「………………」
 依子は何も言わないまま、屋敷の中に戻っていった。
「え、えーと……」
 ミンはちょっぴり困ったように、
「これって……OKってことなのよね」
「………………」
 百合子は何も答えなかった。それどころではなかった。
(どうなってんだよ、ババア……)
 おかしい。
 それは今朝も感じたことだ。
 百合子の知っている依子なら、こうして突然やってきた非礼な一団に怒りを見せないことはないはずだ。
「と、とにかくよかったじゃないですか」
 場の空気を明るくしようと鳴が声を張る。すると、
「まー、鳴クンにとってはよかったわよねー」
 ミンがいつもの調子を取り戻し、
「でも、あんまりよろこんでるとぉー」
「えっ……」
「切られちゃうわよー」
「えええっ!」
 依子を前にしたミンに負けないくらい鳴が青ざめる。
 そんな彼を笑い飛ばし、
「ねっ、ラモーナちゃ……」
 ふり向いたミンがかすかに息を飲んだ。
 ラモーナは、
「………………」
 なぜか、いままで見せたことのないような呆然とした表情で立ち尽くしていた。
「あの……ラモーナちゃん?」
 おそるおそるミンが声をかける。と、ラモーナははっとなり、
「な、なんでしょうか」
「いや『なんでしょうか』って……ねえ」
「………………」
 ラモーナは深い呼吸を何度かくりかえしたあと、いつもの微笑を見せ、
「いまの方は?」
「えっ」
 きょとんなるミンだったが、すぐに、
「あっ、ラモーナちゃん、初めてだった? いまのが俺サマ百合子ちゃんのお母サマよ」
「お母様……」
 つぶやくラモーナの瞳がゆれる。
「あ、あのね」
 ミンが気遣うように、
「確かにあの人、とっーーても怖いんだけどね。けど、逆らったりしなければ殺されちゃうようなことは……えーと、たぶん……」
「………………」
 ラモーナは、
「素敵な方ですね」
 それだけを言って、
「では、戻りましょう」
「えっ」
 言うなりさっさと屋敷に背を向けるラモーナに、ミンはあわてて、
「ちょちょ、なんで戻っちゃうのよ」
「拙たちは何も持っていません。合宿するために必要なものを」
「あ」
「てめえらなあ……」
 さすがに百合子もあきれてしまう。
「だって『合宿しよう』ってことで頭がいっぱいだったから……ねえ」
「『ねえ』じゃねーよ」
「じゃあ、各自荷物を取ってくるってことで。かいさーん」
「あっ、おい」
 戸惑う百合子を尻目に、ミンたちはその場からさっさと歩き始めた――
 と思いきや一人だけ残っている影があった。
「ンだよ」
 おどおどとこちらを見ている鳴を思いきり機嫌悪そうににらみ返す。
「ご、ごめんなさい」
「ああン?」
「その、ミンさんって結構強引なところがあって、僕も止めようとしたんですけど」
「ケッ、てめえにできるわけねーだろ。チビアマにさえ逆らえないてめえによ」
「ううう……」
「ンだよ、それだけかよ」
「あ、いや」
 鳴は思い出したというように、
「ラモーナさんのこと、どう思いました」
「あ?」
「すこし様子がおかしかったから」
「様子ぅー?」
 確かに――
 依子を前にしたとき、ラモーナは普段の彼女らしくない反応を見せた。
「……!」
 稲妻が走る。
(まさか……)
 気づいてしまったのか。
 自分の見たローズランサーが――依子だということに。
 仮面なしの百合子を見て、そうだと判断したラモーナだ。〝本物〟を見た瞬間、気づいたとしてもおかしくない。
(だったら……)
 この自分はどういうことになるのだろうか。
 ローズランサーは二人いない。すくなくともラモーナにとってはそうのはずだ。
 百合子にだまされた? そう思うのでは――
(ケッ、知らねーよ。あいつが勝手に言い出したんじゃねえか)
 それに百合子が〝ローズランサーであるということ〟自体は間違いではない。
 だから――
「百合子さん?」
「!」
 けげんそうに声をかけられた百合子はあわてて、
「な、なに、いつまでこんなところにいやがんだ! てめえもさっさと行け!」
 ドカッ!
「うわぁっ!」
 尻を蹴り飛ばされた鳴は情けない悲鳴をあげ、
「でも、ラモーナさんのことは」
「うっせえ! ンなに気になんならヘンタイらしくストーカーでもしやがれ!」
「ヘンタイじゃないですよぉ!」
 涙ながらに叫び、鳴は仕方なさそうに退散していった。
「ケッ」
 もやもやをふり払おうとするように、百合子は何事もなかった顔で屋敷に入ろうと――
「あっ」
 視界に入ったシエラとマリエッタの姿にはっとなる。そういえば彼女たちと一緒にここに来ていたのだった。
「合宿……」
 シエラがつぶやく。その目にかすかにうらやましそうな色がちらつく。
 こちらはそれを望んでいない百合子はとたんに不機嫌になり、
「てめえもやりてえのかよ」
「えっ! そんな、私なんかいたらお邪魔に……」
「大丈夫ですよ、シエラ様」
 そこへマリエッタが、
「百合子さんはシエラ様のお弁当をよろこんで食べてくれましたから」
「そ、そうですね!」
「『そうですね』じゃねーよ!」
「違うのですか」
「う……」
 違いは――しない。
「シエラ様がサポートすればきっと大きな助けになります」
「そうですね!」
「だから『そうですね』じゃ……」
「もちろん、およばずながらわたしもお手伝いさせていただきます」
「は!?」
 さらに百合子の目が見開かれ、
「えっ、おまっ……なに言ってやがんだよ!」
「お手伝いすると言いました」
「なんでだよ!」
 怒りをあらわににらみつけるもマリエッタは微笑して、
「わたしは百合子さんの馬になることを望まれていますから」
「だからやるのかよ! そうなれって言われたから!」
「それだけではありません」
「えっ」
「わたしが……」
 マリエッタの目に真摯な光がともる。
「百合子さんの馬になりたいのです」
「……!」
 百合子は、
「し、知るかよ! 勝手に言ってんじゃねーよ!」
「確かに勝手ですよね」
「そうだよ!」
「勝手なことはわかっていますが踏みこみます」
「はああ!?」
 一見おとなしそうな白馬の大胆な発言に、百合子はさらに信じられないという声をあげてしまう。
「というわけで、よろしくお願いします」
「『というわけで』じゃねーよ!」
「さあ、シエラ様、依子さんにお願いしに行きましょう」
「で、でも……」
「大丈夫です。依子さんは恐いですけど、シエラ様にはきっと優しくしてくれますから」
「そう? でしたら」
「『でしたら』じゃねーんだって!」
 これ以上ややこしいことになってたまるか! 止めようとする百合子だったが、
「踏みこみますから」
「……!」
 マリエッタの言葉に勢いを止められる。
「踏みこみますから。百合子さんに」
「なっ……」
「踏みこみます」
 もう一度、にこやかながらだめを押すように言って、
「さあ、シエラ様」
「ちょっ……うながしてんじゃねーよ、黒ガキを! って、うながされてんじゃねーよ、黒ガキも!」
 声を張り上げるが、結局彼女たちを止めることはできなかった。
 認められなかったが「踏みこむ」と言ったマリエッタに気圧される自分を感じていた。
(なんなんだよ……)
 わけがわからない。どいつもこいつもこちらをふり回す。
(知るか!)
 もうどうにでもなれという思いで、百合子は頭をかきむしった。


「そうか……シルビアが」
『ええ。念のためにご報告をと』
 依子からの電話に、今日も学園長室で事務仕事に追われていた金剛寺は笑みを見せた。
 百合子の暮らす屋敷で合宿をするという話は、昨日のチーム戦の結果とあわせてミンから聞いていた。
 百合子のためになることなのだ。依子が許可を出すことは予想できていた。
 しかし、その同じ屋敷で暮らすシルビアまでも「合宿」と言い出すとは思わなかった。
「ほら、ウチら、ライバル?チームなわけやし、こっちも負けんと合宿せな」
 と言って、学園の寮で暮らすナシームたちのところにしばらく居候するのだという。
 学園長代理であり〝父〟であるこちらにまだ連絡がないというのは、おそらく急に決めたことだからなのだろう。百合子たちが合宿すると聞いて、彼女なりに気を使ったのだ。いや、昨日の時点で、しばらく生活を別にしようという思いはあったのかもしれない。幼いころ厳しい世界で生きてきたシルビアにそういう心の細やかさがあることを、養父である金剛寺はよく知っていた。
『ふぅ』
 金剛寺ははっとなる。
 いま、受話器越しに依子のため息を聞いた気がしたからだ。
 彼女と対峙した相手へのあきれたような息ではない。それはあきらかに心のゆらぎを感じさせるものだった。
『親というのは難しいものですね』
 たんたんとつぶやかれたその言葉に、付き合いの長い金剛寺は息を飲む。
 弱音。
 そう取れるようなことを彼女が口にするのを聞いたのは、ひょっとしたら初めてかもしれなかった。
『あなたのことを尊敬します、鎧』
「おいおい……」
 頬でもつねりたくなる思いで、
「おまえに尊敬されるようなことなど何もないよ」
『いいえ』
 首をふる気配が伝わってくる。
『シルビアさんを始め、あなたは多くの子どもたちを立派に育て上げています』
「それは……」
 正直「立派に」の部分は面はゆいが、そうでないと言うのも抵抗がある。みな、自慢の子どもたちなのだ。
「だが、ユイエンのことではおまえの世話になっている」
『向き不向きというものはあります。あなたは優しすぎますから』
 再びかすかなため息が届き、
『わたくしは親に向いてはいないのでしょうね』
「おい……」
 依子の悩みがそれなりに深刻でありそうなことに気づかされ、
「何かあったか? 百合子のことで」
『………………』
 ためらうような間があったあと、
『わからないのです』
「わからない?」
『ええ。あの子とどのように接すればよいのか』
「それは……」
 難しい問題ではある。しかし、多くの子どもを引き取り育ててきた経験から金剛寺は、
「愛するしかないだろう」
『っ』
「おまえが葉太郎にしてやったようにな」
『………………』
 返ってきたのは重い沈黙だった。

「さー、いっぱい食べてください、みなさん!」
 はずむユイファの声が、屋敷の広い食堂にこだました。
「うわぁ……」
 大きなテーブルに乗った料理の数々に、鳴が驚きの声をもらす。
「すごいですね。えーと……」
「劉羽花(リュウ・ユイファ)です。『ユイファお姉ちゃん』と呼んでください」
「ええっ!?」
「おーおー、呼んでやれ、呼んでやれ」
「えぇぇ~……?」
 困ったようにユイファと百合子とを見比べる鳴。
 そして、おそるおそる、
「ユイファ……お姉ちゃん?」
「きゃーっ! じゃあ、わたしも鳴〝君〟って呼びますね」
「は、はい……って、痛っ!」
「つねってるわよー、怒ってるわよー。ハナも〝お姉ちゃん〟って呼んでほしいって」
「そうなんですか!?」
 情けない声がこだまし、百合子は大きなため息をついた。
 異常にテンションの高いユイファ。それは食卓に並んだごちそうの数々を見るまでもなく明らかだ。
 理由ははっきりしている。
 鳴やラモーナ、そしてシエラというあらたな〝年下〟がこれから共に暮らすからだ。鳴たちの正確な年齢は百合子も知らないが、共に騎生連を組んでいるということで自分と同じように見なしていると思われた。
「ほら、どんどん遠慮しないで食べて。うちの妹がお世話になってるんですから」
「妹じゃねーよ」
「あれー。誰も百合子ちゃんのことだなんて言ってないけどー」
「う……」
 ミンの一言に顔が引きつる。相変わらずこういうことは絶対に見逃さない。
「わー、ハナちゃんはいっぱい食べるのねー。いっぱい食べて鳴お兄ちゃんより大きくなってねー」
「いや、ハナさんは僕より年上で」
「ええっ!?」
 本気で驚くユイファにむっという顔を見せるハナだったが、それでも頬をいっぱいにしながら食事をする手を止めようとはしなかった。
「チッ」
 あっという間のなごやかな空気に、百合子は気に入らないというように目をそむける。
 と、すぐ隣で戸惑いの表情を浮かべている冴が目に入った。
「おい」
「えっ……」
 不意に声をかけられて冴の瞳がゆれる。
「いいのかよ」
「な、何が……」
「決まってんだろ。いきなり知らねえやつらと一緒でいいのかって聞いてんだよ」
「それは……でも決まったことだし」
 うつむきながら口にする。そんな態度に腹が立ち、
「てめえのほうがここじゃ先輩だろ! 気に入らねえなら気に入らねえって言えよ!」
 ドン! テーブルの叩かれる音に、食卓を囲んでいた一同が動きを止める。
「ど、どうしたの、百合子ちゃん」
 ユイファがあたふたと近づいてくる。
「料理に何かあった? ひょっとしておいしくなかった?」
「ンなことねーよ」
「でも……」
「なんでもねえって……!」
 怒鳴りつけようと腰を浮かせかけた瞬間、
「!?」
 横合いから腕をつかまれた。
 冴だった。
「てめっ……」
 騎士でもなんでもない冴の肉体的接触に百合子は驚く。とっさにふり払おうとするが、彼女は思いがけない力でそれを許さなかった。
「だめ!」
 するどい声に動きが止まる。
 冴は険しい表情で、濡れた百合子の手をハンカチでふき始めた。
「あ……」
 そのとき、ようやく気づく。
 テーブルを叩いた衝撃で、自分の右手にスープがかかっていたことを。
 かすかに肌がひりつく。熱々のスープを手に受けたことで、軽いやけどを負ってしまったらしい。
「おい……」
 戸惑う百合子を無視し、ハンカチで包みこむようにそっと手が拭かれる。
「行こう」
「えっ」
 返事を待たずに冴が歩き出し、百合子はそれについていくしかなかった。


 洗面所につれてこられた百合子は、右手に冷たい流水を当てられていた。
 それから、あらためて手を拭かれる。
 そこに、
「これいるよね、冴ちゃん」
「あっ、ありがとうございます、先輩」
「もー、同級生なんだからー。『先輩』じゃなくて『お姉ちゃん』でしょ」
「は、はあ……」
 あいまいな笑みでごまかし、冴はユイファから救急箱を受け取った。
「みなさんは?」
「大丈夫。わたしの代わりにお世話してくれるようユイエンに頼んだから」
「大丈夫……なんですかね」
 微妙な反応を見せつつ、冴は慣れた手つきで百合子の手に薬を塗ると、そこに包帯を巻いていった。
「……うめえな」
「えっ」
「!」
 はっとなる冴に百合子もあわてて、
「べ、別にそう思ったから言っただけだよ! おまえの、その、手当てがうまいって!」
「そんな……わたしなんかぜんぜんだよ」
「そんなことないよ、冴ちゃん」
 ユイファが優しい笑顔で、
「この間、実習のときほめられてたでしょ。厳しい先生に」
「それは……そうですけど」
 はにかむように笑う。その笑顔がいまの百合子には不快ではなかった。
「もっと自信持たないと!」
 ユイファの手が冴の肩に置かれる。
「わたしたち、医療騎士(ナイトホスピタラー)なんだから」
「あ?」
 聞いたことのない名称に百合子はけげんな声をもらす。
「なんだよ、その、ナイト……ほ、ほしぴららーってのは。ぺらぺらの星かよ」
「ナイトホスピタラー」
 優しく。ユイファが言い直す。
「わたしたち医療学部のみんなに授与された称号なの」
「称号?」
「うん……」
 遠くを見るような目で、
「あの戦いで一人でもたくさんの人を助けようとがんばった……みんなに」
「……!」
 よみがえる。
 あの戦い――〝大戦〟のとき最前線で果敢に医療活動を続けていたユイファの姿が。
「おかしいよね」
 冴が苦笑する。
「わたしなんて、ほんの半年ちょっと前まで普通の高校生だったんだよ。それが騎士だなんて ……」
「おかしくねえよ」
 ためらいなく。百合子は言った。
「おまえもお姉ちゃんみたいに〝戦った〟ってんなら……」
 自然と。笑みが浮かび、
「騎士だよ。間違いなくな」
「あ……」
 冴の声がふるえる。
「あ、ありがとう……」
「おい」
 ちょうど包帯を巻き終えた冴ははっとなり、
「ごめん、痛くしちゃった?」
「じゃなくて……」
 ぽつり、
「……悪ぃ」
「えっ」
 きょとんなる冴。
 が、すぐに再び笑みが広がる。
 手当てのお礼を言われた――それがわかったというように。


「あっ、百合子さん」
「百合子さん、大丈夫ですか」
 食堂に戻ると、シエラと鳴があわてて近づいてきた。
 百合子は顔をそらし、
「てめえらに関係ねえだろ」
「そんな……」
 しおれるシエラ。一方、鳴は、
「関係あります」
「あ?」
「騎生連なんですから」
「チッ……」
「シエラさんだって百合子さんのことを心配……」
「うるせーよ!」
 声を張り上げる。
「ちょっとやけどしたくらいでガタガタさわぐんじゃねーよ!」
「でも、痕が残ったら大変ですし」
「関係ねーよ!」
「百合子さんはレディじゃないですか!」
「っ……」
 不意をつかれて百合子の顔が熱くなる。
 鳴も頬を赤くしつつ、
「ですから、その、騎士としてレディに何かあっては大変だと……」
「う、うっせーよ……」
 悪態をつく百合子だが、そこに先ほどまでの勢いはなかった。
「んふふー」
 またもミンが目を光らせ、
「やるわねー、鳴クン」
「な、なにがですか」
「みんなが見てる前でそんなに堂々と口説くなんて、勇気あるー」
「口説いたんですか!?」
 驚くシエラを前に、鳴はあわてて、
「く、口説いてなんて、そんな……」
「えー」
 ミンがわざとらしく信じられないという顔で、
「そうなんだー。百合子ちゃんに口説くほどの価値はないんだー」
「そんなこと言ってないじゃないですか!」
 情けない声があがる中、ミンはますますおもしろがり、
「ねー、どう思う、ラモーナちゃーん。百合子ちゃんがたいしたことないって……」
 その言葉が途中で止まる。
「ラモーナちゃん?」
 はっとラモーナが身体をふるわせる。彼女はこれまでの騒ぎをまったく意識に止めていなかったようだった。
 そんな彼女が見つめていたのは、
「あ……」
 いたずらを楽しむようだったミンの顔がたちまちこわばり、
「す、すみません、依子さん。その……ちょっと調子に乗っちゃって。そうですよねー、食事中にふざけてたらだめですよねー」
 依子は、
「………………」
「う……」
 何事もなかったように食事を続ける依子に、ミンはますます青ざめ、
「さー、みんなおとなしく食事しましょー。百合子ちゃんも戻ってきたことだしー」
 そこだけは教師らしく手を打って場を鎮めようとする。
 それに逆らおうとするものはなく、戻ってきた百合子、冴、ユイファも粛々と自分の席についた。
「ケッ」
 かすかに百合子の口から悪態は漏れたが。
(ンだよ……)
 気に入らなかった。
 依子を見つめていたラモーナ。
 やはり――気づいてしまっているのだろうか。
 それにしては何の行動も見せない。
 しかし、自分がスープを手にかけてやけどしそうになったとき、彼女は何の反応も見せなかった。いまさらながらにそれを思い出し、百合子は疑いを深める。
 もう気にかけていないから、何もしようとしなかったのではないか。
 もうどうでもいいと思っているから……だから――
(ケッ!)
 依子もそうだ。いまも平然とした顔で食事を続けている。
(どうでもいいんだろうよ、どいつもこいつも!)
 冴が本気で手当てしてくれたことに感じた想いも消え、百合子はいら立ちをぶつけるように目の前の料理をがっつくしかなかった。

「やほー、百合子ちゃーん」
「……!」
 久しぶりに訪れた校舎で声をかけられたとき、とっさにミンかと思った。
 しかし、そうではないとすぐに気づく。
 そして思い出す。自分の記憶の中に、よく似たテンションでしゃべるもう一人の人物がいることを。
「てめえかよ……」
 どういう顔をしていいか迷いつつ、そんな自分の思いを隠すように目つきを険しくしてふり返る。
 シルビアは、これまたミンとそっくりないたずらそうな笑みで近づいてきた。
「めずらしいなあ、こんなところで会うなんて」
「……知るかよ」
 短く言い捨て、横を向く。
 どうしてこんなところでという思いは百合子にもあったが、よけいなことは言いたくないと口を閉じる。
 かすかに苦笑する気配が伝わってきたあと、
「どう? 合宿は順調?」
「っ……」
 皮肉を言われたと思った。しかし、そんな反応を返せば、皮肉を言われるような状態だと認めることになってしまう。
「関係ねえよ」
「もー、つれないなー」
 後ろから肩に腕を回され、百合子はぎょっとなる。
「ほらー、お姉さんに話してみー」
「て、てめえまで姉貴気取りかよ!」
「気取り……」
 シルビアの声が低くなる。
「それって誰のこと言うてるん?」
「えっ」
「姉貴〝気取り〟……」
 ぐぐっ。回された腕に力がこもり始める。
「てめっ、何……」
「そんな甘い気持ちやない」
「!?」
「あの子は……ユイファは……」
 ぐぐぐぐぐ――
 このままでは本当に落とされる。
 百合子は全力で腕を引きはがそうとして――直後、
「っ……!」
 外れた。
 勢いあまった百合子は無様にふらついた。
「お、おいっ!」
 拳を握りつつふり返ると、そこには苦い顔で頭をかいているシルビアの姿があった。
「はー、あかんなー」
 本気の自戒のこもった声がこぼれる。
「なあ、あんた」
 シルビアの目が近くにあった建物――医療学部の校舎に向けられる。
「なんで、ここに来たん?」
「それは……」
「忘れとるわけやないよな」
 再びシルビアの声が低くなり、
「ここでユイファは大怪我させられたんや」
「えっ!」
 目が見開かれる。
「大怪我って……じゃあ……」
 無言でこちらをにらんでいたシルビアだったが、やってしまったという顔になって大きなため息をもらした。
「あーもー、言わんようにって頼まれてたのになー」
「………………」
 何も答えられなかった。それどころではなかった。
「お姉ちゃんが……あのとき……」
 あのとき――
 ダークランサーであった自分が破壊した校舎にユイファがいたというのか。
 そうだ。ユイファは医療学部の学生だ。
「冴ちゃんもいたんや」
「っ……」
「ユイファは冴ちゃんをかばってな。それで……」
 激情をこらえるようにシルビアが唇を噛む。
 シルビアとユイファは共に金剛寺の〝娘〟だ。歳が近い彼女たちの間には、弟妹たちとはまた違う親密なつながりがあると百合子も感じていた。
 そして、ユイエン。
 たびたび敵対的なことをするのも、ユイファのことがあったからなのだ。
「なんでだよ……」
 たまらずその言葉がこぼれる。
「そんなオレ様を……なんでお姉ちゃんは」
「金剛寺鎧の娘だからや」
 答えは明快だった。
「パパはな、絶対恨みを後に残したりせえへん。そんな人の背中を見て育ってきたユイファには、何が正しくて正しくないかちゃんとわかっとる」
 シルビアは自嘲の笑みを見せ、
「ウチかて同じ背中を見て育ってきたのになー」
「それでもよ!」
 どうしようもなく大声をあげる。
「なんでだよ! 普通許せねえだろ!? しかも、い、妹だなんて……」
「ユイファが〝お姉ちゃん〟だからや」
 またも即答だった。
「そうやろ?」
「わ、わかんねえよ……」
「ウチはちょっとわかる気がするわ」
 シルビアの手が百合子の頬にふれる。作り物でない笑みがその口もとに浮かび、
「かわいいもん」
「!?」
「いまのあんた見たらわかる。ユイファは本当にかわいいと思って百合子ちゃんのことをかわいがっとるんや」
「……う……」
 百合子は、
「わかん……ねえよ……」
 そう口にするのが精いっぱいだった。


 なぜ――またあの場所に行ったのか。
 しばらくは近づけなかった。
 ラモーナの存在があったからだ。
 しかし、いま彼女は屋敷にいる。
 それが無意識下にあって、自分の足はあそこへ向かったのかもしれない。
 そして、現状に対するストレスもあった。
 始まった合宿は、しかしミンたちの目指していた成果はもたらしていないように感じた。百合子自身、さまざまな想いにとらわれ鍛錬に集中できなかった。
 そこにゆらぎが生じた。
 それが、自分に〝原点〟を確認させたのだろうか。
 騎士の学園に入った――その原点を。
 だが、そこでシルビアに会うとは思ってもいなかった。
 あの後、彼女は正直に言った。医療学部の前で偶然会ったわけでなく、その前に学園に向かう百合子をたまたま見かけて、それであとをつけたのだと。普段の百合子ならその気配くらいはとらえていただろう。しかし、まったくそれができないくらい自分が平常心を失っていたことは、百合子にとって静かなショックだった。
 その上、あんな話まで聞かされて――
「百合子ちゃん」
「!」
 跳び上がりそうになる百合子。と、そこにはぜた火の粉が飛んできて、
「うわっちぃ!」
「百合子ちゃん!」
 驚いた声が聞こえ、
「熱いの!? ひょっとしてまだ手のやけどが治ってなくて……」
「かっ、関係ねえよ!」
 怒鳴り返したあと、その相手がユイファだと気づき百合子はさらに動揺する。
「な、なんだよ!? なんでもねーよ!」
「なんでもなくないよ……」
 本当に心配だという顔で、
「百合子ちゃん、あんまり食べてないでしょ? お肉大好きなのに」
「う……」
 直火で焼ける肉のにおいが鼻をとらえる。
 夜――
 屋敷の中庭では、ミンの提案によるキャンプファイヤーが行われていた。
「合宿といえばキャンプファイヤーでしょ。みんなで焚火を囲んでマイムマイムでしょ」
 という強引な説によってだ。
 そして、火の周りではワイルドに串刺しにされた肉が焼かれていた。
(バーベキュー? ケバブ? つか、魚焼くときのやり方じゃねーのか?)
 どちらにしろキャンプファイアーではない。
 しかし、ミンのノリでとりあえずOKという感じでイベントは進んでいた。
「はい、百合子ちゃん、あーん」
「うおっ!?」
 切り分けられた肉を突き出され、百合子は思わずのけぞる。
「な、何すんだ、いきなり!」
「食べさせてあげようと……」
「すんなよ! ガキじゃねーんだよ、オレ様は! ガキならあっちに……」
 そう言って顔を向けた瞬間、
「う……」
 突きつけられた。
「ど、どうぞ」
 断られたらどうしよう……そんな心配そうな顔でシエラもまた肉を差し出していた。
「ほら、百合子ちゃん」
「『ほら』ってなんだよ『ほら』って!」
「せっかくシエラちゃんが食べさせてくれるんだから。わたしはまたいつでも食べさせてあげられるし」
「『いつでも』ってなんだよ! そんなのしてもらったことねえだろ!」
 言い合っている間にも、シエラは肉をこちらに向け続ける。
「う……」
 百合子は、
「あぐっ!」
 前にのめりこむようにして大きめに切り分けられた肉にかぶりついた。
「あ、一口で……」
 シエラが目を見張る中、
「むぐむぐむぐ……」
 百合子は口いっぱいの肉の塊をなんとか噛みしめ、
「んっ!」
 飲みこんだ。
 かすかに息を荒くし、
「これでいいんだろ」
「は、はい……」
 シエラがあぜんとうなずく。
「おまえも食えよ」
「えっ」
「チビなんだからもっと食べたほうがいいだろ。あっちのチビみたいに」
 あごで指したほうでは、ハナが食欲旺盛なリスのように頬を食べ物でいっぱいにしていた。
「いえ、あのようには」
 引きつった笑みで応じるシエラ。そこに、
「百合子ちゃん、優しい!」
「は!?」
 ユイファが目を輝かせ、
「そうだよね! 百合子ちゃんもお姉ちゃんだもんね!」
「はああ!?」
「だって、そうでしょ。お姉ちゃんとしてシエラちゃんのことを心配……」
「心配なんてしてねーよ! なあ、おい!」
「百合子さんが私のことを……」
「だから、してねーっつつてんだろ!」
 必死に否定するも二人には届かず、
「よかったね、シエラちゃん」
「はい!」
「『はい』じゃなくてよお!」
 なんとか〝カン違い〟を止めようとする百合子だったが、
「っ……」
 心から愛おしそうにシエラをほめるユイファ。そこに百合子は正しく〝お姉ちゃん〟の姿を見ていた。
「………………」
 自分は――
 この光景を消してしまうところだった。
 そのことが恐ろしかった。想像するだけで耐えられそうにないほど虚ろなものが百合子の内に広がっていった。
「あ……かはっ」
 呼吸が乱れる。
 と、すぐさまそれに気づいた二人が、
「どうしたの、百合子ちゃん」
「やっぱり、あんな大きな肉を一口で食べたのは……」
 心配する声を聞きながら、百合子は思った。
 自分には無理だ。
 最初から資格なんてなかった。
 騎士の学園に入ることで叶えようとしていた――その〝望み〟を持つことさえ。


 百合子の異変を見て、マリエッタもとっさに駆け寄ろうとした。
「………………」
 ヒヅメが止まる。
 結局、彼女は中庭の隅から動けなかった。
「ぷりゅぅ……」
 弱々しい鳴き声が落ちる。
 シエラとなかば強引に合宿に参加した自分。しかし、いざ同じ場所で暮らしてみると、かえってどこまで近づいていいのか戸惑う自分を感じていた。
(踏み越えるって……言ったのに)
 悔しさと情けなさがこみあげてくる。
 こんなときほど、誰かがそばにいてほしいと思ったことはない。
 馬見知りだったころには知らなかった。けど、いまは友だちがいることのありがたさを痛いほどわかっていた。
 一番の親友と離れて、短くない月日が経つ。
 さらに現在、同じくかけがえのない友である麓華もこの場に不在だった。
 主人であるシルビアと共に屋敷を離れていたために。
 彼女は去るそのときまでマリエッタのことを心配してくれていた。
「ぷりゅ……」
 あらためて心細さに目が伏せられる。
 そこに、
「もー、せっかくのキャンプファイアーなのに、なんで盛り上がらないのかしらー」
 不満いっぱいという顔でやってきたのは、百合子の指導教官ミンだ。
「ねー、マリエッタちゃんもそう思うでしょー」
「ぷりゅ!?」
 突然、同意を求められてマリエッタは目を丸くする。
「ぷ、ぷりゅ……」
「もー、この子は人見知りするんだからー」
 ミンが親しげに首に手を回してくる。
 そういうことではない……と言いたかったが、もともと人見知りかつ馬見知りであった身としては強気に反論もできない。
 と、不意に、
「マリエッタちゃん」
 ミンがこちらの目をのぞきこむ。
「あなたも気になるでしょ? 百合子ちゃんのこと」
「ぷ、ぷりゅ!」
 急な問いかけに驚くも、あわててうなずく。
「あなたに頼みたいことがあるの。あなたにしかできないことよ」
 自分にしかできないこと? それは――
「騎士は騎士のみで騎士にあらず」
「……!」
「そう。あなたに――」

ⅩⅢ

「ぷ、ぷりゅしくお願いしますっ!」
 翌日――
 屋敷の外に出るなりマリエッタに頭を下げられ、百合子は目を丸くした。
「ぷりゅし……じゃなくて何が『よろしく』なんだよ」
 マリエッタが口にしたのは思いもかけない頼み事だった。
「鍛えてください」
「は?」
「わたしを」
 真剣な目がこちらに向けられ、
「鍛えてください。騎士の馬として」
「………………」
 百合子は、
「……わけわかんね」
「わかります」
 マリエッタは熱のこもった眼差しのまま、
「わたしは騎士の馬になるようにと育てられました」
「おう」
「けど、わたしはずっと馬見知りで人見知りでした」
「おう」
「だから……」
 恥ずかしそうに目をそらし、
「わたしはまだ……人を乗せたことがないんです」
「そうだったのかよ」
 思わず素直に驚いてしまう。
「百合子さん」
 うるむ瞳が再び向けられ、
「わたしの……初めての人になってください」
「って、意味ありげな言い方するんじゃねえよ!」
 あわてて大声で言い返す。
「初めては百合子さんにと決めてるんです!」
「だから、そういう言い方すんな!」
「わたし、魅力がないですか?」
「知らねーよ!」
「知らない……興味がない」
「ああ、ねえよ! おまえの……は、初めてとか、知ったことか!」
「そうですか……」
 マリエッタは肩を落とし、
「わかりました」
「えっ」
 あまりにあっさりうなずかれ、
「い、いいのかよ……」
「いやがる百合子さんに無理強いはできませんから」
 力なく首をふる。
「失礼します」
「あっ、おい、どこに……」
「鳴さんのところです」
「あいつの?」
「はい……」
 マリエッタの瞳が切なげにふるえ、
「鳴さんにわたしの初めての人になってもらいます」
「!」
 瞬間、考えるより早く、
「だめだ!」
「えっ」
 かすかな期待のこもった目が向けられる。
「それは……」
「あっ、ち、違えよ!」
 自分でもどうにもならないほどあたふたしつつ、
「あいつはヘンタイだぞ!? そんなヘンタイにおまえを……」
「わたしのことを心配してくださってるんですね」
「違えって! オレ様はだから……えーと……」
 頭の中がぐるぐる回る。
「と、とにかくだ!」
 懸命に大声をあげ、
「あいつを乗らせるのだけは許さねえ! 絶対にな!」
「わかりました」
 再び素直にマリエッタがうなずく。
「では、ラモーナさんに……」
「なんでだよ!」
「えっ」
 またも期待のこもった目が向けられる。
「やっぱり百合子さんは……」
「だ、だから、そういうことじゃねえって!」
 必死に首を横にふり、
「オレ様はつまり、その……だから……」
 続く言葉が出てこない。
 そして、ふと気づく。
(ラモなんとか……あいつなら)
 ある意味では鳴に負けない、いやそれ以上の〝変態〟ではある。
 だが、その関心はローズランサーに向けられている。
「………………」
 思い出す。初日こそ警戒したが、合宿が一週間続いてなおラモーナはこちらに何もしてくる気配がなかった。
 つまり、彼女にとっての〝ローズランサー〟はもう――
「いいんじゃねえか」
「えっ」
 驚くマリエッタに、百合子はたんたんと、
「だからよ、おまえが誰を乗せようと」
「あの……その……」
 不意におろおろとし出し、
「い、いいんですか?」
「いいって言ってんだろ」
「言ってますけど……でも……」
「『でも』なんだよ」
「………………」
 黙りこんでしまうマリエッタ。
 と、そのとき、
「だめでしょ、それじゃ!」
「!?」
 不意に物陰から飛び出してきたのは、ミンだった。
「なっ……」
 あぜんとなる百合子に足早に近づいてきて、
「ぜんっぜんよくないでしょ!」
「は!?」
 なぜミンがと思ったのもつかの間「またか……」と百合子は顔をしかめる。
「こんなに健気なマリエッタちゃんのお願いをどうして聞いてあげないの? 百合子ちゃん一途なマリエッタちゃんなのよ!」
「あ、あの、ミンさん、もう……」
「だめよ、あきらめたら! 人見知りで馬見知りで百合子見知りになっちゃったら大変よ!」
「いえ、百合子〝見知り〟には……って、百合子さん!?」
 この場を去ろうとしたのに気づいたのか、マリエッタが大きな声をあげる。
「ちょっと、百合子ちゃん!」
 ミンもあわてて、
「何も言わずにいなくなったりしたらだめでしょ! 先生、許しませんからね!」
「好きにしろよ」
「えっ」
 覇気のない返事に驚く気配が伝わってくる。
 向こうの期待に応えるつもりはない。
 そもそも、応えられるだけの気力もいまの自分にはなかった。
「じゃあ……」
 おそるおそる――と思いきや、
「マリエッタちゃんに乗ってくれるのね!」
 がくっ。さすがに足がよろつく。
「よかったわね、マリエッタちゃん! 百合子ちゃんが『好きにしろ』ってはっきり言ってくれたわよ!」
「は、はいっ」
「『はい』じゃ……」
 否定しかけて、しかし百合子はその言葉を飲みこんだ。
 そして、そのまま歩き出す。
「あっ、ちょっと、百合子ちゃん! これから騎馬の練習よ!」
「だから、好きにしろって」
「いやその、練習するのは百合子ちゃんとマリエッタちゃんで」
「………………」
 百合子は表情を消し、
「オレ様はやめとけ」
「……!」
 マリエッタが息を飲む。
 このことを言うのは二度目だ。百合子は念を押すというように
「オレ様じゃないほうがいい。それがてめえのためだ」
「そんな……」
 言葉をなくした白馬を見やり、百合子は再び歩き出した。
「あっ、ちょっと! ほら、百合子ちゃん、行っちゃうわよ!? マリエッタちゃん、追わないと! マリエッタちゃん!」
 背中越しの声を耳にしながら、百合子は考えていた。
 やはりこのままでいいとは思えない。
 しかし、どうすればいいのか、いまの彼女にはわからなかった。


「冴ちゃん」
「あっ、ユイファ先ぱ――」
 たちまち非難がましい目を向けられ、冴は口にしかけた言葉をごまかすように、
「ど、どうしたんですか? 実習の部屋は別ですよね」
 医療学部で同じ教育課程を受けている二人だったが、参加人数に制限がある場合など別々の場所での授業になることもよくあった。
「担当の先生がすこし遅れるらしくて、ちょっとだけ時間が取れて。それでね……あの」
 ユイファは周りの目を気にするようなそぶりを見せつつ、
「百合子ちゃんのことだけど」
「っ」
 自然と顔がこわばってしまう。場所が場所だけにだ。ユイファも意識して彼女の話題を学園ですることを避けていたはずだが――
「このままで……いいのかな」
「えっ」
「ひょっとしたら、百合子ちゃん、無理してるのかも」
 無理――
 具体的に何をということは思い浮かばなかったが、ユイファのその言葉にはどこか腑に落ちるものがあった。
「下手に聞いたりすると強がっちゃう子だから」
 その通りだと思う。
 しかし、それより、ユイファがそこまで百合子を気にかけられるということのほうに冴は胸が熱くなるものを感じていた。
 ここで話をしたのも、万が一にも彼女に聞かれたくなかったからなのだろう。
 いまはただでさえ屋敷の人口が増えている。そこで、わざわざ忙しい時間の合間を縫ってこの医療学部の校舎で声をかけてきたのだ。
「何か気づいたことない、冴ちゃん?」
「すいません……特には」
 というか、普段はなるべく彼女から意識を遠ざけようとしている。
 あの〝襲撃〟のことは、いまも冴にとっては無視できないほどに大きいのだ。
「ごめんね……」
 謝罪の言葉にはっとなる。
 そして、気づく。
 ユイファはこちらの思いを知らないわけではない。それでもすこしは感情の変化があったと感じたのだろう。
 きっと、百合子のやけどを手当てしたことがきっかけだ。
「そんな……ユイファ先輩があやまることなんて」
 冴はあわててしまう。
 あのときのことは、自分でも信じられないのだ。
 頭で考えるより先に身体が動いていた。
 医療学部で学んできたことが自分を変えたのは間違いない。
 サン・ジェラールの医療学部で養成するのは、平時ではない場所での医療活動に従事できる人材だ。そこでは一瞬の判断が生死をわけることもすくなくない。そのための迅速な対応を生徒たちは徹底して教えこまれる。
 だから、あのときもとっさに動けた。冴はそう思っていた。
「優しいね、冴ちゃんは」
「えっ」
 ユイファの言葉に驚き、
「い、いや、あのときはただ自然に……」
「あのとき?」
「あ……」
 すぐはっとなる。
 ユイファがいま「優しい」と言ったのは、その直前に「あやまることはない」と言ったことに対してだ。
「あの、わたし、やけどのときのことかと……」
 それだけでこちらのカン違いを察したというように、ユイファは優しく微笑んだ。
 冴はますます恥ずかしくなり、
「だから、あれは優しさとかじゃないんです。勝手に身体が動いて」
「冴ちゃんが優しいからだよ」
「いえ、毎日実習させられてますから、きっとそれで」
「その実習はどうして?」
「えっ」
 思わぬ質問に目を見張る。
 ユイファは微笑み、
「冴ちゃんは? どうして勝手に身体が動いちゃうくらい熱心に実習を受けているの」
「それは……」
 夢――
 とっさに浮かんだのはその言葉だ。
「知ってる」
 こちらが口を開くより早く、ユイファがうなずく。
「知ってるよ。冴ちゃんの優しさが冴ちゃんを一生懸命にさせるんだって。誰かを助けたい、助けられる人になりたいっていうその優しさが」
「……はい」
 とっさに言いわけしそうになるより先に、冴もまたうなずいていた。
「みんなみたいに……ヒーローみたいになりたいって」
 冴は、笑った。


「情けねえヒーローだよな」
 水平線を見つめて。
 百合子は自嘲するようにつぶやいた。
 ここ最近こんなことばかり。逃げてばかりだ。
(逃げてなんて……)
 とっさに強がりそうになる自分だったが、そんな気持ちはすぐになえた。
 逃げていることには変わりない。
 誰とも正面から向き合うことができない。
『わたし、踏みこみますから』
 そう言えるマリエッタがまぶしかった。
(だからよ……オレ様なんかじゃないほうがいいんだよ)
 手元にあった小石を海に向かって放り投げる。
 高い波、そして潮騒にのまれ、石がどのように落ちたのかはわからなかった。
「ん……?」
 波間にかすかにちらつく影が見えた。
「おい……」
 立ち上がる。
 人だ。
「おーーーーいっ!」
 声を張る。しかし、石を投げたときと同じようにそれは高い波の音に飲まれた。
「チッ……」
 身体を隠す最低限だけを残してためらいなく衣服を脱ぎ去り、
「おらぁっ!」
 跳んだ。
「……!」
 冷たい。春が近いとはいえ海の水は刺さるように冷たかった。
「くはっ……」
 なんとか水上に顔を出す。
 と、そこで、百合子はとんでもないことに気づかされる。
(オレ様って……)
 泳げるのか? 泳ぐことができるのか!?
「ちっ……きしょーーーっ!」
 それでも持ち前の負けず嫌いに火が突き、百合子は懸命に手を動かした。
「くっ……」
 進まない。それどころか波に押し戻されていく。
「かっ……ぬあっ……」
 声を張り上げ身体に力をこめるも、自分を取り巻く水の勢いにはとてもかなわない。それどころか、開けた口に水が入り、激しく咳きこんでしまう。
「ぐはっ! げほっ!」
 弱い――
 かつてこれほどの無力感を覚えたことはなかったかもしれない。
(オレ様は……オレ様は……)
 小さい。
 圧倒的な大きさの海の中で。
 世界の中で。
 たかがだ。
 どこまでも自分は小さい。
 百合子は……ローズランサーは――
 ダークランサーは――

(――抜きなさい)

「!」
 聞こえた。
「なっ……おい!?」
 思わず左右を見る。
 見えるのは襲い来る波ばかり――と思いきや、
「……!」
 見えた。
 荒れる波の向こう、なぜかその人影ははっきりと確認できた。
 彼は――まっすぐにこちらを見ていた。
(手放しなさい)
「……!?」
 手放す……何をどうやって――
(手放しなさい)
 再び。声とも何ともつかないまま、その〝呼びかけ〟は伝わってきた。
「抜く……手放す……」
 口と頭とでつぶやきながら――百合子は、
「くっ……」
 全身から力を抜いた、
 恐怖。頭で感じる以上の根源的なそれが百合子を襲う。
「あ……うあ……」
 ふるえた。それが逆に心に火をつける。
「くっ……うう……」
 下手に動けばそれは負けたことになる。負けるくらいなら自分はこのまま――
(手放しなさい)
「っ……」
 三たび届いた呼びかけに身体を弛緩させる。
「手放せ……手放せ……」
 しかし、それも恐怖への『抵抗』なのだと気づいたとき、
「オレは……」
 百合子は――
「うおっ」
 一際大きな波に翻弄され、身体が硬いものの上へ乗り上げる。
「あ……」
 手に握られた湿った砂の感触。
 砂浜――
 そこへ自分が打ち上げられたと気づいた百合子は、再び押し寄せる波にさらわれまいと這うようにして岩場へ走った。
「百合子さん!」
 そのときだ。
「!」
 抱きしめられた。
「おまえ……」
 ラモーナだった。
「なんで……」
 何も言わないまま、ラモーナはしがみつくようにして百合子を抱きしめ続けた。
「………………」
 そこに、
「あははは。濡れてしまいましたね」
 場の空気にまったく合わないのんきな笑い声。ふり向いた百合子が見たのは、平和そうな笑みを浮かべている浅黒い肌の禿頭の男だった。
 水を吸った貫頭衣風の服が細い身体にぴったりと張りついている。
 百合子ははっとなり、
「て、てめえ、おぼれてたやつか?」
「あはははー」
 男がへらへらと笑ってみせる。
 特徴のすくない男。百合子の目にはそう映った。
 人がよさそうではある。しかし、どこか頼りなさげではかなげだ。
 つかみどころがない。
 おぼれかけていたのに平然としているのも、思えば不気味だった。
「導師……」
「えっ」
 ラモーナの声がふるえる。その身体も小刻みにふるえていた。
「いつ、こちらに」
「いつでしょうねえ」
 ごまかす風ではなく本気で見当がつかない、そしてそれをまったく気にしていないという軽さで男が言う。
「まあ、いいじゃないですか」
「はい」
 いいのかよ! たまらず心の中でツッコむ。
 そんな思いを知ってか知らずか、
「こんにちは」
「!」
 おだやかな目がこちらに向けられる。
「はじめまして。サマナ・シルダと言います」
「お、おう……」
「そして、さようなら」
「!?」
 微笑みのまま。サマナと名乗った男は手にした〝薔薇の槍〟をかかげた。
「てっ……てめえ!」
「導師!」
 ラモーナが身を乗り出す。
「なぜ、百合子さんの槍を!」
「拾ったんです」
「えっ」
「海の中で。たまたま」
「どうやればたまたま拾えるんだよ!」
 そうだ! 『たまたま』などあり得ない。
 百合子は槍を手放さない。常にそばに置いている。
 海に飛びこんだときも当然――
「!?」
 思い出す。聞こえてきた――〝声〟
「……てめえかよ」
「はい?」
 百合子はサマナをにらみつけ、
「てめえか。海の中で『抜け』だの『手放せ』だの言いやがったのは」
「そうですね」
 笑みを絶やさず、
「それが正しいことですから」
「あ?」
「あらがうのではなく、ゆだねることが」
 歌うように。サマナが言う。
「ですから」
 横にした槍を上手で握り、
「貴女も解き放ちましょう」
「――!」
 とっさに〝折られる〟と感じた。
「やめろ!」
「やめてください、導師!」
 ラモーナが共に声を張り上げる。
「なぜですか? なぜ、百合子さんの槍を……」
「わかっていますよね、ラモーナさん」
「……!」
 ラモーナの瞳がゆれる。
「そ、それは……」
「ありがとう。貴女は正しく助けとなってくれました」
「助け……?」
「はい」
 疑問のつぶやきをもらした百合子にサマナの笑みが向けられる。
「流れの歪みを調える」
「……!?」
「歪みは治まったと島の方たちからは聞かされました。ですが、腑に落ち切らないものがありましたので、ラモーナさんにいていただいたのです」
「いていただいた……」
 ラモーナを見る。
 彼女はうつむき、こちらと目を合わせようとはしなかった。
「……嘘なのかよ」
「………………」
「おまえが……ローズランサーのことを」
「違っ……!」
 とっさに顔を上げようとしたラモーナより先に、
「違います」
 にこやかな顔のまま、サマナが言う。
「正義の仮面の騎士に惹かれたことも流れ。悪の仮面の騎士を追ったことも流れ。その流れの中で貴女と出会ったこともまた流れ」
「うっせーよ!」
 怒声を放つ百合子。
「オレ様はこいつに聞いてんだよ!」
「……お答えします」
 ラモーナは声に落ち着きを取り戻し、
「導師は御自身の技と力を世界の調えとして認識していらっしゃいます」
 微笑でそれに応えるサマナ。
 ラモーナは言葉を続け、
「世界にとって大きな歪みであったのが――〝ヘヴン〟」
「……!」
「先日の〝大戦〟で〝ヘヴン〟は壊滅したとされています。しかし……」
「壊滅は消滅ではありません」
 ぞくり――
 ラモーナの言ったことを継ぐように口を開いたサマナの笑みに、百合子は背筋の凍えるものを感じた。
「激戦地となったここサン・ジェラール。〝ヘヴン〟の者たちはすべて消えたと言われましたが、何かすっきりとしないものを感じていました」
「ひ、人ごとだな、てめえはよ!」
 ふるえを吹き飛ばそうとするように声を張る。
「島じゃ、どいつもこいつも命がけで戦ってたんだ! そんとき、てめえは何してやがったんだよ!」
 微笑したまま答えないサマナ。
 すると、ラモーナが、
「戦われていました」
「ケッ、あのときの島に比べたら……」
「半分」
「は?」
 ラモーナは真剣な面持ちで、
「導師が相手されていたのは〝ヘヴン〟の全戦力のおよそ半分です」
「……!」
 もはやふるえを抑えようがなかった。
「じ、冗談もいいかげんに……」
 冗談ではない。それはラモーナの目が語っていた。
「あり得……ねえ……」
〝大戦〟のとき、サン・ジェラール島にいた騎士は、騎生から教官も含めて五百人。敵はその何倍もの絶望するような数で攻めてきた。
 さらに、その救援に向かおうとした〝騎士団〟の各区館の騎士たちにも〝ヘヴン〟は襲いかかった。〝騎士団〟には、世界中に合わせて一万人の騎士がいる。それらをも圧倒する数を敵はそろえてきた。
 サマナが本当に『半分』を相手にしていたのだとしたら、最低でもその数は世界中の騎士たちが戦ったのと同じ――
「くっ」
 だめだ! 完全に理解を超えてしまっている。
 そんな百合子にラモーナはたんたんと、
「大規模な動きを見せないときも、導師はお一人で〝ヘヴン〟と戦い続けてきました」
「何……!?」
「ゆえに〝ヘヴン〟も導師の御力を十分に承知。その動きを止めるために、戦力の半分をあてるという判断を下したのでしょう」
「う……」
 絶句する。
 そこまでしなければならない相手――
 それがいま自分の目の前にいる男だというのか。
「きっと、あのとき、貴女の騎力の流れは極端に弱くなっていたのですね」
「……!」
 こちらの動揺をよそに、サマナは額に指をあてながらつぶやく。
「それこそ、消滅してもおかしくないくらいに。だから、戦いの直後に島に来たときは感じ取ることができなかった」
「何を……」
「ですが、いまははっきりとわかります」
 サマナの目が百合子に向けられる。
「――人造騎士」
「!」
「人の造り出した騎士……命を持たされた槍……」
 おだやかに――サマナは言った。
「その歪みは正されます」

ⅩⅣ

 野生の獣のごとき戦闘本能が百合子に火をつける。
 突然現れた謎の男・サマナ。
 ラモーナの関係者らしい以外は何もわからないこの男には、しかし、はっきりしていることがただ一つある。
 百合子を――消そうとしていること。
「やらせるかよ……」
 だが、槍は敵の手の内にある。
「くっ」
 槍がなければ戦うことができない。
 それ以前の問題として、槍を破壊されれば自分は消滅するしかない。
 目の前の男が望むとおりに。
(させるかよ……)
 ぐっと唇をかんだ百合子は、覚悟を決めた瞬間、身体中のばねをしならせてサマナ目がけて跳んだ。
「ふむ」
 何か感心したようにサマナが目を細める。
 落ち着き払ったその態度がこちらを見下しているようで、内なる炎がいっそう燃え上がる。
「うおらあああああっ!」
 いなかった。
「!?」
 いた。とっさに見渡した直後、それほど離れていない場所に立っているサマナの姿が目に映った。
「なっ……」
 ゆれる心をふり払い、再び殴りかかる。
「!」
 いない。しかし、我に返って視線を転じれば、やはりそれほど離れていない場所に彼はいるのだ。
「う……」
 わからない。いつ動いたのか。
 と、百合子は思い出す。
 自分が同じような戦いを経験していることを。
(こいつ仕込みってわけかよ……)
 ラモーナの態度からも、彼が師匠的な立場にあることは明らかだった。
「チッ……」
 かと言って何もしないまま消されるわけにはいかない。
 見えなければ――見ようとしなければいい!
「ふむ」
 またも感心したような息が百合子の耳に届く。それに心の火をあおられるようにして、
「うおっ……らああああああああああーーーーっ!」
 百合子はめちゃくちゃに腕を――
「!?」
 つかまれた。
 腕を横からつかんだのは、なんとラモーナだった。
「がはっ!」
 叩きつけられた。ふり回した腕の勢いのままに。
 砂浜とはいえ、そこに上からの体重も乗せられた投げははさみこむようにして百合子の身体に大きなダメージを与えた。
「ぐっ……うう……」
 息がつまり、とっさに動けない。
 砂を払いながら立ち上がったラモーナは、そんな百合子をこれまでにない冷たい目で見下ろした。
「導師」
「はい、ラモーナさん」
「拙です」
 ラモーナは、
「流れは拙であると思われます」
「ふむ」
 サマナはうなずき、
「それで、貴女が」
「はい」
 短い言葉のやりとり。しかし、それで意思は通じ合えたようで、
「百合子さん」
 挑発するようにラモーナが手招く。
「てめえがやろうってのかよ……」
 ダメージで足をふらつかせつつ、百合子は立ち上がる。
「上等だぁ!」
 吼えると同時に百合子は地を蹴り――
「!」
 止まる。
 突きつけられていた。
〝魔釣の槍〟――いまだその真価を知らないラモーナの槍を。
「導師」
「ええ」
 わかっている。そう言うようにうなずき、
「……!」
 動いた。
 またもいつ動いたかわからないその動作でサマナは百合子の面前に迫り、
「どうぞ」
「っっ……!」
 手渡された。〝薔薇の槍〟を。
 いつサマナから受け取っていたのかわからないまま。
「て、てめえ……」
 どういうつもりだ……と言いかけた言葉が消える。
 どういうつもりもこういうつもりもない。お互いに騎士槍を手にして戦え。そう言われているのだ。
「フ、フン!」
 ラモーナのあとはおまえだ!
 そんな思いをこめてサマナをにらみつつ、槍を握りしめる。
「……やるぞ」
 この日が来ることはわかっていた。
 いや、最初からリベンジするつもりで自分はこの女をそばにいさせた。
 だから――
「!」
 飛んだ。
 槍がラモーナの手から。
「うおっ!」
 とっさに身を投げ出してそれを避ける。
「!?」
 空を裂く音が変化する。なぜか確かめるより早く身体が動く。
「くっ」
 ズゥン!
 脇腹すれすれ――
 砂浜に突き立った槍を見て、百合子の目が見開かれる。
「なんで……」
 槍はこちらに向かって真横に放たれた。それがなぜ垂直に突き立っているのだ?
 と、さらに信じがたいことが目の前で起こる。
「っっ!?」
 飛んだ。
 誰もふれていないはずの槍が。
 魔法のように宙に舞い、そして再びこちらに狙いをつける。
「うおおっ!」
 砂浜を転がりながら突きをかわす。
 かわされた槍は、しかし、またも独りでに方向を変え、猟犬のように百合子を追い続ける。
(どうなってやがんだ……まるで本当に)
 命をもった槍――
 脳裏に浮かんだその言葉が百合子を凍らせる。命をもった……それはまさに自分のことではないか。
「くっ……」
 悔しさとも憤りともつかない感情がこみあげ、
「来い!」
 己の凍てつきをも吹き飛ばそうと百合子は声を張り上げる。
 そして、迫る槍と向かい合う。
 同じ命をもった槍同士。ならばこそ引けない。
「うおらぁぁぁぁぁっ!」
 キィィィィィン!
 空飛ぶ槍と百合子の手にした槍とが正面でぶつかり合った。
「っ!?」
 思いのほか手ごたえがなく、百合子は前のめりにバランスを崩す。
 と、百合子は見た。
 槍の向こうで〝影〟が動くのを。
 その影――ラモーナが大きく腕をふり、それに合わせるようにして押し戻された槍が弧を描いた。
「あ……!」
 見えた。
 注意しなければ視認できない――それくらいに細く長い二本の糸のようなものが槍とラモーナをつないでいた。
「そういうことかよ……」
 わかってしまえば簡単な〝タネ〟だ。
 糸で騎士槍を操る。それがひとりでに飛んでいるように見えたのだ。
 以前、その異様さで百合子を驚かせた槍身の釣り針。それは、しかし、釣りのための針ではなかった。使用者の左右の指にフックのようにはまり、そこから伸ばした糸を通して槍を操作するためのものだったのだ。
「つまんねえ真似してくれんな、ああン!」
 百合子の怒声にラモーナは何も答えなかった。
 全身をしならせるようにして、再び力強く両腕をふるう。
「!」
 うなりをあげて槍が迫る。
「くっ」
 真横に跳んで回避する百合子。
 仕かけはわかっている。しかし、状況はまるで変わらなかった。
(チックショウ……)
 槍を糸で操る。子どもだましのように思えるが、それを実践するのがとんでもなく困難であることは明らかだ。
 おもちゃではない。素人ではまともに持つことすらできないのが騎士槍という武器だ。
 ただふり回しただけでは、その長さと重さに自分が引きずられる。
 遠隔から操るということは、そこへさらに遠心力が加わるということだ。それを自在に操るためにはどれほどの身体能力が必要とされるか。全身を使うように大きく動いているラモーナを見るだけでも、その一端は伺うことができた。
 そして、武器そのものとしても、騎士から離れて動く槍というのは厄介な代物だった。
 槍の基本の動作は〝突く〟である。
 剣のような〝斬る〟の動きは〝線〟だ。それをとらえるには、理論上、線上を移動する時間だけ余裕があると言っていい。
 しかし〝突く〟は〝点〟だ。そのとらえにくさは〝線〟の比ではない。
 それでも対応できるのは、その槍を人間が手にしているからだ。人間の動きを見ることによって、槍がどう来るかを予測することが可能なのだ。
 その人間の手を離れた槍は、限りなく純粋な〝点〟に近い。
 かろうじて一度は突き合わせることに成功したものの、縦横無尽に迫り来る槍に百合子は専守を余儀なくされる。
(あのアマ……)
 舞うようにして槍を操るラモーナの動きが、さらに百合子をいらつかせる。
 そう、槍ばかりを相手にしていても勝ちは見えない。
 手元から離れているとはいえ、それを動かしているのは騎士本人なのだ。
(なんとか懐に……)
 入りこめない。
 遠い。
 ふり回される騎士槍は、それ自体が防壁となって先へ踏みこむことを困難にしていた。無理に突撃すれば餌食となることは明らかだ。
 かと言って、このままとどまっていても勝ちは見えない。
 どうすれば――
「百合子殿!」
 不意にラモーナが声を張った。
「どうしたのですか! これくらいで何もできなくなるような、貴女はそんな百合子殿なのですか!」
「ああぁン!?」
 たちまち負けん気が燃え上がる。
 そんな百合子の目を、ラモーナもまた熱のこもった目で見つめ返し、
「拙は貴女に心を奪われました!」
「っ!?」
 ぎょっとなる。いまそんなことを……と言おうとするより先に、ラモーナは毅然としていた瞳をはかなく落とし、
「貴女だと……ずっと思っていました」
「――!」
 言葉が飲みこまれる。わかっていたが、やはりラモーナは――
「ラモーナさん」
 あまりに唐突だった。
「っ!?」
「!」
 百合子とラモーナが驚きに目を見張る中、二人の間に立ったサマナは、
「そこまで」
 ザンッ! ふり回されていた〝魔釣の槍〟が砂浜深くに刺さった。軽くふれたとしか思えないサマナの手によって軌道を変えられて。
「導師……」
「ラモーナさん」
 彼女の身体がこわばる。
 サマナの顔から笑みが消えていた。
「どういうことでしょう」
「え……」
「強引な動き。不自然な気張り。力み」
 年齢不詳な男の目が冷たく光る。
「見苦しい」
「……!」
 黒い肌でもはっきりそれとわかるほどラモーナの顔から血の気が引いた。
「老練の語り部の言葉にあります。熱演はよろしいものではないと」
「う……」
「下がりなさい」
「あ……うぅ……」
「ラモーナさん」
「い……」
 懸命に。
 いまにも泣き出しそうにふるえながら、それでもラモーナは声をしぼり出した。
「いや……です……」
「そうですか」
 何のためらいも感じさせなかった。その無機さが百合子の背筋を再び凍らせる。
「やめ――!」
 パァァァァァァァァァァァァァン!
「!?」
 砂浜に鳴り響いた衝撃音。
 何の勢いもなく動いた。そう見えた動作から生み出されたその音は、見た目の印象を完全に裏切るものだった。
「あ……」
 そして、さらなる驚愕。
 その恐るべき掌底を受け止めていたのは一人の女性だった。彼女がいつラモーナをかばいに入ったのか百合子にはまったくわからなかった。
 その女性の顔は――
「仮面……!?」
 正確には覆面。スカーフか何かに即席の処置をほどこしたと思われるそれを彼女は顔に巻きつけていた。
「お変わりありませんね、導師」
 誇りと自信に満ちあふれた声がその覆面の女性から放たれる。
「これはこれは」
 サマナの口元に微笑が戻る。
「お久しぶりですね。このようなところで、万里――」
「ストップ!」
 覆面の女性が声を張る。サマナの掌底を受け止めたまま、舞台に立った俳優のような抑揚をつけ、
「いまのわたしは女の子たちを助ける麗しき貴婦人にして華麗なるヒーロー!」
 そして――彼女は言った。
「わたしはマスター! マスターミストレス!」

ⅩⅤ

「……は?」
 百合子の目が点になる。
(なんだ、このオバン……)
 意味不明だった。
 突然あらわれて顔に覆面をつけていて、その上――
「マスターミストレス!」
 心からうれしそうに声高らかに名乗り、
「さあ、どうします! 導師!」
「………………」
 サマナの笑みが、かすかながらもさすがに引きつり、
「なかなか愉快になりましたね、万里――」
「マスターミストレス!」
 さえぎるように声を張り、
「はっ!」
 サマナの掌底を押し返すようにして踏みこむ。
「!」
 サマナがゆらいだ。
 百合子は目を見開く。あのとらえどころのない相手にどうやって力を通したのかと。
「ふふっ」
 サマナが笑い声をもらす。
「!?」
 逆に――
 覆面の女が押された。
 押されただけでは終わらない。
「ああああっ!」
 渦を巻くようにして身体が上下反転する。投げられるような大きな動きなどまったくされていないのにだ。
「くっ!」
 片手を砂浜につき、身体をひねってかろうじて着地する。
 彼女はそのまま大きく後ろに跳んで距離を開けた。
 対峙する覆面の女とサマナ。
 達人同士――そうとしか言いようのない張り詰めた空気が満ちる。
「逃げなさい!」
 サマナから目を離さないまま、女が声を張った。
「早く! このわたしでも導師相手に長くはもたない!」
 一体〝どのわたし〟なのかと思ってしまう百合子だったが、
「っ……!」
 手をつかまれた。
「お、おい……」
 こちらに何か言わせる間を与えず、ラモーナは険しい顔で、
「急いでください! 百合子殿!」
「おう……」
 その必死さに気圧され、百合子は共に走り出していた。


「はぁっ……はぁっ……」
 ラモーナが息を切らしている。
 あの場所からどれくらい離れただろう。二人は手をつないだまま走り続け、崖沿いにあった無人の漁師小屋に駆けこんでいた。
「おい……」
 呼吸の落ち着かないラモーナの背に手を当てる。
 青ざめた顔に笑みが浮かび、
「お優しいのですね」
「!」
 自分は何を!? 頬が熱くなるのを感じながら目をそらし、
「ど、どうなってるんだよ、これはよ!」
 うわずるのがわかりつつ声を張り上げる。
 と、口が手のひらでふさがれた。
「静かに」
 耳元でささやかれた声の真剣さに息をのむ。
 手がかすかにふるえている。
 どれほどあのサマナという男を恐れているのか。にもかかわらず、ラモーナはなぜこうして自分をつれて――
「おい」
 そっとラモーナの手を取り、口から離す。
 心配そうにこちらを見る彼女に、
「大丈夫だよ。もう大声は出さねえよ」
 そうしてほしいというように、ラモーナはこくりとうなずく。
 百合子は声をひそめ、
「どういうつもりだ、おまえ」
「………………」
 鼻の上の小さな眼鏡にふれつつ、ラモーナは視線を落とし、
「依子殿と話をしました」
「!」
 百合子の目が見開かれる。
「あ……なっ……」
 思わず大声をあげかけた自分に気づき、なんとかそれをこらえる。
「それで……」
 表情がこわばるのを感じつつ、ラモーナに、
「聞いたのかよ」
「………………」
「オレ様のことを。全部」
 ためらうような沈黙の後、
「依子殿はおっしゃいました」
「おう……」
「百合子殿のことを……娘のことをよろしくと」
「………………」
 今度は百合子のほうが沈黙する。
「……おい」
「はい」
「それだけか?」
 ラモーナがうなずく。
 百合子はあらためて言葉を失った。
(なんだよ……)
 力が抜けていく。
(そうか……そういうことか)
 全部わかった気がした。
 ラモーナが百合子と勝負したいと言ったのは、槍をサマナから取り戻すための〝作戦〟だったのだ。
 そして、隙をついてこうして逃げ出すつもりだったのだろう。
 なぜか?
 依子に頼まれたからだ。
 思慕する仮面の騎士――その〝本物〟の頼みだったために。
「へへっ」
 笑えてきた。
 しかし、最初からそれ以外あり得ないのだ。
 それ以外に、ラモーナが百合子を助ける理由などありはしない。ずっとだましてきた――そんなつもりはなかったがカン違いさせたままだった百合子のことを。
「おい」
 すっかり吹っ切れた思いで、
「よかったな。これでほめてもらえるぜ」
「いいえ」
 ラモーナが険しい眼差しで首をふる。
「導師があきらめるとは思えません」
「っ……」
 たぶん、その通りだろう。
 茫洋としてつかみどころのない男。
 だが、得体の知れないその実力をふくめて、人間的な何かを超えた不気味さがサマナにはあった。
「さすがはてめえの師匠だよな」
「いいえ」
 またも首をふる。
「師や弟子といった関係に拙らはありません」
「えっ」
「導師は……」
 はかなげに瞳をゆらし、
「そのような分別を望みません」
「フン……ベツ?」
「はい」
 ラモーナはうなずき、
「家族、友人、恋人……そのような、つまり〝特別〟な関係をです」
「あ?」
 百合子は首をひねり、
「なんだよ。一人でいたいってことなのかよ」
「そうであるのかもしれません」
 苦い笑みが浮かぶ。
「拙はただそばにいることを許してもらったのみです」
「ふぅ……ん?」
「わからなくても無理はありません」
 一瞬「こちらが馬鹿だからわからないというつもりか」と怒りそうになる百合子だったが、
「導師には期待をしないでください」
「あ……んん?」
 またも謎の発言に百合子の憤りは大きくそらされる。
「わからないのです。導師のことは誰にも」
「な、ならよ」
 さすがに戸惑いを隠せず、
「なんで、そんなやつのそばにいたんだよ」
「………………」
 ラモーナは、
「わかりません」
 がくっ。百合子の肩が落ちる。
「なんなんだよ、お――……い」
 大声をあげるのだけはなんとかこらえる。
「本当に『なんなんだよ』ですよね」
 苦笑するように唇の端を上げる。それは最初に会ったときに比べてずいぶん人間的なものに百合子には見えた。
「わからないから惹かれたのかもしれません……」
 思いをはせるように遠くを見る。
「仮面で顔を隠した騎士に惹かれたのと同じように」
「っ……」
 百合子は顔をしかめる。一体なんと答えればいいのだ。
 仮面――
 思えば、本当のことをこれまで伝えなかった自分も、ある意味では仮面をつけていたのかもしれない。
「おい」
 取ってしまおうと。
 何の気負いもなく百合子は思っていた。
 この仮面を――
 自分の……ありのままを――
「ぷりゅ!」
「うおっ!?」
 さすがに驚きの声をあげてしまう。見ればラモーナも目を丸くしていた。
「なんなんだよ、てめえ!」
「ぷりゅ……」
 漁師小屋の窓から顔を突き入れてきたマリエッタは恥ずかしそうに目を伏せ、
「そ、その……ぷりゅんなさいっ」
「何がだよ!」
「だって、またこんなふうににおいをたどって追ってきてしまって……しつこい馬と思われたかと」
「はあ?」
 と、思い出す。
 そもそも「初めて乗る人になってほしい」と迫ってきたマリエッタから逃げて自分は海まで来たのだった。
 正直いまはそれどころの話ではない。しかし、マリエッタのほうも必死なようで、
「こちらの海のほうに来たのはわかったんですけど、潮風でそれ以上はたどれなくて。だからみなさんとヒヅメ分け……じゃなくて手分けして探していたんです」
「みなさん?」
「はい……」
 またもマリエッタは目を伏せ、
「あのあと、わたし、考えました。自分は本当に百合子さんにとっていらない馬なんじゃないかって」
「おい……」
 そんなことは言っていない。
 マリエッタは悪くない。ただ、自分の馬になることがよくないと――
「そんなわたしをみなさんが励ましてくれました」
「う……」
 またミンか。「みなさん」と言うからには鳴たちも含まれているのだろう。
「それで、わたし、もう一度百合子さんと話してみようと思って。そしたら、みなさんも一緒に探してくれることになって」
「で、あいつらはまだ探してるわけかよ」
「はい、たぶん。わたしはラモーナさんとこちら側を探していて」
「えっ」
 隣にいるラモーナを見る。
「こいつもかよ」
「え?」
 今度はマリエッタがきょとんとなり、
「だって、ラモーナさんが見つけてくれたんですよね? 百合子さんを」
「あ……」
 その通りだ。
 異常事態の連続でそこまで頭が回らなかったが、あの場になぜラモーナが来たのかということは当然疑問に思うべきことだった。
「わたし、潮風のにおいをかぎすぎて、すこし気持ち悪くなってしまって。そしたら、自分が先まで見てくるからここで休んでいるようにと」
「そうなのかよ」
「はあ……」
 ラモーナは瞳をゆらし、
「そういえば、そうでした」
 がくっ。またも百合子は肩を落としてしまう。
「皆様方が百合子殿を探しに行くと聞いて、それで拙もと……」
 そこでラモーナはうつむき、ふるえる自分の身体を抱きしめる。
「まさか……導師にお会いするとは思いませんでした」
「導師?」
 マリエッタが首をひねる。
 と、そこに、
「おーい、マリエッタちゃーーん!」
 のんきな声が小屋の外から届く。
 砂浜を駆けてくる複数の足音。そして、
「マーリエッタちゃん。この白いお尻はマリエッタちゃんでしょ」
「ぷりゅ!」
 たちまちマリエッタの顔が真っ赤になり、あわてて窓から首を引き抜く。
「ミンさん! やめてください、お、お尻なんてっ!」
「とってもかわいいお尻してたからー」
「セクハラですっ!」
 そんなにぎやかな騒ぎが聞こえる中、
「あっ」
 小屋の扉を開けて入ってきた鳴が目を丸くした。
「百合子さん! ラモーナさんも……」
 憔悴したこちらの様子を見て何か察したのだろう。驚いた顔で近づいてきて、
「何があったんですか? ひょっとして、またケンカでも」
「ああン!?」
 明らかに「こちらがケンカを売った」という目で見てくる鳴に眉をつりあげるも、実際に起こったことを思い出し、
「まあ、ケンカはケンカだわな」
「やっぱり……」
「オレ様は売られたほうだけどよ」
「ええっ、ラモーナさんから!? そんなことは……」
 と、外で、
「ちょっ……なんでここにいるんですか、在香(ありか)さん!」
「!」
 鳴の背筋がぴんと伸び、外に駆け出していく。
「あっ、おい……」
 ラモーナと顔を見合わせる。
 どちらからともなくうなずくと、二人は鳴を追って外へ向かった。
「あっ……」
 あの覆面の女だった。
 それをミンとハナ、そして鳴が囲んでいる。
「し、師範! いつこちらに……」
(師範……?)
 導師の次は〝師範〟――
 というか、この意味不明な女は鳴の知り合いなのか?
「違うでしょ……」
 覆面の女の声にかすかな弱々しさを感じ、百合子ははっとなる。
(やられたのかよ……)
 そうであっても不思議はない。
 では、近くにあのサマナという男も!? とっさに辺りを見渡す百合子だったが、他に誰かがいるような気配は感じ取れなかった。
「わたしは師範じゃなくて……」
 彼女は言う。
「マスターミストレス」
 沈黙するミンたち。その気持ちが百合子にはこの上なくよくわかった。
「……はい?」
 ミンが口もとを引きつらせ、
「あの、それ、どういうネタです?」
「ネタって何よ、ネタって」
「だって『マスター』と『ミストレス』って微妙に意味かぶってるんですけど」
「いいじゃない、ヒーローっぽくて」
 女――マスターは不服そうに口をとがらせ、
「ピンチの女の子を助けるのは、仮面のヒーローって決まってるでしょ」
「はあ……」
 と、うなずきかけたミンがはっとなり、
「ピンチって……誰がです?」
「そこにいるでしょ」
 マスターがこちらを見る。のんきなことばかり言う人間とは思えないその目のするどさに思わず身構える。
「その子よね。朱藤依子の娘って」
「……!」
 百合子が驚きの声を上げるより早く、
「ちょっ……なんで知ってるんです!?」
 ミンの声が砂浜に響く。マスターは当然というように、
「見ればわかるわよ。昔のあの子そのものだもん」
「えっ!? まさか依子さんまで『オレ様っ子』……」
「は?」
「あ、いえ……」
 言葉をにごすミンを前に、マスターは感慨深そうにうなずき、
「ホント、人に懐かない獣っていうの? 二十四時間そういう空気出してる子でねー」
「っ……ひょっとして」
 おそるおそるというように、
「いじめたりとかしてました? 館長にしてたみたいに」
「まさかー」
 ひらひらと手をふる。
「わたしみたいな人格者がいじめとかあり得ないしー」
「は、はあ……」
「というか、おとなしくいじめられるような子でもなかったしね。下手にいじめたりしようもんなら……」
 その目が凄絶な光を宿し、
「命がけでやり返してくる子ね」
「でしょうね……」
「それはそれでおもしろそうだったけど」
「おもしろがらないでくださいよ」
 ミンが嘆息する。普段から「マスター」を名乗る彼女にはいろいろとふり回されているようだ。
「あの子に比べたら金剛寺君なんてかわいいもんだったけどねー」
「いや、金剛寺さん、いまここの学園長代理ですから」
「偉くなったわよねー。まー、昔から身体は大きくて熊みたいでかわいかったけど」
「あんまり昔のこと語ると歳が……」
「は?」
「なんでもないです」
 すぐさま口を閉じて頭を下げるミン。
 と、またもはっとなり、
「あっ、そうそう、なんでこの島に在香さんが」
「マスター」
「マスター……がここに?」
「決まってるでしょ」
 そう言うと、意味ありげにミンを見て、
「おもしろそうなことになってるわねー、ミン〝先生〟」
「う……」
「いやー、山猿から聞いたときは驚いたわー。ミンちゃんが女教師だもんねー」
「館長……よけいなことを」
「しかも、教える相手が朱藤依子の娘ぇー? こんなおもしろそうなこと見逃すわけにいかないじゃない」
「あなたねぇ……」
 ミンはいらいらを隠そうともせず、
「こっちは結構まじめにやってるんですから、わざわざからかいに来ないでくれます? ここの騎生になってる鳴クンの立場もありますし」
「師範」
 真剣な顔で鳴がマスターの前に立つ。
 ミンと同じように苦情を――と思った瞬間、
「隠さないでください」
「……!」
 マスターの顔がかすかにこわばる。
「その右腕」
 とっさに隠そうとする動作を見せるマスター。しかし、それが肯定の返事になっていると気づいたようで、あきらめまじりの笑みをこぼした。
 ミンは驚いた顔で、
「どういうこと、鳴クン?」
「僕はずっと師範に稽古をつけていただきました。だから、わかるんです」
 眼差しがつらそうに沈む。
「師範の右腕は……完全に壊されています」
「!」
 百合子もまた驚きに息をのんだ。
「ふぅ」
 肩が落ちる。
「まー、そういうことね」
「『そういうこと』って……」
 あまりにあっさり言われてミンが絶句する。
「相手が相手だったからねー。逆に、わたしじゃなきゃ腕一本だけで話をつけるってわけにはいかなかったけど」
「誰なんですか、在香さんにそんな……」
「導師――サマナ・シルダ」
「!」
 ミンたちが凍りつく。
 そして、視線がラモーナに向けられる。
「やめろよ」
 百合子はその前に立ち、
「こいつはオレ様を……助けようとしてくれたんだよ」
「百合子殿……」
「カン違いすんな。オレ様は、その、つまんねえ借りも誤解もイヤなだけだ」
「ちょちょ、待って待って」
 ミンが困惑を抑え切れないというように、
「なんで? どうして、そういうことになるわけ?」
「それは……」
 ラモーナがためらいの眼差しでこちらを見る。
(くっ……)
 そうだ。
 襲われた理由を説明することは、必然的に百合子が『何』であるかを説明することになる。
 ミンはともかく、他の二人には――
「いいじゃない、細かいことは」
 そこへマスターが口をはさんでくる。
「いやいや、よくないですって!」
「まー、久々のわたしと導師のスキンシップ? 導師って館長と仲が良かったのよー。それでわたしも稽古つけてもらったりしてー。て言っても、わたし、昔から強かったし、ほぼ互角以上で……」
「そういうこと聞いてないですよ! わたしが聞きたいのは、なんで彼女が……」
「大切なのは!」
 マスターが声を張る。
「この子が……朱藤依子の娘であること」
「えっ」
 ミンが息をのむ。百合子も目を大きくする。
(こいつ……)
 何を? と思いきやマスターの口もとに優しい笑みが浮かび、
「だったら守るのが当然でしょ。理由なんて関係なく」
「……!」
 ふるえる。
 と同時に「やはり」という思いが百合子を沈ませる。
 結局、依子なのだ。
 ラモーナと――同じで。
「これでも元騎士なのよ。レディの危機を見過ごせると思う?」
 誇らしげに言うマスター。すると、
「師範……」
 鳴がいまにも泣きそうなほど声をふるわせ、
「師範のお心はすばらしいです。ですが、そのために腕を……」
「言ったでしょ。わたしでなけりゃ腕一本じゃ済まなかったって」
「でも……!」
 鳴が食い下がる。
 マスターは言いたいことはわかっているというように、
「まあ、確かに、二度ともとのようには動かせないだろうけどね」
「!」
 百合子、そして他の者たちも絶句する。
「そんな……じゃあ、もう在香さんは」
「ミンちゃん」
 静かな目が向けられる。
「それはわたしへの侮辱かしら」
「えっ」
「腕一本」
 もはや隠そうともせず力なく垂れ下がった自分の右腕を見つめ、
「ここから新しいわたしが始まるのよ」
 強がりでもなんでもなく。マスターは言っていた。
「鳴」
 その視線が転じ、
「あなたもよ。ぜんぜんわたしのことをわかってない」
「えっ、で、でも」
「右腕を使えなくなったことは悲しむべきこと? とんでもない」
 左拳がぎゅっと握られる。目に本物の熱意の火が燃え、
「ここからわたしは進化するのよ。新しい万里小路在香(までのこうじ・ありか)にね」
 一同があぜんとなる中、
「なくすことは弱くなることじゃない。人間はそれを補おうとする。小賢しい頭のはからいを超えて身体がそれを求める。わたしは強くしてもらうのよ。この流れに」
 なかば恍惚とした声色で、
「そもそも、わたしは何もなくしてない。これは正しく変化。ううん、進化。いままでも強かったこのわたしがさらに強くなれるなんてね。こんなにうれしいことはないじゃない」
「師範……」
 常人の思考を超える発言に、鳴、そして他の者たちも絶句する。
 しかし、
「おもしろいじゃねえか」
「百合子さん!?」
 鳴の驚く声がこだまする。
 百合子は胸の底からこみあげる熱いものを感じていた。
 なくすことで、強くなる。
 そう、求めれば求めるほど人は弱くなる。そこに『求める自分』という明らかに弱い自分がいるからだ。
 なくすことを、ためらわない。
 何もなくなってはいない。
 そこにあるのは――完璧な自分だ。
「おい、マスターのバ――」
 直後、目の前に彼女がいた。
 左手が百合子の顔をわしづかみにし、
「その単語を口にしたら命はないわよー。んー?」
「お、おぅ……」
 本気の殺意にたまらずうなずく。
 そして、確信する。いまの動き――目でとらえられなかったその動きこそ、ラモーナや鳴のそばにいることで身につけたいと思っていたもの。
 いや「身につける」のではない。マスターの言葉でわかった。
 きっと、この動きは――
「おい」
 ひるみかけていた自分をふるい立たせ、マスターの腕をつかむ。
「いるだろ」
「ん?」
「ただぼーっとしてたって『新しいわたし』ってやつにはなれねえんじゃねえか」
「へえ」
 覆面の向こうの目がおもしろそうに細められる。
「何を言いたいの、あなた」
「やってやるって言ってんだよ」
 腕をつかんだ手に力をこめ、
「オレ様がやってやる。てめえが『新しい自分』ってやつになるための修行の相手をな」
 マスターは、
「ふふっ」
「!」
 あざけるように鼻で笑われた百合子は、
「殺す!」
 怒りのまま、マスターの腕をへし折ろうと――
「!?」
 回った。
「なっ……くおおお!」
 何が起こっているかわからないまま、百合子は回る視界をなんとかしようと手足を無茶苦茶に――
「っ……んなっ……おわあああっ!」
 手足をふるうたびに加速がついていく。
 もはや、自分がどうしているのかもわからなくなり、百合子は完全に翻弄される。
「はい、ストーップ」
 ズザガガァッ!
「ぐほっ!」
 回転の勢いのまま砂浜に突っこんだ。
「ハァ……ハァ……」
 口の中がじゃりじゃりとする。何がどうなったのかいまだにわからないまま、百合子は呆然とするしかなかった。
「だ、大丈夫ですか!」
 鳴が近づいてくる。
 すると、マスターが得意げに、
「どう、わたしの人間風車。左手だけでも余裕でしょ」
「人間……風車?」
 こちらのつぶやきが聞こえたのか鳴が、
「師範の得意技です。その名の通り人を回し続ける……」
「な……!」
「力ではないんです。あ、いえ、力ではあるんですけど」
「あなたの力よ」
 マスターが言葉を続ける。
「あなたがジタバタすればするほど、いやー、回しやすかったわ」
「どういう意味だ、それはよ!」
「あの、その……」
 それから鳴が言ったことによると――
 マスターは相手の力を利用して、その身体を回転させているらしい。
 投げ技の基本。力任せでなく、相手の力や重心を利用して、それを逆にこちらの意のままに動かす技のマスターは達人だというのだ。
 それこそ、風車のように回してしまうほどに。
「でも……左手だけでこんな」
「鳴」
 びくっ。鳴がふるえる。
「わかったでしょう。わたしが進化するってことが」
「は、はい……」
「わかったぜ」
 百合子が前に出る。
「やっぱり、てめえは馬鹿みてえに強えバ――」
 ズダァァン!
「ぐほっ」
「もー、ほんとにこの子はアタマ悪いんだからー」
「ンだとぉ!」
 投げつけられた痛みにのたうちながら、それでも声を張り上げる。
「殺す!」
「合格よ」
 不意の言葉に目を丸くする。
「っ……な……」
 どう反応していいかわからない百合子を見て、マスターは愉快そうに、
「『殺す』なんてことを言えてるうちは、ぜんぜん弱いのよ」
「何ぃ!」
「でもね」
 目が真剣さを帯び、
「『もう死んじゃう』って言う人間をわたしは相手しようと思わない」
「……!」
 つまり――
 マスターは文字通り〝合格〟だと言っているのか。
 自分の修行の相手として。
「カン違いはしないでね」
 こちらの思いを読んだようにマスターが指を立てる。
「実力で選んだってわけじゃないのよー。まあ、自分でわかってると思うけど」
「ンだと、コラぁぁっ!」
 たまらずまたつかみかかりそうになるも、
「簡単には死にそうにないってこと」
「……!?」
「それだけよ。あなたに期待してるのは」
 本気の顔で――マスターは言った。
「………………」
 百合子は、
「上等だ」
 不敵に笑みを返した。
「けど、まー、これであなたは弟子ってことねー」
「は?」
「そうなるでしょ」
 にやっ。いたずらそうに唇の端を上げ、
「わたしの手ほどきを受けるっていうんだから。それは当然弟子っていうことになるじゃないの」
「そっ、そんなつもりはねえ!」
 弟子――誰かの〝下〟になるという自分にとってこの上なく屈辱的な決めつけに百合子はすぐさま声を張り上げる。
「オレ様からてめえの修行の相手になるって言ってんだよ! カン違いすんじゃねえ!」
「カン違いねー」
 マスターはさらにいたずらそうに微笑み、
「残念ね、鳴」
「えっ」
「だって、そうじゃない」
「あ、あの、何が」
「もー、とぼけちゃってー」
 鳴の頬をつつき、
「残念でしょー。あなたに妹弟子ができるところだったんだから」
「ええっ!?」
 驚きに目を見開く。
「そうなるじゃなーい。あなたのほうが先に弟子になってるんだし」
「いや、もう破門してますけどね、在香さ――」
「マスターミストレス」
 ミンのツッコミにすかさず釘をさし、
「マスターミストレスが破門した覚えはないからー」
「だったら、そもそも鳴クンは『マスター』の弟子じゃないわけで」
「というわけで、鳴」
 続けてのツッコミをさらりと無視し、
「うれしいでしょー。あなた、兄弟子になるのよー。『お兄ちゃん』って呼ばれちゃったりするのよー」
「えっ……」
 鳴の頬がかすかに染まる。
「お兄……ちゃん……」
 そこに、
「変態」
「っ!?」
 はっとこちらを見た鳴に百合子は冷たく、
「正体現しやがったな」
「正体現しましたね」
「って、ラモーナさんまで!」
「しゃべんな。正真正銘のヘンタイ野郎が」
「さあ、百合子さん、ヘンタイがうつる前にこちらに」
「なんでそこまで言われるんですか!」
 鳴は涙目で、
「なんでですか! 百合子さんだってユイファさんのことを『お姉ちゃん』って呼ぶじゃないですか!」
「あ、あれはいいんだよ。あいつは別に自分のことを『お姉ちゃん』って呼ばせたいわけじゃ……あ、いや、呼ばせたいんだけど。でも、てめえみたいなヘンタイじゃ……あ、いや、変なところはあるんだけど」
 逆にうろたえ始めている自分に気づき、それをふり払おうと、
「とっ、とにかく、オレ様の言う『お姉ちゃん』をてめえのヘンタイと一緒にすんな!」
「そんな……」
 強引に断言されてしまい、鳴は涙目のまま言葉を失う。
「もー、態度がなってないわね、兄弟子に対して」
「だから、兄弟子じゃねえ!」
「お兄ちゃんに対して」
「お兄ちゃんでもねえっ!」
 まなじりをつり上げ絶叫する。
「いいかげんにしやがれ、このバ――」
 その決定的な一言は口にされる前に飲みこまれた
「く……」
 殺気――笑顔のままに。
 しかし、それが冗談でもなんでもないことは、一瞬にして硬直した百合子自身の身体が物語っていた。
(やっぱり……)
 こいつしかいない。
 あの化け物のレベルにまで自分を引き上げるには、同じ化け物を相手するしかない。
「……ふぅ」
 一息つくとと同時に力が抜ける。
 鳴を見て、
「お兄ちゃん」
「へ?」
 間抜けな声があがる。そんな鳴からすぐ意識をそらし、
「これでいいんだろ」
 にやり。
 これまでで一番いたずらそうかつ凄絶さをもにじませた笑みが答えだった。

ⅩⅥ

「ここが槍の墓場なのねー」
 広大な閉鎖空間にマスターの声が反響する。
 一方、初めてその〝内部〟に足を踏み入れた百合子は、一種独特の空気に気圧される自分を感じていた。
 見渡す限りに突き立つ無数の折れた騎士槍。
 どこからともなく入る光によってあわく照らされているその場所は、まさに墓場と言うべき空気をたたえた領域に見えた。
「くそっ……」
 胸がどうしようもなく痛む。
 話を聞いたときもそうだったが、実際に朽ちた騎士槍を前にすると、それらが自分と重なって見えて仕方なかった。
 いや、実際、自分もこうなるところだったのだ。
 サマナに襲われたあのとき――マスターが現れていなければ。
「っ」
 気づく。
 マスターが目を閉じ、胸に手を当てていた。
 黙祷――きっとここに眠るものたちに対してだろう。マスターが元騎士らしいということを百合子はあらためて実感させられた。
「ふぅ」
 祈りを終えたマスターが軽く息をつき、
「ありがとう、シエラちゃん」
「い、いえ」
 二人の後ろにいたシエラが恐縮したように目を伏せる。
 彼女たちをここに案内してくれたのはシエラだった。サン・ジェラールの本来の学園長にして騎士の最高位〝熾騎士(セラフ)〟であるアンナマリア・ルストラの玄孫であるシエラは、石碑の地下にあるこの場所のことを知らされていた。
 マスターは修行の場に隔絶された場所を望んだ。自分たち以外の余計な邪魔が決して入らないところを。屋敷に戻った一同からそのことを聞かされたシエラは、こういう場所もあるというようなつもりで槍の墓場のことを口にした。すると、マスターが乗り気になり、こうして百合子をつれてここにやってきていたのだ。
「さー、始めるわよ」
「えっ」
 不意をつかれる開始宣言に、百合子は戸惑いの声をもらす。
「あらー」
 マスターが悠然と笑い、
「なーに、やっぱりやめるー? 『わたしじゃ力不足ですからー』って」
 カチン。たちまち頭に血がのぼる。
 人をムカつかせるようなものの言い方はミン以上だ。
「冗談じゃねえよ」
 百合子は敵意をむき出しにして、
「腕一本使えねえババアに誰が負け――」
 ズダンッ!
「ぐはっ!」
「何度も言ってるでしょう。その単語を口にしたら死ぬって」
 またしてもだ。
 接近を目で捕らえられず、何をされたかもわからぬままに百合子は地面に叩きつけられていた。
「ふー」
 余裕たっぷりに左肩を回し、
「やっぱりカンジが違うわねー。ぜんぜんダメだわー」
「ど、どこがだよ……」
 早くも膝をふるわせながら百合子は立ち上がる。
 マスターは真顔で、
「実際、死んでるの」
「は?」
「あなたが生きてるってことは、わたしがまだこの身体に慣れてないってことなのよ」
「う……」
 悪寒が走る。
 目の前の覆面の女は――本気で言っている。
 つまり、彼女の言う『新しいわたし』になったとき、それはどれほどの恐ろしい技の使い手になるのかと――
「死ぬわよ」
 心を読んだようにマスターが言う。
「わたしがこの身体に慣れるまで、まあ、一週間ってとこね。それまでに強くなりなさい」
「ンなこと……」
「死ぬわよ」
 念を押すように言われる。
「新しいわたし……つまり未知なわたし。それを探っていくんだもの。どうこうできるアテなんてないわ」
 左腕を中心に全身をほぐすようにゆらしながら、
「調整なんてできっこない。本当にあなたを殺さない保証なんてないのよ」
「くっ……」
「怖かったら逃げなさい」
「……!」
「逃げるのが賢明よ。ううん、逃げるとも言わない。あなたはわたしの状態を正確には知らなかったんだから。殺されるとわかってその場を去らないのは逆に……」
 百合子は、
「逃げねえよ」
 言った。迷いはなかった。
「逃げたら……変わらねえままのオレ様じゃどこにも行けねえ」
「そう」
 一つうなずくマスター。
 と、その目が、ほんのわずかの優しさもない修羅のものに変わる。
「わたしは新しいわたしになる」
「……!」
「あなたもなりなさい。新しいあなたに」
「……っ……」
 そして、
「うおおおおおおおおおおっ!」
 決死の雄たけびが無数の槍の間にこだました。

ⅩⅦ

「貴女は心配ではないのですか」
 おだやかに。
 しかし、はっきり憤りをこめてラモーナは言った。
 憤り――そのような感情を自覚したのはいつぶりだったろうか。
 いや、いまこのときに限った話ではない。
 乱れていた。まったく心の調わない自分をラモーナは感じ続けていた。
 きっかけは目の前の女性――
 依子に会ってからだ。
「貴女は……」
 胸が張り裂けそうな思いで、
「百合子殿を……どう思われているのですか」
 それは、なかば自身への問いかけでもあった。
「………………」
 依子は、
「娘です」
「!」
 それがすべての答えであるというように、依子は絶句するラモーナに背を向けた。
「お、お待ちください!」
 あわてて呼び止める。
「娘なら! それなら心配で仕方なくはないのですか!?」
「………………」
 足を止めた依子は、
「あなたはサマナ・シルダ導師の弟子とうかがっています」
「弟子などというものでは……ただおそばにいさせてもらっていただけです」
「それでも導師から多くのことを学ばれたはずです」
「はい」
「でしたら」
 ふり返る。静かな視線が注がれ、
「娘や親といった分別にとらわれない方なのではないですか、あなたも」
「……!」
 それは――
 その通りだった。
 その通りである……はずだった。
「拙……は……」
 そう口にしたラモーナは首をふり、
「わたしは……多くのものにとらわれています」
 そうだ。
 とらわれている。
 なのに、とらわれていないふりをずっとしてきた。
 物心ついてからずっと――
 自分がサマナの〝娘〟だったときから。
(娘……)
 苦い気持ちがこみあげてくる。
 幼い自分は、サマナを実の父だと思っていた。旅をしながらも育ててくれたのはサマナであるし、周囲も彼の娘としてあつかってくれた。
 サマナから特別愛されたという記憶はない。そもそもそういう感情を超えている人だ。しかし、放置されたり虐待されたということもまたなく、たんたんと、地に雨が降るような自然さで彼はラモーナと接してくれた。
 そんな日々が不意に終わりを迎える。
 何の前触れもなくラモーナの前に〝母〟が現れたのだ。
 そして、知った。
 自分がサマナの娘ではないと。
 母はとある裕福な家の娘だった。
 交際していた男性――つまりサマナの本当の父もまた富裕な家の生まれだったが、両家は商売上の行き違いによっていがみ合っていた。
 周囲には秘密で仲を深めていた二人だったが、そこで大きな事件が起こった。
 ラモーナが母の身に宿ったのだ。
 母は悩んだ。父の子と知れれば両家がもめるのはわかりきっていた。
 そこで、彼女は驚くべき手段をとった。
 お腹の子の父がサマナ・シルダであると広言したのだ。
 家の商売の関係で現生騎士団インド区館を知っていたことが、彼女にそれを思いつかせる一因となった。
 同時に、若かった母は〝導師〟サマナのことをあまりに知らなかった。
 サマナを『世界中を旅している偉い人』くらいにしか認識していなかった彼女は、めったに区館に姿を見せることがなく連絡もほとんど取れない人物であれば真偽をはっきりさせることができないと考えたのだ。加えて、それなりに地位の高い人物であれば、周囲も子どもに対して強いことを言えないだろうという目論見もあった。
 その浅はかなたくらみは、区館からの厳重抗議という結果を招いた。
 区館の最高責任者である館長同様、いやそれ以上の敬意を受けるサマナが若い女性に手を出すようなそんな不道徳なことをするはずがない。これは重大な虚偽かつ侮辱だと。
 思いがけない激しい反発に、母はすっかりうろたえた。
 そして、生まれてきた子どもをどうすべきかまったくわからなくなった。
 そこに現れたのがサマナ本人だった。
 事情を聞いた彼は、
『そうですか』
 それだけを言い、うなずいた。
 肯定も否定もなかった。
 精神的に不安定になっていた母は、産後間もない赤ん坊を押しつけるようにしてサマナに託した。
 サマナはそれをこばまなかった。
 噂が広がった。
 彼女が言っていたことは本当なのだと。あの子どもはサマナの子なのだと。
 やはり、サマナはそれを否定しなかった。
 周りからの敬意が急速に失われていく中、サマナはラモーナをつれていままでと変わらずに旅を続けた。
 月日が経ち――
 母と父の家がそれぞれ代替わりをし、以前のような対立もなくなった。
 母は交際のことを明らかにし、父と結婚。
 そして、ずっと心にかけつつも引き取ることのできなかったラモーナの前に現れたのだ。
 母は名誉を著しく傷つけたことをサマナにわびた。サマナは普段のおだやかな笑みを変えなかった。
 そして、母は娘にもわびた。
 ラモーナもまたサマナと同じで怒るといったような反応を見せなかった。
 いや、サマナとは違う。
 自分は――あのときただただ呆然としていた。
 サマナの娘だと思っていた。その自分の世界が瞬時に崩れ去った。
 母は幼かったラモーナを引き取った。
 それについても、サマナは何も言うこともこばむこともなかった。
 裕福な家での新しい生活が始まった。
 両親はラモーナを愛してくれた――と思う。
 いや、間違いなく愛してくれていた。
 しかし、それは〝打算〟抜きとは言い難いものだった。
 打算――
 つまり世間の目を意識したもの。
 母は自身の〝あやまち〟を隠すことなく、その贖罪という形でラモーナに愛情を注ごうとした。
 それは純粋な愛と呼べるものなのだろうか。
(愛とは区別であり、分別なのですよ)
 サマナならそう言っただろう。
 とたんに、たまらなく彼との日々が懐かしく感じられた。
 そこには嘘がなかった。
 サマナは何かをつくろうようなことがなく、感情で他者を近づけたり遠ざけたりすることもなかった。
 すべては流れのままだった。
 流れのままにラモーナと共に生き、流れのままにラモーナと別れた。
(お父さん……)
 もはや、そう呼ぶことは二度とない。
 それでもラモーナはあの静かでおだやかな世界に戻りたかった。
 そして、決意した。
 己も――騎士となろうと。
 騎士の道を行き、彼のように何物にも乱されないそんな強い心の持ち主になろうと。
 戻ってきた〝娘〟を、またもサマナは何も言わずに受け入れた。
 それから以前のように二人の旅が始まった。
 しかし、ラモーナは――
 出会ってしまった。
「導師と共に訪れた東アジア区館でわたしは……」
 依子の目を見つめ、言う。
「仮面の騎士に心を奪われました」
「………………」
「わたしが見たのは、市街を飛ぶように駆ける姿。でも、それだけで十分でした。わたしは彼女に宿縁を……運命を感じました。後に、その名がローズランサーであると知りました」
 依子は何も言わず、ラモーナの話を聞き続ける。
「わたしは、何かにとらわれた自分を恥じました。ですが、胸の炎を消すことはできず、そしてそのようなわたしを導師は当然見抜いていました」
「導師は」
 依子が口を開く。
「あなたにどのようにおっしゃられたのですか」
「流れのままに」
 口にした言葉が記憶の中のサマナの声と重なる。
「自分の内と外。そのような分別はいらない。内に生じたと感じることもまた正しく一つの流れなのだと」
「それから」
「目をそらしていては……よけいにとらわれることになる」
 依子が小さくうなずく。
「向き合う。そう、導師は言いました」
「その通りです」
 またもうなずく。そして、
「ラモーナさん」
 再び静かな眼差しがこちらに向けられ、
「あなたが向き合うべきものは何ですか」
「わたしが……」
 とっさに答えが出ない。
 いや、いまのラモーナにとっさに出せるものではない。
「向き合うべきもの……わたしの……わたしの向き合うべき……」
 コトン。
「……!」
 かすかな音と共に目の前に置かれた皿。
 鼻先をたまらなくくすぐる優しく刺激的な香り。
 それは――
「ふ、ふざけないでください!」
 いつにない大声をあげてしまう。
「こんな……なんですか、これは!」
「カレーです」
 ぐうぅぅぅ~……。
「う……」
 たまらずおなかを押さえてしまう。
 羞恥に顔が熱くなっていく。
(こんな……)
 いつぶりだったろう。食べ物を前に自分がこんな反応を見せてしまうのは。
「舌に慣れ親しんだ味とは違うとは思いますが」
「い、いえ、食べ物に対してそのような分別は……」
「でしたら」
 依子が声に力をこめ、
「めしあがってください。あなたがまず向き合うべきことです」
「っ……」
 言おうとしていることはわかった。
 あの日から一週間。
 ラモーナはほとんどまともに食事をとれていなかった。身体がそれを受けつけるのをなかば拒否していたのだ。
「めしあがってください」
「………………」
「ラモーナさん」
 そこに強制されるような何かはなかった。そっと背中に手を添えられるような思いの中、ラモーナは食堂の椅子に腰をかけていた。
 スプーンを手に取る。
 香りに導かれるようにして、ライスとルーを共に口に運ぶ。
「!」
 瞬間、
「う……うう……」
 ふるえた。
 どうしようもなく舌が「おいしい」と感じた。
 胃が、そして身体の隅々までもが。
 感じた。
「こんな……こんな……」
 もっともっとと求める自分にあらがうようにしてラモーナはスプーンを置いた。
「無理です……」
 声がふるえる。
「わたしがこんなふうに……おいしいなんて。そんなふうに感じるなんて」
「ラモーナさん」
「許されないんです」
 頬が涙を感じた。
「こんなわたしに……だから百合子さんも……」
「ラモーナさん」
 声に力がこもる。
「あなたは百合子の友だちです」
「……!」
「百合子を助けてくれたこと、感謝しています」
「わたしは無力でした」
「そのようなことはありません」
「だったら……」
 たまらず依子に向かって吠える。
「だったら、どうして百合子さんはわたしを必要としないんです!」
「………………」
「どうして、一人で修業なんて……」
 またも声がふるえ出す。
「どうして……騎生連をやめるなんて……」
 そう――
 マスターミストレスと名乗った女性と共に修行すると宣言したあと、百合子は一方的に騎生連を抜けると言ったのだ。
「いえ、わかっているんです……」
 弱々しく首が横にふられる。
「自分を殺そうとした……そんな導師のもとで学んだわたしを信用できるはずありません」
「………………」
「いえ、そもそもわたしは誰かに信頼されるような人間ではないのです。心を通わせることのできない……その心すら否定しようとするそんな……」
 そうだ。実の母とも通じ合えないのが自分なのだ。
「心とは否定するものではありませんよ」
「!」
 立ち上がった瞬間、椅子が音を立てて倒れた。
「あ……あ……」
 なぜ……? その言葉がのどの途中でつかえる。
「導……師……」
「ごちそうさまでした」
 そう言って、サマナは手を合わせた。
 動揺しているのはラモーナだけだった。いつの間にか同じ卓についてカレーを食べていたサマナ、そして依子も平静な顔をしたままだった。
「朱藤さん」
「はい」
 サマナの呼びかけに依子がうなずく。
「驚かれてはいないようですね」
「急な来賓に応じられる心構えは当然のことです」
「ふむ」
 サマナがいつもと変わらないやわらかな笑みを見せる。
「では、このようなことになっている理由も」
「はい」
 瞬間――
「!」
 ラモーナの肌が泡立つ。
 変わった。
 場の空気が。騎士でなくともそれと感じられるほどに。
「ほう」
 サマナが目を細め、
「騎士の力は失われたと聞いていました」
「その通りです」
 ためらいなく依子が答える。
「それでも、なお?」
「それでもなお」
 依子は、
「騎士でなくなっても、母でなくなってはいませんから」
「そうですか」
 サマナが立ち上がる。
 二人が何をしようとしているのかを本能的に察し、
「な……なぜですか、導師!」
「ふむ」
 サマナは心底そう思っているという顔で、
「不思議なことを聞きますね」
「不っ……」
 ラモーナは力いっぱいの大声で、
「不思議なのは……あなたたちです!」
 と、そこに、
「どうしたの、ラモーナちゃ――」
 食堂に入ってきたミンの目が見開かれる。後から来たハナと鳴も同じ反応を見せる。
「あ……」
 はっとなる。
 一人、依子に食堂へ呼び出されたラモーナ。ミンたちはどういうことになるのか外で気にしていたのだ。
 百合子がマスターといなくなったあとも〝合宿〟は続いていた。といっても以前のように全員で鍛錬をするといったことはなく、とりあえず百合子の帰りを待つというような中途半端な形ではあったが。
 部屋のすぐ近くにいたであろうミンたち。
 サマナは、そんな彼女たちにも気づかれることなく侵入していたのだ。
「あ、あの……」
 ミンはおそるおそる、
「その……どちらさまで」
「サマナ・シルダ導師」
「!」
 依子の言葉に息をのむミン。そんな彼女たちにサマナが笑顔を向け、
「貴女方とはお会いしたことがありませんでしたね」
「………………」
 どう答えていいかというようにミンたちが声を詰まらせる。
 サマナは構わず言葉を続け、
「タオレンさんが亡くなられてから久しく鳳莱島を訪れてはいませんでした。それがラモーナさんと共に足が向いたというのは……」
 その目が依子に戻され、
「流れということなのでしょうね」
「………………」
 依子は、
「あなたたちは何もしないように」
 そう言い置くと、サマナに向かって、
「外へ」
「ええ」
「えっ、ちょっ……」
 歩き始めた二人にミンがあわてて、
「何をするつもりですか!」
「ミンさん」
 依子がかすかに笑みを見せ、
「百合子さんのこと……よろしくお願いします」
「!」
 その一言で彼女もまた何が起ころうとしているのかを察したようだった。
 と、直後、
「させません!」
 らしくない勇敢な言葉と共に鳴が前に出た。
「あなたは……師範を……」
「ほう」
 サマナが軽く目を見張る。
「万里小路さんの。そうですか」
 その軽い物言いが怒りを爆発させる。
 鳴は何も言わずに踏みこんだ。
「!」
 倒された。
 完全に息を合わせ、逆にサマナが踏みこんだことで。
「ぐはっ!」
 背中を床に強打する鳴。彼の体術の技量はラモーナもよく知っている。しかし、それがまったく通じないであろうこともわかっていた。
 サマナは手を前にすら出していなかったのだ。
 と、すぐさまハナが動いた。
 鳴を傷つけられた怒りを無表情な顔ににじませながらサマナ目がけて――
「ハナ!」
 ミンが悲鳴をあげる。
 百合子を翻弄したハナの体技。だが、サマナをとらえることすらできず、何が起こったかわからないという顔で飛び出した勢いのまま壁に身体を打ちつけた。
「くっ……」
 さすがにミンは動こうとはしない。力の差は十分に感じ取ったのだろう。
 しかし、それ以上に力の開きがあるはずの――
「導師」
 静かに。しかし、そこに確かに「これ以上は手を出すな」という意志をこめて依子が口を開く。
「鳴クン。ハナ」
 ミンも二人を制する。
「でも……!」
 あらがおうとする鳴だったが、ミンは首を横にふる。
「わたしたちが相手にされるレベルの人たちじゃないのよ」
「でも……でも……」
 鳴の目に悔し涙がにじむ。
 ラモーナは気づく。
 いまこのとき、マスターミストレスの修行の相手になっている百合子。しかし、本来なら直弟子である彼がその役を務めたかったはずだ。
 ミンから聞いた話によると、彼はかつて破門を宣告されたことがあるらしい。
 そのこともあって踏みこめなかったのだろう。
(踏みこめない……)
 ラモーナはそこにいまの自分の想いを重ねていた。


「さて」
 中庭に出たサマナが口を開く。
「神に出会えば神を斬り、師に出会えば師を斬り、父母に出会えば父母を斬る」
「……信条ですか」
「いえ」
 おだやかな笑みのまま、依子の問いに答える。
「道です」
 会話はそこまでだった。
「!」
 向かい合った両者が同時に動いた――と見えた瞬間、
「っ……」
 声にならない驚きの息がもれる。
 当たった。
 なんと依子の拳がサマナの顔面をとらえていた。
「はああああああああああああっ!」
 普段の物静かな姿からは考えられない猛々しい咆哮。それは百合子が放つものとまったく同じにラモーナには聞こえた。
 殴る。
 殴り続ける。
 その間、サマナは無抵抗だった。
「ハァッ……ハァッ……」
 依子が膝を折る。
 サマナは顔を腫らしながらも、平然とその場に立ち続けていた。
「ふむ」
 まったくダメージを感じさせることなくサマナは己の顔にふれ、
「貴女は騎士であったころより強くなりましたね」
 依子は何も答えなかった。
 と、足に力をこめ、立ち上がり――
「だめっ!」
 とっさにラモーナは後ろから依子をはがいじめにした。同じように勝負を見守っていたミンたちから驚きが伝わってくる。
「!」
 衝撃を受ける。
(こんな……)
 初めて密着した依子の身体。
 その思いがけない細さがラモーナを瞠目させた。
(こんな身体で……あんな……)
 強くなった――
 サマナの言葉がラモーナの胸に突き刺さる。
「う……」
 涙があふれてきた。
 強い。
 なんて強いのだろう。
 自分は何も悟れてなどいなかった。『拙』などと自分をおとしめたつもりになって。
 きっと、サマナにはこんな自分のこともわかっていたのだろう。それでも何も言わずに共にいることを許した。
 どうしようもなく気づかされる。
 自分が……この上なく感情的な人間なのだということを。
 その感情にふり回され続けた。
 周りを傷つけ、自分をも傷つけてきた。
 そのために母のもとも離れた。
 逃げ出したかった。
 そこに、サマナという人がいた。
 サマナのようになる。
 それが自分の、まさに〝道〟であり〝流れ〟なのだと思おうとしていた。
 それが、目覚めた。
 あの日――ローズランサーを見たとき。
 そこに感じたのは意志。
 ためらいのない。自分そのままをどこまでも貫く強さ。
 どこまでも……まっすぐな――
 愛。
(お母……さん……)
 自分が求めていたのは――
「わたしはあなたに……ローズランサーに……」
「違います」
 依子が首をふる。
「わたくしはローズランサーではない」
「でも……!」
「ローズランサーは……」
 そこに、
「ラモーナさん」
「!」
 身体が跳ねる。
 抑えようもなくがたがたとふるえ出す。
「あ……」
 サマナの目がこちらを見ていた。
 そこに静かな――しかし底知れない何かをたたえて。
「何をしているのです」
 答えられなかった。ただふるえだけが大きくなっていく。
「ふう」
 小さく。サマナはため息をつき、そして――
「わたくしです」
 依子がラモーナを守るように両手を広げる。
「導師……あなたのお相手は……」
「ローズランサー……」
「違います」
 くり返し。ラモーナのつぶやきに対して依子が言う。
「ローズランサーは……正義の仮面の騎士は……」

「何してんだよ、ババア」

 それはあまりにも突然のことだった。
「ああっ……」
 信じられないという思いでラモーナの声がふるえる。
 その目に映ったのは――
「ちょっ……」
 ミンたちもあわてたように、
「ちょちょ……百合子ちゃん?」
「違ぇーよ」
 その人物。白く長い髪を左右でたばね、フリル多彩な派手派手しいデザインの桃色のドレスに身を包んだ――
「オレ様は……」
 覆面の彼女は言った。
「ピンキーミストレス!」

ⅩⅧ

「ピ……!?」
 目を見開く鳴。
「百合子ちゃん……」
 ミンが本気の同情顔で、
「あのオバさんに無理やり……なんて痛々しい」
「くっ……」
 たちまちピンキーミストレスと名乗った彼女の顔が赤くなり、
「や、やってられっかよ! こんな……」
「ピンキー」
 おだやかながら有無を言わせない声が届き、覆面の彼女――ピンキーミストレスは言葉をのみこんだ。
 そこに、同じように覆面をつけた女性が悠然と現れる。
「あの、どういうことですか、師――」
「マスターミストレス」
「う……ど、どういうことですか、マスター」
 言い直した鳴にマスターミストレスは満足そうに微笑み、
「こういうことよ」
 以上。
 鳴が声をなくす。
「導師」
 マスターがサマナに近づく。
「ずいぶんと早かったですねえ、復帰が」
「いえいえ」
 おだやかな笑みのまま、サマナは首をふり、
「騎士でない貴女への侮りがありました。これほどの間まともに動けなくなったのは久しぶりです」
「あら、わたしはもうちょっとのつもりだったんですけど」
「さすがはタオレンさんが目をかけられていた方です」
「うふふー」
 満更でもなさそうにマスターが笑みをこぼす。
「貴女のことがなければ侮りはいまも続いていたでしょうね……きっと」
 サマナの目が、ラモーナに支えられるようにして立つ依子に向けられる。
 とたんにピンキーミストレスが、
「おい!」
 サマナでなく依子に詰め寄る。
「てめえ、何やってやがんだ、ババ――」
「ピンキー」
「!」
 マスターの声にびくっとふるえたあと、ピンキーはきまり悪そうに、
「ンだよ……オレ様はこっちをババアって」
「『オレ様』ぁー?」
「くっ……」
 悔しそう唇をかんだ後、
「わ……」
 ピンキーは頬を引きつらせながらも、にっこり微笑み、
「わたし、ピンキーミストレスでぇーっす❤ マスターミストレスと一緒で愛と正義のヒーローなんだよぉ~❤」
「『華麗にして美しき』」
「くっ……か、華麗にして美しきマスターミストレスと一緒で愛と正義のヒーローなんだよぉ~❤」
「ゆ、百合子さん……」
 あぜんを超えてがく然とした鳴の視線が注がれる。
「百合子ちゃん……」
 さらに涙するミン。
 と、ピンキーは耐えられないというように、
「何が華麗だ……てめえは『加齢』のほうだろうが」
「ピぃぃンキぃ~~?」
「……!」
 たちまちふるえあがると、彼女は何事もなかったようにサマナを指さし、
「おい、てめえ!」
「ピンキぃー」
「っ……あ、あなたにリベンジしちゃいます! 愛と正義のヒーロー、このピンキーミストレスが!」
「わかりました」
 あっさりと。サマナがうなずく。
「!」
 動いた。
 サマナが動いたとわかったのは、ラモーナ、そしてマスターくらいではないか。
 その動きをとらえられない彼女は今度こそ――
「ふっ」
 気合ではない。
 それは逆に脱力の吐息。
「……!」
 かわした。
 いや、正確にはかわしたのではないとわかる。
 脱力。
 どこまでも力を抜いた身体は空となる。
 空にふれることはできない。ピンキーは迫るサマナの圧力にあらがわず、むしろそれを受けることで自然と距離を開けたのだ。
 と、今度は下がるサマナの動きに合わせて前に出る。
「ええっ!」
 ミンが驚きの声をあげる。
 投げた。
 身体を巻きこむようにして自分ごと相手を投げるその技は――
「レスリング……わたしが教えた……」
 あぜんとつぶやきながら、その口元に笑みが浮かぶ。
「どうなってるのよ、もう。ちっとも上達しなかったのに」
 そう、その通りだ。
 技そのものはきちんと彼女の身体に叩きこまれていた。ただ、力まかせに投げようとする癖のためにその完成度は低いままだった。
 それが脱力によって、サマナをも投げるほどに技として昇華されたのだ。
「ふっ」
 小さく息をして再び距離を開ける。
 寄せては返す。まさに波を思わせる流れるような動きだった。
「ふむ」
 大の字に倒れたサマナが感心の吐息をもらす。身体のほこりを払いつつ、何事もなかったという顔で立ち上がり、
「なるほど。万里小路さんですか」
「その通りだけど、ちょっと違いますよ」
「ああ、マスターさんでしたね」
「そういうこととも違って」
 マスターが指を横にふる。
「わたしは何も教えていない」
「ほう……」
「教えられることでもない。そうですよね」
「その通り」
 うなずくサマナ。
 そうだ。彼女は――自ら会得したのだ。
 サマナとマスター。二人の求道者とも言うべき存在にふれることで。
「……来いよ」
「ピンキー」
「っ……お、おいでなさい」
 猛りそうになっていた表情が、強引ではあるがやわらぎを見せる。
 ラモーナは悟る。
 これなのだ。
 マスターはただ遊びで彼女のこれまでのキャラクターを禁じたのではない。乱暴な言動によって生じる力みやこわばりをなくす――それが狙いなのだ。
 事実、笑いながら力をこめるようなことは、人間には極めて難しい。
 さらに、ピンキーミストレスという、本来の自分とまったく違う〝ヒーロー〟を演じることで、そちらに意識が集中する。過剰に目の前の相手に意識を奪われることなく、意識下の動きで応じることができる。
 それらが合わさり、彼女は空の動作を可能としたのだ。
「ふむ」
 サマナが動きを止めた。
「うふっ❤ 負けを認めるのぉ?」
 にこにこ笑顔のまま、ピンキーが言う。
「それもいいですね」
 こちらも笑顔でサマナが答える。
「そうでないのもいい」
「あ?」
 乱暴な顔になりかけるも、またあわてて笑顔を作る。
「ど、どういうことなのよぉ~?」
「久しぶりに……」
 空気が変わる。
「騎士として戦ってみたい」
「えっ」
「まずい……!」
 マスターが飛び出した。
「!」
 ズバァァァァァァァン!!!
「え……?」
 左右にたばねたピンキーの髪が風を受け舞い上がる。
 マスターが彼女をかばうように前に出た瞬間、その身体が猛烈な速度で後方に吹き飛ばされたのだ。
「お、おい……」
 キャラを作ることも忘れ、彼女は後ろをふり返る。
「!」
 そこには、身体を壁にめりこませ、ぐったりと動かなくなっているマスターの姿があった。
「師……」
 鳴が我に返り、
「師範ーーーっ!」
 絶叫し、駆け寄っていく。
「しっかりしてください、師範!」
 壁から離れたマスターの身体がくずおれる。意識がまったくないことは明らかだった。
「うそ……在香さんがこんなふうに」
 ミンの声がふるえる。ハナの瞳も大きくゆれている。
「ふぅ」
 サマナのもらした息に一同が身体をふるわせる。
 それはピンキーも例外ではなかった。
「な、なんなんだよ、てめえは……」
「騎士」
 サマナの答えはシンプルだった。
「あっ……」
 覆面が足もとに落ち、ピンキー――百合子は顔に手を当てる。
 切られていた。マスターを吹き飛ばした衝撃の余波が覆面の結び目を裂いていた。
「くっ」
 髪をほどき、もはや完全にキャラ作りをやめたという顔で、
「よくもマスターのババアをやりやがったな! てめえ、このままじゃ……」
「余分」
「……!?」
「槍を構えた騎士を前にして……」
 冷え冷えとした視線が百合子をとらえる。
「無駄なことを口にしている余裕があるのですか」
「な、何を……」
 戸惑いに瞳をゆらす百合子。ラモーナも困惑させられる。
「槍……?」
 そんなものを――サマナは持っていない。
 それ以前に、騎士でありながらサマナが槍を手にしたり馬に乗ったりするところをラモーナは一度も見たことがない。
 それでありながら、彼はためらいなく自らを騎士と言った。
「突撃(ランスチャージ)」
 サマナが静かに口にする。
「……!」
 いけない! 何が起こるかわからないが、このままでは――
「百合子さん!」
 叫んだのは依子だった。
「槍を! あなたの槍を!」
「くっ……」
 はじけるように飛び出し、離れた場所に置いてあった〝薔薇の槍〟を手に取る。
「――!」
 つながった。
 いま。
 騎士でなくなった女性。騎士である娘。
(ローズランサー……それは……)
「あ……あ……」
 そうだ……ローズランサーは――
「オレ様が……」
 懐から取り出した朱混じりの紫色の仮面をつけて彼女は――言った。
「二代目ローズランサーだ、オラァァァァーーーーーッ!」

ⅩⅨ

 ――来た。
「!」
 とっさに〝薔薇の槍〟を前に出す。
 突撃(ランスチャージ)――
 騎士最大最強の必殺技に応じるためには、こちらも突撃をくり出すしかない。
 しかし、騎士槍を持たない相手にそれをどうやって――
「!」
 迷いにとらわれた直後、
「ぐあああああああああーーーーーっ!」
 衝撃。
 マスターが吹き飛ばされたときに感じたものが、そのときと比較にならない間近の圧力となってローズランサーを吹き飛ばした。
「ぐはっ!」
 地面に叩きつけられた痛みが、かろうじて意識をつなぎとめた。
「ふむ」
 あの気にくわないうなずき声が聞こえる。
 ローズランサーはふるえる足でかろうじて立ちあがった。
「ハァッ……ハァッ……」
 内から身体をゆさぶられている。
 もう一度喰らえば確実に終わると否応もなく悟った。
「さすが、朱藤さんと共にあり続けた槍ですね」
 サマナの感心は〝薔薇の槍〟に向けられていた。
「持ち手の意思を超えて主を守る。生半の槍に可能なことではありません」
「何……言って……」
「それとも」
 さめざめとした目が向けられ、
「貴女もまた槍であるがゆえでしょうかねえ」
「っ……!」
 怒りがこみあげる。
 見下されたわけではない。騎士が〝槍〟を見下すことなどありえない。しかし〝何か〟だと見なされることがたまらなく耐えがたかった。
 そして、そのために消されようとしていることも。
 いやだ!
 いやだ、いやだ、いやだ!
 冗談じゃない!
 自分が何であるか。
 それを決めるのは――自分だ!
「オレ様は……」
 全身で声をふりしぼる。
「オレ様は騎士だ! ローズランサーだ!」
「そうですか」
 冷ややかな返答。しかし、それはこれまでのサマナのものと明らかに違っていた。
 直線――
 ゆらゆらとすべてをあいまいにしていたときとは違う。
 するどく……まっすぐに――
 その〝矛先〟は――
 こちらに向けられていた。
「くっ」
 槍――
 人間でなく巨大な騎士槍そのものと向かい合っているような感覚にローズランサーは圧倒される。
 と、そのとき、
「!」
 聞こえた。
 猛々しい馬のいななき。そして地を蹴る蹄鉄の音。
「百合子さーーーーん!」
「おま……!」
 とっさに、
「違ぇだろ! オレ様はローズラ……」
 と、そういうことでもないとすぐに気づき、
「何しに来やがった、クソ馬! いまはてめえの出るような……」
「出るようなときです!」
「そうです、ローズランサー!」
 なんと、依子がマリエッタと共に声を張る。
「騎士は騎士だけで騎士たりえません! 槍、そして馬がなくては騎士ではないのです!」
「なら、なんなんだよ、あいつはよ!」
「あります!」
「はあ!?」
「導師は……」
 依子は真剣そのものの目で、
「槍も馬も……きちんと備えられているのです」
「ンな……」
 冗談は――と言いかけてその言葉が消える。
 あらためてサマナを見る。
「!」
 見える。
 腰だめに構えている姿。悠然とゆるめられている脚。
 それは――
 確かに、騎士槍を構え、馬に乗っている騎士の姿そのものだった。
「馬鹿かよ……」
 自分の目に見えたものをローズランサーは笑い飛ばす。
 しかし、完全に否定しきれない。
 見える――
 どうしても見えてしまう。
(こいつは……)
 ある。
 槍も馬も備えている。そうとしか思えなかった。
「これは〝空河(くうが)の槍〟――」
「っ!」
「槍を知りて、槍を忘る。ですが、それは確かにあるのです」
 歌うようにサマナが語る。
 馬鹿な……! その思いは、しかし、実際に彼が槍を持った騎士と変わらない力を有している現実の前に砕けた。
 そして、感じる。
 この相手に徒手空拳で立ち向かうことはむしろ騎士として――不敬なのだと。
「……やってやんよ」
 最後の悔しまぎれ。しかし、それで完全に吹っ切れた。
「来い!」
 ローズランサーは高らかに彼女の名を呼んだ。
「マリエッタ!」
「……!」
 マリエッタがふるえる。そして、
「はい!」
 歓喜のいななきと共に寄ってきたその背に、ローズランサーは俊敏な身のこなしで飛び乗った。
 対峙する両者。
 周りにいる者には立ち入れない濃密な気がたちこめていく。
「人造騎士」
「!」
「貴女たちへのねたましさなのでしょう」
「何……!?」
 思わぬ言葉にローズランサーは目を剥く。
 サマナは静かな眼差しで、
「人造騎士は騎士槍をその生命の核とする」
「っ……」
「つまり、生まれながらにして槍と一つである。それは騎士として到達すべき理想」
「ンだと……」
 何を言っている! 自分が人間ではない――周りと違うということにどれだけ苦しんできたと思っているのだ!
「人間を超えてしまう」
「……!」
「怒り、憎しみ、ねたみ。その他多くのものに苦しめられているのが人間です」
「ンなこと……」
 自分だって変わらない。
「槍を極めることで、人を超える」
「……!」
「その道の半ばなのです」
 あらためてサマナが構えを取る。
「来なさい」
「!」
〝薔薇の槍〟を握る手に力がこもる。
 しかし、またもローズランサーにためらいが生まれる。
(こいつ……)
 槍と馬なくして、それと共にあるように見えるサマナ。
 しかし――素手であることには変わりがない。
 たとえば、無手の人間に馬に乗った騎士が槍の突撃を仕かけたらどうなるか。考えるまでもない。相手は確実に砕け散る。
 そんなことを自分は――
「おごり高ぶるのはやめなさい」
「あぁ!?」
 聞こえてきた依子の声に、たちまち眉が逆立ち、
「誰がおごってやがるってんだ、オラァァッ!」
「おごり以外の何ものでもありません」
 依子は冷徹な目で、
「最高位〝熾騎士(セラフ)〟に等しき騎士。その方を相手に何をためらうことがあるのです」
「……!」
「最低位の〝騎士(ナイト)〟であるあなたが」
「くっ」
 そうだ……その通りだ。
「ああ、てめえの言う通りだよ!」
 ローズランサーは心からの声を張り上げていた。
「オレ様は弱ぇよ! 弱くて弱くてどうしようもねえくれぇ弱ぇよ!」
 悔しい。わかりきっていながらずっとごまかし虚勢を張っていたことに、自分でもどうしようもなく涙が出た。
「弱ぇ! 笑っちまうぐれえ弱ぇ! だからなんでも正面から向き合えなかった。八つ当たりで関係ねえやつを傷つけた。馬鹿らしくて思い出したくねえことばかりだ。できるなら昔に戻ってやり直してえことばかりだ。だから……だから……」
 熱い想いが涙に混じる。
「このままで……消えたくねえ」
 しんと。周りの息をのむ気配が伝わってくる。
 それでも止まらず、
「消えられねえだろうが。なんにもできてねえオレがよ。こんな弱くて、弱いから強がるのをやめられねえ。そんなダサさを周りがわかってくれてるのに甘えて、いつまでもダセぇままでいる。そんな……」
 こみあげてくるものをもう本当に止められなくなる。
「せめてよ! 言いわけできるくらいにはなりてぇじゃねえかよ! だからオレ様は騎士の学園に入ったんだ! あのときのことはこのためにあったんだぐらいの言いわけをできるようにってよ!」
 こぼれる涙が止まらない。
「じゃねえと、お姉ちゃんに……オレ様が殺しかけた……なのにずっとかわいがってくれてる……そんなユイファお姉ちゃんに顔を合わせられねえじゃねぇかよ」
 いっそう深い沈黙が場を包む。
 そんな中、胸が張り裂けそうな思いで、
「こんなオレ様が……『お姉ちゃん』なんて呼ぶ資格……」
「あるよ」
 顔をあげる。
「あ……」
 いた。
 こちらを見て。
 眼鏡に使用人服姿のユイファが優しく微笑んでいた。
 その隣には、冴の姿もあった。
「なんで……」
 と言いかけた言葉を飲みこむ。
 そうだ、この場に現れてもおかしくない。自分たちは、屋敷のすぐそばで戦っていたのだから。
「……お姉……」
 とっさに出かけた言葉をまた飲みこむ。
 ユイファは問題ないというように首を横にふり、
「資格、あるから」
「けど……」
 馬上からすがるような目で見てしまうローズランサー。
 そこに、
「えっ!?」
 ビッ! ユイファの親指が上がり、
「妹条件ばっちりだから!」
 がくぅっ! マリエッタの背から落ちそうになってしまう。
「なっ……ななな……」
 たまらず、
「なんだよ『妹条件』って!」
「優しいから」
「……!」
 真摯な眼差しで、
「あなたは……優しいから」
「っ……」
 そんなんじゃねえ! そう言いそうになるも、
「優しいよ」
 冴が続いて言う。
「だから……」
 ユイファが前に出る。
「いいんだよ。わたしの妹で……家族で」
「お姉……ちゃん……」
「ほら、そんな顔しないで!」
 元気づけるような大きな声で、
「わたしたち、いつでも力になるから! ケガしちゃっても大丈夫だから! だって医療騎士だから! ねっ、冴ちゃん!」
 そうだと言うように冴もうなずいた。
「………………」
 ローズランサーは、
「ははっ」
 笑った。
 笑えて仕方なかった。
 そうだ、ユイファはこういう人間なのだ。
 こういう〝姉〟なのだ。
 そして、冴もそんなユイファの正しく〝妹〟なのだ。
「ふふっ……」
 身体の力が抜けていく。
 なのに〝力〟が満ちていくのをはっきり感じる。
「オレは……オレ様は……」
 ローズランサー。
 朱藤百合子。
 それは〝本当の〟自分ではない。
 仮面だ。
 仮面がなければ、自分はいまの自分ではいられない。
 その〝仮面〟を授けてくれたのは、
(百合子……)
 本当の――百合子。
 自分は彼女を汚した。自分が彼女だと思いこまされて。
 彼女がいまこの場にいたとしたら、きっともっと素直にユイファにかわいがられていただろう。周りとも打ちとけていただろう。
(オレは……)
 その名を許された者として、
(オレ様は……)
 自分は――
「行くぜ」
 サマナに向き直る。
「オレ様は全力であんたをぶち破る」
 何も言わない。ローズランサーは構わず、
「オレ様は負けねえ! 負けたりしねえ! オレ様がこれから償っていかなくちゃならねえすべてのやつらのために!」
 手にした〝薔薇の槍〟が正面に構えられる。
「突撃(ランスチャージ)――」
 そして、
「うらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
 疾った。
 マリエッタを駆って。
 己のすべてを騎士槍に乗せて。
「!」
 キィィィィィィィィィィィン!
 鳴った。
 槍と槍とがぶつかり合ったわけではない。
 いや、ぶつかり合ったのだ。
 それを自分、いやそれ以上に槍が感じ取っていた。
 ふるえていた。
 その震動が金属音として鳴り響いていたのだ。
「……!?」
 ローズランサーは驚愕する。
 ない。
 自分の槍の先端は、何ともぶつかり合っていない。
 それでも先に進めない。
「なんだよ……」
 わかっている。
 感じているのだ。頭がそこにあると感じさせられている。
 その感覚が身体を支配している。
 槍を先へと進ませない。
「う……」
 いや、確かにそこにはある。
 騎力――
 騎士を騎士たらしめる力。
 本来なら、騎士は正式の騎士槍に組みこまれた〝騎石〟を媒介として、己の騎力を発動させる。
 サマナは無手だ。槍も、そして騎石を隠し持っている気配もない。
 それでありながら騎力を収斂させ、騎石なしの突撃を可能としている。
 それはやはり超人的な技巧としか言いようがなかった。
「くっ……!」
 とっさに力をこめそうになる。
 と、次の瞬間、思い出す。マスターミストレスとの槍の墓場での修行。そこで徹底的に叩きこまれた――
「ふぅ」
 抜く。
 あらためて。
 よけいな気負いを抜きながらも、しかし、突撃は継続している。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
 押しこんでいく。
 感じるものは感じるままで構わない。
 その流れのままに……自分も――
「ふふっ」
 聞こえる。
 自身もまた突きの態勢を崩さないながらサマナが、
「やはり、貴女は騎士槍そのものだ」
 その声に陶酔がにじむ。
「どこまでも真っ直ぐに。どこまでも曲がることがない。あいまいにごまかし続けてきたものとは違う」
 そして言う。
「貴女になりたい」
「知ったこっちゃ……ねぇぇぇぇぇぇぇぇーーーっ!!!」
 注ぐ。
 こめるのではない。
 抜くことでたまりきっていたあふれる力を――
 そのままに。
「!」
 感じた。
 サマナは確かに槍と馬とをその身に一つとしたのかもしれない。
 だが、自分は違う。
 槍と馬と、そして――
 感じる。
 槍に宿る……自分以外の魂――
 それは先代の――
(ババア……)
 そして、さらなる魂。
 それは自分に想いを託した――
『お母様のこと……よろしくね』
 本当の……百合子の――
「うぉ……らぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
 こみあげる力にローズランサーはさらなる雄たけびを上げる。
 わいてくる。つきることなく。
 槍と馬。
 そして母ともう一人の〝自分〟とが一つになり――

 突撃(ランスチャージ)――

 突き抜けた。
 高々とサマナの身体が宙に舞い――
 落ちた。
「ハァ……ハァ……」
 急速に――
 一つになった力がほどけていく。
 ああ、これでいい。ローズランサーは思った。
 槍は一直線に突き抜けていくもの。後ろに下がったり、そこにとどまったりはしない。
 まさに――流れ。
(オレ様もいつか……こうやって流れて消えていく)
 不思議と怖くなかった。
 槍の墓場に並んだ砕けた槍たち――
 あれは、最後まで戦い抜いたことへの誇りに満ちた姿だったのかもしれない。
(オレ様も……いつか……)
 その想いを胸に刻みつつ、ローズランサーは依子やラモーナ、そしてユイファたちに向かって高々と腕をかかげてみせた。
(おまえら……)
 かつての自分と同じ〝ヘヴン〟の騎士たちに、ローズランサーは心の中で呼びかける。
(おまえらは……こんな世界を知ってたのかよ)
 彼らにこの感動を伝えたかった。
 心から、思った。

ⅩⅩ

「あっ」
 両手で抱えていた何冊もの本を取られ、冴は驚きの声をあげた。
 そこにいたのは、メイド姿の百合子だった。
「持ってやんよ」
 ぶっきらぼうにそれだけ言い、百合子はさっさと歩き出した。
「おまえの部屋でいいんだろ」
「う、うん……」
 このような彼女にまだ慣れない冴は、あいまいにうなずいた。
 凄絶な真剣勝負があったあの日から――百合子は変わった。相変わらずその言動は乱暴なままだが、以前のようなとげとげしさがずいぶんやわらいだ。
 よけいなものが落ちた。そういう感じだった。
 そして、もともと彼女の中にあった騎士らしい優しさが素直に出てきたというか。
「ふふっ」
「なんだよ」
 思わず笑ってしまった冴に、百合子がけげんそうな目を向ける。
「同じだなって思って」
「同じ?」
「うん。昔、花房君にも重いものを持ってもらったことが……」
 そこまで言って、はっとなる。
 花房葉太郎(はなぶさ・ようたろう)。
 彼に対して複雑な想いを持っているであろう百合子に、自分は無神経に――
「ふーん」
 しかし、百合子は特に気にした様子も見せず再び歩き出した。
「………………」
 変わった。
 冴はあらためて思った。
「ほらよ」
 二階の冴の部屋についた百合子は、多少ぶっきらぼうながらも手にした専門書を机の上に置いた。
「ありがとう、百合子ちゃん」
「はあ!?」
「あっ」
 顔を真っ赤にする百合子。冴も我に返り、
「ごめん、ユイファ先輩がいつも『百合子ちゃん』って呼んでるから」
「お姉ちゃんだろ」
「えっ」
 百合子は頬を赤らめたまま目をそらし、
「『先輩』じゃなくて……『お姉ちゃん』」
「あ……うん」
「そう呼んでやんねえと、イヤがんだろ。……お姉ちゃんが」
「だね……」
 そこに、
「なーに、自分はわかってるみたいなこと言ってんのー」
「ああン!?」
 たちまち不機嫌な顔になる百合子。いつの間にか部屋の外にいた使用人服姿のユイエンはあからさまに馬鹿にする調子で、
「アンタに姐々のことなんてわかるわけないじゃん。やめてくれるー、そういうハンパな知ったかぶりー」
 百合子は、
「……そうだな」
「えっ」
 思いがけない反応をされたというように目を丸くする。
「な、なんだよ……」
「おまえの言う通りだっつってんだよ。確かにオレ様は何も知らねーや」
「わかってればいいんだけど……てゆーか、よくないけど」
「おまえはいいのかよ」
「は? 何が……」
「下で手伝いしてたんじゃねーか? こんなところでさぼってたらババアに殺されるぜ」
「!」
 たちまちユイエンは青ざめ、
「い、言われなくてもわかってるんだよ! バーカ!」
 捨て台詞を残し、逃げるように去っていった。
「ったく。ガキだよな、あいつ」
「え? う、うん……」
 笑顔を向けられ、冴はうなずくしかなかった。
 変わった。
 やはり百合子は――変わったのだ。
(えーと……)
 そして、冴は迷っていた。
 これからも……百合子『ちゃん』と呼んだほうがいいのだろうかと。


「切りましょう」
「ええっ!」
 隣にいた鳴が悲鳴をあげて跳び上がった。
「どっ、どうしてですか!」
「大きいからです」
「えええっ!?」
 ラモーナの答えに鳴は真っ赤になり、
「そ、そんな、僕のなんてぜんぜん普通で……」
「そうでしょうか」
「そうです!」
 力いっぱい断言される。
「そうですか」
 ラモーナは思案し、
「では、このままで」
「は、はい、そうしてもらえれば……」
「多少、食べにくいと思ったもので」
「食べる!?」
 またも跳び上がる鳴。ラモーナは首をひねり、
「食べるでしょう」
「い、いえ、そういう言い方をラモーナさんがするなんて……」
 と、鳴は不意に怒った顔で、
「やめてください! ラモーナさんはレディなんですよ!」
「はい」
 レディである。わかっている。
 しかし、鳴は止まらず、
「レディが、その、そんな下品な言い方を」
「下品?」
 まったく意味がわからない。
「何が下品だと」
「だって、その……食べるなんて」
「食べるでしょう」
「ええっ!?」
 鳴はますます顔を赤くし、
「そんな……ほ、本当にやめてください!」
「どうしてです?」
「どうしてって……だって」
 これ以上はとても口にできないというように両手で顔をおおって恥じらう。まるで乙女を見ているようだ。
「……?」
 わけがわからないながら、ラモーナは自分の仕事を再開する。
 トントントン。
 包丁の音が響く。そばに積まれたジャガイモやニンジンといった野菜をラモーナはたんたんとカットしていく。
「やはり、わたしはこれくらいの大きさがいいと思うのですが」
「……え?」
 鳴が指の隙間からこちらを見る。
「野菜……」
「?」
 ラモーナは首をひねり、
「あなたの切ったものはすこし大きくありませんか」
「大きいって……そういう」
「他に何が」
「!」
 これ以上ないくらい赤くなった鳴は、顔を隠したままいやいやをするように首をふった。完全に乙女だった。
「切り終わったらこっちに持ってきてー」
「はい」
 ミンの呼びかけに、ラモーナはカットした野菜を持って移動する。
 ミンとハナはスープの仕込みを担当していた。踏み台に乗ったハナが火にかけられた大きな鍋をぐるぐるとかきまぜている。
 いまラモーナたちは『最後の晩餐』のための料理を作っているところだった。
 気づけば――この屋敷で世話になってもう一ヶ月が経っていた。
 あっという間だった。それが素直な感想だ。
 突然の合宿開始から、まったく息の合わない鍛錬の続いた日々。そんな中での導師サマナの襲来。百合子の騎生連離脱宣言。そこからの彼女とマスターミストレスとの秘密修行。そしてローズランサーとサマナの勝負が行われ――彼女は勝利した。
(本当にすごい人です……)
 思い出すたびにラモーナの胸は熱くなる。
 と、そこに、
「ラモーナちゃん」
「あっ」
 物思いにとらわれていたラモーナは、あわててミンに野菜を渡した。
「なに考えてたの」
「それは……」
「ふふっ」
「?」
「だって、ラモーナちゃん……」
 ミンは優しい眼差しで、
「とってもいい顔するようになったから」
「っ……」
 頬が熱くなる。
「そう……でしょうか」
「うんうん」
「だとしたら……」
 それは……彼女の――
「料理のほう、大丈夫ですかー」
「あっ、ユイファちゃん」
 入口のほうを見ると、使用人服姿のユイファが心配そうにこちらを見ていた。そばには「無理につれてこられた」と言いたそうな顔のユイエンもいる。
「すみません、お客様であるみなさんにこんな」
「いいのいいの、わたしたちがやるって言ったんだし。最後なんだからせめてこういうことでお礼したいし」
「でも……」
 やはり気が引けるようで、
「何か手伝えることがあったら遠慮なく言ってくださいね。わたしもユイエンもすぐにお手伝いしますから」
「なんでオイラまで……」
「当然でしょ! もうっ、あなたはサボってばっかりいるんだから。ほら、ハナちゃんを見なさい」
 無表情のまま鍋の中身をぐるぐるかき回しているハナに近づき、
「ちっちゃいのにこんなに一生懸命お手伝いしてるのよ。偉いと思わないの?」
「あの……」
 ミンはかすかに口もとを引きつらせ、
「だから、ハナはユイファちゃんより年上で」
「ああっ!」
 ユイファはあわてふためき、
「だって、その、こんなにちっちゃくてかわいいから! 妹顔だから!」
「なに『妹顔』って。あと、あんまり『ちっちゃい』って言うと、ハナ、怒るから。ほら、いまも」
「ええっ!?」
 確かに、無表情ながらも明らかに『不機嫌』と感じられるオーラがその小さな身体から立ち昇っていた。
「わたし……わたし……」
 そんなハナを前にして――ユイファは、
「あーん、やっぱりかわいーっ!」
 ずるっ。
 がまんできないというようにハナを抱きしめるユイファに、ミンが肩を落とす。
「あなたねぇ……」
「ああっ、すいません! つい本能的に……」
「本能なの、あなたの年下好きって」
「本能なんです!」
 がくっ。またもミンの肩が下がる。
「あ、あの、それくらいで」
 ますます不機嫌になっていくハナを見て、あたふたと鳴が言う。
 そこへ、ユイエンがさらにからかうように、
「いいんじゃないの、年上でもかわいがってもらってー。見た目、ぜんぜん違和感ないしー」
「なんてことを言うの、ユイエン! こんな小さい女の子に!」
「『小さい女の子』って……まちがってはいないんだけど」
「ミンさん!」
 鳴がさらにあわて、ハナが不機嫌さをいっそう増す中、
「………………」
 ラモーナはそっとその場を後にした。


「おう、おまえか」
 食堂でテーブルメイキングをしていたメイド姿の百合子は、ラモーナが入ってきたことに気づいて顔をあげた。
「………………」
「なんだよ、黙って。気持ち悪いな」
 そう言う彼女だがそこにとげとげしさはなく、単なる軽口といった感じだった。
 ラモーナは、
「なんだか……さびしくて」
「あ?」
 百合子は不思議そうに、
「なんだよ、みんなで料理してたんだろ」
「はい。とてもにぎやかです」
「じゃあ、なんでさびしいんだよ」
「………………」
 ラモーナはかすかに言葉を詰まらせた後、
「百合子さんがいないからです」
「っ……」
 動きを止める百合子。が、すぐまた何もなかったように作業を続け、
「しょーがねーだろ。オレ様は料理に向かねーっつーかさー」
 事実、そうらしい。
 ユイファから聞いた話だが、以前、入院していた依子のためにリンゴの皮をむいたとき、身より皮のほうが厚いという有様だったそうだ。
「せっかくの最後の食事をサイアクにできねーっつーか」
「最後……」
 ラモーナの声がふるえる。
「百合子さん」
「あん?」
「百合子さんが……」
 ふるえを抑えられないまま、
「百合子さんが学園をやめるというのは……本当ですか」
「………………」
 わずかな沈黙の後、
「ホントだよ」
「!」
 たまらず、
「なぜですか! なぜそういうことになるんですか!」
「そういうことになんだろうが!」
 百合子は声を荒くし、
「こんなオレ様があそこに顔を出せるはずなかったんだよ! 最初からな!」
「なぜですか!」
「知ってんだろ!」
 顔を怒気で満たし、
「ごまかすんじゃねえ!」
「ごまかしてなどいません!」
「うっせえ、うっせえ、うっせえ!」
 激しく百合子の頭がふられ、
「じゃあ、なんで言わねえんだよ!」
「……!」
「おまえはずっと探してたんだろ! このオレ様のことを!」
 強すぎる感情のためか、その目に涙をにじませ、
「ダークランサーのことをよ!」
「っ……」
 ラモーナの呼吸が乱れる。しかし、努めて冷静な口調で、
「意味がわかりません」
「はああ!?」
 百合子はさらに眉をつりあげ、
「わかってんだろうが! わかりすぎるくれえに!」
「わかりません」
「てめえ!」
 百合子の手がラモーナの胸倉をつかむ。
 にらみあう二人。
 ラモーナは目をそらさなかった。百合子も目をそらさなかった。
「……上等だ」
 胸倉を乱暴に放し、
「来いよ」
「………………」
「証明してやるよ」
「何をです?」
「決まってんだろ!」
 背を向けかけていた百合子が再びダン! とこちらに踏みこみ、
「オレ様がどれだけワルかってことをだよ」
 ラモーナは、
「……ぷっ」
「なっ」
 百合子の顔が先ほどとは違う意味合いで赤く染まる。
「て、てめえ、なに笑ってんだよ! なめてやがんのか、ああン!?」
「なめてなどいません」
 ラモーナは真顔で、
「なめ回したいとは思ったりしますが」
「っっっ……!」
 百合子の顔から今度は一気に血の気が引き、
「てめえ、そういう気持ち悪ぃことを……! ……って、いや、そういうやつだったよな、てめえはよ」
「はい」
 あっさりうなずかれてしまって、感情をどこへ持っていっていいかわからないという顔になる百合子。しかし、すぐに立て直し、
「来いよ」
「はい❤」
「っっ……! そ、そういうふうに目を輝かせんじゃねえよ! オレ様が『来い』っつってんのは……」
 百合子の目が再びするどくなり、
「やろうっつってんだよ」
「はいっ❤❤❤」
「だっ……だから、目を輝かせんな! あと力いっぱい肯定すんな!」
「では、もう本番に……」
「なんでだよ! そういうことじゃねえだろうが、オラァァッ!」
「はい、そういうことではありません」
 ラモーナは真剣な顔に戻り、
「ごまかさないでください」
「……何をだよ」
「やるとかやらないとか……そういうことを口にしても本気でそういうことをしたいと思うあなたではありません」
「ああン!?」
 再び激情をたぎらせ、
「てめえに何がわかるんだよ!」
「わかります!」
 ラモーナは声に力をこめ、
「あなたに出会ってから……ずっとあなたを見つめ続けてきました」
「っ……」
 たまらずというように百合子が目をそらす。
「き、気持ち悪ぃんだよ、そういうとこが」
「気持ち悪いです」
「認めんなよ!」
「では、気持ちよくなります」
「どういうことだよ!」
「百合子さんと……気持ちよく」
「だから、そういうのが気持ち悪ぃんだって!」
「だから、気持ちよくなります!」
 ラモーナはより声を強める。
「気持ち悪いんです! このまま終わってしまっては一生気持ちが悪いままです!」
 百合子がはっとこちらを見る。
 が、また決まり悪そうに目をそらす。
「……わかんねえよ」
「わかっているはずです」
「知らねえよ」
「知っているはずです」
「うっせーよ!」
 声を張ると同時に再びこちらを見る。
「オレ様はよ! てめえのそういうところが……そういうところが……」
 そこまで言って言葉につまり、
「くそっ!」
 拳をテーブルに叩きつけると、そのまま荒々しく肩をいからせて外に――
「百合子さん!」
「うおっ!?」
 後ろから抱きつかれた百合子が驚きの声をあげる。
「な、何してんだよ!」
「逃がしません」
「はあ!?」
「逃がさないと言っています」
 回した腕に力をこめる。
「逃がしませんから」
 ふり払おうと百合子の身体に力がこもるのを感じたが、それがすっと抜けた。
「……なんでだよ」
「なんででしょう」
「は!?」
 ラモーナは遠くを見るような目で、
「わたしはなぜ自分がローズランサーに惹かれたのかわかりませんでした」
「…………………」
「だから、いまわたしはここにいます」
 しがみつく腕にいっそうの力がこもる。
「百合子さんと……共にいます」
 沈黙。そして、
「はあ」
 ため息のあと、百合子は頭をかき、
「わけわかんねー」
「ですよね」
「『ですよね』だよ」
「『ですよねだよ』ですよね」
「『ですよねだよですよね』で……」
 そして、
「ぷっ」
 どちらからともなく。二人は笑った。
「暇してんのかよ、ラモ公」
「いえ、そろそろ調理場に戻ります」
「そっか」
 百合子が力の抜けた笑みを見せ、
「ちょっとだけ手伝ってけよ。二人のほうが速いだろ」
「はい」
 二人は一緒にテーブルメイキングを始めた。
 息を合わせて。


「おおぉ……」
 食卓についた百合子は驚きに目を見張った。
「やべえ! 肉! 肉! 肉がむちゃくちゃ入ってんぞ!」
 周りからくすくすと笑い声がもれる。しかし、興奮しきった百合子はそれに気づかず、
「おい、なんで驚かねえんだよ! カレーだぞ!? カレーにこんなに肉が入ってんだぞ!? なのに、なんでそんなに……」
「百合子さん」
 依子の冷たい声が響く。
「どういうことでしょうか」
「へ?」
「あなたの言い方ではまるで……」
 冷たい眼差しに威圧感がこもり、
「普段のカレーには肉が入っていないようではありませんか」
「……!」
 鬼気に打たれた百合子は青ざめつつも、
「そ、そんなこと言ってねえだろ、ババア! オレ様は、ただ、その……」
「よろこんでいるんです」
 ラモーナが口を開く。
「わたしたちの愛のこもったカレーを前にして」
「なっ……!?」
 たちまち百合子の顔が赤くなり、
「だ、だから、気持ち悪ぃこと言ってんじゃねえよ、オラァッ!」
「わたしなんです」
「はあ!?」
「わたしが……」
 うるむ瞳が笑顔と共に向けられ、
「この晩餐を……ぜひカレーにと」
「う……」
 圧に押されつつ、
「な、なんでだよ!」
「なんででもです」
 ラモーナの声に力がこもる。
「わたしの心をゆさぶった料理がカレーだったからです」
「は?」
 百合子はきょとんとなるも、
「それって、おまえの、その、故郷の料理だから……」
「違います」
 ラモーナは無駄すぎるほど真面目な顔で、
「ここの料理だからです」
「ここ?」
「そうです」
 ラモーナの頬が赤らむ。
「依子さんのカレー」
「えっ」
「そのカレーにわたしは救われました」
 思わぬ発言に驚くも、百合子はすぐさま、
「し、知るかよ! だったら、ババアにカレー作らせてればよかっただろ!」
「やはり、お母様のカレーが恋しいと」
「そういうこと言ってねえよ!」
 わけがわからないながらも声を張り上げてしまう。
「んふふー」
 ミンがにやにやと、
「いやいや、ラモーナちゃんも愉快なラモーナちゃんになったわよねー」
「ありがとうございます」
「お礼言うなよ! 馬鹿にされてんだよ!」
「百合子ちゃんが女にした? みたいな」
「へ、変なたとえすんな!」
「ありがとうございます」
「だからおまえも言うなよ、お礼をよ!」
 食卓が笑いに包まれる。
「ううう~……」
 百合子は苦り切った顔になると、これ以上は何を言ってもやぶ蛇だと思い、黙ってカレーをかきこみ始めた。
「……う!」
 つまった。とりわけ大きな肉の塊が。
「百合子さん!」
 すかさずラモーナが立ち上がり、
「どうしました! わたしの作ったカレーに何か!?」
「わたし『たち』ね」
「っ……っっっ」
「ひょっとして……お口に合わなかったとか」
 しょぼんと目を伏せる。
 そういうこと言ってる場合じゃねえ! 声どころか息も出せない百合子はただひたすら身もだえる。
「すみません。いますぐ作り直して……」
 だからそういうことじゃない! 百合子は必死に首を横にふる。
「作り直さなくてもいい……作り直してもどうせだめだとわかっている。それほどひどい味だと」
「っっっ……!」
「えっ、違うんですか? じゃあ、もう一度チャンスをいただけるんですね! ありがとうございます!」
「っっ……っ……」
 だめだ。本格的に意識が遠くなってきた。
 と、ミンが見かねたというように、
「いや、あの、百合子ちゃん、苦しいんじゃないかな」
「ハッ!」
 ラモーナがわざとらしいくらい大げさな気づきのポーズを取り、
「まさか……毒!?」
 ドタッ! 食堂にいた者たちがよろめく。
「なんでそうなるのよ!」
 そんなミンのツッコミも届かず、
「ご安心ください、百合子さん! わたしが……」
 真剣さにそれ以上の感情をにじませた目で、
「吸い出します」
「!?」
「わたしが! 毒を! 吸い出します!」
 言うや否や、
「っ!? っっっっ!」
「じっとしてください! いま吸い出しますから!」
 必死に抵抗する百合子。すると、
「百合子さん……」
 ラモーナの目に涙が浮かぶ。
「そんなにも……」
 こくこくこくっ! 全力でうなずく百合子に、
「そんなにもわたしのことを心配してくださっているんですね! 自分の巻き添えで毒に倒れてほしくないと!」
 がくぅっ! 激しく脱力したところに、こちらの顔をつかむ手の力が強まり、
「百合子さん」
「!」
「痛く……しませんから」
「―――っっっっっっっ!!!」
 確信犯だ! こいつはわかっていてやっている!
「っっっっっ! っっっっっっっっ!」
 呼吸困難で遠ざかっていく意識の中、懸命にラモーナを引きはがそうとする百合子。
 そこに、
「ほら、ハナ。鳴君の目をふさいでる場合じゃなくて」
 ミンの声が聞こえる。
「いいんですか、依子さん」
 こんな状況でも静かに食事を続けているらしい依子に、
「このままだと……奪われちゃいますよ、ファーストキス」
「そうですか」
 依子は静かな口調のまま、
「誰にも初めてはありますから」
「―――っ!」
 その答えに百合子は絶望を悟る。
「さあ、百合子さん」
「っっっっっーーっ! っっっーーーーーーっ!!!」
 声にならない悲鳴が部屋をふるわせた。


× × ×


「ふっふー。ようビビらんときたなー」
「ほざくなよ」
 腕組みで言うシルビアに、百合子は鼻を鳴らしながら答えた。
 合宿最終日の翌日――
 百合子たちは、かつてシルビアたちとの騎生連対抗戦で敗北を喫したその同じ場所に立っていた。
 敵も味方も同じメンバーで。
「ふふん」
 シルビアが不敵に笑い、
「前よりいい顔になったやん」
「ほざけよ」
 百合子は、
「おい、てめえら! 今度情けねえ試合やったらブッ殺すかんな!」
「一番情けなかったのは百合子さんでは」
「って、コラァァッ!」
 たちまち百合子は激昂し、
「あんま調子くれてんなよ。オレ様の……そ、その……」
「初めてを奪ったくらいで?」
「って、てめえでそういうこと言ってんじゃねえよ、コラァーーーーッ!」


 盛り上がる百合子たちを見て――シルビアは、
「ほんま、ええ騎生連になったなぁ」
 そのつぶやきに、モアナとナシームがうなずきを返す。
「さすがやわ、ミンねーさん」
「わたしのしたことじゃないわよ」
 そう言いながら、ミンが姿を現す。
「あっ、お勤めごくろうさんです」
「やめてよ、あなたまで館長みたいな」
 ふーっとため息をつく。
「シルビィ」
 真剣な顔になり、
「全力でやりなさい」
「言われるまでもないです」
「いまのあの子たちは強いわよ」
「でしょうね」
「あーもー」
 不意にミンは頭を抱え、
「痛感させられたわ。わたし、こういうの向いてないって」
「そうですか?」
「そうよ」
 深々と息を落とし、
「実際、何もできなかったもんね。変われたのはあの子たち自身の力よ」
「そうだったとしても」
 シルビアはミンの目を見て、
「そこまで導いたのはねーさんの力やないですか」
「ないない」
 顔の前で手がふられ、
「わたしなんかより、在香さんや導師のほうがずっと」
「そのレベルの人らと比べるんは無理ありますよ」
 シルビアは苦笑する。
「これからですって」
「そうかなあ」
「しっかりしてください」
 パンッ。ミンの背中を叩き、
「ねーさんは未来の東アジア区館を背負って立つ身やないですか」
「それも、まだちょっと実感ないんだけど」
「またまたー」
 再びその背を叩くと、
「ミンねーさん以外に誰がいますー? 区館をまかせられる人」
「それはそうなんだけどねー」
 こういうところでおかしな謙遜と無縁なのがミンのいいところだ。
「将来はウチのこと引き立ててくださいよー、館長」
「あなたがいまのまま立派な騎士になったらね」
 ミンも笑顔で言い返す。すこしは元気が戻ってきたようだ。
「あ、ほら、百合子ちゃんらが見てますよ。スパイと疑われてるん違います? ウチらに弱点でも教えてるって」
「ないない。だって、あの子たち、そもそも弱点だらけだし」
「その弱点だらけの子らを見捨てなかったですやん。やっぱり向いてるんですよ」
 シルビアの言葉にミンは照れくさそうな笑みで応えた。
「まー、あの子たちには、あなたたちの弱点を聞き出そうとしてたって言っておくわ」
「逆に怒りますよ、それ」
「かもね」
 微笑しながら背を向ける。
「再戦を受けてくれてありがとうね、シルビィ」
 その言葉にシルビアも笑顔で応えた。
「さーて、じゃあ、そろそろやりますかー」
「シルビア」
 その前にというように、ナシームが後ろから肩に手を置く。
「もし東アジア区館で引き立ててくれなかったとしても、西アジア区館がありますよ」
「なんやそれ。スカウト?」
「はい」
 顔を覆う布の向こうで、ナシームがやわらかく微笑む。
「きっと兄たちも歓迎してくれます」
「あー、ナシーム、いっぱいお兄ちゃんがいる言うてたもんな。しかも、みんな騎士やって」
「それだけではありません」
 心持ち誇らしげに、
「みな、騎士として、そして人として立派な方たちです。もちろん男性としても」
「てことは……イケメン?」
「もちろん」
 ますます誇らしげにうなずく。
「イケメンのお兄ちゃんぞろいかー。それは惹かれるなー」
「その上、みな、妹をかわいがってくれます」
「いや、年下好きはもう足りてるから」
 ユイファを思い出し、すかさずそう言う。
 すると、
「もー、ずるいよー」
 モアナが黙っていられないという顔で、
「オセアニア区館だってすごいんだからー」
「おっ、イケメンいっぱい?」
「うん、イケメンもイケウーメンも」
「イケ〝ウーメン〟て……」
「みーんな、イケてるよー」
 こちらも自慢そうに胸を張り、
「みーんなかわいいイルカたちだもん!」
 がくっ。シルビアの肩が下がる。
「イルカの話か……」
「えー、シルビア、イルカ嫌いー?」
「嫌いやないけど……」
「『けど』? 『けど』何?」
 イルカへの侮辱は許さない! そんな目で迫ってくるモアナにあわてて、
「いや、好きやよ、イルカ? もう、ぜんぜん好きやし。あー、毎日でも乗りたいなーっていうくらい」
「乗れるよ! 毎日!」
「あ……」
 そうだった。
 オセアニア区館の騎士たちは、馬を駆るようにしてイルカに乗る。だからこそ、海戦において無敵と言われているのだ。
「やったー! うちに来てくれるんだね、シルビア!」
「いや、その、まだ先のことは……」
「シルビア」
 布の上からのぞいているナシームの目がするどくなり、
「どういうことですか? わたしの兄たちよりイルカのほうが大事だと」
「そういうこと言うてるわけや……」
「イルカはお兄ちゃんたちより下だっていうの!?」
「モアナも落ちつきぃ……」
「西アジア区館ではラクダたちに乗れます」
「張り合わんと! まー、ちょっと、ラクダに乗れるのは魅力やけど」
「シルビア!」
「シルビア……!」
「あーもー」
 二人にはさまれて困りながら――しかし、
(ふふっ)
 シルビアはうれしかった。
(昔はあんなだったウチがな……)
 嫌われていた。
 憎まれていた。
 そうなることしかできない幼少時代を送っていた。
 それを救ってくれたのが〝父〟だ。
(パパ……)
 あたたかなものが胸に広がっていく。
 大切な人がいる。
 だから、いまがある。
 きっと同じなのだ。百合子たちも。
「うっしゃーーーーっ!」
 あがる気合の声と共にシルビアは勢いよく腕を回した。
「やるでー! 先輩らのが上ってこと、きっちり教えたらんとな!」
 そのかけ声を聞いた二人は、争っていたことを一瞬で忘れたという顔で大きくうなずいた。
 そして――
 勝負は始まった。


「はい?」
 冷たい眼差しのまま、依子は聞き返した。
「だーかーら。こんなところにいていいの?」
「どういうことでしょう」
「聞いてるわよ。今日、あの子たち、チームで決闘なんでしょ」
「騎生連(サークル)です」
 彼女――万里小路在香(までのこうじ・ありか)の言葉をすかさず訂正する。
「硬いわねー。まー、あなたらしいけど」
 それについては何も応えず、依子は手早く病室の花を変える。
 かつて、自分も入院したことのある島の病院。そこで療養している在香のもとに依子はほぼ毎日通っていた。
『娘のために尽力していただいた方に奉仕するのは当然のことです』
 との理由によって。
 性格的にもともと高飛車な在香もそれをこばまなかった。
「あーもー、暇なのよねー、病院って」
 わがままさ全開で在香が言う。
「なんで、わたしが退院するまで待たないわけ、その決闘っていうの。ていうか、病院だって一日くらい外出許可出してくれたっていいわよねー」
「本来なら絶対安静ですから、万里小路さんは」
 依子はたんたんと言う。
「導師の突撃を受けて命があっただけでも奇跡と言えることです」
「ふふーん、言うわね。このわたしを誰だと……あ、痛たたた」
 身を乗り出した瞬間、痛みに顔をしかめる在香。依子はわかっていたというように彼女を支え、ベッドに寝かせ直した。
「おとなしくしていてください、万里小路さん。いえ、マスターミストレスですか」
「あら、あなたがそういうこと言っちゃうー」
「そうですね、失言でした」
 依子は素直に認める。そして、
「……ローズランサーはどうでした」
「いまの?」
「はい」
「そうねー」
 わざとらしくもったいぶった調子で、
「まあ、悪くないんじゃない。これからも成長が見こめるってことで」
「ありがとうございます」
 たんたんと。百合子は礼を言う。
「ちょっとちょっとー。ほめてあげてるんだからもうすこし何かないの」
「『もうすこし』とは」
「あのねー」
 何か続けようとした在香が、しかし口を閉じる。
 依子も沈黙する。
 そこに、
「人造騎士」
 ぴくり。依子の動きが止まる。
 かすかに殺気を帯びた目で見られるのを在香は苦笑まじりにかわし、
「わたしねー、いろいろあるわけよ」
「いろいろ?」
「知ってるでしょ」
 逆に強い殺気のこもった目が向けられ、
「館長は人造騎士たちに殺されたのよ」
「………………」
「でもねー」
 かろやかに笑い、
「あの子のことはねー、なんか、そういう『仇』ってカンジに見れないのよねー」
「………………」
「もー、そんな目しないでって」
 ひらひらと手をふり、
「あれよね。わたしも丸くなっちゃったってわけ」
 遠くを見るように天井を見つめながら、
「あなたもそうでしょ」
「………………」
 依子は、
「他に用事がなければわたしはこれで」
「って、ちょっとー」
 在香はわざとらしくがっくりと身体をのめりこませ、
「もー、あなたってホントそうなんだからー」
「意味がわかりませんが」
「わかってよー。ていうか百合子ちゃんをほめてあげたときに、もっと感涙にむせぶみたいなのをねー」
「わかりません」
「『わかりません』ってねー」
 と、不意にその目が鬼気を帯び、
「それって……皮肉?」
「はい?」
「とぼけないでよ」
 鬼気に満ちたままの目が依子を見すえ、
「母親になったこともない女に母親の気持ちはわからないって言いたいわけ」
「………………」
 依子は、
「この花」
「えっ」
「鳴さんが摘んできてくださったものです」
「そうなの?」
「はい。毎日」
「ふーん……」
 花瓶を見る在香の目が優しいものになる。
「なーんか、わたし好みの花ばっかりだとは思ってたのよねー」
「色のきついものばかりお好きなようで」
「いいでしょ。ほっといてよ」
「それで?」
「えっ」
「むせばないのですか」
「は?」
「感涙に。あなたがおっしゃったことです」
「あ……」
 一本取られた。そんな顔になる在香だったが、すぐにあわてて、
「ち、ちょっと! わたしはあの子の母親じゃないわよ! あんな大きな子がいる歳に……」
 そこでまたもはっとなる。
 かすかに口もとをひくつかせつつ、視線をそらし、
「……やめましょう、歳の話は」
「そうされたいのでしたら」
 依子はうなずく。
「はー、もー。自分で摘んだ花なら自分で持ってくればいいのに」
「持ってこられないのでしょう」
「なんでよ」
 じっと。何も言わずに在香を見つめる。
「う……」
 ばつが悪そうに目をそらし、
「そりゃ、破門したのはわたしよ。だからって、別にそこまで真面目に……」
「真面目なだけではありません」
「何よ」
「鳴さんが」
 視線を注いだまま、
「それだけあなたを重んじているということです」
「っ……」
 在香の瞳がゆれる。
「だから、その言葉にも簡単に逆らうことはできないのでしょう」
「………………」
 沈黙の後、ふーっ、と長いため息がもれ、
「それでできることが花ってわけ? あの子らしいっていうか」
 笑みが浮かぶ。
「まったく。また、わたしから会いに行ってやるしかないわね」
「そのためにも早く身体を治してくださるように」
「なんで微妙に命令口調なのよ。言われなくても治すわよ」
 そう言うなり、ベッドに横になる。
「ほら、用事が終わったら出ていってよ。繊細なわたしが落ちついて休めないじゃない」
 自分勝手なその発言に、しかし、依子は何も言い返すことなく一礼して病室を後にした。
 背中越しに、静かな喜びを噛みしめる気配を感じながら。


「惜しかったね、百合子ちゃんたち」
 錦のなぐさめに、疲労困ぱいで座りこんでいた百合子は気に入らないというように唇を曲げた。
「でも、ほんと惜しかったよ。シルビアさんたち相手にあそこまでやれただけですごいって」
「すごくねーよ」
「すごいよ。第三騎生でもトップクラスだもん、あの三人。昔あった聖騎会だって一目置いてて……」
「知ったこっちゃねーよ!」
 大声がほとばしる。
「オレ様たちは負けた! それが結果だ! 負けたってことは弱ぇってこと! それが事実だ!」
「そんな……極端だよ。悔しいのはわかるけど」
「はい、悔しいです」
 答えたのはラモーナだ。
「ですが、わたしたちかどれほど悔しいかあなたに本当にわかるのですか?」
「えっ」
「わたしたちが……」
 その目に涙が光る。
「三人で戦うのはこれが最後です」
「ええっ!?」
 錦は驚き、
「ど、どういうこと!? ぼく、聞いてないよ!」
「なんで、おまえに言わなきゃなんねんだよ」
「友だちでしょ!」
「おまえと友だちになった覚えはねえ!」
「それでも……」
 さびしそうに目が伏せられる。
「教えてほしかったよ。同じ学園の先輩後輩なんだから」
「知るかよ」
 ぶっきらぼうに言い、横を向く。
「シエラちゃんは知ってたの?」
「はい……」
 錦と一緒に試合を見ていたシエラがうなずく。
「マリエッタちゃんも?」
「ぷりゅ……」
 同じく一緒だったマリエッタもうなずく。
「ていうか、いいの、マリエッタちゃんまで!?」
 錦はたまらずというように、
「マリエッタちゃんは百合子ちゃんの馬なんでしょ!」
「あのときだけで……きちんと認められたわけではありませんから」
「なんでそんなに弱気なの! 控え目なのがマリエッタちゃんのいいところって桐風も言ってるけど、ここで引いちゃだめだよ!」
 その言葉に、マリエッタの顔がかすかにこわばる。
「百合子ちゃん!」
 錦はあらためて百合子を見て、
「それでいいの!? まだ騎生になったばかりでしょ! これからマリエッタちゃんと一緒に強くなっていこうってときでしょ!」
「……知るかよ」
 目を合わせられない。
 おそらく、錦は知っている。
 百合子――ダークランサーが学園に何をしたかということを。
 それでも彼女は心からこう言っているのだ。それがわかっているだけにゆれる自分を感じながらも、
「うぜえよ」
 百合子は言っていた。
「だめなんだよ、ここじゃ。おまえらみたいなやつらが増えるたびに……」
 くっ、と胸につまるものを感じながら、
「オレ様のせいで……おまえらまで……」
 錦が息を飲むのがわかった。
「百合子ちゃん……」
「………………」
 これ以上は何も言いたくなかった。
「あっ、百合子ちゃん!」
 錦たち、そしてついさっきまで共に戦っていたラモーナたちにも背を向け、百合子は逃げるようにその場から歩き出した。

ⅩⅩⅠ

「メイド心得その一」
「おう」
 百合子はすかさず答えた。
「メイドは奉仕の心をよろこびとすべし」
「よろしい」
 依子がうなずく。
 内心ほっとした百合子だったが、それを表に出せば何を言われるかわからない。
 言われるくらいならまだしも鞭がついてくるのは必至だ。
「サマナ導師――」
「!」
 不意に出てきた名前に心臓が跳ね上がる。
「う……」
 ドキドキドキドキ――
「サマナ導師は」
 再びその名を口にし、
「あなたの前から消えたわけではありません」
「なっ!?」
 百合子は目を見張る。
「どど、どういうことだよ!」
「………………」
 サマナ・シルダ。あの戦いの後、彼は――
「く……」
 戦い――
 いや、百合子にとっては、生き残るための必死の抵抗だった。
 結果――彼は消えた。
 その場にいた者たちが二人の壮絶な〝突撃〟を見た衝撃から立ち直れたとき、すでに彼はいなくなっていた。
 まるで、ただ風が吹き抜けたかのように。
「あなたは導師の求めていたものを現前させました」
「えっ」
「合一――」
 依子は語る。
「槍と己、馬と己が完全に一つになること。それを騎士の道と考えられていたのがサマナ導師です」
「……意味わかんねえ」
 わからなくはない。
 忘れられない。
 槍を持たずに立つサマナ。しかし、そこに確かに百合子は槍を見ていた。
「いまのあなたはバラバラです」
「……!」
「心と身体。気持ちと自分。すべてが離れ離れです」
「な、なに言ってやがんだよ! ンなこと……」
 バラバラ――
「く……」
 バラバラなのは最初からだ。
「わかってんだろうが」
 恨みがましい目を向けるのを止められない。
「オレ様は……」
 抱きしめられた。
「……!」
 抱きしめられていた。
「愛します」
「な……!?」
 突然の言葉に百合子があわてふためくも、依子はたんたんと、
「あなたはあなたです」
「あ、当たり前のこと……」
 当たり前のこと――なのだろうか。
 この自分にとって。
「オレ様は……」
「愛します」
 くり返す。
「あなたをあなたとして」
「っ……」
 不覚にも――
 泣きそうになった自分を懸命に抑えつける。
「勝てるのですか?」
 冷静な言葉が、百合子を我に返させる。
「再びあなたの前に導師が現れたとき。あなたは彼を納得させられるだけの自分が見せられるのですか」
「………………」
 百合子はうつむき、
「……うるせーよ」
 それだけ言うのが精いっぱいだった。
 どうすればいいと言うのだ。
 すでに騎士の学園はやめた。そしてこうしてメイドとしての道を歩み始めた。
「どうすりゃいいんだよ……」
 思わず口に出してつぶやく。
「導師とあなたの道が違うように……」
 依子は言った。
「道は一つではありません」
「えっ」
 顔をあげる。依子が静かにこちらを見ていた。
「紹介したい方がいます」
「お、おい……」
 なんだ、どういうことだ。
 紹介したい方? というか、いままで話していたことは――
「どうぞ」
 扉が開く。
「あ……」
 そこに立っていたのは、
「お、おまえ……」
 鼻の上の小さな眼鏡にふれつつ、彼女ははにかむように微笑んだ
 百合子が驚いたのはその服装だった。
「なんで……」
 絶叫する。
「なんで、おまえまでメイドなんだよぉっ!」
「似合うでしょうか……」
「そういうことをいま話してんじゃねえ! 照れはにかむな!」
「ありがとうございます」
「なんにもほめてねえ!」
 通じ合わない会話にまたも絶叫する。
「では、メイド心得その一」
「はい。メイドは……」
「って、そっちはそっちで事を先に進めようとすんな、ババア!」
「わかりました」
「っ……マジでわかってんのかよ。じゃあ、さっさと……」
 パンパン。依子が手を叩く。
「あ、あの、やっぱりこういうことは……」
「えー、似合うわよ。ねー、ハナー」
「ハナさんもうなずかないでください!」
 聞こえてきたその声に百合子は青ざめる。
「まさか……」
 悪い予感は当たり、
「わーーーーっ!」
 ミンとハナに押し出されるようにして出てきたのはラモーナと同じメイド姿の――
「てめえ、ヘンタイ! やっぱりヘンタイ野郎だったか!」
「ち、違います。これはミンさんたちが……」
「うっせえ、ヘンタイ!」
「あーら、それって偏見じゃない?」
 ミンが心底愉快そうな顔でこちらを見て、
「どうしてメイドの格好したら変態になるわけ?」
「それは……だ、だって、そうだろうが!」
「そうですよ、やっぱりこれはおかしいですよ。こんなことやめて……」
 そこに、
「逃げるのですか」
「っ……!」
 するどい視線が向けられ、鳴が青ざめる。
 依子は再び、
「逃げるのですか」
「逃げるとか……そんな」
「伺っています」
「えっ?」
「鳴さん。あなたが……」
 静かな眼光のまま、
「百合子の身体をほしいままにもてあそんだと」
「えええーーっ!?」
「お、おい!」
 鳴だけでなく百合子もあわてて、
「な、なに言ってやがんだ、クソババア! このヘンタイにそんなことされるわけねえだろうが!」
「変態だからこそするのでは」
「それは……って、オレ様がされたのは後ろからいきなり……」
「されたのですね」
「さ、されたっちゃあ、されたけどよ」
 百合子の歯切れが悪くなる。依子は鳴と初めて会ったときのアクシデントのことを言っているのだ。
「違います! あれは単なる事故! 事故です!」
 それに気づいたらしい鳴も必死に訴える。
「事故……」
「そうです!」
「そうですか……」
 納得したように依子がうなずく。
「つまり偶然にまかせて身体をもてあそんだと」
「だから、もてあそんでません!」
「つまり〝もて〟を抜いたただの遊びだと」
「どうして、そういうことになるんですか!」
「遊び……!」
 その言葉にラモーナが反応する。
「そうだったんですね……」
「ひぃぃっ!」
「もちろん本気も許しませんが」
「じゃあ、どうすればいいんですか!」
「どうする?」
「あ、いや、どうするつもりも……」
「ついに下心があることを白状しましたね」
「してません! そういうつもりじゃありません!」
「依子さん」
 ラモーナは依子に向かい、
「切りますか」
「切りましょう」
「えええええっ!?」
 依子にまでうなずかれ、メイド姿の鳴はまさに女性のような情けない悲鳴をあげる。
「服装的にもそちらのほうがよろしいと思われますし」
「よくありません! ぜんぜんよろしくありません!」
「切ればなんの問題もありません」
「あります!」
「とにかく」
 再び氷の視線が注がれ、
「責任はきちんと取ってもらいます」
「せ、責任って……」
 そこへミンが、
「ちゃーんとメイドしなさいってことよ」
「そういうことなんですか!?」
「できなかったら、切られるわよ」
「えーーーーっ!?」
「てめえら、いいかげんにしやがれ!」
 もう我慢できないと百合子が声を張り上げる。
「そうです、いいかげんにしてください」
 ラモーナも声を合わせる。
 そして鳴をにらみ、
「鳴さん。責任はちゃんと――」
 自分の胸に手を当て、
「わたしが取ります!」
 がくっ! 大きく百合子は前のめる。
「なんで、そうなるんだよ!」
「えっ……!」
 ラモーナはショックをあらわに、
「百合子さんはわたしじゃなく鳴さんに責任を取ってもらいたいと」
「そうじゃねーよ! だいたい何の責任をどう取るんだよ!」
「それは……」
「いい! 説明すんな! 具体的に説明すんな!」
 熱っぽい視線から逃れようとあわてて顔をそむける。
「では、メイド心得その一」
「てめえも何事もなかったように先に進めようとすんなーーっ!」
 そこに、
「!」
 外から聞こえてきたヒヅメの音。そして、いななき。
「まさかあいつまで……」
 バン! 窓を全開にする。
「って、やっぱりかよ!」
「……!」
 百合子の怒声にマリエッタがびくっとふるえる。その頭にはラモーナたちと同じようにメイドのヘッドドレスが乗せられていた。
「ぷ、ぷりゅんなさい……」
「なんで、あやまってんだよ!」
「百合子さんが怒っていらっしゃるから」
「なんでオレ様は怒って……ああっ!」
 自分でも混乱してきて、百合子は頭をかきむしる。
「ごくろうさまです、マリエッタさん」
「は、はい……」
 依子の言葉に、ほっとした表情を見せるマリエッタ。
 百合子の怒りの矛先が依子に向かう。
「おい、ババア!」
「なんでしょう」
「なんで、こいつまでいるんだよ!」
「ということは……」
 ラモーナが割りこみ、
「わたしたちのことは疑問に思っていないわけですね」
「思ってるよ! 全員そろってなんでメイドなんだよ!」
「百合子さんが騎生連をやめられたからです」
「は!?」
「というわけでこれからは『メイド連』となります」
「はああ!?」
 メイド連――!!???
「やべえ……マジでめまいしてきた」
「それはいけません!」
 青ざめたラモーナは真剣な顔で、
「横になってください!」
「なんでだよ!」
「枕代わりにわたしのひざを……」
「なんでおまえに膝枕されていまここで横にならなきゃなんねーんだよ! 意味わかんねーよ!」
「めまいがすると言ったではないですか!」
「それは、たとえっていうか……いや結構マジなところも」
「マジ!?」
「や、そういうことじゃねえんだよ! いちいちおおげさにすんな!」
 これ以上つきあってられないと、
「マリ公!」
 窓から飛び出て、そのままマリエッタの背にまたがる。
「行くぞ!」
「えっ、い、行くってどこへ」
「買い物です」
 落ち着き払った顔で依子が言う。百合子は一瞬言葉につまるも、
「そ、そうだよ、買い物だよ! 行くぞ!」
「は……はいっ」
「待ってください、わたしも!」
「おまえは乗んなよ! こいつはオレ様の馬だ!」
「百合子さん……」
「いちいちよろこぶなよ、おまえも!」
「なら、わたしは『オレ様のラモーナ』に!」
「意味がわかんねーよ!」
「どのような非道なことにも言語に尽くしがたい扱いにも耐える覚悟があると……」
「しねーよ、そんなこと! どういうイメージだよ!」
「ああっ、そこまでのことは……! ですが、百合子さんのためなら」
「おまえの中でイメージを進めんなよ!」
「では、これから実際に……」
「しねーよ!」
 相手にしていられない! 百合子はマリエッタの首を返させ、
「行くぞ! おらぁっ!」
 気合にいななきが重なり、ヒヅメが力強く大地を蹴った。
「ああっ、百合子さん! 百合子さーーーん!」
 ラモーナの声を背に受けながら百合子は――爽快な気分だった。
 どこまでも駆けていけそうな気がした。
 いまこのとき、百合子は――
 一人ではなかった。

ユリコの初めてのお友だち? なんだしっ★

ユリコの初めてのお友だち? なんだしっ★

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