喧嘩両成敗
武士の社会に喧嘩両成敗というやり方があった。喧嘩した当事者の理非を問わず、喧嘩した事を断罪して双方を罰するのだ。今の人々が日常で使っているかどうかは分からないが、私は子供の時に兄弟喧嘩をして母に「喧嘩両成敗」といわれて優しい拳骨をひとつずつ、ゴツン、ゴツンと貰った。学校でも先生が子供達に対してやっていたのを思い出す。このやり方は不思議な効果があった。
罰を与えた大人はニコニコ顔、罰を受けた子供たちはサバサバ顔になる。喧嘩は双方に損だという事を知るや、喧嘩相手に対する怒り、恨みは消え去って何のわだかまりも残さない。心は元に戻って子供たちは再び仲良く遊び始める。喧嘩の原因を考えて反省できる子は精神的に大きく成長する。というものだった。
私はどんな争い、対立にも優れた仲裁者がいれば有難いと思う。特に国家同士の争いはごたごたと長引く傾向にある。解決が早ければ早いほど人々の不安は少なくて済むし、戦争準備のための国の出費も少なくなるのに、と思う。だから国際的な紛争であるならば国連事務総長に「喧嘩両成敗」の手法を用いて素早くかたづけて貰いたい。肝心の総長に誰を選ぶかという事は重要だが、少なくとも並外れた人格者で、誰からも尊敬される立派な人がいいと思う。その様な人物なら人々はついてくる。紛争中の当事国に聡明な指導者が居ない場合はいつまでもグズグズして一向に解決に至らない。この様なケースなら早急に軍事費を削減させ、戦争準備につぎ込んでいた莫大なお金を一刻も早く平和利用に向けさせる事が必要だ。一般人はそれが好ましいと賛成するはずだ。なにせ我々の社会には貧困、難病、領土問題、経済摩擦、地球温暖化など急ぐべき問題は山ほどあるので、総長の一声が期待されよう。
さて今のご時勢で喧嘩両成敗が使えるかどうか。私は疑わしいと思っている。昔と今とでは人も社会も変わり、親も先生も変わってきた。そのうえ思わぬ事件も頻繫に起こっている。だから私は喧嘩両成敗を昔のように上手に使う事は出来ないのではないかと思う。残念なことだ。しかし、平和を愛する人々が大多数になれば、その国では喧嘩両成敗が何の問題も無く使われると思う。 2020年3月4日
喧嘩両成敗